続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2003年6月 長崎からふ〜ねに乗って
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■7月6日(日)
 昨晩は3時頃にダウン。目覚ましをセットしないで眠ってしまったので、今朝、目が覚めたときは「寝坊かーーーっ」と焦りましたが、8:03。ことなきを得ました。ホテルで10:12まで仕事。千歳発11:11の電車に乗ると、某メーカーの方たちと一緒になりました。やはりホテルが取れなくて、千歳で1部屋に4人が寝泊まりをする“合宿状態”だったそうです。昨日の日記で紹介したように、これもSMAP(キムタク)のせい。円山競技場に着くと、某記者からラブホテルに1人で泊まったことを聞かされました(頭の堅い先生からの抗議は受け付けません)。今日ばかりは、キムタクは陸上界の敵ですね。
 しかし、陸上界反撃の切り札と思われたナカタクは、あえなく……。その瞬間、記者室では「中川がーーーっ」という絶叫と、「○○○を呼べっ!」という怒声が起きました。声の主が千歳やラブホに泊まった記者だったのかどうかは、瞬時のことだったので確認できませんでした。傷口に塩を擦り込むようなことはしたくはありませんが、実業団選手は給料をもらって走っている立場。成績が悪かったら、それなりの矢面に立たされるのは仕方ないでしょう。
 レース後の記者会見では、佐藤敦之選手がボルダーで“寝坊”をしたエピソードを話してくれました。佐藤選手は元々、気合いというか力が入りすぎる傾向があり、それがマイナス要素となることも。それを“寝坊をしても悠然と構える余裕があった方がいい”という考えに改めたようです。その点、寺田は今朝、“寝坊かーーーっ”と焦りまくりました。もちろん、寝坊はいけないことなのですが、仕事全搬、生活全般の余裕がないのだなあと、改めて思い知らされました。
 ただ、“余裕を持った方がいい”ということを、佐藤選手に教えられるとは…。高岡寿成選手から学ぶことは多かったのですが。それだけ、佐藤選手が成長したということでしょう。寺田が退歩しているせいかもしれませんが。
 帰りの電車ではSMAPのロゴ入りバッグを持った女性たちを何人も見かけました。「君たちのせいで迷惑を被った人間が、陸上界には何人もいるんだぞ」と言いたかったですけど、考えてみたら、我々も別の業界に迷惑をかけているのかもしれません。例えば先月、日本選手権が横浜で3日間行われましたが、その開催期間中、横浜に用事があって泊まろうと思った人は、ホテルが取れなくて困ったはず。日本選手権=SMAPということで、いいですよね(インターハイ・国体は総合競技会ですから除外)。


■7月5日(土)
 北海道は千歳のホテルです。明日の札幌国際ハーフ取材のためですが、なんで札幌市内ではなく、空港のある千歳なのか…。その理由を言う前に、まずは今日の行動から。
 11時すぎまで原稿を2ページ分書いて、11:10に送信。朝食を取る余裕もないと思っていたのですが、妻が仕事部屋まで持ってきてくれたので、なんとか食べられました。
 12時前に自宅を出て、12:50頃横浜国際競技場着。男子200 m予選に間に合いました。できれば、女子200 m予選も見ておきたかったのですが、「予選・決勝ではなく、準決勝もあるので有力選手は流すだろう。100 m決勝もあるし」と自分を納得させます。でも、加速段階というか、前半100 mは流しませんから、本当は見ておきたかった。まあ、仕事優先……いえいえインカレも仕事、というか、陸上競技は仕事です。
 ユニバーシアードの展望記事を書く予定があるので、代表になる可能性のある選手はコメントも聞きに行きます。それ以外の選手でもいずれは記事にする機会もあるでしょうから、興味を持った選手は取材しておきます。
 コメントを聞いたのはまずは吉田文代選手、続いて男子100 mの田島宣弘・石倉一希両選手、次いで女子100 mHの鷲頭選手。鷲頭選手の取材後に、珍しい出来事。ある選手がナンバーカードを寺田に……書くのはもったいない(?)のでやめておきます。
 女子4×100 mRでは福島大が学生新。福島民報・福島民友の記者お2人が頑張って取材されているので、こちらもつられて気合いが入ってしまいます。男子4×100 mRは予想を覆して早大が優勝。昨日3走を務めた大前祐介選手が、故障だったのか、今日はリレーも200 m予選も出ていませんでした。でも、ここまで立て直して東海大を破ってしまうのはさすが。そのあたりを、大沢コーチに取材したかったし、20m先に姿はあるのに、別の選手の話を聞いている最中で…。でも、幸いなことに東海大の近藤保選手の話を聞くことができました。
 両リレーの取材を終えると、3000mSCの終盤をしっかり見て(この種目もユニバーシアード候補)、最後は女子1万m。関西インカレで驚異のイーブンペースを刻んだ池田恵美選手のラップを今回も測りたかったのですが、ここは福島大・川本和久先生をスタンドで探しました。学生新に関する取材もしたかったし、アキレス腱断裂のお見舞いも申し上げたかったので。
 某専門誌のK記者と寺田が川本先生の話を聞いていると、4×100 mRの選手が挨拶(報告)に来ました。ということで、記念写真を撮らせていただきました。貴重な1枚です。木田選手の姿がなぜか見えませんでしたが、今日は“キタキツネ走り”について、少しだけ取材を進めることができました。この写真に写っていないこととは関係ないのですが。
 女子1万mの池田選手、堀岡智子選手のフィニッシュを見届けると、速攻で小机駅に。18:50発の横浜線で横浜に出て、京急に乗り換え。羽田空港に19:45頃着。チェックイン後に電話を2本。新千歳空港着が21:45頃。22:00の快速エアポートで2つ先の駅の千歳に。
 札幌までは電車で30分以上もある場所に泊まった理由は単純です。単に、札幌市内のホテルが取れなかっただけ。本当に、1部屋の空きもなかったようです。S新聞のK記者はホテルが取れず、困っていたと人づてに聞きましたし。この時期の北海道は確かに人気があるのでしょうが、札幌といえば観光都市。ホテルの部屋数は全国有数です。ここまで取れないのは何かあるのかな、と思っていたら、SMAPのコンサートが(場所はドームでしょうか)あることが判明。
 しかし、陸上競技のイベントがSMAPで影響を受けるとは、ちょっと悔しいですね。キムタクにしてやられました。こうなったら明日は、ナカタクこと中川拓郎選手に頑張ってもらいましょう。ナカタクの快走でキムタクファンをビビらせてほしいものです(中川選手の愛称が“ナカタク”というのは、専門誌の箱根駅伝展望増刊にちゃんと出ています)。


■7月4日(金)
 昨晩、なんと4時半頃にダウンして(眠って)、今朝は9時前に起床。あっけなく、通常時間帯に戻りました。朝まで眠れないと思っていたのですが…。しかし、原稿は進んでいません。あわてて2ページ分を12:30までに仕上げました。
 最低ライン中の最低ラインの分量でしたが、なんとか日本インカレに出発。15時からの男子三段跳に間に合うように算段をして、14:30頃に自宅を出発。14:50頃、横浜国際競技場着。
 ところが、三段跳でお目当ての石川和義選手(筑波大3年)は1回目に16m43を跳んだあとを全部パス。1回目を見逃してしまったため、跳躍を見られずじまい。コメントだけでもと取材はしましたが、これではねえ。しかし、それは他の記者の皆さんも同様だったようです。
 石川選手は今季、16m64の自己新をマークした3月30日の筑波大記録会が2回、織田記念は今日と同様1回しか跳躍していないので、全部で4回しか試技を行っていないわけです。つまり、ほとんどの記者にとっては“まだ見ぬ強豪”状態。昨年も、アジア選手権、ワールドカップと海外での好記録が多いので、いっそうその印象が強くなります。寺田も昨年の南部記念で見ているのですが、あのときは16m80を跳んだ杉林孝法選手の印象が強く、どうも鮮明に記憶していません。
 この日も山下訓史選手の学生記録更新を狙っていたとのことですが、「南部で17mを跳びます」と力強く話してくれたので、南部記念を楽しみにしたいと思います。
 南部記念が楽しみになったのは、女子400 mの木田真有選手(福島大3年)にも言えること。今日の優勝タイム53秒70は自己3番目ですが、自身の学生記録53秒47には届きませんでした。南部記念は昨年、その学生記録を出したゲンのいい大会。北海道は彼女の地元でもあります。
 実は今日のレース後、福島民報と福島民友の記者の方と木田選手に話を聞いていたのですが、懸案の“キタキツネ走り”について重要な手がかりを得ました。“キタキツネ走り”とは、川本和久監督が木田選手の走りの特徴を表現した言葉です。具体的に何を指しているのかよくわからなかったのですが、色々と推理をめぐらし、また、木田選手の走りなどを観察しているうちにいくつか気づくことも出てきました。
 具体的には南部記念で“キタキツネ走り”が炸裂したときに。
 なんだかんだと、サイト用に書いていたら3時半。早く寝ないと。石川和義選手、女子400 m、男子1万mの記事は後日(書ければ)。明日も午前中は原稿の締め切り。午後から日本インカレに行って、20時の飛行機で札幌に移動です。日本インカレは18:30まで。女子1万mがぎりぎり見られるか。


■7月3日(木)
 写真のセレクト作業に引き続き、編集作業を朝の9時半まで陸マガ編集部で。T橋次長の差し入れ蜜柑ゼリーとロールパンの朝食を食べ、10時半までに陸マガ原稿を2本仕上げました。これは、 昨日の段階で9割完成していたので、最後の仕上げをやっただけ。11時に電話を数本。11:40頃に編集部を後にして自宅へ。たぶん、というか間違いなく、フリーランスになってから編集部に滞在した最長時間記録でしょう。
 電車で眠ってしまい、一駅乗り過ごしたりしたもので、帰宅は13時過ぎ。何もしないで速攻で寝たかったのですが、メールの返信をいくつかしたので14時過ぎになってしまいました。
 19時に起きて、まずは家事。掃除などを20時半頃までしたでしょうか。この辺はもう、開き直っていました。どうせ朝まで仕事をするのだから、少しくらい他のことをやろうと。昼食を食べて、仕事再開が22時頃。なんか、自分でもすごくなってきました。どうやって通常の生活時間に戻すか、ちょっと興味がありませんか? 自分でもその辺が面白くなってきたな、と感じています。このまま、睡眠時間を後ろにずらして、通常の生活時間帯にもどす方法もありますが……。だいたい、明日からの日本インカレに行けるのか???


