続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2005年2月 たまりバネの2月
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◆1月26日(水)
 一昨日にある人物もの取材の依頼があり、昨日アポ取りというか、先方と寺田のスケジュールを調整した結果、急きょ今日、東日本の某大学への出張取材と相成りました。仮に自分が取材を受ける側になることを想像すると、いきなりの来訪を受ける余裕があるかといえば、はっきり言ってありません。空き時間を作ってくれた2選手とK監督に、御礼申し上げます。あと、コーヒーを淹れてくれただけでなく、お弁当まで作ってくれた(?)S選手にも。就職も決まったとのことですが、実業団でも頑張ってください。
 記事掲載の雑誌発売後に、もうちょっと詳しいエピを紹介できるでしょう。

 現時点で書けるエピが1つありました。それは、自分がまだまだ若い、と自覚できたことです。
 その大学に行ったのは確か3回目くらいですが、最寄り駅から歩いて行ったのは初めてのこと。大学の構内に入っても、目指す研究室のある棟がわかりません。構内地図もなかなか見当たらないし、人通りもまばらです。やっと1人、遠目には可愛く見える女子大生がこちらに歩いてきました。さっそく道を聞こうとしました。ところが……。
「○○学部の棟はどこですか」
 たった、これだけの問いかけができません。取材で女子選手に話を聞くことはできても、何の縁もゆかりもない女子大生に道を聞くことはできない寺田です。これって、ものすごくシャイなことの証明になっていないでしょうか。
 でも、その結果、遅刻して相手に迷惑をかけたら、シャイなことが仕事の妨げになるわけで、威張って書けることでもないのですが。ちなみに今日は、1分くらい遅刻したかもしれません。


◆1月27日(木)
 先週の西日本出張以来、最近は早寝早起きが定着しています。この日記なども早朝に書いて、7時とか8時に前日分をアップするパターンが続いていました。しかし、今日は書けませんでした。というのも、それほど長くありません原稿の締め切りが1本あったのと、14時から超大物選手の取材があったからです。
 超大物だからといって、予習の度合いが大きくなるわけではなく、執筆媒体が2つあるために、短時間でどこまで取材ができるか不安があったのです。
 しかし、選手も協力してくれたため、必要なことは聞き出せたと思います。

 WSTFに戻って原稿を1本書き上げ、今朝提出した原稿の直しも済ませると、気持ちがちょっと途切れたため、ドドッと一気に疲労感に襲われました。なんと、夜の9時過ぎにはダウン。深夜の2時に起きて請求書を2通書いて投函できる状態に。4時からは大阪国際女子マラソンの出張準備。資料を整理しているうちに、2〜3、興味深い点に気づきました。これを知っていると、テレビ観戦が面白くなるな、と思える点です。明日の取材で、その辺を聞き出せるようならやってみます。


◆1月28日(金)
 8:40にWSTFを出発。時間的には余裕を持って最寄りの停留所に行ったのですが、結局、タクシーに乗る羽目に。出張中(月曜日)にカメラマンをするため、今回はカメラ機材をフル装備に近い状態で持っているため、キャリーバッグとカメラ収納のアルミケース、そして背中のバッグの3点セット。自分的には大した荷物じゃないのですが、通勤時間帯のバスはとても、乗り込めませんでした。まあ、新宿駅までは初乗り料金で着くので、あれでしょう。
 新大阪駅に着くとO内さんがいらして、一緒に昼食。行列のできていたカレー屋さんで、「ナポリのカレー」を食べました。江坂のホテルに荷物を置いて、千里中央の千里阪急ホテルに13:30着。ノーリツの上岡監督の姿を発見し、さっそく取材。しかし、小崎まり選手のマラソン練習は、ちょっとつかみどころがないというか、つかみにくい感じ。これまでの日本選手の練習とは明らかに違うような気がします。

 14時から記者会見。代表質問に対する各選手の回答ぶりは、記事にしたとおり。その後、増田明美さんが弘山晴美選手とシモン選手に質問し、その後に寺田が、残りの全選手にあることを質問しました。こういった共同会見で必ず質問していた朝日新聞・金重記者がいないので(大阪のデスクに栄転)、今回は寺田が代わりを務めた次第です。昨年は金重記者が、増田さんから「ジャーナリスティックな質問をする金重さん」と褒められました。寺田もジャーナリスティックに行きたかったのですが、ちょっとマニアックだったかもしれません。最後に絵心(?)のあるところも見せたのですが、「選手たちが引いてしまっていたよ」と、増田さんから言われてしまいました。あれをやるには、演技力が不足していたようです。

 会見後の雑踏取材も終わり、T社のSさんと千里中央駅のビルの5階で飲茶をしながら雑談兼、打ち合わせ。主に夏の世界選手権の話題でした。17:30から寺田は場所をカフェに移して会見の模様を記事に。
 20時頃にいったん江坂のホテルに。2時間ほど仕事をして、これからちょっと出かけて軽く一杯。一緒に飲む相手は…。


◆1月29日(土)
 昨晩の飲みは1時間ちょっとと控えめ(いつもですが)。
 今日は早起きして、1つ仕事をしてから千里阪急ホテルに。10時から関西に本拠を置く某社宣伝部の方お2人と打ち合わせです。一連の仕事(5人の選手を取材)を、2月にする方向で引き受けました。
 終了後は、ホテルのロビーで行き交う関係者と雑談。記者会見以外はホテル内での取材は禁止ですので、あくまでも雑談です。
 17時から歓迎の集いですが、それまでに1本、本サイト用の記事を書き上げるつもりが、仕上げられませんでした。データを調べる必要もあったので、片手間ではできません。17時からの歓迎の集いには出ず、会場の外で某社監督と雑談。その後、途中だった記事を書き上げました。
 原稿を書く合間にホテルの外を見ると、有力選手と指導者たちが、チーム単位で出かけていきます。夕食と一緒に、明日のレースの最終打ち合わせをするのが女子マラソン界の慣例なのです。基本戦略は練習にも反映する部分ですから、日頃から徹底されているでしょう。当日の天候や、ライバル選手の調子など、昨日今日で判明したことからの打ち合わせと思われます。あるいは、細部の打ち合わせではなく、単に選手の気持ちを盛り上げるための話をするのかもしれません。
 記事を書き上げると、いったん江坂のホテルにもどり、27日の取材のテープ起こし(メモリー起こし)。これが21:30まで。22:00から大阪在住の高校時代の友人と食事。1:30にはホテルに戻って就寝。


◆1月30日(日)
 レース2時間前に長居陸上競技場に着。
 元100 m日本記録保持者、ソウル&バルセロナ五輪代表の青戸慎司氏が、カメラマンとして来阪していました。本職は中京大の職員ですが教員たちと同様で、本業に支障を来さない限り、外部の仕事もしていいそうです。青戸氏の奥さんはテレビ局の元アナウンサーで、現在はディレクター。早大の陸上愛好会出身のランナーで、今回の大阪国際女子マラソンにも出場されています。
 ボブスレーでも長野五輪に出場している同氏。ボブスレーと、出身地和歌山の陸上競技事情などを話してもらいました。ともに、厳しい状況にあるようです。ボブスレーに関しては門外漢ですが、和歌山の陸上界は近年、国体でも下位に低迷していますから、ちょっと気になっていました。インターハイもハイレベルの畿地区に入っているため、全国に出られる選手が少ないというのが現状です。
 1週間前の全国都道府県対抗男子駅伝では、寺田の出身地である静岡県の関係者と話をしました。近年、低迷している静岡の長距離ですが、やっと明るい兆しも見え始めているとのこと。和歌山もやればできるはず。かつては、やり投の吉田雅美、溝口和洋、青戸慎司と五輪代表を輩出した県なのです。

 レース1時間前になると、指導者たちもスタンド下に姿を現します。ここでも、取材というよりは雑談。もう、事前の記事は書けない段階ですから、本音も聞けたりする時間帯です。天満屋・武冨監督の何げない一言が、小崎まり選手の取材のとっかかりとなりそうです。

 12:10にレースがスタート。序盤は集団で推移するのが常ですから、10kmくらいまでが記者たちのお弁当タイムになります。ちゃんと、メモはとっていますよ。
 10kmを過ぎて大南博美選手(UFJ銀行)が飛び出しました。集団にもどる気配はまったくありません。中日スポーツ前陸上競技担当の中村記者に、独走になったと携帯でメールを送りました。沖縄で中日ドラゴンズの自主トレを取材中ですが、電気屋のテレビで見たとのこと。しかし、その後は見られなかったようで、2位とのタイム差をメールで質問してきます。
 大阪城に入る27〜28kmあたりからアルフィー・タイム。高見澤勝選手(日清食品)は元気だろうか、と思った関係者が何人かいたはずです。
 30kmを過ぎると、中村記者からメールが来なくなりました。こちらが忙しくなっていると気を遣ったのか、大南選手の失速を知ったのか。

 レース後は取材する側にとっては戦場です。ミックスドゾーンで4位以下の選手のコメントをとり、頃合いを見計らって3位までの選手の会見場に。残念ながら、優勝者の会見には間に合いませんでした。2位の小崎まり、3位の弘山晴美両選手の会見を取材し、その後、ノーリツ・上岡監督の囲み取材。大南博選手を取材しようと、記者たちがドーピング検査から出てくる場所で待っています。寺田もしばらく、そこで待っていましたが、残念ながらタイムリミット。16:30には、表彰式&さよならパーティーの行われる千里阪急ホテルに移動を始めないといけません。
 昨年の静岡国際のときのこと。記者たちがある大物選手の取材をしようとしたとき、やはりドーピング検査と重なりました。しかし、選手が「どうせ、すぐには出ない」と言ってくれたこともあり、取材が先に行われたこともありました。臨機応変の対応を、大会運営者の方たちにはお願いしたいと思います。


◆1月31日(月)
 9:00から小崎まり選手の一夜明け会見を取材。
 その後、午前中にある取材。午後にもまた、別の取材。
 過去最多の取材と打ち合わせをこなした大阪出張でした。それだけに、疲労はかなり大きかったようです。帰りの新幹線は車中では、デジカメで撮った写真をパソコンにコピーしている最中に眠り込んでしまったほど。USBが古いタイプなので、40枚くらいの画像をコピーするのに30分くらいかかるのです。
 目が覚めて東京に着くまで1時間以上ありましたが、さすがに原稿は書けませんでした。陸マガ編集部に寄って写真を渡し、出張精算を2つ。


◆2月1日(火)
 ラジオの文化放送で箱根駅伝を担当されている、山田英俊さんの話を書き忘れていました。コニカミノルタの祝勝会のことを日記(1月17日)に書いた後、メールをもらっていたのでした。まず、山田さんの肩書きですが、17日の日記ではディレクターと紹介してしまいましたが、正しくは制作スポーツ部次長補佐です。これは、寺田が自発的に(?)気づきました。学年も訂正します。浜松西高で神谷晃尚選手の2学年下ではなく、4学年下だったそうです(これは山田さんが勘違いしていました)。磐田農高(当時、静岡県西部では長距離の強豪)の横道正憲現トヨタ自動車監督と同学年だったそうです。
 当時の浜松西高は東京オリンピック代表となった石川準司先生が監督でした。浜松西高で高校生だった63年に10秒5の高校タイを3回出した選手。寺田も静岡県西部(袋井)の出身です。高校時代に四ツ池の陸上競技場で試合に出ると、石川先生はプログラムには必ず名前が載っています。通告では選手名は外国選手も日本記録保持者もみんな「○○君」でしたが、石川先生だけは地元ということで「先生」でした。「100 mの世界記録はハインズ君の9秒95、日本記録は飯島秀雄君の10秒1、高校記録は石川準司先生の10秒5」っていう感じでした。
 山田さんからは石川先生の、元トップスプリンターらしいエピソード(?)も教えてもらいましたが、公表はしません。


◆2月2日(水)
 15時から取材。場所は流通センターという大規模な展示会場です。あるメーカーのイベントが行われていて、取材予定の選手がそのイベントに参加していたのです。イベント終了後に約1時間のインタビュー。今回も面白い話が聞けました。先週のある取材で、別の選手が話していたことへの理解も深まりましたので一挙両得というか、一石二鳥というか、一粒で二度美味しい(古いか)取材でした。

 東京国際マラソンの招待選手が発表されました。主催の産経グループの記者の方には申し上げたことですが、発表のタイミングが遅すぎますよね。レースの11日前。これでは宣伝期間が短すぎます。同じ系列の大阪国際女子マラソンは約1カ月前に発表するのです。色々と大変な裏事情があるのでしょうが、ロンドン・マラソンのように、何段階かに分けて発表する方法は採れないのでしょうか。
 招待選手の中には“最もビッグなTT”こと高岡寿成選手の名前も(今回は高岡選手だけ事前に出場表明記事が出ました)。シカゴ・マラソン直後はもう1回、記録に挑戦したい気持ちもあって迷っていたようですが、「世界一になる夢」に挑戦することに決めたとのこと。明日、発売のスポーツ・ヤァ!に1/2ページの展望記事を書きました。
 その取材をしたときの本人の話では、東京では「記録は考えていない」、とのこと。結果的に30kmまでペースメーカーがついて、36km以降の坂で本人の言うところの「僕の強さをアピール」できれば、結果的にそこそこのタイムになるわけです。伊藤監督がG・タイス(南アフリカ)選手のコースレコードを参考に2時間6分台も可能と言っているのは、そういうことです。

