続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2002年11月 11月でも締め切りはノーベンバー
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■11月30日(土)
 博多にアベラはいても、ガメラはいなかった
 朝の10時から、ゴジラとガメラのフィギュアを探しに博多の街に出ました。ホテルが博多駅近くだったので、まずはその近辺から。初めて知りましたが、博多JRの駅周辺はショッピングゾーンではないんですね。デパートとか、あまりなさそうです。
 でも、駅地下ののショッピングモールの玩具屋さんでゴジラを発見。ゴジラは別格らしく独立して陳列されていましたが、ガメラが見当たりません。2つの箱に怪獣のフィギュアが20体ずつ、無造作に突っ込んであります。それを、童心に返ってかきわけ探しましたが見つかりません。店員さんに在庫をチェックしてもらいましたが、なし。発売はされているんです。ゴジラに付いていた小さなパンフレットにも紹介がありました。気を取り直して、ゴジラだけでも購入。
 その店の店員さんに駅周辺に玩具屋さんがないか聞いたら、ちょっと思い当たらなさそう。ということで、天神に移動。西鉄の駅もあるこの周辺が、博多一のショッピングゾーンのようです。ここで、脚が棒のようになるまで探し回りました。まずは岩田屋。別館のなんとかというビルに怪獣のフィギュアがあるというので、喜び勇んで行くと、フィギュアが陳列用の金属製三角すいに何十体も飾られています。「これならあるだろう」と、童心に返って探すと、今回もなし。店員のお兄さんに聞くと「ガメラはもう、映画が作られていませんからね」とのお答え。そうだったのか。だからゴジラとウルトラ系の怪獣ばかりなのか。
 その後、ショッピングビルやデパートを6〜7つ回りましたが、結局、ガメラはどこにもなし(玩具屋さんがないところもあった)。ホテルを出てから4時間弱の時間を費やしましたが、徒労に終わりました。でも、こればっかりは、実際にやってみないと、徒労に終わるかどうかわかりませんから仕方ありません。ということで、ガメラの代わりにカメラを購入して大会本部ホテルに(天神の西鉄グランドホテル)。
 ホテル2階の大会事務局とその周辺に選手が出入りする部屋があるので、その近くで張っていました。1時間ほどでアベラと婚約者のアレムが現れましたが、どこかに用事で行く途中でした。こういうときは、控えます。その後、選手が集まるラウンジのようなところで2人を発見。とくに何かをしている風でもなかったので、撮影を依頼。寺田が片言の英語で話をしました。「ユーモア写真を撮らせてもらいたい。貴方の名前はアベラだが、ゴジラとカメラを持っている所を撮りたいんです」と。近くにいた白人のお兄さんが大受けして笑ってくれましたが、アベラは完璧に理解できなかったようで、隣にいた通訳の方が、エチオピア語に訳してくれました。
 ちなみに、カメラはコニカ製ですが、これには何の意味もありません。
 という経緯で、このページができたわけです。今回の出張の一番の目的は達せられました。


■11月28日(木)
 ゴジラ!…ではなくて、ガメラ!…でもなくて、アベラ!…が今日、来日しました(来日したはずです)。アベラは史上初のオリンピックと世界選手権両大会のマラソン金メダリスト。これまで、なぜマラソンでダブル金メダリストが出なかったのか? 一般種目と比べて出にくい理由というのもあるとは思うのですが、それはさておき、とにかく世界の陸上競技史上初のダブル金メダリストです。
 その割には存在感が今ひとつ、という話が、4月のロンドン・マラソン取材の際に日本人プレスの間で出て、「ゴジラ! ガメラ! アベラ!」というキャッチコピーをK社のIさんが思いつきました。アベラはロンドンは欠場しましたが、現地に来ていたのです。
 この素晴らしいコピーはアベラの代理人、マーク・ウェットモア氏にも伝えられ「素晴らしい」という同意(?)も得られていたのですが、今回、このコピーが使われている様子はありません。せっかく、松井選手のFA移籍が話題になっているというのに…。ロンドンのその場にもいたA新聞のK谷記者に「使わないの?」と質問したところ、「それは寺田さんのホームページで」ということだったので、まずは日記で紹介させていただきました。
 ロンドンでくだんの話をした際に同席していた日刊スポーツ・佐々木一郎記者はもう、陸上界にはいません。サッカー担当になり現在は、イタリアで中村俊輔選手を中心に取材中。昨日、全日本実業団対抗女子駅伝の公式ガイドブックに、彼の写真が掲載されていることを書いたら、某誌編集部から「今発売中の週刊サッカーマガジン(ベースボール・マガジン社)にも佐々木記者が載っている」との情報が。中村選手の写真に、後方を歩いている佐々木記者が映っています。
 元気なのでしょうか。たまにはアベラの偉業を思い出してほしいものです。


■11月27日(水)
 八王子ロングディスタンス取材。
 コニカの双子兄弟、松宮隆行・松宮祐行選手の見分けが、一時期は眼鏡をかけているかどうかでできていましたが、今日は2人とも眼鏡なし。
ISHIRO「どうやって、見分ければいいんだろう」
寺田「イチローとISHIROはどこで見分ければいいんだろう?」
ISHIRO「髪の毛が茶色いのがISHIROです」
 ISHIRO記者から明日発売の、全日本実業団対抗女子駅伝公式ガイドブックを、読者の方たちより一足早くいただきました。寺田もちょっと、お手伝いさせてもらった雑誌です。その雑誌なかで、とんでもない写真を発見。購入された方は20ページをご覧ください。高橋尚子選手と小出義雄監督が2人で映っている写真が掲載されていますが、2人の間にちゃっかり顔を出しているのは、イチローです。その、ISHIROに似ているイチローではなくて、今はなき佐々木一郎記者。サッカーに担当替えになってなお、存在をアピールするとは……恐るべし。


