続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
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◆2007年11月14日(水)
 昨晩締め切りの原稿が書き終わらず、今日の昼過ぎまでかかってしまいました。実業団駅伝公式ガイドの資生堂&三井住友海上特集です。K編集者、申し訳ありませんでした。絶対仕上げられると思ったので、法大取材中に「今晩中に」と電話したのにもかかわらず…。
 失敗の原因ははっきりしています。取材でネタを仕込みすぎたこと。あれも紹介したい、これも書きたいといういつものパターンで、話を絞るのができなくなってしまいました。何度も書いているように、プロの書き手としては失格。絞って書く能力があってしかるべきです。
 仕事効率を重視するのなら、取材する段階でネタを絞る能力も必要です。ただ、面白い話というのはどんどん聞けてしまうもの。絞って書く能力ですかね。今の寺田に必要なのは。

 今日は17時から神奈川大で取材。神奈川大の担当は下里和義選手が4年生のとき以来ですから4年ぶり。4年前は合宿所の場所がわからず迷子になってしまいました。今回はかなり余裕を持って出発して、最寄り駅の東横線白楽駅に16:30に到着。どんなに迷っても時間までには着くだろうと余裕をかましていましたが、また迷ってしまって着くことができません。外国でもあまりないですね、ここまで迷うのは。
 恥を忍んで柴田マネに電話を入れ、とにかく神奈川大体育館まで移動。迎えに来てもらうという失態を演じてしまいました。取材以外で余分な手間をかけるとは、これも記者失格。ちょっと落ち込みモードで取材に入りました。
 が、それを表に出してしまったら、さらに良くありません。気を取り直して、余裕があるフリをして取材に入りました。

 最初に話を聞いたのは4年生の石田将教選手。報徳学園OBです。ということは、竹澤健介選手の1学年先輩。あらためて書くまでもなく、竹澤選手は飛ぶ鳥を落とす勢い。きっと会う人毎に「高校時代の竹澤君はどんな選手だった?」と聞かれているはず。同じことをしたら「この人もか」と思われてしまいます。
 そこで、「竹澤君のことは聞かないから」と最初に宣言。別に宣言しなくても、質問しなければいいだけのことですが、そこは仮面ライダーが「行くぞ、ショッカー」と宣言してから攻撃に移るのと同じですね。
 ということはどうでもよくて、石田選手は過去3年間箱根駅伝に出ていないことや、今年の関東インカレ2部のハーフマラソンで入賞していることなどから、タイプを予測して話を聞いたら、まさにその通り。時間があったので、チーム全体のネタも同選手から聞くことができました。
 取材の終了後に「やっぱり竹澤君の話を聞かせて」と、軟弱にも前言を撤回。
 石田選手によると、当時から国際大会を目指すことを口にするなど、相当に高い意識を持っていたようです。ただ、キャラは最近とはちょっと違ったと言います。まあ、これは誰にでもあることで、寺田の高校時代の知り合いが、今の寺田に会ったら別人だと思うでしょう。

 ちょっと間をおいてキャプテンの小村(おむら)章悟選手を取材。箱根駅伝予選会は走りませんでしたが、予選会翌日の高島平20kmで3位と好走しています。普通に考えたらあり得ない状況です。これは、突っ込んだら面白い話が出てくるはず。
 3人目は2年生の森本卓司選手。予選会トップですし、関東インカレ2部1万mで入賞しています。今年の神奈川大では一番スピードのある選手と予想して話を聞いたら、これも的中しました。練習での役割も予想通り。新設の人間科学部一期生でもあります。
 面白かったのは森本選手は鳥取中央育英出身ですが、中学までは兵庫県だったこと。前身の由良育英高だった頃から、同高には兵庫県の選手が多く進学しています。寺田の中では一般種目の選手に多いという印象でした。長距離は報徳、西脇工が県内にありましたし。
 森本選手は竹澤選手の1学年下ですが、中学では近い地域だったようで、何度も同じレースを走ったことがあるのだそうです。
 竹澤選手の高校の先輩と、中学時代の後輩的な立場の選手が、同じ大学にいる。不思議なつながりを感じました。アンチ兵庫派から「またかよ」よ言われそうですけど、それだけ多く兵庫県が人材を輩出しているということです。

 最後に大後栄治監督に話を聞かせてもらいました。小村選手の予選会不出場&高島平出場に関しては、同監督の話を聞いてやっと全体像が理解できました。そして、今年から神奈川大が取り組んでいる新しいテーマも。これは、それだけを記事にしても十分面白いし、逆に、文字数がないと書けないこと。
 面白いお話しでしたが、今回は選手のネタを中心に書くことになると思います。石田選手の20kmという距離に対するスタンスの変遷も面白いし、選手個々で十分、1ページの記事が書けます。3人全員に触れるとなると、面白いネタをカットしなくてはいけないでしょう。果たして、手際よくできるかどうか。ちょっと嫌な予感が…。

 取材終了は21時頃。
 白楽駅前のマクドナルドで仕事にかかりましたが、今日はサイトのメンテナンスやメール対応がしてなかったので、それだけで1時間以上かかりました。昨日の日記を書いたところで閉店時間。神奈川大の原稿には取りかかれませんでした。駅前原稿プロジェクト(昨日の日記参照)は早くも挫折しました。


◆2007年11月15日(木)
 今日は終日、自宅で仕事。
 実業団駅伝公式ガイドの福士加代子選手と吉川美香選手の原稿を書き上げました。福士選手については、タイミング的に難しいこともありましたが、コンセプトが実業団駅伝と決まっているので、迷うことなく書けたと思います。吉川選手も今年は、中距離のスピードを生かせる区間への出場と焦点が明確なので、こちらも書きやすかったです。
 パナソニックは、沖電気から移った平良茜選手も全日本には出られますし、体調不良で東日本予選を欠場した杉原加代選手も、岐阜には間に合うといいます。世界ロード6位のキムウェイ選手もいますから、かなりやりそうな布陣です。

 昨日の日記を書きました。兵庫県選手のネタを書いていまして、またかと思われた方も多いと思われます。ただ、本当に、こちらから兵庫県選手ネタを探しているわけではありません。通常の取材活動の中で、兵庫県選手やその情報に接する機会が、自然と多くなっているのです。

 13日の日記で福島弁について触れました。「頑張るぞ」の福島特有の言い方は特になくて、イントネーションが違うだけだという話を、福島県出身の選手たちから聞いたという話でした。これに対して以下のようなメールをもらいました。

福島弁で訛らせると「頑張っぺ」になるのではないでしょうか。
これだと独り言っぽくなりますね。
2人で声を合わせて、という感じだと「頑張るべ」です。
ただ、これだとありきたりになるので、「頑張っぺね」がいかにも方言らしい表現になります。


 なるほど。東北地方特有の語尾の上げ方で話すときは、「頑張るぞ」よりも「頑張るべ」の方が発音しやすいかもしれません。という話を福岡国際マラソンの取材中にしようとは思っていませんけど。


