寺田的陸上日記      
毎日の陸上競技関連ニュースを紹介しつつ…        
昔の日記はこちらから
2001年7月。ジュライを欧州で迎えるなんて、従来なかった

●7月31日(火)
 朝、外の気温は11℃(と、地元のテレビ局らしき画面に表示されています。世界選手権の特集もやってました)。昨晩、早くに就寝したので、3時に起きたのですが。今日はこれから、男子マラソン日本選手の記者会見。そのあとは、プレスセンターに行って諸事確認。昨日行かずに失敗したな、思った点が1つ。早めに行かないとロッカーが埋まってしまうのです。3日前だから、大丈夫だとは思いますが。

 10時に男子マラソン勢の記者会見。場所はWILLIAM HAWRELAK公園のピクニック・シェルター・ナンバー2。前回セビリアの際のスペイン広場(日本に帰れば写真があるのに)とは雰囲気がかなり違いますが、テーブルがいくつもあって(外国人プレスに取材される藤田選手)、取材しやすかったように思います。藤田敦史&高橋健一の富士通2選手が“違和感”のあることを公表。詳しくは記事をご覧ください。記事中でも紹介しましたが、東アジアの朝原宣治(大阪ガス)選手の欠場記事で“故障”という言葉を使って失敗した経験があります。藤田選手が好調でないのは確かでしょうが、可能性がまったくないわけではないと思い、このような記事の書き方にしました。
 気温は時間とともに上昇し、取材中、日の当たる場所は暑いくらい。気温は20℃台中盤だったと思われますが、日光は肌を刺すくらいに強く感じました。

 取材終了後、共同通信の車に同乗させてもらい、マラソン・コース伝いにコモンウェルス・スタジアムへ。車中からマラソン・コースの写真(35km過ぎの109streetを北上している際のもの)を何枚か撮影。
 プレスセンターに行く前に、中華街で食事。イチロー似で人気の高い、毎日・石井記者も一緒でした。

 プレスセンターは、スタンドのプレス席から50mの近さにありました。文字通り、隣接しています。これには感動しました。ここの移動距離が長いと、けっこうつらいのです。プレス席上段から見た競技場はこんな感じ。
 午後は、資料集めや会場のレイアウト把握、ロッカーのキープ(無事にできました。ただし使用料10カナダドル、デポジット10カナダドルはちょっと高い。1カナダドルは約90円)などをやったあと、午前中に取材した男子マラソン記者会見の記事を書きました。競技が始まると、さすがにここまで詳しい記事は書けないと思うので、今日は気合いを入れました。ちなみに期間中は、スポニチにコラムを(毎日1本?)書きます。その他にも、雑誌、インターネットなどにいくつか原稿を書く予定です。もちろん、「寺田的陸上競技 メルマガ・バージョン」も。


●7月30日(月)
 ただ今、成田です。エアポート・ライターと言われる(Nスポーツ・S木記者から)だけあって、空港ネタが多い気がします。ノースウェスト便でシアトル経由でエドモントンに入りますが、ノースウェスト航空は格安チケットでもマイルが貯まります。ちょっとビックリ。故障が多い会社だと、少し悪い噂も聞きます(Sスポ・M記者から)が、落ちたことは最近ないようですし…。
 なんとかメルマガ・バージョンの原稿を書き上げたかったのですが、どうやら機中が勝負です。パソコン2台体制ですから、バッテリーも5時間は持つでしょう。シアトルまで8時間。うん、ちょうどいいか……な?

 シアトルに着きました。アメリカ西部時間で朝の8時半。生まれて初めてのアメリカ。空港内の移動(ターミナル間)がわかりにくいのですが、「なんのこれしき」、です。待ち時間が3時間近くあるので、インターネット接続に挑戦しました。公衆電話にも、モジュラージャック付きのものがいくつかあります。さすがアメリカ。ヨーロッパとは違います。モバイルなら、日米が先進国だということがわかりました。これだけの材料で判断していいのか、という気もしますが、たぶん間違っていないでしょう。
 コインは持っていませんが、クレジットカードが使えるタイプで、このタイプはロンドンで経験済み。「楽勝だな」と思ったのですが、クレジットカードが、どうしても受け付けてくれません。30分近く粘ったのですが、残念ながら断念。せっかく、機内でメルマガ・バージョンの原稿を書き上げた(パソコン2台体制の威力)というのに。本当です、N實さん。
 さて、シアトルの待ち時間で絶対にやってみたいことがありました。携帯電話の使用は加納由理……いや、可能です。
 ツー、ツー、ツー、ガチャ。「佐々木さんですか?」「一郎君ですか?」
 シアトルの人がたくさんいる場所で、この2人の名前を発声してみたかったのです。そのために、「佐々木」「一郎」という名前の人と知り合いになっておきました。1人でこの2つの姓と名を持っている人がいたら、楽ですね。電話をかけるのが1回で済みます。
 遠大でかつ、ウイットに富んだ計画を実現したはずですが、周囲は誰も…と思った瞬間、真正面のおじさんがこちらを見て、ニヤっとしました。めでたし、めでたし。

 エドモントンには2時半着。シアトルの出発ゲートが「N8」から「N7」に変更されていたので、ちょっと慌てました。
 空港内の世界選手権デスクに行くと、アクレディテーション(受付、でしょうか)の施設まで車で送ってくれました。ジャックという気のいいおじさんが運転手。83年のユニバーシアード大会のにも、同様にボランティア(たぶん?)で参加したらしいです。寺田はそのユニバーシアードの400 mで日本人で初めて45秒台をマークした選手が、今回、短距離男子のヘッドコーチとして来ている、と話しました。
 こう書くと、英語ができると思われてしまいますが、ヨーロッパ取材の際にも書きましたが、そんなにできるわけではありません。カナダの人は親切そうなのですが、英語をもうちょっとゆっくり話して欲しい、というのが正直な感想。やっぱり、ネイティブはきついですね。その点、ヨーロッパではイギリス以外、英語がネイティブというわけではありませんから。
 アクレディテーション終了後、ホテルまで送ってもらってしまいました。ありがとう、ジャック! プレスセンターに行こうかとも思ったのですが、今日はまだシャトルバスの本数が少なく、仮に行っても1時間ほどしかプレスセンターにはいられません。ホテルからのネット接続セッティングを優先させました。これは一発で成功。電話機の脇にモデムポートがあり、楽勝でした。
 問題は、アクセスポイントの方かもしれません。今日は無事に接続できましたが、ときどき、なかなかページが表示されない現象が起きます。回線が混み合っているのかもしれません。そういえばセビリア世界選手権も、到着した直後はつながったのに、開幕が近づいたら接続さえできばくなってしまいました。アンダルシアに比べたら、北米のネット事情は雲泥の差があると思いますが…。
 ホテルの部屋はこんな感じ(写真1写真2)。そこそこ清潔そうなので、チェストタイプの箪笥に衣類など荷物を移しました。欧州のホテルでよく見かけましたが、使ったのは初めてです。それにしても、かなり冷えます。夜は20℃を大きく割っているでしょう。
 徹夜で出発準備をし、機内は原稿を書いていたので(というか、元から飛行機ではあまり眠れない)、ネット接続成功後に就寝。


●7月23日(月)
 昨日から今日にかけ、原稿を3本仕上げました。たぶんこれで、エドモントン出発前の外部の原稿(内部の原稿は、本サイトとメルマガ・バージョンの原稿)は終わりでしょう。
 夕方、都心に出て打ち合わせを1つ。
 そろそろ、出張モードに切り換えたいところですが、メルマガの原稿を書き終えないと、切り換えは難しそうです。

