続・寺田的陸上日記 昔の日記はこちらから
2003年11月 心は亡くさない
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■12月3日(水)
夕方、やっと400行原稿が完成。直後にISHIRO!記者から電話があり、若干の情報交換。アテネ五輪の標準記録がいくつかの種目で引き下げられたことも、教えてもらいました。ISHIROファンのために情報を少し。ISHIRO記者もかなり立て込んでいると聞いていたので、山は越えたのかと尋ねました。話しぶりから察するに、一番のピークは越えたようですが、まだまだ忙しそう。明日も、30分間話(講演?)をしないといけないのだそうです。そういえば寺田も、急遽また、ラジオ番組に出演することに。いつものように電話ですけど、明日収録です。その依頼が来たのが今朝の11:30頃。その件に関して、某社監督に電話取材をして、ネタを仕入れました。
ISHIRO記者情報を書いているとまた「他にネタがないのですか」、と言われそうですが、そのせりふ(セディフではない)を先月、カネボウ音喜多コーチからも言われました。高岡寿成選手の取材で防府にお邪魔したときのこと。「今度、3000mSCのカネボウ記録保持者として紹介させていただきます」と寺田が言うと、音喜多コーチが「他にネタがないのですか」と、おっしゃったのです。
ちなみに、カネボウ記録は
3000m7分41秒87(高岡寿成)=日本記録
5000m13分13秒40(高岡寿成)=日本記録
1万m27分35秒09(高岡寿成)=日本記録
30km1時間29分12秒(伊藤国光)
マラソン2時間07分57秒(伊藤国光)
と、錚々たる記録が並びます。これらと並んで音喜多コーチの記録(8分37秒94)があるのです。日本歴代順位は20位。確かに、他のカネボウ記録と比べると、歴代順位は低いのですが、こういった先達(音喜多コーチの記録は1988年のもの)の頑張りがあってこそ、岩水嘉孝選手の日本記録があるのです。同じ時代に3000mSCで頑張っていたのが、三井住友海上RC・新宅監督や大塚製薬・河野監督、山陽特殊製鋼・永里監督、NTN・愛敬監督、日大・小川監督たち。順大・仲村監督も含まれるでしょうか。指導者となって、日本の陸上競技発展に尽くしている人材ばかりです。3000mSCでは内冨恭則選手の今年の記録も、アテネ五輪B標準突破になりました。めでたしめでたし。
おっと、間違いが1つ。マラソンのカネボウ記録は伊藤監督の上記タイムではなく、高岡選手の2時間06分16秒でした。高岡選手がマラソンの日本最高記録を持っている認識はあるのですが、なぜか、カネボウ記録保持者という印象がありません。なぜかと考えてみると、答は簡単。マラソンといえば福岡国際マラソンですが、“福岡といえば宗兄弟に伊藤国光、そして瀬古利彦”というのが我々世代の印象です。つまり、カネボウのマラソンといえば伊藤国光、というイメージの人も多いのではないかと。
要するに高岡選手も、今週末の福岡で印象に残る走りをしないと、まだまだ伊藤監督を超えられないぞ……なんて言っていいのかな。まあ、高岡選手に限って、この程度でショックを受けて走れない、なんてことはあり得ないでしょうから。
■12月2日(火)
いつの間にか12月になっていました。今日は3通、喪中の葉書が届きました。“新年の挨拶を控えさせていただきます”っていうアレです。かねがね思っていたのですが、喪中の人で“おめでとうございます”と年賀状をもらい、本当に怒る人っているのでしょうか? 両親兄弟とも元気な寺田が言うのもアレですが、まずいないでしょう。それが社会的な礼儀といえばそれまでですが、年賀状って普段は疎遠になっていても、年に一度の近況報告みたいになっていることもあるわけで、それが届かないのは寂しい気もいたします。寺田の年賀状はここ数年、1年間の出来事を書くようにしています。喪中の方にも、年賀状と同じ内容を、寒中見舞いとして出すようにしていますね。たまに、手一杯で出せないこともありますが。
昨日の締め切りは、今日の15時頃にやり終えました。それから400行原稿にかかって、午前0時15分の現時点で150行まで進みました。どうも、行数オーバーの気配がプンプンします。今の時点から、短くまとめることを心掛けねば。でも、取材したネタがいっぱいあるのです。800行でも書けるくらい。嘘八百……ではありません。でも、指定の行数にまとめるのがプロ。まとめられないのは、プロウブレム。競技会のスタートリストなどが載っているのはプログラム。判定に抗議するのはプロテストかな。清水康次選手が麓みどり選手に(多分)したのはプロポーズ。
■12月1日(月)
システム(生活&仕事)が崩壊寸前。昨日、今日と食事は1食。適当に口に物は入れていますけど。睡眠は、2〜3時間で昼夜の別を問わずに3回(けっこう、寝てるな)。精神的にもやばいので、グチを書いて発散させましょう。
とにかく、本来の原稿執筆作業の他にも細かい仕事が盛りだくさん。まずは請求書を3通。以前にも書きましたが、請求書を書くのが楽しいフリーライターはいないでしょう。先月中に送れば年内振り込みだったのでしょうが、「もういいやっ、来年になっても!」という感じで、明日の発送にします。
写真をメールで送る作業が2つ。この他にも、もう1つ、O川君にも送信しないといけないのですが、これは後回し。専門誌編集部も今は死にそうなくらい忙しいはず。本誌1月号の他に箱根駅伝の増刊と別冊付録、高校駅伝の別冊付録が同時進行していますから。現役の専門誌編集者は言えないことでしょうから、OBの寺田が代わりに書きます。「助けて、こびとたち!」「貸してくれ、猫の手!」。ということで、O川君へのメールも下版明けにした方がいいでしょう。
メールでの問い合わせには、電話で回答。2つ重要な相手からのメールがあったのです。夕方、T選手に電話をしていたら、その電話の最中にS原さんからも電話がかかってきました。その前後にも3つ電話をしていて、一気に話しました。
ネーム校正もFAXで来ていますね。うーん、いつやったらいいんだ。もちろん、答えは決まっています。今晩、頑張らないといけません。朝までにこのネーム校と、A4資料作成を2つ、短めですが原稿を1本……終わるのかな。
明日は、400行の原稿の締切。取材は十二分にできていますし、構成も頭の中ではできています。007ことO村ライターへのリベンジ企画も思いつきました。この手のことを思いつくのは、ハイになっている証拠です。
しかし、明日400行は……頑張るしかありません。400ですから、勇気を持って…。
■11月30日(日)
昨晩はレースが遅かったため、帰宅が23時近くとなってしまいました。信毎・中村記者は時間がなくて大変だったでしょう。ファミレスで朝まで仕事。箱根駅伝関係の原稿を1本と、日記を書き上げました。ホント、すごい経験をしたと思っているので、テンションが高まって朝まで体が持ったという感じ。30分くらい寝ていましたけど。
今日は外出せずに一心不乱に仕事。食事も摂らないほど。マラソンで、前の晩に眠れなかったけど、結果が出てって話もよく聞きますが、それと一緒(にするなよ)。91年東京世界選手権の谷口浩美選手とか、02年シカゴ・マラソンの高岡寿成選手とか、前の晩はまどろんだだけだったようです。
色々とメールもいただいていますが、急ぎの仕事以外の返信は明日、場合によっては明後日以降になってしまいます。申し訳ありません。電話のできる相手には電話します。
■11月29日(土)
八王子ロングディスタンスと日体大長距離競技会を初めて梯子取材。例年、八王子は平日に行われていますし、日体大は12月第一日曜日開催で福岡国際マラソンと重なっています。来年以降のことはわかりませんが、たぶん今年が最初で最後のチャンスと思って、敢然と挑戦しました。
八王子ロングディスタンスの行われる上柚木競技場最寄り駅の南大沢は、寺田の住んでいる永山から京王線で3つめ。近くて助かります。しかし、今日の八王子は雨。仕方なく、駅からタクシーを使いました。気温も12℃。雨と低温のダブルパンチ……って言葉は、あまり使わないでしょうか。
競技場の受付は、例年のようにコニカミノルタの選手たちが務めています。そこで某社マネジャーの方にお会いして、「八王子の雨はロマンチックですよね」と挨拶をすると、「寒いだけですよ」とリアルな言葉が返ってきました。当然ですが、選手たちにとってはいいコンディションであるはずがありません。記録を出すのが目的の大会で、それが難しそうな状況なのですから、とても寺田の軽口につきあっている場合ではないでしょう。
最初の種目は女子5000m。1位の上野理恵選手は積水化学をやめて、1年以上のブランクの後に今春、積水化学に戻ってきた選手。先週の国際千葉駅伝が復帰第1戦で、今回がトラック復帰第1戦。といっても、自己記録にはまだまだ届きません。その点、3位の高橋紀衣選手は純粋に自己新。母校の中大が同じ八王子ということで頑張ったのかもしれませんが、純粋に力が伸びている可能性の方が大きいと考えるのが普通です。
男子の最終組では大島健太選手が優勝し、2位の坪田智夫選手まで五輪B標準を上回りましたが、2人ともB標準ならすでに突破済み。目的のA標準(27分49秒00)突破はならず。コンディションさえよかったら、と見ている方は思いましたが、選手たちの口からそういった、恨みがましいコメントは聞かれませんでした。
16:30頃に取材も終了し、日体大に移動。小田急線の鶴川駅からタクシーに乗ったのですが、駅の周辺が結構渋滞していて、30分近くかかってしまいました。以前、隣の駅の柿生から乗ったときは15分前後で着いたのです。今後、気を付けることにしましょう。
日体大には17:45着。着いてみると雨はほとんど止んでいて、ときおり小雨がぽつぽつと落ちてきますが、気温も八王子よりちょっと高かった気がしますし、風もなくて絶好のコンディション。八王子の最終組の選手がこっちでレースをしていたらと、ついつい思ってしまいますが、これはどうしようもないこと。逆に雨が強くなるケースもあるわけですから。
日体大長距離競技会(なんと第155回)の取材は2回目でしょうか。もしかすると3回目かも。でも、箱根駅伝の選手が多数出場するこの時期の大会は、前述したように例年は福岡国際マラソンと重なっているので今日が初めて。八王子の女子5000m1位の上野理恵選手がトラックの復帰第一戦なら、上野裕一郎選手はトラックの高校最終戦。1万mで高校最高を狙うと聞いていましたが、上野理恵選手が復帰戦を飾っただけに、いい予感がありました。
しかし、日体大に到着してグラウンドに入る際、凶兆とも思えることが。佐久長聖高の両角先生にお会いして挨拶をしようとしたら、ぬかるみに足を踏み入れてバシャッ。転倒するようなことはありませんでしたが、上野選手の記録更新に不安が感じられました。しかし、どうしてどうして、実は吉兆でした。