■11月19日(火)
 日記をしばらくさぼってしまいました。昨年も確か、「飛騨高山のホテルです」と書いた日を最後に、数カ月間途絶えてしまった記憶があります。つまり、11月のこの時期はめちゃ忙しいということ。でも、今年は中断しません……って、してるんですけどね。
 でも書かないといけないことが。実は、「おやじの時々日記」の11月15日欄に、「次回の福島大学スポーツユニオン主催:競技力向上セミナーは、「トレーニング構成論/絶好調を作り出す」です。いよいよ例の「企業秘密」を話すときですか?寺田さん・・・・・11月23日(土)15時〜17時、福島大学にて。大勢のお越しを待っています。」という記述があります。
 「福島大勢はなぜ、ピークを長く維持できるのか?」は、陸上ファンにとって今年のトラックシーズンの1つの疑問というか、七不思議の1つだったと思います。日本選手権リレーでこんな記事を書かせていただきました。
 朝原宣治(大阪ガス)選手は、試合に多く出場して、徐々に調子を上げていくタイプ。末續慎吾(東海大)選手はシーズン初戦等でもいきなり好記録を出せるタイプ。長距離でも今年だけに限るなら、福士加代子選手は朝原タイプで、渋井陽子選手は末續タイプ。
 色んなタイプの選手(調子の持って行き方)がいるので、何がいいとはいえないと思いますが、福島大は「ピークなんか作らない」(川本先生)方法だそうです。これはもう、行くしかない……と思ったのですが、23日は仕事の先約が。試合の取材なので、変更しようがありません。せっかくの好機なのに、めちゃくちゃ残念です。


□11月18日(月)
 今日は「1秒を大切にする」精神を発揮しました。
 昨日は愛知県T市に泊まり、今日の午前中にT市から30何分電車に乗った某所で、某選手の取材。飛び入り……というのも変ですが、もう1人選手を追加させてもらい、2人を取材させていただきました。いい話しが聞けました。
 T市に戻って昼食。その後、銀行を探しましたが、寺田の口座のあるM銀行が見当たりません。最近の銀行はほとんど提携しているので、どこでもキャッシュをおろせないことはありません。でも、手数料が105円(ですよね)かかります。そのくらいいいじゃないかと、提携銀行ですませる人も多いようです。が、寺田は安易にあきらめません。
 駅伝を取材していると「1秒を大切に」という話をよく聞きますし、福士加代子選手がヨーロッパ遠征中に日本記録を出したときには、「1秒にこだわれ」と応援されたそうです。
 寺田も「105円にこだわった」のです。1秒の積み重ねが大切なように、「105円」の積み重ねは大きいと思います(単に、貧乏ということか)。
 でも、こうして探してすぐに、お目当ての銀行が見つかることって、ないんですよね。用事がないときは「あっ、ここにもある」ってやたら目に付くんですが、肝心なときは見つからない。そんなもんです。今日は、15分くらいでしょうか、駅の近くを歩き回って見つけました。これって、「1秒を大切に」するのでなく、「時間を無駄に」しているんでしょうか。


□11月17日(日)
 昨晩、下呂駅に到着したときは気づきませんでしたが、この駅のホームはちょっと変わっています。電車が、進行方向右側の線路(ホーム)に入線してくるのです。日本の電車は普通、左側を走っています。どうして、こんなことが起こるのでしょう?(正解はそのうちに発表)
 今年の取材中の“七不思議”の1つです。


□11月16日(土)
 中部実業団駅伝開会式。
 宿泊は下呂。なんでも、江戸初期の儒学者・林羅山が日本の「3名泉」に有馬・草津と並んで下呂を挙げたそうです。本当に全部の温泉を比べたのかよ、と思いますが、“世界三大牛”がアルバータ牛・イタリアのなんとか牛・松阪牛だという説と、五十歩百歩かも。
 “世界三大湖畔競技会”がローザンヌGP・びわ湖マラソン・浜名湖一周駅伝というのは、かなり説得力があるんですけど。シカゴ・マラソンで日本最高記録が出たので、“世界四大湖畔競技会”にしようかどうしようか、ちょっと迷っています。


□11月15日(金)
 13時から東京国際女子マラソン記者会見。しかし、高橋尚子選手だけは別枠で、14:30から。どうやら、出場は厳しいらしいという観測が流れましたが、寺田は、まだ決めていないんじゃないか、と思っていました。そして14:30ちょっと過ぎ。案の定、決断は5分前だったと言います。このあたり、高橋選手の考え方は、だいたいわかります。高橋&小出師弟の書籍を、全部読破しているのは伊達ではありません。
 小出監督の会見が17時(だったかな)で、その後、記者クラブで世界選手権大阪大会開催に関する会見もある、とのことでしたが、寺田は17時から都内で打ち合わせの予定。残念ですが、出られませんでした。
 打ち合わせは約2時間で終了(1時間半くらいだったかもしれません)。その後、近くのデニーズで食事&原稿書き。しばらくすると混んできたので、スタバに移動しました。都内のスタバで、こんなに空いているのは初めて見ました。高橋尚子選手の会見模様を記事にしましたが、途中でタイムアップ。続きはいつ書けるのか、予定が立ちません。
 明日から2泊3日で出張。


□11月14日(木)
 “ひたしご”。昨日紹介したような事情で仕事がそれほど進まず、帰宅後も2〜3時間でダウン。とても、予定の仕事が進みません。今日、頑張らないとピンチ、ということで火事場のなんとかで頑張りました。
 国際千葉駅伝の特別サイトもアップ。
 しかし、ちょっとずつ仕事が後ろにずれ込んでいます。ここまでやりたい、というラインまではこなせていません。デッドライン(締め切りのことです)を破っているわけじゃないんですけど。