◆2007年11月16日(金)
 14時から赤坂のホテルで東京国際女子マラソンの記者会見を取材。
 先に外国3選手(ジェノベーゼ、バルシュナイテ、コスゲイ)の会見が行われ、フォトセッションを挟んで後から、日本の3選手(大南博美、野口みずき、渋井陽子)の会見。
 外国選手の会見ではよく、その国の五輪選考方法などの質問が出ます。その質問に対しバルシュナイテ選手(リトアニア)はすでに北京五輪代表に決定済みで、今回のレースは2年後のベルリン世界選手権の選考材料となると話していました。競技人口の少ないヨーロッパでは有力選手の数も限られるため、意外と早く代表が決まっています。ただ、五輪前のレースですでに、五輪翌年の世界選手権の代表選考が始まっているというのは、ちょっとビックリ。所変われば、選考方法も変わるということです。

 フォトセッションでは、選手たちが手を重ね合わせるポーズが恒例です。あれって、球技などでチームメイトたちが一緒に頑張るぞ、という雰囲気があると思うのですが、どうなのでしょうか。ですからマラソンレース前に、これから戦おうという選手同士がやるポーズとは思えない。一緒に記録を出しましょう、という意図ならわからないでもないのですが。
 ところが、さすがに今回は野口・渋井対決を強調したいメディアが多いのか、手を重ね合わせるポーズのリクエストはありませんでした。

 日本3選手の会見の様子は記事にしたとおり。朝日新聞・堀川記者の当意即妙を得た受け答え……ではなくて、質問ぶりが緊張感を上手い具合に緩和していたように感じました。
 記者会見が行われると、いよいよという感じで雰囲気が盛り上がってきます。もう何10回と経験していることなのに、緊張感で押しつぶされそうでした。これが福岡国際マラソンになったら、有力選手の数がもっと増えます。緊張しない方法を考えておかないと。考えてどうなるというものではなく、どれだけ腹をくくれるか。頭で意識してもダメかもしれません。

 今日誕生日の蠍座の男は渡辺真一選手(山陽特殊製鋼)。中学時代は全日中、ジュニアオリンピックともに2位。1位は両大会とも石本文人選手でしたが、その石本さん(ブログ)によれば、渡辺選手のラスト1000mはものすごく強かったそうです。2分30秒台だったとか。
 なんでも、石本選手の背中を叩くなど、合図をしてスパートしていたといいます。これは、「行くぞ、ショッカー」と宣言してから攻撃に移る仮面ライダーと同じ。と思うのは早計でしょう。石本選手とは同じ近畿地区同士で何度も対戦していて、気心の知れたライバル同士。レースパターンも熟知した者同士で、今さら隠す必要もない。むしろ、合図をして一緒にペースを上げることで、他の選手を振り切りやすいというメリットもあったと思われます。


◆2007年11月17日(土)
 東京国際女子マラソン前日
 新聞記者たちは早朝練習取材のため朝の6時台に赤坂のホテルに行ったようですが、寺田は原稿を優先。大阪国際女子マラソンや福岡国際マラソンなど出張取材の場合は、金曜日会見でも土曜日も取材に行きます。それが東京開催の場合は“日常”に意識が近くなってしまって、取材よりも原稿に追われてしまいます。
 昨日の日記で散々、緊張感が違うと書いていてこれですからね。意外と落ち着いているのかも。この辺の感覚というか、行動パターンは、いつもの世界選手権と日本開催の世界選手権の違いに近いかもしれません。

 締め切りは箱根駅伝増刊の神奈川大。14日の取材ではネタを仕入れすぎた感じがありましたが、原稿を書く段階で上手く整理できました。ただ、文字数が限られていることに変わりはなく、余ったネタもあまたあります。本番で活躍したとき、将来、実業団で活躍したときにストックさせていただきます。

 意外と落ち着いていると書きましたが、夜になって取材準備などをしていると、緊張感が異常に高まってきました。記者が緊張しても何の意味もないのですが。
 夜、TSUTAYAに行って借りていたCDを返却した際、思わずコメディ映画のDVDを借りてしまいました。気持ちを落ち着けるのにいいかな、と思って。こういうときは、瞬間芸的に笑わせるfarceではなく、ストーリーで笑わせるcomedy(シチュエーション・コメディ)でないとダメです。最近、三谷幸喜がお気に入りなので、「ラヂオの時間」を借りました。

 今日が誕生日の蠍座の女は近藤高代選手。蠍座の男子選手で統一してきましたが、近藤選手だけは特別です。理由は全日本実業団で4m40にバーを上げたとき、「4m37では男らしくない」と言い切ったから……ダジャレ系統で笑いを取ろうとするのがfarceとするなら、このように“蠍座の男”を書き続けていて、例外的に“蠍座の女”を出すのはcomedyのつもりです。


◆2007年11月18日(日)
 東京国際女子マラソン取材。スタート1時間半前に着いたのに、プレス室に充てられた国立競技場の会議室(?)は満席です。会見場にもテレビが置かれていたので、そこの椅子に腰掛けてテレビを見ることに。その後、最前列には急きょ、テーブルが持ち込まれていました。

 トラック&フィールドや駅伝と比べ、マラソン取材は記者の能力で取材機会が増えるわけではありません。レース前に選手と接触することはできませんし、レース後の上位選手の動線は限られていて、話を聞く機会はすべて共同取材となります。今回で言えば野口みずき選手はまさにそうでした。
 では、どこで差が生じるかといえば、まずは事前取材(下調べ)の能力。当日に、どんな資料を持っていくか。今回であれば35kmからの5kmに要したタイムの資料がビンゴでした。テレビ局も用意していたようですが。当日であれば、指導者など関係者への取材能力も大きいでしょう。
 あとは、同じ材料でも活用の仕方で媒体上の展開は違ってきます。同じ映像を見ても、同じコメントを聞いても、記者の知識や能力で応用の仕方が違ってきます。何と結びつけるか、どうストーリーを展開させるか、という部分ですね。

 敗れた有力選手への取材も記者たちが殺到します。ただ、選手も話せない状況にあることが多々あります。今日だったらフィニッシュ直後の渋井陽子選手に話を聞くのは無理と判断。寺田の場合、こういうケースで難しいと判断したらあきらめます。敗因は指導者に聞けばいいことですし。
 それでも、直接聞くことができればベターですから、表彰式後に様子をうかがっていました。各社記者たちも渋井選手が話せる状態かどうかを確認するように後を着いていきます。夜のTBSのニュースで、渋井選手の後ろを怪しい目つきで着いて歩く寺田の姿が映っていました。あれは格好悪かった。
 今日の渋井選手は記者たちの問いかけに、ある程度は答えていました。つらくないはずはありません。正直、取材する側もつらいのですが、ここは仕方ありません。2週間後の福岡でも勝者と敗者が色分けされるのだと思うと、ちょっと複雑な気持ちになってきました。でも、それが競技スポーツです。

 尾崎朱美選手にもひと言聞きたいと思ったのですが、なかなかドーピング検査室から出てきません。待つこと数10分。その間も指導者たちと話をできますから、無駄にはなりません。天満屋の武富監督には、駅伝展望記事用にコメントをもらえましたし。
 その後、大会本部ホテルに移動。フェアウェルパーティー前に30分ほど会見の様子を原稿に起こしました。
 パーティーでの取材は基本的にNGなのですが、取材が殺到しない選手の場合は状況を見て二言三言、話すことはできます。治外法権的な***記者と一緒に話を聞くという奥の手もあります。しかし、パーティーに顔を出した一番の目的は……。


