続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年3月 バーミンガムは英国、バーミヤンは中国料理、エミヤンは反り跳び
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■3月31日(月)
 名鑑の仕事、終わったあ。


■3月23日(日)
 沖縄取材2日目。といっても実は最終日。午前中に1本インタビュー取材を済ませ11時過ぎに競技場に行くと、肌寒かった昨日よりは暖かくなっていました。が、皆さんの話を聞くと、この時期の沖縄にしては気温が低いようです。昨日紹介したチームの他に陸連中距離ブロックもトレーニングをしていました(昨日は休日)。その中に世界室内帰りの杉森美保選手の姿も。石井隆士中距離部長のお話では、杉森選手は帰国したその足で、この合宿に合流したとか。設定タイムなど多少セーブした部分はあったとのことですが、それでも、かなり質の高いメニューをこなしたそうです。
 男子1500m組の練習では、小林哲也選手が安定して強かったようです。一方の800 mでは、期待される選手たちが安定して強かったということがなく、今年も大会ごとに優勝者が変わるパターンかもしれません。もっとも、練習通りにならないのが試合なんですが。
 ミズノ勢は休日。柿沼和恵選手だけが、新地さゆり選手をパートナーに走り込んでいました。ちなみに昨日の午後は、田端・田川両選手が砲丸のバック投げなど、谷川・渡辺両選手がウエイト中心のメニュー。今井美希選手はウエイトの後、立ち○○段跳びも行なっていましたが、この写真を見ただけでもかなりのものということがわかります。13mジャンパーの太田陽子選手に対抗して、三段跳にも進出する……という話はしていません。
 日体大短距離ブロックの中には、昨年10秒13を記録した注目株・田島宣弘選手の姿も。今年も大学生ですが、インカレなど学生の試合には出場しない予定だそうです。その前に、右足首の故障が治るかどうかが問題。春季サーキットにはエントリーしていますが、「10秒5の可能性より11秒台の可能性の方が大きい」と、状態はよくないようです。4月の診察結果次第では、どうなるかわかりません。
 昨日、寺田と入れ替わりだった東海大短距離勢でも、誰が好調という話も聞きましたが、また聞きの話はいかに日記とはいえ、紹介するのはやめておきます。
 七十七銀行勢は昨日の午後はウエイトがメインでした。目立つのはやはり、長身の矢野加奈子選手。一昨年の全日本実業団200 m優勝者ですが、昨年は故障でシーズンをほぼ棒に振ってしまいました。名取英二監督の口ぶりでは、まだ完調とはいえないようですが、楽しみな選手の1人です。400 mでも01年の全日本実業団2位、100 mのベストは11秒88。大化けしてリレーのナショナルチームに入ってくるようだと、面白くなります(どう面白いかはご想像ください)。
 帰りはANA90便(機中でこの日記を書いています)。帰ったらANAの株価まで上げたという「グッドラック」最終回を見ようかな……でも、今日中の締め切りが1本。


■3月22日(土)
 戦争が陸上競技の大敵であることを痛いほど思い知らされたのが、昨日の日記でも触れた80年のモスクワ五輪でした。ソ連のアフガニスタン侵攻に対しアメリカがモスクワ五輪をボイコット。日本・ドイツなどもそれに同調しました。
 瀬古利彦選手が金メダル有力候補だったこともあり、あのときの悔しさは、寺田の中で何年間も尾を引きました。今だったら、「オリンピックが全てじゃない」という考え方もありまして、仮にボイコットがあっても、あのときほどのショックは受けないと思いますが…。シドニー五輪で戦後初の金メダルも日本は取りましたし。
 ただ、「オリンピックが全てじゃない」という考え方は、記者だからできること。選手やコーチにとっては、そう簡単に割り切れるものじゃありません。というのは、選手の所属している企業の多くは、ひいては社会全体が「オリンピックで頑張ってほしい」と思って選手を支援しているからです。「オリンピックはどうでもいいから」と選手が言ったら、自身の存在基盤を否定してしまうわけです。今の日本社会では、「オリンピック以外でも」という考え方はなかなか、受け入れられません。
 選手が陸上競技をできるのは、社会の理解があってこそ。それは主に実業団選手にいえることですが、教員選手や○○県体育協会、○○運動公園勤務といった選手たちも、周囲や家族の理解があってこその選手活動。決して、1人で競技をやれているわけではありません。だからこそ、選手は周囲の期待に合わせた目標を持つのが自然の成り行きです。
 話を今回の戦争に戻しますと、アジア室内選手権開催や世界クロカンへの遠征、ジュニアのオーストラリア合宿などが中止になっています。こういったことが続き、選手の活躍の場が狭められていったらどうなるでしょうか。社会や選手の周囲の、競技活動への理解がどんどん小さくなっていくのは明らかです。つまり、戦争が続けば続くほど、選手の受け皿は少なくなっていく可能性が大きくなります。
 戦争が陸上競技にとって大敵であるのは、そういった点にも理由があるわけです。
 さて、今日から沖縄取材。寺田は実は、沖縄は初めてです。空港から移動する車窓から見た風景はやはり、ちょっと異国情緒がありました。西洋系じゃなくて、どこから見てもオリエンタル。しかし、これまで行った国と比べても、あまり似た国が思い当たりません。
 選手間で人気の高いデイゴ・ホテルで昼食後、15:30から沖縄市のコザ運動公園陸上競技に。東海大短距離陣とは入れ違いでしたし、陸連合宿も終了しています。しかし、ミズノ(6選手)、七十七銀行日体大短距離ブロックなどが練習する光景が見られました。明日の日記でもう少し詳しい情報を紹介できるかもしれませんが、今日はこの辺で。競技場の片隅にひっそり咲いていた一輪の花が、なぜか、とっても印象的でした。


