続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2006年10月  神戸の顔も3度まで
寺田的陸上競技WEBトップ

最新の日記へはここをクリック

◆2006年9月23日(土)
 昨晩は2:30頃に「インベストメント・ハードラー」を読了。感想を書くと長くなるので後日。それでなくても今日の日記はネタが豊富なので。

 今日は12:30に新横浜に。駅が大規模改修工事中で、いつもと勝手が違ったのでちょっと戸惑いました。記者会見は16:00からですが、人と会うために早めに現地入りしました。お会いしたのは USA Track & Field 勤務のS氏。まだ30歳そこそこですが、すごい行動力でアメリカ陸上界の中枢で仕事をしている方。海外の生活に飛び込むというのは、自分にはできないことでもあり、そういった人から聞く話は貴重です。いつか、そんな人たちを紹介できるコーナーを作りたいですね。日頃はスポットが当たりませんけど、情熱を持って陸上競技に携わっている人。情熱だけだと、俺の方があるあるぞ、という意見も出てくるかもしれません。
 そこは、寺田の感性で判断していくしかないでしょう。朝日新聞・堀川記者にも、ニューヨークで松井秀喜番をしていたときの生活なんかを聞いてみたいし。松井番も高校時代は陸上競技に明け暮れていたのですが、その頃、憧れていた女子選手は誰だったのか、とか。けっこう面白そうな話が聞けそうです。

 14時には大会本部ホテルに行って、日刊スポーツ事業部に挨拶。先日も書いたように、今回、少し仕事(プログラムの見どころ等)をやらせてもらったためです。
 16時の会見までに、南部記念の池田久美子選手のコメント記事を、完成させました。札幌からの帰りの飛行機で書きかけていたのですが、その後、めちゃくちゃ忙しくなって、そのままになっていました。
 その間に山縣苑子さんが来たので、『めざましどようび』のお天気キャスター採用のお祝いを言いました。気がつくと、いつの間にかスポニチ・倉地記者が山縣さんの隣に。ヘルシンキ世界選手権のとき山縣さんの熱狂的な信者だという倉地記者のために、寺田がサインをもらいました。それがなんと、山縣さんの初サイン。
 しかし、倉地記者は帰国後、スポニチの先輩記者から「サインをもらって浮かれてたんだって?」と詰問されると、「あれは寺田さんに無理やり…」と言う根性なし。人間、社内ではそんなものだとはわかっていますが、それが初サインだったと考えると、失敗したな、と思います。
 続いてTBSの佐藤文康アナ。21日の日記は見てくれたそうですが、“仮面ライダー・一文字隼人は改造人間である。”のナレーションを聞いたことがないのだそうです。うーむ。元を聞いていないと真似もやりにくいし、だいいち面白くありません。そうかあ、30歳前後の世代はわからないのか。
 でも、9月9日のジュニア指導者クリニック(主催:日本SAQ協会、共催:クレーマージャパン)では、原田康弘さんがクリニック中に「スコット(アメリカ人講師)にライダーキックだ」って言ってらしたのですよ。30歳になったばかりの森口陽登美氏(日本SAQ協会)は「知っています」と言っていたのに。まあ、いいです。

 選手では小林史和選手がまず、通りかかりました。その後、NTNの越井監督ともお会いしましたが、明日は3分39秒00のB標準は最低でも破りたいと考えているようです。そのためのペースメイクも、主催者側と話し合ってできているとのこと。ナイトオブアスレティックでは3分38秒台でフィニッシュしたと思ったら、3分39秒08で悔しい思いをしました。期待しましょう。
 同じくナイトオブで取材をした森川裕之選手(大阪府警)にも2カ月ぶりの再会。ここ1〜2年、大阪府警の大坪隆誠選手が“日本一速いお巡りさん”ということでテレビでは紹介されています。しかし、大坪選手は1万m・ハーフマラソンの選手。実際に泥棒を追いかけるなら、中距離選手の方が適している可能性もある。“日本一速いお巡りさん”のキャッチコピーは、森川選手の方が相応しいかも?
 向井裕紀弘選手は、明日の結果次第でアジア大会代表の可能性もあります。南部はだめでしたが、日本選手権では代表選手以外で最上位の4位。南部で代表&為末大選手以外最上位の佐藤光浩選手との比較になる可能性が大。調子は、本人のサイトの日記を参照。
 やり投の荒井謙選手は、20日の日記で紹介したように、ゼレズニー選手欠場にショックを受けていました。ビデオや写真では恋人のように見ているようですが、実際に会うのは初めてになる予定でした。残念無念荒井謙。でも、頑張ると言っていました。

 会見ではパウエル選手と末續慎吾選手に、目標記録を色紙に書かせる演出が良かったです。末續選手の色紙は「9.92」ではなくて「9.9?」です。

 あとは、為末大選手が1996年、高校3年時に出した45秒94の10年ぶり更新を目標として口にしました。昨晩、インベストメント・ハードラーを読んだばかりですから、この10年間の変わりぶりに思いが行きます。10年前の45秒94を見ている数少ない記者の1人だと思いますので、明日はしっかり見たいと思います。優勝者はランニングタイマーが止まってすぐに記録がわかります。手元のストップウォッチは通常なら日本人トップで止めますが、明日は為末選手ですね。
 しかし、成迫健児選手も400 mHではなく、400 mに出場します。為末選手よりも前でフィニッシュしたら、成迫選手で止めるかもしれません。在学中に45秒台が出たら、“つくばエクスプレス”と堂々と名乗れることになります。
 ですけど、3週間の教育実習を昨日までやっていたとのこと。それで完全に練習不足。いきなりハードルを跳ぶとケガの恐れもあるということで、400 mにしたのだそうです。目標記録は46秒台前半とか。

 18:00からはウェルカム・パーティー。取材は禁止なので、雑談の場です。
 ミズノの金子宗弘氏がいたので、お父さん(東京五輪代表)のお悔やみを申し上げました。次に木水広報にも挨拶。これも、大事なことです。ミズノ関係では、柔道の野村選手似の鈴木学さんが、何か言い訳があるとか。スタジアムに仕事に行くところだったので、釈明は後日聞くことに。
 続いて、埼玉栄高・清田浩伸先生を探して、高橋萌木子選手の進路について質問。平成国際大が女子の強化に乗り出し、系列校でもある埼玉栄高から数人が進学予定なのだそうです。清田先生も大学に移りますが、埼玉栄高の指導も今のまま続けるといいます。「埼玉新聞の一面に出てしまったから」ということで、書いていいネタになったわけです。ただ、清田先生自身が書くのははばかられるということで、ご自身のサイトには書いていません。この手の人事情報は、ほぼ決まっていることでも、公にする際には慎重に扱います。というか、公式発表があるまで伏せておくのが普通です。もう1つ2つ、伏せているネタがあるのですが、この公表はもう少し先になりそうです。それも、パーティー中に確認。
 それにしても、相変わらず清田先生は熱く語ります。
 最後は富士通・青柳マネと、福島大・川本和久監督と、来年福島で開催プランの上がっている新競技会について話し合いました。そして、話はなぜか佐藤光浩選手に移ります。佐藤選手が“追い込み白虎隊”なら、金丸選手もラストが強いから“追い込み雑賀鉄砲隊”とかつけてもいいのでは、と寺田が言いだしました。すると2人は“追い込み”は佐藤選手以外は使ってはいけない、と言い張ります。佐藤選手の特徴だからと。
 だったら、川本先生の提唱する池田選手のキャッチ“東洋の真珠”は、競技的な特徴がないのでは? と追及。川本先生いわく、外見がそうならいい、絶対に外国人には受ける、と。真珠は丸いからピョンと転がるイメージもあると。ちょっと納得できないところもありますが、英語にすると“オリエンタル・パール”とゴロがいいので、寺田も認めることにしました。

 パーティー会場から出ると、為末選手、錦織育子選手、岡山沙英子選手の中国トリオが懇談中でした。そこに偶然にも、中国新聞・山本記者から電話が。すごい勘ですが、用件はスーパー陸上ではなく中国地区実業団記録会で出したギタウ選手(世羅高)の記録についての問い合わせでした。
 そういえば訂正が1つ。18日の日記で紹介した中国新聞・W氏はすでにデスクを卒業して、部長になったとのこと。お詫びをして訂正します。でも、デスクの方が格好良いのに、とも思うのですが。
 パーティー会場外にテーブルがいくつか置かれているスペースがあって、パソコンを立ち上げて山本記者の問い合わせに答えた後、沢野選手の原稿(沢野、遠征後半でケイレン克服の気配 「いい方向に進みつつあるのは確か」)を書きました。近くでは、為末選手たち中国地区トリオに沢野選手、池田選手も加わって、なにやら話し合っています。もれ聞こえてきた話からわかったのは、日本の“ある種目の未来”は明るいということです。


◆2006年9月24日(日)
 スーパー陸上の取材。12:00の棒高跳エキシビジョン・マッチから始まりました。
 エキシビジョンといえば1976年に、当時の第一人者だった高根沢選手が海外で5m52と、当時の日本記録を11cmも上回る高さを跳んだことがあります。どういったルールで行ったのか、詳細はわかりませんが、公認されませんでした。今回の沢野大地選手とウォーカー選手のマッチ試合は、日本記録は公認されます。その辺の下準備をしっかり行なっているのは、我々の感覚では当たり前とはいえ、イベント担当者はなおざりにしてしまいがちなところ。細かいところですが、しっかりやってくれているな、という印象です。
 観客をグラウンドに入れて、間近で見させることで、棒高跳の迫力もわかってもらえたでしょう。花束プレゼンターには“北の大地”こと、全日中棒高跳優勝者の黒木大地選手も登場。188cmが目立っていましたが、周囲の記者たちには誰なのか伝わっていませんでした。せっかくの演出なのに。もしかしたら1回くらいアナウンスしたのかもしれませんが、大会序盤のアナウンスは聞きづらかったのです。ボリュームを上げすぎていましたね(後半は少し下げていたような気がします)。何人かの記者たちも「話ができない」と不満を漏らしていました。

 ヨーロッパの大会の悪いところを真似したのかな、と感じました。寺田の記憶にあるのはパリとローマのゴールデンリーグ。この2会場のボリュームは、はっきり言ってでかすぎます。いつだったかパリ(もしかするとローマ)で、ワコールの永山忠幸監督と携帯同士で話していても、お互いにまったく聞き取れていない状況になったことがあります。何分たっても静かにならないので、用件を伝えるのを泣く泣くあきらめたことがありました。そのときは、永山監督か福士加代子選手がミックスドゾーンに来てくれたので、事なきを得たのですが。
 観客はどう感じたのでしょうか。と思っていたら、ハニカット陽子選手がブログに、「愉快な仲間たちと会話ができない」と書いています。トップ選手の意見なので一般観客と同じかどうかわかりませんが、陸上観戦に1人で来て、大音響の通告と一緒にノリノリで観戦するファンよりも、仲間と一緒に観戦に来て、あの選手はどこがすごい、この選手は格好いいと、おしゃべりをしながら観戦するファンの方が多いのではないでしょうか。少なくとも日本では。ヨーロッパでも全部が全部、ここまで大音響じゃないですよ。半分以下だと思いますが。

 取材ではいつものことですが、全部の好記録をフォローできずにフラストレーションがたまりました。まずは土屋光選手が2m24と自己新。全部の選手がミックスドゾーンを通るのが原則ですが、しっかりと誘導されなかったといいます。せっかく取材時間が十分にとれる時間帯だったのに、ちょっと残念。村木征人先生にお願いして、ミックスドゾーンに来てもらうことができ、粘った陸マガ・高橋次長1人だけが取材をしました。
 内藤真人選手も取材できず。スーパー陸上110 mH初の日本人優勝者ですし、−1.3mで13秒61は、向かい風1m以上では日本最高記録じゃないでしょうか(要確認)。小林祐梨子選手の日本新の会見が始まって、レースすら見られませんでした。会見場にモニターがないのも不親切。国際グランプリ大阪はあるのですが。
 男子400 mも10年ぶりの45秒台を逃した為末大選手の取材を優先したため、自己新の堀籠佳宏選手はほんのひと言しか聞けませんでした。4年前の自己記録に迫った木田真有選手の新キタキツネ走法とかも、取材したかったのですが。大会の規模が大きくなればなるほど、会場が大きくなればなるほど、ミックスドゾーンを逃すと選手がつかまえにくくなります。
 話を聞きたい選手全員を取材する、なんてことはあきらめるしかないですね。それが陸上競技取材の宿命です。

 今日感じたのはスポーツをイベントして扱うことの難しさです。目玉選手として呼んだパウエルのフライング失格までは、予測できなかったと思います。棒高跳でもウォーカー選手が記録無しに終わりました。沢野選手が日本記録に挑戦したし、末續選手がいい走りをしたので救われましたけど。
 不測の事態が起こるのがスポーツです。駅伝のアクシデントは逆に視聴率が稼げたりしますが、通常のアクシデントはイベント的にはマイナス要素。そういったリスクは当然、主催者側も考えないといけない部分です。主催者側が“こうなるだろう”という前提で演出をし過ぎると、しっぺ返しがあるということです。
 大会主催者だけでなく、大会展望記事を書く我々にとっても、他人事ではありません。陸マガで展望記事などを書くとき、どの選手も額面通りに力を出すという前提で書きます。まれに、勝負弱い選手で、その部分を指摘することはありますが、普通はこの選手は80%の力しか出せない、という予測の仕方はできませんよね。失礼になるし。
 これからマラソン・駅伝シーズン。ちょっと考えないといけないかもしれません。


◆2006年9月25日(月)
 3日連続で新横浜に。新横浜プリンスホテルで行われた日本陸連理事会後にアジア大会追加代表が発表されました。袖ヶ浦のプリンスこと、読売新聞・近藤記者も来ていました。そういえば近藤記者と寺田が一緒に、テレビ画面に映ったといいます。スーパー陸上のクレメント選手のインタビュー後だったとか。そのときは、クレメント選手を間近で見ながら、その体格について話していました。「高平選手のように長い筋肉は力を出せる」とか、どこかから仕入れた説を受け売りで話していたと思います。
 話をアジア大会代表発表に戻しましょう。一番のニュースは女子4×400 mRが福島大関係選手で占められたことでしょうか。日本選手権後の1次発表で久保倉里美選手、木田真有選手、吉田真希子選手が選ばれていて、今回丹野麻美選手と竹内昌子選手が加わりました。全員が福島大・川本和久監督の指導を受けています。この種目のエドモントン世界選手権代表だった信岡沙希重選手や杉森美保選手も選ばれているので、走らないとも言い切れませんが、本番のメンバーが川本門下生で占められるのは間違いないでしょう。
 今季の女子400 m・400 mHの状況から予想されたことで、発表の場では気づきませんでしたが、帰りの東横線の車中で気づきました。こういうケースは過去にあったのでしょうか。1980年以降であれば、メンバーを見ればだいたい所属がわかりますが、それ以前はちょっとわからないですね。リッカーや東急、日大や中大の全盛時になかったとも言い切れません。いずれにせよ、ここ四半世紀ではなかったこと。快挙と言っていいと思います。
 それをどう受け取るかは読者次第というか、指導者次第というか。福島大独走をこのまま許すのか、対策を立てるのか、努力をするのか。


◆2006年9月26日(火)
 一昨日の日記で高根沢選手のエキシビジョン非公認記録について触れたら、野口純正氏(日本を代表するスタティスティシャン)が早速、詳細を教えてくれました。
「東洋大学・マウントサンアントニオ大学対抗」という通常の競技会にオープン参加し、5m34を3回失敗。審判がまだ3回跳んでいないと勘違いしたらしく、「もう1回跳べ」と言われて、跳んだら成功。その後、5m49(18フィート)に上げて(というよりも、審判が勝手に上げたらしい)跳んだらこれもクリア。再計測してみたら、5m49ではなく「5m52」だったという記録です。
 ということです。今まできちんと調べなかった自分が恥ずかしくなりました。
 さて、このエピソードから学べることがあります。走高跳と棒高跳で選手の調子が良かったら、審判が確信犯的に間違えて、もう1回跳ばせるという手があるということ。もちろん、後で4回目だったと気づいて記録は非公認となりますが、選手に自信をつけさせることはできるわけです。インカレでは無理でも、個々の大学主催の競技会だったら、やってやれないこともない。賛否両論かと思いますが。
 そうか。別に、審判がわざと間違えなくてもいいわけですね。コーチが、「おまえ調子が良いからこのまま、5m30を跳んでみろ」と言えばいいだけのこと。試合は終わりにして、そのまま練習にすればいいわけです。えっ、そんなことはもうやってる?