■7月2日(水)
 ただいま午前2時05分。後楽園のデニーズで遅い夕食をしているところです。後楽園というのは、陸マガ編集部で朝まで作業をしているから。編集部のY口君に聞くと、この半年でできたファミレスのようです。
 今朝は陸マガの原稿を3本書いて、そのうち1本を完全な形に仕上げて7時過ぎに送信、8時に就寝。昨日、阪神は試合なし(そうですよね)。
 13時に起きて朝食。メールとサイトのメンテナンス、電話を2本。16時に自宅を出て飯田橋で精算と支払い。その後打ち合わせ。
 18時過ぎに吉野屋で昼食。くどいようですがけんちん汁も頼みましたし、唐辛子もかけてカプサイシンも摂取。栄養には気をつかっています。あとは睡眠時間と運動と……。
 陸マガに19時前に着いて、写真セレクト作業の残りをひたすらやりました。24時前にやっと終了。パソコンを新しくしていなかったら、もっとかかったでしょう。ちなみに、最後に選んだ選手はペチョンキナ(ロシア)。女子400 mHの選手で、前回のエドモントン世界選手権はソノワの旧姓で2位。決勝では優勝したビドゥアン(モロッコ)の写真はありますが、ペチョンキナは隅っこに小さく写っているだけ。でも、なんとかナンバーを確認して、準決勝をチェックすると、ちゃんと4コーナーでアップの写真がありました。さすがT野カメラマン。イニシャルTTは伊達ではありません。
 このペチョンキナ選手の写真(ポジ)を切り出すのに要した時間は約5分。このレベルの選手をこれだけ短時間で探し出せるのは、日本に何人もいないでしょう。専門誌編集者の数を考えたら当たり前といえるかもしれませんが、そういった能力のある人間がフリーランスで存在するというのは、貴重なことだと思うんですけど。それが、なかなか商売にならないのが、この業界のつらいところです。でも、日本で何人もできないことができる、という自負はもって仕事をやっていきます。この商売、多少の自信は必要です。これは、どんな立場の職業でも一緒だと思いますし、競技者もそうではないかと。
 例えば日本選手権でもどんな大会でも、今年負けた選手が来年も負ける、あるいは順位を上げられない、あるいは記録を伸ばせない、と思っていたら競技は続けないでしょう。在学中だけ競技をしようという選手はともかく、実業団で仕事として競技をしている選手の多くは、そういう気持ちでいるはずです。それは100%の自信ではないかもしれません。でも、“選手を続けていくくらいの自信”は最低持っているはず。寺田も、フリーランスの陸上報道人を続けていくくらいの自信は、持っているということでしょうか。
 さて、もうひと踏ん張りです。日記をデニーズから更新すれば、編集部でY口君が読んでいてくれるでしょう。編集部に戻ったら、どんな突っ込みを入れてくることやら。


■7月1日(火)
 今日から7月。気分一新と行きたいところですが、相変わらずダラダラ。起床が13時で、16時に書きかけの大作を仕上げて送信。ホッとしたところで電話を数本。次の原稿の準備、つまり書き始められる段階まで進めておいて昼食。昨日の月9ドラマ最終回も見たりなんかして、ちょっとだけリラックスモード。
 ですが、昼食後、若干ですがだるさが。眠気までは行きませんでしたが、これはダメだと感じて、19:40くらいから22:48くらいまで眠っておきました。体調は回復。なんとか、朝まで頑張れそうです。
 明日は陸マガで写真セレクトの最終チェックをしないといけません。その翌日には、数ページ分のネーム(見出しや本文の文字原稿のこと)を渡さないといけません。その間に、陸マガ用に原稿を3本。かなり追い込まれています。
 が、体調がよくなったこともあって、若干ですが気持ち的には落ち着いています。メールで新たな仕事依頼がありまして、それがきっかけで仕事の新たな戦略というか、枠組みづくりを思いつきました。戦略というとちょっと大げさですが、具体的には……企業秘密。企業秘密という言葉は福島大・川本和久先生の常套句ですが、川本先生の日記によれば今日、アキレス腱を断裂(でしたっけ?)されたそうです。心からお見舞いを申し上げます。陸連の会議のために福島駅でダッシュできなくなるわけですから、早く治っていただかないと陸上界への影響は測りしれません。何よりコーチは、グラウンドで機を見て敏に“一歩”を踏み出せるかどうかが重要だと、ある指導者の方が言っておられました。門下の選手たちのためにも、一日も早い回復をお祈りいたします。


■6月30日(月)
 朝の7時まで仕事をしていましたが、その後、7:30〜12:00まで寝たので、徹夜というわけではありません。昨日も書いたように、生活の中の睡眠時間帯が朝にずれ込んでいるだけ……と言えたらいいのですが、正直、よくないと思います。でも、しばらくは立て直すのが難しいですね。
 20分で朝食を済ませて仕事に。最初は例によってメール書き。続いて、室伏広治選手に関する調べもの。どんなにかかっても2時間で調べきろうと思いましたが、結局5時間以上かかってしまいました。そのうちの一部は、本サイトにも載せられると思います。
 クリーニング屋さんに19:45に行って、20時過ぎにファミレスで昼食。この時間でも昼食は昼食。どうしても、急ぎの仕事、やりかけの仕事があると食事を後回しにしてしまいがち(編集者時代もそうでした)。これも、思い切って中断して食事優先にするのが健康的なんでしょう。わかってはいるのですが…。
 久しぶりにファミレスで頑張りました。5時間くらい原稿書き。でも、最初の1時間半はプロット(全体の構成)を考えていました。実は、昨日からそれを考え続けていたのです。やっと、なんとか書けそうな段階になったので、3時間以上書くことに集中。4時間かな。
 深夜の3時近くに帰宅。軽めの夕食後に、メールと事務整理。早朝(徹夜だと早朝とは言わない?)4時半から7時半まで原稿の続き。


■6月29日(日)
 そういえばまだ、ヨーロッパ取材に行かなくなったことを、日記で報告していなかったような。日本選手権後の、日記の中断期間に決断しました。日本選手権までは完全に行く気でいたのですが…。中止の理由はもちろん、企業秘密。昨年の今頃は、確かオスロからフランクフルトに移動していたと思います。なんて表現していいのか難しいのですが、あの精神的な高揚感を味わえないのは残念至極。毎年、大赤字の取材ですが、銀行預金残高では計れない幸福感もあるということを、ヨーロッパ取材が教えてくれました。こうなったら今年は、“守銭奴イヤー”にでもしようかな。まあ、そんなことしても貧乏ライターの稼ぎはたかがしれてますので。
 ヨーロッパに行ったつもりになって、時間だけでもヨーロッパに合わせて夜更かしをしています。というのは、一昨日の夜から昨日の朝にかけて徹夜をしたせいで、生活パターンが夜型になってしまいました。そのくらい、「すぐに朝型に戻せよ」とお勤めの方たちはお思いになるのでしょうが、これが“言うは易し、行うは難し”。徹夜後も仕事が立て込むと、ずれ込んだパターンの生活が続いてしまいがちになります。寺田の能力がないだけなのかもしれません。陸マガ編集者時代には上司から「徹夜? なんばしちょっとるか」と、怒られましたっけ。
 しかし、徹夜もたまにはいいことがあります。アメリカ在住のATFS会員のケン中村氏の質問メールが3:14に来ていて、それに対して4:02に返信できています。そして、室伏広治選手の世界歴代3位・84m86という記録を、中村氏への返信でネットに接続したときに知りました。阪神の勝利は昨晩のうちに知っていたのですが。
 もちろん、仕事をしていたのですが、室伏選手の記録を知って1時間くらいは、その記録について、あれこれ考えていました。こうなると、仕事がてにつかなくなりますね。よくないことかもしれませんが。
「この記録は室伏自身の持つアジア記録・日本記録の83m47を1m39と大幅に更新しただけでなく、世界歴代3位と大変にレベルの高い記録です(83m47は世界歴代7位)。歴代1・2位は1970〜80年代に活躍したセディフ(ロシア)、リトビノフ(同)両選手。室伏の記録は1989年以降の過去15年間では最高記録となります。」とミズノトラッククラブのサイトに出ていますが、本当にその通りです。
 室伏選手のことですから、この記録一発に終わることなく、アベレージも今後、上がっていくはず。現時点ではアブドゥバリエフ(タジキスタン/ウズベキスタン)やアウタプコビッチ(ベラルーシ)、タム(エストニア)にニクリン(ロシア)らに個人10傑平均では負けているかもしれませんが、今季終了時点では……もしかすると現時点でも、この4人のうち1〜2人くらいは上回っているかもしれません。調べられる…かな? 