■3月21日(金)
 今日、海外在住の知り合いの方2人から、相次いでメールが来ました。イラク・アメリカ戦争の話題にも触れられています。この戦争、陸上界にも影響は大で、ジュニアのオーストラリア合宿だけでなく、世界クロカン(ローザンヌ)遠征まで中止になってしまいました。大・ジュニア・オーストラリアといえば……戦争の話題から結びつけると不謹慎と言われるのでやめます。とにかく戦争は、陸上競技の大敵です。心底、そう思っています。
 今日、メールを送ってくれた方の1人はイギリス、1人はオーストラリア在住。ニュースでも報じられているとおり、アメリカとともに参戦している国でも反戦デモは大々的に行われているそうです。つまり、考え方っていうか価値観は色々あるということ。あまり政治的なことはよくわかりませんので、くどくどとは申しません。ただ、寺田が高校のときに教えられた国家(政府)の役割とは、国民の生命と財産と人権を守ること。他にもあるのでしょうが、これは基本中の基本というか、絶対的に当たり前のことです。だからこそ、国民は国家に大きな権力を委ねるのだと。当時はよく理解できませんでしたが、今はその通りだと思います。両国の指導者にも、そのくらいの理解力はあるでしょう……って、これはヨーロッパで発達した考え方かな。
 イラク・アメリカどちらの政府も、五十歩百歩。テロに国民をさらす可能性を大きくする大統領と、実際の砲弾に国民をさらす大統領(どちらが百歩かは、明らかですが…)。両大統領に、日本の教科書を送ってやりましょう。
 今回のように遠征中止になったり、モスクワ五輪のように“片肺五輪”(アメリカ・日本・ドイツなどがボイコット)になったら、今でも大したことのない陸上競技人気が下火になるのは明らか。そうすると、寺田も食べていけません。それが理由で戦争反対を唱えているわけでありませんが、寺田が失業したらこのサイトもなくなって、そうなったら兵庫のおやじ記者・O原さんが悲しみます。O原さんを悲しませないために戦争に反対する、そういう理由もあっていいんじゃないかなって…。


□3月20日(木)
 なんか、長い日記が続いています。長居といえば96年の日本選手権で……と続けたいところですが、見せかけの余裕しかない寺田には、それを書くことができません。そうそう、昨年の国際グランプリは万博でしたが、今年は長居に戻るようです。期待の種目は女子800 m。その理由は……機会を改めて。明後日からの沖縄出張前に、仕上げないといけないデータ作成作業もありまして。でも、テレビを見ちゃうんですよね、ちょろちょろと。やっぱり気になります、米・イラク戦争。
 こういうとき、自宅(兼事務所)で仕事をしていると、ダメですね。


□3月19日(水)
 “天才”という言葉の定義にちょっと関心があります。世間一般では卓球の愛ちゃんのように、低年齢時にその年齢以上と思われる成績を挙げた選手に対して、天才という言葉を冠します。その風潮に“違和感”を感じている寺田は、高岡寿成選手のように30歳を過ぎて、過去に積み重ねて来た実績(6年連続1万m27分台など)も含め、他を圧倒する結果を残している選手を“天才”と呼ぶべきではないかと思っています。かの小出義雄氏はかつて、有森裕子選手を“努力の天才”と評しました。初マラソンだったか、2度目のマラソンで日本最高を出した頃の言葉です。その後、有森選手は五輪2大会連続メダルという金字塔を打ち立てました。小出氏にも一度、天才の定義の仕方を質問してみたいと思います。
 俗に言う素質を重視する傾向があるのが世間で、それに対し結果重視の定義の仕方をしているのが寺田ですが、実はもう1つ、「この人、天才だな」と思うケースがあります。それは、一度に多くのことをこなせる人。寺田など、1つの仕事・作業に追いまくられているのに、対照的に短時間でいくつもの仕事・作業をてきぱきこなす人がいます。頭の中が違うのかな、とも感じます。要するに、1つのことにしか集中できない人と、即座に気持ちを切り換えて即座に集中できる人。
 一芸に秀でている人は、(強いて言えばですが)自分と同タイプ。「すごいなあ」とは思いますが天才とは思いません。その点、いくつもの分野に秀でている人には、「天才じゃないか」と感じます。まあ、定義の仕方の違いに過ぎないと言えば、それまでですけど。
 前置きが長くなりました。朝日新聞のサイトで「悲運の?女子長距離ランナー名鑑」を書いてらっしゃる 鐸木能光さんのプロフィールを見て、「この人も天才だな」と感じました。
タクキ・ヨシミツ
1955年生まれ。器用貧乏のAB型。
小説家、作曲家、上智大学非常勤講師、ITビジネスコンサルタント(イーネットコーポレーション代表)、ギタリスト(ギターデュオKAMUNAの片割れ)、狛犬研究家、歌手、予備校講師(英語)、コピーライター、番組構成作家、アニメビデオのプロデューサー、雑誌記者、ゴーストライター、その他諸々……最初の6つくらいは一応現役。
個人サイトはhttp://takuki.com。その他、 http://bungei.net(発起人)、 http://chosakuken.org(世話人)、 http://enet.cc(代表)、 http://komainu.net(館主)、 http://tanupack.com など、運営しているサイトは数え切れない〜。
「黒い林檎」(河出書房新社)、「デジタルストレス」(地人書館)、「ワードを捨ててエディタを使おう」(SCC)など、著作多数。

 これだけ多分野で活動しながら、「悲運の?女子長距離ランナー名鑑」を読むと、的を射た内容なのに驚かされます。こういったセレクトの仕方は、一時的に陸上競技を見ている人にはできないでしょう。こういった多芸多才の人の記事に見られるボロもありません。一般紙に陸上競技の記事を書いているライターにある、その根拠でその結論はまずいだろう、ということがないのです。
 世の中、天才っているんだな、と感じた一日でした。