◆2007年12月1日(土)
 いよいよ明日は福岡国際マラソン。昨日から福岡入りしています。
 日記が書けなかったのは早い話が忙しかったからですが、予定を……と言い訳をするのはやめて、素直に反省したいと思います。とにかく、仕事が遅い。それに尽きると思います。

 昨日は会見の取材が中心でした。陸マガの12月号にも書きましたし、あちこちで紹介されているので改めて書くまでもないのですが、会見記事で日本選手ビッグ4と見出しをつけた4人は錚々たるメンバーです。ちなみに、一番ビッグなのは高岡寿成選手。フォトセッション後に「また背が伸びた?」と聞いたのですが、それはないとのことでした。
 この4人、色々な組み合わせで見ることができます(4選手のマラソン全成績一覧)。高岡選手と藤田敦史選手の新旧日本記録保持者対決とか、○○対決という表現は好きではないので、“○○の組み合わ”せという書き方で紹介したいと思います。

 やはり、一番の話題は2時間6分台の記録を持つ日本選手2人が、同じレースに出ることです。2時間6分台は過去、犬伏孝行選手、藤田選手、高岡選手の3人しか出していません。そのうち2人が一緒のレースに出ることが、初めて実現する。2週間前の東京国際女子マラソンで、女子で初めて2時間19分台2選手が同じレースに出場しましたから、歴史的なレースが続くことになります。
 これも一番の話題と言っていいと思いますが、オリンピックのトラック入賞者(シドニー五輪1万m7位の高岡選手)と、マラソン入賞者(アテネ五輪マラソン5位の油谷選手)が同じレースに出場するのも、本当に久しぶりのこと。近年では高岡選手しかトラックで入賞していません。諏訪利成選手との“としなり”対決は2003年の福岡でありましたが、そのときはまだ、諏訪選手がアテネ五輪で6位入賞する前でした。
 いつ以来なのかは、ちょっとわかりません。1964年東京五輪で円谷幸吉選手が1万mで入賞していますから、円谷選手と君原健二選手の同時出場が東京五輪以降にあれば、それ以来ということになると思われます。

 藤田選手と佐藤敦之選手の“福島対決”“あつし対決”(やっぱり対決とした方が書きやすいですね)は今年2月の別大で実現していますから2度目。それでも、新鮮味がないと思うのは早計でしょう。あのときは2人とも、“力まない練習”に主眼を置き、言ってみれば手探りの状態で試したレースでした。その後、これも陸マガに書いたように、別大を1つのたたき台に、自身の持ち味を加味して万全の状態で今回の福岡に臨んでいます。
 “試し”の段階で対決した別大と、“結果を出すため”に対決する福岡では、意味合いが大きく異なります。これに注目しない手はないでしょう。
 油谷選手と藤田選手の“同学年対決”も、01年の世界選手権エドモントン大会以来2度目。野口・渋井の同学年対決はお互いに、相当意識していました。油谷選手は01年のびわ湖で2時間7分台を出した後、藤田選手について質問されたとき「ノーコメントです」と言っていましたから、当時は相当に意識していたと思われます。今はどうなのでしょう? だからなんだ、という結論はないのですが。

 油谷選手と佐藤選手の中国電力対決は3度目。2度目は03年のパリ世界選手権。最初は00年のびわ湖マラソンで、実は2人ともそれが初マラソンでした。佐藤選手は当時早大3年で、前年に藤田選手が出した学生記録を更新しました。中国電力に入社することはほぼ決まっていたようで、油谷選手もそれは知っていたそうです。
 油谷選手は「いつ離れるのか」と思って走っていたら、自分が先に集団から後退してしまったと話していました。しかし、翌01年のびわ湖で前述のように2時間7分台を出し、佐藤選手の入社を余裕を持って迎えられたようです。坂口泰監督が以前、そう話していました。
 高岡選手と佐藤選手の対決は、01年福岡以来2度目。この2人に関するネタは……特に思いつかないのですが、強いて言えば日本記録でしょうか。高岡選手が3000m・1万m・マラソンの日本記録保持者で、昨年までは5000mも持っていました。3000mからマラソンまでの距離で唯一出せなかったハーフマラソンの日本記録を、10月に出したのが佐藤敦之選手ということになります。高橋健一選手のハーフマラソン前日本記録も、レベルが高いと思われていました。高岡選手の5000m日本記録も、1万mよりレベルが高かった。「難しいと思った記録から破られていきますね」と、10月の取材時に高岡選手は話していました。

 さて、その4人が決戦前夜に何を食べたのか、取材をしました。大会本部ホテル内での取材は禁止ですから、食事に行くとき(藤田選手)、帰ってきたとき(他の3選手)に、ホテルの外で話を聞きました。取材というよりも、雑談です。ちなみに、佐藤選手は杉森美保選手と一緒でした。
 面白いことに、その佐藤選手だけが「炊き込みご飯というか、釜飯」で、残りの3選手は「うどん」でした。佐藤選手が勝てば“非うどん選手”が勝ったということになりますが、他の3選手が勝ったら“うどん選手”が勝ったということで、差がなくなってしまいます。何うどんを食べたかを聞かなかったのが失敗でした。
 という感じで、決戦前日の博多の夜は更けていったのでした。


◆2007年12月2日(日)
 昨年はアジア大会直前で単行本の仕事などを抱えていたため、師走の福岡に行けませんでした。ということで、2年ぶりの福岡国際マラソン取材。朝はけっこう早く起きましたが、抱えていた原稿を書いていたため結局、ホテルを出発したのは10:15。最寄りの中洲川端駅で、大濠公園方面の出発ホームが2個所あって、これが理解できずに1本後の電車になってしまいました。プレス席の席取りはお願いしていたので焦る必要はないのですが、先々週の東京国際女子マラソンがすごい混み方だったせいか、気が急いていた感じです。
 平和台競技場に到着すると知己の関係者や記者たちに挨拶しながら進んで行くので、若干速度が鈍ります。これは仕方ありません。プレハブ・プレス室には11時少し前に到着。予想したほどの混み具合ではありませんでした。
 もっとびっくりしたのは、カメラマンの数です。東京国際女子マラソンでもスタートの絵を撮ろうとしましたが、フィニッシュ正面のポジションはプロのカメラマンたちでいっぱい。安っぽいカメラを手にしたライターが入り込む余地はありません。
 それが今日は、スタート時もフィニッシュ時も、寺田が入り込む余地がありました(どちらもカメラマン申請はしています)。東京と福岡の違いなのか、男女の注目度の違いなのか…。

 とにかく、佐藤敦之選手(中国電力)の強さが光りました。30kmまでに余裕のある選手とない選手では、あそこまで差がつくのだということを、見せつけられました。油谷選手が2位確保を意図してもう少し早く集団から離れていれば、もう少し差を小さくできたでしょう。でも、今日の佐藤選手の脚勢を見たら、それでは勝てないのは明らかです。
 前半の5km毎が15分10秒〜20秒のレースになって、後半でペースアップする展開でも、2時間8分前後は出ます。その展開だったら、他の選手にもチャンスがあったかもしれません。しかし、どの陣営も今日のペースを想定して練習を積んできたはずですから、言い訳はできません。実際、寺田の知る限り、どの選手からも言い訳がましい話は出なかったと思います。

