続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2007年4月  3週連続関西
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◆2007年3月22日(木)
 17時に那覇空港着。前回は3年くらい前だったでしょうか。選手たちが合宿している沖縄市までは40km前後の距離があります。道が混んでいて、70分もかかりました。でも、車窓から見える街並みは、異国情緒とレトロ的な雰囲気(昭和の雰囲気)が漂っていて、日常とは違う世界に引き込んでくれます。沖縄は2回目ですね。

 19時過ぎにサンライズ観光ホテルにチェックイン。選手たちの定宿のデイゴホテルは15分くらい離れていますが、明日の池田選手会見が行われるニューセンチュリー・ホテル、サンライズ観光ホテル、京都観光ホテルは、ここまでくっついているのも珍しいというくらいに3軒並んでいます。
 21時半頃まで仕事をしてから食事に。沖縄料理をということで、ホテルのフロントの勧める店に。カウンターで食事をしていると、3人組の男性が話しかけてきました。聞けば、そのうち2人は兄弟で、1人は地元の食材流通業のトップ、もう1人は建築の現場監督で、4月から会社を興すのだとか。これが沖縄の「いちゃりばちょーでー」(会えば皆兄弟)か、と思いました。

 昨年、山梨学大OBで、現在は宜野湾市議会議員の比嘉正樹氏を取材したことがあって、沖縄の「いちゃりばちょーでー」のことは聞いていたのです。ただ、沖縄県の男性には不健康な習慣(夜更かしや喫煙)もあるとそのときに聞いていて、そのことを話すと店の女将さん(お兄さんの方の奥さん)がさかんにうなづいています。
 弟の現場監督さんからは、建築業界のことを少し聞くことができました。重川材木店のこともテレビで見て知っていると話していましたね。重川材木店が大工を社員として、自前で抱えているのは建築業界でも数少ない例だと重川社長を取材した際に聞かせてもらいましたが、今日会った現場監督も、それは珍しいと話していました。
 食材流通業のお兄さんの方から、先ほど紹介したホテルが3つ並んでいる理由を聞きました。1つわかったことがあるのですが、先方はかなり酔っているので、肝心の部分がわかりませんでしたけど。
 陸上のトップ選手がたくさん合宿しているという話をすると、何人か見かけたと言います。ただ、日本の(内地の?)トップがどれほどのもんじゃい、という気概は持っているみたいでしたね。
 こっちのホテルは革新系で、こちらのホテルは保守系でという話だけならまだしも、もっと大きな政治的な話まで始められてしまいました。
 1時間で帰る予定が2時間に。まあ、仕方ないか。


◆2007年3月23日(金)
 8:30から沖縄市のセンチュリーホテルで池田久美子選手の共同会見。昨年の日本記録更新から増え続けている取材依頼の件数が、アジア大会金メダルでさらに加速。個別取材を受ける数は制限せざるを得ない状況ですが、6月上旬、8月上旬と、何度か会見を開いていくということです。今回がその1回目。目玉は“チーム・イケクミ”の発足を正式にアナウンスされたことでしょうか。
 今日はチームのリーダー的存在の筒井総監督(スズキ顧問。元副社長)、専属マネジャーの馬塚貴弘氏も同席。馬塚氏は司会進行役でしたが、選手時代の実績なども報道陣に配られ、専属マネジャーとして本格お披露目の場という感じでした。現役時代の一番の肩書きは96年アトランタ五輪200 m代表。浜名高時代は走幅跳でインターハイ優勝し、100 mと200 mはともに2位。両種目とも現高校記録保持者の高橋和裕選手(添上高)に敗れましたが、巡り合わせ次第では3冠の快挙を達成したかもしれない人物です(という仮定はあまり意味がないのですけど)。
 しかし、97年以降は“よくなってきたかな”という時期もありましたし、20秒台も何度か出したのですが、自己記録が更新できませんでした。上記の高橋選手も同様ですが、そういったところで苦労をしてきているのです。
 一線を退いて丸2年。会社全体の広報として活躍していましたが、その間にもスズキの選手たちとクリニックの講師を務めるなどしていたこともあり、体型も崩れていません。会見後は陸連合宿会場の沖縄市営陸上競技場にも同行。現役時代ほどのバネはなくなっていましたが、選手たちと一緒にメニューをこなしていました。

 公開練習会場にはサニーサイドアップ坂井敬行氏の姿も。こちらは為末大選手のマネジャーで、このところお世話になる機会も増えています。馬塚氏ほどではありませんが、坂井氏も前橋育英高時代に400 mランナーとして鳴らし、1年生だった森田行雄選手(2年後のインターハイ200 mと国体少年A400 m優勝)を擁し、99年の北関東インターハイの4×400 mRを5位(3分17秒00)で通過。坂井氏は1走。
「400 mのベスト記録は47秒88と書いておこうか」と寺田。為末選手の400 mHより0.01秒速い数字を提案したのですが、坂井氏は「マイルのラップで48秒0にしておいてください」と控えめ。
 坂井氏の場合は現役時代のタイムよりも、その後の苦労の積み重ねがポイントでしょうか。群馬大時代は“別の方面”で苦労をしたようです。卒業後はPR関係の仕事(正社員など恵まれた環境ではなかったようです)をいくつかして、昨年サニーサイドアップに入社しました。為末選手が同社のマネジメント選手だということは「知ってはいた」くらいの認識で入ってきたとのこと。それが今や、法大グラウンドに日参する(ちょっと誇張)ほどの立場に。

 期せずして3月の沖縄で遭遇したメダル候補選手の2人のマネジャー。今後、かなり大変になりそうですが、陸上競技出身者が“ビジネスとして”陸上選手をサポートするということで、頑張ってほしい2人です。

 公開練習では、先月のJISS取材の時にもおや? っと感じた為末選手の腕振りが、今日も際だっていました(この点は陸マガ次号で紹介)。池田選手のスプリントも向上している……なんとなくそんな気もしますが、普段は走幅跳の助走で今日は純粋なスプリントなので、判断の難しいところ。馬塚広報や川本和久先生から言われると、腕振りを下の方で強調し、ビンっと進む感じ(この表現ではわからないかもしれませんが)が強くなっているようにも思いました。
 午前中の練習後に池田選手、為末選手、内藤真人選手、成迫健児選手、丹野麻美選手のカコミ取材。内藤選手は陸マガ4月号でも紹介した新たなコンセプトが「まだ50%しかできない」という状況。為末選手も右のふくらはぎを痛めて(軽傷)芝生の上でのメニューだけ。ただ、為末選手の場合、小さなケガはあっても大きなケガがなくなってきています。その辺がベテランっぽくなってきた印象があります。
 法大OBコンビとは対照的に、福島大コンビは好調で、日本記録更新にも手応えを感じているようです。成迫選手は今晩、TBS「We Love アスリート」の放映があるということで、張り切っていた……ようにも見えましたが、安易に決めつけるのは控えましょう。

 午後の練習は取材陣の数も減りましたが、練習後に高橋萌木子&中村宝子の高校生コンビを朝日新聞・堀川記者、共同通信・宮田記者と3人で取材。ヤンキースの松井秀喜選手とは気軽に話ができる堀川記者ですが、女子高生を1人で取材するのはちょっと、と言うので付き合いました。と書いたら、誇張ですので信じないように。
 夜は今日も飲み。


◆2007年3月24日(土)
 沖縄合宿2日目。昨日はカメラ取材が中心でしたが、今日は選手たちの練習をじっくり見ました。といっても、それほどすごいことがわかるわけではありませんけど。見ないよりはまし、という程度です。
 今回、高橋萌木子選手の動きを何回か見られたのがよかったです。横から見ると“違うな”というか、外国人選手みたいな印象を受けます。接地した脚の前方への倒れ込みが速いように感じました。そして、膝が伸びきらない状態でキックができる。陸マガ10月号のスティックピクチュアの解説では、「接地の瞬間に回復脚の膝が腰よりも前に位置している」と書かれています。その辺ができるから表れる現象ではないかと思われます。
 陸マガでは中村宝子選手も一緒に分析が載っています。昨日の取材の際に、お互いの走りの違いについて話をするのか質問しましたが、やはりというか、特にそういった話はしないのだそうです。だったら、“仲の良い”高校記録保持者コンビがどんな話をしているのか? という変な質問も出ましたが、そう聞かれても即座に答えられるものでもありません。
 朝日新聞・堀川記者と寺田も普段、どんな話をしているかと聞かれたら困ります。強いて言えば“胡蝶蘭の育て方”でしょうか、と書いたら誇張どころかねつ造です。

 ショートスプリントブロックは最初にバトンパスをしながら流し(よりかなり速め)をして、その後に120m(100 m?)を行なっていました。栗本選手らは福島大勢のメニューに合流し、中村選手は故障のため別メニューです。
 120mを石田智子選手、北風沙織選手、高橋選手の3人で1本やっているのをみると、前半型の石田選手が後半も、高橋選手を少しずつ離していきます。好調そうですし、200 mも行けるのでは? と感じました。

 今回はハードルブロックも同じ沖縄市営陸上競技場で練習を行なっています。為末選手は芝生からトラックに出て、昨日も紹介した腕振りの走りを行なっていたので、脚の状態が徐々に良くなっているのでしょう。内藤選手の動きが良くなったのかどうかまではわかりませんが、昨日の取材ではハードルに突っ込んでいく際の腕の動きが、1つの目安になるかもしれないと話していました。
 注目は田野中輔選手。土江寛裕選手が引退した今季は、富士通一般種目の最年長&キャプテンの重責を担います。
 成迫健児選手は昨晩のTBS「We Love アスリート」(まだ見ていませんが、評判はどうだったのでしょう?)放映後の初練習。でしたが、宮下先生によると動きが良くないとのこと。ハードル合宿前に行われた男子短距離合宿で、相当に追い込んだのが原因のようです。
 ハードルブロックは今回、学生など若手選手も多く招集(?)していました。内藤・田野中選手たちと若手との間に、ちょっと開きがあり、大学卒業後に競技を続けられる環境も得にくい状況です。そのあたりを打開するために、こういった陸連合宿に呼んで、意識を高めたり、技術的なヒントを得てもらうのが狙いだと、山崎一彦ハードル部長は話してくれました。

 午前中の練習後には選手の宿舎であるデイゴホテルに移動。サニーサイドの坂井氏と、デイゴホテルの食事をとりました。選手たちが口を揃えて褒める同ホテルの食事ですが、噂に違わず、量も多く、栄養バランスも良いものでした。
 石田選手が通りかかったので、今季は200 mも行けるのでは? と質問すると、それはないと言います。高橋選手を引き離したのは、自分は出しきる走りだったのに対し高橋選手は8割、という走り方だったからだそうです。
 昼食後、ある取材に立ち会い、その後は帰路に。珍しく機内で眠ることができました。


◆2007年3月25日(日)
 川崎真裕美選手が根上で20kmWの日本記録を奪回しました。これって、すごくないですか。1月末の日本選手権競歩で渕瀬真寿美選手が、川崎選手の持っていた日本記録を1分43秒も更新し、同じレースで川崎選手は4位と敗れていました。そのときは故障上がりということもあったのですが、そこから2カ月で立て直して、自己記録を大幅に更新して日本記録を奪回するというのは。
 ただ、女子の20kmWは歴史が浅いこともあって、記録向上の余地が大きかったのかもしれません。歴史のある50kmWでさえ昨年、山崎勇喜選手が4分以上日本記録を更新しましたから。

 新記録の応酬ですぐに思い出すのが、男子中距離のオベットとコーです。ただ、この2人、ともにイギリス人ですけど同じレースはオリンピック以外はほとんど走りませんでした。直接対決で負けたところから盛り返した今回の川崎選手とは、ちょっと違います。
 2004年の女子棒高跳の中野真実選手と近藤高代選手が、今回と近いケースです。5月5日の水戸国際で中野選手が4m31の日本新を跳ぶと、水戸では4m10で敗れた近藤選手が同月29日に4m36と日本記録を更新しました。
 そういえば女子砲丸投の豊永陽子選手と森千夏選手(故人。森千夏追悼ページ)にも、2000年に同様のケースがありました。4月に森選手が16m43と日本新を出すと、10月に豊永選手が16m46と3cm更新。そして、2002年はもっとすごかった。森選手が7月の南部記念で16m87の日本新を出すと、豊永選手が10月の釜山アジア大会4投目に16m90と3cm更新。しかし、森選手は直後のアジア大会6投目に16m93と3cm更新しました。

 当時は“女子砲丸投は新記録が出て当たり前”という雰囲気がありましたが、今から考えると本当にすごい時期だったのです。そう考えると“競歩だから、新種目だから記録が出て当然”と決めつけていると、眼前で展開されている熱い時代の感動を、味わいそこねることになるかもしれません。


◆2007年3月26日(月)
 賭博行為禁止を発表 国際陸連(スポーツナビ)