□3月18日(火)
 この1週間、“余裕”をキーワード……じゃなくて、時々こじつけで日記に書いてきたのは、高岡寿成選手の取材がきっかけです。陸マガ4月号のアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンのインタビューをご覧ください。「ピークを合わせるコツは?」という質問に対し、以下のように答えてくれました。
高岡 その試合に向けてやっていく中で、自信や余裕を持てるかどうかが大きいと思います。たとえ試合の何週間か前に悪くても、これから上がっていくんだと自信を持てれば、余裕を持って試合に臨めます。理屈として、頭で理解してできることではないかもしれませんが、僕も悪いのを修正していく経験をして、わかってきました。その辺の持っていき方は、トラックでもマラソンでも同じです。2回の経験しかありませんが、自信を持ってスタートラインにつけると思っています。
 ということで、単純な寺田はトップ選手の真似をして、この方法を自分の仕事に応用しようとしているわけです。以前にも書きましたが“真似る”は“学ぶ”につながります。でも、やっぱり誰にでもできることじゃあないですね。正直いって(ぶっちゃけ)今、仕事に追われて焦りまくっています。これまでの経験から、“最低これだけは”という仕事はやれるとは思っていますが……それもやばいかも。本当は今月「プラスα」をやらないといけなかったんです。高岡選手とは同じ「TT」なのに、やっぱりダメか。と言いつつも、日記を書いているのは余裕? それとも自暴自棄?


■3月17日(月)
 確定申告に行って参りました。3回目とはいえ、控除金額の算出の仕方を1カ所、間違えていました。でも、はっきり言って記入マニュアルの説明の仕方が不十分。平成11年以降に取得した場合とそれ以前で税率(=計算式)が違うことが、明確にわかる記述の仕方ではないのです。先方(税務署)の言い分は、5年間分の控除書類を送ってあるからということですが…。
 とにかく、まだまだフリーランス稼業が軌道に乗ってないな、と痛感させられるのが確定申告。その一方で、ある仕事の来年度分の見積を今日、やりました。その仕事だけで大丈夫というわけじゃありませんが、どうやら、4月以降もライター廃業とならなくて済みそうです。昨日の「グッドラック」(キムタク主演のTBS夜九時のドラマ)じゃないですけど、自分が打ち込んでいる職業をいきなりあきらめないといけなくなったら、どんな気持ちになるんだろう。陸上界にも、キムタク並の情熱で仕事を頑張っている人がいるように感じます。福島大の川本先生は、好きな陸上競技を仕事にできて「楽しくて仕方がない」と言っていますし…。
 誤解のないように書いておきますが、こういった人たちの“楽しさ”は、真剣に打ち込んでこそ得られるものです。いつも軽いノリで報道陣に接してくれる川本先生ですが、釜山のアジア大会終了後に話を聞きに行ったときは、さすがにシリアスでした。そういった部分もあります。
 高岡選手が「脚を長く見せられる秘訣は……」と、ジョークを取材中に話したことを3月14日の日記で紹介しましたが、そういうことを話せる状況を作れる選手が、日本に何人いるでしょう? 山崎一彦コーチも自身のサイトに、以下のように書いています。
さて、本題の「自由って・・・」だけど最近、大学生や高校生なんかを見て、あれを自由っていうのかなってことなんだ。自由に振舞うってことは大切だと思うけど、本当の自由ってのは自分(又は誰かと一緒に)で切り開いて、その場所を自分のスペースにするってことなんだよ。それには、相当の勇気と努力が必要なんだよ。高校のうちから何もしないで「自由」気取りしても後々大変だよ。
 うーん、と唸らさせられました。
 寺田のサイトを読んで、あるいは試合会場で軽妙なノリの発言(○○○ギャグではない)ばかりしているのを聞いて、「ライターはお気楽でいいな」と感じられている方も多いでしょう。実は、その通りです。選手やコーチとは違います。寺田はただの“お気楽”。確定申告なんて、喉元過ぎれば何とやら。これは“余裕”かな、と感じないわけでもありませんが、“自暴自棄”というのが正確なところでしょうか。


■3月16日(日)
 久しぶりに取材のない週末でした。2月2日以来です。しかし、2月2日は別大マラソンをテレビで見ました。テレビ取材もなかった日曜日は、1月5日以来ですか。
 でも、試合がないわけではありません。国内では松江レディースハーフで、大学1年生の飯島希望(仏教大)選手が弘山晴美・千葉真子のビッグネームを抑えて優勝しました。昨年11月の全日本大学女子駅伝1区でかなり目立っていましたが、実業団選手を相手にここまでやるとは…。弘山・千葉の○○コンビ()を抑えたのだから大したもの。1時間11分12秒の記録もまずまず。
※○○は「トラックの元日本記録保持者」「世界選手権1万m4位以内」「アトランタ五輪代表」「大阪国際女子マラソン2位」などが該当。
 飯島選手はもしかしたら早生まれかとはたと思いついたのですが、調べてみると3月17日生まれ(明日が19歳)。ジュニア資格もあるわけです。ハーフのジュニア歴代リストは詳しいものがないのですが、ジュニア日本最高は秦由華(当時三井海上)の1時間09分48秒。1時間10分台は秦がもう1回と、原裕美子(京セラ)が記録しているくらい。かなりレベルが高いことがわかります。
 ジュニアといえば、女子マラソンのジュニア日本最高記録保持者で昨年の北海道優勝者の堀江知佳選手が、冬のマラソンに出ていませんでした。どうしたのでしょうか(普通に考えたら故障か)。
 気になったのが世界室内選手権。日本選手は今日は出ていませんし、注目の杉森美保選手も準決勝止まり(昨晩、“えなり君のお兄さん”ことTBSの土井アナが、サッカー関係の番組で吉岡美穂の隣に座っていました……特に意味はないんですけど)。しかし、ATFSのS原さんからのメールによると、杉森選手はかなり積極的なレースをしたようです。テレビ放映は確か、23日(日)の夜中(違っているかもしれないので、要確認です)。来週はテレビ取材になりそうです……おっと、その前に沖縄取材か。
 とにかく、トラック&フィールドのファンは世界室内の成績を一刻も早くチェックしたいところ。しかし、国際陸連の世界室内選手権公式サイトは1種目毎にクリックする方式。この方式は一度に見ることができないのが難点です。だったら、一覧表を作ってしまえと頑張ったのですが、これも結構大変です、体裁を整えたり、ウムラートなどの英語にないアルファベット文字化けが。結局、男子(トラック フィールド)しかできませんでした。女子は明日……おっと、その前に税務署か。