 その佐藤選手もアフリカ2選手に後れをとって3位という順位でしたが、これはどうしようもありません。スピードマラソンで彼らに勝つというのは、ちょっとやそっとでできることではないのです。選手層が絶対的に違いますから、欧米の賞金マラソンや日本の冬のマラソンでは、そのうちの“誰か”が必ず力を発揮します。アフリカ勢の進出状況も、男女差がある部分。
 例えばハーフマラソンでいえば、2007年リストで1時間00分30秒以内が、日本人1人(佐藤選手)に対してアフリカ選手は23人(他にアメリカ1人、ブラジル1人)。そういう状況で戦っているのです。今回、佐藤選手が30秒差にとどめたのは、トラックやハーフマラソンの現状を考えたら、大健闘だったと思います。

 これがオリンピックや世界選手権になれば、話は違ってきます。理由はあらためて書くまでもないので省略しますが。今、日本選手が一番勝つのが難しいのは、ロンドン、シカゴですね。これは間違いないでしょう。佐藤選手からも「2時間5分台を狙うときは」という発言が出ました。09年には、両大会への再挑戦があるかもしれません。

 レース後は共同会見で松宮祐行選手(早めに後れたのは腹痛のため)、佐藤選手、ワンジル選手を取材。その後は“あちこち”で選手、指導者をつかまえます。平和台競技場はそれが一番困難なレイアウトになっているのですが、最近やっと、コツがつかめてきました。坂口監督、油谷選手、高橋謙介選手らを取材。ドーピングルームから出てくる藤田敦史選手を最後まで粘って待って、なんとか少し取材ができました。
 コツがつかめてきたと書きましたが、少ないですね、この人数は。東京国際女子マラソンといい、福岡国際マラソンといい、不満が残ります。その分、福岡の場合は大会本部ホテルの西鉄グランドホテルが取材のしやすいレイアウトになっています。千里阪急ホテルと以前は双璧でしたが、大阪国際女子マラソンが別のホテルになったため、現行の6マラソンでは西鉄ホテルが一番でしょう。

 西鉄グランドホテルでは幸運にも、高岡寿成選手に話を聞くことができました。これは独占取材に。前向きな発言を聞くことができて、ホッとしました。
 負けた選手への取材は神経を使います。寺田の場合はもとから、落ち込んでいる選手から何が何でもコメントを取る、という姿勢ではありません。相手の状態を見ながら話しかけるようにしています。今回、五輪代表を狙っていた選手たちでは、最年少の佐藤敦之選手でも29歳。レース後も皆、しっかりと話ができる状態でした。
 女子ではときおり、話ができなくなる選手が見受けられます。それほど多くありませんが、男子よりは確実に多い。どちらが良いとか悪いではなく、これも男女差なのかもしれません。


◆2007年12月10日(月)
 15時から箱根駅伝チームエントリー会見、18時から主要大学指導者たちによるトークバトルを取材。場所はともに恵比寿ガーデンプレイスです。チームエントリーの段階ではまだ、有力選手が漏れるなど、よほどのことがない限り競技的な取材をする必要はありません。どちらかというと、イベントをやって世間の興味を箱根駅伝に向けようという意図だと解釈しています。
 実際、昨年はアジア大会出張中かその前後で、このイベントには行きませんでした。今日は来ないだろうな、という記者の顔も思い浮かびましたし、その予想は的中しました。その代わりといってはなんですが、普段の陸上競技取材とは違うメディアの方が多く来ます。それが良いとか悪いではなく、そういう違いがあるということです。

 では、何をしに恵比寿まで足を運んだのか?
 それは、無駄にはならないから。これだけ関係者が集まれば、必ずネタを拾えます。トラック&フィールドのどんな小さな大会でも、同じことがいえますけど。今日のネタで面白かったのは、熾烈な“プレッシャーの掛け合い”が演じられていたことです。

 まずは記者会見。前回&予選会の成績順に各監督が抱負を話していきます。15番目の大東大・只隈監督が最後に「個人的には大後監督には絶対に負けたくない。このところ神奈川大が近くをちょろちょろしている。本番では大後監督の乗る伴走車をできる限り離してゴールしたい」と言えば、16番目の神奈川大・大後監督も「大東大だけには負けたくない」と返します。2人の意地と意地が火花を散らしました。
 2人が実は仲が良くて、人前では意図的にライバル関係を装っているのは周知のこと。しかし、その理解だけにとどまっては、本当の面白さはわかりません。通のファンはさらに一歩踏み込んで考察する必要があります。紙幅の都合もあるので、詳しく書くのは次回に譲ります。

 もう1つは、優勝候補大本命の駒大に、各大学がプレッシャーをかけていました。まずは会見中に、中大・田幸寛史監督が口火を切りました。「どこの大学をマークするのか。複数回答はいいけど、全大学という答えはNG」という問いに対し、1番目(前回優勝校)の順大・仲村監督が「自分たちがどう戦うかが大事。自分のレースに集中する」と答え、日大・小川監督、東海大・大崎コーチ、日体大・別府監督、東洋大・川嶋監督、早大・渡辺監督、駒大・大八木監督と異口同音の回答。
 8番目の田幸監督が初めて「自分たちの駅伝をするだけなので、どこかの大学に合わせたりはしませんが、右隣(駒大)がどんなレースをするかは気にしています」と、駒大の名前を挙げました。会見後のパーティー中にも「もっと駒大にプレッシャーをかけよう」と発言していたようです。これは、非難されるべき行動ではありません。そのためのイベントなのですから。
 それを聞いたからなのか、成り行きだったのかわかりませんが、トークバトル(順大、東海大、日体大、東洋大、早大、駒大、神奈川大の指導者が参加)中には駒大包囲網ができていたように感じました。優勝校はどこかをフリップに書くコーナーがあったのですが、最初に開示を求められた仲村監督が「全員一緒に出しましょう」と提案。もちろん、大八木監督以外は“駒大”と書いています。プレッシャーをかけようとしたのでなく、同じ回答を繰り返すのを避けようという、仲村監督の配慮だったのかもしれません。
 その点、東洋大・川嶋監督の意図は明確でした。「駒大優勝の確率は95%。これでプレッシャーを感じてくれればいいのですが」とコメントしていました。

 しかし、今日一番えげつないプレッシャーのかけ方をしていたのは、他ならぬ寺田でした。寺田のやったことに比べれば、只隈・大後コンビも、田幸・川嶋両監督の発言もかわいいものでしょう。
 誰に対してかけたのかといえば、言わずもがな。ライバルの某専門誌・O村ライターたちに対してです。周知のことと思いますが、陸マガの箱根駅伝増刊は12月8日にすでに発売されています。それに対して某専門誌の方は12月下旬発売。ライターたちは締め切りのまっただ中に身を置いています。
「原稿、書き終わったの? 後からだと、同じネタじゃ書けないから大変だよね」
 我ながら、極悪非道のきわみです。陸マガ関係者はやんやの喝采をしていると思いますが、やった身としては寝付きが悪い。今度、謝っておこう。