最終組は20:20スタート。中距離の元トップランナー、信濃毎日新聞の中村恵一郎記者も駆けつけました。ちなみに、八王子と両方に現れた長距離関係者は何人かいましたが、報道関係では寺田だけだったと思います。中村記者とラップを取りながら、「前半がちょっと突っ込み過ぎかな」などと話していましたが(寺田が一方的に言っていたことです)、ケニア2選手と離れて独走となってから、ペースを維持したのには驚かされました。
前高校最高記録保持者の渡辺康幸氏も、早大コーチとして現場に居合わせる幸運(取材する立場からいうと)。渡辺コーチと12年前の高校最高について話をしていて、突然、当時の記憶が甦りました。「あのとき引っ張ったのって、只隈さんじゃなかったっけ?」と寺田。場所は中大でしたが、ちょうど同じ時期。取材に行ったわけではありませんが、陸マガに掲載した写真が脳裏に浮かぶあたり、寺田もただ者ではありません(自分で言うなって)。
「只隈さんと平塚さんですよ」と渡辺コーチ。ヤクルトの只隈選手は現在、ご存じのように大東大監督で、エスビー食品の平塚選手は現在、これもご存じのように城西大の監督。この2人も今日、日体大に来ていました。只隈監督は長靴を履いて雨のフィールドをダッシュし、選手に檄を飛ばしていたようです。
渡辺コーチの高校最高は1991年の12月1日。場所は前述のように中大で、これも前述のように中大があるのは八王子。八王子から日体大に強行軍の移動をしたその日に男子1万mの高校最高が出て、八王子と日体大が12年の時と10数kmの距離を飛び越えて、一体となったかのように思えたのでした。
■11月28日(金)
原稿を……何本か書きました。ずっと自宅兼事務所にこもって。電話取材も2本。どうしても取材と原稿の締め切りが優先になってしまい、進んでいない仕事もいくつかあります。進んでいないといえば、仕事部屋がかなりごたごたしてきました。パッとデスクの周囲を見回すと、世界選手権から帰ってきて置きっぱなしになっている紙袋が3つ。世界選手権に出発して以降の請求書や明細書の束も、なんとか処理しておかないと。おおっと、その向こうにあるバッグには、去年のヨーロッパ取材から帰ったときのままです。
デスクの上は、今年の1月に整頓して、同時に確立した整理システムが機能していまして、なんとか有効に使えています。電話取材の時にパソコンを取れば、まずまずの広さがありますからね。でも、実業団駅伝関係と箱根駅伝関係と、もう1つ何か別の仕事を同時に進行すると(厳密に同時ではないですけど)、デスクは一気に資料に埋もれてしまいます。
そういえば、某誌編集部O川君に写真を送りたいのですが、今月中は無理かも。12月になったらクリスマス・プレゼントと言って送れるから、それがいいでしょう。春になってから送るというのも、1つの手ですね。はーるのO川はさらさら行くよ……でしたっけ? あまり面白くないなあ、自分で書いていても。なんで、こうなんだい?(これも苦しい)
■11月27日(木)
今日も朝の8時ちょっと前から仕事を始め、9時台には「ニューイヤー駅伝公式ガイド」(サンデー毎日増刊)の最後の原稿を送信。実は昨晩も、都内の知り合いの事務所に泊まり込み。2日に1回は泊まっているペースです。まあ、3〜4時間は眠っていますので、ご心配なく(誰も心配してないか?)。
と言うのも、今晩した電話取材した選手から「寺田さんは忙しいんじゃないですか」と言われてしまったから。周りの誰かが、この日記を読んでそう言っていたそうですが、「日記に書くことと、試合中の跳躍選手へのコーチのアドバイスが似ている」と例え話をして、実際はそれほど忙しいわけではないことを説明。この例えも実は、含蓄があるのですけど、詳しいことは機会があったらということで。
それにしても、一昨日はモーニング娘。で、今日は跳躍コーチ。例え話が好きな年頃かもしれないと、やはり一昨日書きましたが、これは歳をとった証拠でしょうか? 世間ではよく、この手のことを結論づけますが、(歳をとった証拠、というくだり)寺田はそういった決めつけはしません。だって、証明しようがないじゃないですか。結論づける人は、自分の経験の中でなんとなく、そう思い込んでいるだけなんですよ。それを真実だと錯覚するんです。
でも、しかし、その思い込みが実は科学的だったりする人が、何かをやり遂げたり、大物になったりするのかもしれません。その点、報道というか記事を書く作業は、ある意味、100%正しいことしか書けません。“たぶん正しいだろう”では書けない。そういった理由で、安易に“例え話が多くなるのは歳を取った証拠”とは書けないのです。それで、寺田は大物になれないのかも。
ニューイヤー駅伝公式ガイドの最後の原稿を書き終えましたが、今日は全日本実業団対抗女子駅伝の公式ガイド(これもサンデー毎日増刊)が届きました。寺田は「美濃路攻略のカギを握るランナー」という企画で2本、「アテネにはばたく選手たち」「女子駅伝を彩る指導者群像」を担当しました。出場全チームの選手写真名鑑は、かなり貴重な資料でしょう。定価500円は絶対にお買い得です。明日、28日発売です。ちなみに男子は12月13日。陸マガと一緒の日ですね。
今日発売のスポーツ・ヤァ!には高岡寿成選手のインタビュー記事が載っています。これも、福岡国際マラソン前に必読でしょう。そうそう。30日のサンデースポーツ(NHK)でも特集されているそうです。
実業団駅伝関係の記事は終わりましたが、データ整理がまだ途中です(これも仕事)。それに明日は、箱根駅伝関係の締め切りも。でも、今日電話取材をした記事は、これから書いてしまいましょう。そのくらいは頑張る勇気を持ちたいもの。
■11月26日(水)
7時前には起床をして精力的に仕事(単に追い込まれているだけか?)。書きかけだった原稿を午前中に150行書いて仕上げました。昨日も同様に、午前中に150行書いて、午後に取材というパターン。午後から取材の時はこのパターンがいいかもしれません。朝の7時台に今日取材の大学のマネ君から電話がありましたが、そういうことにも対応できますし。11:20に原稿を送信し、1本電話取材をして、12:18に自宅兼事務所を出発。
取材は昨日同、様自分ではいい写真が撮れたかな、と思っています。大学の取材は(特にチームとしての取材)、本当にマネ君が頼りです。この場で書いても伝わらないかもしれませんが、本当に感謝しています。
夜は都内某所に。またもや、偶然にも謎の女に遭遇。「土曜日は八王子ロングディスタンス取材のあと、日体にも行きたい」と言ったら、若干、冷たい目で見られました。人づてに聞いた話ですが彼女、この日記に書かれていることに腹を立てることもあるそうです。あまり性格がわかると、謎ではなくなってしまうんですけど…。それでも、名前の由来はそんなことに左右されません。何があっても謎の女なのです。
■11月25日(火)
今日のキーワードはモーニング娘。でした。
昨晩は知り合いの事務所に泊まり込み。3時間くらいはダウンしましたが、朝からまた集中して原稿書き。昼過ぎに自宅に戻り、40分で準備をして(資料はだいたい、整えてあったのです)、某大学合宿所へ取材にお邪魔しました。昼食はゼリー飲料と栄養補助食品(でいいのか)。あいにくの雨。マネジャーの方が駅まで迎えに来てくれたので助かりました。今日はカメラマンも務めたので、機材が濡れるのが心配だったのです。
カメラに関してはプロではありませんが、編集者を10年以上やっていましたから、絵柄というか、構図はそれなりのレベルで考えてできるつもりです。モーニング娘。のユニットの話をマネ君にすると、こちらの意図を理解してくれて、これも助かりました。別に例えなくてもわかってもらえる話でしたが、例え話のしたい年頃なのでしょうね。
取材は順調。デジカメでの取材ですので、絵柄を選手とチェックしながら、選手の希望も取り入れながら進められます。なかなかよかったな、と思います。ただ、こちらの責任ですが、取材時間が長くなってしまいました。原稿の行数オーバーと、取材の時間オーバーには気を付けないといけないと思っています。相当に反省しています。あと、例を出すなら、モーニング娘。の1人1人の名前くらい、覚えておかないと。これは、ほんのちょっとだけ反省。
昨日紹介した佐藤アナの件ですが、決して、仕事上のことで「頑張れよ佐藤文康!」と思ったわけではありません。この日記に書くことですからおわかりかと思いますが、他愛もないことです。でも、他社の人間のことを実名で書くときは気を付けないといけませんね。そうそう。ある早大競走部OBの方からのメールをいただきました。佐藤アナは学生時代、今のような話し方ではなかったようです(そのメールでは“声”となっていました)。相当に訓練されたのでしょう、とも書いてくださっています。やっぱりプロなのでしょう。
明日も別の某大学の取材。天気は晴れそうです。
■11月24日(月)
国際千葉駅伝取材。今日一番感じたことは、頑張れよ佐藤文康! これに尽きます。
佐藤文康は誰かって? それはあなた、TBSアナウンサーの佐藤文康さんですよ。しかし、なんでまた、国際千葉駅伝で佐藤アナなのか。それは、まあ、ちょっと明かしにくいことなのですが。元をたどれば、佐藤アナが陸上界を代表するアナウンサーだということです。陸上界期待のアナと言った方がいいかもしれません。
ご存じの方も多いと思いますが、佐藤アナは元全日中チャンピオン。すいません、すぐに何年とは出てきませんが、市川良子選手と同じ学年です。大学は名門の早大競走部。
ところが今日、佐藤アナは2つのらしくないシーンを見せてくれました。具体的に何があったのか、本人の許可が取れたらいずれ、書きたいと思います。許可が取れなければお蔵入り。
今日感じていることがもう1つ。頑張れよ寺田辰朗! これもありました。
昨日仕上げる予定だった300行原稿が結局、今までかかってしまいました(25日の午前3時)。千葉では、国際千葉駅伝の原稿は何も書かず、昨日締めきりの原稿を必死に書きました。なんで昨日のうちに、このペースでできなかったのか…集中力がまだまだです。このあと、もう1本短めの原稿を書いて、あともう1本、280行の原稿が締切です。明日は16時に東横線沿線で取材。頑張らないと。
でも、今日も幸せを感じられることがあったので(都心に戻ってから)、なんとか頑張れるでしょう。
そういえば昨日、幸せポイントをゲットしました。ある選手からメールをもらったのです。内容は秘密ですが、女子選手からとだけ書いておきましょう。いや、ホント、こういうことがあると、この仕事もまんざら捨てたものではありません(やめる気は今のところありませんが)。さっそく返事を書いたのですが、何回送信しても戻ってきてしまいます。○○選手、もしもこの日記を読まれていたら、メールBOXの容量がいっぱいになっていないか、チェックしてくれないでしょうか?