■3月15日(土)
 昨日から世界室内選手権が始まりました、バーミンガムで。バーミンガムは皆さんご存じのように、伝統の国イギリス。その大会初日、ファウルが1本もないという画期的なことがあったそうです。ホワイトデーの本場イギリスでは、3月14日の試合では全部、白旗が挙げられるという伝統がある……わけはありません。でも、ちょっと考えたのですが、そういう試みって面白くありませんか。3月14日に走幅跳と三段跳の記録会をやって、踏み切り地点から実測してあげるというのはどうでしょう。投てき種目はサークルやラインから出ても白旗。公認記録にはならない代わりに、いい記録が出て選手の自信になるかもしれません。試合形式でやるので、練習中のトライアルとは違った集中力が出せると思います。いかがですか森さん、アンビバレンスの競技会の中でエキジビションとして開催するのは?
 話は変わりますが、昨日も関東某所への日帰り出張。その帰途、ホワイトデーだったものですから、奥さんを新百合ヶ丘(小田急)まで迎えに行きました。「2・14」と「3・14」はプレゼントの交換なんかをしています(あんまりプライベートなことは書きたくないのですが、福島の幸せ助教授の影響か)。
 といいましても、それは必ずしも「14日」にしているわけではありません。当日に手ぶらで行くのもまずいかなと思い、コンビニでお手軽ホワイトデー・クッキーを購入し……ようと思ったら、売り切れ。次の店も、売り切れ…。そもそも、新百合ヶ丘駅の周辺って、コンビニが極端に少ないんですよ。まあ、夜もかなり遅い時間でしたし、それまでに準備しておかなかった寺田が悪いのですが。結局、プレゼント用の包装がされていないクッキーを3袋買っていきました。
 世の男性諸氏への教訓です、ホワイトデーには余裕を持ってコンビニに行きましょう。


■3月14日(金)
 陸マガ発売。3月3日(月)にアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンの受賞インタビューに行った選手は、高岡寿成選手(カネボウ)でした。翌週の全日本実業団ハーフマラソンも同じ山口県。つまり、わずか7日間で2度も、東京・山口間を往復したわけです。
 インタビューの抜粋記事を掲載しましたが、取材中の“こぼれ話”を1つ。
寺田 それにしても、息が長い選手ですね。
高岡 4年を1つのスパンとして考えると、自然と長くなるんじゃないでしょうか。4年間の中に色々と目標を設定することで、やって来られました。チームメイトの存在も大きいですよ。調子の悪いときに後ろを走らせてもらうのは、全然違います。会社を含め、サポートをきっちりしてもらえるのも心強かったですし。
寺田 それにしても、脚も長い選手ですね。
高岡 脚を長く見せる秘訣は、スパイクのときは靴下を履かないようにすることです。マラソンシューズのときは短い靴下にするんです。

 自分に合わないやり方なのに、トップ選手の外見だけ真似るなんてことのないように。


■3月13日(木)
 全国の自営業者の皆さん、確定申告は済まされましたか? 自営業者にとっての年度末の大イベント。無事に、そして元気に乗り切られたでしょうか? 寺田はできれば、今日中に税務署に行きたかったのですが、下書きが終わる段階までしか進みませんでした。
 そもそもの失敗は、青色申告用のデータ(経費)でした。水道・ガス・電気・電話・携帯電話・PHS・NHKなどの公共料金に加えクレジットカードの明細なんかが入力していないのを忘れているのに気づいたのが月曜日。基本的には経費は毎日入力していましたが、6月のヨーロッパ取材で長期出張した間に貯めてしまい、それから引き出しに突っ込んでおくだけ状態……すいません、ヨーロッパ取材からではなく、4月のロンドン・マラソン以降でした。情けない。
 この入力と経費の計算に火曜日いっぱいかかり、昨日は関東某所に日帰り出張。早寝早起き(昨日の日記参照)を実践しているので、夜中の仕事が眠くてできません(日記もそこそこ書いていたのですが、サイトにアップできなかったのは、いつもより早く眠くなったため)。それで、実際に税務署提出用の用紙(下書き)への記入が今日になってしまったのです。
 もちろん、経費だけでなく、その他諸々、記入しなくてはいけません。3回目の確定申告ですが「この控除項目の計算、どうやったっけ?」というケースも多々あって、その都度、記入マニュアルとにらめっこ。これがまたわかりにくいんです。それで、税理士やらなにやら士がもうかる仕組み……じゃなくて、そういった人たちが世のためになっているわけですね。
 それでも、なんとか夜の11時には下書きが終了。ここまでくれば、あとは提出用の本番用紙に転記するだけ。明日も関東某所に日帰り出張なので、月曜日になります。日程的には余裕を持ってやっていたから事なきを得ました。
 ところで、自分の大学以外の仕事をされている大学教員の皆さんは、確定申告ってしているのだろうか? 副収入が100万円もあるという某社記者とか?