 スーパー陸上を現地観戦した方からもメールをいただきました。たくさんの感想を書いてくださったのですが、いくつか紹介させてもらいます。
 まず、場内アナウンスの大音響については、寺田と同様に大きすぎたという意見です。
 次に走高跳選手の助走開始時に、大型スクリーンに手拍子を求めるアニメが出ることについて。「迷惑そうにしている走高跳選手もいた」という指摘です。確かに、選手も十人十色。好みのリズムもあるでしょう。押しつけるのはどうかと思います。その方は、スタンドに何十人かの手拍子要員を配置するのがいいと言っています。寺田も感じたことがあるのですが、あまり遠くの人まで拍手をすると、聞こえる拍手に時差が生じます。その辺を選手たちはどう感じているか、一度聞いてみたいと思っていました。でも、これは大した問題にはならないでしょう。選手側と主催者が話し合えば解決することです。
 プログラムに記録を記載する欄がないというご指摘も。原稿を書いて製作に携わった身としては、痛いところを突かれたな、と思います。以前はデイリープロ形式のものと2つに分かれていたのですが、おそらく予算の都合で1本化したのでしょう。ページ数を増やすのはたぶん無理。レイアウトで解決できるようであれば、改善するように進言しておきます。来年もプログラムの仕事をすれば、ですけど。
 400 mに観客が集中しているときに女子走幅跳で審判が白旗を出した、という指摘も。この辺はどうなのでしょうか。走幅跳がテレビ中継に収まらなかった、という不満も聞きました。進行を早めろという指示が上からあったかもしれないので、一概になんとも言えません。おそらくルールブックにもなんらかの記載があるでしょう。

 競技会運営について、改善しようという意見がよく聞かれるようになりました(寺田も以前から、表彰はレース直後に、とかいくつか言い続けています=ゴールデンゲームズin延岡方式)。しかし、現場の審判員だけで判断ができることと、上の指示を仰がないとできないことがあるようです。観客を盛り上げるには、何がいいのかの判断。選手の要望にどこまで応えたらいいのか、という判断。全ての都道府県陸協の全審判員まで、意思統一を図るのは不可能です。
 さしあたって来年の世界選手権だけ乗り切るのであれば、陸連から何人かの権限のある審判に周知徹底を図れば可能だと思います。肝心なのは世界選手権後に、運営のノウハウを全国に浸透させること。見せる大会(春季サーキットなど)と、効率よく勝敗を決める大会(県選手権や中・高校生の試合)では違いがあって当然です。陸連主導でモデル運営をいくつかのパターンで試み、それを各県に視察してもらう、というのはどうかと思っています。
 きっとO村ライターが、この案を捕捉してくれるでしょう。


◆2006年9月27日(水)
 鈴木亜由子選手の中学歴代2位、9分10秒71をトップページで触れたところ、当方の情報が少ないことを予想された方が、新聞記事をスキャニングして送信してくれました。ありがとうございます。名城大の選手3人が9分10秒台で続いたようですが、同大の米田監督も完全に脱帽している様子。本人コメントにはなっていませんが、国体の800 mで中学新を狙う、とも書いてあります。愛知県記者団と一緒に、取材させてもらう可能性大です。
 それにしても、山中美和子選手の記録に迫る中学生が現れるとは、思ってもみませんでした。“これはちょっと破れないだろう記録”の1つだと思っていましたから。佐藤恵選手の1m87とかもそうですね。1981年の記録ですが(25年前!)、中学歴代2位を10cm引き離しています。境田裕之選手の2m10は、歴代記録でいうと5cm以内に9選手がいますが、今世紀に入ってからは2m01が最高なので、これも“破れないだろう記録”になりつつあります。

 為末大選手の200 m21秒36もレベルが高かったんですね。13年間中学記録の座を守っています。もしも100年後も中学記録として残っていたら、評価はどうなるのでしょう。仮に400 mHで成迫健児選手以下続々と世界選手権・オリンピックのメダルを獲得したら(100年間で20人とか)、22世紀の為末選手は400 mHのメダリストとしてではなく、200 mの中学記録保持者として有名になっている可能性が大。
 という予想には1つ見落としがあります。エドモントン世界選手権の銅メダルが、五輪を通じても男子トラック種目初のメダルだという点です。戦後では男女を通じて初。短距離・ハードル種目では史上初。最初の1人という点は、誰が何をやってのけても越えられないわけです。
 池田久美子選手の100 mH(シニア用のほう)の13秒78も、かなり残りそうな気配。これも100年後を考えると……日本人初の7mジャンパーとして語り継がれている可能性が大ですね、と期待を込めて。

 帰宅途中、新宿駅で明後日からの出張用の切符を購入。大分の全日本実業団、神戸の国体、多治見の中部実業団選手権と11日間の出張予定です。経費補助のある仕事もあるのですが、国体が完全自腹のため、持ち出しが多くなる出張です。少しでも経費を節約するため、陸路での移動。全日本実業団と国体の間の4日間も、西日本に滞在します。
 100年後には寺田のことは誰も覚えていないと思いますが、どこかのサーバーに日記の文章が残り続けたら、貧乏ライターとして認識される可能性が大です。


◆2006年9月28日(木)
 25日の日記でアジア大会女子4×400 mRが、福島大関係選手で占められそうだと書いたところ、出口庸介先生(陸マガ執筆者の1人)が1956年のメルボルンオリンピック、男子4×100mが中大関係選手で占められていた、と調べてくれました。
 1走・潮 喬平(中大)
 2走・清藤 享(中大→熊本相銀)
 3走・田島政次(中大→富士製鉄)
 4走・赤木完次(中大)
 予選4組B42.2
 準決勝E41.3=落選

 こういったことは、ただ闇雲に調べたら時間がかかるだけ。どこを掘り下げたらわかるか、ある程度の道筋を思い浮かべることができるから、短時間で調べられるのです。陸上競技の人気が上がれば、この手の能力がもっと評価されていくでしょう。ベルリン・マラソンに出場する女子選手のデータも……これは、何でもありません。

 一昨日の最後でO村ライターに話を振りましたが(振られた方はいい迷惑ですね)、尾張の麒麟児と言われた彼でさえ、これという捕捉案はないようです。
結局は,選手,観客が積極的に発言し,運営側に伝えていくしかないんでしょう。
「観客の満足」に問題を限定するなら,通告員(場内アナウンサー)とそのサポート体
制を育てていくほうが早いと思います。多種目が同時進行する陸上では,通告員の役割が,他競技以上に重要な位置を占めるますから。

 とのこと。
 言葉の選び方が慎重ですね。この辺はさすがライターというか、専門誌関係者というか、尾張の麒麟児というか。通告は今でも、日本選手権クラスになればフィールド種目にも気を配れる体制をとっています(よね)。春季サーキットあたりだと、大物選手がピットに立っても教えてくれないことが多くあります。まずは春季サーキット・クラスの大会を盛り上げることが、今後への布石になっていくと思われます。

 昨日、アトランタ五輪代表の野村智宏選手のサイトをリンクさせていただきました(個人サイトは本人の了解をとっています)。それにしても、ホルム選手が世界ジュニアで野村選手と一緒に試合をしたことを覚えているとは。1994年のことですよ。野村選手のどんなところが、ホルム選手の脳細胞に刻印されたのでしょう。助走のラインが印象的だったのかもしれませんし、あるいは顎のラインかもしれません。「リスボンの記憶」なんてタイトルで小説にできそうなくらいのエピですね。野村選手も西濃運輸から所属を転々として、競技を続けています。このあたりの生命力というか、粘りというか、意思の強さは見習いたいもの。話していると肝がすわっているのがわかる選手です。
 今日はやはりアトランタ五輪代表だった土江寛裕選手が引退を表明。サイト(富士通)で発表するあたり、ネット世代のスプリンターらしいというか、サッカーの中田選手みたいというか。それにしても、96年の関東インカレでトップシーンに飛び出してきた体型に恵まれない選手が、その年のアトランタ五輪は勢いがあったにせよ、8年後のアテネ五輪でも代表になって4×100 mR過去最高順位の4位に。シドニー五輪落ちしたときは、ここまでやるとは予想できませんでした。日本選手権でも強かったですね。以前にも書きましたが、信岡沙希重選手もその辺を尊敬しています。
 しかし、スーパー陸上で富士通の青柳マネに聞いたら、全日本実業団で引退という話はないと言っていたのに。嘘つきマネと今度言ってやろう、と思っていたら、今季限りの引退ということで、最後の大会は田島記念と書いてありました。しっかり読みましょう。アトランタ五輪代表では、小坂田淳選手も全日本実業団で引退するそうです。
 それにしても、土江選手のラストランがなんで田島記念なんだろう。田島さんは早大じゃないし、短距離でもありません。山口県だから故郷の島根県関係者がたくさん来られる、ということでしょうか。


◆2006年9月29日(金)
 これから大分に移動します。貧乏ライターは新幹線を1本遅らせてでも、自由席で行くつもり。9月29日だけに苦肉の策…とか書いてあるのは忘れてもいいです。

 13:40に東京駅着。13:13東京発のぞみに乗りたいと考えていて、25分前にホームに行ったところ、1号車(自由席車両)の3人目という位置に並ぶことができました。車両最前列の席で電源も確保。ホームで待っている間に独身の曽輪ライターに電話。クールな口調で「大分に移動中じゃないのですか」と言われました。
 5時間弱で小倉着。9月の九州の臭いがしました……たぶん、豚骨ラーメンの臭いです。特急ソニックへの乗り換え時間が約45分。ここでも電話を2本。ソニックに乗ったのはたぶん初めてですが、ちょっとゴージャスなつくり。かなりゆったりめのシートです。車窓からの眺めはわかりませんが、九州東岸を南下。別府を過ぎたら海岸線だと思うのですが。
 ところで、九州は西海岸と東海岸では、どちらがお洒落ということになっているのでしょうか?

 2時間弱で大分着。7時間の長旅ですが、食事と電話以外はずっと原稿を書いていました。長旅という感覚はまったくなし。ちょっと道に迷って、ホテルに着いたのは20:40。1時間弱メールとネットチェックを中心に仕事。その後、ファミレスに移動して食事と仕事。
 土江選手の話も少し書きたかったのですが、時間がないので今日は、日記風に書いてみました。


◆2006年9月30日(土)
 朝、昨日の日記をパパッと書いてから九州石油ドームに。シャトルバスで大分駅前から約20分でした。大分自体、2001年別大マラソン以来で、九石ドームはもちろん初めて。ブルートラックが鮮やかです。屋根はないのですが、この写真のように梁がアーチのように架かっています。トラックの直線方向に1本、それと十字に交わるものが確か3本。初めて見るデザイン(構造)です。

 適温、微風で好記録も続出。男子200 mでは末續慎吾選手が20秒36。東海大の先輩である伊東浩司選手の大会記録を更新しました。1500mでは小林史和選手が3分38秒95と世界選手権B標準を突破。7月のナイトオブアスレチック(ベルギー)で、3分38秒台と思ったら3分39秒08で糠喜びに終わったばかり。そのシーンを直接見ていましたし、好調で臨んだ先週のスーパー陸上でも失敗したばかり。今日の標準突破は、取材しているこちらの感動も大きかったように思います。
 男子400 mHの河北尚広選手はA標準突破。利き脚と逆脚の違いをそれほど感じないという珍しい選手です。48秒台も間近でしょうか。3000mSCは越川秀宣選手が8分40秒16の自己新で優勝。ベテランの内冨恭則選手が終盤まで引っ張りました。1万mWの山崎勇喜選手は長谷川体育施設入社後は無敗を続けています。
 男子走高跳は醍醐直幸選手が復帰戦を飾りました。2m21ですが、感触は悪くなさそう。走幅跳は荒川大輔選手が7m74のシーズンベストで優勝。シーズン後半は5試合連続のシーズンベストだそうです。ヨーロッパ遠征で吉田孝久氏に助走改良のヒントを与えてもらい、手応えも得ていると言います。2位に19cm差というのも強さを示しています。
 男子1万mは気温も下がり、無風と絶好のコンディション。ダビリ選手が27分04秒79のオールカマーズレコードを記録しました。

 女子では1500mの杉森美保選手が、ワゴイ選手に敗れたものの、新しいレースパターンに挑戦。1万mは福士加代子選手が独走で日本記録に挑戦。惜しくも更新できませんでしたが、国内日本人初の30分台、パフォーマンス日本歴代3位となる30分57秒90で快勝。5位(日本人2位)の杉原加代選手が、1万mの距離にも完全に対応してきた感じ。8位の松岡範子選手は6年ぶりの自己記録更新で、これはかなり珍しい例。
 400 mHの久保倉里美選手は3週連続B標準の好走。5000mW優勝の坂倉良子選手は、日本歴代4位の21分36秒41。池田久美子選手は珍しく1・2回連続ファウルで見ている側を心配させましたが、3回目の6m44で花岡麻帆選手を5cm逆転して優勝。スーパー陸上同様「足首がつまる感じ」があって、5・6回目をパスしました。

 小坂田淳選手と吉沢賢選手が今大会を最後に引退します。小坂田選手には家族から(写真)、吉沢選手には順大の先輩である山崎一彦福岡大コーチから花束が贈呈されました。小坂田選手は大阪ガスの選手たちによって胴上げもされていましたね。土江選手のラストランは田島記念ですが、全日本実業団は今日が最後(明日の100 m出場は厳しいと言っていました)、ということで最後はRaSportに抜かれてしまいましたが、リレーメンバーと記念写真
 小坂田選手と土江選手に話を聞きましたが、2人とも今年で32歳となるベテラン選手。思い出のレースも多いし、ドラマも多々経験している。生き方、競技姿勢も多方向の見方ができますし、特徴を示すエピソードにも事欠かない。こういった選手だった、と文章にするのが難しい2人だな、と感じました。

 最終種目が19:30の男子1万m。レース後に日本人トップの佐藤敦之選手と、福岡国際マラソンに燃えている藤田敦史選手の“福島あつしコンビ”に取材をしていると、20時を過ぎてしまい、記録を整理していると20:30に。21:00の最終シャトルバスで、中国新聞・山本記者と帰路に着きました。中国新聞的には明日の男子やり投は村上幸史選手vs.広島トリオという点が注目ポイント。池田康雄、室永豊文、山本一喜の3人が広島出身(3人とも中大出身)なのです。これは、日本のやり投の現状でもありますね…と思ったら、荒井謙選手がいますね。
 今日も日記風に書いてみました。


◆2006年10月1日(日)
 10月が九州でスタートしました。
 九州の東海岸と西海岸ではどちらがお洒落か、という質問を3人の九州人にしたところ、2人が「西海岸」、1人が「どちらともいえない」という回答でした。「西海岸」と答えたうちの1人は、東海岸の宮崎県出身で、現在は西海岸の某実業団スタッフです。
 東海岸の大分ですが、記者たちの間では美人が多いと評判。昨晩だったか金曜日の深夜に、「おおいた美人図鑑」とか、そんな名前のローカル番組をやっていて、立命館アジア太平洋大の選手が出演していました。来週の全日本大学女子駅伝を走ると話していましたね。そういえば20年くらい前になると思いますが、インターハイで優勝した短距離選手も美人で、専門誌史上で話題になったことがあったと記憶しています。今は某大学監督夫人です。