■11月23日(日)
今月は取材と締め切りの連続。昨晩も、知り合いの事務所に泊まり込んだのですが、原稿はなかなか進みません。昨日取材したネタで、昨晩締め切りの原稿を1本、今日まで持ち越してしまいました。内容的にはいいこと書いていると思うのですが、やはりもっと速く書かなくてはダメ。寺田のビジネスがシステムとして成立しなくなってしまいます。
全日本大学女子駅伝の録画予約がしてなかったので、昼前には帰宅。
同駅伝は立命館大が初優勝。2区でトップに立った池田恵美選手は関西インカレのときに話を聞かせてもらい、このサイトで記事にもしました。1区の丸毛静香選手もそのとき、話を聞きました。京都新聞・H中記者の横で静かに取材していたのを、昨日のことのように覚えています。5月の時点では記事にしませんでしたが、今回のように活躍したとき、コメントを紹介するというのもいいと思うのですが、残念ながら書いている時間がありません。
1区区間賞の桑城奈苗選手も同様で、国体の際にかなり話を聞くことができているのです(おっとりした関西弁がいい味を出していました)。そのときのレースの話でなく、陸上競技や練習に対する考え方が出ている部分を、こういうタイミングで紹介したいのですが、残念ながら……。そういえば、国体の記事、4日目も書きかけたんですよね。山口有希選手の一問一答など、専門誌の発売後でもいいから掲載したいですね。高岡寿成選手の高校の後輩ですし、頑張って書く勇気がほしいなあ(だったら持てよ)。
今日は九州実業団駅伝も行われました。結果はこちらのサイトで(GGN速報室)。旭化成がここまで2位に差を付けたのは、さすが名門です。2位のトヨタ自動車九州も頑張ったと言えるのでは? 特に4区区間賞の三津谷祐選手は、要チェックの実業団1年生。兵庫リレーカーニバルのときに記事にさせていただきましたが、その後も順調のようです。トラックとは勝手の違う駅伝でも、今回は12.5kmで35分27秒の区間賞ときっちり走っています。鋭い読者はピンと来たと思いますが、このタイムは10kmに換算すると28分21秒6。ジュニア日本記録は藤原正和選手の28分17秒38。今月29日の記録会に出場するという情報もあります。かなり楽しみ。ANAのマイレージで、長崎に行こうかな。帰りはもちろん、長崎から船に乗って……と思ったのですが、すでに取材の予定が入っていました。こちらも楽しみなレースなのです。
■11月22日(土)
8時前に起きて仕事を1つ片づけ、11:30頃に自宅を出発。日本エアロビクスセンターで国際千葉駅伝の記者会見取材です。自宅からエアロビクスセンターにいる某チーム監督の携帯に電話。エアロビクスセンターの難点は、携帯電話が通じにくいこと。幸いなことにコテージの方にいらしたようで、通じてアポを取ることができました。
もう1つ幸運が重なって、記者会見2時間以上前にエアロビクスセンターに到着。ロビーで知り合いの某チーム女性マネジャーと会ったので挨拶をしていると、すぐ近くに約束をした某チーム監督もいらっしゃいました。「口説いちゃダメだよ」と言われたので、「妻のアルミン・ハリーですから」と、すかさず切り返し。同世代の監督なので通じるかと思ったのですが……考えてみたら、アルミン・ハリーは我々の世代が生まれる前の人物でした。寺田が陸上競技と関わりを持つ、はるか以前の選手です。走りを見たことはなく、名前や写真を資料の上でしか見たことがありません。あだ名は確か、“カミソリ・ハリー”だったと記憶しています。間違っていたらメールください、N口さん。
えっ、アルミン・ハリーは誰かって? 1960年のローマ五輪の男子100 m金メダリストですよ。記録的にも10秒0を出して、9秒の扉をノックした選手。後年、アルミサッシを発明したことでも有名です(これはウソ)。
取材は順調。会見前に某チーム監督と選手1人に話を聞けました。どちらからも、なるほどそうだったのか、と思える新鮮な内容を取材できたと思います。選手の方の話は、将来、記事に役立ちそうですし、某チーム監督のお話は、陸マガ次号記事に反映できそうです。会見終了後も引き続き取材と情報収集。選手1人と指導者3人から話を聞きました。メモを取らない雑談を入れるともうちょっとたくさんになります。そういえば、女性選手&女性指導者とは1人も話しませんでしたね。女性解説者の方とは少し。それがなんだ、と聞かれると困るのですが、まあ、この日記の最近の路線ということで。
■11月21日(金)
都内の知り合いの事務所で夜を明かして(かなりダウンしていましたが)、10時前に原稿を仕上げました。ここで一息つくと、なかなか次の原稿にかかれないことが経験的にわかっているので、午前中(というか昼飯前)に40〜45行の原稿を2本、頑張りました。これが正解。若干、気持ちに余裕が生まれたように思います。その間にこのサイトのメンテナンスも。
遅めの昼食後、いくつか連絡。さすがに他人(ひと)の事務所の電話を自分の仕事では使えません。携帯電話であちこち連絡をしていると、バッテリーがすぐに無くなります。それとも、バッテリーが寿命なのか。夕方の電話取材の前に、コンビニで充電器を購入しました。単4乾電池4本で、フル充電は1回しかできないようです。コストパフォーマンスが悪すぎますね。まあ、当座しのぎとして使うぶんにはいいのでしょうけど。
夕方、一連の電話取材の、今週最後の取材。国際千葉駅伝で某監督に会えれば、残りは来週にちょっと、といったところ。で、その電話取材はA4の資料作成フォーマットでまとめないといけません。それを、できれば今日中に4つ終わらせたかったのですが、2つが限界でした。こうして、仕事が延ばし延ばしになっていくわけです(締め切りは守りますよ……と言いつつ、迷惑をかけてしまったばかりなのですが)。もう1本、それとは別に、ちょっと大きな原稿を繰り越し扱いにしていますし、月曜日締めきりの大作原稿もあります。
世間は連休? そんなの関係ありません。選手や指導者、現場も同じだと思いますが。
■11月20日(木)
昨晩も早めにダウンしてしまい、今朝は6時から仕事。
10時からコニカミノルタで取材。八王子の会社には初めてお邪魔しました。約2時間で、酒井勝充監督と3選手を取材させていただきました。13時半に自宅兼事務所に戻り、その後選手2人と監督1人に電話インタビュー。合計7人に取材した1日です。まあ、競技会で7人の選手・指導者のコメントを取るのは日常茶飯事ですから、今日もそれほど大変とは思っていませんでした。ですが、さすがに個別取材だと違いますね。それなりに頑張りが必要でした。
(寺田の日記的に)面白く感じたのは松宮祐行選手の取材の時。昨年は故障で低迷し、今年は5000mで13分40秒台を2回出すなど復調していますが、30km世界最高&1万m27分台をマークした兄の松宮隆行選手の活躍とは、ちょっと差が付いている感じです。聞きにくい部分でしたが思い切って、隆行選手の活躍をどんな気持ちで見ていたか質問。
「他人(ひと)は他人(ひと)ですから」と祐行選手。
すかさず、「双子の兄弟選手が他人(ひと)と言っても、マスコミは信じないよ」と突っ込みを入れました。もちろん、真剣な口調ではなく、冗談まじりの口調です(そのつもりでした)。このように「他人(ひと)は他人(ひと)」という部分だけを紹介すると、読者の皆さんも寺田が突っ込んだように「兄弟選手で“他人(ひと)は”という答はないだろう」と思われるでしょう。
松宮祐行選手がこう答えたのには、話の流れがありました。つまり、故障があったから焦っても仕方がないし、練習がつながれば27分台を出せる感触もある、という話のあとで、他人(ひと)のことを気にしても仕方がない、と言ったわけです。双子の兄弟選手から「他人(ひと)」という言葉が出たので、思わず突っ込んでしまったという次第。実際、その後には「隆行が出せるなら、自分も出せる自信があるので、隆行にも記録を出して欲しいし、2人ともいい成績を出した上で、(隆行に)勝ちたい」と、続けてコメントしてくれました。これなら、マスコミも納得します。
夜は、とある会合に出なければならず、中目黒に。久しぶりに東横線に乗りました。そういえば、取材で東横線に乗ることって、あまりありません。あっ、でも神奈川大が東横線沿線ですね。そのうち、機会もあるでしょう。会合は早めに切り上げさせていただき、都内の知り合いの事務所で仕事。泊まり込みになってしまいました。実は、かなりの佳境です。
■11月19日(水)