 という記事がありました。うーん、ちょっと残念です。陸上競技の発展する道が狭められたような感じを受けます。“いかなる行為も”とまで書いてありますが、全てを禁止しなくてもいいじゃん、という感想です。陸上界を盛り上げるためにブックメイクの対象とするのは有効かな、と考えていたので。財源にもなりますし。
 国際陸連の意図するところが、わからないわけではありません。勝敗が賭けの対象となったら不正が起きやすいのではないか、と危惧しているのです。ドーピングが蔓延(はびこ)っている世界です。そう考えるのも自然でしょう。でも、それは勝敗を賭けの対象にするから。“勝敗以外の部分”を対象にすれば問題はないし、むしろ盛り上がるのではないかと思います。
 例えば優勝記録や、大会新の生まれる個数などは不正が介在する余地はありません。世界選手権だったら、決勝に残るアジア選手の人数とかも対象にできます。あるいは100 m決勝進出選手で何人がナイキ製品を使用しているか、とか。左投げのやり投げ選手の数を予想する……のはマニアックすぎる? アレン・ジョンソン選手が何台ハードルを倒すか、では選手が操作できる部分もあるのでダメですけど。400 mH決勝進出者で料理が一番上手いのは誰か……というのも、全員が成迫健児選手に賭けるので賭けとして成立しないかも(まさかテレビで包丁さばきを見せるとは。ビックリしました。国体王子改め、包丁人ハードラーの異名を授けましょう)。
 何を賭けの対象として提案するか。そこはブックメイカーの腕の見せ所。それ次第では、陸上競技が盛り上がると思うんです。そういう仕事って、ちょっと興味があったのですが……。


◆2007年3月27日(火)
 今日は午前中に電話取材を1本。携帯電話の普及で便利になりましたが、電波の届かないこともあります(沖縄のホテルでは寺田のソフトバンク3Gがつながらなくて、迷惑をかけてしまいました)。取材をさせてもらう立場ですから、絶対に電波の届くところにいてください、とお願いすることもできませんし。
 しかし、間もなくつながってタイムロスは数10分。東京都の隣県の某大学で取材がありましたが、12:43に駆けつけられました。12:30に行くとY口編集者には伝えてあったので13分の遅刻。ただ、練習の途中で合流する、という範囲内にはおさめたので、取材に支障は来しませんでしたけど。事前に、“遅れますメール”も送信。こういうとき、携帯のメールは便利です。
 練習が終了するまでに電話でのアポ取りを2件。
 有力選手が多数練習している大学でもあります。春季サーキット展望原稿も書く予定なので、監督に門下選手の情報をまとめて話を聞こうとしたら、「選手に聞いてやってください」という展開に。練習終了後に急きょ4選手にインタビューをしました。その間、取材予定の学生選手は写真撮影。学食で合流するのがちょっと遅れてしまいましたが、効率のいい取材が展開できたと思います。その学生選手からも面白い話を聞くことができましたし。

 某大学を15:20頃に出て、都内の印刷所にある大学の陸上競技部小冊子の原稿を持ち込みました。大手出版社なら印刷所が毎朝原稿を取りに行くのですが、そこは個人事業主。こちらから持ち込まないとダメです。営業担当氏が外出先から戻るのが遅れそうだというので、近くのモスバーガーで30分、沖縄合宿の取材ノートを読み直し、記事の構想を練りました。その印刷所の所在地が実は練馬区だった……ということはありませんし、デリマ選手が極秘で来日していた、という話も聞きません。デリマユcookingはお薦めですけど。

 作業部屋に戻る途中でICレコーダーを購入。明日のインタビュー取材でさっそくデビューさせる予定でしたが、試してみると問題があることに気づきました。その問題の解決法を調べているうちにあっと言う間に3時間。沖縄合宿の原稿が進みません。


◆2007年3月28日(水)
 今日は13時から都内某所である女子選手の取材。新宿の作業部屋から地下鉄で1本で行ける会社なので、40分もかかりません。12時に部屋を出て、12:40には到着し、13時から14時まで取材。昼食込みで15時30分には戻りました。こういった取材が増えるといいですね(と、誰かに言っているわけではないのですが)。
 インタビューの内容もかなり、突っ込めたと思います。あの快走の裏にはこんな努力があったのか、と本当に面白い話を聞くことができました。陸マガ次号に載りますので、乞うご期待。

 部屋に戻った後は、急ぎのメールの処理。昨年に続き、ATFS年鑑の販売代理業を行います。その関係で、イギリスとのメールのやりとりも再開。それほど難しい英語を書くわけではありませんが、日本語メールの何十倍か神経を使います。値段の意味を取り違えたら大変です。
 その内容を受けて、今年はいくらで販売するかを決めないといけないわけです。本自体が値上げされていますし、円安の影響を受けてポンドがかなり高くなっています(昨年両替したユーロは売れば利益が出ますが、投機の対象にしているわけではないので…)。昨年の5500円よりも値上げをせざるを得ない状況になっています。買ってくださるのは陸上を本当に好きな方たちばかり。心苦しいのですが、そういった現状です。

 やっと沖縄取材の原稿が進みました。今後、世界選手権まで何回か連載するパターンを決めるのに、少し手間取ったのです(これは陸マガではありません)。その一方、陸マガ選手名鑑の仕事の進捗状況が、予定より若干遅れています。昨日、それなりに進んだのですけど。これは明日が勝負。
 池田久美子選手のドラゴンズ開幕戦始球式まであと2日。


◆2007年3月29日(木)
 池田久美子選手のドラゴンズ開幕戦始球式登板が、いよいよ明日に迫りました。沖縄合宿公開練習の際、アップシューズの右足つま先部分がペロンとはがれているのを記者たちに見せ、冬期の投球練習も頑張ったことをアピール。練習後にも川本和久先生とキャッチボールをしていました。
 男女の決定的な違いに、幼少時の野球経験の有無が挙げられます。男子は普通にボールを投げられるのに、女子はまったくダメ。池田選手も山なりの“女の子ボール”かと思いきや、まずまずのスピード。見た感じでは時速60〜80kmくらいは出ていたような気がします。本人は「100kmが目標」と言っていましたが、そこまでは難しいでしょう。「だって、腰が入っていないから」と、中学まで野球少年だったTライターが、池田選手に向かって偉そうに言っていました。

 しかし、外野の声で意気消沈するようなオリエンタルパール(池田選手のニックネーム)ではありません。乗り越えてきた人生の場数が違います。次のようにも話していました。
「走幅跳ときのように手拍子をお客さんに求めて投げようと思っています」
 えっ? ちょっと待てっ。それって、ドーハの二の舞になるのでは? ドーハ・アジア大会の観客たちは助走に手拍子をする習慣がなく、池田選手が手拍子を求めても無反応でした。
「走幅跳では手拍子をするものだとわかってもらうために、事前にアナウンスをしてもらう予定です」
 なるほど。陸上競技のアピールに一役買おうという狙いもあるようです。

 そうそう。忘れるところでした。明日、池田選手が
(1)時速100km以上の球速を記録したとき
(2)80km以上を記録したとき
(3)ストライクを投げたとき

 には賞品が出るという話です。それを聞いた池田選手もやる気になっています。公式の話ではないので(軟式です?)、誰が、何をプレゼントするのかは現時点では明かせませんが、上記3点に注意して池田選手の投球を見守りましょう。


◆2007年3月30日(金)
 池田久美子選手のドラゴンズ開幕戦始球式。TBSが横浜−巨人戦の中継中と、夜のスポーツニュースの中で放映しました。昨日の日記で賞品が出る条件を3つ紹介しましたが、映像を見る範囲では80km以上の球速は出ていませんでしたし、ストライクでもありませんでした。残念。
 賞品を出すと約束したのは、中日スポーツ寺西記者。会社に掛け合って出すつもりだったと思うのですが、ダメだったら個人的に出すということでした。話の行き掛かり上、もしも個人負担となったら寺田も半額援助すると申し出ました。
(1)時速100km以上の球速を記録したとき
(2)80km以上を記録したとき
(3)ストライクを投げたとき

 の順番に賞品のレベルが下がっていたのですが、(1)は無理だろうし(2)も厳しい、可能性があるのは(3)くらいだと、中日スポーツの元ドラ番(寺西記者)と、週刊ベースボールの元ドラゴンズ担当(寺田のことです。僅か8カ月間で異動)は、沖縄で池田選手のキャッチボールを見て思ったわけです。
 可能性は低いだろう、という予測の下に池田選手に話を持ちかけたのですが、心の片隅には条件をクリアしてほしい、自腹を切ってでも賞品を出したい、という気持ちがありました。それが記者心理というものだと思います。

 寺西記者といえば、その沖縄取材の際に「室伏広治選手より二枚目とは思っていません」と言ってきました。以前の日記で寺田が、内心そう思っているらしい、と書いた記述を真っ向否定してきたのです。本人が言うのだから、そういうことにしておきましょう。しかし、阿部寛似の二枚目であるのは衆目の一致するところ。
 ただ、ファッションセンスはいまひとつ、というのがドラゴンズ選手間の評判だったようです。あるとき、福留孝介選手(球界ナンバーワン外野手と球団サイトに出ています)に「何日の何時にここに来い」と言われて行くと、同選手が寺西記者のために高級ブランドショップで服装などをコーディネイトをしてくれたそうです(しめて●十万円分。支払いは寺西記者だった、というオチまである)。
 これは新聞記事で紹介済みの話。内緒の話でもなんでもないのですが、そのエピを話してくれたのにはきっかけがありました。池田選手や沢野大地選手のキャラ(メンタル面)を寺田が話していたら、福留選手に共通点があると寺西記者が気づいたのです。それがなんで、上述の寺西記者へのファッション・コーディネイトの話とつながるのか。省略した部分があるのですけど、それは内緒(口止めされています)。フィールドで結果を出せる選手は似ている、ってことですかね。


◆2007年3月31日(土)
 一昨日、昨日と陸マガ5月号付録の選手名鑑の追い込み作業。寺田の担当は顔写真付き選手(=陸連強化指定選手)の国際大会、日本選手権、年代別選手権(全日中・インターハイ・日本インカレ・全日本実業団)の成績調べです。久しぶりにユンケルを飲みましたね。ユンケルって禁止薬物じゃないですよね。イチロー選手も服用しているみたいだし、真似ているのかISHIRO!記者も。とにかく、体力&集中力勝負の作業でした。どこを調べればいいかは、何年もやっているのでそれほど手こずることはありません。
 データは選手のドラマを雄弁に物語るので、単調な作業でも飽きが来ません。なるほどねぇ、と感心したり、おおっ、と驚いたり。河北尚広選手は200 mで全日中に出たのか、とか。藤光選手は全日中に出てはいるけど、当時はそれほど強くなかったのか、とか。信岡沙希重選手と島崎亜弓選手は、下位入賞で1つ違いの順位だったのか、とか。

 この作業で一番きついのが、リレーの成績を調べること。日本インカレは参加チーム数も少ないし、当該選手がどの大学で出ているのかもわかりますが、インターハイは出場が66チーム。出身校はわかっていても、インカレと比べると10倍は探すのが大変です。決勝に進んでいれば楽なんですけど、予選や準決勝止まりということも多いのです。
 これが全日中となるともう大変。一応、該当選手の年齢から可能性のある年度は特定して調べるのですけど、個人種目は1年生から出場するのは無理でも、リレーだったら1・2年生で出場している可能性も大きいので、目を配る範囲が広くなるのです。
 ややこしいのは、チームは決勝を走っていても、その選手が予選しか走っていないケース。これはインカレに多いですね。

 作業は大変でも、やっぱりドラマが潜んでいるのです。例えば青木沙弥佳選手。早田俊幸氏&河野俊也コーチ&高橋尚子選手を輩出した県岐阜商高の出身。1・2年生時は100 mHでインターハイに出ていますが、予選と準決勝止まり。個人で結果を出したのは3年時の400 mHの3位。しかし、4×100 mRでは逆に、1・2年時に4位・2位と全国で入賞しています。青木選手は2回とも3走。TBSが信岡沙希重選手に“コーナーの魔女”とキャッチをつけていますが、青木選手も高校時代は“コーナーの○○○”と呼ばれて不思議はない存在だったのです。
 そして田野中輔選手。先日の日記で富士通一般種目最年長選手として紹介ましたが、高校時代にリレーでドラマがあったと見ました。同選手が東海大望洋高3年時にアジア・ジュニア選手権の4×400 mRを走っていることは、アジア大会名鑑作成時に気がつきました。今回の作業でインターハイはどうだったのだろう、と思って気をつけてみていると、あれ? っと思いました。
 東海大望洋高は準決勝まで出ているのですが、メンバーに田野中選手の名前はありません。インターハイが4日間開催だった当時は、4×400 mRの準決勝・決勝は110 mHと同じ最終日です。田野中選手は110 mHで優勝していますが、予選・準決勝・決勝と1日で行われますから、負担を考えてのことでしょうか。田野中選手は八種競技の全国高校優勝者でもあります。田野中選手が準決勝を走っていたら、東海大望洋高が決勝に行けたかもしれません。あるいは東海大望洋高のことですから、人材が豊富で田野中選手を必要としなかったのか。
 昨年、インターハイで総合優勝を達成した同高ですが、当時はまだ新興高。田野中選手が同高の名前を全国クラスにしたという印象があります。青春ドラマが展開されていたにおいがぷんぷんしますね。真相は今度、本人に直接確かめたいと思います。