 昨日書いた、野球報道の曖昧な言葉の例をもう1つ。投手が打者に対して「攻める、逃げる」という表現を、頻繁に聞きます。元選手の解説者も使っています。寺田が疑問に感じるのは、「投球に“攻める”と“逃げる”の違いがあるのか」ということです。変化球主体の投球、あるいは配球の妙で打者をアウトにしようとすることを“逃げ”と言い、速球主体でアウトにしようとすることを“攻め”と言っているようですが、投手は打者をアウトにするのが目的なのですから、見る側の好き嫌いはあっても、“逃げ”という消極的な表現をするのは変だと思うのですが。
 ということで、エドモントン出発までちょうど1週間。“攻めの仕事”で頑張ります。


●7月22日(日)
 プロ野球のオールスターが行われました。どちらが勝ったのか、結果は忘れましたが、スポーツニュースが「松井(ジャイアンツ)と松坂(ライオンズ)が力と力の対決をした」との表現をしていたのが、気になりました。この手の報道の場合、“力”とは、どんな定義なのでしょう? 松井と松坂はプロ野球界で、背筋力や握力など筋力が強い選手の代表という意味にもとれますし、野球選手としての総合的な力量が球界トップレベルの2人、という意味にも取れます。
 前者の意味だとすると、この2人はあまりテクニックがないタイプの選手、ということになります。それでは、2人を馬鹿にしていることになります。野球が、筋力だけでできると言っているようなものですから。では、後者の意味かといえば、それも違うようです。変化球主体のピッチングで実績を残している投手と、ホームランは少ないけど打率は高い打者は“野球選手としての力”はあるわけですが、その両者の対決にはたぶん“力と力の対決”という表現は使わないでしょう。
 つまり、ニュースが表現するところの「力と力の対決」とは、単に「速球投手とホームランバッターの対決」という意味です。それに対して「力」という、いろいろな解釈のできる言葉を使うから、ジャーナリストなど常に“本当にそうなのか”と自問するタイプの人間には、曖昧に感じられてしまうのです。テレビ局の人間もジャーナリストなのでしょうが、野球報道にはいい加減な表現が目立ちます。

 では、陸上競技の報道はどうなのでしょうか? 陸上競技の報道ではよく、パワーと技術という言葉を対極的な意味合いで使います。
 走るのが速い短距離選手を見て、体型ががっちりしていたらパワー系、そうでなかったら技術系と、安易に決めつけていないでしょうか。実際、各種筋力を測定して明白な差があれば、ある程度は結論づけていいかもしれません。しかし、そういう検証をせずに、見た目だけで決めつけていませんか。
 まして、選手の立場から言えば、ある技術(動き)を追求していたら、それに伴って筋力がアップしたという場合もあります。あるいは、その技術に筋力が必要だから、筋力をつけたというケースです。そういった選手はインタビューで「練習では技術ばかりをやっていました」と答えるでしょう。でも、体型は他の選手よりがっちりしていたりするケースもあるのです。
 ただ、これは認識の難しさから生じる部分で、野球報道の曖昧な言葉とは、ちょっと違いますね。ジェノヴァ・サミットも閉幕したようで、なんとなくニュースから話題を取り上げてみました。これも、わけのわからない理由です。


●7月21日(土)
 昨日の話の補足です(ちょっとわかりにくかったかもしれません)。
 地元開催(のプレッシャー)ということを、競技力向上のプラス方向に持っていくことももちろん可能です。吉田真希子(福島大TC)選手が、地元国体の400 mHで転倒し、その借りを日本新を出すことで返すため、今日まで頑張ってきたことが、東アジア大会で明らかになりました。福島関係では、先週女子100 mで11秒36の日本新を出した二瓶秀子(福島大)選手もそうです。福島国体の強化選手に指定されていなければ、彼女は競技を続けていなかったわけです。もしかすると、福島県の強化関係者が二瓶の将来性を見抜いての措置だったかもしれません。いずれにせよ、地元開催を選手強化にうまく結びつけた例と言えるでしょう。
 藤田あゆみ選手も地元の福島国体で、自己記録を大幅に更新して少年100 mHに優勝しました。日体大入学後に記録は低迷しますが、一度は走った記録ということであきらめず、大学4年時に地元国体での記録を更新。それが学生新、さらには日本のトップハードラーとして活躍することにつながったわけです。
 ただ、これらは表に出てくる成功例です。逆に地元開催の重圧で、潰れてしまった選手もいるかもしれません。成功例に学ぶことも有効だと思いますが、逆に失敗例を包み隠さず公にすることで、学ぶ点もあると思うのです。
 柔道の世界選手権代表選手が、本日成田を出発しました。Nスポーツの陸上担当、S木記者が成田に取材に行ったとのこと。M新聞のI井記者も、出発前に講道館で取材しています。柔道は陸上よりもはるかに、“勝ちを宿命づけられた”競技です。選手やコーチのプレッシャーは、もろに受けるわけです。柔道から学ぶ点が、あるように思えます。


●7月20日(金)
 今日、世間は海の日で休みだそうです。世間は3連休だそうですが、フリーランスにはあまり関係ありません。日曜日までに3本、原稿を書き終える予定です。
 福岡では水泳の世界選手権が始まっています。地元開催ということで、オリンピック翌年でも選手たちにとっては大きな目標となっていることでしょう。
 ところで、地元開催で選手が張り切る、あるいはプレッシャーを感じるのは、何故でしょうか。考えられる1つ目の理由は、多くの友人・知人が応援に来るからです。もう1つの理由は、選手の置かれている社会的状況からです。つまり、地元で(テレビ放映などで)注目されるから、選手の所属する会社などが選手に対し「頑張れ。いい成績を挙げろ」とプレッシャーをかけるわけです。あるいは、競技団体がプレッシャーをかけるケースもあるようです。
 今回の水泳がどうなのかはよく知りませんが、陸上界ではよく見られることです。国体がその最たる例でしょう。日本ナショナルチームも、世界室内選手権99年前橋大会では大選手団を参加させましたが、今年のリスボン大会では4人か5人でした。確かにオリンピックの前と後、という違いはありますが、“地元だから”という力学が働いたのは間違いないでしょう。
 どこで開催されようと、世界室内選手権は世界室内選手権ですし、国体は国体です。でも、選手にとって価値は違ってきます。理由は上に述べた2つの理由。一部選手が「競技は自分のためにやる」と声高に主張しても、選手や競技が社会という大きな枠の中に存在する限り、社会の価値観に左右されてしまいます。それをどう上手く、自分の目指すものとすり合わせ、プラスとなるようにするかで、選手のストレスが違ってきます。競技戦略というものが、要求されるわけです。


●7月19日(木)
 「スポーツ・ヤァ!」が発売されました。世界選手権の展望ページの記事を書きました。北上でネーム校正をしたページで、室伏広治(ミズノ)選手の記録を、ぎりぎりセーフで直すことができました。
 北上と言えば、種目別選手権1500m&5000m2冠の徳本一善(法大)選手が興味深いことを言っていたので、記事にすることにします。徳本選手はややもすると、ビッグマウスにとられがちですが、いつだったか陸マガの記事にも書いてあったように、“根拠のない、いい加減なことは言わない”選手のように思います。
 例えば、「このくらいの記録が出せる」と選手が言った場合、単に希望的な観測なのか、ある程度練習や疲労具合などから判断しているのかで、選手の予想の当たりはずれが決まってきます。予想ですから絶対確実とはいえませんが…。そういった部分で、徳本選手の自己分析は、かなり信用できる気がします。
 これも寺田の勘の部分が大きく、なかなか科学的に証明できないことなのですが、なんとなくそんな気がしますし、なんとなく正しい気がします。こういうケースで使う“なんとなく”は、使う人間が自らの経験と知識に照らし合わせて総合的に判断して、という意味になります。