◆2007年12月11日(月)
 昨日の日記で触れた大東大・只隈監督と神奈川大・大後監督が犬猿の仲を装っている話題ですが、単に“箱根駅伝で優勝経験がある学校で現在は低迷している”という共通点を見つけるだけではダメなのです。
 ヒントは昨日の会見中にもありました。マークするチームはどこか? という質問に対し只隈監督が「強いて言えば神奈川大の伴走車をコテンパンに離したい」と発言。それに続いて大後監督が「エースを抱えているチーム、そうでないチームとあって、色々なレース展開がありますが、同じチームスタイルの大学、同じ展開をするところには負けたくない」とコメントしています。
 予選会の順位が1つ違いだったことからわかるように、両校は似た戦力と言えなくもない。“同じスタイル”“同じ戦力”にどうしてなっているのか、という部分を考える必要があると思っています。

 これも昨日の話ですが(今日は特にネタがないので)トークバトルでは順大・仲村明監督、東海大・大崎栄コーチの順で登場したので、「千葉県コンビだ」と共通点を見つけました。
 その次の登場が日体大・別府監督だったので、198?年の高校駅伝で優勝を争った八千代松陰高と西脇工高の組み合わせでした。
 その次は東洋大・川嶋伸次監督。別府監督とは日体大で同学年でした。川嶋監督の方が若い印象がありますが、川嶋監督が2000年のシドニー五輪に出場していることが、そういう印象を周囲に持たせているのでしょう。現役を長く続けていたかどうかに左右される部分です。
 その次の登壇は早大・渡辺康幸監督。仲村監督とは市船橋高のOBコンビ。3人目の千葉県出身者です。
 次が駒大・大八木監督で、このときだけは共通点が見つけだせませんでした。箱根駅伝や全日本実業団対抗駅伝を細部まで見直せば、他の監督たちと何らかの接点はあったと思いますが。
 最後が神奈川大・大後栄治監督。当初は司会の日本テレビ・アナウンサーの隣で、関東学連駅伝部署のトップという立場で、各監督に突っ込みを入れる立場で登場しました。「それはまずいだろう」という声が会場で挙がったのですが、その役目はすぐに青葉会長にバトンタッチ。監督の立場で席に着きました。日体大OB3人目でした。

 ということを考えながら昨日のトークバトルを見ていましたが、今日、「箱根駅伝2008」の出口先生の記事を読んでいて、感服しました。今回出場する19大学の監督19人の、現役時代の実績やその後の半生を紹介しているのですが、共通点の見つけ方、各監督の接点の見つけ方が半端じゃありません。
 最初に川嶋監督、別府監督、城西大・平塚監督、東農大・前田監督の日体大OB4人から書き始めていますが、そこに亜大・岡田監督、大八木監督、只隈監督と続くところなど、駅伝ファンが読んだらゾッとしますね。岡田、大八木、只隈の3監督の人生の軌跡を“人生は「塞翁が馬」という故事とともに、どんな条件になっても、希望を見失わない姿勢の大切さを感じる。”と結んでいます。感動しました。

 続いて順大OBの山梨学大・上田監督、中央学大・川崎監督の指導者像を浮き彫りにするくだりでは、これでもか、とばかりに人生のなんでしょう、何か大事なものを訴えかけてきます。順大OB3人目の仲村監督に関しては“本丸の順大を守る”という表現に重みがあります。
 仲村監督の、澤木前監督の跡を継いだプレッシャーはおそらく、並大抵のものではなかったことと思います。キャラクターも澤木前監督とはまったく違います。
 それでも、順大の伝統というのは確実に受け継がれたと感じていました。今回、寺田が順大記事を担当させてもらいましたが、その辺を少しでも紹介できたらと思って、P16からの記事になりました。
 これを書いてしまうと来年から、書くことがなくなってしまうんじゃないか、と自分では感じているくらい。言ってみれば、順大長距離記事の決定版。のつもりですが、記事中にもあるように、チームが新しくなればネタはまた出てくるでしょう。仲村監督も昨日、それをにおわせる話をしてくれました。
 とにかく、箱根駅伝2008、買って損はないと思います。


◆2007年12月28日(金)
 久しぶりの日記です。さぼっていたわけではないのですが、「そんなことでいいのか」という声もちらほら届くようになったので、年を越えないうちに再開することに。
 ということで、今日のキーワードは“そんなことでいいのか”。朝日新聞・堀川記者の口調をイメージしてもらえると味が出るのですが、同記者の記事を読んだことはあっても声までは聞いたことはない、という読者がほとんなので、意味のないお願いです。“そんなことでいいのか”。

 今日は電話取材とそれに準ずる(?)電話を6〜7本しました。大半が陸マガ用の全日本実業団対抗女子駅伝の追っかけ取材です。同駅伝が行われたのは12月16日。11日も間を空けてしまったことになります。“そんなことでいいのか”。
 言い訳をさせてもらうと、16日の取材後にページが多くなって、特集が1つ増えたのです。17日以降はもう、別の取材と締め切りが立て込んでいて、どうにも動きがとれませんでした。正確に言えば“動き”だけならとれたと思います。気持ちの切り換えができなかったという方が正しいでしょう。“そんなことでいいのか”。

 17日以降が立て込んだ理由の1つに、箱根駅伝関連の共同取材と記事執筆が挙げられます。12日に東海大、14日に中大、17日が日体大。一応、この3つは駅前原稿に近い形で記事は書きました。サイトにアップしたのは数日後ということが多かったですけど。
 初めての体験をしたのが中大取材に行くとき。新宿から乗った京王線が、どこぞの駅近くの人身事故のためストップ。車内に45分ほど閉じこめられました。取材には25分ほど遅刻することになりましたが、K藤ライターからコメントをもらって事なきを得ました。
 途切れていたこの日記ですが、実は12日の分は書きかけていました。箱根駅伝前になると出場区間を予想する記事が出ます。当然、記者たちがあの手この手で聞き出すわけです。以前は「この選手は、この区間で間違いないだろう」というケースだけは、現場サイドも情報を出していました。あとは性格的に「そんなの隠したってしょうがない」「優勝争いでもしない限りは関係ない」と考える指導者たちくらいでした。
 その辺が最近は、より大らかになってきた感じがします。「正式決定をするのはレース直前。事前取材で何を言おうがかまわない」という雰囲気が、指導者・選手の間にも浸透してきている感じを受けました。ということを、個々の例を出して検証しようとして、手間暇をかけているうちに書けなくなってしまったのです。まあ、よくあるパターンですね。
 先週の中盤は某メディアのニューイヤー駅伝記事の締め切りがあり、19日の駒大共同取材はもう、どうにもなりませんでした。大本命チームの取材に行けなかったわけです。“そんなことでいいのか”。