■6月28日(土)
 朝の9時半頃に寝て、12時半頃に起床。昨日の日記は、実は今朝書いたのですが、文章がでたらめ。よくもまあ、こんなに恥ずかしい文章を載せられたものだと猛省しています(それだけ、もうろうとする中で書いたということです)。あまりにひどいので、ちょっと書き直しました。
 起きてすぐに仕事をしたのですが、眠くて作業効率は最悪です。朝食をとって、少しは目が覚めました。15時に自宅を出て、新宿でちょっと買い物をして、陸マガに。14:30から19:30まで写真セレクト作業。
 早めに来れば今日中に終わるはずでしたが、やはり3時間の作業ではダメ。まあ、写真を各ページに割り振ったり、細部を煮詰める段階で「あの写真もほしいな」という展開になりそうなので、もう1日は編集部に行く必要は生じると思っていました。写真セレクト自体も9割は終わったので、誌面への細かい割り振りを先にやって、あと必要な写真はこれとこれ、という段階で、もう一度行かせてもらうことになるでしょう。
 20:00から新宿でロンドン・マラソンの某会合。久しぶりに仕事を離れて、楽しめました。が、久しぶりのアルコールと睡眠不足の影響で、帰りの車内で眠ってしまい、「やばい」と思って電車を飛び出したら、1つ手前の駅。
 さて、ここ数日、写真セレクト作業やら、パソコンのセッティングやらに膨大な時間を使っていますが、それができたのも“目の前”の締め切りがなかったから。その代わりというわけではありませんが、7月の前半は写真セレクト作業をしている仕事の原稿書きが膨大にあります。他にもいくつか、締め切りがあります。だから、写真セレクト作業が予想の3倍以上の時間がかかると判明したとき、青くなったのですが…。
 明日からはいよいよ、“待ったなし”の状態に突入します。


■6月27日(金)
 パソコン、買いました。でも、買っただけでは使えないのがこのパソコンという代物(しろもの)。ソフトのインストールやセッティングをして使えるようにしたため、徹夜です。
 順を追って1日を紹介しましょう(このところ、このパターンばっかりですが、それが本来の日記かな)。ちょっとゆっくりめで、今朝は9時半起床。午前中は請求書起こしとメールを何通か。電話も2〜3本したような気がします。
 13:30に出かけて、札幌ハーフ取材時の航空券を発券・購入(予約はすでにインターネットで終わっていました)。14:00から臀部(腰)の治療。ちょっと待ち時間が長かったりして、終了したのが15:45。遅めの昼食とボールペンの替え芯など買い物をいくつか(ボールペンのインクが切れて、その都度ペン全体を買い換える人もいますが、それはもったいないバイ。替え芯だけを買った方が年間5、600円は節約しているはず……って、それよりも使いやすいグリップのペンを使うことが重要)。
 17:00にいったん事務所(兼自宅)に戻って、電話の打ち合わせとメール。
 18:30に再度自宅を出て、新宿のソフマップでVAIO−Z1を購入。中古ですが、今年の春モデルでそれほど古くはありません。ソフマップは21時まで開店していますし、多摩急行に乗って時間的には楽勝と油断したのが失敗。代々木上原から地下鉄に入ってしまい、気がついたら表参道。そこまで行ったら銀座線と丸の内線を使った方が早かったのかもしれませんが、貧乏ライターは代々木上原まで戻って新宿へ。30〜40分のロスで、新宿には20時頃着。
 インターネットに、寺田が買おうとした機種の後継モデルが、相場より2万円安い値段で出ていたので、ビックカメラで値引き交渉(ビックカメラは他店より高い品があったら、他店のチラシなどを提示すればその値段に勉強するというのが売りです)。結局、ネット上の値段は比較対象にならないということいで、値切り失敗。同タイプの大型家電量販店だけを対象としているみたいです。こちらも1つ勉強しました。
 ということで、予定通りソフマップで購入して、増設メモリーも一緒に買って、領収証を2枚に分けてもらって(理由は企業秘密……じゃなくて、パソコンとメモリーの2つに分けてもらっただけ)。帰宅は22時。食事と片づけをして、23時からセッティング開始。今回は念のため、OSから再セットアップしました。1カ月前に一度、セットアップは11時間くらいかけてやっているので、手順的につまずくことはなかったですけど、前回はOSも機種もすべて同じパソコンへのインストールだったのに対し、今回はOSがWindows XP 。ドライバー類の作動が「保証されません」という表示が出たりして、その都度ドライバーをネット上からダウンロードしたりして、結構、大変なこともありました。
 B5モバイルサイズのバイオは3年も持ちませんでしたが、今回の大きさ(A4のオールインワンではなく、14.1インチ液晶で重さ2.1kg。コンボドライブ内蔵)だったら、自宅でメインマシンとして使っても大丈夫でしょう。これで長持ちしなかったら、SONYとは絶縁かな。出先で使う分には、B5サイズのVAIOがなんとか持ってくれるでしょう。再セットアップした中古の方は、好調です。
 今回の陸マガでの写真選びのように出先でもそこそこパワーのいる作業を強いられるときは、今日買ったVAIO−Zの出番となるわけです。
 ということで、一通り使えるようにできたのが朝の8時。こんなことで徹夜したくなかったのですが、明日(すでに今日)は陸マガで写真セレクト作業の続きです。どうせ買うのなら、そこまでにマシンパワーの高いマシンを買っておかないと思ったのがきっかけ。ここは、勢いでセッティングをやってしまうしかない、と頑張りました。
 それにしても、徹夜はだめです。武田てつやに「徹夜? なんばしちょっとるか!?」と怒られそう。なんばは末續慎吾選手ですが……。


■6月26日(木)
 予定より早く7:30に起床したのでToday's Headlineの作業。昨日のロングディスタンス・チャレンジ(公式サイト)の結果を、各紙がどういう論調で報じているか、興味がありました。どうやら、現地での旭化成・宗猛副監督のコメントなどもあり、各紙とも渋井陽子の代表濃厚というニュアンスで報じていました(決定したわけではないので念のため)。
 朝食をとって自宅を出たのが9:07。取材先の最寄り駅には10:05に着いたので、15分間取材の予習。車中でも30分くらい予習をしていました。10:30から取材開始。予習の成果はいかに……と考えたいところですが、予習はしても、取材本番ではあまり予習の内容にとらわれすぎない方がいいようです。
 選手もよく言いますよね。「練習ではいろんなポイントを意識をしてトレーニングしていますが、試合本番ではあまり細かく考えずに思い切っていくだけです」って。取材も近いものがありますね。予習はしても、本番では話の流れを大事にして、その場その場で対応していくことの方が多いでしょうか。これは、記者によってやり方は違うと思います。アンケート調査をしたら、けっこう面白いかも。もちろん、掲載するメディアの方針・視点がありますから、ある程度のアウトラインってのはありますけど。それは、意識しなくてもできること。というかできないといけません。
 で、実際の取材はというと、具体的にはいつもと同様企業秘密。それなりにできたと思いますが、もう少し幅を広くできなかったかな、という気持ちもあります。が、今季に入ってそこそこ話を聞けている選手なので、あれはあれでよかったかな、という気もします。あとは原稿を書くだけですけど、頑張れるでしょう。
 取材後は今日も、陸マガ編集部で写真セレクト作業。何回も言いますがホント、CDに保存してある写真をパソコン画面上で見ていく作業は大変です(自分のノートPCを持ち込んで作業しています)。取材したカメラマンや大会のレベル、メディアへの使用形態・点数にもよるわけですが、写真を表示させるだけでも結構な時間がかかります。今日は昨年の釜山アジア大会だけで4時間かかりました。パソコンのパワーがあれば、3分の2くらいの時間に短縮できた気がします。
 編集部の皆さんのご協力をいただき、セレクト作業はあと1日で終わりそうですが、その後も写真データを多く扱う作業が数日続きます。パソコン、どうしようかな。ワープロ・表計算などの用途と、画像・映像関連の用途で使い分けを考えてもいいような気がします。昨日も書いたように、編集部の大型CRTモニターは、かなり綺麗ですからね。表示面積も大きいし。
 途中、飯田橋で別件の用事を2時間ほどしましたが、夕食もとらずに23:30まで仕事。帰宅して、夕食をとりながら「ムコ殿2003」の最終回をビデオで見ました。上野裕一郎選手の手前……ということもありますが、陸上界(国際千葉駅伝)の大スポンサーである「ライフ」の手前、見逃すわけにはいきません。