●7月19日(木)
 「スポーツ・ヤァ!」が発売されました。世界選手権の展望ページの記事を書きました。北上でネーム校正をしたページで、室伏広治(ミズノ)選手の記録を、ぎりぎりセーフで直すことができました。
 北上と言えば、種目別選手権1500m&5000m2冠の徳本一善(法大)選手が興味深いことを言っていたので、記事にすることにします。徳本選手はややもすると、ビッグマウスにとられがちですが、いつだったか陸マガの記事にも書いてあったように、“根拠のない、いい加減なことは言わない”選手のように思います。
 例えば、「このくらいの記録が出せる」と選手が言った場合、単に希望的な観測なのか、ある程度練習や疲労具合などから判断しているのかで、選手の予想の当たりはずれが決まってきます。予想ですから絶対確実とはいえませんが…。そういった部分で、徳本選手の自己分析は、かなり信用できる気がします。
 これも寺田の勘の部分が大きく、なかなか科学的に証明できないことなのですが、なんとなくそんな気がしますし、なんとなく正しい気がします。こういうケースで使う“なんとなく”は、使う人間が自らの経験と知識に照らし合わせて総合的に判断して、という意味になります。


●7月18日(水)
 夕方、メルマガ第2号を無事に発行。昨日から予告したこともあり、会員登録された方も2割増とのこと。まだの方は、すぐに登録してください。
 今日は、記事以外の仕事で締め切りがあり、明け方近くまでかかってしまいました。今後を大きく左右する重要な仕事です。


●7月17日(火)
 昨晩は、なんとか富士北麓での合宿模様をアップしましたが、そこでダウン。朝からメルマガ原稿を仕上げようと頑張りました。なんとか午前中に書き上げたかったのですが、結局、いくつかは夜までかかってしまいました。編集の方には、大変な迷惑をおかけしてしまいました。反省。
 ヨーロッパからは、14日にベルギーのヘシュテルで行われた男子5000mで入船敏(カネボウ)が日本歴代2位となる13分22秒12で11位に入ったとのニュース。入船選手にサンモリッツで会ったのが今月1日。その後、ローザンヌに行き、南部記念に行き、北上に行き、北麓にも行ったので、ずいぶん昔のことのような気がします。
 それはともかく、来週のメルマガの「先週のMIP」候補ですね。A標準だし、なにだし。福士加代子(ワコール)選手も日本歴代3位の15分10秒23で3位。もしかすると、14分台突入も、そんなに先のことではないかもしれません。


●7月16日(月)
 昨晩、最終1本前の新幹線で帰宅後、午前3時まで仕事。6時半には起きて、富士北麓公園に向かいました。世界選手権代表の短距離選手たちの合宿が行われている場所で、公開練習日に設定されているのです。
 寺田は京王線沿線の人間なので、橋本に出て横浜線に乗り換えて八王子に。八王子は8人の王子と書きますが、2人のシドニー五輪代表選手が八王子の高校を卒業しています。中央線に乗り換えて大月に行くのですが、結局、特急かいじ号の方が大月に着くのが早いことが判明し、八王子で30分近く待つことに。
 特急かいじ○号で大月に。あっと言うまでした(思ったより早く着いた、という意味であって、あっと発音する時間と同じ、という意味ではない)。大月で富士急に乗り換えます。大槻は富士通です。
 とボケをかましたところで、いきなりタメになる話。大月でJRから富士急に乗り換えるなら、JRにイオ・カードで乗らない方が無難です。乗り換え口では精算できず、いったんJRの改札を出なければいけません。確か6分しか乗り換え時間がなかったので、めちゃくちゃ焦りました。
 合宿の模様は写真をたくさん掲載したので、そちらをご覧ください。
 富士吉田駅から競技場まではS社のN出さんのタクシー、競技場からホテルまでの往復にはK通信のMさん、競技場からの帰りはF社のK本社長の車に乗せてもらいました。この場を借りて(って、そんな大した場ではないのに、いいのか?)御礼申し上げたいと思います。帰りの車中は、寝不足のせいか何分か熟睡。失礼しました、社長。


●7月15日(日)
 昨晩は筆が進まず、今朝、4時に起きてWEBサイトの更新をしました。
 日本学生種目別選手権の取材2日目。昨日ほどの記録ラッシュではありませんでしたが、女子400 mHで日本新が出ましたし、男女200 mも好タイムが出ました。男子1500mの徳本一善選手も、強さも鮮烈でした。男子400 mHの千葉佳裕選手は、意地を見せてくれました……と書きたいところですが、単に強かっただけかもしれません(意地だったのかもしれませんが)。走高跳の内田剛弘選手が2m20が定着してきました。楽しみな選手です。
 昨日100 mで日本新の二瓶秀子選手は、200 mで23秒77の自己新。日本新だった95年の記録を更新しました。
 競技終了後約2時間で、ユニバーシアードの代表選手が発表されました。驚いたのは、沢木啓祐日本学連強化委員長が、この選手は候補に挙がったが、これこれの理由でなれなかった、と選手の具体名を挙げて説明したことです。それだけ、選考基準の線引きが明確だとの自信があったのでしょう。
 18時に競技場を出て、新婚のスポニチ中出記者と一緒に北上駅へ。19時何分か発の新幹線までの待ち時間で、ユニバーシアード代表をサイトにアップ。新幹線では、幹事長の赤穂君ら学連の学生役員と一緒でした。


●7月14日(土)
 北上のホテルです。でも、南部ホテル(という名前)です。福岡大チームが泊まっているようです。
 早起きをして、日本学生種目別選手権の女子展望記事を書き上げ、9時にサイトへアップ。ネーム校正がFAXで来るはずが、届かないので電話で確認。昼間になるというので、これから競技場に出発します。

 ホテルに戻って来ました。22時半だったか、23時。本当にすごい1日でした。陸上競技的にすごい記録が続出した(それも、北上だけで出たわけではなかったのですが)1日だったので、別枠で記事にしました。
 そういった記録もすごかったのですが、学生種目別選手権では、世界選手権代表選手の近況を取材し、ユニバー候補の取材をし、また、学生種目別選手権としての取材もし、その間、FAXで送られてきた校正もしなければならず、超多忙な1日でした。
 でも、夜は焼き肉。