■3月12日(水)
 寺田の今後(今週?)のキーワードが“余裕”を持つことですが、日記もしばらく“余裕”をテーマに書けるかなと思っています。一昨日の最後に触れた“余裕”を持とうと思ったもう1つ理由というのは、体調です。
 先週の金曜日から脇腹に痛みが出て、最初はいつもの腰痛の延長みたいなものかな、と軽視していたのですが、日曜日の朝になってけっこう痛みが増してしまって…。土曜日の夜に小郡のホテルでマッサージをしてもらいましたが、内蔵にギンギン響く感じ(擬音はギンギン)。以前にも1度か2度、あったかなあ、この症状。日曜日の取材(全日本実業団ハーフ)は問題なくできましたし、取材をしていたら治まってもきました。それでも、帰りの新幹線の中では、今月の仕事がこの体調でこなせるのか、と焦ってサイトのデータでミスをした誘因になっていたかもしれません(3月10日の日記参照)。
 この解決には福島の幸せ助教授こと川本先生のアドバイスを受け入れ、早寝早起きを実践することに。今日で6日連続、7〜8時台前半に起床しています。大して早くもないのですが、寺田にとっては立派に早起きの部類。要するに、“この仕事を片づけるまでは眠らないぞ”という思考をするのはやめようと。“朝起きてからやれば間に合うぞ”というくらいの余裕を持とう、ということです。それが健康維持にもつながるかな、と。


■3月11日(火)
 “余裕を持とう”と思った理由ではありませんが(理由は後日、説明予定)、昨晩は余裕をかまして「月9ドラマ」も見ちゃいました。食事をしながらですけど。先般来、旭化成が番組スポンサーであることや、テーマソングを歌っている光永亮太が陸上選手だったことや(井上将憲選手の教え子)、松たか子がニューイヤー駅伝スポンサーのコマーシャルに出ていることや、坂口憲二の陸上界との関わりを指摘してきましたが、昨日、余裕を持ってテレビを見ていたら、あることに気づきました。坂口憲二の弟の彼女役の女優さんって、以前、「君ならできる」で高橋尚子を演じて人ですよね(違っていたらご指摘ください)。やっぱり、陸上界と縁が深いドラマです。
 とまあ、余裕を持つようにはしていますが、めちゃくちゃ忙しいのは事実。確定申告だって今週中にやっておかないといけないし(期限は17日の月曜日)、ある仕事の来年度の見積も。週の後半には日帰り出張も2日入ります。ここで問われるのが、単に意識の表面で“余裕”を持とうとしているだけなのか、心の底からを持てているのか、です。単に知識として余裕を持った方がいいことは、誰でも知っていること。心の底から理解していれば、身体的にもそれに伴って余裕が生じてきて、行動にも表れてくるはずですから(「心と体は連動している」と、中国電力・坂口泰監督がびわ湖で話していました……って、この部分だけ抜粋しても意味を正確に伝えられないので、引用はしないでください)。


■3月10日(月)
 キーワードは“余裕”にします。
 3月もどうやら、めちゃくちゃ忙しくなることになりそうで、昨日は移動の新幹線の中でも「けっこう大変だぞ」と精神的に焦りが出ていたのでしょう。「この仕事は早めにやっておかないといけない」と焦った結果、サイトの記事がミスだらけ。実業団ハーフでは高岡選手と松宮隆行選手の身長差を計算ミス。ふだん、フィート&インチを使っているのが原因です(ウソ)。
 世界選手権マラソン代表候補選手マラソン全成績の整理・入力作業は、昨日の帰りの電車の中でやったのですが、大阪国際女子マラソンの記録を1つずつずれて入力してしまいました。ちょっと見直せば気づくはずのミスですが、ダメですね。それもこれも、余裕がなかったのが一番の原因。元々、才能がないというのも、あります。
 今日は朝の10時から近所で用事を1つこなし、その後、体協記者クラブに。さっそく、マラソン全成績のミスを指摘されました。弘山晴美選手のアジア大会が抜けていることも。アジア大会の結果が選考対象となるとは、まったく思っていなかったということもあります。表面的な成績は銀メダルでも、内容的には失敗だったと思っていたので…。
 しかし、候補選手として紹介した中でも、内心では大阪の小崎まり選手や名古屋の萩原選手が選考対象となるとは思っていませんでしたが、今日の会見を聞くと実際は小崎選手が対象となっていました。要するに、陸連の考え方を読めなかったということ。この手の予測データを出すときは、可能性のある選手を全部(今回だったらアジア大会も)、出さないとダメという反省です。
 “余裕”を持とうと思ったのには、もう1つ理由があります。続きは明日。


■3月9日(日)
 昨日、名古屋国際女子マラソンの前日記者会見後、小郡まで移動。今日はまず、全日本実業団ハーフマラソンの取材でした。
「えっ? 名古屋じゃないの」
 昨年も同じパターンだったので、この言葉をかけられる回数は減りました。名古屋ではなくて実業団ハーフを取材したことに、何か考えがあってのことだろうと決めつける方がいらっしゃいます。えー、何も考えはありません。単に、仕事の都合です。あんまり信念って、ないですね。自分だけの信念だったらいいのですが、たまに他人に信念を押しつける人とか、組織とか、国とかが見受けられます。あんまり、気持ちのいいものじゃありませんから。だから、寺田はいいかげん。適当にやっています。
 そんなことはどうでもいいです。山口でのネタは……ダメです。これがオフレコネタばかり。強いて挙げれば、小郡から矢原(維新百年記念競技場最寄り駅)に行く電車の中から、「バーミヤン」が見えました。で、維新百年公園陸上競技場に行ったら、エミヤンが来日して跳躍をしていた……なんてことはなくて、バーミンガムに世界室内を取材に行くS井ディレクターがいました(もちろんTBS)。
 そうそう、えなり君のお兄さん2人も山口に集合。1人はTBS土井アナで、もう1人は中国電力・尾崎輝人選手(2月10日の日記参照)。寺田は沿道に写真を撮りに行きましたし、報道控え室のモニターも、悪天候のため映らなかった部分が多々あったようです。中継車に乗った土井アナからは、女子のレース展開を教えてもらいました。感謝。尾崎選手は22位、本人にしてみればちょっと不本意でしょうか。
 新幹線の車中で実業団ハーフの原稿をほぼ仕上げ、このサイト用の記事も簡単なものを仕上げました。名古屋国際女子マラソンのパーティー開始20分前に大会本部ホテルに。20分でページをアップしようと考えていたら、表彰式がパーティーの前にあって、すでに始まっていたのです。実業団ハーフの成績はほとんどの関係者が知っていましたが、詳しい記録一覧を見せると皆さん、食い入るように読んでくれます。
 ところで、表彰式中8位の小松ゆかり(サニックス)選手を見て、“もしや”と勘が働きました。昨日、小松選手の名前を一般参加選手として見つけたときに、何かもやもやしたものを感じていたのです。近くにサニックスの佐々木精一郎さん(副監督?)がいらしたので確認すると、やはりサニックス最後のマラソンとなるのだそうです(マラソンを完全にやめるとは限らないとのこと)。さっそく、ちょっと取材をしたので、近日中には記事にできると思うのですが(これが最近、あてにならない)。
 小松選手と言えばサニックスに移籍する以前は、現在、飛ぶ鳥を落とす勢いの天満屋の選手でした。同チームの世界選手権代表第1号となったのが小松選手。天満屋といえば今日、天羽恵梨選手が4位(日本人3位)となりました。ホント、その勢いはとどまるところを知りません。
 ある記者が(A記者としましょう、ある記者ですから)が言いました。
A記者 今日、一番ビックリしたのは天羽(あもう)。ほんと、天満屋はすごいよ。武冨監督はすごい。
寺田 ほんと、すごいっすよね。さっき聞いた話では、天羽(あもう)は距離を間違えていたらしくて、それでもこの成績ですからね。
A記者 距離を間違えてたって?
寺田 40kmの関門を、35kmと勘違いして、それで走っていたらすぐに競技場が見えて、“あっ、もうゴールだ”って思ったらしいですよ。
(同系列新聞社のN記者は受ける)
A記者 座布団10枚、持ってっていいですよ。
 パーティージョークとともに名古屋の夜は更け、「名古屋に立ち寄った甲斐があったな」と、ちょっぴり幸せな気分にひたりました。