□11月13日(水)
 モバイラーに落とし穴が……。今日は13時から国内某所で取材。取材自体は順調に進み、いい話が聞けたと思います。問題はその後でした。
 実は、とある仕事の締め切りが今日だったのですが、その進み具合が芳しくありません。帰りの新幹線の車中で仕事をするか、取材した場所に近い新幹線乗換駅のホテルに一泊して頑張ろうか、悩んでいました。インターネットで大きなデータをダウンロードする必要もあって、自腹でプラス一泊する覚悟を決めました。
 ところが、予定より約1時間半早い電車に乗ることができ、帰宅予定時間も1時間少し早くなって23:20。こだまからのぞみに乗り換える駅で約40分の空き時間があり、そこでデータをダウンロードし、その後の新幹線車中で原稿を書けばいい。帰宅後も3時間は作業ができるし……。
 乗換駅でまず、コーヒーブレイク。パンも食べました。時間は余裕のよっちゃん(って、言いますよね)。ネット接続はちょっと前だったらグレ電でしたが、今はカード型PHSが威力を発揮しますから。バリバリのモバイラーです。でも、データがけっこうなバイト数あるようで、時間がかかります。3分、6分…あれ、接続が切れちゃった。もう1回……また、途中で切れました。もう1回……このあたりで、グレ電にすればよかったと後悔し始めました。でも、新幹線出発までもう5分もない。最後は、PHSで接続しながら、パソコンを手に持ってホームへの階段を上り、新幹線に乗り込みました。でも、やっぱり切れます。
 ここであきらめて、国際千葉駅伝の過去のデータ整理(入力)に仕事を切り換えれば良かったのですが、今のPHSは電車の中でも途切れないやろ、と車中からも接続&ダウンロードにトライ。確かに、基地局の切り替わるところで電波が弱くなりますが、すぐに次の基地局に移るらしくて途切れません。でも、さすがにずっと途切れないわけはなく、数分で必ず途切れます。
 だったら、停車駅の前後だったらスピードも落ちるし、5分以上は接続が持続するんじゃないかと、新大阪・京都・名古屋と悪あがき。でも、やっぱりダメ。まあ、新大阪あたりから気持ちと作業を切り換えてはいましたけど(駅名が具体的になっている)。


■11月12日(火)
 午前中に打ち合わせや、取材依頼など電話をいくつか。午後から、明日の取材のデータ準備。昼食を16時頃食べて、17時に国内某所に向けて出発。いつものことですが、今日も最終(18:53発)の新幹線になってしまい、またもや自己嫌悪。途中、水道橋の陸マガ編集部にも寄って、出発時間間際になるかとも思いましたが、10分前に東京駅に着いて一安心。福島大・川本先生のように飛び乗りにはなりませんでした(おやじの時々日記参照)。車中でビールを飲んだら川本先生と同じになってしまうので、これも我慢。もう少し頑張ったら、新幹線車中でビールを飲むことにします。何を頑張ったらなのか、自分でもよくわかりませんが、少なくとも仕事をもう少し早くこなせるようになったら、ですかね。
 陸マガ編集部に寄ったのは、12月号を入手するため。発売日の2日前に“配本”されます。表紙はシカゴ・マラソンの男子先頭集団。カラー巻頭は高校駅伝の県大会の特集です。寺田は今回、カメラマンかというくらい、写真を撮っています。帰国した高岡選手(成田空港)に、ジェンガ選手、アジア大会では森&豊永選手と吉田真希子選手。でも、やっぱりプロのカメラマンにはかないません。12月号でいえば、アジア大会男子100 mのレース後の写真や、徳本一善選手のレース後の写真など、ものすごく雰囲気を伝えています。
 それにしても、12月号はビッグイベントが多すぎますね。アジア大会に国体、ジュニアオリンピックのトラック&フィールドに、シカゴ・マラソン、全日本大学駅伝、高校駅伝県大会などのロードレース。浜松中日カーニバルや地区実業団女子駅伝などもあります。はっきりいって、ページが足りません。でも、これだけ大会・企画が多いと編集者は大変です。
 23:48に国内某所着。その間、明日の取材の下調べ。有名選手なので過去にも取材したことが数回あり、そのときの取材ノートから何か、今回の取材の足がかりになることはないかと、探していたというか、考えていました。競技歴が長く、ネタは、ものすごく多くある選手(脚も長い)。50行の原稿なら、20本くらいは書けます。でも、今回は300行の記事(予定)にしないといけません。何か1つ、筋の通ったものにしないと、散漫な原稿になってしまうでしょう。ちょっと緊張しています。今、3:18ですが、もうちょっとその辺を考えてみます。国際千葉駅伝のデータ更新をしたかったのですが、それは明日の午前中にでも。


■11月11日(月)
 午前中に……あれ、何やったんだっけ。思い出せない。
 午後の早めに簡単な原稿を1本片づけ、3時過ぎから外出。16:30から都内某所のデニーズで打ち合わせ。場所は、先方からの指定です。寺田とファミレスの関係を知って、指定してきたわけじゃないと思うんですが。
 18:00からは新宿で取材。取材といっても、いつもとはちょっと違います。いつもは取材する側なのですが、今回は取材される側。さて、いったいどこの取材を受けたのでしょうか?
 って、わかるわけないですよね。過去にも、経験がないわけじゃないですけど、いつもと反対の立場というのは、楽しい部分もありますが、逆の立場を経験できることで、こんな点には気を付けようと気づいた部分もありました。取材に来られたのは寺田と同業の、フリーライターの方でした。早大の応援団出身で、引退した渡辺康幸選手と同学年とか。そうですよね、渡辺選手と一緒の世代は、社会で活躍している年齢です。堅い人ではなかったので、リラックスして取材に応じることができました。
 取材終了後、買い物を1つ。デスクワーク(原稿書き)が進まなかった1日なので、帰宅せずにファミレスに直行。サイト用に全日本大学駅伝の日大記事を書き、現在日記を執筆中。明日は国内某所に出張。