●7月13日(金)
 北上のホテルです。シングル1泊5000円強の料金ですが、設備面はかなりグッドです。バス・シャワーはもちろん、電話(もちろんモーニングコール機能付き)、テレビ、ドライヤーなど必要なものはもちろん、電話以外の場所にパソコンとの接続専用モジュラー・コネクタがあります。それでいて、最近流行の合理化ホテルで、朝食のセルフサービスやフロントの簡素化、シュンプーや石鹸の液体ポンプ化(この表現、正しいかどうか疑問)など。ドレッサーがなくて、そのぶん、狭くなっていないわけです。机もパソコンを置くには十分で、資料はベッドの上に置けばひょいと手に取れます。
 北上入りしたのは最終の新幹線。東京から約3時間で、お弁当を食べたあとは明日からの学生種目別選手権の展望記事を書き上げました。男子のみですが、女子はコラム●ワクワクしない“枠”の存在●で有力選手に触れていますので、そちらをご覧いただいて許してもらいましょう。それにしても、昨日は小田原−新宿間と箱根駅伝に近い道程で、今日は東京−北上間と青東駅伝に近い道程で原稿を書くことになるとは、たぶん…何も意味はないでしょう。陸上競技を愛しているから、だとか言いたくなるところですが、関係ないでしょう。ちょっとクールですね。岩手は東京より涼しいですから。
 昨日の日記で、過去に一度北上に来たのはいつでしょう? と問題を出しましたが、何人かの方が「インターハイでは?」とメールをくれました。もちろん、寺田がそんな単純な答えの問題を出すはずがありません(メールをくれた方、すいません)。実は、「北上に来たことはなかった」というのが答えです。今日は7月13日、7・1・3。「北上に来たことはナ(7)イ(1)サ(3)」……なんて言ったら、ぶっ殺されそうですね。
 本当は、宮城県の利府で行われた昨年の日本選手権最終日の翌日、花巻で高橋尚子(積水化学)選手が講演会をするというので、利府から北上に入って一泊して、翌朝花巻に向かったのです。


●7月12日(木)
 静岡から東京に戻って来る際に利用する新幹線は、以前にも紹介しましたが、こだまです。小田原で小田急に乗り換えました。新幹線の中では色々と考え事をしていたのですが、小田原に着いたらあることを思い出しました。ヨーロッパでティラノ−サンモリッツ間を移動している際「サンモリッツ駅伝」をやったら面白いんじゃないかと感じ、そのことを記事にすると日記に書いたことを、です。それを小田原に着いたら思い出して……というのは、ウソです。「どこかで書かなきゃ、今週中に」と、ずっと考えていました。24時間中、17分20秒くらいは気にしていました。
 ところで、今日初めて、小田原駅の海側に出ました。銀行を探すためです。小田原駅は、城山競技場に行くため10回以上(もしかしたら20回以上。新幹線や箱根登山鉄道への乗り換えを含めると50回以上?)は降りていると思いますが、駅の山側にしか降りたことがなかったのです。だからなんだというわけではないのですが、何回通る場所でも、目的が1つだったら同じ場所しか通らないということです。
 あなたも、練習で使う競技場などで、通ったことのない場所がありませんか? 一度じっくり考えてみてください。面白い発見があるかもしれません(ないかもしれません)。小田原駅の海側は、道が狭かったです。
 急行で新宿まで移動する間に記事を書き上げました。新宿では格安チケットショップに行って、北上までの指定席券を購入。みどりの窓口で指定も取ることができました。そのあと、小田急に乗る前にも少し使っていたこともあり、パソコンのバッテリーが残り僅かでしたが、なんとかWEBサイト作成作業をしてグレ電からサイトにアップ。
 明日から北上。実は過去に一度、北上に行ったことがあります。さて、いつのことでしょう。わかった方はメール(ip9t-trd@asahi-net.or.jp)ください。
 あっ、大事なことをお伝えするのを、忘れるところでした。メルマガ第1号の読者プレゼントですが、倍率は圧倒的にローザンヌGP記念バッグの方が高いです。キーホルダーの方が当たる確率は高いでしょう。どちらに応募するかは、もちろん自由です。


●7月11日(水)
 昨日中に書き上げるはずだった原稿が、ずれ込んで今日の昼までかかってしまいました。○社の○○さん(って、これじゃあ何も書かないのと同じか)、すいませんでした。
 原稿を提出すると、疲れが出たのか、ヨーロッパ時間が身に染みついているのか、3時間以上、眠ってしまいました。予定では、ビデオに撮ってあったドラマを見る予定だったのですが。
 ゆえあって、最終の新幹線で実家へ。以前に紹介しましたが、寺田の実家は静岡県の袋井市というところです。掛川で新幹線から東海道線に乗り換えて1駅。この日記は掛川駅の待合室で書いています。グレ電やICカード電話があります。電源は…電話の近くにありますが、全部ふさがっています。事情を話せば、なんとかなるかも?
 実家に着きました。すいません、袋井は掛川の隣ではありませんでした。愛野駅がオープンしていたのです。2002年にワールドカップ・サッカーが行われるエコパ(静岡スタジアム)のための駅です。翌2003年には国体の陸上競技会場になります。夜中ですからエコパは見えませんでしたが、駅は新しくてきれいですし、改札近辺や通路は広そうです。小机駅(横浜国際競技場の最寄り駅)よりもいいですね(ワールドカップのために造られたのですから当然です)。
 問題は、その他の施設ですが、前回エコパについて不安を文章にしたら、家族から抗議がありました。「お前が袋井にいた頃とは違うぞ」と。たぶん、施設面も大丈夫でしょう。スタジアムは駅から10分くらいのようですし、そのくらい近ければ、掛川や浜松に宿泊することも可能です。
 先日、あるテレビ番組で開催の問題点を特集していました。エコパもそのなかで取り上げられ、ボランティア不足を当事者の方が訴えていました。片言の英語を話す外国人のための案内役っていうのでよければ、応募しようかな。今回ヨーロッパに行って、スタジアム内はもちろんその周囲の施設の位置も、外国人にとってはわかりにくいと痛感しましたから。


●7月10日(火)
 昨日中に書き上げるはずだったメルマガの原稿が、ずれ込んで今日の15時頃までかかってしまいました。D社のS口さん、すいませんでした。
 その後もオフィスで仕事。結局、外出しない1日でした。


●7月9日(月)
 ANAの9:30東札幌発の便で東京に。
 札幌駅から新千歳空港駅までは、JRの快速エアポートという電車で、約40分かかります。ところで、このところ飛行機に乗ってばかりいる寺田ですが、成田空港までの電車はJRが成田エクスプレスで京成がスカイライナー。エアポートライナーという電車があったかもしれないと、あとで時刻表を見たら、ありました。土浦から成田空港に出ているバスが、エアポートライナーという名称でした。
 11時に羽田着。ちょっと書きたい原稿もありましたし、ヒースロー(第4ターミナル)と成田でパソコンが使えて、東京国際空港(羽田のこと)で使えないわけはないだろうと電源を探したら、ありました。しかも、ベンチの目の前で、コードの上をカートや人が横切ることはありません。原稿を書くには最適の環境です。しかも、空港内には至る所にグレ電やICカード電話があって、ネットへの接続は超簡単。
 ということでモバイル環境にランキングをつけてみました。
1)羽田 2)成田 3)ヒースロー
 それにしても、このところ空港で原稿を書いてばかりいます。ヨーロッパに出発するときも、成田空港で書いていました。エアポートライターと呼ばれる日も近い……わけはありませんが、ここに書いておけばS木さんが今度、そう呼んでくれるでしょう。
 12時過ぎまで原稿とメールを何本か書き、品川駅経由で恵比寿に。17時からミズノの世界選手権壮行会があるということなので、いったん自宅に戻ると、効率が悪いのです。知り合いのオフィスで机を借りて、水曜日に創刊予定のメルマガ・バージョンの原稿を書いていました。といっても、疲れが出たのか、ヨーロッパ時間が身に染みついているのか、半分は眠ってしまっていました。
 17時にお茶の水へ。壮行会の模様は記事にしましたので、そちらをご覧ください。