■6月25日(水)
 今日も業界人(陸上競技報道人)らしい一日でした。7時に起きる予定がちょっとだけ寝坊(数十分)。急いで原稿の訂正作業をしました。1時間ちょっとで訂正して送信。写真も数点、サイズを圧縮して送信。その後、メールを何通か返信。阪神の試合結果は忙しくて、知りません。
 いくつか準備をして、11:20頃自宅を出て、12:30に陸マガ編集部着。今日も写真セレクト作業です。Y口君がさっそく「エディターズハイとライターズハイですか」(昨日の日記参照)と、突っ込みを入れてきます。ホッシーなきあと(4月に異動)、彼が陸マガ編集部最年少。寺田もそういう時期が長かったので、立場はよくわかります、と言いたいところですが、昨日も紹介したように、寺田の最年少時代とは編集作業が様変わりしています。
 Y口君は今日は、各地の先生方に電話連絡をしていましたが、ほとんど一発でつながっています。最近は、携帯が普及していますからね。と思って「先生方の携帯に電話しているの」と質問すると、「昼休みですから、学校で連絡がつきます」とのこと……えーっと、結論はなし。
 15:40に編集部を出て、2つ隣の駅の近くのデザイナー事務所に。現在作業している仕事のデザイン・進行などについて打ち合わせ。17:20には、1つ隣の駅に戻って、別の事務所に。請求書・領収書の処理と、写真などの返却のために資料整理。さらに、事務的な作業をして、その後、1時間くらいWEBサイトのメンテナンス。メールもチェック。
 20:00頃にモスバーガーで夕食。明日の取材の予習をしました。今季に入ってからの取材ノートを再読し、ポイントを書き出して整理。かなり取材頻度の高い選手なので、そこそこネタはあります。いくつも興味ある点に気づいたので明日は、そのあたりからは色々と突っ込めるでしょう。
 突っ込みと言えば最近は、吉田真希子選手が有名です。昨年あたりから前半も突っ込める走りができてきたので、一部の記者からそう言われているのですが、川本元助教授に対し「今晩も飲みですか」とか「文通って、死語ですよね」と突っ込めるのも、彼女ならでは。たぶん、福島大の新入生にはそこまで言えないと思いますし、寺田もそこまでは突っ込めません。
 しかし、取材で突っ込むことなら、こちらもプロ……と言えるかどうかわかりませんが、とにかく明日は頑張ります。誰の取材かはもちろん、企業秘密。
 21:30に陸マガ編集部に戻って写真セレクト作業の続きです。途中、編集部のパソコンでISHIRO記者のサイトを見たら、トップページの写真が、めちゃくちゃ綺麗に、艶やかに表示されました。寺田のノートPCで見るのとは雲泥の差。やっぱり、安物ノートPCの液晶と、CRT(ブラウン管タイプ?)モニターとは、全然違います。「でも、CRTは電磁波が多いんだよな」と、隣のT橋次長に話すと「徹夜するよりよっぽどましです」と、含蓄の深い言葉が返ってきました。
 以前にも紹介したようにT橋次長は筑波大陸上部出身で、ISHIRO記者とは同期。なんとなくタイプも似ているように思っていましたが、最近は違いがよくわかるようになりました。どう違うかって? そんな突っ込みを記者にするのはお門違いでしょう。記者はあくまで、スポーツ界では黒子です…よね。
 昨日と同じ23:31水道橋発の総武線に乗り、0:40帰宅。日本選手権のビデオを見て、明日の取材に備えました。ただいま2:40。3:15には就寝できるでしょう。起床は7:45かな。徹夜はしません。「なんばしちょっとるか」と、怒られそうですから(誰から?)。


■6月24日(火)
 いや、これ、マジ、やばいよ。という状況になってきました。
 ライターズハイとエディターズハイに同時にならない限り、乗り切れそうにありません。とにかく、まずは時間を追って、今日一日を紹介しましょう。
 昨晩、1時半頃にダウンしてしまった(眠ってしまった)ので、朝、6時に起きて仕事開始……も、7時20分までメールの対応。最近、メールをためて後で大変になることが多かったので、その場で対応(返信)することにしています。しかし、肝心の原稿が進みません。などと書くと何通、メールが来てるんだって思われるでしょうが、数よりも対応の仕方次第で、時間がかかることがあるんです。しかし、いくらなんでも時間をかけすぎ。このあたりの仕事のやり方も問題でしょう。
 8時頃まで朝食休憩……と思っていたら、意識がぶっ飛んでいました(眠ってしまっただけ)。9時前に仕事再開。
 書きかけの原稿を書きながら、いろいろと確認事項、ちょっとしたルーチンワークをこなします。電話も2本か3本。なんとか13時30分頃に原稿を仕上げ、取材対象者に送信。ちょっと、デリケートな部分に触れていたので、確認してもらった方がベターだと判断しました。その後、電話を2本。
 14:54に自宅を出て、15:03の小田急多摩急行に。昼食をどこかで食べられるかなと思いましたが、結局時間がなくなり、ザバスのゼリードリンクを2本、車中で食べました。
 15:50に九段下着。前述の取材対象者に電話で修正点を確認。
 16:10に陸マガ編集部着。陸マガの仕事というのとはちょっと違うのですが(詳細は企業秘密)、写真選びの作業を行いました。かなりの点数をセレクトする作業ですが、昔取ったなんとやらで、少しは頑張れる自信がありました。ところが、寺田が編集者をやめてからの3年間で、編集作業現場は大きく変わっていたのです。
 写真はポジフィルムからデジタル写真に。写真セレクトは、ライトデスクにポジを広げて印を付けるやり方から、CDに保存した写真をパソコン画面でチェックする方法に。多少は予想していたのですが、パソコン上での作業は以前の3倍は、確実に時間がかかります。正確に作業内容を比較説明するのは難しいのですが、元編集者でもある日体大OBのHH氏なら理解してくれるでしょう。
 23:20帰途につきました。しかし、今日は予定していた作業の3分の1しかできませんでした。0:50帰宅。ちょっとしたルーチン家事をして、1:20から急ぎのメールを3通。送信すると着信もありますから、急ぎの返信も1通。原稿の訂正作業と、請求書起こし、返却する資料整理などがありますが、これは明日の朝、早めに起きてやることにします。現在2:40。3時には就寝して、明日は7時起きで頑張るしかないですね。


■6月23日(月)
 書きたいネタはたくさんアーノルド・シュワルツネッガーなのですが……日本選手権最終日の夜になんで苦しんだのか(6月8日の日記参照)とか、昨日のMDC取材中の通告で気が付いた“あること”とか、その後パソコンをどうしたとか。“得意の”福島ネタもあります……が、あきまへん。原稿は進まないし、請求書は起こさないといけないし、明日のとある作業の準備もしなくちゃいけません。月9ドラマだって、見られないんですから、いわんや日記をや。


■6月22日(日)
 ヨーロッパにいるような1日でした。というのは、取材が夕方から、というだけの理由なんですが…。なんか、天気も良くて(ちょっと暑かったが)、いい雰囲気の一日だったので、日記を再開します。
 今日は日曜日なのにそこそこ早起き。昨晩、書き始めようと思っていた原稿があったのに、眠ってしまったので、朝の9時半には仕事を始めました。12時ちょっと前まで自宅(兼オフィス)で仕事をして、12:30には自宅の近くの治療院に。腰というか、臀部の張りがひどくて(ヨーロッパを往復する飛行機にちょっと恐怖に感じる原因)、ついに先週の水曜日に本格的な治療を始めました。忙しくても、身体のケアが優先です(その割には睡眠時間が…)。
 14時くらいに終わって、コンビニでちょっと立ち読みをして、帰宅して昼食を済ませたのが15時くらい。取材の準備をして(予習もちょっと)、電話も2本ほどしてからMiddle Distance Challenge(以下MDC)第3戦の取材に出発。場所は日体大健志台グラウンド。寺田の自宅からはそこそこ近いんですけど、駅から遠いのが難点。東急田園都市線の青葉台まで行けばバスも多いのですが、青葉台だとかなりの遠回り。寺田は健志台に行くときはだいたい、小田急の柿生駅からバスです。最寄り駅の小田急永山から柿生までは20分か25分。16:15に自宅を出て、柿生には16:45には着きましたが、次のバスが17:20だったか17:25。MDC開始時間は17:45ですから、仕方がないのでタクシーを使って17時頃には日体大着。

 まず、驚いたのは関西テレビの飯田さんが取材に来られていたこと。関西のテレビ局のスポーツ担当者が、阪神の取材を差し置いて中距離の取材に来ているんですからビックリ(あっ、オリックス担当か)。中距離の皆さん、これはものすごいチャンスです。ここで、「なーんだ」と思われるような結果だったら、千載一遇のチャンスを逃すことになりまっせ。
 大会本部テントに行って、アコムの平野コーチからプログラムをもらって、ラビットのペース設定を聞こうと大塚製薬・木路コーチを探しました。木路コーチから自体学の平田和光コーチを紹介してもらっていると、元400 m高校記録&学生記録保持者の渡辺高博氏の顔が。自宅が近くということで、顔を出したそうです。元々、800 mランナーですからね。だったら、簡優好選手(富士通)も来ているかな、と思って探したら、富士通の佐藤信春監督に。「笹野はちょっと重いかな」ということでした。
 そういえば、会えるかなと思っていた日体大OBのHH氏(人より“2倍H”という意味ではなくてイニシャル)がいません。どうしたのでしょう。そうこうしていると、福島大・川本監督も到着。レースまで1時間もないというのに、なぜか坂水千恵選手と竹内昌子選手が挨拶に来ます。レース前の指示を受けるという感じではないので、ちょっと不思議な感じでした。話を聞けば日本インカレが近いこともあって、練習を終えてから福島を出発し、ぎりぎりの到着だったそうです。
 木曜日に福島大へ取材に行った際に、竹内選手が「目標は東北学生記録(2分07秒09)」と話していたので、「今日はラビットに着いていくんですよね」と川本監督に質問すると、「そんな無謀なことはしないよ」とのお答え。西村美樹選手がB標準突破を狙うため、ラビットは400 mを58秒で行く設定です。さすがに、いきなりこのペースは無理でしょうか。「インカレでどんなペースで行くかを見るためのレース」という位置づけだそうです。
 などと話しているとISHIRO記者到着。昨年はイチロー記者も取材に来ていましたが、今頃、彼はどこの空の下にいるのだろう。ファミレスの位置づけに関して意見が対立し、喧嘩をしたのも今となっては懐かしく感じます。それはどうでもいいのですが、テレビ、専門誌、新聞とマスメディアも揃い、いよいよレースが始まりました。