■11月10日(日)
 行くかどうするか迷っていましたが、早起きして東日本実業団駅伝を取材。
 仕事にまったくならないわけじゃないんです。“絶対にいかなきゃならない”というのはなかったんですが、ある雑誌の記事や、ある駅伝のネットの記事など、ここで取材ができると楽になります。複数の仕事をやりたかったので、特定の会社に経費を負担してもらおうと申し出ることもしませんでした。まるで、フリーライターみたいな仕事ぶり。ところで、仮面ライダーって、どうやって生計を立てていたのでしょう。立花レーシングなんとかの仕事をしていたんでしたっけ? そんな風には見えませんでしたが。
 話を戻します。今回みたいな方が、自分のWEBサイトにも気兼ねなく書けます。でも、お金になる仕事優先で、サイトに書けるネタがなくなってしまいました。これは、寺田の力不足。
 フィニッシュ地点の西の原小学校には、同レベルのトラック競技会(東日本実業団や全日本実業団)には来ない報道関係者の姿も。このあたりは、さすが駅伝。社会的には、陸上競技とは違う競技なんだな、と思い知りました。
 しかし、報道関係者に注目された割には、記録の出方がよくなかったと思います。通常、駅伝では1区間毎に記録が記者席に配られるのですが、今日は何区間もまとめてから、1枚の紙に印刷して配られました。当然、時間的には遅くなります。紙やコピー代の節減になるので意図はわかるのですが、今大会は4区が最長距離区間で各チームのエースが出場し、5区に高橋健一(富士通)、6区に坪田智夫(コニカ)、7区に藤田敦史(富士通)と日本代表経験のある選手が多く出場しました。こういった選手の成績をすぐに知ることで、取材もスムーズにでき、この大会が大きく報道されることにもつながるのです。せっかく、有力選手が多数出ているのに、成績が判明するのが遅かったばかりに取材ができず、記事にならなかったらもったいないと思うのですが…。地元選手だけのローカル大会ってわけじゃないんです。
 今大会は、運営サイドに知った方もいらしたので、この点は伝えておきました。でも、こういうことを変えるのって、かなりエネルギーがいるのだと思います。今回も、記録を担当した人はよかれと思ってやっているわけです。実業団関係、地元陸協関係、新聞社関係などいろんな立場の人たちが一緒になって運営しているわけで、なかなか現場サイドの要望を通すのは難しいでしょう。ポジションが上の人にそういう認識があって、ひと言あれば全然違うのですが…。


■11月9日(土)
 すいません。6日の日記に「“日記優先か記事優先か”、この命題への答えは、自分なりに出しています。明日の日記ででも。」と書いておきながら、忘れていました。
 答えは簡単。どちらも優先、どちらかを優先とはいえない、ってこと。どちらか片方では、このサイトは成立しません……記事だけでも、それなりにアクセスはあるかもしれません。でも、やっぱり、好きなことを書けるコーナーも欲しいですからね。このサイトをなんのために運営しているか、という部分にも関わってきます。そうです。やっぱり、楽しまないと、陸上競技を。
 日記が書けていないときは、忙しすぎて陸上競技を楽しめていない時期です。その反対にはなりませんが、日記が書けているときは、同じくらい忙しくても、陸上競技を楽しめている時期でしょう。
 じゃあ、記事は楽しんで書いていないのか、という突っ込みがありそうです。そう言われると……やっぱり、記事だけでもOKですね。うん。記事も、楽しんで書いています。ということで、これからも日記の中断はあるかもしれません。でも、女性の方から「日記、読んでいますよ。ギャグも面白いです」というメールをいただくと……。
 という、自分自身のことなのに、思考のラビリンスにはまってしまいました。
 話は変わって、久しぶりの「ATSUYAなメール」(4年前のこと。)、楽しんでいただけたでしょうか。寺田のユーモアとウィットを「おやじギャグ」と決めつけている点は見識不足ですが、彼も陸上競技を楽しんでいる貴重な1人。寺田が東洋大の全日本大学駅伝初区間賞を「MIP」で取り上げた日に、同じ東洋大の選手についてメールをくれるとは。運命的なものさえ感じます(ちょっと大げさ)。
 寺田の場合、ごくごく表面的な事象(全日本大学駅伝初区間賞)にしか目が行っていないときに、O原記者は選手の営みを「点ではなく線で」見ていました。やっぱり違います。寺田も常々、選手を点で見るな、とあちこちで話しているのに、今回ばかりは“やられた”という感じ。陸上界にとって、貴重な人材です。寺田は不調な人材。


■11月8日(金)
※必ず、7日の日記を先にお読みください。
 仇敵・佐々木一郎がいなくなって、日記のネタが減ってしまいました。だったらISHIROだ、とばかり、石井朗生記者の携帯に電話。
寺田 2つ質問があるんだけど。
石井 僕でわかることなら。
寺田 下呂(げろ)のビジネスホテルの名前って覚えている?
石井 ちょっとそこまでは…。でも、ビジネスはそんなにないと思いますから、NTTでわかるんじゃないですか。
 彼は以前、名古屋支社にいたことがあって、中部実業団駅伝を何回か取材しています。昨年の中部実業団駅伝のあと、寺田が「飛騨高山のホテルに泊まって、片道1時間以上かけて金山まで往復した」と言うと、下呂の駅前にビジネスホテルがあることを教えてくれました。下呂は金山駅の2つ隣の駅です。
 ISHIRO記者は名古屋の他にも、津と長野にいたことがあるんじゃなかったかな。東京でも以前は野球担当。西武の試合後に取材をしている姿をよく、テレビで見かけました……ここで1つ疑問が。西武担当だった頃、オリックスのイチローと間違えられなかったんだろうか? 「なんでオマエがウチの選手の話を聞いているんだよ」とか、西武の関係者に怒られたことって、なかったのかな?
 とにかく、ISHIRO記者は経験豊富。わからないことがあったら何でも、ISHOROに聞こう。でも、みんながみんな彼に聞いたら、彼も大変になってしまいます。有名選手は同じ質問ばかりされるので、うんざりしていると、以前、聞いたことがありますし……それはイチローか。
 とにかく、ほどほどに。
 ということで、ISHIRO記者のアドバイスに従い、NTT104に問い合わせました。下呂駅近くには2つ、ビジネスホテルがありました。両方の電話番号を教えてもらい、さっそく電話。片方が1泊5500円で満室。もう片方が8500円で空室あり。ここ数年のデフレで、ホテル代、特にビジネスは値段が下がっています。8500円はビジネスというよりリゾートホテル並。思わず「高いですねえ」と寺田が言うと、「週末料金ですから」とのご回答。足元を見られてしまいました。
 もう1つの質問は東日本実業団駅伝に関して。
寺田 印西の記者室って、テレビ中継をモニターで見られるんだっけ?
石井 見られません。モニターはなかったと思います。でも、周回コースで、生で8回くらい見られますよ。
 うーん、取材に行くの、どうしようか。朝9時スタートなんで、自宅を早朝の5時45分に出ないと間に合わないんですよね。まよいます。そういえば、日本インカレのときに、福島大が女子4×100 mRで決勝だけ木田真有(まゆ)選手を起用しました。川本先生がさかんに「隠し球だった」と言われるので、寺田が「木田選手だけに、何走に使うかはまゆったでしょう」と言うと、何も答えてくれませんでした。これは、よく覚えています。