9時前からバリバリ仕事。電話取材は午前中の方が、先方をつかまえやすいのです。これは鉄則……のはずでしたが、今日は若干、原則外のケースが多かったようです。でも、携帯電話が普及した今は、昔と比べると楽になりましたね。その分、出費も増えているわけですが。
今日は4監督&2選手に連絡を取ろうとして、2人の監督の電話取材に成功。残りの2監督2選手は、明日以降のアポが取れました。まあまあでしょうか。夜は夜で、某記者と長電話。先方の携帯電話のバッテリーが切れてしまったほど。そういえば、一昨日もホテルで長電話をして、こちらの携帯電話のバッテリーが会話中に切れました。寺田にとっては初めての体験(充電のし忘れでバッテリー切れは何度かありますが、会話中では初めて)。箱根駅伝の指導者の方が、この時期(というか12月後半)になると携帯を新機種に買い換えたり、予備のバッテリーを購入したりするというのもうなずけます。寺田の長電話とは次元が違いますが。
明日は10時からコニカミノルタの取材。一連の電話取材と同じ仕事ですが、自宅から近くなのでお邪魔させていただくことに。最寄り駅から歩くか、タクシーに乗るか思案中。
■11月18日(火)
午前中は某チーム監督、午後はそのチームの超大物選手を取材。この2〜3日で予習をしたということはありませんが、ある意味、これまでの取材で予習を一番やったかもしれません。ここ12年間という表現は変ですが、何回も取材をしていますし、その選手の記事やレースは頻繁に見ているので、いつも取材の予習をしているともいえるわけです。それでも、取材する側のプレッシャーは大きかったですね。超大物ということもありますし、企画も大きいということもあります。とても温和な性格で、とても丁寧に対応してくれる選手なので、こちらもなんとかプレッシャーに押しつぶされずにすんだ、という感じでした。
取材が午前と午後の2回に分かれた形となったので、2つの取材の間にいったんH駅に戻って編集者、カメラマンと合流。2時間のインタバーバルが生じました。言ってみれば、ダブルヘッダーに近い取材。そういえば、陸マガ11月号の油谷繁選手の取材が好運にも2日間にわたってでき、似たような感じでした。今回も充実した取材だったと思います。超大物選手がこのサイト用にネタを提供してくれましたし、Oコーチのネタも面白いものでした。もちろん、節度をもってやります(超大物選手の「○地に○○○む」との発言は伏せなければまずいでしょう)。
取材後、練習まで見ていると帰れなくなってしまうので、早々に引き揚げさせていただき、22時前には東京駅に。車中では、土曜日から取りかかっていた大作原稿をやっと書き終えました。23時頃帰宅。ここでもうちょっと仕事を頑張れば明日以降に余裕が生まれる、と思いつつもダウン。2〜3時間睡眠が続いていた中で、3日連続の場所を変えての取材が、ちょっと応えたようです。明日は、電話取材のオンパレードって死語?
■11月17日(月)
11月17日である。11も17も素数(1とその数しか、割り切れる数がない)で、孤高な感じがしていいですね。なんでも、ラドクリフも「17」がラッキーナンバーだそうです。自身と祖母が17日生まれ(ラドクリフの誕生日は12月17日)で、結婚式も17日だったそうな。昨年のシカゴ・マラソンで2時間17分台を出したときに、そんなことをコメントしていました。現地に行っていたわけではありませんが。成田空港に帰国した高岡寿成・渋井陽子両選手には会いましたけど。
今日は6時起床で出張。国内某所です。東京より西の方角ですね。11時から15時過ぎまで取材。その後、さらに西へ移動。明日は超大物選手のインタビュー。プレッシャーです。
■11月16日(日)
とにかく暑かった東京国際女子マラソン取材。スタート直後の25℃という気温の絶対的な部分よりも、前日までの寒さから急上昇した相対的な高温という部分が気になりました。
プレスルームも大盛況。例年の1.5倍はいる記者であふれかえっていました。4年前、山口衛里選手が独走優勝したシドニー五輪選考会も、これほどではなかったと思います。スタンドも、バックストレート側にまで人が入るという、マラソンでは珍しい現象。それもこれも、Qちゃん人気でしょう。しかし、山口選手の快走から4年ですか。懐かしいですね。
今は廃止されていましたが、当時はまだ先頭集団に報道バスが付いて走っていました。確か、東京国際女子マラソンでは初めて乗ったのだと思います(もしかすると2回目)。沿道で見かけた伊東浩司選手と、選手として走っていた鈴木博美選手は、この4年間で結婚しました。寺田は当時は陸マガ編集者で、レース当日に山口選手のインタビューを取るべく、段取りに奔走しました(インタビュアーは自分ではなく、折山さんにお願いしました。編集者でしたから)。
今年は市民マラソンを併催した関係でしょうか。5km毎の通過タイムの配布が極端に遅い。選手が25kmを通過しても10km地点がまだ出ていないという有様。上位10選手くらいでもいいので(多いに越したことはないですけど)、速く出して欲しいところです。その旨、主催新聞の記者の方を通じてお願いをしました。
そこまで途中経過にこだわったのも、今回の注目一番手の高仲未来恵選手が後れていて、テレビでは正確な情報を得られないからです。トップページにも書きましたが、高橋尚子選手は注目一番手でなく、最大の注目選手です。微妙な違いがあるのは、わかりますよね。注目する順序としては高仲選手が先です(個人的な話ですけど)。でも、最大の関心を払うのは高橋選手。実際、取材など労力を割くのも高橋選手優先です。
高仲選手のコメントも取りたかったのですが、高橋選手の共同会見が始まりそうだったので、当然、会見場の方に。しかし、ドーピング検査に手間取り、会見がなかなか始まらなさそうだったので、ここぞとばかりに、京都新聞H中記者と高仲選手を探しに行きました。ドーピング検査の場所と、選手を捕まえられる場所が同じ方角だったので、Qちゃんが来たらわかります。それが幸いでした。
それよりもラッキーだったのは、H中記者がいてくれたこと。実際は4人の記者で高仲選手の話を聞きましたが、寺田だけではなかなか取材をお願いできません。助かりました。
H中記者で思い出すのは、好記録が出た国体4日目のこと。山口衛里選手ではなくて、京都・洛南高出身の山口有希選手がA標準を突破し、少年A5000mでは佐藤悠基選手と松岡佑起選手が活躍。「今日はゆうきが活躍しますね」と、インタビュールームで言っていました。今月号の陸マガを見ると、陸マガ・カメラマンにも椛本結城がいました。と思ったら、国体ではなくジュニアオリンピックか。
■11月15日(土)
終日、岡山……ではなくて、自宅兼事務所で原稿書き。原稿が1つ、なかなか進みません。というか、段取りとか資料調べ、ネーム校正に企画提出などでなかなか、原稿を書くところまで行かないのです。編集者時代の癖ですかね。段取りを優先して、筆を執るのは後回しになってしまうのは。今はライター(と言いたくはありませんが)なので、先に原稿書きからしてもいいのかな。でも、段取りを先にやっておかないと、後で困るし、原稿をかけなくなってしまうこともあるわけですからね。そのへんのバランス、手順が難しい……と、書いていて、ちょっと思い当たりました。選手や指導者が「○○が難しい」と言った場合、我々マスコミが「本当ですか?」と突っ込むのは失礼になります。選手・指導者は毎日グラウンドに立っている、その道のプロですから。だったら寺田が、上述のように「これこれの仕事が難しい」と書いたら、違う職業の人が「ホントか?」と疑問を差し挟むことはできないわけだ。そうかぁ(だから、なんなのだろう)。
■11月14日(金)
13時から赤坂プリンスホテルで東京国際女子マラソンの記者会見を取材。会見が終了しても関係者から情報を集めていることの多い寺田ですが、今日はそそくさと引き揚げました。実は、昨晩締めきりの原稿が終わっていなくて、都内の知り合いの事務所に移動して、原稿書き。19時24分に送信して、六本木アークヒルズに。
六本木は何年かぶり。フランスのブラッセリーを模したフレンチ・レストランで食事。今日は男性です(若干、誤解を招きそうな表現)。ブラッセリーは英語で、フランス語だとブラッセリエ??? カフェよりも高級ですが、高級フレンチレストランよりは下。世界選手権期間中、寺田のようにカフェで安く済まそうという人間は、結局、一度も行きませんでした。
それにしても、今日行った店の内装は、フランスよりもフランスらしかった感じがします。さすがに値段はそれなりですが、パリの雰囲気を日本で味わいたい、という方にはお薦め。店の名前は忘れました。サントリーホールの向かいだったでしょうか?