 さて、全日本実業団取材の2日目です(こっちがメインの話です)。かなりの雨が降っていたようですが、九石ドームは屋根の開閉ができるスタジアムこの写真は女子400 m予選)。昨日、トラックの直線方向と交わる梁の数を3本と書きましたが、5本でした。訂正します。
 好記録が出たのは男子400 m。堀籠佳宏選手が45秒88の大会新。あの苅部俊二選手の記録を更新しました。昨日の200 mでは末續選手が、あの伊東浩司選手の大会記録を更新しています。日本のスプリント陣が一回り成長した証でしょうか。
 女子5000mの那須川瑞穂選手と中村友梨香選手が、世界選手権B標準(15分24秒00)を突破。1500mで強かった那須川選手が最近はマラソンにも進出していましたが、その中間の距離で標準突破を果たしたわけです。もしかして狙い通り?
 記録はそれほどでもありませんが、男子110 mHの内藤真人選手は日本記録更新に手応えを感じている様子。2位の大橋祐二選手も、今年最も内藤選手との差が小さかったレースだそうです。

 池田久美子選手が100 mHで、久保倉里美選手が400 mで勝って、ともに2冠を達成。川本門下は相変わらずのタフネスぶりを見せてくれます。記録のレベルもまずまず。2位以下でも石野真美選手、木田真有選手、竹内昌子選手と、今季好調の選手がきっちり走っていました。
 女子800 mに勝った杉森美保選手も、前日の1500mが日本人1位でしたから、2冠に近い価値があります。2位の桑城奈苗選手が自己新を出してホッとしました。というのは、前日の1500mで4位となった同選手にフィニッシュ直後、自己新かもしれないと言ったところ、実際は届いていませんでした。トップとの差を見た印象で推測するわけですが、人間の印象というのはアテになりません。というか、軽々しく口にしてはいけないと、反省しています。

 しかし、屋根の恩恵を受けたはずのフィールド種目の記録がいまひとつ。皮肉なことに、大会新記録はスタジアム外で行われた女子ハンマー投でした。女子走高跳の青山幸選手も今季日本最高となる1m87でしたから、悪くはありません。あとは男子三段跳で復帰戦(今季第一戦)の石川和義選手が、優勝して話題となったくらいでしょうか。
 話題といえば小坂田淳選手と吉沢賢選手が引退しましたが、小坂田選手と同じ32歳の森祥紀選手は800 mで3位。今季ベストではないので年齢別日本最高ではありませんが、まだまだ頑張ると言ってくれました。今大会1・2位の鈴木尚人、笹野浩志の両選手が頑張るのは当たり前ですが、森選手がもう一度1分47秒台とかを出して、下平芳弘&横田真人の若手コンビと好勝負を展開すれば、男子中距離も盛り上がると思います。

 競技終了後にドームの屋根が開いていきました(この写真)。日本の陸上界の前途が開けていくようだと感じたと……言ったらこじつけ過ぎですかね。この写真は男子敢闘選手の表彰を受ける堀籠選手の映像をみつめる富士通・青柳マネ。特に意味はないのですが、スズキや富士通のように長距離だけでなく、一般種目にも取り組んでくれる実業団チームが増えるといいな、と思って掲載しました。


◆2006年10月2日(月)
 昨晩も早くにダウン(1:30頃)してしまったので、今朝は6:30には起床して仕事をしました。秋のシーズンもたけなわですから、それなりに忙しくさせていただいます。でも、たけなわっていうことは終わりも近いという意味でしょう。「宴もたけなわではありますが、そろそろ…」ってよく言いますから(きっと違うぞ)。寺田も仕事をそろそろ一区切りつけて、1年間は無理でも1週間の休養(充電期間)でもとって、勤続疲労を取りたいと思っていました。その間に原稿を書く技術も改良して、1週間後に仕事に復帰したら連戦連勝状態になって、外国人のケネス・マランツ記者あたりに「ナニをカエタの? オシエテよ」とか言われたりして。
 ということで、9:30に電話取材(美人ランナーに)をしたあとチェックアウト。大分駅から特急ソニックに乗って別府に向かいました。別府といえば温泉の街。そこで、1週間の休暇をとりたいなあ、と。別府は別大マラソン折り返し地点(昔はスタート&フィニッシュ)でもあります。マラソンコースの別大国道とJRは並行に走る箇所もあって、当然別府湾も眺められたりするわけです。気分はもう、78年大会の宗茂選手(2時間09分05秒6、当時の世界歴代2位)か、91年の森下広一選手(2時間08分53秒、当時初マラソン世界歴代2位)です。
 マラソンでは1時間かかる別府までの行程も、特急ソニックならわずか10分足らず。早すぎます、着くのが。休暇をとりたいと思ってはいたものの、10分足らずでは決断するまでには至らず、というか腹をくくれず、結局別府は素通りして小倉に。小倉で「伝統の味 ウニ飯弁当」を買って新幹線に乗り換えました。

 伝統の味というコピーを見て思い出したのが、昨日取材した小島茂之選手の顔。早大の選手って……という話はやめて、昨日書き忘れたネタを1つ。男子やり投は踵を痛めていた村上幸史選手が5投目に集中力を発揮して逆転優勝。中国新聞・山本記者が恐れていたように、広島出身トリオの室永豊文選手、山本一喜選手、池田康雄選手が2〜4位を独占しました(山本記者は誰かが優勝して欲しかった、できれば1〜3位を独占して欲いと考えていました)。
 昨日の日記で触れたように、荒井謙選手が広島トリオに割って入る可能性があったのに、まさかのベストエイト漏れ。今頃になって、ゼレズニー欠場ショックに襲われたのでしょうか。競技終了後にスタンドですれ違いざま取材をしたところ、技術を大幅に変えているから、というのが原因だそうです。来日しなかったゼレズニー選手型の技術をどう発展させようとしているのでしょうか。

 神戸のホテルには15時にチェックイン。15:40に電話取材を1本(これは男子選手)。1時間ほど休んでまた仕事。20:30から3本目の電話取材(美人ジャンパー)。その後外出して、吉野屋で夕食。カフェで23:30まで原稿書き。帰りに三ノ宮駅の山側から、ホテルのある海側を見ると、白亜の高層ビルの最上部に「神戸新聞」の文字が。昼間通ったときは気づきませんでした。そうか、ここが神戸新聞かと、感慨深く夜の神戸を歩きました。


◆2006年10月3日(火)
 昨日、神戸入りしたのはいいのですが、国体の陸上競技が始まるまで3日間、時間があります。これでも静岡県出身ですから、高校野球の静岡商vs.早稲田実業を見に高砂市に……行くほど閑ではありません。今日中に350行原稿の締め切りがあるのです。それにしても、静岡商の「し」の字も言わないニュース番組を2つ見ました(地元では「せいしょう」です)。完全に、報道の主体はハンカチ王子こと斎藤佑樹投手。でも、考えてみれば陸上競技も似たようなもの。例えば末續選手が優勝したニュースで、2位以下の選手名はめったに言いません。
 ハンカチ王子で思い出しました。出張中でまだ目にしていないのですが、昨日は「大学駅伝2006」の発売日。寺田は佐藤悠基選手の記事を書かせてもらいましたが、インタビュー中に斎藤佑樹投手の話を振ると、ハンカチで顔を拭う仕草を真似してくれました。「レース中にできませんよ」と言いながら。東京国際女子マラソンの初期(1回大会かも?)に活躍したジョイス・スミス選手(英)の例もあります。やってやれないことはないと思うのですが……普通はしませんね。そういうところで目立たなくても、走りで目立つことができる選手ですし。
 ところで、佐藤選手が真似をした千載一遇のシャッターチャンスを、○○カメラマンが逃したことは「勘弁してくださいよ」と言われているので、名前は伏せておきます。ちなみに高岡寿成選手のイニシャルはTTです。

 3日間、どこで原稿を書くか、が問題でした。連泊しているのでホテルの部屋に居座ることもできるのですが、14時に外出すれば掃除とベッドメイクをしてもらえます。場所を変えた方が集中力も持続できます。カフェでも探そうかと思って昼食後に三ノ宮駅近くに行くと、知り合いの静岡県の記者の方とばったり。歩いて10分くらいの所にプレスセンターがあると教えてもらいました。
 15:30頃から18:00くらいまで、プレスセンターで原稿書き。LAN接続は備え付けのPCでしかできないところが不便です。ホテルに戻る途中、フォートキシモト安部カメラマンとばったり。最近、父親が出世したと聞いたので「お父さんによろしく」と言うと、「晋三をよろしくお願いします」と返してくれました。安部と安倍で文字は違いますが、実の親子関係を隠すための細工かもしれません。そういえば昨日まで滞在した大分は、安部友恵選手の出身地でした。
 20:00に家族T氏と三ノ宮駅で待ち合わせをして、オムレツ屋で食事。彼女はJADA(日本アンチドーピング機構)の仕事で国体に来ているのでした。なんでも、今日はセイリングの会場で2人の選手にドーピング検査をしたとか。しかし、明日どこに行くのか、どうしても教えてくれません。秘密の多い夫婦です。
 21:30にはホテルに戻り、原稿書き。まだ200行も残っていますが、気持ちはラストスパート。


◆2006年10月4日(水)
 今朝も早起き。11時締め切り(本当は昨日中)の原稿を10:30に仕上げ、その後少しダウン。サイトのメンテナンスをして、14時にホテルから外出して昼食。三ノ宮は食事をできる場所が色々とあって便利です。新宿なんかも探せばあるのでしょうが、狭いエリアに固まっていません。今日行ったのは、夜はめちゃくちゃに高い創作和食の店ですけど、ランチは850円。それでも、まったく手抜きが感じられない豪華な御膳でした。
 カフェで読書をした後、プレスセンターに。静岡新聞のM記者から「陸上、始まってましたっけ?」と聞かれました。狙い通りです。陸上競技の会場でしか合わないから、違和感があるとも。メインプレスセンターは、各競技会場の情報を1箇所で入手できる場所。国体やインターハイで、寺田がメインプレスセンターに行くことはありませんから、M記者は違和感がある、とも。まあ、それも人生です(若干、意味不明)。
 違和感がないのがこの写真。全日本実業団の2日目競技終了後、大分九石ドームで電話をする岡山のSP記者こと朝日新聞・小田記者です。絵になっているというか、様になっているというか。多くの記者が屋根付き400 mトラックに驚いているなか、「僕はサッカーの取材で何度も来ています」と余裕を見せていました。今は大阪の陸上競技担当ですが、一時は福岡の陸上競技担当だったからです。

 大分→神戸で思い出しました。スーパー陸上のテレビ放映について書いておくことがありました。TBSが女子1500mの映像を放映した後(たぶん生中継画像)、日本新だった小林祐梨子選手の正式タイムを1回も報じませんでした。せっかく小林選手がいいキャラをしているのに、インタビューもなし。中距離関係者や、関西(特に兵庫)方面から非難の声が挙がって、寺田の耳にもいくつか入ってきたのです。
 TBS関係者が言い訳はできないと思うので代わりに推測すれば、目まぐるしい中継になっていたのが一番の理由でしょう。女子1500mフィニッシュ後にすぐにCMに入り、CM明けで他の種目(フィールド種目?)に切り換えられ、その後も多くの種目をさばいたりVTRを入れたりと。トラック種目とフィールド種目が同時に進行する陸上競技の中継はただでさえ大変です(ペン記者も好記録すべての取材は絶対にできません)。それに加えて、スーパー陸上は短い時間に多くの種目を行う。現場サイドもそうですが、同時進行で1つの番組にまとめる編集作業も大変なのだと想像できます。
 同局が一般の視聴者にも陸上競技を見てもらおうとしている工夫は、評価できるところです。誰かがやらないといけないし、陸上界だけではできない部分も多い。「熱闘甲子園」のネタの時にも書きましたが、競技映像だけで理解できるファンが多くて視聴率が取れるなら、誰も苦労はしません。しかし、今回のことは陸上競技の面白さを伝え損なった。一般視聴者に対してアピールするチャンスを逃しました。
 そのことを大分でTBSの人間に確認したところ、同社の会議でも一番の反省材料に挙がっていたといいます。今後は、価値のある記録はしっかりと伝えてくれるはず。一度ミスをした方が、その部分には神経を使うようになるのが普通です。

 さて、TBSといえば土江寛裕選手ですが(どういうつながりかを説明するのは困難)、引退に際して何に触れたら土江寛裕という選手の特徴を説明できるのか、わかりません。そのくらいに競技人生も長く、幅も広く、昔は走幅跳選手だったということです。ハードル選手でもあったらしいです。
 小坂田淳選手と吉沢賢選手が全日本実業団を最後に引退しました。書きたいことは山ほどある2人ですが、キーワードを探し出して、1本の記事(=流れ)にまとめました。陸マガ次号に載ります。
 土江選手について1つ確かなのは、他に類を見ないキャラだったこと。泣き虫でいじられキャラ。「僕はどんなにコケにされても平気なんです」と土江選手が話したとき、どうしたらそこまで強靱な精神力を持てるようになるのかと、驚きました。そこまで言える人って、いますか? その覚悟があるから、上の人間にもきっちり意見ができる。自分という人間をしっかりと出せるということです。
 陸マガ10月号の座談会をご覧いただければわかると思いますが、いじられキャラの部分は内藤真人選手に受け継がれて行きそうです。


◆2006年10月5日(木)
 昨晩、三宮駅前にそそり立つ神戸新聞に大原篤也記者がいたら、一緒に夕食でも食べようかと思って携帯に電話をしたところ、「本社にいます」との答え。だったら「三宮の吉野屋で」と誘うと、「本社は三宮ではありません」と言います。なんでも、2駅ほど西の方にあるのだとか。あのビルはいったいなんなのでしょう……と思ったら、記事がありました。複合商業ビルで、神戸新聞会館なのですね。そういえば熊本日日新聞社もそんな感じでした。
 ということで、ホテル近くのロイヤルホストで夕食&原稿書き。「三宮でしたら大原と言えば“付け”がききますよ」というので、レジで恐る恐る聞いてみたところ、「私どもではそのようなシステムはありません」と、丁重に断られてしまいました。

 今日も14時までホテルで仕事をして、プレスセンターに移動する途中にあった天井の高いカフェで昼食。鶏の白ワイン蒸しとなんとか。味はあっさり系でした。39ページほど読書もして、15:10にはプレスセンターに。中国新聞・山本記者も満を持して神戸入りしてきました。広島県の陸上競技は有望選手が目白押し。明日から毎晩、記者室に最後まで居残ることになるでしょう。
 山本記者は朝、高橋萌木子選手を三宮駅で見かけたとか。少年A女子100 mのレースはもう明日です。きっと、明日の時間に合わせて、サブトラにトレーニングをしに行ったのでしょう。下見や移動経路チェックは、とっくに終わらせているでしょうから。清田先生のブログにも、直前の情報が載っています。

 17:56三宮発の地下鉄で大倉山に。某カメラマン氏からCD−Rを受け取るため。今晩の夕食はカメラマングループと一緒でした。20時にプレスセンターに戻って22時まで原稿書き。ホテルに戻って、メールと本サイトのメンテナンス。ニューヨーク市場の高騰を受け、日経平均も上がっているというので株価も1カ月ぶりにチェック。もう2:22。300行原稿の締め切りですが、あと50行残っています。明日の早朝にしましょう。
 明日の注目は少年A女子100 mの他には、少年A男子棒高跳、成年女子5000mなど。予選・準決勝では成年男子400 mHと少年B女子800 mなど。見逃していけないのが少年A女子1500m予選。久保瑠里子選手が出場します。


◆2006年10月6日(金)
 国体取材1日目。最初の種目の少年A女子400 mHに合わせて会場に着きましたが、色々とやることがあって、競技を見始めたのは成年男子400 mH予選から。今日は予選だけで次のラウンド(決勝)は明日なので、ミックスドゾーンに行って河北尚広選手をつかまえました。全日本実業団の際に、利き脚(踏み切り脚)が左右どちらと決まっていない話を聞きました。その点をもう少し突っ込みたかったのです。
 事情がわかりました。元々、ハードルは左脚、走幅跳は右脚で踏み切っていたのだそうです。そういう選手がいないこともない。かく言う寺田も、走幅跳は左脚、ハードルは右脚踏み切りでした。とっても下手くそでしたけど。
 その取材の際に、同選手のブログをリンクさせてもらう許可をもらいました。数日前に、香川県の女性から応援ページとブログがあることを、教えてもらっていたのです。河北選手もこのサイトのことを知っていたので、話はスムーズでした。
 実は今晩、別の大物選手のブログの存在も知りました。リンクの了解を求めるメールを出したので、先方が承諾してくれれば、明日にでもリンクが載ります。