■11月7日(木)
 久しぶりに外出。銀行で8万4000円を取引先に振り込み、郵便局で某会の会費を3000円支払い、80円切手50枚と年賀はがき100枚を購入(しめて8000円)。大出費です。昼食は東秀で480円の豚キムチ丼と100円の餃子。贅沢はできません。
 久しぶりの外出だと思ったのですが、よく考えてみると3日前に主張から帰ってきたばかりだから、3日ぶり。でも、自分の“感覚”では何日も自宅兼オフィスにこもりきりになっていたような気がしています。それくらい、一昨日と昨日は“ひた原”状態でした。
 時と場合によると思うんですけど、この“感覚”っていうのが当てにならない。川本先生は筑波大時代、長尾隆史さんの後輩だとばかり思っていたのですが、おやじの時々日記を読むと、同期だったんですね。長尾さんの方が先に有名になったからでしょう。川本先生が有名になったのは、筑波大が4×400 mRで快記録を連発するようになってからですから。
 それにしても、あの頃の筑波大の4×400 mRは強かった。ダントツでした。長尾さん、川本先生、名取英二七十七銀行監督、吉松幸宏さん、麻場一徳先生。ちょっと後になりますが磯部友晴さん、小池弘文先生、望月勇志先生の代も強かった。でも、このうち日本歴代50傑に名前が残っているのは磯部さんくらい。やっぱ、トラックの違いでしょうか。それとも、トレーニング法? あるいはレース戦術? まあ、全部ひっくるめて進歩しているんでしょうけど。
 以前、川本先生に質問したことがあります。
「あの頃の47秒5って、今の高速トラックだったら何秒になりますか?」
 確かに、そう質問したことはあります。が、答えを忘れてしまいました。どうしても、思い出せません。太宰治みたいなもんですね……それは“人間失格”。寺田は、記者失格。


■11月6日(水)
 ただ今、朝の8時52分。徹夜、ってわけじゃないんです。2〜3時間、ダウンしていましたから(=眠っていた)。とりあえず、一区切りはついて、シャワーも浴びたので、今日の締め切りは考えないで、日記を書いています。一昨日と昨日の分も、なんとか書きたいなと。
 毎日書けよ、とおやじの時々日記(10月30日)でも叱責されています。でも、寺田としては日記よりも、記事を優先した方がいいかな、なんて思っているのです。一応、陸上記者の端くれのつもりなので。今も、この日記を書くか、全日本大学駅伝で仕入れたネタで記事を書くか、ちょっと迷っています。川本先生、日記優先か記事優先か、どちらがいいか、コーチにも聞いておいてくれますか? 雉子波コーチに。
*この命題への答えは、自分なりに出しています。明日の日記ででも。
□11月4日(月)
 朝、7:30の高速バスで、三ノ宮(神戸)から淡路島に移動。津名港で降りて、タクシーでスタート地点のいざなぎ(漢字が出ません)神宮へ。9時ちょっとには着くことができ、スタートの10時まで、顔見知りの監督・コーチから少しずつ取材ができました。それにしても、風が強い。どうやら向かい風になるようで、記録は望めそうにありません。
 スタートの写真を撮影後、バスでフィニッシュ地点の福良に移動。そこまで行けばテレビが見られるのですが、でも、肝心の2区には間に合いません。これは、記者仲間からレース展開の情報を教えてもらいます。それにしても、福士選手の人気はすごい。昨年まではそれほどでもなかったのですが、今年はとても、単独取材などできません。しかも、今回は複数の取材を兼ねていたので、出だしが遅くなってなかなか大変。なんのことか状況がよくわからないと思いますが、要は、いろいろとやることが多く、福士選手の話も完全には取材できなかったということです。でも、それが寺田の仕事です。自分で選んだ道。愚痴は言っていられません。
 帰りの高速バスは途中から満席状態。寺田の荷物が大きくて席の上の棚には乗せられず、地元のおばちゃんからクレームが付く一幕も。すいません。次からは、善処します。
 世間は3連休の最後の日で、新幹線が満席状態。三ノ宮から新大阪に出て、新大阪発のひかりに30分以上ホームで並んで座ることができました。今日は、締め切りが3本。新幹線の中で1本、書き上げて東京駅から送信。
 帰宅が23時過ぎ。食事をして仕事をしたのですが、1時にダウン。どうしようもないので、朝早く起きて続きをやることに。
□11月5日(火)
 朝から締め切り。今日も“ひた原”に近い状態でしたが、ちょっと違いました。電話がめちゃくちゃ多かったですね。かけるのも、かかってくるのも。20本は超えたでしょう。独立後、最多記録だったと思います。夜には電話取材も1本。
 昼に、本来、昨日中に書かなければならない原稿をやっと仕上げ、電話タイムに突入。昼食が夕方になり(毎度のことです)、その後、やっと今日締め切りの原稿にかかることができました。