 先週末の土曜日は京都で全国高校駅伝の前日取材。しかし、翌日曜日は日体大長距離競技会を取材しています。大会の“格”としては全国高校駅伝の方がはるかに上です。その現場にいったん行きながら、翌朝には引き返したわけです。“そんなことでいいのか”。
 実は、京都行きは全国高校駅伝のレース取材のためではありません。その目的をひと言でいえば“目指せ関西人”。東京国際女子マラソンの追いかけ取材で野口みずき選手と広瀬永和コーチの取材をさせてもらって、同コーチの“こてこて関西人ぶり”に大きな感銘を受けました。単なる関西人(これも定義が難しいのですが)ではなく、陸上競技人としての関西人(さらに定義が難しい)。
 これを説明すると長くなるのですが、野口選手がただひたすら、2大会連続金メダルを取ることだけに凝り固まってトレーニングに明け暮れていたら、さすがの野口選手でもしんどいと思うのです。そこを上手く緩和(コントロール?)しているのが広瀬コーチの“関西人”ぶりではないでしょうか。練習現場の2人の雰囲気が緊張感に満ちていることは、昨年のサンモリッツ合宿の記事(陸マガ9月号)に書いています。あとは、1月号の2人のインタビューの最後を読んでいただければ、寺田のいわんとするところは理解できると思います。

 京都には早狩実紀選手もいますし(アメリカ合宿中?)、関西に行けば何かしらプラスがあるだろう、という判断での自費出張でした。実際、収穫はありました。レース前とはいえ、3人の渡辺先生(仙台育英、豊川工、西脇工)と2人の角先生……ではなくて両角先生のお話を聞けました。
 京都の地下鉄で“スルッと関西”(関東でいうパスネット)が使えることも判明。移動が楽になりました。京都の四条通りを“よんじょう”ではなく“しじょう”と読むことも、京都の大学出身の朝日新聞・小田記者から教えてもらいました……これは去年だったかも。記事を書くときに私情をはさむなとか、重箱をつつくデータで“史上何回目”などと書くなとか、記者としては当然の心得ですが。

 日曜日に日体大に行ったのは、福士加代子選手が1万mで自己記録を狙うと聞いたからですが、当日の朝に欠場する情報を入手。その時点ですぐに西京極に向かえば、高校駅伝の男子レースには間に合います。名古屋駅の新幹線ホームでしばし考えましたが、日体大では赤羽有紀子選手もA標準を狙うと聞いていました。他にも何か起こりそうな予感がしたので東海道を東上することを決心。名古屋←→京都間の電車代を節約しただけではないかという憶測もありますが、真実は伊勢湾の海底深く沈んだままです。
 その日は、朝までの雨が嘘のような晴天でした。新幹線車内から珍しく、富士山をくっきりと見ることができたのです。神戸新聞・大原記者から「開会式に姿を見せたという情報があったのですが…」という携帯メールに対し、「福士さんも福士選手(西脇工高)も見られませんが、富士山が綺麗に見えました」と返しました。このあたりは、静岡男児の心意気とでも申しておきましょう。

 週明けは箱根駅伝速報号(ベースボール・マガジン社)の出身県企画の原稿書きというか、データ分析にかなりの時間を費やしました。その締め切り日というのに、26日には陸連のアスレティック・アワード2007の表彰式取材のため、渋谷のホテルに。今年から創設された賞なのですが、明らかに陸マガの「アスリート・オブ・ザ・イヤー・JAPAN」のパクリ。“そんなことでいいのか”という声も少々ありましたが、受賞メンバーを見て両者の意図がかなり違うことが判明しました。
アスリート・オブ・ザ・イヤー:土佐礼子
優秀選手賞(男女各1):男子4×100 mR世界選手権代表、福士加代子
特別賞(複数):為末大、野口みずき

 明らかに“選ぶ”という人選になっています。その点、陸マガの方は投票ですから“選ぶ”という感じではなく、平均的な意見が集約された形になります。本来は陸連のように“選ぶ”という形の方が特徴が出て面白くなりますが、自分たちがランク付けをするのはちょっとはばかられる。それで陸マガは投票という形式にしているのでしょう。
 アスレティック・アワード2007の表彰式現地で配られた資料の【開催目的】には、「(前略)日本陸上界最高峰の大会である日本選手権優勝者を招いてその栄誉を称えるとともに、本年活躍が顕著であった競技者や陸上競技を通じて社会に貢献した競技者を表彰し、さらに日本陸上界関係者並びにご支援いただいた方々をお招きして、その交流の輪を広げ今後の日本陸上競技界の発展を期することを目的として開催するものです」とあります。
 陸上競技を世間にアピールする必要があるし、陸上界の体面もある。ホテルを借りて、何人もの選手やVIPを招待してと、お金もかかっています。対して陸マガは、純粋に誌面をつくるためので、お金も僅かしかかけていません。
 どちらが良いとか悪いとかではなく、両者は明確に違うものだと明記しておきたいのです。

 コンパクトな日記を心掛けているのですが、ちょっと長くなりすぎました。“そんなことでいいのか”。


◆2007年12月29日(土)
 本日は箱根駅伝ファンが待ちに待った区間エントリーの日。以前は毎年記者クラブにエントリー表を取りに行っていましたが、最近はネットに出るようになったので行かなくなりました。その分、原稿を頑張らねば、と思ってはいるのですが、今日も予定したラインまで進みませんでした。これは昨日同様、“そんなことでいいのか”ですね。
 昨日の日記を読んだ朝日新聞・堀川記者から、「“そんなことでいいのか”って言っていますかね?」という問い合わせのメール。間違いなく言っていますよ、とリプライしました。堀川記者とは関係ありませんが、最近のニュースで“そんなことでいいのか”と思ったのが、東京国際女子マラソンが来年限りで終了になることです。

 東京マラソン開催により“マラソンが文化として認められることになる”と幾度となく聞かされました。東京国際女子マラソン中止の理由は年に2回も、交通など首都の機能を麻痺させられない、というもの。マラソンが文化として認められるのなら、1年に2回くらい許容されていいのではないでしょうか。世界初の女子単独レースとして誕生した東京国際女子マラソンは、陸上界を挙げて存続させるべき大会だと認識していました。マラソンが文化なら、そういった貴重な大会を中止にするわけがありません。

 東京ではこれまでも年に2回マラソンが開催されてきたわけですし、以前行われていた東京シティハーフを含めれば3回でした。女子のエリートレースと男子のエリートレース、それと市民ランナー中心のハーフマラソン。それを1本にしてしまおうという意図なわけですが、これではマラソンが文化として認められなくて開催回数を制限された、ということになるのではないでしょうか。
 えっ? 東京マラソン開催は“今後”マラソンが文化として認められるため?
 ということは、30年後には東京国際女子マラソンが復活しますね。

 という話題は書いていて面白くありません。気楽に書ける駅伝の話題にしましょう。
 箱根駅伝の区間エントリーですが、優勝候補筆頭の駒大は豊後、深津、高林と13分台3選手を補欠にしてきました。1・2・5・9区は今日発表の選手で決まりでしょうが、13分台トリオをどこに投入するかで様子が変わってきます。と言いたいところですが、あまり変わらないかもしれません。それほど、今季の駒大は選手層が厚い。
 対抗の一番手と目されている東海大は伊達秀晃選手を2区に置き、1・2・3区は1万m28分台の選手を並べてきました。5区は大物1年生の河野選手。補欠に27分ランナーの佐藤悠基選手とキャプテンの前川選手、28分ランナーの荒川選手、実績のある皆倉選手と残しました。駒大よりも“手の内を見せていない”オーダーです。
 普通なら5区は1年生を登らせると考えますが、大崎コーチは佐藤選手の起用もほのめかしています。前川選手が9区という可能性も高いですから、佐藤選手5区も十分あり得ます。裏をかいて4区という手もあります。前回の1区ほど大差をつけるのは難しいと思いますが、佐藤選手のスピードなら2分は計算できます。河野選手を楽に登らせることもできる。4区もあり得なくはないでしょう。