 ところで高岡選手の周囲では、陸マガ2月号88ページの写真がカメラ目線だと話題になっているのだそうです。ニューイヤー駅伝の2区で、トップに立った直後に、確かにカメラのレンズを見ていたそうです。そのカメラマンは陸マガの高野徹氏。“愛妻家カメラマンのTT”と言われていた男です。このあだ名は96年の世界ジュニアでシドニーに取材に行ったとき、高野カメラマンが奥さんへのお土産にものすごくお金をかけているのを見た寺田が、衝撃を受けて命名したものです。
 確か昨年の3月だったか4月の初めに、高岡選手、高野カメラマン、寺田の3人のTTで写真を撮りました。場所はJISSだったと思います。2人が“最もビッグなTT”と“愛妻家カメラマンのTT”なら寺田は何か。写真を見たら一目瞭然。“最も足の短いTT”です。


◆2月3日(木)
 大阪国際女子マラソンの300行原稿を完成させました。締め切り厳守でした、と守ったときだけ書いているわけです。

 大阪国際女子マラソンで思い出しました。表彰式後のパーティーでアコム関係者と話していると、アコムの差形マネ(アコムのサイトに顔写真)と八千代工業の日比監督が似ているという話題に。ボルダーで合宿中には、現地のアメリカ人関係者に車をのぞき込まれて間違えられたようです。
 日比監督の顔写真がWEB上で見つからないので紹介できませんが、この2人、似ていることは似ていますが、日比監督の方がより丸顔です。ボルダーで間違えられたというのは、欧米人から見た場合、東洋人の顔の区別が付きにくいという理由もあったと推測されます。逆も真なりで、我々から見たら欧米人や黒人選手の顔は区別がしづらい。日本にいるケニア選手の顔写真を一度に見せられて、全員の名前を間違いなく言える人はいないでしょう。
 アコム長沼監督もタレントのHに似ていると話題になりましたが、このネタは本人の希望で紹介不可。その代わりトラックシーズン、中距離への意気込みを語ってくれました。元UFJ銀行の平田雅子選手に宮崎千聖選手、この春には筑波大から桑城奈苗選手が加わります。期待しましょう。
 ミズノの鈴木さんが柔道の野村選手と酷似していると紹介したところ、スズキの安井章泰選手が女子レスリングの吉田沙保里選手と瓜二つだ、との指摘を受けたので、紹介しておきます。

 ところで、アコムの市川美歩選手は日体大出身。1月24日の日記で日体大伝統の「えっさっさ」について触れましたが、女子学生はさすがに「えっさっさ」はしないそうです。代わりに、「荏原体育(えばらたいいく)」というダンスが必修授業であるのだそうです。
 この件に関しては、“真っ昼間ビール”の特権を共有する(寺田と同じフリーランスという意味)W辺さんからも、ご指摘をいただきました。というか、長居陸上競技場でお会いしたので、こちらから取材をした次第。W辺さんによると「レビュー系のラインダンスで、上げた足の高さを一緒にするために、身長の高い学生は控えめに上げる」のだとか。逆に、身長の低い学生は思いっきり上げないといけないようです。ハニカット陽子選手は楽をした部類の学生だったわけです。苦労したのは……ちょっと、思いつきません。


◆2月4日(金)
 午前中に電話取材を1本。
 電話だとどうしても、答える側が集中がしにくくなります。新記録を出したケースなど、質問も回答も内容が限定されていれば、面識のない人間同士でも電話取材が容易になりますが、今日はもう少し微妙なニュアンスが求められる取材でした。“大丈夫かな?”と不安もありましたが、過去に3〜4回は個別取材をしている相手だったこともあり、上手くいきました。よく話してくれる選手だったことにも助けられたかも。

 午後にも1つ個別取材予定がありましたが、こちらの体調不良で日曜日に延期させてもらいました。発熱(陸上業界用語ではネッパツ)はありませんでしたが、昨日がちょっときつい状態でした。それでも原稿を書いたのは、プロ根性……ってことではなくて、大した症状ではなかったということです。今日はかなり良くなっていましたが、咳がそこそこ出る状態。選手の前でゴホゴホやりながらの取材は、厳に戒めています。
 締め切りとの兼ね合いもあるので、この時期の取材日程変更は難しいのですが、先方の了解を取り付けて、日曜日に変更させてもらった次第です。O選手とIコーチに感謝です。

 体調不良のせいばかりではありませんが、かなり原稿がたまっています。先月26日に取材した某大学の2選手の記事が130行2本、27日の超大物選手の記事が2本(300行と120行?)、大阪国際女子マラソン翌日に行なった対談取材記事(250行?)、今月2日にインタビューした女子選手の記事(120行?)、そして今日の電話取材の記事(120行?)……全部で7本もたまっています。
 そのうちの4本も含まれますが、今月は2つほど、取材期間も幅があって、締め切りもちょっと先という大きな仕事があります。通常の雑誌などの仕事とは違って、1本1本の締め切りが設定されていないわけで、もたもたしていると、どんどんスピードが上がるのはロザ・モタとか言っている場合ではなく、原稿がたまってしまいそうなのです。
「今日、記録が出たのは、練習をしていなかった“たまりバネ”です」
 という台詞を、たまに跳躍選手が口にします。だったら、“たまり原稿”もポーンと一気に片づけられる…わけはありません。今月は、ふんどしの締めどころです。ということで、「たまりバネの2月」を今月のキャッチにしました。えっ、誰も意味が理解できていなかった? いいんです。自分への戒めですから。記録集計号の版下製作作業もまだ、半分以上残っていますし。


◆2月5日(土)
 明日の丸亀ハーフに野口みずき選手が出場するようです。アテネ五輪後初の公式レースということで話題になっています。あくまで、飛び入り参加の可能性がある、ということで、当日の体調や状況次第で取りやめる可能性もあるようです。
 その可能性については大阪国際女子マラソンの際、ある人から聞いて知っていたのですが、もちろん○秘ネタでしたから、いっさい口外しませんでした。その情報を知っていれば助かったという関係者もいるかもしれませんが、こればかりは信用問題に関わること。
 当然ですが、このサイトにもそういった情報は出しません。冗談ばかり書いているから誤解を受けてしまうのかもしれませんが、このサイトは情報を絞って出しているのです。新聞やテレビ、雑誌などのメディアでは報じないようなネタもありますが、それを出すことで陸上競技が面白くなるケースが基本方針です。

 野口選手で1つ思いついたことがあります。棒高跳前日本記録保持者の小林史明選手が、母校の宇治山田商高に教育実習に行ったとき、野口選手が生徒だったという話がSPOTに出ていました。もしも野口選手が小林選手と同じように日体大に進学していれば、3日の日記で紹介した日体大の必修科目である「荏原体育(えばらたいいく)」をしたことになります。そうなったら、ハニカット陽子選手とは逆に、足を高く挙げないといけなかったんだろうなあ…。
 アテネ五輪の野口選手の写真(陸マガ10月号参照)を見ると、フィニッシュ・テープがやたら太いのがわかります。野口選手の身長が小さいからそう見えるのだという意見も耳にしましたが、あれは明らかにテープが太いのです。陸マガの2月号の全国高校駅伝のフィニッシュ写真を見てください。以前と比べたら、めちゃくちゃ太くなっています。今回からかな、と思って調べたら、前回からでした(西陣織の関係組織が提供し始めたんでしたっけ?)。とにかく、テープが太くなるのは流行なんです。眉が細くなるのとは逆で。

 というように、陸マガの写真をよーく見ると、面白いことに多く気づきます。2日の日記に紹介した高岡寿成選手のカメラ目線もそうですし(2月号88ページ)、ちょっと前に紹介した箱根駅伝選手とISHIRO記者の眉毛の太さの違いもそう(2月号12ページ)。2月号では他にも、6−7ページの駒大集合写真の佐藤慎吾選手も面白いですね。他の選手はみんなカメラを向いているのに、1人だけ自分の手を見つめています。手のひらを自分の方に向けて、何かを指折り考えている風なのです。
 こういった写真の面白さに気づこうと思ったら、立ち読みや回し読みでは無理。必ず購入しましょう。陸マガの回し者みたいなことを書いていますね。


◆2月6日(日)
 12:30から関東の某大学で取材。金曜日の予定でしたが今日にスライドさせてもらった取材です。こちらの体調も良好ですし、取材も順調に進みました。本当によく協力していただけたおかげで、ネタは十分すぎるほど。技術面の話と、人物ストーリー的な話と、どちらか片方でも所定の字数はきっちり埋まりそうです。両方の要素をいかに上手く1つの流れにして紹介できるか。こちらの手腕次第です。
 この取材の原稿は、今日中の締め切り……ですが、実はもう1本未完成の原稿があって、そちらを先に完成させました。その後、今日取材した原稿に取りかかりましたが、同じ編集者が担当しています。虚々実々の駆け引きの末、明日の昼頃が真実の締め切りと読みました。その後の経緯は省略します。書かない方がいいことが、世の中にはあるのです。

 こういった事情で、録画した別大マラソンのビデオは見られませんでした。結果を知って見ると面白さが半減しますから、自主的に情報管制を敷いて、テレビのニュースなどは見ないようにしました。インターネットも、陸上競技関係のサイトを見ると結果が出ている可能性があるので、気をつけないといけません。
 丸亀ハーフの結果は、届いていたFAXで知りました。
 女子では背が大きい小鳥田貴子選手(デオデオ)が1時間9分34秒で優勝。セガサミー橋本康子選手が9秒差の2位。5km毎の通過タイムを見ると、10kmから15kmの間でいったん離されたようですが、その後はずっとその差をキープしたようです。20kmからフィニッシュまででは、1秒詰めています。一度追いついて、再度引き離された可能性もありますが。

 橋本選手は最近話題になっている29歳世代。この学年が注目されているのは、小崎まり選手(ノーリツ)の活躍とコメントによるところが大です。12月の全日本実業団対抗女子駅伝のときに「大野(龍二・旭化成)君が弱冠19歳なら、私たちは弱冠29歳」と記者たちに話したのが発端でした。大阪国際女子マラソンで日本人トップの2位となった際も、同学年の大南博美選手(UFJ銀行)について「29歳が1位と3位か。私たち、頑張ってるわぁ」というニュアンスの話をしていました。集団を抜け出した際、大南選手がまだ独走しているし、そのまま優勝すると小崎選手は思っていたのです。
 田中めぐみ選手と大南敬美選手も29歳学年。橋本選手を加えた3人は名古屋国際女子マラソンに出場する予定。大阪の小崎選手に続いての快走が期待できます。
 ここまでに紹介した5人の他にも、すでに引退した川上優子選手や高橋千恵美選手も同学年だと、大阪国際女子マラソン翌日の取材の際、小崎選手が教えてくれました。川上選手はアトランタとシドニー五輪代表。高橋選手はシドニー五輪。田中選手(大島姓ですね、今は)がシドニーとアテネ五輪。「活躍に時差があるんです」とは小崎選手の言です。北京五輪代表に29歳世代が加わってくるのか、3年後の注目ポイントが1つ増えました。


◆2月7日(月)
 昨日来、別大マラソンのビデオを見るまで結果を知らないように、テレビやインターネットなど自主的に情報管制を敷いていました。のですが、調べものをするために国際陸連サイトのstatisticsコーナーを見ようとしたら、なんと、トップページに入船敏選手が優勝したとの見出しが。これは、油断しました。
 入船敏選手も小崎まり選手と同じ「29歳世代」だったのですね。もう少し若手というイメージでしたから、ちょっと意外です。01年の5000m日本歴代2位と1万mの27分台を最後に、トラックでも記録が伸びていませんでしたし、マラソンも2時間11分台が2回。特に、昨年のベルリンは2時間14分台でしたが、伊藤国光監督をして「どうして走れなかったのかわからない」と言っていたほど。同監督は「入船は強い。高岡より練習では走れている」と言い続けてきましたから、喜んでいることでしょう。

 同じく昨日行われた丸亀ハーフですが、男子の部について触れるのを忘れていました。
 恋愛論を語らせたらランナー間で随一(1月22・23日の日記参照)、と言われている家谷和男選手(山陽特殊製鋼)が日本人トップの4位。別に茶化しているわけではなく、恋愛論客であることが競技にプラスになっている代表選手ということで、このような紹介の仕方をさせてもらっています。
 学生選手では今井正人選手(順大)がトップで7位。太田貴之選手(駒大)と続きますが、非箱根駅伝組の高久佑一選手(国士大)や村刺厚介選手(京産大)も頑張っています。特に、高久選手は1年生。また、ゴールデン世代に有望選手誕生です。
 しかし、このゴールデン世代という表現も、箱根駅伝中心というか、野球の松坂世代の長距離バージョンを作りたいというマスコミ主導的な臭いがして、ちょっと抵抗感があります。いえ、かなり、抵抗感があります。