◆2007年4月1日(日)
 昨日は大きなインタビュー取材が2つありました。
 が、ここ数日の名鑑追い込み作業でユンケルを服用している有り様。一昨日の夜も金丸祐三選手がTBS「We Love アスリート」に出演するというので、深夜の2時にテレビの前に行ったところまでは記憶があるのですが、気がついたら朝の7時でした。
 ヤバイ、と思って名鑑の作業を仕上げて(終わりが見えていたので油断したのでしょう)、11時前には送信。

 すぐに仕度をして千葉に向けて出発。取材の1つめは14時から千葉県で。もう1つは19時から都内で。ともに女子選手。
 千葉への移動は総武線。身体の疲労度や車中の予習作業、食事をとることなどを考えてグリーン車を使用。土日は千葉まで事前料金で550円。貧乏ですけど、作業効率を考えたら迷いはありませんでした。
 インタビューはいつもとちょっと違った感じでしたが、かなり面白い話を聞くことができました。以前から何かと声をかけてもらっている指導者の方でしたし、選手もベテランといえる年齢だったのでリラックスムードの取材に。記事に直接反映しない部分で、かなり面白い話を聞くことができました。こういったときに仕入れた知識が、今後の取材で役立っていくのです。
 でも、今度の記事もかなり深い内容だと思います。陸マガ5月号です。

 少し長居をしてしまい、17時頃の電車に乗って都内に。予定より早く現地に着きましたが、準備をする時間が必要な取材だったので、早すぎる到着ということではありません。準備というのは昨年のある大会のビデオから、某若手有望選手の映像を探し出すこと。その映像をインタビューする選手に見てもらい、コメントをもらおうという意図です。出発前に確認する時間がなく、DVDを5〜6枚、持ち歩いていました。
 今回もまた、陸マガ高橋新編集長からの難題リクエスト取材です(3月21日の日記参照)。この手のコメント依頼は上手くいかないことも多々あります。その他にも、いくつか難しいのではないか、と思える点があってプレッシャーの大きい取材でした。もちろん、上手くいかなかったときのことは新編集長も考えてくれているので、失敗したからと、こちらの責任にされることはないのですけど。
 結論からいうと、今回もなんとか課題をクリアできました。映像を見てもらってのコメントは使えないかもしれませんが、全体でいったら合格点の取材内容だったと思います。これも前回の日記で触れたように、新編集長が持ちかけてくる難題取材は、結果的に質の高い記事になっています。大変な部分はあるのですけどね。

 おっと、肝心の今日の話ですけど、室伏由佳選手が円盤投で58m00の日本新をマークしました。この件は明日にでもまた、詳しく触れます。


◆2007年4月2日(月)
 昨日の日曜日、室伏由佳選手が円盤投で日本記録を更新しました。梅村学園記録会ということで、どの新聞社もノーマーク。寺田のサイトで速報ができたのは、ミズノ関係者から情報が入ったからです。その後、ニュースは関係者間を駆けめぐったようですが、信頼できる筋からの情報によれば、お花見の最中だった陸上記者もいたとか。唯一休める日曜日と言ってもいいのが昨日ですから、これも仕方ないところ。でも、だいたいの記者が他競技などの取材で仕事をしていたようです。
 ここ数日、陸上界は試合ネタというより、プロ野球でいうストーブリーグ的なネタが続いていました。池田久美子選手の始球式などはほのぼのとした話題でいいのですが、人事ネタとか、新チーム発足ネタとか、登録がどうこうというネタは、報道として必要ではありますが、必ずしも楽しいものとは限りません。富士通・青柳マネのように、陸上から離れる人もいますからね。もっとも、富士通のスタッフはみんな、一度は一般業務に就くようです。岩崎利彦前コーチや、佐久間現コーチもそのパターン。
 醍醐直幸選手の日本新に涙した青柳マネ(本人は否定)。いつ青柳マネが陸上に戻ってきてもいいように、富士通の選手は日本新を出す準備をしておきましょう。

 そんななかでのトラック&フィールド日本新記録の一発目。いよいよシーズンインだな、というワクワク感をかき立ててくれました。気持ち全体が、浮き立ってくるようなニュースでしたね。
 さて、中日スポーツ寺西記者のように取材をした記者はともかく、寺田のように取材をしていないライターは、例によってデータ面を紹介するしかないようです。室伏由佳選手の日本記録更新は実に8年ぶりのこと。そこで思いついたのが、陸マガ4月号に載っている「日本記録変遷史」のチェック。ここまで間隔を空けて更新した選手が過去にいたのかどうか。
 調べてみると、日本記録を数回更新した選手たちは、やはり数年の間に出しています。5年以上も出している選手は、それほど多くない。最初の日本記録と最後の日本記録の年数差をチェックすると、1957年以降(過去50年間ということで)で5年以上にわたって日本記録をマークした選手は、以下のようになります。
<男子>
400 m:高野進選手=9年
5000m:高岡寿成選手=6年
1万m:瀬古利彦選手=5年
110 mH:谷川聡選手=5年
3000mSC:猿渡武嗣選手=6年
20kmW:柳沢哲選手=6年
50kmW:小坂忠広選手=9年
今村文男選手=7年
走高跳:阪本孝男選手=7年
棒高跳:小林史明選手=5年
円盤投:金子宗平選手=5年
:川崎清貴選手=5年
ハンマー:菅原武男選手=5年
:室伏重信選手=13年
:室伏広治選手=5年
やり投:三木孝志選手=7年
十種競技:鈴木章介選手=5年
<女子>
100 m:北田敏恵選手=10年
400 m:柿沼和恵選手=9年
棒高跳:中野真実=8年
:小野真澄=5年
砲丸投:林香代子=5年
円盤投:吉野トヨ子=6年
:室伏由佳=8年

 たぶん、間違いないと思いますが、万が一、漏れがあったらお知らせください。
 なお、複数種目にわたっての日本新となると、以下の2人がリストアップされます。
5000m→マラソン:高岡寿成選手=10年
20kmW→50kmW:園原健弘選手=9年


 上記の選手たちは最初の日本記録と最後の日本記録の差であって、ほとんどの選手はその間に日本記録を何回か更新しています。あるいは、他の選手が更新している場合もあります。8年ぶり以上の自己新というケースは、柿沼選手の9年ぶりと、北田選手の8年ぶり(その2年後に3回目の日本新)くらいでしょうか。しかし、2人とも間に、別の選手が日本新を出しているので、8年ぶりの日本新というわけではありませんでした。
 ということは、室伏由佳選手の8年ぶりは、同一選手による日本記録更新間隔としては過去50年間で最長……かと思いきや、室伏重信選手が1971年の次に、1980年に日本タイ、81年に日本新を出していました。つまり、9年ぶりの日本タイ、10年ぶりの日本新……という表記でいいのですよね。
 それにしても、父親の室伏重信選手は言うに及ばないでしょうが、柿沼和恵選手はミズノの先輩、谷川聡選手は学年は違いますがミズノの同期入社。北田選手の夫君の岩本さんはミズノのトレーナーで、金子宗平選手の息子がミズノの金子宗弘氏(十種競技日本記録保持者)。林選手は中京大の先輩。つながっていますね。


◆2007年4月3日(火)
 13時から岸記念体育会館で打ち合わせ。
 終了後に同じ建物内にある記者クラブに。何人かの記者の方たちと情報交換。その間、テレビでは選抜高校野球の決勝が放映されています。寺田の故郷である静岡県の常葉菊川がベスト4に残っていたことは知っていたのですが、まさか決勝を戦っているとは知りませんでした。下馬評って、それほど高くありませんでしたよね。そうとわかっていれば、もっと注目していたのに。
 しかし、寺田が静岡にいた頃、常葉菊川はそれほどスポーツが強い高校ではありませんでした。いつくらいからでしょうか、スポーツに力を入れ始めたのは。チャンスがあったら、OBの山下拓郎選手(亜大→富士通)に聞いておきます。

 記者クラブにいる間に、陸連から日本選手権50kmW(&全日本競歩輪島大会)の開催地変更のリリースが出ました。皆さんご存じの通り、輪島は3月の地震で大打撃を受けた街です。開催に向けて準備をしていた地元や競歩関係者にとっては残念なことと思いますが、開催地変更はやむを得ません。変更先は神戸。例年、男女の20kmWが行われている場所です。2006年度の男子20kmWのみ、例外で2007年5月に大阪開催ですけど(たぶん、世界選手権のリハーサルを兼ねて)。
 それで思い出したのが1995年のこと。阪神大震災で1月末の大阪国際女子マラソンは開催が中止。日本選手権男女20kmWは急きょ、千葉開催となったことがありました。今回は逆に、神戸が代替開催を受け容れた形です。
 千葉開催の日本選手権20kmWといえば、陸マガの写真に法元康二選手(当時旭化成)が先頭集団で映っていて、眼鏡をかけた表情が印象的でした。当時は面識がなかったのですが(競歩関連記事は折山さんの独壇場)、当時、同選手は記録をぐんぐん伸ばしていました。名門旭化成の京大仏文科出身のエリート(業界の通常とは違う意味で、本来の意味で使っています)という意味でも注目していましたね。名前も変わっていましたし。ほうが、とは最初から読めません。
 しかし、その千葉の日本選手権競歩では、法元選手は失格。ということで、今は青森で研究職に就いている法元氏に、開催地変更大会の思い出を聞いてみました。

 1995年/第78回の日本選手権競歩は、1993年/第77回まで神戸市内のしあわせの村で実施していたものを、六甲アイランドに移して実施する第一回目となるはず大会でした。そして今年は、昨年まで全日本輪島競歩として男女20kmやジュニア種目などとともにセットで開催していた大会から、男女20kmを根上に分離して開催することになる記念すべき第一回となったはずですが、またもや開催地が地震の直撃を受けることになり、神戸での開催となったのはなんという運命でしょうか。

 私個人としては、1994年に5000mから50kmまで自己ベストを更新し続けていたので、チームスタッフともに膨大なエネルギーと時間を費やし、大変充実した状態で準備をしてきていました。しかし、神戸開催の中止で出鼻をくじかれ、千葉では10数キロで失格となり、ここからが歩型違反スパイラルの始まりとなりました。4月のワールドカップ失格を受けて6月に東京転勤となって、鈴木茂雄さん(現陸連競歩部長)にあずけられることになりました。

 結果的には1994年から1995年にかけての競技上の充実度の落差を出発点として、1年半ちょっとの東京本社勤務の後に前職を退職し、大学院に進学して、青森での学位未取得状態期間を含めて10年余の研究修行に入ることになったわけです。今にして思えばここまで長期間にわたって競歩にこだわった研究を行う意志を維持できたのも(ここ数年は業務上の都合や興味からスキーにも進出していますが)、1994年から1995年にかけての落差が大きかったからだと思います。そういう点では私にとっても、大地震が発生した時期だったともいえますが、そのことをきっかけとして、研究の途上で収集したデータの副産物から「歩型違反のこういう症例にはこういう対処がいいですよ」という情報が整理でき、最近になって実践でも何となく有効性が確認でき「つつあるようだ」というところまで来ました。

 阪神大震災をきっかけとした教訓の中に、中越地震、そして今回の能登半島沖地震に活きたものがある、という報道に(「きわめて」僭越ながら)重ねてしまいます。2003年のパリ世界選手権で日本選手が大量に失格となったところを見ると、1994-5年頃どころか、つい最近まで、おそらく日本のどこにも歩型判定への対処法については有効な情報がなかったと考えることができ、1995年の私の個人的な出来事をきっかけとして情報整理・情報分析をして得たものが、日本の競歩選手育成のための共有財産として活かしていただけるのであれば大変ありがたいことです。とはいえ立場上、ありがたいどころか、歩型判定対策は義務というか任務というか、そういう側面もあるのですが、大阪世界陸上に向けて日本選手への警告を一枚でも少なくすることも私の仕事の一つですので、ここはがんばりたいところです。


 少し要約させていただきましたが、ほぼ原文に近い形で紹介させていただきました。さらにかいつまむと、95年の千葉での大会で失格したのを皮切りに、その後も歩型違反に悩むことになり、それが今日の研究につながっていると。ちょっとかいつまみすぎですけど。歩型違反という“世間にわかりにくい”ルールが厳然と存在するのが競歩という種目。法元博士への期待は大きいのです。