■11月3日(日)
 全日本大学駅伝取材。駅伝の面白さには、いろいろなパターンがあると思いますが、今回もその1つ。層の厚さを誇る優勝候補チーム(駒大)が終盤に予想通りトップに立ち、かつ、対抗と目されるチーム(山梨学大)も最後まで逆転の可能性を残す。見る側は楽しめた駅伝だったのではないでしょうか。予想以上に好走したチーム(日大)もあり、渋く上位に食い込んだチーム(大東大)、箱根駅伝予選会から2週間後に快走したチーム(東洋大)もありました。東洋大は、この大会では初めての区間賞獲得でした(それも2人、一度に)。
 プレスルームのある伊勢神宮会館は昨年まで、携帯電話がよく通じない場所でしたが、今年は電波事情がよくなっていました。PHSも余裕で通じたので、観戦取材をしながら記録を入力し、速攻でサイトに掲載しました。
 取材も順調。この大会は記者会見がありませんので、フィニッシュ直後と閉会式前後に選手・指導者を捜すしかありません。目当ての選手や指導者が見つからないときは、かなり苦戦する大会ですが、5年連続で来ているためか、今回は一番スムーズでした。駒大の記事をすでにアップしましたが、この他にも山梨学大、日大、箱根予選会と関連づけたネタ、それに指導者・選手のコメントが少々、取材できています。書けるかどうかは未定。
 夕方、浜松中日カーニバルで森千夏選手の17m突破の情報が入りました。世界選手権のB標準も突破。アジア大会で豊永陽子選手と日本新の応酬をしたのが、ずいぶん、以前のようにも感じられますが、専門誌には同じ号に掲載されるわけです。それはともかく、豊永陽子選手も17mには意欲を燃やしていますから、鬼に笑われそうですが、来季も2人の激突が楽しみになってきました。
 18:47宇治山田発の近鉄の特急で、大阪に出て、JRで神戸の三宮まで移動。明日の朝、バスで淡路島に入ります。昨日も名古屋から伊勢まで近鉄で移動。東京から移動する場合、JRで伊勢までの乗車券を買って、名古屋で途中下車(全日本大学駅伝開会式取材)する方が、名古屋で近鉄に乗り換えるよりも1000円くらい安いのですが、近鉄で宇治山田途中下車の大阪行き切符を買えば、その方が安いかも、と判断しました。
 名古屋での近鉄切符購入窓口でのやりとりです。
寺田「今日、宇治山田まで行って一泊して、明日、大阪まで移動するんです。1枚の切符で購入して、途中下車したいんですが」
近鉄の人「近鉄は、JRのように途中下車はできません。そういうサービスはやっていませんね」
寺田「そう…なん…です…か」
 中村紀洋(漢字、あってますか?)は明日あたり、FA宣言して近鉄を出るんじゃないかと、ふと思いました。上記のやりとりとは、何の関係もないことですし、他に根拠があることでもないのですが。虫の知らせ、ってやつですかね。


■11月2日(土)
 1時間半の寝坊。今日からの出張は、本来、淡路島女子駅伝の出張で、全日本大学駅伝はあくまでも、箱根駅伝に備えての情報収集が目的。その辺の事情で(要するに自腹)、伊勢までの交通費は極力抑える必要があったのですが、この寝坊のため、新横浜から新幹線のぞみに乗ることに。要するに、一番速く着く方法=一番高い方法になってしまいました。会社勤めであれば、当然の経路なんですけど。
 でも、おかげでテレビ朝日の全日本大学駅伝の特番を見ることができました。今日の特番と、昨日の日本テレビの予選会の番組でも感じたことがあります。それは、テレビ局の努力ははすごい、ということ。このレベルの大会で、これだけ感動的な話を集めて来るというのは、並大抵の努力じゃありません。まじで、頭が下がります。予選会の東農大の応援団長や、専大を応戦する定食屋のおじさん、鹿屋体大の交通事故にあった選手の話など、どうやって情報を入手するんだろう。こういった一生懸命に応援する人の姿や、悲劇の選手の姿が視聴者の胸を打ち、駅伝人気につながっているのでしょう。
 でも、そういった一生懸命なサポーターや悲運の選手は、長距離以外の種目でもいるはずです。では、そういった人たちをテレビが紹介すれば、その他の種目も駅伝ほど人気が出るのかというと、そう簡単なものでもなさそう。駅伝自体にも、人気の秘密があるのでしょう。
 なんか、当たり前のこと書いてるなあ。日刊スポーツの敏腕記者、佐々木一郎ならもっと面白い話を書くんだろうなあ。などと考えていたら、佐々木記者からメールが来ました。陸上関係者への挨拶でしょうか?

こんにちは、寺田さんの仇敵こと佐々木一郎です。

なぜか寺田さんの日記で紹介されたように、11月から陸上競技を離れ、
サッカーを担当することになりました。せめてアテネ五輪までは続けたか
ったのですが、仕方ありません。新しい現場でまた頑張ろうと思います。

私はなぜかこの日記でネタにされることが多く、おかげで楽しい日々を過
ごさせてもらいました。初めてあいさつした選手や関係者に「ああ、あの寺
田さんの日記の人ですよね?」と言われたことは1、2回ではありません。
日記の人って・・・、オレって一体・・・、と苦悩したことはなく、この
コーナーの影響力の大きさを毎度痛感した次第です。

陸上競技を担当したのは2〜3年に過ぎませんが、寺田さんをはじめ、
関係者の皆さんの情熱を励みに(個人的興味も大きかったのですが)、
私もいい加減な仕事はできないという思いで記事を書いてきました。

今後は1人の陸上競技ファンとして見守っていこうと思います。仕事を抜
きにのんびり観戦できたらいいな、と感じたこともありましたし、ようやく
これからはそれが実現するかもしれません。もちろん、少しの寂しさも
入り交じるでしょうが。

これまで私の取材に協力してくれた選手、関係者、お世話になったメディア
の皆さん、本当にありがとうございました。

10月31日の日記で、私のネタはこれで最後とありましたが、まだまだ
話題は提供しまっせ。【佐々木一郎】


 うーん、ちょっと嬉しい内容ですが、彼のキャラとはあっていない内容です。ちょっと真面目すぎ。オチがないじゃないか、オチが。この日記の主旨を思い出してほしいところです。もしかして、第2弾として、もう1回真面目なメールが来て、3通目にオチのメールが来るのかな?


■11月1日(金)
 “ひた原”というよりも、今日は“ひたしご”。いろいろやりました。午前中に原稿を1本書き上げ(といっても、13時までかかってしまった)、午後は請求書を書いたり、名刺を印刷したり、その他、細かい仕事を多数こなし、夕方から外出。昼食と、明日からの出張に備えての買い物。ドトールで原稿を1本。もう1本書きたかったのですが、21時で閉店。まあ、構想はまとまったので、自宅でもすぐに書けるだろうと思い、家路につきました。
 しかし、帰りしな、本屋に寄ったのが失敗でした。ふと気づくと、21:40。外出するとついつい本屋に足が向いてしまい、いつも1時間くらい、知らないうちに時間が過ぎてしまいます。
 でも、22:00には帰って、23:30には短い原稿を1本仕上げて送信。軽めの夕食。2:00までに出張準備をして早めに寝よう、と考えて、ビデオの留守録操作をしていたら、箱根駅伝予選会のビデオを見ていないことに気づきました。全日本大学駅伝の取材のために、見ておいた方がいいかな、でも、早く寝たいな、と葛藤がありました。早送りで見ればいいか、とついつい見てしまったのが間違い。結局、全部見てしまいました。
 出張の支度が終わったのが、4:50頃。明日の全日本大学駅伝の開会式は16:00からと遅めなので、なんとかなるとは思いますが。