 ちょっと冷静に考えてみれば、大野龍二選手(旭化成)&三津谷祐選手(トヨタ自動車九州)のいる1つ上の学年の方が実績的には上のレベル(今井選手と土橋啓太選手もいます)。改めて紹介するまでもありませんが、大野選手はアテネ五輪代表で、三津谷選手は昨年の兵庫リレーカーニバル日本人トップ、今井選手は箱根駅伝5区で大幅に区間記録を更新。
 1つ下の学年にも、高校(最高)記録を5000m・1万mとも持っているダブル佐藤がいて、記録的にはゴールデン世代を上回っています。
 確かに、なにかしら記事にできる実績を持つ選手の人数でいうと、現大学1年生が一番豊富かもしれません。しかし、3つ続く学年全部の実力がここまでハイレベルであれば、そのうちの1学年を取り上げてゴールデン世代と表現するのはまずいでしょう。今後、ゴールデン世代という表現を使わないことを、ここに宣言します。


◆2月8日(火)
 増田明美さんが電撃結婚(増田明美さん、8日入籍=報知新聞記事)。杉田かおるさんが結婚したとき、「聞いてないよぉ」とコメントした“負け犬”(これも定義がよくわからん)芸能人がいましたが、寺田も今回は思わず「聞いてないよ」とつぶやていました。大阪国際女子マラソンでお会いしたときは、そんなこと、何も言っていなかったのに…って、伏せていたんでしょうね、きっと。しかし、知り合って4カ月とは。どんな時間が流れたのでしょうか。今度、聞いてみなくては。
 だいたい、増田さんといると、こちらが突っ込まれてばかり。2000年と昨年、オリンピック展望雑誌の仕事でインタビューさせてもらったときだけ、こちらが突っ込み役でしたけど。よし、今度は絶対にこちらが突っ込み役になるぞ、と決意を新たにした2月8日でした。

 それにしても、増田さんというと何かにつけ、佐々木七重さんと比較してしまうのですが、結婚も対照的ですね。佐々木さんは増田さんとともに女子マラソンの草分け的存在で、同種目が初の五輪種目となったロス五輪に、2人で出場されています。引退後、すぐにお見合いで結婚した佐々木さんに対し、増田さんは40歳を過ぎるまで独身だったわけです。
 “結婚も”と言ったのは、競技面でも対照的な2人でした。
 増田さんが高校時代からトラックの3000m・5000m・1万m・マラソンで日本記録を連発し、高校から実業団、実業団から大学(法大)、大学から実業団(NEC)と進みました。
 佐々木さんは大学卒業後、岩手県の教員をしながら強くなって、エスビー食品に入社しました。増田さんがトラックで最初に強くなってマラソンに距離を伸ばしたのに対し、佐々木さんはマラソンでそこそこ強くなってから、トラックのスピードも速くなった。
 ただ、低レベルの時代ですが、佐々木さんも3000mで日本選手権に優勝していたと思います。9分40秒くらいで。それに、ラストの走りは佐々木さんの方が抑えが利いて、速かった。とにかく、師弟関係など諸々を含めて、その後の女子長距離選手の原型と言える要素の全てを、すでに当時の2人に見出せるのです。

 フリーランスになった頃、本気でこの2人に取材して、その対照的な人生を本にできないかな、と考えました。残念ながら佐々木さんとは面識がないのですが、増田さんにはそのことを話したこともあったと記憶しています。まあ、寺田が書いたら人生を描くというよりも、なんで佐々木さんは抑えが利いた走りで、増田さんはバネの利いた走りなのか、なんて話になって、世間一般には受けないかもしれませんが。
 なにはともあれ、ご結婚、おめでとうございます。お2人の前途に幸多からんことを。


◆2月9日(水)
 昼は大作原稿の執筆。300行(150行2本)の予定でしたが、取材内容と選手の大物度、企画意図を考慮して、450行に変更しました。どうして、こんな大幅変更が可能なのか。それは、文字数の制限のある紙のメディアではないからです。

 深夜は記録集計号の版下製作作業。佳境に入ってきました。かなり、頑張りましたが、Macの調子が今ひとつ。以前にも書いたUSB接続のMOの認識が不安定で、機嫌が悪いときは2〜3回リセットしても認識してくれません。これが、不機嫌な林檎……あれは「不揃いの林檎たち」か(これも古いか?)。
 メモリー系も調子が悪くて、いくつかの作業で「一度保存しろ」表示が。でも、保存後にやっても同じ表示。結局、リセットしないといけないのです。いきなりシステムフリーズ&ダウンして、作業30分分がぶっ飛んだことも。
 しかし、誰が悪いのでもなく(Macが悪いと言えば悪いのですが)、仕事を請け負った以上は自分の責任でやり遂げないといけません。その辺がフリーランスの厳しいところですが、いくら古巣(陸マガ)からの仕事とはいえ、放り投げるわけにはいきません。
 まずは気持ちを落ち着かせようと、コーヒーを豆から挽いて淹れました。スタバで買ったモーニングブレンド。深夜でしたけど。モーニング娘。のファンではありません。


◆2月10日(木)
 大作原稿を2/3ですが、300行まで書き上げて夕方17時に送信。
 その後、記録集計号の版下製作作業の続き。20:30に校正のプリントアウト終了。陸マガ編集部に21:15に持ち込みました。編集部の校正作業を考えると、連休前に手渡しておきたかったこともありますし、今日配本の3月号を、少しでも早く入手したかったことも、直接編集部に行った理由です。

 3月号に寺田が書いた丹野麻美選手の記事中で、コバンザメという言葉を使っています。
「コバンザメは鮫ではなく魚なんだよ」
 と、担当編集者の秋山君に言いました。鮫だとちょっと印象が悪いと思ったので、記事中でもその辺を触れたかったのですが、文字数の関係もあってそこまで解説できませんでした。記事に使うにあたって、そのくらいは調べています。せめて編集者には、コバンザメはどう猛な海のハンターではなく、大きさも小さい魚だと伝えておきたかったわけです。
「鮫は元々、魚ですよ」
 と秋山君。寺田にとっては、まさに青天の霹靂。うーむ、そうだったのか。鮫はいくらや鯨と同様、海生ほ乳類だと思っていたのです。いくらじゃなくて、イルカです。蘇我入鹿でもなくて。

 3月号の内容については、発売日あたりにまた、触れようと思います。
 帰りは高橋次長と新宿まで一緒に移動。増え続ける白髪を隠すためか、帽子を被っています。本人は「寝ぐせを直すため(隠すため?)」とか言っていますが。そういえば、彼の恩師である筑波大・村木跳躍コーチもよく、帽子を被ってらっしゃいます。師弟は似るのか?


◆2月11日(金・祝)
 14時から京王プラザホテルで東京国際マラソンの記者会見。WSTF(新宿の作業部屋)から歩いて10〜12分で行けるのでとっても楽なのですが、ぎりぎりまで仕事をしていて、会見場に着いたのは13:53でした。会見の部屋が手狭で、空席僅少という状態。危なかったです。
 会見では、こういった場に出るのは初めてだったと思いますが、堀口選手の落ち着きぶりが印象的でした。単に、そう見えるだけのキャラかもしれませんが、何かやりそうな雰囲気も感じられました。ベルリン・マラソンでは渋井陽子選手に最後で抜かれたと聞きましたが(男女が同じレースを走っも、厳密には別レースという解釈なので、それをもって勝った女子選手の方が強いとは言えないと思います)、その後の練習が、満足できる内容だったようです。

 会見後の雑踏取材は、高岡寿成選手が一番人気でしたが、1月21日に取材してあったので、他の選手や指導者を優先。選手や指導者たちにマラソン戦績を確認したり、旭化成・宗茂総監督に話を聞いたり。宗総監督からは佐藤信之選手のこととともに、東京で独走優勝したときの話を聞かせてもらい、参考になりました。

 ペーサーの設定が2つあることも、伊藤監督や関係者の話から判明。東京は序盤に下り坂がありますから、福岡やびわ湖と一緒でなくてもいいと感じていたので、いい措置だったと思います。ペースを一定させるのでなく、走るリズムを一定にさせることの方が重要。起伏や風があれば、ペースが違ってくるのは当然です。起伏や風の“影響の受け方”が選手によって違うので難しいところかもしれませんが。

 ワイナイナ選手からは、1月17日の日記を見たと言われました。コニカミノルタのニューイヤー駅伝祝勝会であったことを大々的に書いた日で、ワイナイナ選手のことも、シカゴ・マラソンの携帯ストラップをねだられたと書きました。漢字は読めないと以前言っていたので、たぶん、大島コーチか誰かが何が書かれているかを伝えたのでしょう。今日もまた、寺田のシカゴマラソンの携帯ストラップを手にして「欲しいなぁ」と……だから、あげません。シカゴに行くチャンスが、ワイナイナ選手と寺田のどちらが大きいかと言ったら、ワイナイナ選手に間違いないのです。駅伝にも出ない選手ですし(と、自分で言って笑いを取っていました)。
 取材後はK記者と、京王プラザホテルと道1本を隔てた何とかビルのロイヤルホスト(ファミレスです)に。いくつか電話連絡も。


◆2月12日(土)
 朝の10:35にWSTFを出て10:47には京王プラザホテルに。すでにM記者が来ていました。11時に高岡寿成選手が練習に行くという情報を得ていたのです。11時ちょっと前に高岡選手がロビーに姿を現しました。昨日取材ができていないので話をしたいところですが、練習前ですし極力短めに(取材ではなく雑談)。そこに、シカゴ・マラソンの関係者が来て高岡選手に挨拶。寺田も、同マラソンの携帯ストラップ(本当はIDカードのストラップですけど)を見せて、「去年、取材に行ったんだよ」と言うと、同マラソンロゴ入りのマルチ・ペン(シャープとボールペン2色)をプレゼントしてくれました。
 高岡選手は、後輩の澁谷明憲選手と40分ジョッグに。その間に、伊藤国光監督に話を聞きました。指導者への取材はOKなのです。ジョッグから戻ってきた高岡選手とも雑談。奥さんの直子さんと長男の環伍君も来ているそうです。今日はディズニーランドに行っているとか。当日は沿道から応援しているところが、テレビに映し出されるかもしれません。澁谷選手とも雑談。明日は第一集団で行くと話していました。

 カネボウ勢と雑談後は、なかなか関係者が現れません。というのも、福岡国際マラソンや大阪国際女子マラソンの大会ホテルと違い、京王プラザは出入り口が多くありすぎます。フロントのあるフロアに東西2箇所、その1つ下のフロアに南北2箇所。ワイナイナ選手と酒井勝充監督が練習から戻ってきたところで、ちょっとだけ雑談ができました。
 できれば佐藤信之選手と雑談がしたかったのです。今日のサンスポによれば、今回が旭化成でのラストランになる可能性もあるとか。中大卒業時に陸マガの「旅立ちの春」企画で取材させてもらった選手です。今度もまた、新たな出発となるのかもしれませんから。

 でも、結局接触できたのは、カネボウ&コニカミノルタ勢だけでした。女子マラソンと違って、選手の練習に指導者が付いていかないことも多いようですし。
 14時近くになって、渦中の産経&サンスポ記者3人とK記者、M記者、H記者で食事に。昨日と同じロイホに行きました。産経新聞大阪の陸上競技担当のO谷記者に、東京のファミレスの何たるかを説明してあげました。ウエイトレスが困惑顔だったとか。何を説明したかは省略します。
 夜はある女性と新宿で食事をする約束があったのですが、先方の都合で延期に。


◆2月13日(日)
 東京国際マラソン取材。11時に国立競技場に着くと、報道受け付けでY新聞Mカメラマンとばったり。久しぶりの陸上取材だというので、「今日は記録が出そうだから、気合いを入れよう」と声をかけました。と偉そうに言った割には、記録は低調でしたね、高岡寿成選手以外は。1・2位差が3分以上もついたのは東京コース史上初(大会史上と言えないのがややこしいところ)。日本人の1・2位差にいたっては6分56秒。これは、過去の大会の成績10位までしか載っていないプログラムでは確認できませんでした。
 しかし、それにしても東京は、記録が出るのか出ないのか、よくわからないコースです。女子の山口衛里選手と男子の三木弘選手は、当時の国内日本人最高記録でした。犬伏孝行選手も、当時のセカンド記録日本最高でシドニー五輪代表を決めました。実井謙二郎選手も自己記録を大幅に更新しました。しかし、今日のように、多くの日本選手にとっては明らかに記録を出しにくい。やっぱり、下りの走り方でしょうか。

 フィニッシュ後の共同会見に来た高岡選手に、40kmまでしか記録が出ていませんでしたが、5km毎の通過&スプリットタイム表を渡すと、「最後の2.195kmは何分ですか」と質問を受けました。「6分40秒くらい」と答えるのと一緒に「最後のトラック1周が遅かった」と告げました。「厳しいですね」と高岡選手。テレビ画面からの計測は正確ではありませんでしたが、おおよそ68〜69秒でした。
 今日のレース展開だったら最後の400 mのタイムは問題ではないことを、お互いにわかった上での冗談モードのやりとりです。あとは、長年の付き合いで、高岡選手のトラックでの取り組みなども取材し続けてきたから言えたことです。今でも冗談モードで、大阪の世界選手権は1500mで狙っては? と言っていますから。