●7月8日(日)
 早朝の便で札幌入り。ちなみに全日空です。JALが東京ランナーズ倶楽部への出資を打ち切ったので、抗議の意味で利用しない……わけではなく、発着時刻の都合です。全日空のスープは大好きですが、この時間帯ならパンの1個も出ると思っていたのが間違いでした。食べ物はビールのおつまみしかないとのこと。空腹で仕方がなかったし、札幌に着いても食事をする時間的な余裕はなさそうです。500円でビールとおつまみを購入し、ビールはスチュワーデスさんにプレゼントしました。
 機内アナウンスで、札幌の気温が15℃と聞き、記録が出ないのではないかと不安を感じましたが、実際に到着してみるとそんなに寒くはありません。しかし、地下鉄の円山公園駅を降りると小雨。陸上競技の盛り上がりは記録に左右されることが大ですから、気象条件はめちゃくちゃ重要です。記録がなく、大会の重要度、グレードだけで盛り上がる競技なら、天候は関係ないのですが。
 さて、円山競技場は、昨年の南部記念に続いて2回目です。こぢんまりした雰囲気のいい競技場ですが、電光掲示板がないのがたまにきず、でしょうか。
 雨も上がり、気温も20℃を超えて、まずまずのコンディション。世界選手権の壮行競技会ですが、どのように位置づけて、どのように利用するかは選手の自由です。しかし、記事にもしたように棄権者の数は少なくありません。これも選手の自由ですが、お金を払って見に来る観客にとってはがっかりさせられるのは事実です。もちろん、観客の陸上ファンも、陸上競技がサッカーや野球と違って、コンディションニングの占める割合が大きい競技だということはわかっているはず。しかも、個人競技だからなおさらです。
 まして、世界選手権へ万全の調整をしようと考えたら、棄権者が多くなるのは致し方ないこと。しかし、それらの事情がわかっていても、お金を払って見に来るのは、トップ選手たちのパフォーマンスです。観客に見せるという意味での陸上競技のプロ化には、難しい問題があります。
 競技終了後に原稿を2本書き、夜はすすきのでA新聞のKさん(男性)と食事。そんなに遅い時間まで競技がかかったわけではないのですが、帰りの便が満席で、札幌泊を強いられました。キャンセル待ちで席をゲットしても、通常料金で帰るのは得策ではないのです。翌朝の便で割り引き料金を使用した方が、ホテルの料金次第では安くつきます。もっとも、月曜日の朝から出勤しないといけないサラリーマンは、この方法は実行できません。フリーの数少ない特権でしょうか。


●7月7日(土)
 休日モードで基本的には休養しながら、仕事も少しこなしているような状態です。
 昨日は久しぶりにイチロー選手の映像をテレビで見て、そういえば久しぶりだな、と感じました。日本にいるとほとんど毎日、見ることになりますから。
 さて、明日は南部記念です。朝一番の飛行機を割引料金で予約しましたが、帰りの便がどの会社も(エアドゥーも)いっぱいで取れません。キャンセル待ちで正規料金で帰るよりも、一泊して割引料金で帰った方が、安くつきます。せっかく、南部記念は5時前に終わるというのに。
 さて、南部記念ですが、一番の注目は……どの種目も面白そうです。シーズン前半、好調だった選手を中心に見るのがいいと思いますが、この時期になると、故障など何らかの理由で出遅れた選手たちも、自己のパフォーマンスを発揮してきます。昨年、前半が不調というわけではありませんでしたが、小島茂之(早大)選手や吉田孝久(ミズノ)選手、杉林孝法(ミキハウス)選手が好記録を出して五輪切符を手にしました。
 逆に、福長正彦(東学大)選手のように、6月の好調さがちょっと落ち込み、長蛇を逸した例もあります。
 ただ、どの選手の調子が上向いているのか、試合前にはなかなかわかりません。日本選手権後の海外遠征などから、女子走高跳の太田陽子(ミキハウス)選手、女子砲丸投の森千夏(国士大)選手からは、目が離せないでしょう。また、世界選手権代表を逃した短距離の川畑伸吾(群馬綜合ガードシステム)選手と小島茂之(早大)選手、110 mHの桜井健一(ミキハウス)選手、走幅跳の森長正樹(ゴールドウイン)選手と寺野伸一(日大)選手らにも、奮起のパフォーマンスが期待できます。
 400 mHには春季サーキット、日本選手権と欠場した山崎一彦選手も出場を表明し、苅部俊二選手もエントリー。為末大(法大)選手は出ませんが、世界選手権代表の河村英昭(スズキ)、吉沢賢(デサントTC)両選手との激突が楽しみです。関東インカレで48秒台に入った千葉佳裕(順大)選手は、次週の日本学生種目別選手権に賭けるためか、エントリーしていません。
 女子100 mには池田久美子(福島大)、信岡沙希重(ミズノ)と専門外の両選手がエントリーし、どんな走りを見せてくれるのか楽しみです。地元・北海道勢はやや寂しく、今年も女子棒高跳の小野真澄(ミキハウス)が最大の期待の選手になってしまいそう。あと、女子走高跳の岩切麻衣湖(プレジャー企画)にはどの大会ということでなく、存在自体に注目しています。


●7月6日(金)
 この日記を書いているのは、正確には7日の午前3時。自宅近くのファミレスです。やっぱり、日本は便利ですね。
 話を今朝に戻します。9時30分には入国していたように思います。ヒースローでできたことなら、成田でもできるのではないかと、「ローザンヌGP寺田的観戦記」を書いて、空港でアップしようとトライしました。日本の場合、電話はグレ電でもIC電でも簡単にパソコンとの接続ができますから、この点は専用の電話を設置しているヒースローの比ではありません。問題は電源があるかどうか…探したら、ありました。1階の到着ロビーのエスカレータの近くです。延長コードを使えば、ベンチまで届きます。ただ、延長コードの上をカートが通るわけで、外国人2人、日本人1人の計3人が引っかかってしまいました。時間と共に人通りが多くなり、ちょっと気になります。あまり勧められる状況ではありません。
 携帯電話をKDDIのオフィスに返却し、京成の特急に乗りました。羽田空港行きだったので、青砥で乗り換えでしたが、このとき初めて、日本の外気に触れました。ムッと感じました。すごい湿度です。
 24時間営業のファミレスやコンビニが至るところにあり、ドリンクバーで飲み物が飲み放題で、原稿が書けて、アイスコーヒーが飲めて(ヨーロッパにはアイスコーヒーはないです。マックにさえも。アイスティーはあります)、日本は大変便利ですが、過ごしやすさは、ヨーロッパの夏の方がはるかに上です。
 帰宅して、これもヨーロッパでは食べられなかったレトルトのカレーとシチューを食べ、そのあと寝てしまいました。寺田は飛行機であまり眠れるタイプではありません。夜の11時に起きて、いろいろ片づけて、夕食をファミレスでとっています。そろそろ、パリGPの結果がわかるでしょうか。高岡選手、果たして出られたのでしょうか、気になります。そして、為末選手は……?