■10月31日(木)
 今日も“ひた原”。明後日から全日本大学駅伝、淡路島女子駅伝へ出張する予定ですが、またもや出発前が慌ただしくなりそう。いい加減、学習しないと。他の記者の皆さんは、余裕を持って出張しています……というのは、“隣の芝生は青く見える”状態だったようです。
 今日はネタがないので、“イチローネタ”で日記を埋めましょう。何を隠そう、今日は仇敵・佐々木一郎記者の陸上競技担当最終日なのです。ということで、電話をしました(本当は昨日)。
寺田 東京国際女子マラソンのQちゃんのネタ、何かある。
佐々木 ありますけど、企業秘密です。ベルリンのあと、取材はいっさい断っているようですよ。
寺田 東京国際女子マラソンは取材に来るんだよね。まさか、この2年間あれだけ追いかけておいて、Qちゃんを取材しないなんてことはないよな。
佐々木 いやー、それが11月15日からイタリアに出張するんです。12月20日過ぎまで。中村俊輔の取材です。
寺田 ニューイヤー駅伝と箱根駅伝には来られると…?
佐々木 イヤー、天皇杯があって、どうなるか…。
 というやりとりをしている中で、出張前はいつもバタバタしているという話をしてくれました。
 それはともかく、意外なことに彼はイタリアと縁が深かったのです。陸上担当になる前にも、ヴェネツィアでプレイしていた名波選手の取材でイタリアに長期間行っていて、そこで今の奥さんとも知り合ったらしいです。そして、今年7月の新婚旅行はイタリア。その間に、ローマで海外グランプリを初取材。
 この日記のイチローネタもこれが最後。いつもネタ提供、ありがとう。それだけの関係だったけど。チャオ、イチロー!


■10月30日(水)
 いよいよ10月も押し詰まって参りました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。寺田はいよいよ、切羽詰まってきました。この時期、アジア大会や国体のトラック&フィールドの大会の原稿と、駅伝やマラソンの展望原稿が重なって、かなりタイトになります。どのくらいタイトかというと、食事と睡眠とトイレと入浴と歯磨きと、あとなんだろう……とにかく、生活に必要な最低限のこと以外は、ひたすらデスクに向かっている。読書をしたり、カフェで日記を書いたり、テレビで日本シリーズを見たり、なんてことはいっさいなし。
 このサイトも「ヒマだからやっているんだろう」と言われたことがあります。「実はヒマなんです」、と答えることもあれば、「あれは戦略です」と答えることも。どちらが本当ってことはないですね。強いて言えば、どちらも本当だし、どちらもウソ。自分でもわかんないです。選手のコメントを分析すると、けっこう矛盾していることを話していますが、どちらも本当のこと……って話、以前に書いた記憶があります。
 10月25日以降の日記を書く予定でしたが、ちょっと無理……と言いつつも、書いてしまいました。大した量じゃないですからね。明日はいよいよ、佐々木一郎記者最後の日。
□10月25日(金)
 午前中に高知から東京に移動。機内では、福島大・川本先生の隣になり、いろいろとお話しを聞くことができました。もちろん、企業秘密は明かしてくれませんが(というか、説明困難?)、そんなところにまで気を配っているのか、と感心させられた点も多々ありました。具体的には言えませんが、ユニフォームのことにまでかなり気を配っています。おやじの時々日記に日本選手権リレーでのユニフォームに関するエピソードが書かれていますが、機中の話を聞いていたので、さもありなん、と思った次第。
 高知空港や羽田空港、さらには浜松町の駅で電話を何本もしました。たぶん、10本くらい。なんか、編集者に戻ったみたい。
 午後は、都内某所で下見。何の下見かは企業秘密。
□10月26日(土)
 午前中、S県で取材。雨に降られてしまいましたが、最後に小降りとなって外での撮影もでき、インタビューも面白い内容で、まずまずの取材だったでしょうか。もちろん、完璧とは思っていません。が、今の力は出し切った、といったところでしょうか。
 都心にもどり、新宿で乗り換える際にMacで原稿書き。寺田のノートPCはVAIOなのでOSはウインドウズ。MacはPCのことではなく、マクドナルド。喫煙席で仕事をしたので、ちょいときつかったです。羽生夫妻の記事(羽生夫妻の“強さ”に迫る)も、そこで書きました。
□10月27日(日)
 日本選手権リレーの取材。おやじの時々日記に寺田のラップ計測の話が出ています。実は国体でもスタンドから立ち見をして何レースも計測していまして、フィニッシュタイムと寺田のストップウォッチが100分の1秒まで同じだった場合(もちろん手動)、隣にいたN村先生に見せて自慢していました。通常、手動の方が0.1〜0.2秒速いタイムになるのですが、去年あたりからでしょうか、電気計時の正式タイム±0.05秒以内で押せるようになりました。97年バージョンの朝原流に言えば、“コツをつかんだ”、ということになるでしょうか。具体的な方法は、企業秘密。
 川本先生の日記をちょっと訂正させてもらえば、ラップを正確に測れても、ライターとして食べていくことはできません(現に、独立後、トータルでは赤字)。8月以降は、おかげさまで忙しくさせていただいています(そういう話を、機中でしました)。言葉のあやというか、ユーモアの部分もあるのでいちいち訂正するのはナンセンスなのですが、念のため。
□10月28日(月)
 一日中、オフィスにこもりっきり。ひたすら仕事。この“ひたすら仕事”って、短い言葉に略せないですかね。これから、頻繁に使いそうなので。“ひたしご”や“ひたワー”はイマイチ。“ひたビジ”は言葉としてはまあまあですが、ビジネスは作業をするという意味じゃないですよね。ひたすら原稿を書く、ということで“ひた原”……うん、これかな。