■11月13日(木)
アポ取りや打ち合わせの電話が殺到。こちらから入れた電話もありますが、合わせるとたぶん10〜15件。トータルすれば1時間以上話していたでしょう。携帯電話のバッテリーが危なかったです。最近はもう、事務所の電話よりも先に携帯に電話をかけてくる人がほとんど。昨日、経費削減にうるさい某会社の編集者に「最初から携帯に電話すると料金がかさむよ。事務所に電話した方が、つかまる可能性が高いから」と言ったくらい。でも、今日はたまたま、その編集者から電話があったときに外に出ていました。銀行で写真代を振り込んだ後、隣駅のスタバで仕事をしていたのです。でも、19時50分でしたから、一般社会では時間外。なんて理屈は、通用しないかな。
その間に請求書を2通起こしました。作業としてはそれほど時間がかかるわけではないのですが、この手の伝票起こしは、あまりクリエイティヴな作業ではないので、面倒くさく感じます。この業界の個人事業主の人で、伝票起こしを楽しくやっている人がいたら会ってみたいです。
さらに、校正作業と企画提出なども重なり、原稿にまったく手が付けられていません。今、もう午前4時。あっ、広告タイアップ記事の訂正作業も、今晩中にしないと…。
しかし、今週は大きな原稿の締め切りはあと2本。小さいのが1本。土曜日が使えそうなので、なんとかなりそうです。それよりも問題は来週。今日の打ち合わせや段取りの結果、恐ろしい事態になってきました。現地に出向く取材が4つですが、5つになる可能性もあります(出張もします)。電話取材が7本。すんなり電話がつながればいいのですが、7本となると、そう簡単にいかないのは目に見えています。
締め切りは長めが1本と中くらいのが2本と、短いのが2つ。データ作成がいっぱい。
でも、忙しいとは言いません。「忙しいという字は、心を亡くすと書くんだ」。10月30日の法事の際、叔父から言われた言葉です。
■11月12日(水)
昼飯前に原稿を1本仕上げ、陸マガ編集部に。12月号の配本日です。表紙は国体の山口有希選手。
町田に移動して、某広告代理店のプランナーの方と会食。陸上競技関係者です。どう関係されているか書いたら、そういうのもあるんだ、と認識を新たにするでしょう。パリの世界選手権も観戦に行かれた方。スタンドからですが、色々と鋭い観察をされていて、驚かされました。当然、広告業界的な視点や情報も聞かせていただき、寺田が世事に疎いというのもありまして、とっても新鮮に感じた話ばかり。
この人、実は女性の方でして、かなり幸せポイントゲット。最近、寺田の日記に女性が登場する回数が増えています(その人も同意見でした)。ロンドン・マラソン通訳の方とか、謎の女とか。ちなみに、謎の女はケニアに旅行に行くそうです。キャサリンと腕相撲で勝負をするみたい(情報が少し曖昧ですが、そこが謎の女たるゆえんか)。
女性の話題が多いのは、福島の元助教授の影響かな、とも思いましたが、三重の二枚目助教授への対抗意識かもしれません。まあ、そういう年頃なのでしょう(誰が?)。
■11月11日(火)
11月11日か。今日、何があったか、イチイチ書いていられませんね。ということで、一行日記……イチイチといえば、市市コンビの市橋有里選手の復帰がいつになるのか、気になっていました。
先日、岸記念体育館の前で東京ランナーズ倶楽部・浜田安則コーチにお会いして、この冬のマラソン選考会に間に合うか質問したところ、微妙な状況だという答えでした。改めて言うのも変ですが、なんとか頑張って欲しい選手。シドニー五輪後の市橋選手のあるコメントで、次はやってくれると感じるものがあったのです。それに、今後、市橋選手のような形で競技をするシステムが存続するためにも。あんまり、「頑張れ」というのもよくないらしいのですが、言われて励みと感じるか負担と感じるかは、選手によって違うので、難しいところです。
■11月10日(月)
国体の際に鼻くそ団子のことを紹介しましたが、地元の高校生から本当にそんな呼称があるのか、自分の周囲では誰も鼻くそ団子とは呼んでいない、とのメールが来ました。
まず、地元といってもメールの主の高校生は、エコパのある袋井市の北隣の森町(79年のインターハイ男子800 m2位の大石哲也選手が森高でした)在住で、西隣の磐田市に通っているそうです。法多山からの距離が違いますね。寺田の育った神長は法多山から3kmの距離。詳しくは説明しませんが、鼻くそ団子という俗称されていたのは紛れもない事実です。
ただ、人口が急増している地区ですから、新しく転入してきた人たちの間に、その俗称が定着しているかどうかは、わかりません。それに、売り出している側はさすがに、鼻くそ団子とは言いませんから。こういった俗称は、本人ではなく周囲が付けるものなのです。例えば、中国電力・坂口監督や、早大・遠藤監督は大学時代“瀬古2世”と言われましたが、当たり前ですが本人が自分で言ったわけではなく、マスコミが付けたり、周囲の誰かが言い出したものです。ちなみに、前述の大石選手と坂口・遠藤両監督は同学年で、遠藤監督が800
m、坂口監督が1500mのインターハイ・チャンピオンでした。
地元では愛着を持って、鼻くそ団子と呼んでいました。決して、汚らわしいというニュアンスはありません。その点だけは、ご理解ください。
昼まであちこちに連絡。とある女性と長電話も1本。と書くと、色っぽいことを想像する方もいるかもしれませんが、普通の仕事の電話です。しかし、長電話に見合った情報をゲットできました。今後の取材に大いに役立ちそうです。
その後少し原稿を書いて、14時から外出。都内の知り合いの事務所で、ある人物と合流。1時間半くらいは書きかけの原稿にかからざるを得ませんでしたが、その後は、その方とラドクリフの英文記事を読みました。と言っても、ほとんど訳してもらっただけなのですが。
19時半頃から食事。その人の新たな面を知ることができました。感動と言ったら大げさですが、それに近いものを感じたと言っていいでしょう。こういうこともあるんだなあ、と。人との縁は大事にしないといけないと思った、ちょっと寒くなった雨の夜でした。
■11月9日(日)
久しぶりに日曜日に在宅。いつ以来かな、と思ってスケジュール帳を見ると、10月5日が在宅でした。もちろん、その日も今日も、在宅勤務。勤務という表現は適当ではないかもしれません。在宅仕事。とにかく、原稿を書きました。東日本女子駅伝をテレビでやっていましたが、その放送中もどちらかというと神経は原稿執筆に使っていたと思います。
原稿は200行を1本と170行を1本(1行1字じゃないですよ。1行20文字)。まあ、取材や全体の構成はとっくに終わっていて、書くだけという段階だったからここまでの量を書けるわけですが。それはあるにしても、今日は集中しました。書いていて、感動的なシーンを思い出し、涙が出てくるくらい入れ込んでいました。どうも最近、涙腺がゆるくなっています。繰り返し見ているDVDのせいかもしれません。
1本目が終わったところで、家族T氏と選挙に。彼女はひどい方向音痴で、たまにしか行かない投票所(多摩市役所)などでは、しょっちゅう道に迷うのです。よく、1人で外国旅行ができるなあと、不思議でなりません。まあ、こちらにも欠点はわんさかあるわけで、そのあたりをお互いに補えるのが夫婦のいいところ、と書いておきましょう。
2本目を書き終えてホッとしていたのが失敗。その後の編集作業まで必要な仕事で、これに約2時間。思ったより手間取ってしまい、現在午前2時。もう1本別の原稿を、なんとか今日、とっかかりだけでもと思っているのですが…。ちょっと左半身に凝りも出ています。
東日本女子駅伝のサイトを見ていたら、アンカー(10km)で区間賞の加納由理選手と、区間2位の高橋富士子選手は1秒差。北陸女子駅伝でもアンカー(8km)で区間賞の福士加代子選手と、区間2位のルーシー・ワゴイ選手は1秒差。この偶然が起こる確率は、4人の選手のトラックのベストタイムなどから推測して、90分の1くらいでしょう(これはいい加減な話なので信じないでください)。
1秒差というと「約5mの差か」なんて思う方がいるかもしれませんが、そうとも言い切れません。ロードレースの記録は1秒単位。つまり、10分の1秒差でも1秒差になるし、100分の1秒差、1000分の1秒差でも1秒差となることもあり得るのです。時々、見かけますよね。駅伝のアンカーやマラソンで、「あの差だったら同タイムだろう」と思っていたら1秒差がついていたり、「あの距離差なら1秒差だろう」と思っていたら同タイムだったり。陸上競技における時間と、自然界の時間は、全くの同一ではありません。なんて、誰でも知ってるか。
■11月8日(土)
昼過ぎから埼玉県某所で取材。久しぶりに武蔵野線に乗りました。
人物ものの取材でしたが、予習は昨日3時間前後をかけてやりまして、完璧とはもちろん言えるはずもないのですが、できる範囲のことはやったかなと。それでも、移動中、松田……ではなくて松屋で昼食をとりながら、最終資料を作成。
現場に行くと、久しぶりに謎の女とも遭遇。取材の行く手に暗雲たれ込め、風雲急を告げました。ということもまったくなくて、取材はスムーズに進行。どちらかというと、謎の女がいるとリズムがよくなる気がします。サンプルが少ないので、絶対にそうだとは言えませんが。
取材は夕方に終了。帰りは、これも久しぶりに東武東上線に。車中、池袋まで取材した選手と、広報の方とご一緒させていただきました。車中の話題はあっちこっちに飛びましたが、10月の国体のインタビュー時間が十分にとれた話から、表彰の話になったときのこと。寺田が「原則的に表彰は競技終了直後にやった方が盛り上がる」と話すと、その選手も同意してくれました。やはり、同じ考えの人は多いようです。
池袋から寺田は飯田橋の知り合いの事務所に。150行の原稿を1本書き上げたのが、22:50。帰宅してもう1本書きたかったのですがダウン、寝てしまいました。明日が大変です。しかし、月曜日にちょっとした楽しみができたので、絶対に頑張って仕事を終わらせないと。
■11月7日(金)
まずは昨日の報告から。
成田空港には15:00着。Qちゃんの便は15:50着ですが、万が一早めに到着したときのことを考えて、この時間着のスカイライナーで行きました。到着すると案の定、テレビ各社のクルーはすでに、カメラのセッティングを終えています。