 が、レースの模様は別記事(または陸マガ)で。
 今回はレース中は主にカメラマン。本来はライターなので、レース展開をきっちりメモしたいところですが、この大会は通過タイムをしっかり計測して公表してくれますし、関係者に後からレース経過を聞くこともできるので、心おきなくカメラマンができます。
 男子800 mで笹野浩志選手が1分47秒62と、日本選手権で出した1分47秒55の自己記録に0.07秒と肉薄しました。2位の中野将春選手も1分47秒台こそ逃しましたが、1分48秒00の自己新。300mまでラビットを務めた日体大・大西コーチの力走が報われました。笹野選手は実は、今レースは最終戦へ向けた調整という位置づけ。実際、走り出す前は「身体が重かった」そうです、佐藤監督の指摘通りに。
 女子800 mも西村美樹選手が力走して2分03秒30。日本選手権の日本新2分02秒10、MDC第1戦の尼崎2分03秒03に続いて3試合連続の好タイムです。笹野選手はMDC最終戦(7月2日・円山)、西村選手は日本インカレ後のヨーロッパ遠征でのB標準突破に意欲を見せていました。
 レース間隔は10分くらいで、その間に話を聞くことは難しいですけど、女子800 m直後に笹野選手、その後に西村選手を取材。その後、本部席で記録を集めていると森祥紀選手を近くに発見したので、少し話を聞くことができました。キッカー(ラストに強い選手)である笹野選手がここまで好調だと、ハイペースを得意とする森選手はなかなか勝てません。そのあたりをどう打開しようとしているか、ちょっと聞いてみたかったのです(聞かれる方は辛いと思いますが)。
 関係者の裏をかいてラストスパートに強くなる練習もあるかもしれませんが、「特にどこを、ということでなく全体的に強化する」と平田コーチ。森選手も「秋には1分46秒台を」と意欲を見せていたので、頑張ってくれるでしょう。

 今日は夏至ですが、レースが終わる頃は健志台グラウンドはかなりの暗闇(それで写真がブレています、と言い訳)。福島大一行を見送った後、木路コーチに今日撮った写真を渡し、19:13健志台発のバスで柿生駅に向かいました。車中は、寺田とISHIRO記者だけ。ISHIRO記者は一心不乱に携帯電話のボタンを押し続けています。ISHIRO Flash に今日の記録を掲載するためです。その作業の途中で柿生駅に着。「柿生(かきお)までに書き終えたかったのに」と寺田の日記にネタを提供して、小田急線に乗り込みました。
 自宅着は20:10。自宅を出発して4時間弱。こういう取材もいいですね。取材以外のことも色々とできた一日でした。
 巨人・阪神戦を見ながら夕食。21:30にメールをチェックすると、日体大OBのHH氏からメール。「日記を書いてください」という催促です。面識のない人からこういうメールが来ると、「なんだよ。こっちの忙しさも知らないで」と思いますが、相手のことをよく知っていると、なぜか微笑ましいものです(面識のない人からのメールの5割以上が、失礼な書き方ですしね。人にメールを書く前に社会常識を勉強しろ、と言いたくなりますね。寺田はよく“堅いことを言わないで”と書きますが、それと礼儀知らずとは、まったく違います。その点、福島大の選手はしっかりしています)。
 野球は阪神が2連勝。阪神ファンの選手は今日は気分がいいでしょう。弘山晴美選手とか、寺田と同じイニシャルの某選手とか。あっ、某選手は今日、試合で負けたのか……でも、以前、言っていました。「Nは僕よりラストが強い」って。でも、やっぱり悔しいかな、0.01秒差は。


■6月8日(日)
 日本選手権最終日取材。
 今日もすごい1日でした。まずは男子棒高跳。沢野大地選手が5m50の高さをただ1人クリアして優勝を決めると、東日本実業団に続き5m60にも成功。この時点ではまだ、世界選手権代表は内定していません。小林史明選手がA標準を跳んでいますから。次の5m70を3回目にクリアして、代表も内定。普通だったら、ここで気持ちが切れて、次の高さは跳べないケースが多いんですが、沢野選手は5m75にも1回目で成功。ただ者ではありません。
 沢野選手がインターハイに5m40で優勝した際、陸マガの見出しは「大地、大空に舞う」でした。某ライターの方の発案。ちなみに、今年3月に室内で5m56を跳んだときは「大地、大空がなくても跳ぶ」ではありませんでした。当たり前ですね。では、今回は何がいいのか、前述のライターの方と記者席で話題になりました。「横浜だから“大地、かもめになる”がいいんじゃないか」と寺田。国体の神奈川県のユニフォームにかもめがデザインされているのを思い出したのです。横浜といえばかもめ。
 かもめといえば、「かもめのジョナサン」という映画(小説)が昔、流行りました。1970年代でしょうか、かなり話題になったと記憶しています。つまり“大地、かもめになる”との寺田の発言が“大地、かもめのジョナサンになる”になって、さらには“大地、ジョナサン・エドワーズになる”……沢野、三段跳転向か? と、伝言ゲームにありがちな微妙な伝言ミスが重なり、間違った噂が流れそうになりました。もちろん、そんないい加減な話は、寺田がきっぱりと否定して広まらないようにしました。これも、当たり前です。
 沢野選手のことはあちこちで記事になっていると思うので、2位の小林史明選手について一言……これは、懺悔の方に書きます(ホントか?)。棒高跳が終了したのはまだ、トラック種目の決勝が始まる前だったので、担当種目ではなかったですけど行くことができましたが、16時を過ぎるとトラックの決勝種目が続きます(テレビ放映に合わせたタイムテーブルでしょう)。
 その最初が女子800 m。西村美樹選手が最初から飛ばして、自己の日本記録を更新。冬期練習が中断した時期もあったので、シーズン前半に日本新まで行くとは正直、思っていませんでした。男子の800 mも1分47秒台まで出るとは、正直、思っていませんでした。800 mは男女とも、B標準に1秒以内の優勝記録。世界選手権の可能性もあったわけです。
 次が女子400 mH。吉田真希子選手が日本人初の55秒台。久保倉里美選手も、学生記録奪回。福島大先輩後輩コンビのツーショットをミックスドゾーンで撮らせてもらいました(写真を掲載しようと思ったのですが、パソコンに移してありませんでした。後日掲載予定)。「去年もあったようなシーンですね」と吉田選手。そうです。昨年のスーパー陸上でも吉田選手日本新、久保倉選手学生新でツーショット写真を撮らせてもらいました。
 それにしても、大阪グランプリで56秒13とB標準を初めて破った吉田選手が、こんなに早くその記録を更新するとは思っていませんでした。沢野選手の日本新はあり得ると思っていたことですが、女子800 mと400 mHは申し訳ありませんが、予想外の日本新でした(特に、800 mは3%予想)。この辺も懺悔記事で。
 大会初日が日本新1個で2日目が2個、そして3日目が3個です。もう1日あったら日本新が4個出ていたわけですから、大会期日を決めた陸連のお偉方も「失敗した」と思っているわけはありませんが、日本新が6個誕生した大会は、いつ以来なんでしょうか。とにかく、すごい日本選手権で、興奮で体が火照ったまま帰宅し、原稿書きに突入。あそこまで苦しむとは、その時点では予想だにしていませんでした。