 ただ、この手の予想は各選手の“良いときの状態”を前提に考えがち。あるいは誰が何区を試走したとか、どの監督が学内壮行会でこういう発言をしていたとか、その手の情報に基づく予想です。実際の現場というのはもっとシビアで、この選手がケガをしている、あの選手の体調が悪い、という事態とのせめぎ合いで区間決定がされていきます。そういったシビアな情報は、各大学とも絶対に伏せますから、予想が当たったからと威張れるものでもないのです。
 もしかしたら駒大の1・2・5・9区の誰かが故障している可能性もあります。東海大も補欠の誰かが故障をしているかもしれない。あるいは前回同様佐藤・伊達と並べて飛び出しを図るかもしれません。本当に、どうなるかはわかりません。
 レース3日前に区間エントリーをするのは箱根駅伝くらい。世間の関心を引く“お祭り的な部分”ですから、とやかく言わずに、“ああでもない”“こうでもない”と予想をしているのがまっとうな箱根駅伝ファンなのかもしれません。実は寺田も、そうして楽しんでいます。報知新聞・E本記者も同類かも?


◆2007年12月30日(日)
 今日は自宅でオフモードながらも原稿書き。全日本実業団対抗女子駅伝で90行原稿を1本を書きました。120行原稿も書きたかったのですが、夜中に世界陸上の特番「灼熱の記憶 世界陸上2007大阪」を見てしまって、残りは明日に持ち越し。“そんなことでいいのか”……を3日連続で使わせていただきます。
「年は越しませんよね」と、高橋編集長から念押しをされています。でも、明日になったら明日で、前橋で取材と原稿書きが待っています。高野徹カメラマンの昇進祝い兼カウントダウン飲み会もあります。その合間に書けるかどうか。

 夕方にNTT西日本・清水康次監督に電話取材も。目的は別にあったのですが、思わぬスクープ情報も入手しました。清水監督が、いや、清水康次選手が、来年2月の東京マラソンに出場するというのです。監督就任など慌ただしかったため、選手として区切りのレース(ラストラン)を走っていませんでした。
 東京の優勝と福岡の日本人トップの経験があり、びわ湖では自己記録を出している選手です。どこをラストランとして走っても話題に事欠きません。ただ1つ、前回の東京は有森さんの陰に隠れてしまうのでやめた方が良い、と思っていました。
 国内のレースでは門下選手の指導が当然あるので、なかなか出られませんでした。世界選手権で入賞したセビリアのマラソンがいいのではないか、と提案したこともありましたっけ。セビリアでマラソンが行われているかどうかも知らないのですが。“そんなことでいいのか”。
「目標としては2時間30分を考えていたんですが、選手たちから低すぎるという声が挙がって、2時間20分に変更しました。練習も始めましたが、すぐに筋肉痛が出てしまいます」
 ちょっと不安を感じさせるコメントですが、なんだかんだでまとめてしまうのが清水選手のすごいところ……でした。その辺は最後も期待して良いでしょう。

 深夜放映された「灼熱の記憶 世界陸上2007大阪」は、改めてこうして見ると、感動しますね。現地で取材をしている間は、競技を見ることよりも、仕事をする感覚の方が勝ります。記者というのは、じっくりと競技を見られないものなのです。
 それに加えて、取材する自分にも力みがあったからだと思います。それで感動を味わえない心境だった。期間中は毎日、TBSサイトにコラム「寺田的世陸別視点」を書かせてもらいました。他の仕事もあるにはあったのですが、まずはこのコラムに全力投球。
 ところが、競技終了が22時、取材終了が23時ということがザラだったこともあり、睡魔と戦って書いていた印象が強いのです。パパッと書き上げれば問題ないのですが、力が入ってしまって3時間とか4時間とか要していました。2年前のヘルシンキも毎日コラムを書きましたが、もう少し肩の力を抜いて、短時間で書いていたように思います。変に思い入れが強くなっていたのでしょう。

 今日の番組を見て感動したのは外国選手が中心でしたが、土佐礼子選手の女子マラソンと男子4×100 mRの日本チームは、何度見てもジーンと来ます。ただ、4×100 mRのスピード感は現場にいた方が実感できますね。あれは、陸上競技のスピードを実感してもらうのに、最も適した種目です。トップスピードの持続は100 mでは5〜6秒ですが、4×100 mRは30秒以上続きます。この違いは明らかで、4×100 mRの方が見ていてスピードに圧倒されます。
 と同時に、陸上競技は知識があって初めて楽しめるものだということを、改めて痛感しました。単純に速さを感じるのなら、100 m以外のトラック種目は意味がないのです。100 mと単純に高く跳んだり遠くに跳ぶ種目、遠くに投げる種目しか一般人には受け容れられない。陸上競技を面白いと感じてもらうためには、400 mなら400 mの、中距離なら中距離の面白さを見る側が、何かしら理解する必要がある。単純な競技と思われがちですが、単純な見せ方ではなかなか面白さは浸透しないのかもしれません。

 と同時に、リレー種目の感動は、チームプレーという要素が加わっていると思いました(当たり前?)。特に今回は、朝原選手への思い入れを、多くの人が持っていたと思われます。通常の陸上競技の評価、個人種目の評価とはまた、違う次元の評価ということになるのかもしれません。
 明日は月曜日。また、新たな1週間が始まります。


◆2007年12月31日(月)
 2007年最後の1日ですけど、今週でいえば2日目。残り5日間、頑張って行きましょう、と書くとふざけているように思われるかもしれませんが、それは違います。何を言いたいのかというと、とか書いて時間を稼いで考えているのですが、視点を変えればまったく別の見方ができる、ということです。
 という前振りをしておいて2007年の思い出なんかを書いたら、朝日新聞・堀川記者から“そんなことでいいのか”と怒られそうです。そういえば、「飲酒をしながら原稿を書いている記者がいる。そんなことでいいのか」というメールが来ました。俗にいう内部告発メールというやつです。堀川記者とはまったく関係ありませんが。

 で、今年の取材で何が印象深かったかといえば、やっぱり世界選手権です。と言ったらありきたりなので、ここはヨーロッパ取材を挙げたいと思います。そもそも、取材に行けるのかどうか、本当に微妙なところでした。脚色なしで言いますけど、本当に1回は断念したのです。出発3〜4日前に。まじでピンチでした。
 ピンチといえば、ニース(フランス)で脇腹が痛くなったときも、本当にやばい状況でした。日記にも書きましたけど、現地での入院や取材中止も検討したほど。そういった経緯もあり、ニースの次に向かったナイトオブアスレティック(ベルギー)で日本記録(松宮隆行選手の5000mと早狩実紀選手の3000mSC)を見られたときは、本当に嬉しかったですね。大事に至らなくて良かったと、心底思いました。
 同じナイトオブアスレティックに遠征してきていた竹澤健介選手、上野裕一郎選手、高橋優太選手の3人が、箱根駅伝で同じ3区にエントリーされたのは、偶然にしてはできすぎ……というほどでもないか。ヨーロッパ遠征できるのはスピードランナーに限ります。3区に集中するのはそれほど不思議ではないかも。