●7月5日(木)その2
 ヒースローで12時30分頃に為末選手の記事と日記を書き終えると、搭乗開始のアナウンス。なんと日本語です。出発は13時25分、搭乗ゲートのクローズタイムは13時15分ですが、22番ゲートは4番ターミナルの14番から歩いて10〜15かかるので、早めに移動しろとのことです。
 急いで、WEBサイト作成ソフトで作業を行い、接続電話設置場所に戻ってサイトにアップし終わったのが12時50分か55分。ロンドン・マラソン出張で持ち帰ったコインを使う時間がありません。コインの主要通貨(もちろんジャパニーズ円もあり)自動両替機もあったのですが、3人ほど並んでいます。泣く泣く、あきらめました。また、機会もあるでしょう。
 13時5分には機中に。今回は通路側を確保できました。しかし、そこはもう、周囲は日本人だらけ。英国航空でも客室乗務員の何人かは日本人です。ヨーロッパ出張は実質、その時点で終了しました。
 ローマでは体力的にちょっときつかったのですが、ミラノ、サンモリッツで慣れたせいもあって持ち直し、その後は体調もグッド。富士通が陸上部を持っているので宣伝しますが、「世界の車窓から」ヨーロッパの光景を見る1人旅は、なかなかおつなものです。しかも、ときどき原稿まで書いてしまいました。それなりに、充実感もあります。
 何より、室伏広治選手の日本人ゴールデンリーグ初優勝、そして為末大選手の日本人海外グランプリ最高記録を目の当たりにすることができました。
 もう一度チャンスがあれば、ローマももう少しスムーズに取材できるでしょう。はっきり言って、ローマでは地に足が着いていなかったというか、気持ち的にも上づっていたようです。
 ロンドンの時にも書きましたが、いざ帰国する段になると、もの寂しい気持ちに襲われます。さて、次のエドモントンは……。


●7月5日(木)
 ロンドン・ヒースロー空港で筆が進んでいます。実際には、VAIOのキーボードを叩きまくっています。
 朝3時半に起床。4時55分ローザンヌ発の電車でジュネーブ空港に。
 8時05分ジュネーブ発の英国航空でロンドン・ヒースロー空港に。
 ヒースローはロンドン・マラソンの帰途、モジュラージャック付きの電話機を見かけていたので、ネット接続ができるかもしれないと、ちょっと期待していました。今回、日本行きの便はターミナル4で、4月とは違ったかもしれませんが、ネット接続用の公衆電話設置スペース(おまけに小さなデスク付き)がありました。そこでメールとニュースのチェック。クレジットカードしか使用できないタイプですが、ロンドン・マラソンの大会本部ホテルにあったものと同じで、楽々クリア。ソフト上のロンドンでの接続設定もそのときのものがパソコンに残してあったので、一発で成功です。
 おまけに、ターミナルの一番端まで壁際を探し、電源まで見つけてしまいました。こういうこともあろうかと、電源アダプター・プラグのイギリス用のものも持ってきていたのです。
 コインが余っているのに豪遊できないのは残念ですが、なんとか為末選手の記事と、この日記を、トランジット待ち時間の3時間で書き上げ(実際は2時間)、これからサイト作成作業です。


●7月4日(水)その2
 再び大会本部ホテルに向かい、6時のシャトルバスでスタジアムに。
 日本の3選手とも一緒になり、出場できなかった今井美希選手は「コーチ役として、一緒に行きます」と、話してくれました。為末選手の疲れも気になりますが、表情は……よくわかりませんが、たぶん、いつもと一緒でしょう。よく、表情が明るいとか、暗いとか、締まっているとか形容する文章を見ますが、あれっていい加減ですよね。その選手の表情を、あんたどのくらい観察してきたんだ? って突っ込みたくなります。
 昨日の日記に、プレス席に入れないと書きましたが、一応、そのエリアには入れることが判明。ただ、席がないと、つらいですね。一番上の端っこに少し余り席があるのですが、記録などは配ってくれそうにありません。TBSの林さんのご厚意に甘え、TBSさんの席に座らせてもらいました。スタジアムと大会自体の印象は、「ローザンヌGP寺田的観戦記」に書いたので、そちらをご覧ください。ローマと違って、スタジアム全体のレイアウトもわかりやすく、シャトルバスの発着場も目の前で、間違えようがありません。
 さて、ホテルに戻って昼間の残りで夕食。最後の晩餐にしては寂しいですけど、明日の朝3時半に起きなければいけません。インターネット接続ができないことを除けば、最高に雰囲気のいい部屋です。窓からも見る光景は夜でも、まさに古き良きヨーロッパ。その雰囲気を堪能しながら、ヨーロッパ最後の夜は更けていきました。


●7月4日(水)
 ジュネーブからローザンヌ移動し、ちょっと早いかなとも思ったのですが、ホテル自体が駅の近くだったこともあり、11時半頃にチェックインできるかなと思いホテルに。受付のおばちゃんがフランス語しかできず、「今晩もどるのが深夜で、明日の朝は4時半出発」ということを説明するのに苦労しました。部屋に入れなかった荷物だけ預かってもらおうと思ってましたが、あっさり鍵を渡してくれるではないですか。でも、入ってみたら掃除前でした。日本ではあり得ないことなので、びっくり。でも、荷物が置ければ、こちらとしては掃除前かどうかなど、関係ありません。これで、夜戻ってきて、前の人の使ったタオルやシーツのままだったら、ちょっとイヤですけど。
 大会本部ホテルまで徒歩15分。12時半まで、プレスルームもこちらにあるはずです。コンピュータでスタートリストを再チェックしましたが、女子走高跳に今井選手の名前は残念ながらありません。面白かったのは、2日後の7月6日にパリで行われるGLの出場がOKになった選手の一覧表、パリまでバスが出ることなどが、張り出されていたことです。
 その他に特に新しい情報はなかったので、歩いて10分くらいの所にあるオリンピック・ミュージアムに。敷地内には、かのパーボ・ヌルミの像が。入場料は14スイスフラン。
 高橋尚子選手の金メダルを取った際のシューズが陳列されていました。一番いいなあと思ったのは、過去の大会のビデオを見られることです。昔の大会ほど、選択できる競技・種目は少なくなります。東京オリンピックの陸上競技で見られたのは、男子100 mだけです。次に、アトランタ五輪男子200 mを見ましたが、アトランタはこの他男子100 m、十種競技など数種目が見られます。ただ、入場券にポイントが磁気で記録されていて、1回見る毎に1ポイントを消化します。ミュージアムは各テーマ毎に区切られ、入場する際にもそのポイントを使うのです。結局、ビデオを2回見た時点で、ポイントがなくなってしまいました。
 いったんホテルに戻り、途中のスーパーで買った昼食を取り、休息。それよりも、インターネット接続が目的でしたが、サンモリッツに続き最終兵器も通用せず。残念ながら断念。


●7月3日(火)その2
 選手たちが予定通りに到着。今井選手はいまだにエントリーリストに名前が載らないし「ワタナベとタメスエ」が着いたという言い方だったので、今井選手は来ないのかなと思っていましたが、ちゃんと来ました。ウエイティングリストには、彼女の名前もあるようです。
 彼女がザグレブの結果を知りたいというので、昨晩IAAFのWEBサイトからダウンロードしたリザルツを見ると
HIGH JUMP - WOMEN
1 Vla?ic Blanka CRO 1.93
2 Imai Miki JPN 1.89
2 Zalevskaya Svetlana KAZ 1.89
4 Lendjel Nevena CRO 1.89
4 Milusheva Eleonora BUL 1.89
6 Witteveen Solange ARG 1.85
6 Zilinskiene Nele LTU 1.85
Lyakhova Yuliya RUS DNS
となっています。ロシアの選手の結果を知りたかったようです。ケガでザグレブの試合を欠場したようで、この選手がローザンヌのエントリーリストに入っているようです。女子走高跳はもう1人、ウエイティングの選手がいるようですが、可能性は大いにあります。期待しましょう。
 ザグレブで優勝した為末選手が7時半からマッサージを受けることになり、その前に30分ほど、話を聞くことができました。なかなか、いい話が聞けたので、記事にしたいと思っています。