 国立競技場での取材が終わり、陸マガ取材陣と一緒に京王プラザホテルに移動しようと、シャトルバスに乗り込みました。16時発の最終バスでしたが、そこにドーピング検査で遅くなった高岡選手と外舘トレーナーも乗ってきました。寺田の前に高岡選手が座り、後ろには高野徹カメラマン。3人のTTがタテ1列に並びました。それがなんだ、というわけではありませんが。
 バスの中でちょっとだけ、記事に使えそうなネタも仕入れましたが(記録を出す条件はなかなか整わないこと感じたことや、終盤、2時間7分台は意地でも出そうと思ったことなど)、ほとんどは雑談に終始。昨年のシカゴでも、共同会見後に宿泊ホテルまで歩いて一緒に移動しました。今日と比べるとやはり、シカゴではちょっと陰のある表情だったようにも思います。が、それは、記録更新への意気込みを知っていたから、そう思えたのかもしれませんが…。

 ホテルでは、表彰式&パーティーまで1時間ちょっと時間があったので、本サイト用の記事を執筆。パーティー中は、電話などをしていて会場外にいる時間が長かったのですが、堀口貴史選手の話を聞くことができました。聞けば以前、メルマガを発行していた頃に今週のMIPで取り上げさせていただいたことがあるとか。全国都道府県対抗男子駅伝で学生選手トップとなったときとのこと。自分で書いていながら忘れているという、失態を演じてしまいました。選手の話を聞かずに、記録だけを見て書いた記事ですから、というのが言い訳です。
 パーティーの最後に、代理人のポソ氏に、知り合いの米国人記者に通訳になってもらって少し、話を聞きました。今回のペースメーカーを仲介した代理人で、彼らの仕事ぶりについて、どう評価しているのかを聞きたかったのです。「決していい仕事ではなかったが、14分40秒・14分50秒・15分00秒とペースを変えるのは難しいこと」と話していました。下りなのに? と質問すると、下りでもタイムを変えたら走るリズムが変わるんだ、という答え。ちょっと納得しにくい説明でした。まあ、坂と言えるレベルの傾斜ではない、と暗に言っているのかもしれませんが。


◆2月14日(月)
 昨日の捕捉です。1・2位差が3分以上もついたのは東京コース史上初(大会史上と言えないのがややこしいところ)。と書いたのは、東京国際マラソンは主催が1年づつ代わるのです。フジ産経グループが奇数年で、日本テレビ読売新聞グループが偶数年。今年の大会は厳密には「東京−ニューヨーク友好2005東京国際マラソン」で、昨年は「2004東京国際マラソン」。東京で男子マラソンが始まった1981年は、両者が譲らず2大会とも同じ年に、3週間隔で開催されました(2月8日と3月1日)。
 我々の感覚では東京国際マラソンの前回優勝者はジェンガ選手(ヤクルト)ですが、大会主催者によれば、今回2位だったバヨ選手が前回優勝者なのです。ファンや視聴者の感覚とは遊離して、主催者側の意地だけがまかり通っている状況。ですが、実害はありませんし、互いに相手よりいい大会にしようと切磋琢磨するプラス面もあります。

 もう1つ書こうと思っていて忘れたのが、スタート直後の200 m通過タイム。「最後の400 mが遅かった」と高岡選手に言った記者もいましたが(昨日の日記参照)、高岡選手によれば最初の200 mは30秒前後だったそうです。
 ビデオでは200 mラインを正確に確認できませんでしたが、だいたい32秒くらい。スタート位置は400 mのスタートラインの10mほど後方でしたから、実際の200 mはやはり30秒くらいだったと思われます。400 mは65〜66秒くらいの通過。最後の1周より速かったのは間違いありません。マラソンでは、珍しいことではないと思いますが。
 言えることは、ペースメーカーが正常なペース感覚を失っていたのでしょう。最初の5kmを14分40秒というハイペースで入らないといけないことがプレッシャーとなり、それに負けてしまったのかもしれません。

 本日は陸マガ3月号の発売日。寺田は小崎まり選手のインタビュー記事、ポストアテネ企画の久保倉里美、大前祐介、丹野麻美3選手の記事を書かせてもらいました。福島大2選手の取材は1月26日。確か、前々日に申し込んで、お互いの日程が合わなかったため、急きょ26日に決定しました。大前選手は逆に、2月4日の予定でしたが2日後の6日に変更となった取材でした。寺田が体調をちょっと崩したため、スライドさせていただきました。どちらも無理をお願いしての取材でしたから、その分、いい原稿を書かねばと頑張りました。


◆2月15日(火)
 東京国際マラソンで紹介し忘れていたのが、この写真。高岡選手夫人の直子さんと、長男の環伍君。こちらは高岡選手と環伍君。残念ながら3人一緒のところは撮れませんでしたが、高岡選手を初めて取材した龍谷大4年時から13年目で、奥さんの知己を得られました(奥さんは大学時代の先輩とか)。
 実は、1月に防府へ取材に行った際、ちょっとご挨拶させていただく機会があったのです。なんでも、寺田が昨年のローザンヌSGP取材の際に泊まったレマン湖畔の古城ホテルが、高岡夫妻が新婚旅行に行った際に泊まったホテルだったようです。ちなみに寺田夫妻の新婚旅行は、関西・中国地区。小郡駅(今の新山口駅)で乗り換えて、萩とか津和野に行った記憶があります。だからなんだ、というわけではありませんが。

 親子といえば、小出義雄監督の次女の正子さんとも、初めてお話しさせていただきました。皆さんご存じのように、高橋健一夫人でいらっしゃいます。引退した某美人選手が紹介してくれました。中大OB同士ということで、一緒にいたのだと思います。2人は同期でしょうか、と思って調べたら、某美人選手の方が1学年先輩でした。別に、隠す必要もないですね。山内美根子さんです。山内はやまうちではなく、やまのうちです。間違えないようにしましょう。
 正子さんと知り合いになったことで、高岡親子に続き、小出親子3人と面識ができたことです。この業界で10年以上になりますが、親子3人と面識ができることって、めったにありません(環伍君はこちらを覚えたわけではないでしょうけど)。これまでは、室伏ファミリーがあったくらい。二世選手が頑張れば、今後、そういったケースは増えていくかもしれませんが、そうそう上手く行くものでもありません。

 今日は、午前中から14時にかけて、驚異的な段取りのオンパレード(死語か?)。15時から都内某所で打ち合わせでしたが、移動中にミズノ広報の木水さんから電話をいただきました。そんなこんなで、今週後半から来週のスケジュールが一気に埋まっていきました。もしかすると、17日の木曜日から月末まで、12日間で10日の取材になるかもしれません。明日中に、記録集計号の版下製作作業を片づけなくては。今晩が山か。


◆2月16日(水)
 昨晩は記録集計号版下製作作業の最後の山場。頑張って、印画紙出力作業も8割方終了させました。途中、文字がかすれるようになってしまって、さあ大変。ヘッド(ノズル?)クリーニングを2回して解決しましたが、購入して4年で初めてしたクリーニングでした(PCから操作できます)。朝の6時から11時まで寝て、起きてすぐに作業再開。18時には目次を除き、作業を全て終了させ、19:43に編集部に届けました。
 その間にいくつかの段取り、雑用をこなしましたが、某大学パンフレット用の写真と、某実業団チームから依頼のあった写真手配のため、某専門誌編集部にも電話をした次第。二枚目ハードラーことO川編集者が出てくれましたが、バレンタインでもらったチョコレートの数を聞き忘れました。6台目からの減速が大きかった400 mハードラーだったと聞いていますから、毎年、6個くらいで頭打ちと見ました。
 チョコレートの数では勝てないと思われるE本編集者ですが、れっきとしたインターハイやり投入賞者。吉田雅美&溝口和洋選手を生んだ和歌山県投てき界の一翼を担った存在でした。日置町の実家の裏山には小規模な城跡があるのだそうですが、近年のE本編集者の調査の結果、熊野水軍の出城であることが判明したとのこと。熊野水軍は壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた海の兵(つわもの)です。
 瀬戸内海を拠点とした村上水軍とは、ライバル関係だったこともあるでしょう。E本編集者自身は熊野水軍とは関係のない家系だと言いますが、昔のことですから、一帯の住人は皆、親戚でしょう(と強引に決めつけていいのか?)。村上水軍の末裔である村上幸史選手とは、因縁浅からぬ間柄だったわけです。それがなんだということではありませんが、スポーツ選手をスカウトする際、先祖が水軍だったかどうかは、判断材料になると思います。瀬戸内海には河野水軍と言われた一族もいましたが…。

 14日の日記で陸マガ3月号に書いた記事を列挙しましたが、全国都道府県対抗男子駅伝の大森輝和選手の記事を挙げるのを忘れてしまいました。たぶん、日記を書いたときに空腹じゃなかったんでしょう、などというレベルの低い冗談はさておき、その後の姫路10マイルでも大森選手は好調。陸マガ記事にも書いたように、高地トレーニングを上手く活用できるようになったようです。さすが、高知県の選手、などというレベルの低い冗談はさておき、大森選手の好感の持てるところは、トラックで世界と戦う気概を持っていること。アフリカ勢全盛の今日、なかなか言えることではありません。
 ちなみに大森選手も瀬戸内海の小豆島(しょうどしま)の出身。棒高跳元日本記録保持者の高橋卓巳選手も、この島の出身でした。大森選手は一見、カリブの海賊役が似合いそうな二枚目俳優という風貌で、大学を中退したりしてアウトロー的な雰囲気もありますから(実際は誠実な人柄の選手です)、水軍の末裔かもしれません。

 明日、明後日に入るかな、と思った取材が2つ、両方とも延期になりました。来週がその分タイトなスケジュールになりますが、木曜日、金曜日と取材がなくなって、記録集計号の作業からも解放され、ちょっと余裕でしょうか。ちなみに、海鋒佳輝先生は、かいほうではなくかいほこ(昨日の山内美根子選手に続いて、これは正しく読めないだろうシリーズ)。
 しかし、こういうときこそ“たまりバネ”の原稿(この使い方は間違っていますよ)を書き進めておかないと。130行が3本と、250行の対談原稿を抱えています。締め切り目の前というのでない状況で、どれだけ気持ちを引き締めて、集中してキーボードに向かえるか。


◆2月17日(木)
 昨日の日記の訂正です。
 まず、某専門誌E本編集部員はインターハイ入賞ではなく、インターハイ出場だそうです。おかしいなあ、入賞者だって聞いたことがあるのですが。10年この方、ずっとそう思い込んでいました。和歌山県投てき界の一翼を担ったという表現が微妙になってきますが、県内で屈指の選手だったことは確かです。町名も日置ではなく、日置川の間違いでした。
 もう1つは、高橋卓巳選手の出身は、小豆島ではありません。中京大を卒業して、最初に着任したのが小豆島の土庄高校定時制だった、という指摘を野口純正氏から受けました。何度も紹介していますが野口氏は、日本の記録集計の中心人物で、陸マガ時代に寺田の上司だった人物です。名前は純正と書いてよしまさと読みます(一昨日の山内さん、昨日の海鋒先生につづいて“これは正しく読めないだろう”シリーズ第3弾)。
 高橋選手は違いましたが、かつてワコールで活躍した藤原恵選手は小豆島出身のはず。大森選手が中学だったか高校時代に、指導(アドバイス?)を受けたことがあると話していました。

 もう1つ訂正が。2月3日の日記で日体大の女子学生は、有名な「えっさっさ」ではなく「荏原体育」というラインダンスが必修科目にある、という話を紹介しました。足を上げる高さを同じにするため、背の高い選手は低めに上げるので、ハニカット陽子選手は楽をしたのではないか、と書いたのですが「荏原体育はきつかったです」とのメールが、本人から届きました。
 詳しい理由は書いてありませんでしたが、想像するに、足を上げる高さでなく、長い時間ダンスを続ける方が苦痛だったのではないか、と思われます。逆にもしも野口みずき選手が日体大に入っていたら、足を上げるのは大変ですが、長時間ダンスを続けることは苦にならなかったはずです。

 世界選手権に関する調べ物で、ちょっと時間がかかってしまいました。目指す資料は発見できませんでしたが、思わぬ収穫もあったりしてまあいいかな、と。あと、アナログカメラ機材一式を中古カメラ屋さんに売ろうと、買い取り価格を調べています。10年近く前に揃えた機材ですが、カメラ本体(Nikon F3 HP)、望遠レンズ(180mmでF値が2.8と明るい優れものと300mmF4.5)、18mmの超広角レンズ、モータードライブ、ストロボなど。本当にカメラが好きで、アナログの味のある写真を撮りたいと思うマニアの方なら「もったいない」「馬鹿ちゃうか」と言うほどの一級品。特に18mmレンズなんて、素人では手が出せない商品でしょう。
 でも、ここ7〜8年、1回も使っていないのです。Nikonの当時のアナログ用のレンズは、デジカメに使用できません。特にフリーになってからは、主にコストの問題から、デジカメ以外は使いようがないのです。定価の1/5〜1/10の値段では売れるようで、トータルで10〜13万円にはなりそう。そのお金で、デジカメ用の超広角レンズを購入しようかな、と思案中。近々、撮影も行う取材があるので、そこでさっそく使ってみようかと絵柄をイメージしています。
 などと、余裕をかましていたら、原稿がなかなか進みませんでした。