 続いて少年A女子100 m予選と同男子100 m予選をスタンドで、神戸新聞・大原記者の隣で観戦。その後の800 m3種目は、報道控え室で書きかけの原稿を仕上げながら見ていました。川本和久研究室のOL3人の走りもしっかりチェック。13時前には、全日本実業団の原稿がやっと手を離れました。国体に集中できる態勢に。そうなると、けっこう色々なことができますよ。末續選手流の話し方をすれば、乞うご期待です。

 少年女子1500m予選から再度スタンドに。しかし、少年A男子棒高跳が5m00にバーが上がっていたので、バックスタンドに移動しました。途中で成迫健児選手に出くわしたので、同選手の故郷である大分に行った話をしました。男同士ですから、美人が多いという話もして(同意してはくれませんでしたが)、卒業後は大分に帰りたいんじゃないの? と質問。成迫選手の答えは、筑波大で練習が続けられる環境を、ということでした。就職先の企業はまだ未定です。
 懸案のつくばエクスプレスの襲名(400 mの45秒台←つくば・秋葉原間の所要時間が45分であることから)は、在学中でないといけないことを念押ししておきました。つまり、国体4日目の400 mがラストチャンスです。プレッシャーをかけていることになりますが、そのくらいでどうこうなるようだったら、この先も通用しません。

 少年A男子棒高跳は、笹瀬弘樹選手が5m31の単独高校歴代2位、高2最高記録で優勝。バックスタンドには関係者がたくさんいたので、色々と話を聞くことができました。笹瀬正樹先生、杉井将彦先生(浜松商でインターハイ総合優勝)といった直接指導にタッチしている先生方の他にも、静岡県チーム跳躍コーチの神谷晃尚先生(自己ベスト5m50)や、男女の元日本記録保持者の小林史明選手と小野真澄選手らを指導した島田さん、中学時代に笹瀬を指導した先生等々。ただ、浜松の指導者ばかりに話を聞いても客観性を欠くと思ったので、高橋卓巳先生に技術的な特徴を聞きました。
 笹瀬先生のコメントは表彰後に静岡の記者の方たちが取材をしたいと頼んでいたので、後回しにすることにして、次に神谷先生のコメントをもらいました。笹瀬先生の1つ上の学年で同じ浜松の学校。笹瀬先生の現役時代と、弘樹選手の違いを説明してもらうには、うってつけの先生です。予想通り、面白い話を聞くことができました。そしてもちろん、杉井先生にも。
 高橋先生や沢野選手のコーチである米倉照恭氏と話をしていて、“抜き”の高さとか、ポールの硬さ、握りの高さなどが話題になったので、笹瀬先生の現役時代を教えてもらいました。
 笹瀬先生も高校3年時に宮崎国体で優勝されているので、親子二代V。笹瀬父子の写真も何点か紹介しましょう。これは試合中のひとコマ。親子というより、意識の高い選手同士という雰囲気もありました(かなり主観的)。これは競技終了後のシーン。顔はカメラで隠れて見えませんが、陸マガ高野カメラマンが良いポジションにいます。競技中に、終わったら握手をお願いするから、と同カメラマンに耳打ちしておきました。それで良いポジションにいる…のではありません。なぜなら、寺田が笹瀬先生にお願いをする前に、自然と2人が握手をしたのです。カメラマンの嗅覚を発揮して獲得したベストポジションでしょう。これは表彰式後。静岡メディアの注文で、4人で一緒にカメラに収まってくれました。左から笹瀬先生、神谷先生、笹瀬選手、杉井先生です。全員が全国チャンピオン。


◆2006年10月7日(土)
 国体2日目取材。朝はギリギリまでホテルで仕事をしてから会場に移動。地下鉄の駅で競歩の池島大介選手と何年かぶりで合いました。しばらく試合に出ていないのでは? と話を振ると、石川に戻って先生(非常勤)になったとのこと。年齢的には全日本実業団で引退した小坂田淳選手や、田島記念がラストランの土江寛裕選手と一緒。今年で32歳の“室伏世代”です。日大で1学年上の大橋先生(走幅跳の静岡インターハイ優勝者)とすれ違ったので、一緒に写真を撮らせていただきました。
 ラストウォークは03年の輪島日本選手権50km競歩(44kmでリタイア)だったそうです。その後も復帰に向けて頑張ったのですが、結局、ヒザの故障が良くならずにそのまま一線を退いていく形になりました。昨年から石川に戻って高校の先生をしています。
 20kmWの日本記録更新は4回。1時間19分42秒は今も日本歴代2位で、1時間20分を2回切っているのは池島選手だけ。1時間21分24秒以内が8回というのも、次に多いのが柳沢哲選手と谷井孝行選手の3回ですから、他を圧しています。「98〜99年頃は負ける気がしなかった」と言います。
 オリンピックはアトランタとシドニーの代表ですが、思ったような成績を残せませんでした。アトランタは大学4年時でまだ経験不足、シドニー前には梨状筋症候群で左脚に力が入らない状態になっていました。その辺は運に恵まれなかった選手。
 最近の競歩界の盛況ぶりについては「海外を多く経験した選手がコーチになって、その経験を上手く伝えられている。ワールドユースなど、チャンスが多くなったことも上手く活用できている」と分析した。今日は少年B3000mWで石川の谷本佳代選手が快勝。池島先生の経験も、競歩どころ石川に受け継がれていくのでしょう。

 成年女子100 m予選に間に合いました。南部記念で北海道記録保持者となった北風沙織選手と、前記録保持者の伊藤佳奈恵選手が予選4組で、隣同士のレーンで走っていました。後で北風選手に話を聞いたら、同じレースに出たことはこれまでもあったようです。隣のレーンは初めてとのこと。
 成年男子100 m予選では、上野政英選手の好調ぶりが目を引きました。10秒46と6年前の自己記録(10秒43)に迫る記録です。予選5組で高平慎士選手を抑えた石黒遼人選手(中京大4年)の、飛び出しの鋭さも印象に残りました。

 その後トラック種目のない時間帯があったので、サブトラ巡りに。例年、国体期間中に一度は行う年中行事のようなもの。最終日にすることが多いのですが、今年の国体は明日までいませんので、今日がチャンスと決行しました。本当に、色んな人たちに会えるのです。
 国体のサブトラックは、南北の順序で各県のテントが並んでいます。まずは、秋田のテントで湯沢先生を発見。早大競走部のからリクルートと、敏腕マネジャーだった人物です。その後、順大大学院に進んで、地元の秋田に戻ったというのが簡単なプロフィール。寺田の勝手な推測ですが、相当に苦労をされたと思います。本人は否定するでしょうけど。写真による顔出しはダメということだったので、文字での紹介だけにとどめます。
 福島のテントには川本和久先生。最近、意外な面も見せ始めた(?)池田久美子選手もいました。そこに浜松西高・筒井先生もやって来られました。そうか。昨日の中村宝子選手の11秒77は、目標だった静岡県&東海高校記録を更新したのですね。ということで、昨日撮った少年A女子100 m3選手が一緒に引き揚げるところの写真を掲載しましょう。この手の写真は本人たちの了解をもらってからシャッターを押しています。いきなり撮るようなことは控えましょう。
 川本先生から「倒れたんじゃないの?」と言われました。寺田がこの日記で「原稿を300行書いてダウン」とか書いたら、眠ってしまったという意味です。
 千葉県テント前…ではなかったかもしれませんが、沢野大地選手からは「5m75はシュツットガルトじゃありませんよ。ゲーツヘッドです」と、この記事の間違いを指摘されました。文章も全体的に荒いです。反省しています。「論文は書けたのか?」と切り返すこともできませんでした。

 岐阜のテントには海鋒佳輝先生と、日下部光先生の筑波大OBコンビが揃っていましたし、山崎一彦コーチも以前は岐阜ES事業団勤務だったということもあり、挨拶に来ていました。海鋒先生には学生時代のベスト記録を確認して、2m24だったと判明(90年アジア大会代表を決めた日本選手権かな)。記録集計号では教員時代に出したベスト記録(2m26)しかわからなかったのです。
 これでスーパー陸上の土屋光選手の2m24は、筑波大歴代5位ということがわかりました。1位は井上基史選手と吉田孝久選手の2m28、3位が稲岡純史選手の2m26、4位が阪本孝男先生の2m25。今だったら好記録の土屋選手の2m24が、1つの大学の歴代5位タイなのです。恐るべし、筑波大跳躍ブロック。
 ちなみに、日下部先生はずっと、7m41の高校1年最高記録を持っていました。それを6年前の00年に7m55と更新したのが、現在筑波大4年の藤川健司選手(今年の日本選手権優勝)。その2人の間に今日、割って入ったのが少年B走幅跳に7m43(−0.2)で優勝した田中裕丸選手(大阪・大和川高)。金丸祐三選手に続いて、大阪から“丸”の付く選手が飛び出してきました。

 島根県テント前には土江寛裕選手がいたので、写真を撮らせてもらいました。昨日、別の記者から地元での土江選手の人望はすごい、と聞きました。話したことは○秘的な内容なので伏せます。
 愛媛県テント前では北村智宏先生に。藤脇友介選手と並んで、中距離の山梨学院大を背負って立った選手です。中距離界の現状について、あれこれ話しました。
 沖縄のテント前…ではなかったような気がしますが、走幅跳の仲元紀清選手には沖縄の某女子選手について質問。具体的には、やっぱり○秘。
 為末大選手の姿も、トラックの内側に認めたのですが、何やら話し込んでいる様子だったので、あきらめて引き揚げました。スーパー陸上の前日に話していた、ある英語の件で情報があったのですが、急ぐ話でもありません。

 サブトラから駅の反対側にあるコンビニに行くと、埼玉新聞の宗像記者(女性)と一緒になりました。昨日、清田先生とはお会いできなかったので、同記者に元気でしたか、と聞くと、電話で話したら元気だった、という答えでした。ここでいう元気は、テンションが高い、に近い意味で使っています。
 コンビニの前では近藤高代選手にもばったり。昨日書き忘れていましたが、笹瀬弘樹選手の試技をスタンドから見ていたときに、近藤選手とも話をしました。4m35の前日本記録を跳んだ際、4m40にどうして失敗したのか。でも、これも○秘ですね。

 15:30からはトラック種目の決勝が11種目続きます。陸上競技の取材って、ほんとに忙しいですよ。昨日も共同通信・T記者と、競技を見ずに話を聞かないといけないケースが多い、と話をしました。今回はインタビュールームと記者室にモニターがあって、場内の通告も音声として聞けたので、かなり助かりましたけど。ついでに言うと、ユニバー記念競技場は、記録の発表もフィニッシュから間髪をおかずにアナウンスされて好評です。競技会を盛り上げるのには、とっても重要でしょう。成迫健児選手に申し訳ないのですが、大分のようにフィニッシュ後10分以上たってから記録がわかっても、「どのレースだっけ?」と白けてしまう。あるいは、せっかく良い記録が出ても、すごい記録だったと認識しにくい。これでは盛り上がりません。
 男子400 mHは成迫健児選手が国体3連勝。さすが400 mH界のプリンスというかホープというか。ものすごい数の取材陣が殺到して、とても話が聞きとれそうになかったので、2位の杉町マハウ選手を取材しました。インターバルやハードリング、世界選手権代表など以前から興味があって、一度、話を聞きたいと思っていた選手です。時間があったら記事にします。成迫選手には明後日の400 mで45秒台が出せなかったら、つくばエクスプレスではなく国体王子と命名するから、と言い渡しました(かなり偉そう)。「それは格好悪いですね」と言っていたので、45秒台を目指して頑張ってくれるでしょう。ヨーロッパ転戦中に食事などで苦労をして、筋力が落ちているのも事実ですが、国体の雰囲気に乗って出して欲しいところです。

 男子100 mも末續慎吾選手には取材が殺到。これも、5位の石黒選手と、準決勝で10秒28の世界選手権B標準を突破した上野政英選手に話を聞くことにしました。準決勝までは塚原直貴選手や上野選手、石黒選手が頑張りを見せていても、決勝は末續選手が勝つだろう、という話をミズノの木水広報としていて(そう思わなかったらミズノ関係者に話はしませんが)、その辺を記事にしたいと思っていました。が、塚原選手の取材ができなかったので、これは次の機会に。
 女子100 mは地元の小島初佳選手が優勝。終盤で北風選手を抜き去りました。全盛時の後半の強さが戻っていましたが、レース後に休養宣言。小島選手も室伏世代。引退ではないということですが、日本代表を目指して、ということはなくなるようです。たぶん。人間のやることですから、気持ちが変われば行動も変わります。
 少年B女子200 m優勝の紫村選手と2位の今井選手は、動きやレース構成は違うタイプだと感じましたが、ともに隣の県の高校に入学した選手でした。その方が強くなれそうだから、というのが共通した理由ですが、その苦労をしてまでやってやろうという覚悟がある。期待できそうな2人です。対照的に、3位の伴野選手は地元・浜松が、地域の総力を結集して育成しようとしている選手(ややオーバーな表現ですけど)。今の指導者は、昨日も紹介した杉井先生。中村宝子選手の後継者に育って欲しい選手です。
 少年B女子800 m優勝の鈴木亜由子選手は、共同取材に途中から加わったので、ちょっと不十分。後でちょっと、中日スポーツ寺西記者から情報をもらいました。

 全種目終了後、ミズノ木水広報立ち会いのもと、寺西記者が内藤真人選手を取材していました。その間、寺田は木水広報と雑談。取材終了後に、内藤選手に「いじられキャラは意思が強いんだよ」と激励。本人も、その覚悟ができています。土江選手の域には「まだまだ及ばない」と言いますが、頑張ってくれそうです。明後日あたり、中日ドラゴンズ優勝と内藤選手日本新の、同日達成があるかもしれませんと思ったら、ドラゴンズの優勝は最短で10日だそうです。ただし、寺田は別の取材で神戸にはいません。「日本記録が出たらファミレスで2時間話そう」と言っておきました。


◆2006年10月8日(日)
 昨晩というか早朝、就寝中に右脚ふくらはぎが激しく痙攣。久しぶりにつりまくって七転八倒。1分かそこらで治まってすぐに眠れたのですが、朝はまともに歩けません。今日の取材後に移動するため、荷物も全部持ち歩かねばならなくて、ちょっと大変でした。でも、会場に着く頃にはなんとか普通に歩けるように。痙攣の原因はただの疲れでしょうか。とにかく、休養の仕方を考えます。
 国体3日目取材。ですが、今晩神戸を後にするので、寺田にとっては国体取材最終日になります。午前中、トラックは予選のみ。少年A女子円盤投が唯一の決勝種目でした。優勝した助永仁美選手(大阪・太成学院高)が前日のやり投と合わせて2冠を獲得。神戸の中学卒業で、3年時に大阪インターハイと兵庫国体を経験したわけですが、インターハイは2種目とも兵庫の選手が優勝しています。これは取材せねばと、大阪&兵庫の地方紙記者と専門誌記者たちに交じってコメントを聞きました。こちらに記事にしました。
 その後、力武さん(元神戸新聞)から兵庫県陸上界の話を聞き、そうだったのかと、今さらながら認識したことがありました。駅伝では飾磨工、報徳学園、西脇工と全国優勝高がありますし、インターハイでは数年前に女子で園田が総合優勝しています。しかし、インターハイでは男子での総合優勝がないのです。それでも毎年、多くの種目で活躍します。それらの選手たちが、特定の学校に集中しているのでなく、多くの公立校に分散している。インターハイでは4日目に途切れましたけど、今国体でも兵庫は3日目まで連日、優勝者を出しています。姫路商など力を入れている学校もありますが、大阪や京都とは状況が異なるのです。
 これは気づきませんでした。近畿の関係者にとっては常識だったかもしれませんが。いつか、O原記者がまとまった文章にしてくれるのではないかと期待しています。
 