 9時過ぎの特急でジュネーブに。車中から高岡選手と連絡を取り合い、10時に高岡選手の泊まっているホテルに。カネボウ・チームの4人も、ローザンヌに宿が取れず、ジュネーブに泊まっているのです。
 サンモリッツで渡してあった陸マガと月陸の7月号を受け取り、ちょっと話をしました。パリ(7月6日)の5000mに出場できるかどうかは、まだわからないそうです。サンモリッツ最後の練習は、記事にしたとおりですが、移動した昨日と今日はジョッグのみ。ジュネーブについてすぐに、練習できる場所を探しに全員でジョッグされたそうです。
 当初は、モチベーションを高めるためにもローザンヌの試合を見る予定だったのですが、チケットが入手できそうにないため、テレビ観戦に切り換えたとのこと。こちらでは、ゴールデンリーグ以外はほとんど、ユーロスポーツというチャンネルで放映するようで、昨日のザグレブの試合も高岡選手はテレビで見ていたそうです。
 2日間ジョッグのみでしたが、明日は刺激を入れ、あくまでもパリ出場を見据えて行動するようです。1周64秒ペース(ゴールが何分かは計算してね)に十分、対応できそうだとのことです。


●7月3日(火)
 ヨーロッパ7日目&スイス3日目。
 朝食は完全なコンチネンタルで、トーストと飲み物のみ。でも、ホットショコラッテが選べたのが、嬉しかったです。
 ジュネーブからローザンヌまで特急電車で約45分。ローザンヌ駅では真っ先に(だいたいどこの都市でもすることですが)ツーリスト・インフォメーションへ行って地図や時刻表などの情報を入手。駅にある大きなインフォメーションが混んでいたので、外にあるLAUSANNE TOURISMEというちょっと小さな方に行って、スタジアムが載っている大きな地図をゲット。ダメモトと思って、(試合当日の)明日のホテルが取れないか聞いてみたら、電話をパパッとかけてくれて、2軒目を予約することができました。翌日が朝、5時の電車に乗らなければならないので、駅の近くという条件を付けさせてもらったのですが、本当に取れるとは思いませんでした。
 その親切なお姉さんが「Where are you from?」と聞いてくるので「Japan」と答えたら、なんと日本語を使い始めました。「代金はここで払いますか」「いいえ、ここではなく、明日ホテルで」「それではここが、もうからないのでは」「いいえ、ここは○○で大丈夫です」といった具合に、高度な日本語で会話をしました。こんなことって、あるんですね。
 ローザンヌの街並みは、ジュネーブよりずっと落ち着いていて、ヨーロッパらしくて(こんなんこんなん。このあたりは寺田の思い込みかもしれませんが)、すぐに好きになりました。

 3時頃、大会本部ホテルに。プレス受付に行くと、お姉さんたちが4人くらいで対応してくれました。今回は、カメラマンで申請してあったのですが、プレス席一覧表に名前がないので“もしや”と思って確認したら、カメラマンは入れないとのこと。1人年輩の方がいて、その人が陸上関係のことを仕切る人(残りの3人は若くて、大会だけの運営お手伝い)らしいのですが、どうにもならないというのです。
 粘ったのですが、ダメでした。そんなにつっけんどんな感じではなかったですし、選手席から競技は見られそうなので、なんとかなるでしょう。
 ロビーにあるパソコンの端末でエントリー・リストをプリントアウトしていたら、為末大選手の名前はあるのですが、渡辺大輔選手と今井美希選手の名前がありません。昨晩、WEBサイトを見てもなかったので覚悟はしていましたが、なんとも残念です。
 その後、TBSの方とあっていろいろと話をしていました。もう一度パソコンを覗くと、走幅跳に渡辺大輔選手の名前が載っています。
 そうこうしていると、大会関係者の方が、「ワタナベとタメスエが空港に4時45分に着いた。6時頃に、ここに着くだろう」と教えてくれました。競技場にシャトルバスで行こうかとも考えていましたが、それなら選手たちを待つことにしました。


●7月2日(月)その2
 16時30分にジュネーブ着。ホテルがかなり古い建物で、受付のある3階まで行くのにエレベーターはあるのですが、エレベーターまでバー(走高跳のバーではない。棒高跳でもありません)に面した廊下を通って10mくらい奥まった所に行かなくてはいけませんし、階段は螺旋状で1人でもの寂しくて、どこに出るのだろうと不安になるほどです。部屋はこんな感じ
 ホテルは普通、「0」か「9」で外線に発信できますが、どうしてもできないので受け付けのお兄ちゃんに質問したら「かけられないよ」とのつれない答え。そんなホテルにいても意味がないので、携帯電話でさらに4軒のホテルに電話をして145スイスフランと高くなりますが、空室を見つけて移動することに。こんあこともあろうかと、1泊しか予約していなかったのです。インターネットに接続できたら3泊に変えようと。
 荷物を持って受付に行って事情を説明し、キャンセル料を払うから、移動させてもらうと言ったら、前述のお兄さんが「それならかけられるようにするよ。あなたは正直そうな人間だから特別だ」とかなんとか言って、コンピュータの端末を操作。無事、インターネットへの接続もできました。ただ、このとき通常のやり方ではダメで、日本から持参した最終兵器が威力を発揮しました(昨日はこれも通用しなかったので、大した最終兵器ではないですね)。

 夜の7時から約2時間、ジュネーブの街を散策。特に見たいものがあったわけではなく、レマン湖畔の風景と、ルソーの像くらいでしょうか。ルソーといっても、マラソンを2時間7分で走るあのルソー(ヴァンサン・ルソー)ではなく、フランス革命に影響を及ぼすなど啓蒙思想家として名高いジャン・ジャック・ルソーです(そんなの誰でも知ってる?)。そのルソーの故郷がジュネーブということです。
 それにしても、街の雰囲気があまり好きにはなれません。確かに、レマン湖の対岸を見るとそれなりなのですが、船着き場の近くにはこんなところや、こんな店があって、レマン湖もこんなにボートやなんかが抑留されていて、まるでアメリカです(アメリカに行ったことはないのですが、たぶん)。スイスでは「ジュネーブはスイスであって、スイスでない」と言われているそうです。国際的な機関が集中していることもありますが、スイスの伝統的な部分がないことを揶揄した言葉でもあるようです。
 夕食はミラノに続いてマック。マックは野菜が取れないのが難点でしたが、スイスのマックにはマックシェイクの入れ物を透明にした器に、野菜を詰め込み一番上にトマトとゆで卵を乗せたサラダがありました。これはいいと思って「メニュー5(いわゆるハンバーガーとポテトと飲み物のセット)」と一緒に頼んだら、1100円くらいになってしまいました。まっ、いいか。
 今日は一日、日本語を話さない日でした。唯一、ジュネーブの街角で、関西弁の女性2人の会話を耳にしたくらいです。

 先ほどIAAFのサイトでザグレブの結果を確認したら、為末大選手が優勝していました。記録は48秒57で自己2番目の記録です。今井美希選手も1m89とローマよりも上向き模様。渡辺大輔選手は7m50。各種目の記録を見ると、GPUですが日本選手が参加しても、上位争いができそうなレベルです。レベルが今ひとつということですが、頑張り甲斐があるレベルともいえます。今後、積極的な参加を検討して然るべき大会かと思われます。
 明日はローザンヌで、彼らに会えるでしょうか。