◆2007年4月18日(水)
 やっと日記を書いています。4月3日が最後ですか。翌4日にはメインで使っていたパソコンが壊れました。ハードディスクがウンともスンとも動かない。11日にソフマップに持ち込んで、今日、修理費の見積もりの連絡が来たのですが、なんと12万円。思わず「1万2000円の間違いでは?」と聞き返したくらい。12万円だったら、同じPCが中古で買えます(8万円台)。
 ファイルはPCカード型HDに保存していますし、最近はバックアップも念入り。サブPCで当座はしのいでいるのですが(サブPCも1月に壊れて、2月に購入したばかり)、インストールしていないソフトなどもあって、何かと不便を強いられているのです。それが日記を書けなかった理由というわけでもないのですが…。
 まだ、どたばたしていますけどが(明日中の締め切りが某サイトの選手データ30人分と、某雑誌のインタビュー250行だったかな)、今日はきっかけがあったので、こうして書く勢いがついているわけです。

 そのきっかけというのはお茶の水駅ホームでの出来事。秋葉原にPCを見に(触りに)行くために、18時過ぎに中央線から総武線に乗り換えるところでした(関東以外の人はイメージしにくいかも。朝日新聞・小田記者とか)。左後方から「寺田さん」と声がかかったのです。驚いて振り返ると柔道の野村選手。ではなくて、ミズノの鈴木さん。出かける直前に川本和久先生の日記で、福島大で仕事をした話が出ていたので、あれ? っと思ったわけです。ミズノの東京本社は近くですから不思議はないのですが、タイミングがタイミングだけに、ちょっとビックリ。
 聞けば、水曜日はミズノのノー残業デイ。秋葉原までの短い道連れですが、ご一緒させていただきました。もちろん、話題は池田選手の特製スパイクについて。川本先生の日記にもありましたが、どうやら、現時点でのOKが出たようです。ただし、全助走での跳躍はまだやっていないので、それでどういう結果になるか。メーカーも大変です。

 秋葉原でメイドカフェに一緒に行こう、と鈴木さんを誘ったのですが断られました。“小田記者と一緒に行く日本橋(大阪の秋葉原に相当する街)メイドカフェ・ツアー”も企画倒れ。池田選手が先日のTBS「We Love アスリート」出演の際に、“陸上人気拡大のためにメイドの格好をして跳べと末續選手や沢野選手たちから言われている”と話していたので、一度、行ってみないといけないと思っているのですが。
 肝心の新サブPCは、ほぼ決まりました。12インチで重さ1.1〜1.2kg、光学ドライブ搭載、バッテリーも長時間持つという条件で探していて、SONYパナソニックから出ていますが、キーボードがいまひとつ。おそらく、バッテリーの持ち時間は4〜5時間と落ちますが、EPSON直販のホワイト・バージョンにするでしょう。直販といっても、実際に触らないと判断できないので、LOAXのエプソン売り場に行って、キーボードの感触を確認したわけです。エプソンか、パナソニックの2004年製(中古)か。パナソニックも当時のキーボードは良かったのです。
 キーボードの感触は慣れでなんとかできるかな、と思うこともあります。スポーツで言ったら、用具に自分を合わせる能力があれば。トラックがああだこうだと文句は言わない。でも、シューズなどの用具はスポーツ選手の武器、という考え方もあります。寺田は後者の考え方で、パソコンのキーボードにはこだわっています。単に不器用なだけ?


◆2007年4月19日(木)
 青山一丁目駅近くにあるEPSON直営店にPCを買いに行きました。ネット上で買うよりも2600円安くなるのです。購入しようとしたのはこちらの機種。B5ノート(12.1インチ、重さ1.2kg)の白バージョン。陸マガ高橋編集長が白いiBookを使っていますが、それを見習おうという意図もなきにしもあらずですが、“白いモバイルパソコン”という言葉の響きが“白いモビルスーツ”(機動戦士ガンダム)に似ていて、ずっと憧れていたのです。それに街のカフェで取り出したとき、お洒落じゃないですか。
 ということで、4点ほど確認をした後に購入を申し出ました。ところが、このB5ノートのWhite Edoteion、CPUが一番非力なタイプしか搭載できないのです。今回、CPUは3種類あるうちの真ん中、メモリーは512MB、HDは100GB、光学ドライブはDVDマルチを考えていたのですが。確かにカタログをよくよく見ると、ラインで分けられてCPUはCeleron Mだけという表記。なんのためのBTOなんでしょう?

 若い男性店員が応対してくれましたが、代わりにメモリーを1.5GBにする方法を提案してくれました。キャンペーン期間で、通常価格約3万円が2万円になっているとのこと。CPUのCeleron MとCore soloはそれほどパワーの差はないと言います。1万円も価格差があるので説得力はないのですけど、メモリーを増やすと確かに違うと聞いています。
 値段も同じくらいに高くなりますが、同等のパフォーマンスが期待できると店員君は主張。でも、この手のことって、消費者には比較しようがない。2つPCを買うわけにはいかないし。即決はしませんでした。
 でも、帰りのカフェで検討した結果、その案に乗ろうかな、と思っています。白いモバイルパソコンの響きは捨てがたいですし、ノートに1.5GBのメモリーを乗せている人も少ないはず。見えないところで人と違うことをするってのもいいですよね。トレーニングも同様です。

 話は変わって陸マガ今月号。寺田が担当したページに奥谷亘選手のインタビューと、佐藤悠基選手の世界選手権を狙うぞという記事があります。読んだ方はお気づきかと思いますが、2つの記事にはちょっとした共通点があります。長距離のパフォーマンスを上げる場合、スタミナをつける方法と、スピードを上げる方法がありますが、それを上手くすり合わせて行く必要がある。そのとき、どちらの感覚を優先するか。スタミナからアプローチするのか、スピードからするのか、という話です。
 よく、11〜12月に関東の学生選手が1万mで28分台の好記録を出しますが、これは箱根駅伝に向けて走り込んでいく過程で、スタミナが付いたために1万mのパフォーマンスが上がるケース。しかし、それでは本当のスピードとは言い難い。佐藤悠基選手は27分台を出すためには、スタミナ優先のトレーニングだけでは難しいと言います。箱根駅伝1区の10km通過が28分18秒で走っていても、スピードの感覚が足りないと感じているのです。
 その点、奥谷選手は3カ月ジョッグだけを続けて、1カ月スピード練習を入れたら28分19秒57の自己新が出たとのこと。元々、スピードはそこそこあるタイプ(世界ジュニア5000m14位ですから)ということもありますが、マラソンにはそのスピードでも十分対応できる。実際、奥谷選手は昨年の福岡国際マラソンで14分台の5km区間を3回くらい続けたと記憶しています。
 奥谷選手は1km5分という遅いペースでも、長い時間、何日も走っていると脚の感覚や動き方の変化が感じられるようになると言います。腰も高く維持できる。この取材は本当に面白かったです。

 CPUのパワーでパフォーマンスを上げるか、メモリーの容量で上げるか。PC購入を考えながら、長距離のトレーニング方法を連想していました。


◆2007年4月20日(金)
 大阪・天王寺のホテルです。明日の2007日本選抜陸上和歌山大会取材のため、今日のうちに大阪まで移動しました。今、TBS「We Love アスリート」世陸ブーム大阪上陸特別編を見終わったところです。番組内で紹介されていた沢野大地選手の街頭(TBS社屋前)棒高跳。実はあの日(3月31日)、寺田もTBSにいました……という話はまた今度にして、今日は御茶ノ水駅では気をつけよう、という話を紹介したいと思います。

 昨日は朝まで仕事パターン。起床したのは昼近く。その後の行動はまさに分刻み、と言ったら言い過ぎで、20分刻みくらい。14時まで自宅で仕事をしてから都心に移動。京王線車内ではテレビ番組雑誌の記事を20行ほど書きましたが、構想を練るにとどまった感じ。
 新宿のヨドバシカメラでキーボードカバーを買ってから青山一丁目のEPSON直営店にというかショールーム(?)に。キーボードカバーをしてキータッチの感触を確認してから、購入しました。あとでメールを見たら1.5GBのメモリーは要らない、1GBで十分というアドバイスがありましたが、キャンペーン期間中で1.5GBが1GBと同じくらいに安くなっていたのです。来週の火曜日に“白いモバイル・パソコン”が到着します。
 駅近くの吉野屋で、吉野達郎選手(ミズノ)の今季はどうだろう、と考えながら食事をしました。独身の曽輪ライターに電話をしましたが(紀三井寺への行き方を教えてもらうため)つながらないので、後でメールをする方針に変更。
 新宿の作業部屋に立ち寄り、某大学小冊子関係広告関連の仕事を整理。留守中期に来た宅急便を受け取りたかったのですが、クロネコ大和はドライバーに直接電話ができ、1時間もしないうちに持ってきてくれましたが、もう1つの宅急便屋がそこまで対応できません。印刷所からの校正が受け取れませんでした。
 兵庫の出口先生をはじめ数人に電話をし、メールも5つくらい返信。
 なんとか18:50に作業部屋を出て、新宿を19:13の中央線快速に乗ることができました。

 中央線快速電車は新宿、四谷、御茶ノ水、神田、東京の順に停まります(朝日新聞大阪の小田記者など、関東以外に住んでいる方はイメージできないかも)。御茶ノ水でドアが開く直前に、「そういえば一昨日ホームでミズノの鈴木さんに会ったけど、まさか今日までミズノ関係者に会うことはないだろう」と思った次の瞬間、田川茂さん(8mジャンパーです)が目の前に現れました。信じられなかったですね。
 聞けば田川さんも和歌山に行くとのこと。寺田は切符を安くするために1週間前に新幹線の予約をしましたが、田川さんは新幹線も宿も予約していないと言います。そんなものしなくてもなんとかなる、と考えてのこと。なかなか旅慣れていますね。個人的な意見ですが、フィールド選手はそのくらい肝が据わっていないとダメでしょう。もちろん、やるべきことは準備して。
 それにしても、3日で2回もミズノ社員に出会うとは。皆さんも、御茶ノ水駅では注意しましょう。

 19:36のひかりで新大阪に。名古屋までにテレビ番組雑誌の原稿を書き上げ、名古屋で停車中に無線LANに接続しようとしたら、ホームまでは電波が届いていませんでした。名古屋の待合室ではよく接続するのですが。次の岐阜羽島駅に停車中にPHSで送信。その後はさすがに疲れが出て、新大阪までは休息モードに。
 明日は初めての和歌山投てきカーニバル、じゃなくて日本選抜陸上和歌山大会の取材。和歌山県に行くこと自体、生まれて初めてです。昨日、ある用事で某専門誌に電話をすると、和歌山出身のE本編集者が出たのでそのことを伝えました。すると、「入県を拒否しますから」という厳しい言葉が。どうやら、道路や駅を封鎖できるコネがあるらしいですね。果たして寺田は、無事に和歌山に入れるのでしょうか? 明日の日記を待て!