 午後の成年種目決勝では女子400 mと男子棒高跳を取材。女子400 mはまた丹野麻美選手に取材陣が殺到したので、3位の青木沙弥佳選手が自己新でしたし、2〜5位の選手たちに話を聞きに行きました。そういえば青木選手の存在が、陸上界ではかなり浸透してきたように感じました。以前はレース前に彼女の名前がアナウンスされるとスタンドが異質の沸き方をしていましたが、国体は関係者がほとんどだということもあってか、普通の反応だったと思います。
 棒高跳も2位の有木選手、3位の安田覚選手にも取材。2位の有木選手が5m40、5人が5m25以上でレベルが高かったから。沢野選手の最初の高さである5m50を、他の日本選手が一緒に挑んだのはいつ以来か記憶がなくて、沢野選手にも聞きましたが「ちょっと思い出せません」ということでした。ということで、棒高跳はカメラ取材。有木選手が後方に写っている絵柄を撮ることができました。
 高校生の笹瀬弘樹選手が5m31を跳んだばかり。選手間では「5m30を跳べなかったら坊主だ」というジョークのような、励ましのような言葉も出ていたようです。ただ、安田選手は「一緒に試合をしたらまだ負けない」と言っています。実際、そうだとは思います。昨日の100 mのような感じでしょうか。
 しかし今回の成年種目は、2位以下の選手に話を聞くことが多いですね。日本選手権や選考会とも違いますし、記事を書くメディアがここだけということで、それが可能な状況なのです。
 つづく予定


◆2006年10月9日(月・祝)
 中部実業団選手権を岐阜県多治見市で取材。多治見は名古屋から特急で30分弱。思ったよりも近かったです。競技場まで駅から歩けないのが残念ですが、タクシーで1100〜1400円と許容範囲(高校生にはつらいかも)。岐阜県では記録が出やすいと言われているトラックです。海鋒佳輝先生(90年に2m24の筑波大歴代5位をマークし、98年に2m26の岐阜県記録をマーク)には神戸のサブトラック以来の再会。2日ぶり。県岐阜商高の安福先生も、神戸からの移動組。昨日、教え子の青木沙弥佳選手が53秒85の岐阜県新を出したので、お祝いを言わせていただきました。

 今日の試合ですが5月の地区実業団が対抗戦で、秋の今大会が個人選手権。なんで国体期間中に、と思う方もいるかと思いますが、国体では全種目が行われるわけではありませんし、登録の問題で出られない選手もいます。兵庫の小島茂之選手(アシックス)は実業団間での移籍、やり投の荒井謙選手(七十七銀行)は大学院から企業への入社ということで、何年間か国体に出られません。
 ということで、中部実業団選手権にも室伏由佳選手や村川洋平選手(スズキ)、藤原潤選手(八千代工業)、荒井選手と投てきを中心に大物選手がエントリーしました(室伏由佳選手は欠場)。長距離勢もスズキやトヨタ紡織勢を中心に、まずまずの顔触れです。標準記録も設けていないので、レベル的に国体や全日本実業団出場が無理な選手もエントリーできる。実質的には記録会に近い感覚で出られる大会ですが、選手権の方がいいことも多いのです。

 参加人数も多く、他地区からの参加も認められています。岐阜県の高校生競技会も兼ねていて、思った以上に活気のある大会でした。これが全景写真
 注目の投てき勢は砲丸投の村川選手が16m99で藤原選手が51m66、そして荒井選手は67m86(走幅跳にも出場。デカスリートでもあるのです)。藤原選手が今季、安定した投てきを続けています。9月のシンガポール遠征では52m80の自己新。試合後には高校生にクリニックを開いていました(海鋒先生からの依頼だったとか)。表彰後に初めて取材をさせてもらいました。畑山茂雄選手、秋本啓太選手と二枚目揃いの円盤投選手のなかでは、こわもて顔の藤原選手ですが、高校生への話しかけ方といい、取材の応対ぶりといい、なかなかのナイスガイでした。3年前に大きなケガをした後、新しい技術に取り組み始め、それが身に付きつつあるようです。来年は「畑山、小林(志郎)の争いに加わりたい」と意欲的でした。
 全日本実業団の際に「技術を変えている最中」と話してくれた荒井選手は、そのときのベストエイト漏れに比べれば格段にいい記録です。それでも、75m06を投げた昨年の国体の頃と比べたら全然ダメ。動きが大きく狂ってきてしまっているのだそうです。1年前に戻しつつ、それ以上のところを目指そうとしているといいます。岐阜は荒井選手の出身県。岐阜県内で出した自己最高記録ではあります。今大会がきっかけになるといいのですが。
 村川選手については記録の分析はしない、という約束です(誰と?)。

 失敗したのはハンマー投に63m08の大会新で優勝した久保幸弘選手の話を聞き損なったこと。この大会で63m台はなかなかのものです。順大の学生だった2002年に62m64の記録が残っていますが、4年ぶりの自己新記録。かなり細身の選手だと聞きました。この手の実業団大会では、“味のある選手”が散見されます。日本代表までは手が届かないけれど、地道に記録を伸ばしている選手。あるいは、少ない練習時間をやりくりして頑張っている選手。取材するのはトップ選手が圧倒的に多いので、そういった選手の話を聞くのは新鮮ですし、色々なものの見方があるのだと勉強になります。
 そういった選手の代表が、女子走高跳に1m75の大会新、今季自己最高タイで優勝した日高里子選手(トヨタ自動車)だと思います。入社16年目の33歳。高校時代は1m69の選手でしたが、入社1年目の91年以降ずっと1m70以上を跳び続けているのです(ベスト記録は96年の1m82)。その間、ずっとフルタイム勤務。トヨタ自動車の一般種目の選手は、最初からその約束でスカウトされるのです。
 中部地区の選手ですから、貞広千波選手や今井美希選手とも戦っています。実は5月の中部実業団対抗の際に記事にしようかと思い、過去のデータを調べたことがありました。今回初めて取材をさせてもらいましたが、これだけのキャリアですから面白い話がないわけがない。それを、さらりと言ってのけるところがまたすごいのです。多治見に来た甲斐がありました。

 取材中、昨日まで現地にいた国体の情報も入ってきます。ただ、人づての話なので、ところどころ間違って伝わったりします。100 mHの池田久美子選手と石野真美選手が同着だったとか(正しくは同タイムで着差あり)、400 mの向井裕紀弘選手のタイムが45秒4台だったとか(正しくは45秒68)。ゼレズニー選手の映像が入っている荒井選手の携帯には、やり投の結果が送信されてきていました。村上選手が76m台で優勝。6回投げたというので、左踵の痛みは大丈夫だったと推測できました。
 帰りの新幹線待ち時間に、名古屋駅の待合室で無線LANでネットに接続(有料)。ますは国体の記録をチェックしながら、あるサイトのメンテナンス。アンビバレンスの森さんからは、川崎陸上競技フェスティバルの速報がメールで届いています。クレーマージャパン梶川洋平選手が16m27の今季日本2位の記録を出していることを知りました。梶川選手もフルタイムに近い形の勤務で頑張っています。国体の向井選手と石野選手も今季日本2位。もう1つくらいないかと注意して探してみたら、走幅跳の藤川健司選手(筑波大)もそうでした。7m91って筑波大記録ですね。志田哲也選手の記録を1cm更新しました。書くまでもありませんが、向井選手は自身の岐阜県記録を更新。西濃運輸から岐阜ES事業団に移ってからでは初めての県記録です。

 名古屋駅で40分ほどネットを使った仕事をした後、こだまの自由席で東京に。連休最終日のためか、のぞみとひかりの自由席は満席でした。車内では明日の打ち合わせ用に、資料に目を通しました。かなり大きな仕事なので、3時間集中しました。
 昨日の日記のつづき(国体ネタ)を書くはずでしたが、岐阜県モードになってしまって書けませんでした。


◆2006年10月10日(火)
 今日は13時から埼玉方面で打ち合わせ。新宿12:46発の湘南快速で現地駅には12:54着、などと書いたらどこの駅かわかってしまいますね。行田です。インターハイ・ハンマー投で1〜3位独占をやってのけた、あの行田工高のある行田。今は、行田といえばクレーマージャパン。打ち合わせはMC役のA編集者がなかなかの切れ者で、いい感じで進みました。寺田にとっても大きな仕事ですが、イメージができてきましたね。今回は、通常の取材&記事執筆とは違う仕事なので、こういった打ち合わせをしてイメージをつくることが重要です。
 寺田が打ち合わせをしている間も神戸では国体が…と思ったら、最終日は午前中で競技は終了していました。国体は毎年そうなのでした。現地にはいませんでしたが、今日が国体最終日であることに違いはありませんので、国体ネタの続きを少し書きましょう。

 まずは7日の日記で池島大介先生の故障を“離状筋症候群”と書きましたが、“梨状筋症候群”が正しいようです。信用できる2人の方からメールをいただきました。2人とも専門誌関係者ですし。
 同じ7日のサブトラ巡りで書き忘れたネタが2〜3あります。
 まずはトラックに雨天に備えて、テントによる屋根が造られていたこと。今まで見た記憶がないのですがどうなのでしょう。寺田がサブトラに行くのは晴天時だけなので、実はこれまでの国体でも実施していたかもしれません。いずれにせよ、いい試みだと思います。日陰は多ければ多い方が良いと思いますし。
 高知のテント前では三段跳の小松隆志選手と話をしました。2006年は2試合に出場。5月の高知県選手権で15m97と16m台に迫りましたが、日本選手権は15m62で7位。今季はもう試合に出ず、来年の日本選手権に照準を合わせていくとのこと。今年で39歳ですが、誕生日が12月なので、来年の日本選手権時はまだ40歳にはなっていません。もう1年は頑張ってほしいところですが、言われなくても頑張りそうな選手です。しかし、ここまで頑張ったら勲章ものでしょう。
 栃木県テントでは日渡勝則選手と雑談。そういえば池島&大橋先生も日大、小松&日渡の両ベテランも日大です。栃木県のハンマー投は今回、遠藤彰選手(国武大)が64m31の自己新で3位と健闘。日渡先生の栃木県記録、64m56に25cm差と迫りました。これはもう、時間の問題でしょうか。今のうちに2人のツーショット写真を撮らせてもらいたかったのですが、残念ながら遠藤選手は不在。今回は実現しませんでしたが、偉大な先輩の記録を若い後輩が目の前で抜く。これって、国体らしいことではないでしょうか。

 某専門誌、兵庫出身のO川編集者は、地元初の天皇杯獲得を見ずに、東京にとって帰ったのですが(専門誌はこの日程だと入稿作業が大変です)、国体の良さの1つに伝統を受け継ぐ機会の提供を挙げていました。寺田もまったく同感です。国体会場だけでなく、国体に向けての合宿も何度か実施されます。そういったとき、学校の垣根を越えて指導ができます。日本代表レベルの選手が同じチームにいるだけで、中学・高校生には刺激になる。
 国体は記録が出やすい雰囲気も絶対にあります。成年種目は選手の年間スケジュールの関係で、全ての選手がいい状態をつくってくるわけではありませんが、向井裕紀弘選手が日記で書いているように、その県のユニフォームを着ていたから頑張れた、という部分も出てきます。地元の先生や後輩が見ているので、ぶざまな姿は見せられません。
 高校生3年生にとっては最後の全国タイトルですし、2年生は来年のインターハイ前哨戦。1年生はインターハイでは戦えませんから、国体少年B種目が最大の目標になる。中学生は少年Bで高校1年生に引っ張られ、中学記録を出すことも多いのです。
 確かに成年種目は1県1名で、選手権と呼ぶにはメンバー的に苦しい種目もあります。少年Bは記録のレベルが低い。一般メディア的には扱いにくいかもしれません。国体を報道するのでなく、国体に出ているごく一握りのスター選手を報道するメディアが多いのも事実です。そんな状況でも専門誌出身者としては、国体独特の盛り上がりをなんとか伝えたい、という思いがあります。

 残念ながら今年は3日目で神戸を後にしましたが、その頃になると記者室の補助員の女子高校生たちも、入り口近くの一画に陣取っているのが陸マガ・グループとわかったようです。県西宮高出身の二枚目ライター中尾義理記者が人気でした(たぶん)。陸マガを買っていないようだったので、「立ち読みや回し読みではダメ。陸マガは買って読んでこそ強くなる」と言っておきました。冗談モードでしたが、半分は本気。理屈は簡単です。お金を払ってまで陸上競技に関心を持つということは、それだけ覚悟があるということです。伊東浩司監督も陸マガを買って熟読していました。
 という感じで、今年の国体取材は終了。


◆2006年10月11日(水)
 今日は原稿書きと明日の取材の準備で、取り立てて書くべき出来事はありませんでした。
 すみません、1つありました。夜のスポーツニュースの中で、北京マラソンに出場する櫛部静二選手が取り上げられていたことです。早大時代は成功もあったけど失敗もあった選手。エスビー食品時代は練習ではすごいタイムで走るのに、マラソン本番では失敗を繰り返していました。それが城西大コーチとなってからは、練習環境は悪くなったにもかかわらず、安定した成績を残すようになりました。コーチ就任時に現役をやめていたら、ここまで櫛部選手が評価されることはなかったでしょう。

 本当に人生、この道しかない、と決めつけることなどできません。早大で同期だった櫛部選手、花田勝彦選手、武井隆次選手の今日を、早大三羽烏と言われた彼らの入学時(1990年)に誰が予想できたでしょうか。3人とも早大からエスビー食品に進み、結果が出なかった櫛部選手が最も早く“外”に出ました(2000年に城西大コーチ)。唯一五輪選手&27分台ランナーに成長した花田選手が、3度目の五輪を逃した後、陸上界で全く実績のない上武大監督に04年に転進。インターネットの花田選手のサイトを見て、上武大の学生がメールを出したのがきっかけでした。そして今年、武井選手が瀬古利彦前監督の跡を継いで、エスビー食品監督に就任しました。
 高校時代のトラック、学生時代のトラックと駅伝、そしてエスビー食品入りしてからのトラック&マラソンと国際大会の実績。いつか3人が同じオリンピックに選手を送り込んだら、3人のストーリーが本になるかもしれません。でも、そのうちの1人くらい、メダルに絡まないと評価されないでしょうか。
 発売中の大学駅伝2006に、花田監督の記事が載っていて、3人の関係にも触れているので、ぜひ読んでみてください。

 国体出張中に発売となったため、なかなか実物を手にできなかった大学駅伝2006ですが、東京に戻ってさっそく読みました(全ページは読めませんが)。驚かされたのは、関東以外のチームを紹介していること。名鑑だけやるのかな、と思っていたら立命大や日本文理大の読み物もある。出雲と全日本の歴史も紹介しているし、生観戦用の現地ガイドまである。画期的な試みだと思います。
 寺田も今井&松岡対談、佐藤悠基選手、順大チームもの、日大チームもの、上野裕一郎選手と記事を書かせてもらっています。文章的にこう書いておけば、という反省はありますが、ネタ的にはまずまずだったのでは? 毎年12月に出される箱根駅伝展望の増刊号は、直前ということもあって箱根に絞った話になりますが、今回の増刊は時期的に箱根までは時間がある段階の取材でしたし、選手そのもの、チームそのものにスポットを当てた書き方が可能です。もちろん、選手やチームが“駅伝”を意識していれば、駅伝っぽい記事になります。
 今回の増刊の読者が箱根駅伝など“駅伝”を意識して購入するのはわかりますが、駅伝の理解度を深めてもらうためにも、駅伝を走っている“選手”を紹介したいと考えました。より、駅伝を面白く見るために。


◆2006年10月12日(木)
 “国体王子”こと成迫健児選手の快進撃が始まったのが2004年の埼玉国体。そのとき以来、2年ぶりに熊谷の陸上競技場に行きました。クレーマージャパン関連の仕事です。
 具体的な内容については書けませんが、気づいたことが1つあります。それは、同社が大らかで、ウィットに富んだ社風なこと。佐藤政弘取締役統括部長(バスケットボールでインターハイ優勝)と、吉田謙介課長(100 m10秒7台)の会話は、横で聞いているだけでおかしくて、笑い転げてしまいました(実際に転んではいませんが)。佐藤部長の投げかける言葉に対して、吉田課長の“切り返し”が最高なのです。菅原新選手まで加わることがある。取材の後で気が付きました。“切り返し”は同社が提唱するSAQトレーニングのうち、アジリティの重要な要素だったのです(こちらがSAQトレーニングの解説。寺田も吉田課長の話を記事にさせていただきました)。
 冗談はさておき、上司と部下がここまで言い合えるのは、やるべきところはやっていると、お互いに感じているからでしょう。認め合っている、ということ。そうなると下からも色々と提案がしやすいし、上からは変な遠慮がなく指示ができる。同社が躍進している要因かもしれません。