実際にQちゃん一行が出てきたのは、17時ちょっと前。その間は、色々な人と情報交換と雑談。寺田は新聞記者の方たちよりも成田空港取材が少ないのですが、それでも何回かは経験があります。そのなかでも、今回の出迎え取材の人数はダントツに多かった(と、他の記者たちも言っていました)。
久しぶりにお会いしたO内さんは、この日記まで読んでいてくれる方ですが、「あんまり頑張ると倒れちゃうよ」とのアドバイスをいただきました。そういえば、ちょっと前にISHIRO記者も、自身のサイトISHIRO!の中で寺田のことを「よく徹夜して原稿が書けるなあ」というニュアンスのことを書いていましたが、夜中に原稿を書いているときは、朝寝ていることが多いのです。多いというよりほとんど。かんてつ(貫徹ではなくてたぶん、完徹=完全徹夜)はしません。自営業者の特権でしょうか。
O内さんにはその場で、ポケットからのど飴のホールズHallsを取り出して、お見せしました。パッケージの文字が、ハングルの商品です。寺田は風邪を引く場合、まずのどに来ます。ですから、のど飴が手放せないのですが、それが1年前の釜山アジア大会で購入したものがまだポケットに入っている。つまり、アジア大会後は風邪を引いていないのです。でも、油断大敵。元が不規則な生活を送っていますので、食事とか、睡眠とか、少しは気を遣わなければ。
取材はカコミ取材だけで、テレビ用に約10分、ペン記者用に約15分。さすがに、雑談モードにはならず、昨日の日記で触れた高仲未来恵選手のことは質問できませんでした。でも、シドニーと東京の上り坂の印象の違いは聞くことができたので、最低限、必要な取材はできたかな、と思います。このサイトでも、Qちゃんと小出監督のコメントを記事にして紹介する予定。
17:40から19:40まで、空港内のカフェテリア(?)で原稿書き。テレビ番組雑誌にQちゃんと小出監督のコメントを後送し、もう1本別の雑誌用に40行の東京国際女子マラソン展望(といっても、ほとんど高橋尚子選手ネタ)原稿も。寺田にしては早い仕事だったと思います。帰りのスカイライナー車中で、今日締め切りの実業団女子駅伝関連の原稿を1本(これも40行)、書き上げたかったのですが、構想してちょっと書きかけたところで日暮里着。どうしても自宅に着く前に終わらせたかったので、新宿から小田急の各駅停車に乗って、作業をしました。これは、ちょっとした発見でした。小田急の各駅は、本当に何回も何回も急行などに追い抜かれて、とっても時間がかかるのですが、そのため車内はかなり空いているのです。ヒザの上にパソコンを出して仕事をして、なんの問題もありません。これからも使えそうです。ただ、細かい記録などがヒザの上の作業では調べ切れませんので、帰宅してから*を埋める作業が必要でしたけど。
今日は、ずっと自宅兼事務所にこもって仕事。段取りや雑用、明日の取材準備を優先せざるを得ず、原稿がなかなか進みません。日曜日までに100行原稿4本と、某社の広告タイアップ記事を1本(部分的に少し変えて4バージョン)。いつ寝るかが問題です。
■11月6日(木)
お昼の12時です。今日はこれから成田空港。別に、エールフランスの日本事務所に殴り込みに行くわけではありません(先日、淡路島でもオーバーウェイトチャージのことが話題になりました)。今日は高橋尚子選手がボルダーから帰国するのです。少しはコメントを聞けるといいのですが……って、聞けないと、今日締め切りの東京国際女子マラソンの展望原稿と、昨日提出したテレビ番組雑誌の記事への後送部分が書けません。
ところで今回の東京国際女子マラソンには、京セラの高仲未来恵選手が初マラソンとして出場します。実は高仲選手とQちゃんは、ちょっとしたつながりがあります。その辺をQちゃんがどう思っているか聞いてみたいのですけど、さすがにここまでマニアックな話題は共同取材の時に聞くとひんしゅくかも。でも、聞きたいなあ。テンションが上がったら、思わず聞いてしまうかも。雑談モードになったらOKかな、という気もしますし。
■11月5日(水)
昨日締めきりの200行原稿ができあがったのが、結局、今日の昼過ぎ。実は昨日も泊まり込みです(ただし、早寝早起き)。昼食を挟んで、某テレビ番組雑誌に東京国際女子マラソンの展望記事を1本。昨日送った原稿の手直し作業をやって、サイトに山梨学大の記事をアップしたところ。今日明日締めきりの原稿は、大きなのが1本と、中くらいのが1本。頭を国体に戻さないといけません。まだ、終わって1週間も経っていないのですが、大きな駅伝の取材が2つもありましたし、原稿も駅伝関係を続いて書いたものですから。
おっと、このサイトの国体記事も、日本選手権リレーの記事も途中です。なんか不安ですね。週末、神戸にプラっと行くプランもあるのですが…。
そうそう、国体で食べた袋井名物の鼻くそ団子の写真を出すのを忘れてしまいました。ちなみに赤福ももう一度。地元びいきってわけじゃありませんが、鼻くそ団子の方が絶対においしい。鼻くそ団子は乗っているあんこをとって、本当に指にちょっと鼻くそが付いている状態にして食べると、団子(というよりお餅)の旨味が実感できて、本当に美味なのです。そのてん、赤福はたらふく食べると、あんこのギトギト感が若干、残ります。
反論のある人はいつでも名乗り出てください。袋井の鼻くそ団子と伊勢の赤福、どちらが美味しいか、論争でもなんでもしますよ……宇治山田商高出身の野口みずき選手から「赤福の方が美味しい」と言われると、ちょっと困りますが。さすがに銀メダリストと論争はできません。
■11月4日(火)
昨晩は陸マガに淡路島女子駅伝の写真(といっても最近はCDなんですが)と記録を届け、そのまま都内の某事務所で泊まり込みで仕事。といっても、国体以来早寝早起きの習慣が付いているので、2時には寝て、今朝は7時前から仕事。今日の14時頃にやっと、出張中から取りかかっていた280行の大作原稿を仕上げました。ホント、もう少し早く書かないと、と思いますが、昨日の淡路島と、今日の午前中の電話取材で、ネタ的にはそこそこのものが盛り込めたと思います。
夕方までに短めの原稿を1本書き、もう1本長めの原稿を書き上げたかったのですが…。これも書く段になると、あれも取材しておきたい、これも確認しないと、という気持ちが出てきてしまって、夜の8時過ぎにもかかわらず、某チームと某チームのスタッフに電話取材。個人的な面識がある相手だからこそできることで、普通の相手であればできないことです。少しは人脈もできてきたってことですね。アノクタラ山脈サンボダイ……でしたっけ、インドの山奥で修行したのは……レインボーマン?
■11月3日(月)
昨晩のうちに神戸に入り、今朝の高速バスで淡路島に。ちなみに、淡路島に行く際には必ず高速舞子というバス停(?)を通りますが、舞子高といえば新井初佳選手の母校。で、新井選手は甲南大出身でもあります。寺田は甲南大OBのO川くんという編集者と知り合いですから、舞子とも若干のつながりがあるわけです。それがどうした、と言われると何でもありませんとしか答えようがないのですが。
スタート場所はいざなぎ神宮。熱田→伊勢→いざなぎ。出雲もそうですし、箱根もそうですが、駅伝の発着場所は神社の有名な土地が多いですね。つまり、学生の駅伝3大会は神様でつながっています。それがどうした、と言われると困りますし、誰でも気づいていることなんですが。まあ、そうですね。もしかしたら、箱根駅伝スタート&フィニッシュの大手町・読売新聞社前も、その方面の関係の場所かもしれません。今度、プリンス近藤記者に聞いておきます。
今日の取材は雨のせいで若干、機動力が奪われました。でも、そのくらいは何とかするのがプロ(寺田のことです)。でも、あとで気づいたのですが、撮影した写真のバリエーションがちょっと少なかったです。反省しています。
取材以外の収穫は、久しぶりに杉森美保選手の笑顔を見られたこと。9月にチームに戻って練習を本格的に再開したそうですが、無理をしたため一度落として、また来週から本格化させるそうです。いつもの笑顔で話されると、実際に苦しんでいた期間の表情が想像しにくいのですが、その辺はいずれまた、話を聞く機会もあるでしょう。
淡路島在住の出口庸介先生(陸マガに駅伝やマラソン関係の記事をたくさん書いている方)とも久しぶりにお会いできて、いい一日でした。
■11月2日(日)
全日本大学駅伝取材。伊勢はもう慣れたもので、プレスルームのある神宮会館には伊勢市駅からバスでスーイスイ。もちろん、宇治山田駅など庭みたいなものです。とまで言ったら嘘八百。宇治山田商高出身の小林史明選手や野口みずき選手だったら庭と言えるかもしれませんが。そういえばちょっと前の日記で、キリスト教の唯一絶対の神に対し、日本の神道は八百万の神であることを話題にしました。日本の諺に八百が多く使われるのにはわけがあるのでしょうか。といっても、この2つの言葉しかとっさには浮かびませんが。
ということで、今年も神々の土地・伊勢で取材を頑張りました。プレスセンターに配られた記録で昨年同様、記録速報にトライ。後半の区間は繰り上げスタートが多くなった影響か、記録が出るのが遅くなり、5区までしか入力&アップができませんでした。6区・7区も8区の中盤くらいで立て続けに記録が出ましたが、もう取材に行く準備をしないといけなかったので、速報は断念せざるを得ませんでした。
今日は暑かったです。ある監督の話によれば、大東大が優勝した年で台風(大雨)になったとき以来の暑さ。早大の選手の途中棄権も暑さが原因だったと思われますし、駒大の5区・8区の落ち込みも、大八木弘明助監督の話から判断すると暑さが一因だったように思います。寺田もフィニッシュでの取材は、冬に近い装備で行ったので汗だくでした。
取材が一段落後、007ことO村ライターと、ライター・イン・ブラックのS井くんと赤福を食べに。S井くんと2人で、O村ライターに赤福をたらふくおごりました。でも、おごっただけでは元が取れません(意味、若干不明瞭)。赤福屋さんで“たらふく”と言ったら具体的に何個になるのか、どうしても知りたくなりました。しかし、パリにいたときほどテンションが上がりません。それを言うと、S井君が代わりに店のおばさんに質問してくれました。
S井 「赤福をたらふく」って言ったら、何個になりますか?