◆2007年4月21日(土)
 昨晩、大阪の天王寺まで移動し、いよいよ今日は、“初の和歌山県入り”に挑戦。結果から言えば、成功しました。ただ、正面から行ったのでは阻止される可能性がありました(昨日の日記の最後の部分を参照)。そこで思い切って、海沿いからの潜入を試みた次第です。普通にJRの和歌山駅や紀三井寺駅から行ったら海を見ることはありませんが、今回は特別ルートを取ったため、和歌山の綺麗な海を見ることができました。詳細は書けませんが、007になった気分だった、と言っておきます。
 ということで、日本選抜和歌山大会の取材です。
 初めての紀三井寺競技場の印象は、ちょっとレトロで、南国情緒を感じられるものでした。色づかいとか、周囲の風景とかで、そう感じたのだと思います。それなりに大きいのですが、近年の4〜5万人規模のスタンドとは違って、人間らしさがあります。富士通パソコンの写真加工ソフトを使いこなせないので、写真を掲載できません。それがちょっと残念。

 十種競技は100 mでは田中宏昌選手、走幅跳では大島雄治選手の動きの良さが目立ちましたが、1日目終了時点ではこの記事のような結果に。松田克彦陸連混成部長や桜井智野風先生ら、混成ブロックの方たちにデータを教えていただきました。
 初日4000点オーバーの該当者4人のうち、和歌山の会場には松田部長とミズノの金子さんの姿がありました。松田部長は自身の1日目の得点はもちろん、他の選手の得点もだいたい覚えていたのに対し、金子さんは自分の1日目の得点を覚えていませんでした。これは、本人のキャラなのかもしれませんし、タイプの違いによるものなのかもしれません。
 タイプというのは、松田部長が1日目で稼ぐスプリント&ジャンプ型だったのに対し、金子さんが2日目の円盤投、棒高跳、やり投で稼ぐパワー型だったこと。この辺も、書き出したら面白いできるネタがいっぱいあるのですが、時間がないのでその辺はまた、機会を見ながら紹介していくということで。

 七種競技では新社会人の横田美帆選手が健闘し、3種目終了時点で中田有紀選手を200点以上も抑えてトップ。初日をそのまま折り返すか、と200 mに注目しましたが、横田選手はジャンパータイプのスプリント(といっていいのか?)で、終盤でペースダウン。中田選手が抑えの効いた走りで25秒14(−0.2)で逆転しました。
 通告の方がものすごく混成競技に明るい方で、200 mレース前に1秒差をつけたら逆転と紹介してくれていました。それで、別の組で走った2人ですが、観戦のポイントがわかりやすくなりました。
 ところで、中田選手のコーチである中京大・本多陽先生は、浜松北高出身なので静岡というイメージもありますが、中学は和歌山県。佐藤悠基選手が佐久長聖高出身で長野というイメージがあるけど、実は静岡県というのと同じケースです。ISHIRO記者が、競技場の玄関を入ったところに、各年代の和歌山県記録の一覧があり、本多先生の名前もまだ残っていることを教えてくれました。
 さっそく行ってみると、1974年に出した400 mの50秒4がまだ残っています。聞けば、他の種目もいくつか持っていたとのこと。他の種目の名前を見ていても、なかなかすごいというか、まったく飽きない顔ぶれです。

 さて、男子やり投では村上幸史選手が79m51の自己4番目、シーズン初戦としては自己最高記録で優勝。B標準も3回目の突破を果たしました。日本歴代1・2位の溝口和洋、吉田雅美の2選手を輩出したのが和歌山県。そのメイン競技場のスタジアム記録を塗り替えたらすごいこと、と思って調べたら、溝口選手が82m08を1989年に投げていました。
 その記録は溝口選手にとって13番目の記録。3月25日の日記に同じことを書きましたが、当時は溝口選手が82〜83mを投げても当たり前、という雰囲気がありました。今から考えると、すごいレベルだったのですが、それをきちんと認識できていませんでした。
 しかし、今日の村上選手の投てきは、今後に向けて期待の持てる内容でした。詳しくは記事にする予定ですが、これは時間次第。本人も話していましたが、この冬期でこつをつかんだところもあるようで、今年、来年ときちんと足下が固まれば、北京五輪後に見えてくるものがあるかもしれません。


◆2007年4月22日(日)
 兵庫リレーカーニバルの取材。
 地下鉄では順大・仲村明監督と一緒になり、今年のインカレが厳しい状況にあることや、高野連の特待生制度廃止は無理があるのではないか、という話をしました。高野連の決定はプロ野球との裏金問題が騒がれている時期なので、最初にバーンと“やり過ぎだろう”という姿勢を見せておいて、徐々に緩和していくのではないかな、と個人的には推測しましたけど、高野連の考えを忖度(そんたく)するのも無理がある。というか判断材料不足。単なる当てずっぽうですね。
 総合運動公園駅では国士大・青山監督と一緒になりました。スタジアムまでの道すがら、海老原有希選手の欠場理由や、小林志郎選手の調子を聞きました。昨年取材させてもらった小林選手ですが、今は調子を崩しているとのこと。残念ながら結果は、その通りになりました。

 さて、会場に着いて記者たちの話題になっていたのは、昨年とインタビュールームの場所が変わっていたこと。昨年はトラックに面した部屋でしたが、今年は廊下を隔てて外側の部屋に。記者たちの作業部屋に隣接はしていますが、見られない種目は多くなります。複数の記者が来て、担当種目を分担できる社は対応できるのですが、実際問題として1人しか派遣できない社も多いわけです。
「競技を見ず、記録も知らずにインタビューをするしかない」という声も聞きました。ある意味、それが陸上競技記者らしいといえば“らしい”のですが、いいのかな、という疑問も感じます。柔道なども複数の試合が同時進行しますけど、競技を見る難しさという点では陸上競技がナンバーワンとの評価。
 せめて部屋の位置はなんとかならないか、と思いますけど、競技会運営全体を見ての判断だと言われればそれまで。これは文句を言うよりも、自身の能力で対応するしかないわけですが(パソコンのキーボードとは違って)、今日の寺田はまずまずの動きができたと思います。男子800mや女子1500mなど、強い選手が出る2組目に絶妙のタイミングでインタビュールームから外に出て行きました。

 しかし、男女の1万mが続けて行われたときは完全に無理。女子であれだけの好記録が出たのです。女子のレース後に、まずはワゴイ選手と絹川愛選手の取材を優先。男子のレースは見られません。しかし、最後だけは見ておきたい。絹川選手の会見中でしたが、男子がスタートして24分後(スタートのピストル音に気をつけて、ストップウォッチは押しました)にはトラックに。残り2周は見ることができました。
 男子のレース後の動きですが、男子の取材は後回し、最悪なしでもいいと判断して、仙台育英高の渡辺高夫先生や、脇田茜選手の取材を優先しようと思いました。このあたり、その記者の持っているネタや、どのメディアに何を書くかという部分に左右されるので、一概にどの動きが正解だと決めることはできませんけど。実際には確か、九電工・綾部監督と話ができ、引き揚げてくる前田和浩選手にも歩きながら30秒取材をしたと思います。その後、渡辺先生のコメントも十分に聞くことができましたし、運良く脇田選手のカコミ取材にも顔を出せました。この辺は運もありましたね。
 それにしても、絹川選手はユニークなキャラの持ち主。ユニークですけど、高校生とは思えないほど芯がしっかりしています。特に渡辺先生との関係で、そう感じました。高校生段階では指導者に走らせてもらうことが多いのが現実ですが、絹川選手は自分が走るために、渡辺先生の能力を借りている。そういう印象を受けましたし、渡辺先生も「意思をしっかり持っている子。自分の世界をきっちり持っていないと、長距離では成功しないよ、という話しもしています。そこは高校生を超えています」と言います。本当にすごいですよ。
 もちろん、走りもすごい。動きは小林祐梨子選手とも共通する部分があり、練習メニューはポイント練習の日数をかなり絞っているようです。この辺もいつか、取材できたらいいですね。

 最後に、ドーピング検査を待っているマサシ選手にも話を聞くことができ、ゲディオン選手との対決についてもコメントをとることができました。スズキの岩本照暢コーチから1000m毎のスプリットも入手。
 できる限りの取材はできたかな、という一日でした。ただ、男子砲丸投の会見最中に大きなミス。昨年の某専門誌O川編集者と同じような勘違いをやらかしてしまいました。これは、大いに反省しています。大橋選手、ごめんなさい。でも、昨日のT部長の話はなんだったのだろう?
 記者の作業部屋は19:56(競技終了2時間後)に閉まるので、かなり集中して原稿書き。定刻を10分オーバーしましたが、なんとか3つの原稿を仕上げ(1つは本サイト記事)、デスクと椅子を片づけて退出。
 三ノ宮でちょっと食事。


◆2007年4月23日(月)
 10時までホテルで仕事。お昼締め切りの原稿が終わらず、近くのカフェに。ここは昨年の国体取材の際に見つけておいたカフェ。ランチタイムになれば混み合うので、その前にとやってしまおうと頑張り、11:30に仕上げて送信。
 新幹線車内では、先月30日に取材をしたリチャーズ選手のインタビュー記事に着手。さすがに車内の3時間(ランチやメールタイムもあったので、実質2時間)では終わりませんでしたが、高橋編集長からのプレゼントもありましたし、インタビュー時の構成を大きく変えることがなかったので、新宿の作業部屋に着いてから比較的早めに終了……しましたが、ライバル誌が今月号で記事を出している選手です。なんとか違いを出さねばと、頭をひねりました。が、これはもうインタビューした時点で工夫をしていないとどうしようもない部分。それでも、2〜3時間寝かしてから送信。しばらく時間をおいてから読み直すと、違った点に気づくのです。

 作業部屋に戻ると、クリール6月号が届いていました。陸上競技ファンにとって一番の目玉は川越学監督の記事で、タイトルは“川越学の「継続で強くなる」”。高地トレーニング、無理をさせないトレーニング(でも、マラソンに必要な範囲でスピードは追求する)、筋力トレーニング、フォーム(動き)づくりなどの個々のトレーニングは全て、“故障をしない”というコンセプトに集約されています。マラソン練習で「40km走は当たり前」と思っている読者には、“40km走は行わない。距離走はやっても30km止まり”という考えは新鮮でしょう。距離にこだわらなくても実際のマラソンで、川越門下の選手たちは後半に強さを見せています。
 ただ、皆さんお気づきかと思いますが近年のマラソン・トレーニングは、「何が何でも40km走を何本。タイムは2時間*分で」という考え方ではなくなっています。犬伏孝行選手が道路日本記録を出した際に練習メニューを陸マガで掲載させてもらいましたが、40km走のタイムは遅めに設定して、翌日のスピード練習とのセットで効果を狙っていました。企業秘密でもあるメニューを公開したことについて、河野匡監督は「それを長い期間続けられるのが犬伏の特徴だから」と話していたと記憶しています。
 1月の大阪国際女子マラソンのときに三井住友海上・鈴木監督から聞いた話では、渋井陽子選手も以前ほど距離を追わなくなったといいます。苦しいところでの対処法がわかっている選手には、練習でそこまで追い込まなくてもいい。ただ、その辺の経験のない若い選手には、距離走で追い込むことも必要ではないか、と話していました。藤田敦史選手が別大に向けて練習を変えたのも、同じ考え方だと思います。奥谷亘選手は膨大な距離を走ります。詳しくは陸マガ5月号を見てほしいのですが、その狙いはケガをしないこと、なのです。ジョグで膨大に走っても、俗に言う距離走は少ないわけです。
 高橋尚子選手が走り込むことで見過ごされがちですが、小出監督門下生も全員が同じパターンの練習ではありません。赤木純子選手が2時間28分13秒(当時、積水化学歴代2位だったと思います)を出したときに、40km走まではできないと話していて、それを記事にしたら、川越監督からメールをもらったと記憶しています。
 それでも、徹底ぶりでいえば川越監督が一番かもしれません。今後、“走り込める”選手が入ったときに、アレンジを加えていくのかどうかを、注目していきたいと思います。


◆2007年4月24日(火)
 13時から某大学で取材。陸マガ6月号のインカレ展望企画で、明日取材予定の選手とセットで掲載します。約1時間でインタビュー、写真撮影と終了。その選手のインタビューへの答えはまさに“正統派”。明日の選手次第ではありますが、2人の対照的な部分が出せるような気がします。
 インタビュー終了後に、学食でハワイアンな定食(名前を失念しました)を食べながら、Y口編集者と打ち合わせ。

 16:30には新宿の作業部屋に着。18時頃に白いモバイル・パソコンが宅急便で届きました。これが、その写真。右がこの日記を書き、ホームページビルダーで作業もしている富士通パソコンです。写真加工ソフトの使い方も、やっとわかってきました。まだ、一覧表示の仕方がわからないんですよね。
 急ぎの仕事(某サイト用にデータ作成)もあったので、新パソコンへのソフト・インストールや、メールやなんやらの設定作業は、最初のインターネット接続に失敗して挫折。日曜日の兵庫リレーカーニバルの際にA新聞のH記者に聞いた話では、社内にパソコンの設定相談窓口があるのだとか。うらやましい。でも、家族T氏が勤めた会社は、最初の50人規模の会社にもそういった部署があるのだとか。
 うーむ。明日も請求書を書く予定ですが、やっぱり個人事業主はつらいですね。奥村トレーナーに今度、その辺のことを聞いておきましょう。

 PCの設定前に作業部屋の作業スペースを綺麗にしないと、どうしても気分が悪かったので、資料の山に埋もれかけてきた丸テーブル上を整理をしました。その作業に約1時間半。気がついたら21:40。焦ってヨドバシ・カメラにセキュリティソフトを購入に行きました。この辺で疲労感が大きくなり、背中から腰、脚の裏側にどよーんとした重さを感じるようになりました。実際にはないのですが、微熱が出ているような感覚もあります。


◆2007年4月25日(水)
 起床すると体調はまずまず。
 気になっていた白いモバイルパソコンのインターネット接続に成功。失敗したきっかけはEPSONが出荷時にハードディスクの分割がしていないこと。分割サービスを申し込むと5000円もとられる。だったら「自分でやります」と断ったのです。それで、Windowsを再インストールしてパーティション分割もしたのですが、Windowsをインストールした段階でネット接続を試みたのが失敗の原因でした。Windowsを入れた後にドライバー類をまとめてインストールする作業が指示されていて、それをしないとネット接続はできなかったのです。