 別の用事もあって新宿の作業部屋に戻ったのは20時過ぎ。鯉川なつえ監督のサイトに、「駅伝の役割」というタイトルのコラムが掲載されていました。業界に10年以上もいる我々にとっては当たり前のことですが、やっぱり、ことあるごとに言わないといけない部分なのでしょう。駅伝自体は立派な存在意義があると思います。問題があるとしたら、その利用の仕方を人間が間違ったとき。過剰になったら、過熱しすぎたら、なんでもよくありません。
 スポーツの強化でもそう。子供の頃に色々な遊びを通じて、動きの感覚をたくさん身につけることは、将来必ず役立つこと(SAQトレーニングにも遊びの要素が盛り込まれています。今日、ラダーやアジリティディスクをやって、再認識しました)。これに疑問を持つ関係者はいないと思います。しかし、だからといって子供が1日10時間とか遊び続けて、疲れ切ったらどうでしょう。ケガもしてしまうし、その他にやるべきことがおろそかになってしまいます。
 駅伝も見ていて面白い、ゲーム的な要素が多いという点で、過熱しやすいのかもしれません。その点、大学駅伝2006で取材した佐藤悠基選手や上野裕一郎選手など、しっかりと将来を見据えた上で、駅伝を位置づけていると感じました。土橋啓太選手の徹底ぶりもすごいですよ。いつか記事にできるかもしれません。


◆2006年10月13日(金)
 今日は原稿書きと、今月から来月にかけてのスケジュール整理など。日曜日の新潟ビッグ陸上フェスタの取材に行くことも決定しました。行けそうにない、と大野実行委員長にはメールで伝えてあったので、電話で「行きまーす」とアムロばりに宣言しました。
 為末大選手は故障で欠場しますが、好調の久保倉里美選手、石野真美選手、土屋光選手、それに国体に出られなかった小島茂之選手らが楽しみ。男子円盤投の畑山vs.小林対決もちょっと久しぶりなので注目です。小林選手は地元出身。地元といえば国体少年Aで優勝した女子400 mの渡辺なつみ選手が、川本門下6選手に割って入れるかどうかにも、注目が集まりそう。女子4×100 mRにはアジア大会代表が出場。コンディションが良ければ、ひょっとするとひょっとするかも。
 帰宅する際、新宿駅で新潟往きの切符を購入。

 自宅に戻ると陸マガ11月号が届いていました。表紙は小林祐梨子選手。国体が印刷されて雑誌になっていると、速いな、という感じ。専門誌関係者が頑張ったからでしょう。
 その国体で1つ気になったことがありました。走高跳や棒高跳でレベルが高い選手が、長時間フィールドで待たされたこと。沢野大地選手は5時間、青山幸選手は3時間待たされたようです。規則で試合場を離れられないのですが、これだけ待たされたらコンディションをベストに保てません。誰が見ても記録を出しにくくしている。記者たちの間でも、なんとかならないのか、という声が挙がっていました。
 手っ取り早い解決策は、予選を行って人数を12人くらいに絞ること。競技運営的に予選を増やすのが難しいなら、やっぱり規則を……と思って陸上競技ルールブックを見ると、現行の規則でも試合場所を離れてもいいことになっていました(第180条Q「競技中の離脱」)。ただし、審判が同行すること、という条件付き。3時間も4時間もサブトラックやテントに審判が付き添うというのは、ちょっと現実的ではありません。

 ルールブックというのは法律と一緒で、記載されている文面だけでは本当の狙いがわかりにくいこともあります。一見不便だな、と思える規則でも話を聞いてみると、そういう意図だったのか、と納得できることがある。反対に、ルールが成立した時代には必要なことでも、現在だったら不必要になっていることもあります。このあたりも法律と同様です。問題の規則についても、まずはその辺を明らかにする必要はあるでしょう。もしも、このルールの意図を正確にご存じの方はお知らせください。紹介できることもあるかもしれません。
 寺田が思いついた理由は1つ。試合会場を(条件付きでしか)離れられないのは、その場にいないと他の選手がパスをしたときに対応できない、ということくらい。仮にある選手が2m15までパスをすると言って会場を離れたとき、他の選手がみんな一斉に2m15までパスをしたら、会場を離れた選手は棄権扱いになって負けてしまいます。
 ただ、これも明らかに現実離れしています。非現実的なことでも万が一に備え、ある意味完璧なルールを作るのか、若干の不備があっても選手が競技をしやすいルールを作るのか。制定者の陸上競技に対する考え方が表れる部分です。


◆2006年10月14日(土)
 今日は明日の取材準備と、年末に向けての仕事の調整(といっても気持ちの整理といった方が正しい)、そして経理帳簿の整理、それから原稿書き。ここで紹介して面白い行動もなかったので、たまには他の人たちのブログやサイトに書かれていることに言及しましょう。

 まずは室伏由佳選手のブログ。最近、立ち上げられました。ハニカット陽子選手のブログにならったのか、あまり陸上競技の話題を中心としない方針のようです。とはいっても、日常を綴っていても陸上競技の話題は自然と出てきてしまうでしょう。
 群馬リレーカーニバルで同選手が「100 mに出る」と言ったときの寺田のリアクションが紹介されています。「ものすごい勢いでメモを取り始めた」と。あれは、わざとですね。ここはリアクションを大きくするところだ、と瞬間的に反応しました。オーバーリアクションで有名なE本編集者(某専門誌)から教わったテクニックです。

 次に野村智宏選手(ノムさんの身近!)。寺田がリンクしたときの同選手のリアクション(サイト上の)が、寺田のサイトでリンクしているのは「日本記録保持者やオリンピック選手なかり。自分なんかでいいのか」といったニュアンスの書き込みでした。あなたもオリンピック選手でしょう、と突っ込みたくなりました。オリンピックに出たから、ここまで頑張れているのでは?(これは勝手な推測)
 寺田が毎日、いくつのサイトをチェックしているのか、という疑問も呈してくれています(単にヒマ人ではないか、という指摘か)。チェックしているのは、最近活躍している選手や、その選手の所属するチーム・研究室のサイト……というのが基本かもしれませんが、実はかなりいい加減。そのときの気分ですね。サイトチェックの法則とか、まったくありません。寺田の鉄則とかいう受験産業商品が昔、あったような気はしますが。

 最後に向井裕紀弘選手。国体で優勝した後に寺田が取材に来なかったことに気づいてくれるとは、記者冥利に尽きます(国体4日目は岐阜県で中部実業団選手権を取材)。今日、録画してあった国体のテレビ中継も見ました。スタート地点でテレビカメラが来たとき、向井選手は胸の「ぎふ」の文字を誇らしげにアピール。カッコ良すぎました。そしてラストの直線は本当に強かった。控えに甘んじたアテネ五輪など、これまでの苦労が実ってきたのでしょう。一朝一夕で強くなるわけではありません。
 中部実業団選手権の会場でも向井選手の優勝が、藤原潤選手や村川洋平選手、荒井謙選手たちの間で話題になっていました。前日の準決勝を生で見ていたT記者が、「最後の流し方がすごかった。顎のラインに余裕が感じられた」と報告していたように記憶しています。
 それにしても同選手は日記で、自分の走りや陸上界について冷静に分析する一方、カフェ論も展開する。そのギャップが魅力です。国体のあとも、そうでした。当たり前のようにタリーズの話が出てくる。タリーズなら全国どこでも、メニューを見ないでオーダーできるからストレスがかからないと。要するに、世界中どこに行っても、自分のホームグラウンドのような心境で走ったら力を発揮できる、と言いたいのかも。かなり勝手なこじつけです。

 夜は、小林祐梨子選手の記録がどこかのサイトに出ないか、かなり注意をしていました。これは目的を持ってサイトを見たケースです。エコパの静岡県長距離記録会3000mで、自身の高校記録(8分52秒33)、福士加代子選手の持つジュニア日本記録(8分52秒3=手動)、あわよくば福士選手の日本記録(8分44秒40)も狙う予定だと、国体のときに聞いていたからです。
 結果は8分52秒77。最初はISHIRO Flash にN氏(ATFSのN氏なので信用できます)が書き込んでくれて、さらには静岡陸協のサイトでも正式記録が出ました。本当に惜しいところでチャンスを逃してしまいました。どんなレース展開だったのでしょうか。スーパー陸上のときのように、結果的なイーブンペースだったのではないでしょうか。これはどこかで、情報を仕入れないと。


◆2006年10月15日(日)
 新潟ビッグ陸上フェスタ取材のため、10:12東京発の新幹線に乗りました。同じ車両にはおばさんたちの集団(4〜5人)。上野でも4〜5人が合流しましたが、荷物を棚に置いたりするよりも先におしゃべりが始まるのです。通路に立ったまま。寺田のすぐ脇で20歳代のサラリーマン風のお兄ちゃんが、何分も通路で待っているわけです。おばさん軍団に、代わりに声を掛けようかと思ったくらい。
 競技場でもよく見られますね。インターハイや国体など、全国から多くの人が集まります。同じ大学出身者が、何年かぶりに再会することも多い。通路を歩いていると「おーい、○○」と声がかかる。掛けられた方は声の方向を見て「おおっ、△△じゃないか」と、話が始まります。これが、席の埋まり具合にもよりますが、他の観客の視界をふさいでいることが多いのです。迫力あるおじさん(あるいは昔の有名選手)というケースも多くて、周囲も文句を言えない。
 声を掛けられた方は、一気に“旧交温めモード”になってしまうので難しいのですが、日頃から注意して、声を掛けられても立ち止まらない習慣を付けておくしかありません。

 新潟ビッグ陸上フェスタですが、初っ端の女子4×100 mRから好記録。アジア大会日本代表が、44秒10のパフォーマンス日本歴代2位タイをマークしました。高校生バトンパスを撮ろうと第3コーナーと第4コーナーの間でカメラマンをしていたのですが、グラウンドレベルにいるとレースの把握がしにくくなります。1・2走が他のチームの選手とかぶってしまい、2・3走は正面から、3・4走は後方から見るアングルでバトンパスの巧拙がわかりませんでした。その辺はあとで、選手やコーチに確認するしかありません。
 やっぱり、トラック種目の観戦はスタンドからがいいですね。フィールド種目など、逆にグラウンドレベルにいた方が間近で見られていいのですが。会場のビッグスワンはスタンドに行くのがちょっと遠くて不便ですが、サブトラックとの動線は、これまで見たスタジアムの中で最高です。4コーナー外側のスタンド下を50mくらい行って、外側に30mくらい歩くとサブトラックです。移動距離も短いし、雨にも濡れない。これは見習って欲しいレイアウトでした。
 記事は高校生コンビではなく、北風沙織選手の1走にスポットを当てた書き方に。高校生コンビは他のメディアでも取り上げられるでしょう、というのは方便で、コメント取り取材に出遅れたから(でも、北風選手の1走には注目していました)。4人の写真撮影には間に合いました、というか埼玉栄高・清田先生から頼まれて撮ったのですが。

 他に記録的に目立ったのは、まずは女子400 mの渡辺なつみ選手。54秒06の今季高校最高、新潟県高校新記録で4位に。100 mHの石野真美選手も向かい風0.5mで13秒29ですから強いですね。2位とも大差をつけていました。フィールドでは走高跳の土屋光選手が2m20に成功して、2m27の世界選手権B標準に挑戦しました。2m27の試技は別の取材と重なって見られませんでしたが、惜しい跳躍もあったとか。
 ただ、時間が経つと徐々に気温が下がりましたし、ホームストレートが向かい風だったこともあって、記録は全般的にいまひとつ。男子100 mの小島茂之選手も、「アジア大会代表として負けられなかったが、ケガをしないようにという点にも気をつかった。前半のポイントだけ押さえて、あとは力を入れないようにした。そういった中で10秒5台は特別悪くはありません」と話していました。
 奥さんの小島初佳選手が国体で大活躍(成年100 m優勝、4×100 mRでも4走で大逆転)したばかりですから、話題はそちらに行きがち。これまで奥さんだけが出る試合が少なく、タイムテーブル的にも女子100 m・男子100 mの順となっている大会が多いため、あまり彼女のレースを見る機会がなかったのだそうです。「やっぱり見ると緊張しますね。ドキドキしました」と言います。女子選手と結婚しようとしている男性にとって、参考になる話なので紹介しました。
 その小島選手が取材中、他種目でいい結果が出ていないか記者たちに質問してきたので、寺田がこの種目はこのくらいの記録で、と話していきました。47秒0台とか、53m台とか、だいたい覚えています。「一番良かったのは女子4×100 mRの日本歴代2位で…」と話していて、はたと気がつきました。日本記録は小島初佳選手が走っていましたから、今日の44秒10は小島初佳選手が走っていない日本最高記録です。そう冗談のつもりで小島選手にも話しましたが、その後集計号を見てビックリ。44秒50までの記録は全て小島初佳選手が走っているのです。全部で16パフォーマンス。
 以前は男子の4×400 mRで上位の記録が全て、高野進選手が走ったパフォーマンスでした。93〜95年頃、陸マガで“高野不在の最高記録”と見出しにしたことがありましたっけ。それと同じで、小島初佳選手の偉大さがわかるデータです。今日一番のニュースでした。


◆2006年10月16日(月)
 昨日の日記で渡辺なつみ選手(長岡高)の54秒06(4位)を新潟県新記録と書いてしまいました。危ないですね。正しくは新潟県高校新。クレームが来る前に直しました。新潟県記録はもちろん久保倉里美選手。地元の三つ星スターです。昨日も人気はすごかったですね。おそらくナンバーワンだったと思います。サインを求める列がなかなか途切れませんし、スタンドから掛かる声も一番多かったでしょう。
 新潟のアルビレックス人気も手伝っていると思いますが、地元の試合への出場や色々なイベントへの出演、陸上競技教室などを積極的に展開しているからだと思われます。新潟アルビレックスRCの大野公彦氏はマネジメントが主な仕事ですが、その辺のプロモートはきっちりやっているようです。同氏は若いながら今大会の事務局長。スポンサーを多数集め、地元財界とも提携してスタジアム外ではフリーマーケットを開催しています。その結果が総来場者数9000人と、集客に成功した大会にしていると思います。

 そういった大会で久保倉選手が自己2番目の記録で走り、渡辺なつみ選手が今季高校最高&新潟県高校新で走ったことは、価値があったと思います。大会前は、直前の国体で優勝した渡辺選手が、シニアのレースで力を発揮できるかどうかが注目点でした。吉田真希子選手、竹内昌子選手、久保倉選手、木田真有選手、丹野麻美選手(以上5選手がアジア大会代表)、青木沙弥佳選手の川本監督門下生たちが相手。前半のペースが高校生とは違います。そういったシニアレースとの違いを、どう考えていたのか。渡辺選手は次のようにレース後に話してくれました。
「これが高校最後のレースだったので、順位とか気にせず思い切り走りました。記録も出したかったですけど、それよりも強い人たちと走れるチャンスを大事にしたかった。できる限りの力を出そうと思っていました。周りは速い人ばかり。後半歩いてもいいから、前半から頑張って付いて行こうと決めていました。(前半は)国体より全然速かったです。コーナーを出てかなりきつかったのですが、最後は根性で頑張りました。でも、ここまでタイムが出たのなら、53秒台を出したかったです」

 渡辺選手を指導するのは長岡高の志田哲也先生。7m95がベストの元走幅跳選手で、学生時代に岐阜の日下部先生と一緒に取材をさせてもらったことがあります。WEBサイトも持っていて、技術論のコーナーもある本格派サイトですが、日記には昨日の渡辺選手の走りや国体の話題も記されています。
 実は国体の4日目に藤川健司選手が7m91を跳び、志田先生の筑波大記録を1cm更新しました。そのとき、「志田先生は記録を破られたけど、同じ日に教え子の渡辺選手が記録を出した(54秒08で、そのときも今季高校最高&新潟県高校新)」と書こうと思っていたのです。渡辺選手が全国で戦える素材といち早く見抜き、ここまで導いてきました。新潟には指導者も育っています。