◆2月18日(金)
 久しぶりに頭に来ました。
 新宿西口の中古カメラ屋「M」に、昨日の日記で紹介したアナログのカメラ一式を買い取り査定に出したときのこと。全部で9点の機材を出したので、今日中の査定は無理だから、預からせて欲しいと店員が言いました。できれば、今日、換金したかったのですが、閉店まで25分という時刻でしたから、仕方ないかと納得。問題はその後です。ホテルのクロークのように番号札を手渡された後、ちょっとデブの店員と次のような会話が進行しました。
店員「査定が終わったら連絡しますから、この札を持ってきてください」
寺田「“これとこれを預かった”と記入した書類とか、もらえないのですか」
店員「ありません。こちらを信用していただくしかありません。この番号札と引き換えになります」
寺田「……。それって、まずくないですか」
店員「取りゃしませんよ、こんな物」

 我ながらなぜか落ち着いていて、その場でキレることはありませんでしたが、WEBサイト上の査定シミュレーションでは、トータルで10万円以上になる品々です。一番高価なのは、18mmの広角レンズ。定価は13〜14万円で、上限買い取り額は4万円の代物。その額で商売をしようとしている当事者が、預かり証を出せない。怒って当然ですよね。番号札はその場での効率的な受け渡しを前提としたクロークだから、許されるんですよ。
 他の店員が「点数だけでも記入してコピーしたら」とアドバイス。一歩前進ですけど、それでもちょっと不十分でしょう。
「9点の品名とか型番とか、すぐに書けますよ。僕が書きますから、それをコピーしてください」
 と一方的に言って、パパッと2〜3分で紙に書き、コピーをもらいました。

 こんな慣習がまかり通っていること自体、信じられませんが、許せないのが「こんな物」という店員の言い方。「要らないから売るんだろう。それを換金してやってるんだ」という態度が見え見えなのです。
 別に、要らないから売るわけじゃないんです。確かに昨日の日記で、ここ7〜8年使用していないと書きましたが、できれば手元にアナログ・カメラを残しておきたい気持ちはあります。愛妻家カメラマンのTTこと高野徹氏も、「売らない方がいいですよ」と言っていました。プロがそう言うほどの機材ですし、将来、趣味で銀塩写真を撮りたい気分になることもあるでしょう。
 思い出だってあります。陸マガ編集者時代の若かりし頃、苦楽を共にした機材です。一番も思い出は89年に順大で行われた六大学対校200 mで、花田能人選手(筑波大)の20秒86のフィニッシュシーンを撮ったこと。比較的近い場所で撮影ができた大会だったので180mmで十分でしたし、ピント、シャープさ、タイミングともバッチリ撮れました。今だと20秒86はインパクトが低いかもしれませんが、その年の日本2位の記録。日本記録が高野進先生と山内健次選手の20秒72だった頃で、歴代でも5位タイでした。

 そこを泣く泣く売らないといけない状況になったわけで(お金に困っているかもしれないのです)、そういった事情もあって中古カメラ屋に足を運んだ人間の気持ちを考えられない店員は、最低です。


◆2月19日(土)
 3時間睡眠で横浜アリーナに。昨年まで行われていた日中対抗室内横浜大会は中止。本日行われたのは、昨年から始められた横浜インドアオープン競技会。関東学連主催でテレビ放映(26日の深夜)もあります。入場無料だった割に、スタンドはほとんどが選手仲間や指導者たちと、関係者ばかりだった気がします。競技会の性格上、それほど集客を考えていなかったようですが。電光掲示もありませんでしたし、アナウンスも観客を盛り上げるものではありませんでした。そんな中で、最初の高さである5m30から1人で競技を進めたのが沢野大地選手。バーが高くなると、短距離のスタート前のように静まりかえる場内の雰囲気を、1人で受けて立っていたような感じでした。世界で戦うアスリートの貫禄さえ漂っていました。
 著名選手の欠場もありましたが、全体としてはまずまずの盛り上がりだったと思います。女子棒高跳の錦織育子選手が4m20の室内日本歴代2位に成功すると、4m31の室内日本新に挑戦しました(これには失敗)。男子でも今や“世界の大地”に成長した沢野大地選手が5m60に成功すると、5m71の室内日本新にバーを上げました。この2人が男女の最優秀選手です(写真)。

 オリンピック選手では谷川聡選手が学生選手たちとの格の違いを見せましたが、昨年までとの違いはハイソックス。ヒザ下までの白いハイソックスを履いて予選、決勝と白い稲妻のように駆け抜けました。ラドクリフ選手と同様、ふくらはぎの筋肉を上手い具合に締めて、地面に力を伝えやすくする効果を狙っているとのこと。ハイハードラーとハイソックスを引っかけているのではないようです。
 世界的にはラドクリフが有名ですが、日本では苅部俊二選手によって400 mの“ハイソックス日本記録保持者”と命名された簡優好選手が有名です。今日は、簡選手とともに富士通400 m全盛時代を支えた、林弘幸選手の姿が。聞けば、簡選手と同様、横浜市の中学教員となり、指導者の道を歩み始めているとのこと。引退してもう、丸6年になるのだそうです。時間が経つのって早いですね。今さらですけど。

 沢野、谷川以外のアテネ五輪代表組では、七種競技の中田有紀選手が走幅跳で優勝し、60mHで2位。五輪代表ではありませんが、女子60mの瀬戸口渚選手も学生相手に格の違いを見せ、400 mの丹野麻美選手も勝負強さを見せてくれました。
 男子60mの品田直宏選手と走幅跳の今井雄紀選手と、期待の大学1年生もきっちり力を発揮。三段跳は男女とも順大勢(OBと現役)、砲丸投は男女とも国士大選手が制し、男子走高跳は比留間修吾(東海大)と久保田聡(順大)の4年生同士が、2m12の同記録という激戦。
 目立ったのは、国士大のユニフォームでした。得意の投てき種目だけでなく、組数が多く行われた短距離種目でも、各組で上位に食い込んでいました。男子60mでは2・3・6位を占めています。2月6日に大前祐介選手の取材に早大に行った際、礒繁雄コーチが「今年のインカレのリレーは、国士大がいいのでは」と、警戒していました。

 男子1マイルでは上智大の伴卓磨選手が亜大の阿久津浩之選手に競り勝ちました。強豪選手不在のレースでしたが、陸上強豪大学の選手ではありませんから、嬉しかったのではないでしょうか。伴選手は4年生です。卒業間際のこの時期まで、しっかりと練習をしてきたということ。学生最後の花道と思って頑張ってきたのか、何か他に、余人には想像できない理由があったのか。
 同じ男子1マイルでは、「エムジェイー」とスタンドから声援が送られていました。MJと言えば歌手のマイケル・ジャクソンにバスケットのマイケル・ジョーダン、陸上競技ではかのマイケル・ジョンソンと、大物のイニシャルとして定着しています。いったい誰だろうと思って見ると、千葉大の宮尾淳矢選手がフィニッシュするところでした。色々な青春があるのだろう、と思いを巡らせた次第です。
 湘南工大附属高の小澤美希選手は女子走高跳で、石塚優子選手と同記録の1m70で2位。同校の宮尾勉先生とすれ違った際、とんでもない勘違いをして、失礼な質問をしてしまいました。その直前に、同校OBのハニカット陽子選手からメールも来ていたのに。
 6種目に優勝と頑張ったのが、地元・神奈川県の選手。参加選手の顔触れでレベルが下がる種目もありましたが、そういった種目できっちり地元勢が勝つ。そういった部分が、大会を引き締めます。


◆2月20日(日)
 浜名湖一周駅伝の取材。袋井市の実家を8:10に出て、浜松まで東海道線、同駅から舘山寺温泉まで遠鉄バスで移動。大会本部とスタート&フィニッシュ地点である遠鉄エンパイヤホテルに9:25着。

 同大会は、言わずと知れた世界四大湖畔大会の1つ。びわ湖マラソン、ローザンヌ・グランプリのアスレティッシマ、そして昨年湖畔大会に仲間入りしたシカゴ・マラソンと並び称される大会です。並ぶというよりも、4つの大会それぞれの“性質”が違います。地方色の強い招待駅伝と、国内トップレベルのマラソンと、国際グランプリ、そして海外の賞金マラソン。全て出場した選手が早く現れないかな、と祈っている今日この頃です(今日だけか?)。
 冗談モードで書いていますが、浜名湖は駅伝や長距離の翌年以降を占う大会でもあります。昨年は女子の2区で湯田友美選手(当時愛知淑徳高、現ワコール)が区間賞を取っていますし、男子の1区では幸田高明選手(明大)が区間1位。高校の部の4区では野口功太選手(豊川工高)が区間新&区間賞。高校生チームの主力は同日開催の千葉国際クロスカントリーに回ることが多いですけど、西脇工高、立命館宇治高、佐久長聖高らが常連ですから、さかのぼって調べれば、浜名湖畔を走ったその後の有名選手も結構いるような気がします。高校生や大学生をスカウトしたい関係者は、浜名湖駅伝を血眼になって見るのもいいかも。

 スタートまでの1時間で、多くの関係者に挨拶&雑談しました。着いてすぐに佐久長聖高の両角先生に合ったので、「千葉は選手任せですか?」と挨拶(質問じゃありませんよ)。「向こうは任せています」とのことですが、同高の佐藤悠基選手は千葉国際クロスカントリージュニアの部に優勝。今は中大の選手ですが、同高OBの上野裕一郎選手も一般4000mに優勝、やはりOBの高見澤勝選手(日清食品)は一般12000mで7位。特に、高見澤選手はこのところ活躍がありませんでしたから、復調が目を引きました。
 ホテル内に行くと、明大・西弘美ヘッドコーチと、八千代工業・日比勝俊監督が話をされていたので、ちょっとご挨拶。2人とも日大OB。もしかして、西コーチが日大コーチだったときの教え子かな、と思って確認してみたら、違いました。仲のいい先輩後輩の間柄のようです。この2人に限らず今日は“コンビ”、つまり共通要素や何かしらの関係のある“2人”の組み合わせを多く目にしました。
 レース前にはホンダ浜松の渡辺利夫監督とスズキ・三潟卓郎監督が近くにいたので、記念のツーショットを撮らせてもらいました。同じ浜松に本拠を多く実業団長距離チームで、長年ライバル関係が続いていましたが、ホンダ浜松が3月いっぱいで同好会になってしまいます。選手たちの自主的な活動があれば、今後も各種駅伝に出る可能性も皆無ではありませんが、今大会がラスト・タスキ・リレーとなる可能性もあります。

 トヨタ自動車は参加していませんが、距離的に近いこともあってか奥田真一郎選手(トヨタ自動車)が会場に姿を見せていました。レース後には、恩師の西脇工高・渡辺監督と一緒にいるところを拝見しました。師弟では、元浜松商高監督の山下昌彦先生と、現浜松商高監督の杉井将彦先生の、マサヒコ・コンビが一緒にいるところを目撃。これは、静岡県関係者ならずとも、陸上競技ファンならインパクトのあるコンビだと思います。
 近年、高校駅伝で強豪の仲間入りを果たしたのが豊川工高。OBも多く活躍しています。残念ながら渡辺正昭監督の顔を知らないのですが、同高は浜名湖にベストメンバーで臨みますから、間違いなく来ていらしたはず。大学は日体大で、西脇工高の渡辺監督と同じ。ダブル渡辺監督も知る人が見れば、迫力のあるツーショットだったことでしょう。
 前述のホンダ浜松も渡辺利夫監督ですし、仙台育英高は渡辺高夫監督、早大は渡辺康幸監督。長距離の渡辺監督はいっぱいいますね。ダブル渡辺という言い方ではくくれません。

 男女同時4連勝を達成したスズキでは、中川拓郎選手&中川智博選手の中川家、松岡範子選手&松岡裕子選手の松岡姉妹がいますが、一緒にいたかどうかは不明。本当は両中川選手に血縁関係はありませんが、中川真希さん(元リクルート、ニッポンランナーズ・コーチ)と拓郎選手は血縁があるはず。というのは、拓郎選手が岐阜県の下呂市出身というのは有名ですが、最近何かで真希さんも下呂市の出身と読んだのです。ところが、拓郎選手に確認すると、血縁関係はないとのこと。でも、中学の1学年先輩だそうです。話しぶりから、尊敬しているように感じました。


◆2月21日(月)
 今日は充実していました。7時には起床して、午前中に200行原稿を1本、ほぼ完成させました。構成は昨晩考え、30行ほど書き出してあったので、可能となったのですが。昼食を実家で済ませた後、新宿の作業部屋(WSTF)に移動。新幹線車中での集中力が今ひとつでした。ちょっと悔やまれます。
 16:40頃にWSTFに着くと、金曜日にアナログ・カメラ機材を買い取り査定に出した中古カメラ屋から、FAXが届いていました。こちらの予想したより、キズとか埃とかがチェックされてしまって安くなっていましたが、下取りすると査定額が10%アップするので約10万円になります。さっそく出かけて換金し、同じ店で12-24mmの超広角ズームレンズを購入。約7万円。カメラに詳しい人には、この値段からメーカーやF値までわかってしまうでしょう。でも、素人がレンズにかける値段ではないですよ。寺田はカメラマンではありませんが、れっきとした仕事用途です。