 しかし、なんとかネット接続のメドがたち、15時に自宅を出発。
 新宿駅で急いで食事をして、15:29の急行に飛び乗りました。一番前の車両に移動をすると空席があり、座って原稿を書く作業ができました。テレビ雑誌の50行原稿。男子マラソンの現状を分析してほしいという依頼です。得意分野(?)ですが、そのために過去20年間分の福岡・別大・東京・びわ湖の戦績と、オリンピック&世界選手権の戦績を持ち歩きました。けっこう重いですね。その分、思いを込めた記事になればいいのですが。

 原稿を書き出すというよりも構想をまとめた段階で目的地の駅に。そこでIカメラマンと合流して大学に移動。初めて行く大学でしたが、ここまで近代的でお洒落なキャンパスとは思っていませんでした。選手との連絡に手間取りましたが、事なきを得て取材を開始。雨が再び降り始める前に撮影を済ませて、その後にキャンパス内のイタリアン・レストランでインタビュー(頼んだのは選手とカメラマンがアイスティーで寺田がエスプレッソコーヒー)。
 インタビューは今日も面白い話を聞くことができました。昨日の選手とは対照的なところもあり、なかなか良い記事になりそうな感触があります。同じ種目の2人ですが、考え方とかキャラとかは確かに違います。「○○さん(昨日取材した選手)と違って、軽いと見られているんです」と言いますが、競技に対しては強いモチベーションを持って取り組んでいます。
 今も十分にライバルとして認知されていますが、陸上界の枠から出て、世間一般でもライバル同士として有名になったら、面白い存在になると感じました。1500mのオベットとコー(1970年代末から80年代前半に活躍。1500mや1マイルで世界記録更新の応酬を演じました。ともに英国選手でしたが、キャラが違うことでも有名)を彷彿させるライバル関係になれるかも。そのためには、在学中に世界選手権に出る可能性もありますが、卒業後も頑張る必要があるのですが、そこがどうなるか…。

 取材終了後、キャンパス内で約1時間、テレビ雑誌の記事を仕上げました。昨年、出張の合間の一日で名古屋大学に行って、ぶらぶら散策しながら原稿を書きましたけど、大学ならそういった場所が多いんですね。
 話はちょっとずれますが、その大学では講義をノートにとるのでなく、パソコンに入力しながら聞く学生も多いのだとか。机の下に電源コンセントもあるのだそうです。もちろん、無線LANも完備されている。寺田が今日、使ったわけではありませんけど。
 1時間で原稿を書き終えて送信したのはいいのですが、その頃、雨も降り始めていましたし、気温も急激に低くなっていました。一気に疲労感が出てきて、昨晩に続いて背中から腰、脚の裏側が重くなる症状に。熱がないのに熱っぽい。
 もう1つ締め切りがあったのですが、早めに自宅に戻って休みました。


◆2007年4月26日(木)
 7時前に起床して、9時までに締め切りの仕事を片づけましたが、体調がいまひとつだと感じてもう一度休みました。3時間ほど眠って体調は回復。町田に出て(色々な意味で陸上競技ゆかりの街です)、某大学冊子の校正を受け取りました。
 打ち合わせもする必要があり、たまにはお洒落なカフェにでも行こうかと思いましたが、急いで探すとなるとなかなか見つかりません。東急ハンズ1Fのイタリアントマトは、平日の午後3時だというのに満席。頼みのルミネも案内板を見る限り、お茶だけで入れそうな店がないので、ヨドバシカメラ前のデニーズに。ファミレスは雰囲気はイマイチですけど、テーブルが広いので校正を見ながら打ち合わせをするにはうってつけ。2人で600円台というのもありがたいですし。

 新宿に出る車中で、背中と腰と脚の裏側の張りが再発。熱っぽい感じもあります。困りました。体調がよくなったと思ったので、明日までに送ると約束してしまった仕事が2つあります。新宿の作業部屋に着いてから休憩して、1つは片づけて宅急便で発送。原稿の締切もありましたが、早起きしてやることにしました。
 週末は織田記念、静岡国際と2日連続の梯子取材。明後日の土曜日も、できれば筑波大競技会に行きたかったのですが、難しい状況に。成迫健児選手の実業団初400 mHなのですが…。


◆2007年4月27日(金)
 朝の6時に起きるつもりが8時に。体調はまずまず。11:30にインタビュー原稿80行を仕上げて送信。その後、15時まで寝て、体調は万全になったと思います。
 少しずつ進めていた白いモバイルパソコンへのソフトのインストール&各種設定も、夜にはほぼ終わりました。写真加工ソフトが入っていないパソコンは初めてで、これだけはダメかと思いましたが、やっぱりあるんですね、フリーソフトが。こういうときに頼りになるのが窓の杜。自分で一から探すとなると、仮に見つけても本当に信用できるのか不安になります。こうして、フリーソフトを扱った“大手サイト”があるのは助かります。確か、岩崎利彦氏(日本人初の13秒台ハードラー)を、広報として取材させてもらったときに教えてもらったサイトです。

 夜はTBSの「We Love アスリート」で早狩実紀選手の“女っぷり”(この言葉って失礼じゃないですよね)を見させていただきました。昨年、マインツでデートした相手です。そこは上げてもらいたい部分。吹きガラスの作品群はインパクトがありましたね。包丁人ハードラー成迫選手も真っ青?
 そういえば、陸マガ5月号の2007シーズン展望(春季シーズン中心)記事で、同選手に触れていませんでした。これは反省材料です。その記事の締めの一文は、「花も実もある女子選手たちの活躍が、07年の陸上界を盛り上げそうだ」でした。この450行の記事は、この一文を書くためだけに残りの448行を費やしたと言っても過言ではありません(とか書くときは、だいたいが言い過ぎです)。
 記事の最後のチャプターで女子円盤投で8年ぶりに日本記録を更新した室伏由佳選手の学年(昨年で30歳。吉田真希子選手・花岡麻帆選手・中田有紀選手と女子の日本記録保持者が多い)と、今年大台に乗る信岡沙希重選手に触れたのですが、そこに早狩選手も含めるべきでした。

 明日からはもう、2回目の春季サーキット取材遠征。地元世界選手権イヤーもいよいよ待ったなしという段階ですけど、選考の本番は日本選手権という考え方もあると思いますが、やることはもう今の段階でやっていないと遅いという見方もできたりしますが、まあ、気の持ち方は人ぞれぞれということで。


◆2007年4月28日(土)
 夕方まで新宿で原稿書き。
 18:50ののぞみで広島に移動。ホテルまで駅から近いと思って歩きましたが、思ったよりも遠かったです。
 車内では資料へ目を通す作業と原稿書き。24・25日と取材した学生選手の記事で、1人は昨日から書き始めていて、なんとか指定の文字数通りに収めましたが、再度の推敲を車内で。もう1人の選手を新幹線の中で書いたのですが、完全に文字数オーバー。
 こういうときは、その場でウンウン唸って修正するよりも、時間を置いてから読み直した方がいい案が浮かびます。書き上げた直後はまだ、書き手もちょっとした“入れ込んだ状態”にあるので、あそこが要らない、ここは要らないと判断がしにくいのです。
 しばらく経ってから読み直すと、印象が違ってくるので、少しは冷静な取捨選択ができるようになります。これを業界用語で「寝かせる」「寝かせておく」と言います。

 体調はいまひとつ。2:00には寝ました。


◆2007年4月29日(日)
 織田記念取材。たぶん8年連続です。体調はいまひとつ。体の節々が痛くて、熱はないのに熱っぽい感じがあります。疲労感が大きい。のどは痛くないし、食欲もあります。通常の風邪の症状とは違います。フリーランスになって8年目。まとまった休みはとっていません。勤め人をやめたのに勤続疲労でしょうか。

 織田記念は午前中に男女のハードルや男女の100mの予選が行われます。最低限、そこまではスタンドで見る習慣になっていたのに、今回は省エネモードでグラウンドレベルで見ていたのです。それで、女子100 mH予選2組に出場した池田久美子選手が、スタート直後によろけたのを見逃してしまいました。
 走りだけを見て、キレがないと思ってしまったんですね。タイムを見る前にそう感じました。おそらく、昨年の池田選手との比較ではなく、1組目のポーランド選手(13秒09・−0.2)と比較していたのだと思います。
 しかし、実際はスタートでつまずいていて、そこから修正したため立ち上がるような動きになってしまい、ハードルも浮く感じのハードリングになってしまったのです。

 その他のトラック種目は、だいたい見ることができました。織田記念もインタビュールームからグラウンドが見えないので、グラウンドとインタビュールームを行き来するタイミングが難しい。スターターのピストル音も聞こえません。これはもう、どの大会が良い悪い、というのではなく、陸上競技取材の宿命と思っています。見なかった種目や、コメントを取材できなかった種目も書かないといけないこともあるわけで、その辺も記者能力に含まれます。
 今日で言えば、女子3000mSCを最初の1000mだけ見て、インタビュールームに移動しました。早狩実紀選手に食い下がっていた辰巳悦加選手(和光アスリートクラブ)が遅れ始め、早狩選手の独走になると確信したからです。インタビュールームでは、男子100 m優勝の朝原宣治選手の取材が始まろうとしていたのだと思います。同大の同学年コンビでしたが、復活した朝原選手を優先しました。
 ところが、あとで記録を見ると森春菜選手が0.28秒差の2位でフィニッシュしています。えっ? と思いましたが後の祭り。どうしようもありません。僅差だったことに気づいたときは表彰ももう終わっていて、選手をつかまえるのは難しい状況になっています。早狩選手からレース展開を聞くくらいしか、レースの様子を確認することはできませんでした。まあ、今回は陸マガには書かないので、それほどヤバイ状況ではないのですけど。
 逆に、レースは見たけれど、コメント取材をあきらめようと思ったのが男子400 m……でしたが、為末選手がレース後に気持ちが悪くなって、インタビュー開始が遅れたので運良く為末選手も取材ができました。

 織田記念のいいところは、タイムテーブルに地元の学校のリレーを固めて入れてあることです。その時間帯にこちらは、フィールド種目やコメント取材に集中できます。今日もその時間で、女子棒高跳の近藤高代選手や、男子三段跳の杉林孝法選手の話を聞くことができました。今年(今年度)で32歳になる同学年の2人ですが、話を聞くと再上昇の雰囲気があります。近藤選手については西田・高橋記念の陸マガ記事で紹介しましたが、杉林選手も地元の石川で大学の先生になり、色々と気づくこともあったようです。テーピングなしでピットに立ったのは久しぶりだといいます。
 優勝記録の16m36(+1.7)は年齢別日本最高記録。ただ、さらに高年齢で山下訓史選手や小松隆志選手が、もっと上の記録を出しているので、それほど価値があるわけではありませんけど。それでも、本人は手応え十分。「石川に帰って、打倒・石川(和義)だ」とは言いませんでしたけど。

 夕方になって気温が低くなると、体調が悪化。声の調子もおかしくなってきました。風邪だったら選手にうつしてはいけないので自粛しますが、そうではないので取材を続行。トラック&フィールド・シーズンに入ると長距離種目はどうしても後回しにしがちですが、織田記念は最後に長距離種目だけが行われている状況になります。しっかりと取材。
 19:30頃まで記者室で原稿書き。織田記念で即日移動は最初の取材の00年だけで、01年以降は泊まるようになりました。しかし、今年は翌日に静岡国際があるため、名古屋まで移動します。当初は新大阪泊まりの予定で“3週連続関西滞在”になるはずでしたが、広島を21時ちょっとののぞみに乗れば、名古屋まで移動できることが判明して切り替えました。
 試合翌朝に広島駅のホームで中国新聞を読むのが日課ならぬ年課になっていましたが、今年はできません。中国新聞・山本記者に明日の朝刊購入を申し出て、ビッグアーチを後にしました。


◆2007年4月30日(月)
 名古屋を8時ちょっと発のひかりに乗って静岡まで移動。昨晩、体調は少し回復しましたが、今日はまた悪化。静岡駅からは陸マガ・高野徹タクシーに同乗することができたので助かりました。試合取材でここまで体調がすぐれないのは釜山アジア大会(2002年)以来かな、などと考えていましたが、早い時間帯に奥村トレーナーからニンニク入り栄養補助食品をもらって服用し、かなり回復。本当に助かりました。