■6月7日(土)
 怒濤の日本選手権第2日の取材。
 すごい1日でした。これほど盛り上がった試合は、珍しいです。
 まずは男子400 m予選で佐藤光浩選手が45秒50とA標準を突破。1レーン外の伊藤友広選手を前半、いい感じで追いかけてハイペースになったのかと思ったので質問してみたら、「そんな速くないと思いますよ。200 mの通過タイムはいくつですか?」と逆に質問されてしまいました。すいません。毎回、タイム取ってるわけじゃないんです。陸マガも含め、取れたものを掲載しているだけで……。アトランタ五輪は国際陸連が公式に計測したそういったデータが、かなり公表されていました。そこまでやると、お金もかなりかかるのでしょうから、やれとは言えません。後でビデオから計測できることですし。
 次は三段跳ですか。杉林孝法選手が前半から跳んでくれました。1回目に16m80。2回目に16m96。3回目は3〜4cmのファウルで17m30くらい。小松隆志選手もすごかった。16m60とはなあ。小松選手は会見も楽しいです。ユーモアがあって、余裕があって、味があります。結果を残しているから味が出るわけで、結果を残していなかったら、薄っぺらくなってしまうんですが。杉林選手のコメントぶりも、小松選手と対照的で、さすが陸上界のゴルゴ13と言われるだけはあります(これ、冗談です)。
 村木征人先生(杉林選手をはじめ、跳躍の大選手を何人も育成。ざっと数え上げても阪本孝男・吉田孝久・井上基史・橋岡利行・横山学・木越清信・神谷晃尚・伊藤信之・山下訓史・石川和義・渡辺容史……ざっとですよ)をスタンドで取材中に3000mSCが始まりました。普通、取材中だと他の種目が始まっても、取材の方を優先しますが、村木先生は奥様が元陸マガの人間ということもあって、こちらの立場を理解してくださいます。
 3000mSCはこうなるんじゃないか、と予想した通りに展開しました。内冨恭則選手が引っ張り、岩水嘉孝選手と、今季好調の関川選手も含めた3人の争いに。最後は岩水選手がスパートしてB標準突破の自己新記録。内冨選手が惜しくもB標準に届かず。昨年、フランクフルトでカレーライスをご馳走になったから誉める……わけですけど、今回も彼の功績が大きかったですね。
 インタビュールームに行ったときは3000mSCの会見が終わっていました(担当種目ではなかったので)。立ち去ろうとする内冨選手に、「やや額が後退したのでは?」と質問すると、「そうです」とのこと。今年で31歳。ヘンリー・マーシュになるのはやっぱり、内冨選手でしょう、マーシュの額もあれでしたからね。
 その次は、男子200 mでしょうか。実は、これが生で見られませんでした。担当が女子100 mだったので、ミックスドゾーンで新井初佳選手の取材をしていました。これも6連覇ですからね。いい加減な取材はできません。で、200 mのスタート時間になったし、新井選手も見たかったようでしたし、ミックスドゾーンの一番トラック寄りに移動。でも、そこからではろくすっぽ見えません。結局、電光スクリーンの映像を見ていました。
 去年のヨーロッパ取材中にビデオを撮っていたことも多々ありましたが、正直、レースは肉眼で見たいです。後で記事を書くことを考えたら、ビデオも必要なんですが…。ISHIRO!の記述を見ると、すごい雰囲気だったようですね。ちょっと悔しい。けど、仕方ありません。仕事優先です。ときどき、「仕事で陸上競技が見られていいですね」と羨まれますが、本当に競技を観戦したかったら、記者にはならない方がいいでしょう。入場料を払って、スタンドから見るのが一番です。
 今日のトリは女子走幅跳。実は、寺田はときどき予感が働きます。2年前の日本選手権女子砲丸投で、日本新が出る予感がして記者席から第4コーナーに移動したら、森千夏選手が日本新を出しました。やはり2年前の日本選手権ですが、女子走幅跳のピットの上のスタンドに移動したら、花岡麻帆選手と池田久美子選手が6m82と6m78でした。
 今日は、予感というより、なんでしょうか。やっぱり予感かな。池田久美子選手の4回目をミックスドゾーン近く、つまり正面から見ていてなんとなく、今年のこれまでの試合と違っているように感じました。「これは、スタンドから、真横から見よう」と移動。そうしたら、6回目に6m64の跳躍。鳥肌が立ちました。池田選手はB標準を突破していなかったので、“B標準を突破して優勝”が、世界選手権代表となる条件でした。今季の調子から苦しいと思っていましたが、話を聞くたびに「走れていますから大丈夫です」を繰り返していました。それを、あの追い込まれた状況で実現してしまうのですから、本当にすごい。感動しました。その直後に、我々記者は選手の言葉を直接聞くことができます。質問だって、できることがあります。これがあるから、陸上記者はやめられません。
 おっと、忘れちゃいけないのが男子1万m。岩佐敏弘選手が優勝、全国レベルの試合では初優勝。いつも、あと一歩のところで優勝を逃してきました。今回、寺田のサイトの予想も松宮隆行選手。記者会見に顔を出すと「優勝者予想を覆しましたよ」と、厳しい一言。でも、明るく言ってもらえたので、こちらも「そう思って頑張ってもらうのが目的だよ」とヘリクツ
 サンチェスのライバル為末大選手も48秒台に。今後、どう記録を上げていくのかが楽しみに。
 夜はJ通信社のお2人とラーメン博物館で、和歌山ラーメン。その後、近くのモスバーガーでひたすら原稿を書きました。F民報のN記者から、かなり遅い時間に電話で問い合わせ。あの時間で間に合ったんだろうか。
 急ぎの原稿は書き上げましたが、そのほかにも原稿はありまして、帰ろうと思えば終電に間に合ったとは思いますが、新横浜のホテルに泊まることに(ちゃんと奥さんの許可を取って)。往復2時間40分は正直、きついです。その間に原稿をどれだけ書けるかを考えたら、7000円くらい……なんで安さで有名な東横インが7000円なんだ!?


■6月6日(金)
 あきらめのよさも肝心ですが、悪あがきも悪くありません。横浜国際競技場に行くまでに、今日行われる8種目の展望記事を、4種目書きました。競技場に着いたらサイトにアップしようと思っていたのですが、いくつか用事がありましたし、そうこうするうちに競技が佳境に入ってきますし、結局、あきらめざるを得ませんでした。取材現場に来たら、目の前のことを優先せざるを得ません。残念は、残念なんですが。
 日本選手権やインターハイ、国体などの取材では、地方紙の記者の皆さんにお世話になります。選手に密着した情報を持っていますから、頼みにしています。選手との取材中、たまに、こちらの方が詳しい分野の話も出るので、そういうときはこちらも情報を提供させていただきます。
 最近は福島大が強く、福島の地方紙の記者の方とご一緒させていただくことも。今日は女子100 m予選後に、栗本佳世子選手を取材中にちょっと顔を出させていただきました。
「……全カレの3人のメンバーに入れるかどうか」と、栗本選手が言うので、「全カレは1種目2人までだよ」と、寺田が訂正。すると「今年から3人になったみたいですよ」と、栗本選手。
 えーーーーーーーっ。まったく知りませんでした。多くの選手にチャンスが与えられるわけですし、近年は大学院生の参加も多いので、いいことだと思いますが、こんな重要な変更を知らなかったとは……陸上競技ライター失格。しかし、あとでT大陸上競技部出身のI記者、K大陸上競技部出身のK記者、W大競走部出身のK記者に質問したら、やっぱり知りません。専門誌関係者に聞きましたが、掲載されていないとのこと。I記者が関係者に確認したところ、日本学連では4月に決めていたそうです。でも、全国各地にいるOBにとっても関心の大きい部分なんですが、こんな広報の仕方でいいのかなあ。
 今日は即日の仕事がいっぱい。新横浜近くの某所で陸マガの記事を21時半まで書き、22時半までに本サイトの200 m予選記事。これは、明日の決勝を観戦するときに、知っていたら面白い情報だと思ったので優先しました。
 自宅への帰路、乗換駅の町田の吉野屋で夕食。吉野達郎選手に引っかけたわけではなく、貧乏だから…。貧乏ライターのことだから、280円の牛丼並盛りを食べたのだろうと思った読者が多いでしょう。ちっちっち。けんちん汁とポテトサラダも頼んで、おまけで唐辛子もぶっかけてカプサイシンも摂取。その辺の学生選手なんかよりよほど、栄養バランスに気を配っています。
 0:40頃に帰宅。1:30から即日の原稿を書き、3:10に送信。朝、8時には起床して、第1日全種目戦評と懺悔を書くも、最後の2種目は書けず。2日目以降は……無理かな。


■6月5日(木)
 ただいま、6日の朝の3時06分。
 頑張ったのですが、日本選手権の展望記事、男子までしか進みませんでした。
 もしかして、今日実施される種目だけでも書けるかも、と、まだ悪あがきをするかもしれませんが。やっぱり、日本選手権は特別ですから。
 しかし、ここに来て左半身に“違和感”が出てきました。痛みというほどではありません。シドニー五輪前の、超多忙だったときに出た症状とまではいかなくても、それの二歩手前くらい。
 今年の日本選手権は毎日、2社の締め切りをこなさないといけません。このサイトにも少しは記事を書けるといいのですが。
 片道1時間20分かかるのが、きついですね。往復で2時間40分。通勤時間と思えばどうってことないのでしょうが、ホテルに泊まっての取材だと、競技場まで30分以内ってことがほとんど。時間的には、自宅から行ける競技場の方がきつくなりますね。経費がかからないんで、通える方がいいことは間違いないのですが。


■6月4日(水)
「ボンジュール」で始まるメールを受け取ったことがありますか? 今日、(たぶん)生まれて初めて受け取りました。と言っても、フランス語の後ろにちゃんと、英語表記もしてあるんですが。パリのゴールデンリーグ大会事務局からです。寺田なんぞにメールが来るとは、ちゃんと、昨年のデータが先方でキープされているのですね。
 今年も7月前半、ヨーロッパに行きたいと考えています。実は今日、ある程度の旅行日程を旅行会社に出しました。昨年はユーレイルパスをフルに活用して、鉄道であちこち放浪しましたが、今年は飛行機でポーン、ポンと移動することになりそう。
 問題は、出発までに仕事を終わらせられるかどうか。去年も、陸マガの朝原選手の原稿や、ミドルディスタンスの原稿もそうだったと記憶していますが、ヨーロッパに持ち越してしまいました。今年は、取材原稿でない仕事が6月に多いので、その方法はダメかも。がんばりどころです。
 純粋に事業のことを考えたら、ヨーロッパに行かない方がいいに決まっています(大赤字ですから)。でも、それでは幸せになれない……。