◆2006年10月17日(火)
 アジア大会の取材に行くことを決断しました。と書くと、今まで決めていなかったのかよ、と言われそう。仕事の話もしているのですから、行くつもりではいました。
 では、なんで今頃の決断なのか。要するに、経費が不必要にかかるのです。大会組織委員会が宿泊申し込みは最低16泊しないと受け付けない、という前代未聞の制限を設けています。寺田など陸上競技だけの取材ですから、6泊でいい。新聞社・通信社など、いくつもの競技を掛け持ちするケースは問題ないのですが、雑誌を中心とした各社(雑協なども)が猛反発。しかし、どうにもなりません。
 だったらと、組織委員会を通さずにホテルを予約しようとしたら、1泊5万8000円とかいうところしかない。現地の商社などに問い合わせても見つかりません。地元が官民結託して便乗商法をしているのです。こんな都市がオリンピック立候補都市候補とは!
 要するに10〜20万円は余分な出費を強いられる。仕事の量は世界選手権に比べれば少ない。はっきり言えば赤字です。年商に対する割合で言ったら、個人メディアが最も被害を被ります。今回はやめようかな、という気持ちに傾きかけていました。7月にヨーロッパ取材も行ったことですし、福岡国際マラソンと全日本実業団対抗女子駅伝の間の強行日程のため、体力的にも厳しくなりそうですし。

 でも、なんといってもトラック&フィールドでは今季最大のイベントです。それに過去ヨーロッパもアメリカもオーストラリアも中国も行きましたが、イスラム圏には一度も行ったことがない。本音は行きたくて仕方がないのです。決断を後押ししてくれたのが、一番は陸マガ高橋次長の頑張り。具体的には書けませんが、色々と骨を折ってくれたのです。最後の一押しは、新潟ビッグ陸上フェスタ取材時に某選手が言ってくれた「陸上競技の面白さを伝えないと」というひと言。そう言ってもらえると嬉しいですから、気持ちに勢いがつきました(それがなくても行くことにしたと思いますが)。
 アジア大会とは関係ありませんが、言われて嬉しいと最近感じるようになった言葉に「マニア」があります。以前はマニアなんかじゃないよ、仕事としてやっているんだよ、と少し反発もしていました。実際、上述のアジア大会経費のことのように、お金のことばかり考えています。それに対してマニアという言葉には、“損得抜きに好きでやっている”というニュアンスがある。純粋だと見られているのなら、嬉しい限りです。

 ということで、アジア陸連のサイトを見てみました。以前はコンテンツが少なくて見ても得るものはないかな、という感じでしたが、知らない間に充実していました。アジア記録のページもあって、それを見ると棒高跳のアジア記録は5m90になっています。5m92説もありましたが、これで5m90で決定ですよね。って、誰に念押しをしているのでしょう。


◆2006年10月18日(水)
 今日は千葉県富津(ふっつ)に行きました。富津は三井住友海上もレース直前の合宿に使っていますし、日大もよく使っています。以前から取材中に頻繁に名前が出てくる場所でしたから、やっと行くことができたという感じ。足を運べたのは陸上競技場とその周辺、コニカミノルタと中央学院大が宿泊していた横田屋旅館。高原の合宿地とは違って風光明媚というわけではありませんが、東京から特急で1時間強と近いのが最大の利点でしょうか。アップダウンのあるコースもとれて、車も少なくて合宿地としては適しているのだと思います。今日は行けなかった富津公園などロードコースやシーサイドコースは、もしかすると景観的にも良いのかもしれません。
 富津に行ったのは発売中の陸マガ11月号に掲載されている「コニカミノルタ世界への挑戦」(前編)の後編分を取材するため。1回目は酒井勝充監督の指導者像というか、指導方針を中心に紹介しました。ちょうど1年くらい前に、中国電力の特集を陸マガでやりましたが、それと併せて読むと面白さが倍増するはずです。

 中国電力・坂口泰監督の今日を形作ったのは、早大〜エスビー食品時代の故・中村清監督の影響が大きかったのですが、それをどう、今の時代に応用しているのかがわからなかった。選手への接し方など、師とは対照的に見えたのです。その疑問が出発点でした。
 対する酒井勝充監督は、我々を含めた外部の人間は誰しも感じるのですが、ものすごいジェントルマン。優しそうな人だなぁ、なんて思っていました。この人がどうやって選手たちをまとめているのだろう、どうやって会社と折衝しているのだろう、と不思議に感じていたものです。それが取材しているうちに徐々に、この人は優しいだけじゃない、と感じたのが出発点です。中国電力の特集をやった後にすぐ、次はコニカミノルタだなと思って、その頃から佐藤敏信コーチなどに事前取材をして準備をしてきました。酒井監督の厳しい面というか、芯の強さも徐々にわかってきて、今回の記事となったのです。
 反響はどうなのでしょうか。

 中国電力との共通点、相違点も少しは理解できました。“選手に何をやりたいのか考えさせる”“自分で目標を持たせる”という部分は驚くほど似ています。選手が自分から走りたいと思わない限り、厳しい練習をこなしていけないのです。
 もう1つはチームの形成過程が指導方針と、成長に影響している点。中国電力は最初、練習時間がフルタイム勤務後、選手も同好会出身選手を含んだ状態からのスタートでした。コニカミノルタも酒井監督の入社当時はフルタイム勤務。そして監督に就任したのと同時にバブル崩壊で存続の危機に直面しました。会社の理解を得るための目標設定や、そのための活動が今日につながっています。
 対照的なのは、中国電力・坂口泰監督がコーチを置かなかったのに対し、酒井監督が佐藤・大島両コーチに任せている部分が多いこと。酒井監督の考え方は記事に出ていますが、坂口監督がどう考えているのかは、もう少し時間が経ってから紹介した方がいいでしょう(と、含みを持たせる)。

 今日の取材は写真撮影と選手8人、佐藤コーチへのインタビューが中心。11月号の記事を選手サイドから見て発展させる部分もありますし、具体的なトレーニングの話題もあります。そして、“世界に”というテーマを、選手たちがどう考え実践していこうとしているか。そういったところを記事にまとめたいと思っています。


◆2006年10月19日(木)
 今日は終日、作業部屋で仕事。原稿以外の仕事が多く、なかなか執筆にかかれません。昼食後にマクドナルドに寄って、気分を変えて原稿にかかることに。100円の野菜ジュースで2時間は居座れます(誰が決めたのだろう?)。最初の30分くらいはリラックスした方が良いだろう、と読書。30分経って仕事モードに切り換え、まずは取材ノートの読み直し。さあ原稿にかかるぞ、と思ってパソコンを出そうとしたら隣に高校生5〜6人の集団が来てしまいました。ワイワイガヤガヤ。とても集中できませんの利休。
 これはまあ、仕方ありません。マクドナルドは原稿を書く場所というわけでもありませんし。
 しかし、マクドナルドの高校生は許せても、陸上競技場のスタンドで、通路や最前列に立つ高校生は許せません。あっ、これは高校生だけの話ではありませんけど(10月15日の日記参照)。

 関西在住の方からメールをいただきました。陸上競技が好きで、日本選手権やグランプリなどのトップレベルの大会だけでなく、地区実業団やインカレ、高校生の府県レベルの大会まで個人的に観戦に行く方です。次のようなことがあるようです。
●表彰のときにホームストレート中央付近に集団で立つ(人気選手のときに多い。トラック種目は表彰の際に行われていなくても、フィールド種目は行われています)。
●最前列で観戦している人間がいるのに、その前に平気で立って集団応援をする大学生(関東の超強豪)。
●有名選手からサインや花束をもらうため、スタンド最前列の通路にたむろしてなかなか動かない中学・高校生。
 寺田も1つ加えましょう。
●ビデオ撮影をするためなら、通路や客席に立っていいと思っている学生マネジャー。

 夢中になってしまうのでしょうね。憧れの選手が目の前にいると。集団応援の学生もそう。同じグラウンドで一緒に頑張っている仲間に、少しでも力になりたいという一心で、周りが見えなくなる。あるいは、先輩から言われた場所で応援をしないと怒られるのかもしれません。ビデオ撮影も論文か何かで、必要に迫られていると想像できます。
 でも、それと社会常識とは別のこと。メールの方も、仲間の応援のためなら場所を譲ってもいいと思えるのに、ひと言も断りなく、自分たちがそこで応援するのが当たり前だという態度な点が許せない、と言っています。集団応援の場所って、スタンドの中段より上とかって、決められていますよね。
 学生の判断力では無理なのかもしれません。大学の陸上競技部員ともなればどの部員も、高校まではグラウンドでそれなりに充実感を感じた人間ばかり。スタンドにいる一般観客の気持ちにはなれません。その点、現役を引退して何年も経つ指導者なら、少しは客席にいる人間の視線もイメージできるはず。指導者がきちんと言うべきケースかもしれません。なんでもかんでも「学生は大人だから」というのは大きな間違い。
 メールの方の指摘によれば、兵庫県の高校生はそのへんの指導がきっちりされているようで、スタンドで他人の視界を遮る行動はしないのだそうです。試合中にアナウンスで指導しているのか、各高校の先生たちに指導するよう、陸協全体で取り組んでいるのか。いずれにせよ、やればできることなのです。
 とにかく、スタンド立ち止まったら、周りの人の視界を遮っていないのかを確認する。そういう習慣をつけることが大事だと思います。誰かを呼び止める側も気をつける。と、たまには説教くさく書いてみました。絶対に間違ったことではないですからね。


◆2006年10月20日(金)
 11:30から自宅近くのクリニックで定期健診。血をたくさんとられました(十分に生きていける範囲で)。量はわかりませんが、放射線も浴びました(これも100%生きていける範囲で)。その後は自宅で原稿書き。国体で取材した400 mHの杉町マハウ選手のことを記事にしましたが、ちょっと調べないといけないこともあって、掲載はもう少し先になりそうです。
 夕方になってから都心に移動。18時から毎日新聞社で実業団駅伝公式ガイドの打ち合わせがありました。今年も男女とも発行されます。寺田も数ページずつ、お手伝いをさせていただくことに。
 例年のことですが、大変なのは日程の部分。女子は地区予選が終わってすぐの締め切り。東京国際女子マラソンの結果を誌面展開に反映させられません。男子も同様で、福岡国際マラソンの結果を反映させられない。当然、アジア大会はもっと無理。
 そういった大会の結果や、選手の今季の戦績、来年の世界選手権への期待度など、本当に色々な要素を考慮しないといけません。今さらながら、本づくりって大変だな、と実感しました。そういう立場にいられることが、幸せなのかもしれませんけれど。


◆2006年10月21日(土)
 今日は神戸女子長距離の1万mに野口みずき選手が出場。関西方面からお誘いもありましたし、明日の田島記念(山口)が土江選手のラストスプリントなので、セットで取材に行きたかったのです。でも、お約束の“予算の都合”で泣く泣くあきらめました。個人事業主は“自由な判断”をしやすい立場ではありますが、“自由に使えるお金”は少ないのです。
 野口選手の結果は、関西の知り合いの方が携帯メールで知らせてくれて、すぐに知ることができました。夜のスポーツ・ニュースでも映像を見ることができました。32分31秒44は微妙なタイムです。野口陣営ももう少し、走れると思っていたようです。
 ただ、3000m付近からもう単独走となってしまったこと、風がそこそこ強かったことを考える必要もあります。このへんは、テレビや新聞が限られた時間とスペースでは伝えきれないところですね。

 神戸で思い出しましたが、先週の土曜日には小林祐梨子選手が、寺田の出身地である静岡県袋井市(エコパ)で、3000mのジュニア日本記録(8分52秒3)に挑戦しました。8分52秒77と、本当にあとちょっとという惜しい記録。どんなレース展開だったのかを知りたかったのですが、静岡県で審判員をしているりかねんさん(理科年表を覚えるのが得意だったことに由来する命名だそうです)という方が教えてくれました。どうやらペースがちょっと、落ちてしまった地点があったようです。これは某編集者からの報告とも合致します。詳しくはりかねん氏のブログをご覧ください。それを読むと、現場はかなり盛り上がったようです。
 小林選手の次のレースは兵庫県高校駅伝。何区になるのかはわかりませんが、すごい記録で走ってしまうかもしれません。それにしても、この前まで中学生だった小林選手がもう18歳――大人になってもらいたくない選手なのですが。
 とか書くとわけがわからないのですが、変な駆け引きや、勝負に偏重する走りをしてほしくないという意味です。野口選手のように、自分のリズムでどんどん走る選手になってくれたら、という個人的な願望です。


◆2006年10月22日(日)
 小田急ロマンスカーで一路、箱根へ。新宿からだと40分ほど速くなりますし、シートも2人掛けタイプなので原稿が書けて快適……のはずが、禁煙席が満席で喫煙席で行く羽目に。今日に限れば、不快適でした。それに今日は、箱根(湯元)までは行かずに小田原で下車。小田原駅を降りると北条早雲像が迎えてくれますが、目的は観光ではもちろんなくて、実業団・学生対抗の取材です。城山陸上競技へはタクシーで。初乗り料金の距離ですが、急勾配の坂を上るので往きはタクシー、復路は徒歩というのが小田原取材の定番行動になっています。
 会場に行くと朝日新聞・堀川記者に久しぶりに会いました。スーパー陸上あたりから姿を見かけなかったので心配していたのです。聞けば、アジア大会の下見のためドーハに行き、周辺のアラブ各国にも取材の足を伸ばしたとか。さすが、朝日新聞は違います。マンスールにもインタビューをしたとのこと。マンスールってご存じですよね。道路によくある丸い鉄板の蓋……はマンホール(このボケを書くことになるとは)。マンスールはですね、94年広島アジア大会の短距離2冠だったカタールの選手。黒人です。
 あのときは、日本人がこの選手に勝つのはちょっとやそっとでは無理だろう、と思ったものです。そのくらいに強かった。その頃の日本のレベルは200 mが20秒台後半でした。それがその後の4年間で、伊東浩司選手がマンスール選手を上回るレベルに成長しました。伊東選手の功績は、本当に大きかったと思います。

 話を堀川記者に戻すと、彼は神奈川県の出身。高校時代は城山競技場まで歩いていましたが、今日久しぶりに歩いてみると、かなりしんどかったと言います。堀川記者の年齢ですか? アジア大会4冠の磯崎公美さんと同学年です。しかも、同じ神奈川県。憧れの存在だったといいます。
 城山競技場の思い出は、救急車で運ばれたことがあると言います。県高校駅伝の予選会が記録会形式で行われ、ものすごい人数でスタートしたためスパイクされたのだそうです。その点、今日の実学は1種目6名の出場のため、その心配はありません。だいたい今日、長距離種目はありませんでした。
 12:20から始まって14:40には最終のトラック種目が行われるスケジュール。竹内昌子選手(秋田ゼロックス)はその間に3種目に出場。12:20に400 m、13:05にオープン200 m、14:30にスウェーデンリレーの3走(300 m)でした。200 mが間にあったのがよかったかもしれません。200 m・300 m・400 mの順だったら最後の400 mが厳しい。逆の順番では、200 mのスピードが出しにくいでしょう。
 ということで、長距離種目がなかった今大会で、一番長い距離を走った選手……かと思ったら、800 m優勝の岸川朱里選手(日体大)が400 mも走っていました(4位)。長距離は駅伝があるので、この時期の実学で行う必要もないのですが、長距離をやってくれるとその間に取材ができるのです。え? 長距離は見ないのかって? それはケースバイケース。選手のレベル次第では、見ないときもあります。極力、ラストの1000mくらいは見るようにしますけど。
 実際、今日も詰めたスケジュールなので、フィールド種目はなかなか見られません。奥村ライターが以前言ったように、有力選手が試技を行うときは、ちょこっと名前だけでもアナウンスしてもらえると助かるのですが。「走高跳は青山さん」とか。