■10月29日(火)
「オレはISHOROだ。ISHIROになるんだ」
 この1週間、この言葉を毎日5回は自分に言い聞かせました。ISHIRO記者はマリナーズのイチロー選手と顔が酷似している新聞記者です(ご存じですよね)。僅かの空き時間(出張中のホテルや移動の車内で)、1週間分くらいの出来事を振り返り、自分の意見を交えつつ「from ISHIRO」として書き上げてしまう超天才記者。たぶん、20分で100行(20字)くらいは書いているでしょう。寺田も、それを見習って書けなかった日の分を含め、まとめて日記を書きたい一心で、冒頭のようにつぶやき続けたのでした。
 でも、念じたり、つぶやき続けたくらいで人の才能が、自分のものとなるわけはありません。並の選手が「オレはイチローだ。イチローになるんだ」と念じたところで、ヒットがたくさん打てるなるようになるわけではありません。当たり前ですね。真似できないから、天才と評されるわけですから。
 ということで、8日ぶりの日記です。
 その間に、このサイトのアクセス数が100万を突破。お祝い、励ましのメールも何通かいただきました。その中には、「日記も毎日書いてください。ネタがないときは無理矢理にでも」という檄文がありました。今回の日記中断は、ネタ不足よりも時間不足。国体や日本選手権リレーで取材が続いていましたから、ネタはいくらでもありました。書く時間がなかったのです。今もかなりテンパっていますが、ISHORO記者を見習って移動の“隙間時間”で書いています。
 今日は朝の6時から原稿を書いていて、本当は9時前に書き上げなければならなかったのに、送信したのが10時過ぎ。それから朝食。14:30から都心で打ち合わせがあり、その資料づくりを11時過ぎから12:40まで。14:30から打ち合わせを約45分間。その後かちどき橋横のデニーズで昼食をして、現在日記を書いています。
 このあと、17時にもう1つ都内で用事があり、その後は原稿の締切が2本。1本は明日のAMになってしまいそうですが、なんか、フリーライターみたいな一日です。でも、仮面ライダーのように格好良くはありません(ネタ提供:羽生悟)。100万アクセス突破記事で羽生夫妻の記事を書かせてもらったら、羽生悟選手からメールが来まして、その中に上記のギャグがあったのです。ギャグセンスは寺田に近いものがありますね。羽生夫妻の記事は当初、97万7351アクセス突破記念記事にしようと思っていましたが、油断しているうちに100万を超えてしまいました。どうも、キリ番記念というのは誰でもやっているので、やりたくなかったんですけど。
 それはそうと、日記を8日間分、書かなくては。ISHIROに一歩でも近づくんだ。8日分どころか、釜山のことまで書いてしまおう。
 釜山の陸上競技最終日の前日(だったと思う)。陸上競技は昼過ぎで終わって、アジアードスタジアムでは夕方からサッカーの決勝、日本対……どこだっけ、確かイランが行われていました。寺田はその間も必死こいて原稿を書いていました。そうしたら、なぜかISHIRO記者に写真を撮られてしまい「サッカーには目もくれず原稿を書く日本の陸上競技ライター」と、写真をサイト上で紹介されてしまいました。こちらの希望を受け入れてくれて、顔がわからない写真にしてくれたので一安心。
 しかし、寺田も最後の15分間はサッカーをスタンドから観戦していました。スタジアムにもよるのでしょうが、テレビで見るよりも近く感じましたね。ライブのよさ、ってやつですか。それにしても、イランのサポーターは多かった。それに比べて日本は目と鼻の先の距離にある国にもかかわらず、サポーターの数で負けていました。安っぽいライターなら(100円ライター?)、「敗因はサポーターの数」って書いているかもしれません。
 ということで、前回の日記の続き。8日間全部、1行ずつでも書きます。思い出せるか、高知の思い出。コーチの思い出? 岡ひろみか、おれは?
□10月22日
 国体取材2日目。夜はA記者と土佐料理に舌鼓。A記者は陸上担当記者最古参。91年の東京世界選手権から取材している唯一の記者です。面白い話をいっぱい聞きました。
□10月23日
 国体取材3日目。夜はファミレスで食事&原稿書き。帰りのシャトルバスが寺田1人しか乗っていなかったので、これ幸いとばかりに停留所から少し離れたファミレスで降ろしてもらいました。店に入ったのが19:40頃。20時を過ぎると混み始めてほぼ満席状態。何人か入り口のベンチで席が空くのを待っている状態。日本人的というか奥ゆかしい性格の寺田は、これではパソコンを出せません。原稿は書かずに記録を眺めてあれこれ考えていました。そうこうしているうちに、混雑のピークは脱したので、20:40頃から23:00頃までパソコンで作業。
□10月24日
 国体取材最終日。国体最終日はいつも、独特の雰囲気があります。午前中の1時間半ほどで5〜7種目の決勝種目のみを行い、あとは陸上競技の表彰式、そして午後から国体全体の閉会式というパターンが慣例化しています。
 しかし、今年は日程が5日間から4日間に短縮された影響で、例年の倍は決勝種目が行われました。それでも、競技は昼頃には終了。色々な取材を兼ねて、サブトラックに顔を出して、色んな人と話をするのが最終日の寺田の慣例となっています。長距離以外の選手や関係者とは、今年最後となるケースも多いわけで、親しい方には「今年もお世話になりました。よいお年を」を言って別れます。
 静岡県チームのテントで取材を2つ済ませ、帰ろうとしたら千葉県チームが胴上げを行なっていました。専門誌のカメラマンが撮影しています。残念ながら寺田は間に合わず。しかし、小島茂之&相川誠也の市船橋高先輩後輩コンビを撮っておけば、将来使えるかもしれないと思い2人を探したのですが、飛行機の時間の都合で一足早く引き揚げたとのこと。現時点でも2人合わせると、世界ユースと世界ジュニアとオリンピックのファイナリストの肩書きが並ぶすごいコンビ。ちょっと残念。
 最後の最後、福島大の川本監督とお会いしました。ウォーミングアップのこと(おやじの時々日記参照)を話しました。ISHIRO記者がすごくたくさん、まとめて文章を書くのはすごいということで意見が一致。
※10月25日以降のネタは明日……書けるのか?



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