●7月2日(月)
 ヨーロッパ6日目&スイス2日目。
 ローザンヌのホテルがどこも満室だとの情報は、音喜多コーチも言っていらしたし、日本でさんざん探してもダメだったので、ジュネーブのホテルを5〜6軒ピックアップし、朝の7時に電話をかけました。満室だったり、英語が通じなかったりで空振りが続きやばいかな、と思いましたが4軒目でゲット。110スイスフランですから、約8000円。三つ星ですが、電話が室内にあることを確認しました。
 9時の電車に乗り、クール、チューリッヒで乗り換えてジュネーブへ。昨日のティラノからサンモリッツもそうでしたが、クールまでも単線です。距離の割に時間がかかるわけです。しかし、クールまでの景色は昨日に劣らないくらいのスケールでしたし、クール−チューリッヒ間では、ものすごく綺麗な湖と、その湖畔の街を見つけました。ヴェーデンズヴィルという街で、コモ湖以上かもしれません。
 チューリッヒ駅の売店では朝日新聞を発見。思わず買ってしまいましたが、5.60スイスフランをあとで換算したら390円。ちょっと後悔しました。それに、スポーツ面の文字がにじんで見にくいのです。日本ジュニア2日目の結果は判読できましたが。
 チューリッヒ−ジュネーブ間は、レマン湖が見えるまでは退屈な光景ばかり。そのためではありませんが、昨日取材した入船選手と高岡選手の記事を書き上げました。車内はこんな感じ。空いていれば資料を広げて原稿が書けますし、4人以内なら会議だってできてしまいます。さすがに1等車両は快適です。しかし、1度、トイレの手洗いの水が出ないことがありました。
 貧乏ライターがなんで1等なのか。ユーレイルセレクトパス(3カ国まで選択でき、5日間任意の日に使用して約4万円。特急料金込みです)が1等しかないからです。今回に関していえば、原稿を書いたり、疲れをとったりできたので、よかったかなと思います。


●7月1日(日)その2
 14時10分にサンモリッツ着。駅のインフォメーションで地図を入手。日本で両替したスイスフランがちょっと少な目だったので、余ったリラをスイスフランに両替。ローマ・テルミニ駅のことがあるので、明日のジュネーブ行きの座席を予約しましした。窓口に並んだのは1分51秒でした。予約はしなくても座れないことはなさそうですが、座席指定料金は1つ5スイスフランとそんなに高くないので、チューリッヒまでのユーロシティとチューリッヒからジュネーブまでのインターシティ(ともに国際特急列車)を抑えました。
 朝食は、完璧なコンチネンタル(パンとコーヒーのみ)だったので、昼食は少ししっかり食べておいた方がいいかと、駅のレストランに。カツレツとサラダを頼みましたが、軽く1500円以上かかりました。
 ホテルまで距離はそんなにないのですが、ちょっと息が切れてしまいました。さすが高地トレーニングの地です……それとも、坂道のせいでしょうか。あるいは、荷物が重いから。はたまた、日頃の運動不足のせい? 街の中心部が丘の中腹にあり、その途中で撮ったサンモリッツ湖西岸(温泉がある方向。グラウンドもこっちの方角です)の風景です。高岡寿成選手がメールで知らせてくれたとおり、絵はがきから出てきたような街です。
 途中、クラシックカーのコンテストだかレースがあるらしく、クラシックカーが集結していました。ドライバーたちは服装にも趣向を凝らしていて、なかなか楽しめました。特にこのおばさん(写真)は、あまりにもはまりすぎていたので、思わず写真を撮らせてもらいました。
 ホテルにチェックイン。なかなか雰囲気のある建物です。部屋の中はこんな感じです。しかし、ローマ、ミラノと一発成功したインターネットとの接続がうまくいきません。どうしても送らないといけないメールがあったのですが…。
 16時30分、グラウンドでカネボウ・チームに合流。同チームは入船敏選手、高岡選手、音喜多コーチ、外舘トレーナーの4人です。練習を見学させてもらい(詳細は記事にしました)ましたが、高岡選手の練習を見るのはこれで3回目です。練習の最後に、スイスの中距離ランナーが外舘トレーナーに話しかけてきました。聞けば、故障中で何ヶ月もレースに出ていないとのことですが、ベスト記録は1分47秒と3分37秒で、同じスイスのアンドレ・ブヒャー(800 m1分42秒92。昨年は1分43秒12で世界リスト1位)に勝ったこともあるそうです。4年前だと言っていましたが。
 その後、一行の泊まっているホテルに行って話を聞かせてもらい、19時からは一緒に食事をさせてもらいました。入船選手の頑張りで、選手部屋はインターネットへの接続に成功しているとのことだったので、夕食後、陸マガと月陸の7月号(6月11日に日本を出発したため未読)とパソコンを寺田のホテルから持ち込み、メールを送信させてもらいました。
 高岡選手と少し話をしていましたが、カネボウ一行は明日、朝5時に出発するということなので、9時前には辞してホテルに戻りました。寺田の部屋では結局、インターネットにつなげませんでした。かなり時間をかけたのに、どうしてもダメです。それだけがザンネリッツ……ホテルは英語が通じたので楽でした。1泊1万円ちょっと、6月30日までは7000円台の部屋だったのですが、まあ、仕方ありません。それも人生です。


●7月1日(日)
 イタリア5日目&スイス1日目。
 昨晩はちょっと疲れていたのか、11時には寝て、今朝4時半に起きました。ロンドン・マラソンの時にも書きましたが、ヨーロッパ時間なら早寝早起きの寺田です。
 8時15分ミラノ発の電車で、国境近くの町、ティラノへ。約2時間半で着きました。ここで乗り換えてサンモリッツへ。ここは、ベルニナ特急という観光用の特急の走っている路線ですが、寺田が乗ったのは通常の列車。といっても、時間的にはせいぜい10分か15分の違いしかありません。
 車窓からの風景ですが、ティラノ−サンモリッツ間よりもミラノを出てしばらく走る、コモ湖畔(写真)の方が気に入りました。ティラノ−サンモリッツ間の風景はそそり立つ峻厳な山々やエメラルドグリーン(モーリス・グリーンみたいなものでしょう)の湖など、旅行ガイド的に言えば「雄大な大自然、大パノラマの連続」ということになるのでしょうが、寺田的には対岸に見える湖畔の丘に、こぢんまり集まっている民家(これが白い壁にオレンジ色の屋根でとっても綺麗)という風景の方が、自然の中に人間の営みが感じられて好きです。
 ところで、ティラノの駅にこんな(写真)板(板というと安っぽく感じられますが、本当はもっとどっしりしたもの)がありました。聞けば、箱根登山鉄道と姉妹縁組をしているとのこと。ティラノは標高429mでサンモリッツは1775mで標高差は1346m。箱根駅伝ので使う国道1号線の標高最高到達点が、確か950mくらいだったと思います。ティラノ・サンモリッツ間の距離は61kmなので、20kmで950mの箱根と比べると、平均勾配は緩やかということになります。こんな感じ(写真)で登っていくわけです。
 箱根登山鉄道との関係と、その後、車窓から風景を見ていたら、あることを思いつきました。それは、サンモリッツ駅伝を開催できないかということです。ティラノ・サンモリッツ間を2日間で往復する駅伝です。なかなか面白いと思うので、別枠で記事にすることにします。



昔の日記
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月