 中古カメラ屋に行く途中、S誌編集部から電話がありました。びわ湖マラソンに出場するある選手の電話取材の許可が出たとのこと。さっそく、その選手が所属する会社の広報の方に連絡し、19時からの取材と決定。約40分のインタビューでしたが、面白い話が聞けました。以前から何回か取材している選手なので、こちらの持論なども展開したりして、余分な時間を使ってしまいました。反省しています。
 続いて、別の女子選手に電話取材。こちらは、アポなしの飛び込み電話でしたが、その場で快諾していただき、約20分のインタビュー。これまでも会ったことはあるし、電話取材もしたことのある選手ですが、ちゃんと挨拶をしていないので、こちらの顔を理解してくれていない相手です。でも、そこは大学卒業後3年の選手で、社会の酸いも甘いも経験済み(と勝手に思っているだけですが)。しっかりと話をしてくれました。

 月9ドラマを見ながら夕食。朝が早かったせいか、食後に少し眠ってしまいましたが、そのまま眠り込まず、明日の取材の準備を1時間半くらい。インターネットのデータを印刷したり、過去の記事を読み直したり。睡眠時間も4時間ほど確保できる時間に就寝しました。このところずっと、時間の使い方というか、生活のリズムを整えて、仕事に集中しやすくしようと考えているのですが、今日は1つの成功例かな、と思います。昼食前に200行書けると、午後がかなり自由に使えます。できれば新幹線車中でもう少し集中し、夕食後に50行くらい書き進められれば、言うことはなかったのですけど。

 19日(土)の日記で紹介した伴卓磨選手からメールをいただきました。関東インドアオープンの1500mに優勝した上智大の選手。なかなか熱いというか、積極的でマルチな人物のようです。内容は、本人の承諾が取れたら紹介しようと思います。


◆2月22日(火)
 8時ちょうどの○○○5号で、某大学に向かいました。9:45には寮に到着。10:45まで2選手にインタビュー取材。グラウンドに移動して集合写真を撮影したのですが、さっそく、昨日購入した広角レンズを使用しました。10時から13時までの練習中にも、2選手にインタビュー。昼食後には4選手とマネジャー、コーチ、監督にもインタビュー。一日で合計11人への個別インタビューは、なかなかの数です。その割には、疲労感が少なかったのは、Tマネの段取りがよかったためでしょう。
 その間に、施設もいくつか撮影。ここでも超広角レンズが活躍しました。室内の撮影では必需品でしょう。今まで持っていなかったのが信じられないくらい。

 20時ちょっとの○○○122号に乗り、新宿には22時半頃着。食事をするとさすがに疲れが出て、少し仮眠。洗濯やら、明日の出張準備やらで原稿が進みませんでした。ドラマの「救命病棟24時」も見られず。でも、いいんです。一生懸命に生きていれば、人生がドラマですから、退屈するなんてことはありません……なんて言ったら、カッコつけすぎばやし……とか書いても、杉林孝法選手がカッコつけていると言っているわけではないので、念のために書いておきますだ……とか書いても、増田明美さんがこれを書いているわけではありません。ところで、増田さんは名字が変わるのでしょうか。

 ちょっと冗談めかして書いてしまいましたが、人生はドラマ、この世に生を受けた人間は皆、人生という舞台を演じる役者だというのが、寺田の持論です。スポーツの指導者が役者だと、いつぞやの日記に書きましたが、厳密には同じではありませんが、似たような意味合いでしょうか。上手く説明できないのですが。
 20日の日記で中川真希さんのことに触れたら、彼女も日記(nakamaki no ヒトリゴト)で中川拓郎選手のエピソードを書いてくれました。そうかぁ、ナカタク(中川拓郎選手のニックネーム。2年前の箱根展望増刊に出ていました)は女子に負けたのかぁ。
 それはともかく、彼女のサイトを読んでいると、OLの生活とランニングに関わる生活を両立させていることが伝わってきます。そういった元実業団ランナーがいる一方で、“普通の学生生活”と“本気で陸上競技に取り組む生活”を両立させてきた学生がいました。19日と21日の日記で触れた伴卓磨選手(上智大・関東インドアオープンの1500m優勝)がその選手。彼のサイトを見ると、推薦入学とかできないレベルの学生選手でも頑張って、日本のトップレベルに近づけることがわかります。
 この2人の方とは面識はないのですが、一度はそういう人生も経験してみたい、と憧れてしまうほど、彩りのある人生を送っているように見えるのです。どんな境遇でも、何かに一生懸命に取り組むことで、その人の人生は輝きますね。


◆2月23日(水)
 今日も10時から電話取材です。今月から来月頭にかけて、あと10人ちょっと、電話取材をする予定です。明日は西日本某所で400行と大作記事用の取材ですが、その直後に110行記事の電話取材も入っていたりします。電話取材は一連の同じ企画というわけではないのですが、最近ちょっと多いですね。
 ということで、新幹線で西に移動しました。けっこう新幹線の使用頻度は高いですね。なんとか会員になると、指定席が自由席より安く買えるんでしたっけ? 検討した方がいいかもしれません。年間で20回くらいは新幹線に乗りますからね。
 車中ではもちろん仕事をしていましたが、車内販売でコーヒーを買って飲みました。実家から東京に戻った月曜日にも買って飲んだので、1週間に2杯の新幹線コーヒーを買ったわけです。300円と高いですから、一時期は控えていたのに。電車には回数券があります。新幹線にも企業などが購入するビジネス回数券があります。だったら、新幹線車内のコーヒー回数券があってもいいかな、と思ってワゴン販売のお姉さんに質問しました。半分はウケを狙った質問だったのですが、真面目に「すみません。ございません」と答えられてしまいました。こういうときってだいたい、ちょっと綺麗なお姉さんだと質問する意欲が湧くのです……これって、おじさんになった証拠? 

 ちょっとした事情があって、車内で2001年のヨーロッパ取材の写真を見ていたら、高岡寿成選手のこの写真が目に留まりました。そう、カメラ目線なのです。サンモリッツで入船敏選手、音喜多コーチ、外舘トレーナーで合宿していたときに、練習にお邪魔して撮影させてもらった写真です。
 2月2日の日記で、陸マガ2月号の高岡選手のカメラ目線写真について紹介しました。ニューイヤー駅伝でカメラ車の高野徹カメラマンが撮影し、その2人のイニシャルがTTだったと。すでに3年前、TT(寺田)が撮っていたんですね。それがなんだ、というわけではありませんが。


◆2月24日(木)
 西日本某所で11時から、ビッグなある選手の取材でした。記事と写真と、両方担当する取材。文字ネタの方は、過去の蓄積もありましたし、本業でしたから上手く行ったと思います。
 問題は写真の方。ホテルを出発した頃から雨が降り始め、現地に到着したときには本降り状態で、屋外での撮影は不可能でした。数日前にチェックした週間天気予報ではまったくその気配はありませんでしたし、前日の予報でも降水確率40%くらい。降水確率って、ちょっと多めの数字になっていますよね。だから、たぶん降らないだろう、とタカをくくっていました。雨天取材へのイメージ・トレーニングが不十分だったことは否定できません。
 取材の予習は、400行と大作記事なので、文字ネタの方を中心にしていたのです。写真は購入したばかりの広角レンズを生かした絵柄を2〜3考えていましたが、いずれも屋外での撮影を想定したもの。若干、焦りがあったかもしれません。よく知った選手なので、色々と撮影に協力をしてもらいましたが、取材終了後の手応えは、あまりよくありませんでした。帰路、デジカメの液晶で写真をチェックしていて、ちょっと、広角レンズに頼りすぎていたと反省。標準レンズの方がいいと思えた写真もありました。
 移動の車中でも、あのポーズをあのアングルから撮っていればよかったな、と新しいアイデアも浮かんできました。あの小道具も、別の使い方ができたな、と。まあ、文字ネタと違って、写真撮影能力の方がまだまだ向上の余地があるということでしょう。
 いささかブルーな気分でしたが、写真をパソコンにコピーして見ると1点、「いいじゃん」と思える絵柄が。デジカメの小さい液晶では、顔が小さくなって失敗したかな、と思っていた写真ですが、大きな画面で見ると顔にピンも来ていますし、それなりに迫力もある。ちょっとだけ、ホッとしました。

******ここから先は人の生死についての、ちょっと重い話題です。いつもの軽いネタが好きな方は読まないことをお勧めします。
 その取材の最中というか、選手が練習に行っている間に、別の大物選手に電話取材。「忙しいらしいですね」と、気を遣ってもらってしまいました。確かに、電話インタビューも含めたら、2月後半はほぼ毎日、取材が続いています。しかし、最近は精神面が何故か安定していて、「忙しいからイヤだな」とは思わないのです。まあ、締め切りラッシュが、もう少し先だから、なのかもしれませんが(今晩40行が1本、締め切りでしたが)。
 その選手には「好きな陸上競技を取材させてもらって、それで飯が食えているのだから、忙しいなんて思わないよ」と、カッコをつけてしまいました。

 なんで、こんなカッコをつけた台詞がアドリブで出てきたのか。理由を考えてみたのですが、最近、寺田の周囲で亡くなった人が多いのです。昨年の八田さん(前陸マガ編集長)もそうですし、以前に陸マガの顧問だったW先生も先日亡くなられました。そして、つい数日前には、よく取材をさせてもらっている選手のお父さんが亡くなったばかり。陸上競技への情熱が大きかった人です。
 これまでも、自分が今死んだら、と考えては来ましたが、深くというのも変ですが、もしも今、自分が死ぬとわかったら、満足度はどうなのか、と考える機会が増えています。確かに、まだまだやりたいことはありますし、俗にいうところの成功とはほど遠いのが現状。成功の基準が仮に金銭的なものだとしたら、カメラを売りに出すことからもわかるように、ひどい状態です。
 本当に人生、まだまだこれから。将来を見て頑張って生きていこうと思いますが、数年前と比べたら、死を宣告されたときの人生への満足度は、大きくなっているかもしれません。金銭的なことは別にして、好きなことを仕事として頑張っている、やらせてもらっているという点で、それなりというか、ちょっとの満足度があるからでしょう。本当に満足してしまったらいけないと思うのですが(成功とか満足という言葉とは別の、こういうときに使える適当な言葉ってないでしょうか)。
 すみません。柄にもないことを書きました。


◆2月25日(金)
 今日も11時からある女子選手の取材でした。場所はできたてほやほやの、羽田空港第2ターミナル。JISSでの合宿が終わり、地元に帰るところで時間をいただいた次第です。女子選手はグラウンドと普段の私服姿では印象がずいぶん変わるのですが、今日も、その差が大きくて最初はドキっとしましたね。
 関西ではありませんが、そちら方面の選手だったので、取材が決まったときから「オチを用意しておこう」とずっと考えていました。それが、関西の女性と同席するときの寺田のポリシーです。先日もある取材で同席させてもらった大阪の某社広報の方が美人で……この話はいつか、機会があったら紹介します。

 今回、なかなかオチを思いつかなかったのですが、昨日の取材の帰りに、いい物をいただいていました。お邪魔した会社が製造しているカップ入りのインスタントぜんさいを20個以上ももらっていたので、それを持参。寺田が8個もらい(新宿の作業部屋にキープ)、今日取材した○○選手には荷物にならないように6個、小さめの手提げ紙袋に入れて手渡し、残りは陸マガ編集部に。
 ○○選手は「学生時代は甘い方に流されていた」と、昨年コメントしていたことがあったので、「ご家族か職場の方で食べてください。○○さんは食べちゃダメですよ」と釘を刺して渡しました。陸マガの秋山編集者には「締め切りを甘くしてくれ、という意味じゃないから」と。
 こういった冗談も言えるくらい、取材はリラックスモード。当たり前ですが、リラックスできた方がいい取材ができます。リラックスが行きすぎて、横道にそれる可能性も若干ありますが、今日は大丈夫でしたし、相当に面白い話を聞くことができました。それもこれも、陸マガのコロンボ(本当の能力を、とぼけたキャラで隠すという意味)とも言われる秋山編集者が同席してくれたおかげ。寺田も、1月の広島男子駅伝の際に大東大・只隈監督に、サイトに冗談ばかり書いているのは、コロンボのような狙いがあると言いましたけど。
 まあ、実際にそうだったら、自分でそんなこと言いませんよね。


◆2月26日(土)
 中国新聞の下手(しもて)記者が、陸上競技担当からサッカー(Jリーグ)担当に異動になったと、メールをいただきました。最近では1月の広島男子駅伝でとってもお世話になった方です。陸上担当期間中にパリ世界選手権、アテネ五輪を取材されました。特に、パリの男子マラソンでは、広島勢4人(油谷繁・佐藤敦之・尾方剛・清水康次)で団体金メダル。君が代が流れたときは感慨深かったそうです。有森裕子選手や為末大選手など国際的に活躍する選手も多く輩出した地区の新聞で、現デスクの渡辺さんをはじめ伝統的に、陸上競技のレベルの高い記事を載せているのが中国新聞。その陸上競技担当ということで、色々と大変だったと思います。お疲れさまでした。
 何度か書いてきたように、新聞記者には人事異動がありますが、フリーランスの寺田にはありません。中国新聞だけでも、寺田の携帯電話のメモリーには小笠さん、黒神さん、下手さんと3人の番号が入っています。うつろい行く世間に対し、自分だけ時間が止まっているような錯覚をするときがありますが、携帯電話のメモリーをチェックするときも、そのうちの1つですね。先日、実家で姪と甥の成長ぶりに接したときもちょっと、そんな感覚に襲われましたけど。