■3月8日(土)
 忙しいですね。3月はこんなはずではなかったのに。室内で記録を出す予定ではなかった杉森美保選手みたいです(「今の状態でどうなんだろう」と、多少は期待していた部分もあったということで)。それにしても杉森選手の活躍はすごい。今や時代は吉岡美穂から杉森美保に完全に移りましたね……という誉め方をしても、彼女が天狗になることは絶対にないでしょう。
 そういえば、日中対抗室内の記事が書きかけだし、最低でも室内ネタをもう1本は書くはずだったのに…。このままだと、世界室内が始まってしまいます。ちなみに、杉森選手の出場する今年の世界室内は、バーミンガム(英国)開催です。杉森選手同様、屋外の自己記録を室内で上回ったことのあるのが苅部俊二選手。苅部選手は97年の世界室内で銅メダルを取っています。杉森選手にメダルをというのは酷かもしれませんが、レース展開によっては1分台も……。
 話がそれてばかりしまいます。えーと、ただ今、名古屋に向かう新幹線の中。火曜日以降のネタを書けるかな……書き終えました。なんか、ISHIRO!になったみたいだぞ。書いている内容の質も違えば、量も違いますけど。まあ、真似ることが第一歩。“真似る”は“学ぶ”に通じていくのだそうです。野田道胤選手の初マラソンは、何に通じるのだろうか。
 たぶん、この日記をアップするのは名古屋駅。それから、名古屋国際女子マラソン前日会見の取材です。

□3月4日(火)
 昨日の日記に書けなかったネタが1つ。昨晩は20:45に東京駅着、その足でR誌編集部に。色々と手渡すものがありまして。編集部着が21:20。世間では「月9ドラマ」を見ている時間です。編集部に行くと「月9」で一躍トレンディーになった編集者・ほっしーがいるではないですか(2月13日の日記参照)。日本の人口1億2000万人……でしたっけ。その内、「月9」の放映時間帯に編集者・ほっしーに出合える人間が何人いるだろうか。さすがの“幸せ助教授”にもできないことでしょう。人知れず、幸せを噛みしめたマンデーナイトでした。
 ちなみに、ほっしーの本名は☆野Y治(☆は伏せ字)。誰が見ても「☆野王子」を連想してしまう名前ですから“王子”と呼んでいました。本人に「“王子”と“ほっしー”と、どちらで呼ばれたい」と問うと「“ほっしー”の方がいいです」とのこと。今の「月9ドラマ」が続いている間は、ほっしーと呼んであげてください。
 肝心の「月9」は録画してありますが、昨日も今晩(チューズデイナイト)も見ることができませんでした。

□3月5日(水)
 夜(ウェンズデイ・ナイト)、メールをチェックすると井上将憲選手からメールが。WEBサイトが完成したとの知らせです。早速覗いてみると、これがまた素晴らしく充実していて、デザインもどこかのサイトと違って綺麗。管理人の顔が違いますから、それは仕方のないところです。
 陸上界だけでなく各界の知人(著名人)も紹介されていますが、その中に光永亮太の名前が。これも2月13日の日記で紹介していますが、「月9ドラマ」のオープニング・ソングを歌っているのが光永亮太です。三種競技の全日中優勝者で、走幅跳でも中学リスト1位だった選手。その光永がなんと、井上選手の東海大浦安高教員時代の教え子だったそうです。世の中狭いというか、天は二物を与えるというか…。これまでも宇都宮インターハイに出場した須藤理沙(漢字違っているかも)とか、中学時代に高知県で入賞している広末涼子とかいましたが。

□3月6日(木)
 怒濤の締め切りラッシュも今日で一段落。夜(サーズデイナイト)、やっと「月9」のビデオを見ることができました。松たか子が高名な作家と公園に行って散歩をしたり、少年たちがサッカーで遊んでいるところを見たりするシーンがありました。その公園が、どっかで見覚えがあったんです。ピピンと来たってやつ(ピントは最近、どうしているんだろう)。特に、2つのベンチに座っている絵柄を見て、絶対にあのときの写真の公園だ、と感じました。
 皆さんも陸マガのバックナンバーがあったら見てみてください。99年3月号です。大学最後の箱根駅伝でともに区間新をマークした三代直樹(当時順大)選手と藤田敦史(当時駒大)選手をカラーで特集していますが、その藤田選手の写真。あのページは寺田の担当ではありませんでしたが、確か、世田谷区の砧公園。ドラマのシーンも絶対に同じ場所だ……と確信をもって4年前の陸マガのページをめくったのですが、残念ながら違いました。雰囲気は似ているんですけどね。
 まあ、こんなもんです、寺田の記憶力は。でも、ちゃんと調べて裏をとろうとする姿勢は、必要最低限の常識は持ち合わせていたっちゅうことで。鄭達真は走高跳1m93(O原記者を喜ばせるためなら、このくらいどうってことない)。