■6月3日(火)
 パソコンがいよいよ、どうにもならなくなったので、原稿よりもパソコン関連インフラの整備を優先。5月31日の日記に書いた富士通LOOXはまだ、購入していません。WEBサイト専用モデルにしようか、などとも考えていまして。
 故障したSONYのノートPCと同じ機種をもう1台持っていて、そのパソコンのセッティングに11時間かかりました。エドモントンの世界選手権前に中古で購入し、ちょっとした故障に出したら1万円くらいかかって、ウィンドウズの再インストールまでされて、使える状態に設定する時間がなかったのです。
 ワープロ入れて、エクセル入れて、ホームページビルダー入れて。ネットへのアクセスポイント設定して、メールソフトのアカウントを移して、送受信したメールもコピーして、ブラウザのお気に入りやら、辞書の登録単語も移植。ここまでは、予定より早かったんですが、プリンタやスキャナーのドライバー、その2つの関連ソフトをインストールするあたりから時間が…。
 1時から始めてそのあたりで9時。そこまでやれば、最低限の作業はできるのですが、ここまできたら、路線検索ソフトに、携帯電話のメモリ管理ソフト、それに小学館ブックシェルフ(CD−ROM国語&英和辞書など)とエンサイクロペディア(百科事典)もハードディスクにコピーし(ライターの必需ソフト)。
 細かいものでは、解凍ソフトに画像閲覧ソフト。この2つはフリーソフトです。ホームページビルダーのファイル転送設定も、ちょっと難解。最後に、外付けDVD−RAMの設定と関連ソフトのインストール。勝手にネットに接続してユーザー登録するようになっているソフトもあるし、再起動を求めるソフトもあって、時間が……やっぱり、バックアップソフトを購入して、一気にやった方が効率的かも。でも、再起動やなんやかやの合間に掃除をやりました。
 当然、仕事は丸1日、滞ったわけです。非常事態ですね。といっても、これまでも似たような状態。仕事と食事とトイレと……といつも書いていますが、それ以外は何もやっていません。やれやれ。
 たぶん、日本選手権後もしっちゃかめっちゃかに忙しそう。ということで、こんな日記は今日で打ち切り。そういえば、旭化成のテレビコマーシャルでいいことを言っていました。気持ちの余裕が……なんだっけな。見習おうと思ったんですが、なかなか余裕が持てません。


■6月2日(月)
 三重陸協のサイトがあることを知り、さっそくリンクさせていただきました。重といえば最近は枚目助教授が番有名ですが……えっ、知らない? そのうち有名になります。その三重は、昔から人口の割に強い選手を輩出している県です。ソウル五輪には小池弘文選手、笠原隆之選手、山下訓史選手、瀬古利彦選手を送り込みました(もう1人誰かいましたっけ?)。その三重県に初めて行ったのが、89年のインターハイ東海地区大会。地区インターハイの取材はそのときが初めてでした。
 そのときに取材したのが110 mHの柘植雄介選手(柘植選手は愛知)。インターハイは勝てませんでしたが、93年の世界選手権代表に成長し、シュツットガルトで「お互いここで会うようになれてよかったな」、と話したことを覚えています。地方の競技場で取材した高校生選手を、何年かの年月を経て海外で取材する。なんとも言えない充実感がありますよね。
 今年の東北インカレで木田真有選手を東北弁で取材したかったのも、似たような理由からです(5月19日の日記参照。高校生の頃の柘植選手と比べると、今の木田選手はレベルが上ですけど)。残念ながら東北弁での取材はできませんでしたが、以前、川本先生が指摘してくれた木田選手の特徴である“キタキツネ走り”が何なのか、ちょっとだけわかりました。単に、木田選手が北海道出身という意味だけではありません。それはつまり……企業秘密です。ここでは書けません。パリでキタキツネ走りが炸裂したときにこそ、書く価値があるというもの。


■6月1日(日)
 今週末は、1ヶ月ぶりに取材のなかった週末でしたが、インターハイは各県大会が佳境に入っています。今年、“愛と青春のインターハイ”が開催されるのは、ミナト長崎、出島の長崎、ハウステンボスのある長崎。地元勢では織田記念で取材した女子円盤投の林田選手が好調で、47m45の高校歴代5位を出しました。本番が楽しみです。その前に、北九州大会も。
 長崎といえば、昨年の100 mインターハイ優勝者の長島夏子選手(壱岐高)も有名。今年から福島大に進学していますが、川本和久先生があるテレビ番組で「長崎からどうして(どうやって?)福島に来たのですか」というような質問をされ、「船に乗って来たんでしょうねえ」と答えたら、まったくわかってくれなかったそうです(解説はしませんよ)。
 寺田も大阪国際女子マラソン前日に似たような経験をしました(書きましたっけ?)。小出義雄代表と何人かの記者で話しているとき、名前が“”という選手をプログラムから見つけて出して世界選手権を狙える有望選手だと推して、「翼よ、あれがパリの灯だ」とオチを言ったのですが、まったくわかってもらえなかった経験がありました。気持ちはよくわかります。
 インターハイがミナト長崎なら、日本選手権もミナト横浜。長崎から船に乗って横浜に来る選手では、田端健児選手、松本卓選手、宮崎久選手、もちろん長島選手。平戸安紀子選手と藤永佳子選手の名前がエントリーリストにないのが寂しいですけど、今は一時的に潜水艦に乗っているということで。
 その点、一時は日本代表の常連だった苅部俊二&吉田孝久のビッグ2を生み出した神奈川は、2人の引退後はハニカット陽子選手が孤軍奮闘中。藤巻理奈、江口幸子の両若手ホープが頑張らないと寂しいですね。山本絵里選手にも、もうひとがんばりを期待。あっ、鈴木尚人選手が頑張っています。


■5月31日(土)
 別に陸上部を持っている唯一のパソコンメーカーだからというわけではないのですが、富士通のノートパソコンを買うことにしました(6月末まではNECにも陸上部はありますが)。別に、土江寛裕選手が持っている機種だからというわけではないのですが、LOOX(ルークス)を買うことに決めました。
 寺田のパソコンが絶不調なのは、何回か紹介した通り。先週の延岡出張中は、サーバーへファイル転送中に電源が落ち、復旧にえらく手間取りました。それ以外にも3回は落ちたでしょうか。これまでは落ちるケースが限られていましたが、昨日はついに、ワープロソフトで文章を書いている途中に電源がぶっ飛びました。熱を冷ますパソコン用のグッズとか売っているみたいですけど、寺田のようなヘビーユーザーには、そんな対処療法では限界があります。B5サイズのモバイル用ノートをメインマシンとして使っていること自体に、無理があると言われそうですが。
 メインマシンとしてA4サイズのものを買って(15万円前後)、モバイル用にはドコモのシグマリオン(ハンドへルドPC・5〜6万円)を買うという選択もありましたが、出張も含め外で使用する機会が多いことを考えると、モバイルだけどメインマシンに使えるものが理想でした。シグマリオンの大きさだと、ただでさえ遅いキータッチが、ひときわ遅くなりそうですし。実は、SONYのバイオA4ノートの一番安いものを買うつもりでいました。今のもバイオですが、B5サイズのバイオはもう、怖くて買えません。
 それにしても、20万円代後半で買った物が、これだけ故障したあげく、3年ちょっとしかもたないのって、あまりにも消費者を馬鹿にしています。修理に出せば、軽く4〜5万円は取られますし。SONYだけじゃないと思いますが。そういえば、3年前に天満屋の篠原コーチが寺田と同じ機種(若干の違いがあったかも)を使ってらっしゃいましたが、まだ現役なんでしょうか。
 そんなこんなで、パソコン雑誌を見ていると、LOOXのB5サイズで重さ1.75kgってのがありました。今のB5バイオも、大容量バッテリーを付けて持ち運んでいるので、1.8kgあるんです。B5のLOOXはコンボドライブ(CD−RW&DVD−ROM)内蔵でバッテリーは6時間持続(カタログ値。実際は4時間くらいか?)、福島の幸せ元助教授のように移動中にDVDで映画が見られます。お値段も18万9800円でなんとか許容範囲。20万円を超すと、減価償却も不利になりますしね。
 土江選手が持っているのは同じLOOXでもSシリーズで、コンボドライブを内蔵しない今年の春モデル。重さは900g前後だったと思います。寺田はある程度大きさがあった方が、若干の使いやすさを感じていますので、一回り大きなやつです(土江選手もメインマシンは別に持っているのでしょうが)。問題は、故障したときにグチを書けないってことです。SONYの社員に知り合いは1人もいませんが、富士通社員の知り合いは、ざっと20人いますから。いや、それはそれ。