 携帯電話といえば、メモリーが500件一杯になったので、ダブっているものをチェックしたり、絶対にかけないだろうというものをいくつか削除して、24件の空きをつくりました。これも以前書きましたが、陸マガ編集部で一番最初に携帯電話(PHSでしたが)を持ったのが寺田です。当時のPHSは通話がブチブチ途切れるので、ドコモの携帯に変えて、そのドコモも当時は音質が悪かったので、Kカメラマンの勧めでJ−フォンに変えました。それから約6年でメモリーが500件に達したわけです。ちなみにドコモの携帯は富士通製でした。そういえば、新井初佳選手を03年夏に陸マガの持ち物検査企画で取材させてもらったとき、富士通製の携帯を持っていました(what does it mean?)。
 しかし、メモリーの数が飛躍的に増えたのは、独立して個人で事業展開をするようになってから。前述のように、仕事仲間ともいえる記者の方たちや、取引先の担当は変わっていきます。各方面の人とのつながりも、どんどん増えています(自腹であちこち行っている成果でしょうか)。最初は、500件あれば余裕だな、と思っていたメモリー件数でしたが、ついに一杯になってしまった次第。

 バッテリーの持ち時間も短くなってきているので、「そろそろ機種変更の潮時かな」と思って、現在売られている機種を調べました。西新宿のボーダフォンショップでカタログをもらったのですが、今の機種でもメモリー件数はどれも500件なんですね。唯一、ノキア製で4000件だったか2000件というのがありますが、他の部分で使いにくそうです。メモリー500件が一杯になるのって、普通じゃないのでしょうか?
 ということで、機種変更は少し待つことにしましたが、料金プランを変更した方がいいことに気づきました。料金プランは6年前のものを、そのまま適用し続けてきました。というか、変更しようとか、特に気に留めなかったのです。で、今回、現行の料金プランと、最近の通話料明細をチェックしてみると、明らかに節約できる料金プランがあることがわかりました。携帯を使い始めた頃と現在では、当然、使用頻度など知らず知らずのうちに変わってきています。長く使っている方は一度、料金プランをチェックすることをお勧めします。


◆2月27日(日)
 横浜国際女子駅伝の取材…には行きませんでした。行けませんでした、と言った方が正確です。貯め込んだ原稿をそろそろ、書き上げていかないとまずい状況になってきたのです。今月後半は本当に取材続きで、電話取材も含めれば、一日の空きもなかったと思います。アウトプットする作業を頑張らないと。と言っても、月曜日からまた、取材も2日に1回の頻度で続きます。心地よい緊張感から、焦りを伴った緊張感に変わりつつありますね。乳酸値に例えるなら、ATポイントちょっと(かなり?)上回ったところでしょうか。

 とはいっても、横浜国際女子駅伝はテレビで見ていました。現場でないのは残念ですが、WEBサイトを見ながらテレビ観戦できるメリットも。横浜がスタートした少しあと、熊日30kmはもう終わったかな、と思って熊本日日新聞のサイトを見ると、松宮隆行選手(コニカミノルタ)が1時間28分00秒で優勝したと、短い記事が出ています。世界記録と見出しになっていないのは何故なんだろう? と気になりましたが、タイムが間違っていなければ、間違いなく世界記録です。
 夜には5km毎の通過タイムも、2位以下のタイムも判明。2位に2分46秒の大差をつけたのがすごいですね。一昨年の世界記録のときは、2位の前田和之選手も1時間29分台でした。今回は8kmと早い段階で独走となったことで、2つのレースが同時進行する形となったのでしょう。そうなると、後続選手は前を追わず、タイム差が大きくなることも多いのです。松宮隆行選手の力が、他の選手より一枚も二枚も上だったことが前提となりますが。普通は独走したら後半落ち込んで、集団で力を貯めた選手に抜かれることの方が多いのです。

 横浜のサイトはチーム毎のメンバーは紹介されていましたが、前日に決定した区間エントリーが載っていません。観戦者には必須の情報なのですが…。でも、記録速報は本当に速報でした。10km区間に関しては、定点の通過タイムもすぐにアップされていて、この辺はさすが日本テレビといったところ。箱根駅伝で培ったノウハウでしょうか。昨晩の関東インドアオープンも、優勝者全員のコメントが放映するあたりは、好感が持てました。ただ、生中継でないのに実況で選手名を間違えるのは…。

 夕方、ボーダフォンショップに行って料金プランを変更しました(昨日の日記参照)。今回の変更はそもそも、家族T氏が料金プランを見直したい、と言い始めたことがきっかけでした。寺田がぐずぐずしていたのですが、昨日の日記で書いたように、メモリー件数が一杯になったので、やっと重い腰が上がったわけです。
 ボーダフォンの第3世代携帯は、海外でもパソコンと接続して通信ができるようです。45カ国と通話可能国数と比べると半減しますが、陸上競技の取材で行く国は大丈夫そう。東ヨーロッパと来年アジア大会のあるカタールがダメですけど。設定も国内と同じものがそのまま使えるのがいいですね。これまでも、レンタル携帯電話で海外でもネット接続ができるものはありましたが、マニュアルが英語だったりしてPC側の設定が面倒でした。それに、実際に海外に行ってみないことには試験接続ができませんでした。
 この辺がクリアされるとなると、海外でも安いホテルに泊まれます。これまでは、ネット接続を心配して高めのホテルにしたことも多かったのです。データ通信時の課金は、1.28MBで約2000円のようです。ホテルを1ランク落とせば、軽く取り返せる値段でしょう。次の海外取材前に、第3世代機種に変更することにします。機種変更は2年半ぶりです。前回は釜山アジア大会前に、末續慎吾選手同様トイレに水没させたときでした。メモリーのデータはぶっ飛びました。その後は気をつけて、同じ過ちは繰り返していません。末續選手はどうでしょう? 今度会ったときに聞いておきます。

 17時に書きかけの400行原稿を仕上げ、料金プラン変更後に新宿のカフェで60行原稿を1本書きました。残りの本数は…。


◆2月28日(月)
 昨晩締め切りの原稿を13:55に送信し、16時には都内某社に。面白いエピソードがありましたが、残念ながら紹介できません。相変わらず、秘密の多い生活をしている寺田です。
 ときどき、この日記を読んで「寺田さんって、○○ですよね」と言われる方がいます。細かい部分の話がほとんどですが、たまに、生活全体をこうだと推断される方がいらっしゃいます。反応があるのは嬉しいのですが、この日記は寺田の生活・仕事のごくごく一部ですから、ここに書かれていることから全体を予測するのは、どうかと思います。
 別に隠すつもりはないのですが、成り行きで秘密にせざるを得ないことも多いのです。医者や弁護士に患者や依頼主についての守秘義務があり、秘密情報部員などの国家公務員にも国家の機密保持の義務があります。寺田も、ジェームズ・ボンド真っ青という生活と仕事をしていますから。ちなみに、ジェームズ・ワイナイナ選手(小森コーポレーション)が今度のびわ湖マラソンに出場するみたいです。彼に会って「ジェイムズ!」と声をかけると、007映画の登場人物になった気分になれます。女性だったらきっと、ボンド・ガールになった気分になれるはず。ウソだと思うなら、実際に試してみてください。

 19:45に陸マガ編集部に。2004年記録集計号を入手しました。読んで気づいたことはまた、おいおい紹介していきます。
 ジェームズ・ボンドと対極のキャラが刑事コロンボです。先日、秋山編集者が“本当の能力を、とぼけたキャラで隠す”という意味で、陸マガのコロンボだと紹介しました。今日はある仕事を……詳しいことは書けませんが、なかなか徹底してキャラを演じきっています。


◆3月1日(火)
 11時から都内某社で、あるベテラン選手の取材。今日も面白い話が聞けました。今回の取材は記事を書くメディアの性格上、中学生や高校生、選手の親からの質問に答えてもらわないといけません。この質問は答えにくいだろうな、と思える内容にも、こちらが期待する以上の話を出してくれます。感動ものでした。
 昨日、陸マガ編集部で「明日は○○選手の取材なんだ」と話すと、Y口編集者から「阪神の下柳に似ていると言われないか、聞いておいてください」と頼まれました。取材終了後の雑談中にそれを質問すると、「言われたこともないし、あんなおっさん顔じゃない」との答えでした。寺田は下柳選手の顔をよく知らないので、ノーコメントです。

 今日は2004年記録集計号の発売日です。今年の特徴はやっぱり、マラソンなどロードの記録ですね。コース条件(@発着点の高低差が1kmあたり1m以上下っていない A発着点間の直線距離が、レース距離の50%以内)を満たせば公認記録となり、これまで世界最高記録と言っていたものが、世界記録と言えるようになりました。逆に、公認条件を満たしていないコースで出た記録は、非公認になってしまうものにわかれてしまいます。
 2004年でいえば、野口みずき選手はオリンピックで金メダルを取ったにもかかわらず、集計号の表紙になったにもかかわらず、マラソンの公認記録がないということに。集計号の日本100傑にも名前がありません。どこか物足りなさを感じてしまいますが、別リストにして記載されていますので、ご安心ください。


◆3月2日(水)
 夕方、450行原稿を書き上げました。久しぶりに、ねちっこい内容です。たぶん、専門誌でなければ書けないような内容です。一般誌とどこが違うかというと、上手く説明できないのですが、似たようなネタが、違う話題の中に登場するのです。Aというテーマの中にpという具体例を出したとします。Cというテーマの中にもp’のネタがあるといった感じです。これをやると、一般誌の読者はまずついて来られない。混乱してしまうわけです。
 休憩と、ちょっと別の仕事をはさんでから読み直して、かなり書き直しました。これは、文章の流れや、書く順序の変更で、ネタ的に新たに加えたのは1箇所だけ。表のデータで、1990年前後のものまで調べたのですが、どこを探せばいいのかがわかっているので、時間はそんなにかからないはずでしたが、なんやかやで手間取ってしまいました。
 自分なりに頑張ったのですが、欲を言えばもう少しすっきりさせたかった、という感想の記事です。陸マガ4月号に掲載予定です。

 遅くなりましたが、上智大の伴卓磨選手(伴宙太との関係は不明)からのメールを紹介します。関東インドア・オープンの1マイルに優勝した選手で、寺田が2月19日の日記に
男子1マイルでは上智大の伴卓磨選手が亜大の阿久津浩之選手に競り勝ちました。強豪選手不在のレースでしたが、陸上強豪大学の選手ではありませんから、嬉しかったのではないでしょうか。伴選手は4年生です。卒業間際のこの時期まで、しっかりと練習をしてきたということ。学生最後の花道と思って頑張ってきたのか、何か他に、余人には想像できない理由があったのか。
 と書いたら、メールを送ってくれました。このサイトへの日記への転載許可を求めたところ、「陸上に取り組む意識、モチベーションが上がってくれる人が少しでもいるのなら」と、快諾してくれた次第です。

 上智大学陸上部の伴卓磨と申します。日記に僕が横浜インドアで勝った記事があったので、思わずメールさせていただきました。

 僕は、陸上関係者から見たら100%ありえないと思われるローテーションでこのレースに臨みました。それは東京国際マラソン(2時間28分45秒で53位)―→横浜インドアと、中5日で距離が25分の1になる2レースを連戦しました。しかも東京国際は、自分なりに最高のレースで、その結果、疲労も大きかったのです。僕は中距離選手ではありますが、後期は駅伝や予選会(2004年は基準記録達成者が9人だったため不出場)などがあるので長距離をやっています。マラソンは昨年も出場しましたが、40km手前の関門に引っかかってしまいました。40km地点=四ツ谷付近=上智大学の前=応援たくさん、という状況だったにもかかわらず、苦い思い出となってしまったのでした。今年こそは皆の応援に応えようと思って、そして2時間半を切ろうと思って、そして学生最後の花道だと思って自分なりに走り込んで(といっても一般的なマラソン選手がやる走り込みの半分程度ですが)挑んだ形でした。

 そして横浜インドアでしたが、練習はもちろん積んでいましたが、中距離の練習は皆無でした。なんでラスト1周があそこまで走れたのか、自分でも不思議です(ちなみに優勝インタビューでは、「先週マラソンを走ったり、長い練習ばっかりしてきたので中距離としてのバネが溜まっていたのだと思います」という自分でも意味わからないことを言てしまったと思っていたのですが、実際の放映を見たら「6日前にマラソンを走ってどうなるかわからなかったのですが、自分の得意の展開だったのでいけるかなと思いました」と話していました)。調整も無しでしたし。
 今回、マラソン6日後なのに出場しようと思った理由は簡単です。昨年インドアを走ってとても楽しかったから、そして1マイルという距離を走ったことがなかったので一度走ってみたかったから、ただそれだけです。特別レースであったり、賞金があったりということは全部終わった後に知りました。特別レースとプログラムに表記されているのは知っていましたが、どういう意味なのかは理解していなかったのです。まさかインタビューがあるとは思いもよらなかった(それ以前に亜細亜の阿久津選手に勝てるとは思っていなかった)ので、だから余計なプレッシャーや欲がなくて、今回の走りにつながったのかもしれません。
 また今回は、長距離練習だけだったので1000mも行かないうちに呼吸が苦しくなりました。しかし、逆に足は動いたのでラスト1周でもしかしたらいけるかも、という思いになって、頑張れました。寺田さんの文にもあるように、小さいとはいえ初めて関東の学生のタイトルを獲れて本当にうれしかったです。