□3月7日(金)
 昨晩、締め切りの峠を越えたせいか、今日の夕方まで気合いが入りませんでした。本当は今週、締め切りを片づけるだけじゃあダメだったんです。もっともっと、仕事を進めておく予定でした。それに、確定申告も今日までにやってしまいたかった、かな。申告期限は確か14日までだったと思いますが、来週後半は取材が入る予定でしたから(実際に今日、来週後半の取材が2つ決まりました)。
 明日からの出張も、土日の2日間で名古屋国際女子マラソン、全日本実業団ハーフマラソン、人物ものと結構あります。その予習(資料集め)にかかってしまって、フライデーナイトは更(ふ)けていきます。結局、やろうと思った仕事はできずじまい。メールも書けませんでした(すいません、S山さん)。
 なんか、最後はグチ日記。そういえば、「月9」主演の坂口憲二の父親・坂口征二氏(元プロレスラー)は福岡県の久留米出身とか。


■3月3日(月)
 昨日のうちに大津から、国内某所に移動。今日、陸マガのアスリート・オブ・ザ・イヤー受賞者にインタビュー取材をするためです。2002年の受賞者は○○○○選手。びわ湖マラソンの取材とセットで出張したわけですから、東京より西にいる選手ということ。具体的に誰なのかは、4月号発売日の3月14日をお楽しみに。
 アスリート・オブ・ザ・イヤーの取材で難しいのは、その選手の1年間の活躍はその都度、報道されているわけですから、ちょっと切り口を変えないといけないところでしょうか。ですが、今日の取材ではまずまず、面白い話が聞き出せたかな、と思います。
 昨日のびわ湖マラソン取材では、寺田は日本人2位以下の選手を数人担当。上位選手は共同会見があるのですが、下位選手は個々につかまえなければなりません。途中、やばいかなと思えるくらい選手を取材する進行度合いが遅かったのですが、最終的にはだいたい意図したものは網羅できました(いくつか、他の記者に助けていただいた部分もありました)。
 共同会見には出ていなかったので、初マラソン日本最高&学生最高の藤原選手の話は聞けていませんでしたが、最後に、ドーピング検査から解放された藤原選手の囲み取材もすることができました(サイトで記事にします)。この他にもプラスアルファで取材できたものもあって、それを考えると収穫は大きかったかなと。
 話は変わりますが、今回個人的に注目していたのはモネゲッティ選手(オーストラリア)。10年近く前になると思いますが、千葉国際クロスカントリーに出場した際に一度、取材させてもらったことがあります。大会前日の記者会見後、大会本部ホテルでウェルカムパーティー(正式には「歓迎の夕べ」)がありました。パーティー会場の外にちょっとしたスペースがあって、記者の皆さんはそこで記事を書いてらっしゃいます。寺田もこのサイト用に会見記事を書いていましたが、ふと、モネゲッティはスパゲティを食べているのかな、という思いが頭をよぎりました。マラソン前日のパーティーで、炭水化物は必需品ですから。
 同じテーブルにいたA新聞の記者の方に「スパゲティを食べてるモネゲッティの写真を撮って来ようかな。アベラがゴジラのフィギュアを持っていたときのように」と漏らしたのが発端となって、このネタはあっと言う間に広まりました。昨日のレース前も某記者が、放送関係の仕事をしている某監督と次のような会話をしたようです。
某記者「昨日のパーティーではモネゲッティがスパゲティを食べていた、と放送で言ってくださいよ」
某監督「それを見たゲッラ(エクアドル)がゲラゲラ笑った、とか」
 人づてに聞いた話ではありますが、湖畔のおやじたちは元気いっぱい。藤原選手の故郷、兵庫のおやじ記者は元気なのだろうか?


■3月2日(日)
 お久しぶりです。約10日間、また、日記を更新できませんでした。何度も言うようですが、ネタがないわけじゃあないんです。ちょっと忙しくて1〜3日間くらい書けないと、その間のネタをまとめて書きたいな、などと思ってしまうわけでして。これも以前に書いたことですが、「おれはISHIROになるんだ」と暗示をかけて頑張ってはいるのですが、まとめて書こうとするとちょと負担に感じてしまってダメ。最近、なかなかファミレスにも行けませんしね。
 ということで、ただ今日曜日の午前7時27分。大津のホテルです。このあとびわ湖マラソンの取材……と思ったあなた、甘いです。午前中にあるのはびわ湖全日本女子競歩。“このあと”と書いたら“女子競歩の取材”と続けるのが正確な記述でしょう。まあ、正確な記述が目的の日記というわけではないのですが。
 今回の出張は昨日(金曜日)朝に自宅を出て、月曜日の夜に東京に戻る日程。その間に、人物取材(個別のインタビュー取材ですね)を2本と、大会の取材が2つ(女子競歩&マラソン)こなす予定です。しかも、マラソンに関しては複数の社の仕事ですから、頭の中を整理しておかないと。
 そもそも、なんでこんなに早朝から仕事をしているのか。4本の取材をこなす今回の出張の予習と日中対抗室内横浜の原稿締切が重なり(重ねてしまったのは寺田の責任)、一昨日は目が回るような忙しさ。取材の“予習”に関しては、時間がないときはしないで臨むこともありますが、やっておくに越したことはありません。予習をしておくことで、取材中に余裕が生まれ、余裕があると取材を楽しむことができる、原稿の質も上がるなんて考えてもいますが、「予習しなくても十分できる」と反論も出そうですね。取材の予習の件はいずれまた、まとまった形にして書く機会もあるでしょう。
 それはともかく、睡眠時間2時間で新幹線に飛び乗り、国内某所において昼からインタビュー取材。その後、大津に移動して16時からびわ湖マラソンの記者会見取材。20時までにサイトに会見模様をアップし、その後、記者の方たちと食事。ちょっとアルコールも入ったので、珍しく早めに就寝して、5時前には起きてサイトのメンテナンスをしていました。
 この10日間のネタ、どうしようかな。先週末には横浜2連戦(日中対抗室内と横浜国際女子駅伝の取材)もありましたし、2月23日の深夜か24日未明には、このサイトのアクセス数が150万を突破しました。普段はアクセス数の“キリ番”って気にしないのですが、今回はそれに関わるネタもあったんで。
 時間があったら書きますが、たぶん無理でしょう。昨日の取材の原稿を、これから1時間しか時間はないですけど、少しでも進めておきたいし。もしも書けたら、ISHIROに一歩近づけたということで、褒めてください。それにしても、ISHIRO記者や松岡的・野球部だよりの松岡さんって、よくあれだけサイト更新ができるなあと、いつも敬服しています。仕事ってわけじゃないのに。その点、寺田はサイト更新も仕事……???
 ところで、取材の朝にこんな日記を書けるのはライターの特権???? 有名&優秀コーチにはできないことでしょう。