 と書いておいて覆すのはなんですが、心にジーンと来たのはやっぱり世界選手権大阪大会でした。昨日の日記に書いたように、仕事優先の思考をしていると感動しにくい状態になります。それでも、地元開催の世界選手権ということで、思い入れが大きかったのです。
 これもどこかで書いた記憶がありますが、閉会式後に日本選手団が、観客がまばらになったスタンドに挨拶しながらトラックを歩いていたときは、思わずスタンド最前列まで行き、何の目的があったわけではないのに、じっと見つめ続けていました。
 成績はほめられたものではありませんでしたが、地元開催の世界大会を戦い抜いたということは、それだけでなんというか、1つのことを成し遂げたように感じました。成迫健児選手が名前を呼んで手を振ってくれたときは、なぜか胸が締め付けられました。

 と書いておいてこんなことを言うのは何ですが、地元の世界選手権だからと変に意気込んでいたのは失敗でした。地元世界選手権があれば、自身の仕事環境も何かが変わるだろう、だから頑張らないといけないんだ、という気持ちがどこかにあった。それで、昨日の日記に書いたように、個々の仕事に必要以上に入れ込んでしまい、時間がかかってしまうなど弊害も出たように感じています。
 実際、この1年を終えてみて、売り上げは例年よりもほんの少しだけ多かったのですけど、寺田の仕事環境が大きく変わるということはなさそうです。もう少し先に変化が現れる可能性もありますが、劇的に何かが変わることはないでしょう。
 つまり、地元世界選手権に頼って変化を期待してはいけないということです。地元開催の一大イベントで一発を期待するのでなく、日頃の地道な積み重ねで変えていくしかない。元々、陸上競技はそういうもので、陸上競技を取り巻く環境も、そうして変えていかないといけないのだと感じさせられた1年でした。


ここが最新です
◆2008年1月1日(火・祝)
 例年同様、ニューイヤー駅伝の取材で1年がスタートしました。
 昨晩の年越しは高野徹カメラマンの昇進祝いを兼ねて、大晦日行きつけの店で。
 その店のオーナー夫妻の子供(女の子)がもう高校2年生。実は群馬県屈指のスプリンターで、昨晩はその子の進路を巡って「あそこがいい」「いや、こっちがいい」という話が始まり、「でもそこは入れないだろう」「○○を考えるとやっぱりあそこだ」と、激論が展開しました。O山ライターが一番熱心だったような気がします。「大学はどこでもいいから、パーソナルコーチを付ける方が良い」、という意見も出ましたね。

 当事者の彼女も顔を出してくれました。
 以前から気になっていたことの1つに、高野カメラマンと寺田のどちらが若く見られているのか、ということが挙げられます。もしかすると2人が揃って行くのは最後になるかもしれません。思い切って聞いてみたところ、遠慮がちに高野カメラマンだと言います。
 小さからぬショックを受けました。でも、あとでよくよく考えてみれば、同カメラマンに花を持たせた、ととれなくもない。最近の高校生は世慣れてきましたからね。そういえば秋山編集者が、「大阪インターハイでN選手に手玉に取られた」と言っていました。
 新年早々、なんて話題なのだとヒンシュクを買っているのが目に見えますが、このあとは超真面目な話題ですのでお許し願います。

 ニューイヤー駅伝は本命のコニカミノルタが優勝。2位の中国電力とは3分17秒差。当日の朝に7区が松宮祐行選手から磯松大輔コーチ兼選手に変更になりました。ちょっとしたほころびでガタガタっと崩れるのが駅伝ですが、今回のコニカミノルタはまったく崩れませんでした。中国電力・坂口監督は「日本選手でも負けていた」と完敗を認めていました。
 区間順位は1区から順に3位・1位・7位・2位・2位・1位・2位。区間3位以内に入れなかったのはアレックス選手だけ。
 1区の太田選手は2年前と同様、外国選手の集団について有力選手を引き離す方法。大野龍二選手(旭化成)が食い下がりましたが、結果的に旭化成は2区で大きく後退。1区でもう、かなり優位に立ちました。太田選手は区間3位ですが、区間1・2位は外国人選手で飛び出しただけで、優勝争いに絡むチームではありません。実質的な区間賞と言って良いわけです。
 そして2区の松宮隆行選手が、これぞ駅伝の2区という走り。後方で有力チームの集団が牽制している間に、きっちりと差を開けてしまう。三津谷祐選手(トヨタ自動車九州)だけが後方から松宮選手を上回るペースで突っ込みましたが、終盤で失速したので区間賞も松宮選手。トラック&駅伝で2年3カ月も負け知らず。
 こうなると、独走となった3区以降の選手は、自分の力を出し切ることに集中できます。ニューイヤー駅伝初出場の4区・山田紘之選手と6区・池永和樹選手が区間2位と1位。まったくスキがありませんでした。試しに、全部の区間の区間順位を足した数字を、現行コースとなった01年以降を年ごとに出してみました。

大会 順位 チーム 1区 2区 3区 4区 5区 6区 7区 区間順位合計
2001 優勝 コニカ 3 2 2 8 2 1 1 19
2位 富士通 13 1 10 3 1 7 2 37
2002 優勝 コニカ 9 1 9 10 1 1 3 34
2位 中国電力 4 2 4 1 5 2 2 20
2003 優勝 コニカ 3 2 1 6 1 3 3 19
2位 日清食品 14 6 2 1 12 1 5 41
2004 優勝 中国電力 8 3 8 2 1 1 6 29
2位 コニカミノルタ 5 1 6 1 8 15 1 37
2005 優勝 コニカミノルタ 6 2 10 1 2 2 2 25
2位 中国電力 21 4 12 6 1 1 10 55
2006 優勝 コニカミノルタ 3 1 14 3 2 4 1 28
2位 中国電力 22 4 11 2 1 5 2 47
2007 優勝 中国電力 11 4 13 11 1 1 4 45
2位 旭化成 12 2 5 3 5 4 2 33
4位 コニカミノルタ 4 13 27 2 2 8 4 60
2008 優勝 コニカミノルタ 3 1 7 2 2 1 2 18
2位 中国電力 11 4 12 1 1 15 6 50

 区間順位の合計=強さではないので記事の体裁にはしませんが、傾向は表れています。コース変更後では01年と03年のコニカミノルタが最小で「19」でしたが、今回はそれを上回る「18」です。

 コニカミノルタの強さを示す表ですが、中国電力の02年の「20」もすごいでしょう。2位以下のチームの合計としては断トツのトップ。3区の区間4位というのがすごい。日本選手だけのチームですから。誰だったんだろうと思って調べると、内冨恭則選手でした。うんうん、なるほどね、という感じ。今よりも外国人選手が少なかったとはいえ、日本人2位はあの高岡寿成選手で、17秒も差をつけています。
 これは、ニューイヤー駅伝を彩った名選手特集をやったら、必ず取り上げられますね。そのくらいにすごい。県民栄誉賞くらいもらっていいかも(もらっています?)。と、引退した選手は、遠慮なく(?)誉めることができます。元気でやっているでしょうか。



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