 僕は就職しても陸上は続けていくつもりです。当然陸上部がある会社ではありません(進路先は陸マガ2月号に載ってました)が、うまく時間を見つけてやっていって、いつかは1500mで日本選手権出場という目標を果たしたいと思っています。僕自身、高校時代は東京都大会に出場できるかできないか程度の選手で、日本選手権はもちろん、最初は関東インカレ(1500m4分切り)すら頭にない感じでしたが、自分なりに工夫してやってきて、もしかしたら狙えるかも、くらいのレベルになったので30歳くらいまでに一度は出場してみたいですね。陸上を始めて9年間、専門種目で自己ベストを更新できなかった年はないというのは自分の誇りですし、環境が変わってもこの記録を継続できるように頑張っていきたいと思います。

上智大学陸上部
伴 卓磨



◆3月12日(土)
 久しぶりの日記です。ちょうど10日ぶり。再開のきっかけは、色々あります。ISHIRO!記者が久しぶりに日記(from ISHIRO!)を書いていたり、O内さんの奥様がこの日記が更新されていないとおっしゃったり。しかし、一番の決め手は、先週と今週のある出会い。先週の土曜日はびわ湖マラソンの前日会見で松宮祐行選手の話を聞き、今日は名古屋国際女子マラソンの記者会見で、有森裕子さんとちょっとお話しをしたことを書きたくて…。

 今日の会見の様子は記事にしました。見出しにもしましたが、話の内容から一番自信が伝わってきたのが大島めぐみ選手。注目の29歳世代の一員でもあります。渋井陽子選手は、万全の練習をしていなくても、世界選手権代表くらいはとらないといけない、というスタンスのように感じられました。
 会見後、最も長く記者たちに囲まれていたのが、UFJ銀行の高橋監督。囲んでいたのは、地元メディアの人たちでしょうか(中日新聞&東海テレビも地元メディアにカウントできるでしょう)。その向こう10mくらいの場所に、有森さんがいらっしゃいました。ピンときたのが2人とも、日体大OBということ。年齢も近いのではと思って報知新聞・日比野記者に話すと「昌さんは40歳で、有森さんは川嶋さんと一緒だから38歳」という答えがすぐに返ってきました。このあたりはさすが、長期陸上競技担当記者です。
 有森さんには高橋監督と、在学中から面識があったのかどうかを質問。同室の先輩と仲がよかったということで、面識があったそうです。何より、有森さんが「チーム有森」を結成して、ボストン・マラソン(99年・2時間26分39秒=3位)に挑んだときのコーチだったとのこと。これは、迂闊でした。陸マガ編集者時代に、あの大会は大きく扱った記憶があります。
 今日は、国際陸連女子委員会の仕事で来名され、今日中に地元の岡山入りし、明日のイベントに備えるそうです。

 実は寺田も、この日記は新山口駅前のホテルで書いています。2年前と同様、土曜日に名古屋国際女子マラソンの会見取材→山口入り、日曜日に全日本実業団ハーフマラソン取材→名古屋パーティー取材という強行軍です。会見の記事は大会本部ホテルのロビーで書き上げ、名古屋駅でサイトにアップ。1時間に1本の割合で新山口停車ののぞみがあるのですが、18:34発の禁煙席が満席で、19:34にしたため余裕ができました。
 車中では書きかけだったびわ湖マラソンの記事を1本仕上げ、残りは1カ月も前に取材したある対談記事の取材ノートを読み直しました。
 明日は、とっても寒いらしい。雪も降るみたいです。


◆3月13日(日)
 久しぶりのトリビア・ネタです。
十種競技日本記録保持者の金子宗弘氏は、円盤投のインターハイ優勝者だが、三段跳でもインターハイ全国大会に出場していた。
 金子さんはかれこれ15年も知っている相手ですが、これは今日、本人から聞くまで知りませんでした。10へぇ、いや15へぇくらいの驚きです。この話を聞くに至った経緯を説明することが、今日の寺田の行動を紹介することにもなります。

 朝は7時に起床。新山口駅前のホテルから見た風景がこれでした。全日本実業団ハーフマラソンは中止か?と一瞬、最悪の事態も頭を過ぎりました。でも、すぐに溶ける雪質なのか、道路には積もっていません。山口線(なんと単線です)で矢原に移動し、維新百年記念公園陸上競技場に歩いて向かっていると、雪もほとんど気にならないくらいになりました。
 今大会は3回目の取材。維新百年記念公園は1986年の山口インターハイのときの競技場。いつも思うことですが、ネーミングがすごいですね。徳川幕府の大政奉還が1867年ですから、1967年頃にできた競技場ということでしょう。2050年頃になったら、維新二百年記念公園に改修するのかな、などといつも考えています。

 ところで、今年は山口インターハイから20年目(開催年の86年を1年目とカウントすれば)。さっそく、山口インターハイの経験者はいないかと見回すと、いましたこの人。ミズノの等々力信弘氏です。ハンマー投のインターハイ優勝者、と思って話を聞くと、85年が高校3年で、山口インターハイには1年違いで出ていませんでした。
 そこに、中国電力・坂口泰監督が登場。1500mのインターハイ優勝者ですが、79年の滋賀大会。トヨタ自動車・安永コーチを見つけたときも、この顔は山口インターハイの年代だろうと質問すると、「静岡インターハイ(91年)です」とのお答え。失礼しました。
 これはダメかな、と思って沿道で写真を撮っていると、この選手がファインダーに飛び込んできました。そう、実井謙二郎選手。思わず、シャッターを押す指が震えました。間違いなく山口インターハイ出場者です。同じ岐阜県の早田俊幸選手とともに、出場しているはず。専門誌の記事で写真を見た記憶が甦りました。

 これで、なんとか気持ちの充足感というか、安らぎを得ることができ、取材もなんとか終了して、新山口を13:30頃発の新幹線で名古屋に移動。17:07に大会本部ホテルの最寄り駅である地下鉄・伏見駅に。改札を出てばったり会ったのが、他ならぬミズノの金子氏でした。維新百年記念公園で等々力氏から、「金子が山口インターハイに出ていますよ」と教えてもらっていたので、さっそく、同インターハイの思い出を語ってもらった……わけではありません。
 その時点で寺田は、名古屋国際女子マラソンの結果をまったく知らなかったので、すぐに「結果を言わないで」と釘を刺し、しばらく考えた結果、「優勝は田中めぐみ選手?」と聞くと、違うと言います。「渋井選手?」。やはり、違うと言います。ここで再度、考えました。金子氏の表情が、どことなく喜々としています。それで気づきました。
「原選手だ」
 実は、金子氏は京セラの担当なのです。加古川女子駅伝に京セラが優勝したときに、ちょっとした情報も教えてもらっていました。

 ということで、これがパーティー中に原選手と仕事の打ち合わせをしている金子氏の写真です。この後やっと、山口インターハイの思い出を聞くことができた次第です。円盤投で優勝したことはもちろん知っていました。やり投の出場も予想できたこと。十種競技でも2日目の棒高跳とやり投は、得意種目でしたから(90年の関東インカレでの日本記録のときhがすごかった)。しかし、三段跳でも北関東予選を突破していたとは、まったく知りませんでした。
「棒高跳は当時はそれほど強くなかったんですが、走高跳で2mは跳べましたし、走幅跳も練習したら行けるレベルでした(インターハイは個人3種目まで)。全国で勝負するなら円盤投だと思ったので、日本選手権で6位になった後は円盤投に集中したんです。本番では2cm差の優勝でした。当時の円盤投は2cm刻みの計測でしたから、最僅少差。今だったら1cm差だったかもしれません。それに、親父と同じ種目で優勝できて、親子鷹とか言われました(父の宗平氏は東京五輪代表で元日本記録保持者)。それ以前も親子優勝は何組かあったようですが、同じ種目は珍しかったと思います。室伏より先に僕が達成していたんですよ」
 2cm差だったことや、親子同一種目優勝が珍しいことなど、けっこう知らない話が多くて新鮮でした。そして、同じ日に取材をした山口と名古屋が、こういう形でつながったことが新鮮でした。確定申告で落ち込んだ気分になっても、やめられない商売です。


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◆3月14日(月)
 今日は陸マガ4月号の発売日。表紙は、恒例のアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパン(AOYJ)受賞選手。今年は室伏広治選手でした。2位の野口みずき選手とはAOYJ史上初の、総合得点が同点という珍事(1位得票で1人の差)。五輪金メダリスト2人誕生というシーズンにふさわしい結果だったかもしれません。
 寺田も投票させていただきました。編集部から投票依頼用紙が届いたのが12月22日。その日の日記にも書いたように、WSTF(新宿の作業部屋)に届いたタイミングと、寺田が留守にしたタイミングが合ってしまい、投票(これはEメール)が翌日になってしまいました。その結果、例年、一番乗りを果たしているAOYJの投票で、陸マガ編集部のY口君に後れをとり、2番になってしまったのです。痛恨の極みと言わずして、なんと言っていいのかわかりません。しかしY口君は人の数少ない楽しみを奪って、何か楽しいのだろうか?
 だいたい、投票依頼をその場で受け取れる編集部員と、郵送で受け取る外部スタッフでは、タイムラグが生じるのは当然です。というか、編集部員がその気になれば、絶対に負けないシステムになっている。外部スタッフで一番、ということで十分に価値があると思います。

 トップ10は以下のような顔触れとなりました。
1位 室伏広治(ミズノ)
2位 野口みずき(グローバリー)
3位 油谷 繁(中国電力)
4位 土佐礼子(三井住友海上)
5位 渋井陽子(三井住友海上)
6位 沢野大地(ニシ・スポーツ)
7位 諏訪利成(日清食品)
8位 谷川 聡(ミズノ)
9位 坂本直子(天満屋)
10位 小林史和(NTN)


 寺田の投票とはかなり違います。それは、当然といえば当然。多数の人間の投票を集計すれば、平均的なものになるわけです。個人でランキングを作成すれば、個々の考え方が強く出ますが、投票ではそれが出ない。以前にも書いたように、種目が違う選手の優劣を決める明確な基準なんて、あるわけがありません。だから、投票という手法を用いるのです。

寺田が投票は以下の通りでした。
1位 室伏広治(ミズノ)
1位 野口みずき(グローバリー)
3位 油谷 繁(中国電力)
4位 沢野大地(ニシスポーツ)
5位 谷川 聡(ミズノ)
6位 森 千夏(スズキ)
7位 杉森美保(京セラ)
8位 中田有紀(栄クリニック)
9位 小林史和(NTN)
10位 小島初佳(ピップフジモト)

 どうしても、1・2位別にしないといけないときは、こっちの選手にしてほしいと書きました。が、室伏選手と野口選手のどちらと書いたのか、忘れてしまいましたけど。
 投票結果はほぼ、オリンピックの活躍度とイコールです。そこに、女子マラソン日本最高&世界歴代4位の渋井陽子選手が5位に入り、男子1500mで27年ぶり日本記録更新の小林史和選手が10位に入ったわけです。オリンピックの活躍度という尺度で、まとまっている結果だったといえます。

 その点寺田は、5位まではオリンピックでの活躍度で選んでいますが(同一種目で2番目の選手は避けています。なぜだと問われると困るのですが)、6位以下は別の尺度で選びました。森千夏選手は女子砲丸投で初めて18mを突破したこと、杉森美保選手は女子800 mで2分の壁に迫ったこと、中田有紀選手は七種競技で6000点突破に迫ったこと、プラス、この3人はそれぞれの種目で40年ぶりの五輪代表となったことを評価しました。小林史和選手は最古の日本記録更新、小島初佳選手は日本選手権女子100 mの7連勝を評価してのリストアップでした。
 このランク付けの背景はたぶん、寺田がオリンピック至上主義でないことでしょう。もちろん、オリンピックが選手たちの最大目標であり、競技レベルも高いのは承知しています。でも、オリンピックという1つの価値基準で陸上競技を見たら、面白くないと思うのです。レベルの低い種目でも、頑張っている選手がいれば感動します。
 繰り返しますが、色んな評価基準があると思いますので、自分の考えが絶対だと言うつもりは毛頭ありません。こんな見方もある、という参考になればと思っただけです。というか、投票結果と寺田の投票との違いを見て、楽しんでいただけたらそれでいいのです。こういった企画は。

 今日は、世界選手権マラソン代表の発表がありました。世間の注目度はオリンピックほどではありませんが、今回もそれなりに注目を集めました。オリンピックのマラソン代表選考に関しては、システムが現状に合っていないと、1年前の日記で何度も書きました。しかし世間は“誰を選ぶべきか”だけで議論百出状態でした。そういえば、選考レースの結果よりも人気が判断基準になっている世間の反応に、「選考レースでなく、投票で五輪代表を選べばいい」と言っていた人がいました。



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