寺田 今、ちょっと話題になったんですよ。(と、寺田もフォロー)
おばさん さあねえ、人によっても違うだろうしねえ(と、真面目なお答え)。
寺田 もしも「赤福たらふくください」って注文されたら、何個出しますか?
おばさん そうねえ。ひと箱くらいかねえ。
今度、野口みずき選手にも聞いてみましょう。
■11月1日(土)その2
14:30から全日本大学駅伝の監督会議、16:00から開会式。その間と開会式後にここぞとばかりに取材しました。幸いにも上位候補5校の指導者から話を聞くことができました。欲を言えばイニシャルTの2校の指導者からも聞ければ良かったのですが、さすがに7校は厳しいですね。とにかく、取材したすべてを掲載しましょう。自分だけ知っていても面白くありませんからね。今回に限りませんが1人でも多くの陸上競技・駅伝ファンが、これらのコメントを知ってテレビ観戦をしたら面白いんじゃないか、という思いから頑張っています。
それにしても、駅伝やマラソンの試合は、1つの種目を徹底的に取材する面白さがあります。しかも、大会前に取材機会があるのも、長距離のいいところ。トラック&フィールドの取材では、1つの種目でここまで広く取材することはできません。駅伝やマラソンは単独種目の大会ですから、当たり前と言えば当たり前なんですが。その辺の工夫って、トラック&フィールドではできないのでしょうか。多くの種目を行うのが陸上競技と言ってしまえばそれまでなんですが。
さて、明日は陸上界の007ことO村ライターと、ゴールドフィンガー寺田が赤福たらふくを賭けて勝負です。ライター・イン・ブラックのS井ライターも加わってきました。賭けというのはもちろん冗談で、単なる優勝タイム予想です。
■11月1日(土)
午前9時40分。これから全日本大学駅伝と淡路島女子駅伝の取材に出発します。大きな原稿を2本抱えていきますので、このサイトにどのくらい書けるか疑問。でも、なにかしら書くでしょう。国体の記事は4日目のダイジェストを書いている途中ですが、アップできていません。山口有希選手の記事が長くなっちゃってるんですよ。それだけ、独立させようかな。でも、時間があるのか……。そういえば、日本選手権リレーの記事も書きかけですね。実学4×800 mRのラップタイムなんかも出したかったのに。
■10月31日(金)
国体前日はほとんど徹夜でしたが、国体期間中は絵に描いたような早寝早起き。今日も6時には起きて仕事を開始。8時からはメールの返信など。9時台だったと思いますが、珍しく朝からプライベートな電話も。
午後から駅伝関係の取材。自宅兼事務所から近い場所での取材でした(と書いても、該当チームがたくさんあるから特定できないはず)。選手、指導者の双方から、面白い話を聞くことができました。誌面に載せる文字数では、ネタが使い切れません。でも、絶対に無駄にはしません。
今日取材した原稿は、今日が締めきり。帰宅途中のドトールで仕上げました。
20時には帰宅。大きな原稿を2本抱えていて、片方でもいいからめどが付くところまで進めたかったのですが、明日からの全日本大学駅伝&淡路島女子駅伝取材準備に約4時間。ちょっと時間をかけ過ぎですが、2つの試合と2本の大きな原稿の資料を準備するのです。それに、今回は赤福たらふくが待っていることですし。頑張らないと。
■10月30日(木)
国体取材最終日。昨日、兄の家に民泊していた大分の女子2選手も、帰ったようです(澤田選手は一昨日)。帰った後の部屋には、2人からの手紙が置いてありました。寺田も読ませてもらったのですが、心にしみるものを感じました。
今朝はぎりぎりまで仕事をしていて、シャトルバスも昨日までより本数が減っていて、朝としては初めてタクシーで行きました。1000円ちょっとの距離。朝食を食べる時間もなかったので、法多山の鼻くそだんごをひと箱買って、朝食に。このおだんご、地元の人間にも人気のようで、3日目の朝には地元新聞の方からどこに売っていたか聞かれましたし、今日は補助員の高校生がこぞって購入していました。記者席で鼻くそだんごの写真を撮っていると、成年1500mで2位となった田子康宏選手が通りかかりました。「だんご食べない?」と勧めると、民泊先でかなりご馳走になっているとのこと。ここまでメジャーになっているとは知りませんでした。国体効果は絶大です。
今日は4種目のみですが、リレーが盛り上がって、ハーフマラソンのフィニッシュが見られなかったほど。袋井のコースの印象とか、終盤になってラドクリフの幻影が見えたかどうか、選手に聞きたいこともあったのですが、まあ、仕方ありません。
最後は、恒例のサブトラック詣で。一般種目の選手や関係者は今年最後になりそうですから、補足取材などをしながら挨拶。長距離関係者には、今後の下準備としての取材を兼ねて挨拶。それほど数多くしているわけではありませんが。UFJ銀行の高橋コーチに話を聞けたのは、ラッキーでした。1つ「んんっ」という出来事があり、あることに気づかされました。これは時間が経って、上手く話にできる機会があったらということで。
11時に競技は終了しましたが、スタジアムを後にしたのは14時近く。愛野駅で某大学3年生トリオに、新幹線に乗り換えた掛川駅では専門誌カメラマン&編集者&R連関係者4人組と一緒になりました。寺田は静岡で降りて法事に出席。久しぶりに会う人たちばかりなので、いつもとはちょっと世界が違いました。22時頃帰宅。
■10月29日(水)
国体取材4日目。朝起きると、窓の外から風が強く吹いている音が聞こえてきます。晴れてはいましたが、記録は苦しいかな、とも思ったのですが……。今日は男子400 mで山口有希選手が五輪A標準突破となる日本歴代4位(ジュニア日本記録)、女子400 mで丹野麻美選手がジュニア歴代2位、少年の女子3000mで高1最高と中学歴代2位と好記録が出ました。少年の5000mでも日本人トップの佐藤悠基選手が自己新、少年男子の400 mでも、優勝した赤松寿長選手が大幅な自己記録更新です。同じエコパで行われた7月の静岡県選手権を取材したときに、硬い高速トラックであることは聞いていましたが、周回する種目では、常に追い風になる感じだと、山口選手と丹野選手が話していました。
袋井で国体をやる、それも10月末の開催と聞いて、一番不安だったのが風です。遠州の空っ風と言われるくらい、この地方は冬に風が強いことで有名。10月だったら大丈夫なことの方が多いですけど、強い西風が吹く可能性も懸念されました。ところが、聞くところによると、エコパは西風が吹くとスタジアム内の風がちょうど、トラックの周回と同じ左に回って吹くのだそうです。このスタジアムを設計した人は偉い! それに、スタジアムの外は風が強くても、中は比較的弱くなるみたいです。
地理的にどうかという問題もありますが、関東と関西の中間ですし、最寄りの愛野駅は、新幹線停車駅の掛川駅の隣。ホテルだって、国体やインターハイでもない限り、掛川や浜松に問題なく泊まれます。サブトラックの近さも特筆ものでしょう。
これで、袋井の名前がレコードブックに残ります。さっそく、海外からも「エコパは何市にあるのか」という問い合わせ。まあ、一部ベテラン記者から、「袋井なんて、陸上関係者の誰も知らないよ」という意見が出ていたと、人づてに聞きました。まあ、どんな地名も、最初は誰も知らないのです。地名に限らず、無名選手が活躍し始めたときも同じこと。今後、400 mの記録を出すためにエコパで競技会が開かれるようになり、横浜国際競技場や長居に取って代わって、“400 mの聖地”と呼ばれることになるかもしれません。
■10月28日(火)
国体取材3日目。昨日の朝も今朝も、8:52発のシャトルバスでエコパまで行きました。2日間とも60歳代くらいの御夫婦と停留所でお会いしました。
さて、何度か書いているように袋井は、寺田が高校時代まで過ごした土地です。だから何かをするということもないのですが、せっかくですから土地の名産品をお世話になっている方たちに食べてもらおうと、法多山(はったさん)名物の厄よけだんごを陸マガ編集部や、陸上記者クラブ、お世話になっているカメラマンの面々に進呈しました。国体会場はある意味、その土地の特色や名産品をアピールする場。会場内で売っていると思って探したら、案の定、すぐに見つかりました。
法多山というのはエコパの南側の山を1つ越えたところにあるお寺で、この近辺では有数の観光地。初詣には何万人という人が集まります。厄よけ団子というのですから、神社も兼ねているお寺なのでしょうか?(実はよく知らなかったりして)。このおだんご、地元では鼻くそだんごという俗称で通っています。なんでかというと、串に細長くお餅が刺さっていて、その周りにあんこが付いているからなのですが。写真を紹介できればわかりやすいのですが。
陸マガ編集部には何回か、土産として持っていったことがありますが、初めての方たちにも概ね好評。まあ、鼻くそだんごという俗称は、あとからお教えしたケースもありましたけど。会場で売っていますから、選手の皆さんもぜひ。
昨日、表彰のことに触れましたが、今日はこんなシーンがありました。各県の功労者を毎年、国体のときに表彰しているのですが、ずらりと並んだ受賞者の後ろを走っているのは助走練習をしている……のではありません。本番の競技をしている少年A男子三段跳の選手。ベテラン記者たちから「なんだあれは」と、非難の声が挙がっていました。