 今日一番のニュースは久保倉里美選手の女子400 mH日本新です。久保倉選手のコメントは記事でも紹介しましたが、“日本新”よりも“55秒台”という点を強調した内容でした。取材をしながら久保倉選手が以前、「誰に勝つとかは興味がなくて、自分の力を出し切って世界に挑戦することが目標」という話をしてくれたことを思い出しました。福島大グループは同じ種目に有力選手が複数いることもあって、そう考える選手が多いですね。
 このほかインパクトが強かったのは沢野大地選手、室伏由佳選手、高橋萌木子選手たちですが、筑波大関係選手も多くの種目で活躍していました。
 その象徴が男子200 m予選。1組は斎藤仁志選手、2組は石塚祐輔選手、3組はOBの長谷川充選手がトップ通過。藤光謙司選手、高平慎士選手、吉野達郎選手をそれぞれの組で抑えたのです。決勝では斎藤選手こそケイレンで最下位に終わりましたが、石塚選手が優勝し長谷川選手が2位。ここ数年、末續選手以外には負けていなかった高平選手に土を付けたのです。
 就任2年目。谷川聡コーチ(写真)の指導が早くも、成果を出しつつあるようです。その谷川コーチが、200 mでは今回敗れた斎藤選手を高く評価していますから、石塚選手とも甲乙付けがたい力があると見ていいでしょう。この2人に品田直宏選手を加えた4×100 mRも、38秒台も狙えるような気がします。インカレの注目ポイントですね。
 筑波大関係選手では土屋光選手が走高跳で優勝、院生の秋本啓太選手が円盤投で2位、女子ではOBの藤沢潔香選手が走高跳2位、砲丸投の美濃部貴衣選手が日本人トップの3位、OBの小島裕子選手がやり投優勝と活躍。

 筑波大といえば、OBの毎日新聞・ISHIRO記者も相変わらず元気いっぱいで、寺田が「今日は日陰だと肌寒いなあ」と着込んでいるのに対し、今日もポロシャツ姿で取材に駆け回っていました。そのISHIRO記者に対抗意識をむき出しにしているのが、朝日新聞・堀川記者。会社同士がライバルという立場に加え、元松井秀喜番の堀川記者としては、イチロー似のISHIRO記者に負けるわけにはいかないわけです。織田記念取材のために広島入りする時間も、どちらが早くか競っていたようです。
 この日は堀川記者もポロシャツ姿で取材(2人のポロシャツ記者)。世界選手権イヤーは取材現場も熱くなっています。


◆2007年5月1日(火)
 電話での依頼事や打ち合わせが多かったのですが、“やることリスト”を作成したら、30分刻みで項目が列記できた一日でした。達成感もありましたが、疲労も大きくなってしまった気がします。


◆2007年5月2日(水)
 体調がいまひとつ。休養を優先しながら、仕事を少しずつ入れる珍しい一日。某WEBサイトのデータ関係の仕事をなんとか終わらせました。
 ところで、昨日今日とゴールデンウィークの谷間ですが、世間ではこの2日間も休みを取って海外に行ったりする人も多いとか聞きます。しかし、寺田の周りは思いの外、皆さん働いているようです。電話をかけた全員(3〜4人ですが)が仕事モードでした。
 ゴールデンリーグやゴールデンゲームズはあっても、ゴールデンウィークは存在しない陸上界です。


◆2007年5月3日(木)
 某WEBサイトの原稿を仕上げ、夕方から陸マガの静岡国際原稿をやっと書き始めました。


◆2007年5月4日(金)
 静岡国際男子200 mのページが独立してとってあるのですが、そこの原稿を一通り書き上げ、19時ちょっとに東京発の新幹線で大阪入り。車内では明日の取材の予習。コピーして持参している資料に目を通しました。
 今回の宿は、地下鉄長居駅の1つ手前、西田辺駅近くのホテルに。長居競技場まで徒歩圏内です。今年は日本選手権や世界選手権で長居での取材が10日以上もあります。世界選手権期間中の宿は梅田近くを抑えてはありますが(3カ月以上前に予約できるホテルだったので)、西田辺のそのホテルが良ければ変更することも考えていました。
 ところが、部屋がかなり狭くて、ベッド以外のスペースは猫の額ほどの広さ。3日間の日本選手権ならなんとかしのぐことができますが、世界選手権で10日間以上も滞在するのは無理だと感じました。
 夜は静岡国際男子200 mの原稿を仕上げ、これも別ページの女子400 mH日本新の原稿に取りかかりましたが、半分ほどでダウン。明日の朝、頑張ることに。


◆2007年5月5日(土)
 早起きをして静岡国際女子400 mHの原稿書きを頑張りましたが、10:00のチェックアウト時には8割の完成度。10:30には長居競技場のプレスルームに到着し、続きを頑張ろう……と思ったのですが、席が埋まってしまっています。陸マガ・グループに混ぜてもらうことができことなきを得たのですが、約20分のロス。担当の秋山編集者まで現れ大ピンチ……と思いきや、なんとかなりました。詳しくは書けませんけど。

 取材は最初のトラック種目の女子4×400 mRでいきなりヒートアップ。日本女子チームが米国に食い下がりました。どの選手も後半もしっかりと走りきっている。記録が出るときとはそういうもの。前半をある程度のハイペースで入っても、後半も持ちこたえる。結果的にイーヴンペースに近い形になると、いい記録が出ています(厳密なイーヴンペースではないですよ)。今日の女子4×400 mRがそのパターンにはまりました。
 アジア大会の女子4×400 mRで選手たちにラップを聞かれたとき、他の取材と重なってしまい、計測できませんでした。福島大はデジタルビデオから正確に計測しているのですが、選手たちは少しでも早く知りたいもの。ある程度正確に測っている人間がいれば、そこで予備知識を仕入れて、正式計時ならぬ正確計時への心の準備ができるのでしょう。

 今回、選手たちに話す機会はありませんでしたが、寺田の計時は1走から次の通り。
53.46−50.96−52.09−54.01
 JAAF Statistics Informationsによる非公式計時は
53.4−50.9−52.0−54.2
 福島大のデジタルビデオでの計時は
53.64−50.83−52.03−54.03
 ちなみに寺田の計測による後半200 mのタイムは2走の丹野麻美選手が26秒60、3走の久保倉選手が27秒71、4走の吉田真希子選手が29秒27。後半に走れている選手が、好タイムを出しています。ただ、後半を走りきるには序盤でスピードを上げ、力を使わずにハイペースに持ち込む必要がある。特に50mまでのクレアチンリン酸の使い方が重要になるとのこと。

 女子4×400 mRのコメント取材を優先したため(更新幅の大きい日本新でしたから)、男子の4×400 mRは見られませんでした。テレビ中継もあるし、JAAF Statistics Informationsからのデータ提供も期待できると思ったので。ただ、フィニッシュ直後の取材には間に合いません。今回、標準記録突破の3分02秒44だったのですが、3走の太田和憲選手が45秒2と好ラップを刻んでいました。
 46.3−45.6−45.2−45.3
 国際経験という点では、4人の中で最も少ないのが太田選手。ラップを知っていればすぐに取材をしたのですが。やっぱり、実際にレースを見ないとだめですね。

 この大会はたぶん、最も取材が忙しい大会です。春季サーキットから続く春のシーズンのピークをつくる選手が多いですし、記録の出やすい長居ということもあります。14:45からトラック種目が10分間隔で行われていくともう、スタンドの記者席に戻る余裕はなくなります(それでも何種目かはスタンドから見ますけど)。
 選手全員が通るミックスドゾーンと、3位までの会見が行われるインタビュールームと、どういうバランスで行くかで取材の出来が左右されます。両方に上手く足を運べればいいのですが、それが難しいところ。どちらかに重心を置くことになります。3位以内の選手だけでよければインタビュールームに腰を据えるのが効率的。テレビも設置されているので、競技も見ることができます。
 下位の選手に話を聞きたいときはミックスドゾーン。優勝選手のコメントも聞けますけど、注目選手には記者たちが殺到し、よほど良いポジションを確保しないと声が聞こえません。昨年の日本選手権はミックスドゾーンにもマイクが設置されて聞き取りやすかったのですが。
 忙しさでは春季サーキット各大会以上ですが、テレビ放映があるので、ぎりぎりでなんとか頑張れているのが大阪GPの取材です。


◆2007年5月6日(日)
 どうも、セントレア(中部国際空港)には突然行く運命にあるようです。昨年12月のドーハ・アジア大会の帰路、ドバイでの乗り換えが関西空港行きの便に間に合わず、セントレア行きの便に振り替えられ、まったく予定になかった同空港に帰国したことがありました(昨年12月14日の日記参照)。そして今日、昨日までまったく考えていなかったセントレアに、夜の21時に行きました。

 話はさかのぼって今朝のこと。西田辺のホテルから、大阪GP本部ホテルに行って某選手&チーム広報と打ち合わせ。その際に、池田久美子選手が今晩、セントレアからドーハに向かう情報を入手しました。今日の寺田は日本選手権男子20kmWを取材したら、東京に帰るだけの予定でした。ただ、ゴールデンウィーク最終日で、新幹線は混むだろうから、こだまの自由席で帰るしかないかな、とか考えていました。昨年か一昨年は、疲労も大きくてプラス1泊しましたしね。
 打ち合わせ終了後、長居競技場に引き返して(西田辺から大会本部ホテルに行って、元の場所に戻る感覚でした)、日本選手権男子20kmWの取材。山崎勇喜選手、吉原政人選手、森岡紘一朗選手の順で、共同取材でしたが最低でも各選手2〜3回は質問。最近の寺田では珍しいこと。久しぶりの競歩取材だったので、ここぞとばかりに頑張りました。
 当初2位と発表され、代表入り有力候補になった吉原選手が失格となったのは、ちょっと気の毒でした。吉原選手は三重県出身で愛知陸協登録。地元の中日新聞&中日スポーツもここぞと取材をしていましたが……。

 その中日スポーツ・寺西記者もセントレアに行くと言います。池田選手の始球式で賞品を出すことを画策した2人の記者(3月29日の日記参照)のセントレア合同取材が、ほぼ決まりました。でも、最終決定は新大阪駅でした。そこで馬塚広報、松下トレーナーと3人の出発シーンを撮る方法もありましたが、新大阪駅をロケハンした結果、まったくと言っていいくらいに雰囲気がありません。新幹線も満席状態で、こだまの自由席も座れるかどうか。だったら、名古屋まで立って行き、セントレア取材をして名古屋に泊まろうと、新大阪駅で最終決断をしました。その場で馬塚広報に取材依頼。
 実は新大阪駅に行く前にもう一度、大会本部ホテルに取材に行っています。沢野大地選手を取材するために、南ドイツを横断した昨年のヨーロッパ取材ほどではないにしろ、なかなかダイナミックな行動をした一日でした。

 名古屋駅まで立って移動し、名鉄の急行でセントレアに。21:15くらいに到着しました。すぐに馬塚広報に電話をして合流。10分後には寺西記者も到着しました。チーム・イケクミがチェックインするのを待って取材開始。セントレア発は残り3便だけ。出国手続きに時間がかかることはないと思いますが、1時間前には取材を終わらせたいところ。エミレーツ便は22:45発です。
 ということで、地元の寺西記者の案内で食堂街に移動して取材開始。昨日聞けなかった新スパイクの感触や、一日たっての技術的な自己分析などを聞きました。それによると、踏み切り4歩前マークをドーハでは変える可能性があるとのこと。昨年までは8m40でしたが、昨日の大阪GPは8m60。それを……。
 これは現地入りして、前日と当日の練習を見ながら判断していくことなので、それと決まったわけではありません。でも、もしもその距離にマークを置くことになったら、秒速8m★で踏み切ることになります。技術(最後の4歩のさばき)が追いつかずに踏み切れない可能性もありますが、ハマったら出ますね、7m。
 ドーハが楽しみになりました。


◆2007年5月11日(金)
 池田久美子選手のドーハSGP女子走幅跳が深夜1:30開始。国際陸連のサイトには結構早く結果が掲載されます。リアルタイムで結果をチェックしようかと考えもしましたが、明日の朝は早くから岐阜(中部実業団)に出張なので、先に寝て早起きをすることに。体調を崩して、その回復直後ということもあり、睡眠5時間が目標です。出張前日としては多い方。
 ところが、いつもの宵っ張りが災いしてか、それとも世界選手権に向けたコラムの連載が決まった緊張感からか、なかなか寝付けません。そうこうするうちに、暗闇にハードディスクレコーダの電源が入りました。TBS「We Love アスリート」の録画が始まったわけです。どうせ30分は眠れないだろうと、テレビをつけました。今週は出演選手が発表されていないので、なんだろう? と思っていたら、池田久美子選手のここ1年間くらいをVTRで紹介する特集と、大阪GPの男子400 mHを中心に編集した内容でした。

 助かったのは、大阪GPの成迫健児選手のレース後の表情を紹介してくれたこと。7台目を引っかけて、為末選手に勝つべき試合で負けてしまった。5日の日記にも書いたように同大会は、取材する側は大忙しなのです。選手全員の表情を追うことなど、とてもできません。
 そうか、あそこまで悔しそうにしていたのなら、1つコラムが書けますね。成迫選手の認識とこちらの認識が一致していますから。大阪GPのダイジェストを見ていたら、醍醐直幸選手ネタも思いつきました。