■5月30日(金)
 5月30日か。何を書こうかな。5、3、0。ご、さん、ゼロ……いえいえ、誤算ばっかりです。原稿は遅々として進まず、「何日までにはできるだろう」と計算した仕事が、その通りに終わることのほうが例外的。さらに一昨日は、誤算どころか誤報までやらかしてしまいました(28日の日記参照)。誤爆よりも罪は軽いですけど、猛反省中。
 そして昨日の日記です。高校駅伝の参加校数を間違えてしまいました。以下のようなご指摘を受けた次第です。
2000年のデータで、小学校の数は24106校です。
高校駅伝の都道府県予選会出場校は、過去15年間では男子で最高1600校
くらい、女子は1000校くらい。兵庫や福岡のように「県内地区予選」を
やっているところもあるので、実際はもう少し多い。

 全国高校駅伝のプログラムに、その年の正確な参加校数が記載されているというので確認したところ、2001年のプログラム(取材には行っていませんが、O原記者が送ってくれました)ですが男子は1787校、女子は1003校でした。
 なんで4000校なんて記憶していたのでしょうか。記事を書くときはこの手のことはしっかり確認するのですが…。まあ、小学校のマラソン大会優勝者がたくさんいるという部分は、こちらの計算以上だったわけで、論旨が大きく狂うことはなかったのですが、それにしてもお粗末。駅伝でお粗末な走りを見せないのが磯松(大輔・コニカ)。
 誤算のうちに入るかもしれないのが、ゴールデンゲームズの“四一郎”対決です。男子5000mA組(最終組)で4人の“一郎”が対決することを22日の日記で紹介しましたが、結果的にはドラマ「ムコ殿」効果で波に乗る上野裕一郎選手こそ高校歴代4位と快走しましたが、残りの奥田真一郎(NEC)と秋山羊一郎(同)、瀬戸口賢一郎(旭化成)の3選手のうち、奥田・秋山のNECコンビは欠場、瀬戸口選手はB組に回ってしまいました。期待していた対決だったので、個人的には誤算と言えば誤算です。
 ゴールデンゲームズの地元・旭化成にとって誤算は、永田宏一郎選手がA組の“○一郎”対決に加われなかったこと。永田選手が出場したD組は外国選手が集まった組。最終的に日本人トップもこの組の小川博之(日清食品)選手でしたから、D組に出ることイコール不調ではないのですが…。一時はトラックの“ポスト高岡”最有力候補と言われた選手。九州実業団で28分31秒66で走ったくらいでは、ファンは納得しません(長距離関係者も)。期待されているのは裕一郎だけではないのです。宏一郎も頑張れ!(締めが陳腐ですが、宏一郎もムコ入りしろ、なんて書けませんし…)


■5月29日(木)
 唐突ですが、箱根駅伝に出場した選手と一緒に走ったことがある人間は、何人くらいいるのでしょう。小学校のマラソン大会で一緒に走った人間が、数年後に箱根駅伝を走ったというケースは除きます。市民マラソンなどのケースも考えられるので、箱根駅伝選手と50m以内の差でフィニッシュしたという条件もつけましょう。そうすると、実はそれほど多くはないのではないでしょうか。そんな気がします。その希少価値のある体験を今日、寺田はしたわけです。
 今日は10:30からミズノ東京本社で末續慎吾選手の合同取材がありました。記者会見というよりも、懇談会に近い形式。以前にも書きましたが、こういう取材は特定の媒体を持たないフリーランスにとって、とてもありがたい話です。正直、楽なスケジュールではありませんでしたが、なにせファイナリスト&9秒台&19秒台を“やったるばい”の末續選手ですから、万難を排して駆けつけました。
 早寝早起きの生活パターンが定着しつつあるので、余裕で8:56永山発の多摩急行(小田急)に乗車。多摩急行は地下鉄千代田線に乗り入れているので、ミズノ最寄り駅の新御茶ノ水まで1本で行けます。しかも、永山は始発駅から2つめなので、座ることができました。車内では過去の末續選手の記事を読んだり、今年の取材ノートを読み返したり。気合いを入れました。
 9:51に新御茶ノ水着。時間があったので、駅の近くのカフェでコーヒーを一杯(ちょっと余裕があって、ちょっとだけ幸せなひとときでしたね)。35分ほどしてミズノ社屋に向かいました。信号を渡ると、前方を走っていく人影が。そうです。箱根駅伝出場経験のある読売新聞・近藤記者(2年前のエドモントン世界選手権のときの近藤記者の記事。近藤記者が書いた記事ではない)です。その瞬間、寺田も走り始めました。10:26でしたから、走らなくても間に合うのに、と思う反面、身体が反応していたのです。「ここで近藤記者を抜いたら、ネタにできる」と。
 ところが、意外にも差は縮まりません。近藤記者も全力で走っている風ではなかったので、「抜ける」と思ったのですが。寺田も一応、小学校の校内マラソン大会では優勝したこともあります……って、この程度の経験は、世の中で珍しいことではありません。正確な数字が調べられませんでしたが、全国高校駅伝の予選出場校数が多いときで4000校前後あったと思います。とすると、小学校は全国でその2.5倍は少なくともあるでしょうから、仮に1万校とします。小学校のマラソン大会は通常、学年別・男女別ですから毎年、優勝者は12万人生まれる計算。連勝するケースもあるので10年で120万人とはならないでしょうが、それでも膨大な数の小学校マラソン大会優勝者が世間に存在するのは確か。
 ということで、やっぱり箱根駅伝選手にはかないませんでした。「抜ける」と思った野生の勘は、都会暮らしで鈍っていた……わけではなくて、箱根駅伝ランナーの走力を侮っていたようです。追いかけているつもりが「あれ、あれ、あれ」と離される一方。最後は、J通信社のA記者にも追いつかれてしまいました……これって、単に寺田が遅いってことでしょうか。
 1つだけ言い訳。寺田はとっても重いバッグを持っておりました。他の記者もバッグは持っているでしょうけど、寺田は東日本実業団と、中部・北陸・九州実業団の記事を書ける資料を持ち歩いていたのです。もちろん、末續選手の資料や、請求書を書くための用紙、それにパソコンとICレコーダー。後で重さを量ったら、8.2s。16ポンドのハンマーよりも重い荷物を持っていたのです。
 末續選手ネタ(日記用・品は悪くないはず)もいっぱい仕入れました。仕入れただけでなく、これまで気づかなかった点に気づいたりもして。有意義な一日でした。


■5月28日(水)
 25日と26日の日記を書きたかったのですが、とても無理。またもや超ヤバ状態に突入しています。食事・風呂という生活に欠くべからざる部分さえ、するのが邪魔くさい。日記は一日10分以内と決めましょう。
 今朝も6時半頃に起床して仕事を始めました。13時までにそこそこ長い原稿を仕上げ、その間に電話取材も1本。電話取材の後、50行の原稿を1本書き、なぜか簡単な部屋の掃除をして、16時前に外出して、ファミレスで24行の記事を4本。現在、正確には朝の1時20分。休憩したのは朝食と昼食と夕食だけ。でも入浴もしたし、トイレにも行きました。なんだ、余裕ですね。
 FAXの紙が最後のロールになったので20時前にファミレスから電気屋さんに向かいましたが、途中、電話がかかってきて店までたどりつけませんでした。失敗しました。すぐに終わらせるはずの電話が、ちょっと真剣な話題でしたし、そこそこ大きな仕事の打ち合わせだったので10分もかかってしまい、気が付いたら20時3分。店は閉まっていました――「しまった!」と思いましたが、「そうか!」とひらめきも。「しまった」という言葉の語源はきっと、こんなエピソードからだったのでしょう。マラトンの戦いの故事と同じようなもんですね。
 今日は大失敗を2つやらかしてしまいました。ちなみに「やらかす」という言葉は、たぶんですけど、長距離選手の間の用語です。あんまり聞きませんよね、世間では。土佐礼子選手や渋井陽子選手がよく使っていたので記憶にあったのですが、他チームの誰だっけっかな、やはり使っていました。
 話がずれました。
 高岡選手と室伏広治選手がヘンゲロGPに出るという情報を得たので、トップページで紹介したのですが、どちらも誤報でした。「誤報でした」で済ませていいことではないのですが、詳しく言うと……最終確認を怠った私のミスです。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。頭下げてます。
 原稿、頑張っているのですが、やはり予定通りには進みません。
 でも、日記は書きました。しばらくおやじの時々日記が進んでいなくて、珍しくリードしているな、と思ったのも一時、いつの間にか逆転されていましたから。


■5月27日(火)
 電話取材を何本したでしょうか。
 T選手にY選手、H選手にM選手にもう1人T選手。午前中にN監督にも。夜はYコーチにも(半分取材で半分アポ取り)。ここまで電話をしまくった日も珍しいです。
 2番目のT選手の話では、陸マガ6月号カラー頁の土江寛裕選手の記事が一部では話題になっているらしいです。「おでこが広く見えるが、それは元々のことで、決して生え際が後退しているわけではない」という部分。ベテラン選手だけど、老け込んでいませんよと書きたかったわけですね、寺田は。
 ただ、ここまでの表現をしていますから、本人の了解は取っています。事実と違っていなければ、そこまでする必要はないんでしょうが、本人が気にしている部分だったら傷つけてしまうこともありますので。この話題も突っ込んで書くと、大変なのでここまで。
 原稿が進みません。
 阪神は勝ったのでしょうか。



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