地元の話題をもう1つ。成年男子棒高跳で2位になった鈴木秀司選手が、今国体を最後に引退します。浜松工高出身。昨年の地元・高地国体は代表になれませんでしたが、出身地で開催される国体を引退試合にと、この大会だけに合わせてきました。今季のベスト記録は4m20だったのですが、ご両親や中高時代の仲間をスタンドに呼び、そのなかで5m35を跳んだのです(自己ベストは5m41)。見事というしかありません。三英社から高知に移り、高知ではいろいろな活動をしました。お疲れさまでしたと、心からねぎらいたいと思います。
■10月27日(月)
国体取材2日目。
兄のところに民泊している大分の澤田実希選手がやってくれました。少年A女子400 mHで3位になったのです。国際大会の日本代表選手というようなケースでなければ、特定の選手を応援することはありませんが、今回のような場合はいいでしょう。前半は足が合わなくてハードルの前で無理に刻む走りになっていたので、これは厳しいと思いましたが、最後の直線に入る前後から見事な追い上げを見せました。準決勝で出した自己記録をさらに縮めて61秒09。
レース後、他の記者の方(大分の新聞社?)と一緒に少し取材をしましたし、夕食のときにもちょっと話を聞かせてもらいました。予選・準決勝は前半を15歩で行っていたそうです。つまり、決勝は明らかにミス。普通だったら(日本のトップレベルだったら)、こういったミスは大きくタイムに影響しますが、そこは伸び盛りの高校生なんでしょう。そのミスをなんとか後半の頑張りで何とかしてしまうんですから。逆に言えば、記録を伸ばす余地はまだまだあるということです。
ところで、今回の国体で決定的に素晴らしいことは、インタビュー時間が十分に設けられていること。インターハイや国体では、5分か10分もすると「表彰の時間ですから」と、打ち切られてしまうことが多いのです。ひどいケースは、テレビ用のインタビューが終わると「あと3分」とか言います。そういう運営をするところの多くは、選手をインタビュールームから連れ出してすぐに表彰をするかというと、選手は10分も20分も控え所で待たされている。だったら、その間に話をちょっとだけ聞こうとすると「規則ですから」と許されません。持ち回り開催ですからわからないのでしょうが、毎年取材していると「なんとかならんのか」と思います。その点今回は、テレビのインタビューがひとしきりあったのち、ペンの記者が質問する時間が十分にあります。担当の先生がしっかり質問の出方を見ていて、「もういいですかね」と記者たちに確認してくれることもあります。スペースも1位の選手の周辺は広くとってあって、多くの記者がコメントを聞ける配慮もしてあります。ほんと、取材しやすいですよ。
何回も申し上げているように、表彰はレース後(フィールド種目は競技終了後すぐ)、その場でやった方がいいのです。表彰をあとからやっていいのは、表彰自体が競技会を盛り上げる演出となっているときだけでしょう。国体では若干、その要素はあります。県単位のチームで参加なので、表彰場所正面のスタンドに応援の人間が集まって、やんやの喝采を送っていることが多いですから。
しかし、世界選手権の表彰との決定的な違いがあります。世界選手権フォト日記B第4日〜第6日編で紹介したように、あちらでは表彰する人間は、選手に賞状・賞品を渡したあとすぐに、サイドに移動して選手の正面を空けます。しかし、今回は(というか日本では)選手の正面にずっと居続けて選手の礼を受ける段取り(儒教の国ですからね)。そのあとちゃんと、写真撮影時間が設けられているのでいいのですが、正面から見ている観客や、全体の“絵柄”を考えると、あまり格好良くないのです。
■10月26日(日)
朝の6:30に出発。最寄り駅を先週の箱根駅伝予選会よりも30分あとの電車です。愛野駅に9:33着。10時からの種目に間に合いました。よかったよかった。でも寝不足。新幹線の自由席はガラガラでしたから、3人がけのいすに横になりました。格好悪いと思う人は真似しないように。
愛野駅からエコパまではシャトルバスが出ていて楽ちん。
競技のことはここでは置いておきまして……でも、女子砲丸投の成年&少年でドラマがありました。成年では今季日本選手間で負け無しだった地元静岡の森千夏選手が敗れ、豊永陽子選手が日本人2人目の17mプット&五輪B標準突破。対して、少年Aの砲丸投ではインターハイ優勝のラトゥ選手が敗れ、今度は地元の美濃部選手が自己新の14m28で優勝。
北海道勢の活躍もすごかったです。男子少年共通円盤投の越智選手は大会新、そして少年Aの男女100 mを品田&北風選手が制しました。品田選手は走幅跳予選でも7m50を1回で跳んでいます。成年女子400 mの木田真有選手は、残念ながら今回もキタキツネ走りが炸裂せず、吉田真希子選手に敗れて2位。でも、北海道は天皇杯・皇后杯ともリードしました。
サブトラでは甲南大・伊東浩司監督と雑談。関西学生学年別の女子200 mで1・2・3フィニッシュをしたことが話題に。2年目で選手の精神面も充実してきたと言っていました。新井初佳選手もグラウンドに顔を出し、選手のモチベーションアップに一役買っているようです。スタンドのプレス席に戻ると甲南大OBの某誌・O川記者も、関西学生学年別の結果を喜んでいました。
実家に戻るのにはシャトルバス。最初、発着場所を間違えてしまい18:37発のバスに間に合いませんでしたが、19:02発の最終があったので事なきを得ました。19:25には実家に到着。家族T氏から託された土産物を届けるため、すぐ近くの兄の家に。23日の日記で紹介しましたが、民泊として大分県の女子選手2人を受け入れていました。リビングにいたのは少年A100 mの有間友美選手と少年A400 mHの澤田実希選手。ともに2年生。澤田選手は準決勝2組を1位で通過して明日が決勝です。
部屋に入った瞬間、2人の選手がそれほど緊張していないのが伝わってきました。民泊というのは選手も受け入れる側も、お互いに気を遣う部分が多いのでどうかと思っていましたが、案ずるよりなんとやら。全部がそうだとは言い切れませんが、どうやら兄の家ではうまくやっているようです。姪と甥も普通に接しているようですし、猫もちゃっかり、ソファの上で2人の選手に挟まれて眠っています。明日が楽しみになりました。
■10月25日(土)
昨日は充実した一日でしたが、サイトに割く時間がなくて、敷島スプリントDが途中までしか書けませんでし、関西学生学年別選手権の記録(関西学連サイトで)にも目を通せませんでした。この大会、取材中に何人かの選手の口から聞いたことのある大会でして、ちょっと興味を持っていました。同じ関西の学年別大会である近畿高校学年別(でしたっけ?)では、よく好記録が出ていますし。阪田直子選手の3000m高校新は記憶に新しいところ……といっても、もう4年前ですか。
今日、3日目と4日目の結果にも目を通しました(決勝だけ、かなりザッとですが)。フリーになってから高校生・大学生の取材機会が少なくなって、レベルの判断力が多少鈍っている寺田ですが、関西学生学年別の記録はちょっと期待はずれ。男子中距離はそれなりのレベルにありましたし、2種目を制した選手など来季が期待できそうですが、長距離種目のレベルはひどいですね。主力選手が駅伝などに備えて出ていなかったのでしょうか。フィールドも上位はともかく、7〜8位のレベルがガクッと落ちる種目も多くて、これが日本の陸上界の現状なのだと改めて認識した次第。走幅跳に出ていた大物新人の笠原瑞世選手も……。
短距離・長距離など選手の集まりやすい種目以外は、中学・高校を含めてレベルが落ちている、それが関西の学生レベルにも影響しているといえるでしょうか。あまり詳しくデータを検証していませんので、間違っていたらご指摘ください。
それでも、珍しい大学が頑張っているとオッと思います。古賀みどり選手の大阪人科大ってこれまでも強かったの? とか、和歌山大が4×400 mRで3分17秒47ってすごくない? とか。古賀選手は高校時代に13秒6台で走っていますから、今回の13秒97(+2.3)はあれですが、地方国立大(ですよね?)の和歌山大の3分17秒47というのは、かなり評価できるんじゃないでしょうか。地方国立大が強くなるパターンとしては、岩手大・清水先生や福島大・川本先生、三重大・杉田先生など、情熱と手腕のある指導者がいるケースが1つ。もう1つは、その大学のある県が陸上競技が盛んで、通常の試験で合格した学生の中に、そこそこのレベルの選手が何人かいるケース。静岡大などがそれに該当すると思います(とか書いて、静岡大に熱心な指導者の方がいたらまずいですよね。国体で静岡県関係者に聞いてみましょう)。和歌山大って、どうなんでしょう、E本編集者?
当初の予定では今日、袋井に帰るはずでしたが、結局、仕事が終わらず帰れませんでした。明日の早朝に出発して、直接エコパ入りします。そういえば昨日、パルコの横を通りましたっけ。ヤバっ。
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