 しかし、成迫選手の表情がわかると、もう1つ気になっていたことを知りたくなりました。それは、大阪GP男子4×400 mRのレース内容。女子4×400 mRで日本記録が出た直後で、女子選手のコメント取材を優先した結果、レースを見ることができました。男子4選手のラップはJAAF Statistics Informations(非公式計時)が以下のように出してくれました。
1走 山口有希(大阪ガス)  46.3
2走 堀籠佳宏(富士通)  45.6 【10.3-21.3-32.8】
3走 太田和憲(サンメッセ) 45.2 【10.7-21.5-32.9】
4走 金丸祐三(法政大)   45.3 【10.1-21.0-32.8】

 しかし、アメリカとの位置関係なんかがわかりません。実は明日の中部実業団で、太田和憲選手をじっくり取材しようというプランなのです。
 ところが、録画した大阪GPのテレビ放映を早送りで見ましたが、男子4×400 mRはオンエアされていませんでした。残念。

 ということで、消灯は2:30頃に。もしかしたら、池田選手の試合が終わっていたかもしれませんが、結果を見ると寝られなくなるのでやめました。


◆2007年5月12日(土)
 早起きして一番に国際陸連サイトでドーハSGPの結果を確認。池田選手、7mは行きませんでしたが、なんと、あのメンバーで優勝していました。我々も、順位よりも記録に意識が行っていたのですが、よくて2〜3番というイメージでしたから、これにはビックリ。さっそく、ヘルシンキ世界選手権の金銀メダリストに勝ったと、トップページに記載しました。
 そこで、もしや、と思って川本和久監督のブログを見ると、すでにドーハの試合の様子がアップされているではないですか。さすがです。やっぱり、ことをなす人間は時間の使い方が上手いというか、何事も作業が早い。見習いたいところです。明日のTBS情熱大陸でも、学ぶべき点がいっぱい紹介されるでしょう。

 岐阜には12:01に到着。向井裕紀弘選手の勤務場所でもある長良川陸上競技場には12:40頃に着きました。報道受付を済ませたあと、陸マガ時代からお世話になっている安福先生(県岐阜商高)や、中部実業団連盟の渡辺辰彦事務局長に挨拶。安福先生からは、太田和憲選手の就職先であるサンメッセが、陸上界ではなじみのない企業だったので、どんな会社なのかを教えてもらいました。渡辺事務局長は100 m&200 mの中大記録保持者です。
 この大会も短い時間に多くの種目が行われるので、春季サーキットなみの過密タイムテーブルです。ただ、ジュニアの部や地元高校生の種目もはさんで行われるので、取材する側にとっては助かります。取材に来ている社も少なく、規制があまりないところもグッド。表彰控え所でコメントを聞いていても、怒られたりしません。もちろん、表彰時間が来たら、すぐに取材はやめます。このくらいは、春季サーキットでもできると思うんですけどね。
 選手の話を聞いている最中に別の種目が始まったら、「これ、見ないといけないから」と言って、選手がどこにいるかを確認して(だいたい表彰控え所につながっている室内走路でダウンをしています)、競技を見ることを優先できます。大阪GPとは大違いです。

 競技の方は、特にこれという記録が出ませんでしたが、オッと思った選手や種目は多かったですね。
 まずは男子200 m。好調の太田選手か向井選手が勝つと思っていたら、優勝したのは松岡篤哉選手。恥ずかしながら、どんな選手なのか知りませんでした。記録集計号のindexで調べると、走幅跳の記録紙か載っていません。表彰後にさっそく取材。
 聞けば大垣商高出身で、あの日下部光先生(筑波大OB)の教え子だそうです。インターハイは走幅跳と三段跳でともに5位。大学は東海大で、ここでも短距離ではなく跳躍ブロック。インカレの入賞はなく、学生時代は7m50と15m89がベスト。卒業後半年間は大学を練習場所に競技に専念しましたが、それも日本選手権まで。卒業1年目の後半から2年目の前半は陸上競技とは関係のない仕事に就いていたそうです。
 卒業2年目の昨年後半、競技に本格復帰。秋の国体で早くも7m65の自己新で4位に入賞しました。短距離は助走に生きるからという理由で力を入れたら、今季21秒47まで記録が伸びたそうです。今日は向かい風1.7mで21秒53ですから、実質的には自己新記録。スプリントの今年の目標記録は早くもクリア。走りの技術改善が成功したようです。次は、走幅跳の8mが目標です。上がった助走スピードのなかで、踏み切れるかどうかが課題だと話してくれました。見る側としては、短距離種目でも頑張ってほしい選手です。

 先輩の松岡選手に敗れて2位でしたが、今大会取材の目的の1つである太田和憲選手にも話を聞きました。1週間前の大阪GPのことや、昨年のシーズンベストが春先の四大学の46秒56にとどまった理由なのですが、一番聞きたかったのは腕振りについて。末續選手や山口有希選手、冨樫英雄選手といった東海大の選手たちとはちょっと違う印象があったので。しかし、太田選手も、大阪GPではその腕振りに近い動きができていたと言います。
 腕に乳酸がたまるタイプだとも聞いていましたが、それも大阪GPでは違っていたとか。この辺の話は、パズルのピースがぴたっとはまるように合わさって、なかなか面白かったです。どこかで記事にしたい話ですね。

 あれ? っと思ったのが男子走高跳。眼鏡をかけた長身選手が、2m10に挑戦していました。どこかで見た選手だな、と思って確認したら真鍋周平選手。阪大3年時の2003年に2m25を跳び、注目を集めた選手です。大学院を出て今年、トヨタ自動車に入社していたのです。さっそく取材。これも面白い話が聞けました。大学院時代の研究テーマを聞いたのですが、これを理解するのに時間がかかってしまいました。完全に理解できたわけではないのですが、自動車メーカーに就職したのも頷ける研究テーマでした。
 トヨタ自動車の一般種目選手は、フルタイム勤務です。真鍋選手はまだ配属先が決まっていませんが、おそらく研究職かそれに近い部署になるだろうとのこと。それでも、競技への情熱もしっかりと持っています。これも、記事にしたら面白そう。

 ところで、中部実業団の会場でも池田選手のドーハSGP優勝が話題になっていました。昨年、ストックホルムのSGP(DNガラン)で池田選手を取材したことを思い出していたら、ストックホルムで一緒に取材をした読売新聞・霜田記者が大阪から来濃(と言うのでしょうか?)。ドーハの試技表が、カタール陸連のサイトの中にドーハSGPのページがあり、そこに載っていることを教えてもらいました。競技&取材終了後に、さっそく確認。
 取材終了後には中日スポーツ・寺西記者から電話で問い合わせ。その後すぐに、ある選手に電話取材。
 ホテルに戻って原稿書き。21時過ぎに場所をカフェに移そうと思って近くを散策しましたが、開いているカフェは発見できませんでした。ホテルに戻ってNHK・BS1スポーツ大陸(為末選手の特集)を見ようとしたのですが、BSが見ることのできないホテルでした。代わりに日記を書いています。


ここが最新です
◆2007年5月13日(日)
 中部実業団最終日の取材。5月は陸上競技(の取材)には一番良い季節です(O村ライターの見解はいかに?)。夕方に気温が下がれば、長距離にも悪いコンディションではありません。今日はちょっと風が強かったのですが、風がプラスになる種目もあります。

 昨日は松岡篤哉選手、真鍋周平選手と初めて話をする選手の取材が多かった印象がありますが(といっても、その2人だけかも)、今日は面識のある選手の話を聞くことが多かったと思います。
 まずは昼前に女子ハンマー投。同時進行の種目が少ない時間帯で、投てきサークルの近くで見ることができました。室伏由佳選手が優勝しましたが記録は60m66と低調。ハンマー投終了後は、風が向かい風で良い状態だったので、すぐにでも円盤投を始めたいと話していました。
 取材をした順番までは正確に思い出せませんが、400 mH優勝の千葉佳裕選手にも取材。為末選手、成迫選手と前半を13歩で行く選手の活躍が目立っている昨今ですが、14歩選手の意地を聞かせてもらいました。いい話でした。河北尚広選手は13歩ですが、吉形政衡選手と3番目の代表を争うことになったら“14歩選手同士”の対決になります。
 男子100 mの安井章泰選手も2位に0.15秒差をつける快勝。スタートで失敗したそうですが、中盤以降の強さが戻ってきました。01年エドモントン大会以来、6年ぶりの世界選手権代表入りに意欲満々です。

 小林史和選手には800 mのレース後、昨日の1500m分も併せて取材。大阪GPの1500mはノングランプリ種目で、世界選手権の選考対象にならないため、この時期は練習を優先し、今大会も2種目で予選・決勝と4本を走って練習に近い位置づけ。マサシ選手が引っ張ったことで展開にも恵まれましたが、その状態で3分42秒48はすごい。ちなみに、今年から中部地区は1500mと長距離のタイムレースをやめ、予選・決勝と実施しています。
 取材中に話題が大阪GP優勝の渡辺和也選手になったとき、小林選手が「名門の報徳高出身ですから」と警戒していました。卒業3年目の学年に竹澤健介選手(早大)と木原真佐人選手(中央学大)がいて、その1つ下に渡辺選手と、報徳学園OBには勢いがあります。
 ただ、“名門度”でいうなら、小林選手の出身校である「中京商(今の中京高)も負けていないだろう」と寺田が指摘。全国高校駅伝は中京商の2連勝(1979・80年)の後が、報徳学園の初優勝でしたから(81年)。オリンピック代表を送り出したのも中京商の方が先。寺田の記憶では報徳学園OB1号が92年バルセロナ五輪の伊東浩司選手で、中京商は米重修一選手が88年ソウル五輪代表。もしかしたら中京商は、それ以前にもいるかもしれません。
 2人が競り合ったら、新旧対決(今年30歳と20歳)とともに、名門校OB対決としても面白くなります。中京商vs.報徳学園。20年来の陸上ファンにはたまらないはず。日本選手権の見どころの1つになりましたね。

 中部実業団は昨日も書いたように、表彰控え所で取材ができます。女子円盤投はその位置から見ていましたが、最初の2投目くらいまでは取材を優先。その後はしっかり見ていましたが、5投目のあと中田有紀選手が控え所にいることに気づいて、話を聞き始めました。しかし、室伏由佳選手の6投目は「ちょっと見させて」と言って取材を中断。日本記録前後まで飛んだのがわかりましたから、真横にあたる位置まで移動。日本記録を越えていることを確認したのと同時に、一気にテンションが上がりました。中田選手に何か合図をして、投てきサークル方向に走り出しました。スピードは情けないほど出ませんでしたが、幸いなことに、トラックを横切るのも、フィールドに入るのも自由(報道用ビブを着けています)。記録掲示板撮影には余裕で間に合いました。
 しかし、話の途中でしたから、撮影取材が一段落したら中田選手のところに戻りました。表彰は終わっていましたが、勝手知ったる長良川競技場ですから、なんとなく選手のいる場所はわかります。無事に話を聞くことができました。混成の日本選手権は本大会1週間前に伊勢で開催。うーん、行きたいですね。

 その後は室伏由佳選手の取材。日本記録ですから記者たちも殺到します。表彰控え所での取材は無理で、プレス室が急きょ会見場に。これは状況を考えたらあり得ることで、それに気づくのに遅れたのはこちらのミス。まあ、なんとか挽回しました。その方法は企業秘密ですけど。
 最後に選手が居そうなところを一回りしていると、昨日取材した松岡選手と太田選手、向井裕紀弘選手が一緒にいたので、まずは松岡選手に優勝した走幅跳の、踏み切りの感触を確認しました。そして最後は、岐阜といえば向井、とまで言われるようになった向井選手に取材。タイムはバックストレートの向かい風で悪かったのですが、織田記念、大阪GP、そして今回と感触は良くなってきているそうです。

 充実した2日間の取材を終えて東京に戻りました。名古屋からは新幹線。座ってしばらくすると、野口みずき選手の仙台ハーフマラソン優勝の記事が、車両前部のドアの上にテロップで流れているのに気づきました。寺田の2つくらい後ろの席の女性がそれを見て、野口選手の初マラソン(2002年名古屋)のことを話題にし始めました。おそらく、名古屋在住の方でしょう。
 沿道に野口選手の応援団の人がいて、一緒に応援してくださいと頼まれたのだそうです。当時、野口選手は名古屋に本社のあるグローバリー所属でしたから、その関係者でしょうか。あるいは、地元の三重県から応援団が来ていたのかもしれません。その女性の方は野口選手が目の前を走る姿を見て「小さくてビックリした」と言います。その選手がオリンピックで金メダルを取ったのですから、その方の印象はさらに強くなったことでしょう。
 陸上競技場と関係のない場所で、こうした話題を耳にすると嬉しくなります。競技場の外で行う種目には、こうしたメリットがあるわけです。取材には行けませんが為末選手が発案した「東京ストリート陸上」(5月27日)、成功してほしいですね。為末選手は野口選手と同学年ですし。有木選手も、今日(中部実業団)は記録なしでしたが、頑張ってほしいと思います。



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