■2月20日(木)
 インターネット上しか見ていないので正確にはわかりませんが、杉森美保選手の女子800 m室内アジア新(2分02秒89)の報道のされ方が小さすぎるように感じました。「だったら俺の出番だろう」とばかりに昨日、忙しい最中記事を書きました……というのは真っ赤なウソです。そのような使命感はありません。強いて言うなら、自然に筆が動いた、いや、指がキーボードを叩いたのです。では、どうして、自然に指が動いたのか?
 それは、自分でもよくわかりません。強いて言うなら、杉森選手がジョーク記事を書ける数少ない女子選手だから、でしょうか。ジョーク記事をサイトに出させてくれと頼むのは、誰にでも言えることではありません。「この選手(コーチ)だったらわかってくれそうだ」と感じる相手にしか、持ちかけられないのです。元々、女子選手と話すのは苦手ですし。
 その点、杉森選手は取材をしていて、些細なことでは動じない懐の深さを感じました(去年の兵庫リレーカーニバルでは、とっても失礼なことを言ってしまったことがあります)。以前ある記事に、“大学時代はマネージャーに、海外遠征では通訳に間違えられる”という記述がありましたが、ちょっと普通の選手とは違う雰囲気なのです。それが、競技の強さと関係があるのかわかりませんが、取材する側から見ると余裕があるようで、どこか頼もしさを感じてしまいます。
 そんな経緯やらなんやらがありまして、ネタにさせてもらったからという意識も潜在的に働いて、指が自然に動いたのかな、と自己分析しています。


■2月19日(水)
 福島大・川本先生の「おやじの時々日記」が復活。実習などで大学を離れられると、時々更新ができなくなるようです。しかし、復活すると必ず、更新できていなかった間の日記もアップされていて、ちゃんと毎日書かれているのだなと、尊敬してしまいます。でも、よくよく読むと、14日の日記に寺田の名前が……。
大学の先生って結構チョコ(義理?)が多いんですよ。ライターにはない現象でしょう?寺田さん!!今日は絶対、川本が幸せいっぱい。
 この挑発は、“コーチ川本”と“ライター寺田”のどちらが幸せか、という一連の論争の延長でもあります。負けるわけにはいきません。
 しかし、事実は川本先生の仰るとおり。ぶっちゃけ、寺田のバレンタインチョコは1個だけ。当たり前ですが、○○からです。しかし、その○○は14日は海外旅行中で、チョコは出発前(バレンタインの1週間前)に渡されていました。で、14日は1人孤独に仕事。
 チョコの数ではとうてい、“幸せ助教授”にかないそうにありません。何かいい逆襲の手だてはないものかと、1人悩んでみたものの、今回ばかりはどうあがいてもダメ。寺田が勝てる要素は見当たりません。
 仕方がないので白旗です、今回は。福島大&福島大TCの選手が出る試合の審判も、もらったチョコの数が少ないといいのですが……。


■2月18日(火)
 今日も“猫の手”状態。この忙しさは、木曜日まで続きそう。下手をすると金曜日まで。“月9”ドラマはビデオに撮ってあるので、なんとか金曜日の夜には見られるでしょう。金曜日の夜9時に見たら“金9”………N村監督の髪の毛の話は禁句……と、K川コーチが言っていました。
 とても忙しいのですが記録集計号の関係で、どうしてもある物を購入する必要に迫られ、町田のヨドバシカメラに。買い物が終わったのが21時過ぎ。ヨドバシカメラを出て帰ろうか、ファミレスかどこかで仕事をしようか迷っていると、R誌の編集長から携帯に電話が入りました。仕事依頼、ありがたい話です。その後、町田の繁華街とは離れた場所にドトール(コーヒー屋さん)を見つけ、外で少しでも仕事を進めておけば楽になるので、1時間半くらい仕事。
 それから帰宅したので新百合ヶ丘で小田急多摩線に乗り換えたのは23時を過ぎていたと思います。乗り換えの際に、R誌編集長から2度目の電話。電話をかけてきた側から見ると、寺田はヒマで遊んでいたように受け取ったかもしれません。本当は仕事をしていたんです。誤解なさらないようにお願いいたします。でも、あんまり忙しいと書くと、仕事が来なくなるか……この日記は多少大げさに書いているので、あんまり信用しないでくださいね。
 ところで、“R誌”と書くと陸上競技マガジンだろうと、ほとんどの方はお思いになるでしょう。チッチッチ(と右手の人差し指を立てて左右に振る)、甘いです。R誌とは「ある雑誌」の略号なんですね。それだと、全ての雑誌が“R誌”になるんじゃないかって? そうかもしれませんが、深く考えると髪の毛が抜けまっせ、O原記者。ともかく、最初の段落のN村監督のイニシャルがナ行と決めつけるのは、早計かもしれません。


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