 今日の取材はそこそこバランス良くできた気がします。トラック種目は全て見ることができ、その間に10人前後のコメントを聞けたと思います。
 最初に取材をしたのが男子400 m優勝の板橋慎治選手(西濃運輸)。国体少年A400 m優勝者で法大OB。話を聞いて大きな誤解をしていたことを知りました。板橋選手はてっきり、向井裕紀弘選手たちと同じで、西濃運輸に入社してから陸上競技部が廃部になったと思っていました。そうではないのですね。廃部になってから、最初からフルタイム勤務の契約で入社したのです。それ以前に、同社の経営する派遣会社に勤務していたといいます。入社後、46秒台はまだありませんが、今年はちょっとずつ良くなってきていました。それだけの覚悟があってのことだったのです。なるほど、と思いました。
 選手の動線が比較的決まっていたので、選手をつかまえやすかったので、取材効率は良かったと思います。最初の大会新が女子ハンマー投の綾真澄選手。その綾選手の取材中に、女子100 mで自己新を出した渡辺真弓選手(ハワイにいらっしゃるナチュリル幹社長も喜んでいることでしょう)が通りかかったので、ちょっと待ってもらう、といったことができたのです。
 今日の白眉は石野真美選手の13秒08。この種目はこれで、世界選手権B標準突破が池田久美子選手と2人になりました。同選手がわかりやすく話してくれたので、ちょっとだけ順番を入れ替えたり、言葉を捕捉するだけで、ほぼそのまま書き出して記事にできました
 男子800 m優勝の口野武史選手も、クレバーな選手という印象も受けました。石井隆士先生の名前を出すときにも、いきなり名前を出さずに自分との関係がわかるように話します。下平芳弘&横田真人の学生2強の話をするときも、特徴を話したうえで、だからどうだ、というコメントの仕方をしてくれます。選手では珍しいタイプかもしれません。
 放っておくとどんどん書き続けてしまうので、この辺で終わりにしておきます。


◆2006年10月23日(月)
 朝、テレビを見ていてビックリ。内藤真人選手が「オッハー」と言いながらスタジオに入ってきました。出演するのは知っていたのですが、まさか「オッハー」とは。国際グランプリ大阪で、金丸ダンスを2度見せられた為末大選手の心境とでもいえるかもしれません。オッハーにはビックリさせられましたが(オッハーについてはこのあたりを見てください)、その後のスタジオでの様子とVTRを見ていて、内藤選手こそ日本陸上界の発展に必要不可欠の存在ではないかと感じました。
 スタジオではハードルの高さをわかりやすく見せつつも、いつものほのぼのキャラで、子供の頃は不器用な選手だったことや、なかなか1番になれなかったことなどを話したりしていました。それに反してVTRはスピードを強調した映像が多くて、すごいな、と思わせる。対照的な点がよかったと思います。

 重要なのやはり、内藤選手のあのキャラだと思います。
 見ても話してもカッコイイ選手、すごみを感じさせる選手、理路整然と技術論を語る選手。そういった選手も、子供たちが憧れる存在として絶対に必要です。「こんな選手になりたい」と思える存在です。でも、子供たちも1つの考え方ばかりではありません。「格好いいけど、この人だからできるんだよな」と別格視してしまう子供もいるでしょう。
 それが、内藤選手のような親近感の持てるキャラで説明されると、後者のタイプの子供も、自分もやってみようと思えるのでは? 最後に、ハードルも走ることも速くなるドリルをスタジオで実演していましたが、「これをやってみよう」と思った子供もいたと思います。

 今日は終日、自宅で仕事。陸マガ高橋次長からの仕事を、必死で進めました。最低限の進行速度はキープしています。それとは別に、来月半ばが締め切りの単行本の仕事(著書ではありません)もあって、しばらくは集中モード。その間に実業団駅伝関係の原稿もたくさんあります。淡路島と伊勢にも行きます。頑張らないとう。


◆2006年10月24日(火)
 たまには時事ネタで書きましょう。
 まずは携帯電話。「携帯電話番号ポータビリティ(MNP)」が今日から解禁になりました。どうでもいい、と思っているのが携帯電話を持たない主義の野口純正氏ですが、仕事をしている人間の95%には身近なニュースです。
 寺田はソフトバンクを、Jフォン時代からもう8年近く使っています。8年前にドコモから変更した理由は、当時は音質がドコモより良かったことと、唯一ファミリー割引(2つめの回線の基本料が半額)があったから。今はどこの会社でもあるサービスなので、変更してもいいわけです。しかし、長期契約をしていると割引率が大きくなっているので、変えるメリットは特にありません。それにソフトバンクは200円、他社の同タイプ料金体系より安くなるみたいですし。
 と思っていたら、ソフトバンクだけ他社携帯にかけるときの通話料が高いと、ニュースで言っていました。最近、出張先で電話インタビューをする機会が多いのです。同じ携帯電話会社同士の通話料が安いのなら、多数派のドコモに属していれば一番安心できる。でも、個人的には多数派って面白くないのです。どないしよう。

 ソフトバンクの他社との違いは、そのまま海外で使える第三世代を、他社に先駆けて強化したこと。そういう理由で、ソフトバンクにしている陸上選手もいます。国内ではドコモを使い、海外だけ使用するためにソフトバンクを持っている指導者もいました。でも、世間全体のシェアより多いかどうかは不明(今では他社もやっているようです)。
 いずれにせよ、携帯会社をしょっちゅう変えている選手が同じ番号を続けてくれるようになれば、連絡を取る必要がある我々にとってはいいことです。仕事を考えたら、プラス要素の強い出来事だと思います。京セラとか富士通、パナソニックや日立などが、実業団チームでも携帯電話を製造している企業です。これらの企業の売り上げは上がっているかも。

 次はチェーン店カフェの話題が2つ。
 タリーズが伊藤園傘下になりました。特に、消費者に何か変化が及ぶわけではないので、タリーズに足繁く通っている向井裕紀弘選手にも影響はないでしょう。
 もう1つは消費者にも影響があります。スターバックスが日本初出店以来11年目にして、初の値上げ(20〜40円)。これは、スタバ大好き女子大生の丹野麻美選手には痛いニュースです。えっ、福島市にスタバはないので関係ない?


◆2006年10月25日(水)
 土江寛裕選手のサイトに続き富士通サイトにも今日、同選手の引退試合である田島記念の写真とコメントが掲載されていました。フィニッシュ直後の写真には、カメラを持つ中国新聞・山本記者の姿も。ちなみに山本記者は田島記念開催地の山口県の出身。梅木蔵雄選手(中国電力)と同学年で、それなりにライバルだったらしいです。大学が岡山で、就職したのは広島。まさに、中国地区の陸上報道をするために生まれ、育ってきたような男です。
 話を土江選手に戻しましょう。小坂田淳選手や吉沢賢選手のように、全日本実業団を花道とするケースが多いのになぜ、土江選手は田島記念を最後としたのか、という疑問を以前、この日記でも提示しました。ベルリン五輪(1936年)三段跳金メダリストの田島直人さんは京大。早大&短距離の土江選手とどうつながるのか、よくわからなかったのです。

 土江選手のサイト見ていて、1つ気がつきました。早大の後輩の信岡沙希重選手が、色々と引退セレモニーを企画したようです。信岡選手といえば、昨年の全日本実業団で今井美希選手の引退セレモニーの時、100 mのスタート地点からピットに飛んできて、今井選手に抱きついたシーンがあったと思います。以前、陸マガがミズノの仕事で彼女にインタビューしたとき、尊敬するのは土江選手と今井選手だと話していました。まさか今回は、抱きつかなかったと思いますが…。
 話がそれていきそうなので元に戻すと、その信岡選手の出身が山口県(伊奈学園高に入学したときに、埼玉に移ったのです)。その辺の経緯もあって、田島記念になったのでしょうか。

 いやいや、まさかそれだけの理由ではないでしょう。きっと、何かある。と考えていたら、ハタと思いつきました。インターハイでは勝てなかった土江選手ですが、中国地区大会では100 mと200 mの2冠になっています。その舞台が、維新百年記念公園陸上競技場だったのではないか、と。もしもそれが田島記念を選んだ理由だったら、インターハイ中国大会2冠こそ、その後の土江選手を形作った出発点だったのではないか。この仮説には、自分で立てたにもかかわらず、ちょっと興奮しました。
 地区大会が掲載される陸マガは、毎年8月号と決まっています。さっそく、1992年8月号を本棚に取りに行きました。手がぶるぶると、小刻みに震えます。もしかしたら記事にも取り上げられているかもしれません。実はそこに、“いじられキャラ”の裏側で誰にも見せない土江選手の心のひだが、垣間見ることができるのではないか。イメージがとめどなく膨らんでいきます。果たして中国地区大会の開催地は……、とページをめくると、広島でした。
 短距離2冠の土江選手は、向かい風が強かったせいで記録も良くなくて、記事にも取り上げられていません。まあ、現実はこんなもんです。記者の勝手な思い込み通りに、現実は展開してくれない。土江選手引退試合の謎は、これにて迷宮入りが決定。
 と、簡単にあきらめていいのか。実は、つづく!(オダギリジョー口調で。ちなみに、ライフカードCMの「その後のオダギリ」は結構、笑えます)


◆2006年10月26日(木)
 日産スタジアムである選手の取材。試合では何十回と来ている日産スタジアムですが、個別のインタビュー取材をするのは初めて。昼食をとりながら、という時間帯です。日産スタジアムには“丸いレストラン”(寺田が勝手に命名。丸い屋根で、壁はガラス張り)がバックストレート裏手の東ゲートよりにあって(こちらのマップ参照)、以前から一度、入ってみたいと思っていました(お上りさんか)。でも、見るからに値段が高そうな雰囲気ですし、イベント開催時には混んでいると思って、敬遠してしまっていました。
 選手、カメラマンとの集合時間は10:30。先に撮影取材を行う予定でしたが、現地に行ってみたらスタジアム内に入れるのが11:30からと判明。先にインタビューに変更。それではと、“丸いレストラン”に行くと開店時間前でした。レストランの名前は「COCOLO(こころ)」と判明しましたが。

 仕方がなく、「四季彩」に場所を変更して、コーヒーを飲みながら取材。1杯380円とは、スタバやタリーズ以上ですね。ちょっとしたショック。取材経費も気にしないといけません。しかし、コーヒーの値段が原因で取材がおろそかになってはプロのライター失格。気を取り直してインタビュー。今日も、むちゃくちゃ面白い話を聞くことができました。
 11:30に場所をスタジアム内に移して撮影取材。終了後、今度こそ“丸いレストラン”(「COCOLO(こころ)」です)で昼食。追加取材もちょっと。寺田はサラダランチを注文。俗にいうサラダバーで、取り放題。栄養バランスにも配慮できるレストランです。ランチタイムだったせいか、予想したよりも安かったですね。飲み物付きで1人900円以内で済みました。某雑誌の経費節減に協力した取材だったかな、と思います。
 昼食後にもう一度、スタジアム内に戻って、捕捉的な撮影取材。明日からジュニアオリンピックと日本選手権リレーが行われますが、その選手たちが練習を行なっています。いい雰囲気の絵柄になりました。

 取材終了後、スタジアム施設内の某所で3時間、原稿を書きました。今日取材した選手の記事をもう、書いてしまおうという試み。ネタが豊富すぎて取捨選択が難しかったことと、ネタ同士の結びつけ方も何通りもあって、ちょっと苦戦。120行の記事ですが、何度も考え直し、書いては削除し、結局60行しか進みませんでした。300行くらいの記事ならちょうど良かったかもしれません。とか書いているとまた編集T氏から「そんなことだからダメなんです」と言われそうなので、この辺で。
 原稿を書いたのは、自販機コーナーの前のちょっとしたスペース。丸テーブルが3つに、その他にもいくつかベンチ(だったかな?)が置いてあって自由に使えます。が、3時間はいくらなんでも居座りすぎ。知り合いの三段跳某選手と、400 m元インターハイ・チャンピオンに目撃されてしまいましたが、2人は口が堅いので大丈夫でしょう。

 20:30頃、新宿の作業部屋にもどって、すぐに仕事モードに。朝早くに出かけたので、まずはメールといくつかのサイトをチェック。昨日の日記で触れた土江寛裕選手の引退ネタで、中国地区の新聞社からメールが来ていました。昨日の日記の締めを「つづく」としたのが失敗でした。用意していたネタを、その記者の方に指摘されてしまったのです。
 もったいぶらずに一気に書けばよかった、失敗したな、と思いました。が、その手のクヨクヨ感を引きずるとよくない、という話を今日の昼食中にもしました。というか、落としどころは他にも用意してあります。
 ということで、つづく、はずです。


◆2006年10月27日(金)
 室伏広治選手がテレビ番組に出演していました。数日前の内藤真人選手が子供向けの朝の番組だったのに対し(23日の日記参照)、室伏選手が出たのは夜遅い時間帯で、大人向けのバラエティー番組。他の出演者がハンマーを実際に持ってみる、というところまではお決まりの展開でしたが、その後は完全に室伏選手個人のキャラに焦点が移っていきました。もちろん、個人のキャラといっても、ハンマー投は切り離せないわけですが。
 それにしても同選手が、DVDまで見て“笑いのつぼ”を研究しているとは知りませんでした。それが、選手同士のつきあい、ひいては競技にも結びついていくとは。スポーツとは“人間がするもの”なのだと、改めて認識させられました。
 そう。技術だけではない。体力だけではない。トレーニングだけでもない。メンタルだけでもない。タリーズに入り浸る向井裕紀弘選手が45秒68で走る。福島市にスタバがない、と嘆く丹野麻美選手が51秒台で走る。人間の営み全体が競技力となるのです(と、わかったようなことを書いて良いのだろうか)。

 日本ハムの新庄剛志選手の引退が、盛んに報道されています。あれだけ大々的にやられると、陸上界としては土江寛裕選手で対抗するしかない。競技レベルという点では土江選手の方がはるかに上ですけど、“印象に残る選手”という点で似ていなくもありません。土江選手が田島記念(10月22日:維新百年記念公園)を引退レースとしたのはなぜか、というテーマでときどき書いているのは、世間の“新庄フィーバー”に対抗するためなのです。
 一昨日の日記で“つづく”としたのは、土江選手が高2のときにインターハイ中国地区予選で、維新百年記念公園陸上競技場を走り、100 mに優勝しているからでした。もしかしたら高校2年の維新百年記念公園での走りが、その後の土江選手の競技人生に大きな影響を及ぼしたのかもしれません。と、書こうと思ったら、中国地区の地方紙記者の方に先にメールをもらってしまったのです。
「高校2年の時に中国大会で走った思い出の競技場。地元に近いところで(引退)できたので嬉しい」と取材に答えていたそうです。

 当初は田島記念の開催日を、土江選手が10月21日と勘違いしていた、というオチも考えていたのです。自己ベストが10秒21だから、と。でも、それはオチとしてお粗末すぎる。と考え直し、インターハイ地区予選の場所だったら面白いのに、と調べ直したのです。こっちの方が陸上競技ライターらしいかな、と思って。
 えっ? 土江選手に直接聞けば、確かなことがすぐにわかる? いやいや。それをやったら、あれこれ想像して、ここに書くことができなくなるじゃないですか。「地元の島根に近いので、知り合いが見に来られるから」とか「ケガで全日本実業団には間に合いそうになかったから」と言われたら、それでおしまいです。直接聞かない方がいいこともあるのです。
 この話題、新庄フィーバーが収まらなかったら、つづくかも。


◆2006年10月28日(土)
 今日は終日原稿書き。月曜日に400行、火曜日に120行と50行の締め切り。それから来月中旬の締め切りが120ページあるのですが、そのうち74ページ(これは写真中心)を11月2日からの出張前にやっておかないといけません。それから11月7日までに名鑑用にプロフィールが残り14人。
 日産スタジアム(ジュニアオリンピック&日本選手権リレー)には……ちょっと行けませんでした。仕事依頼もないのに取材に行って、そこで抱えている原稿の依頼主(クライアント)に出くわしたらどんな顔をされるか。クレーマージャパンの横浜ブランチ(日産スタジアム内にあります)の田野淳店長が「来い」と言ってくれれば行けたのかもしれませんが…。同ブランチ勤務の梶川洋平選手を取材するとかいう口実で。
 でも、そういうときに限っていい記録が出たりします。福島大の単独チーム初の44秒台。取材したかったですね。4年生の栗本佳世子選手あたり、泣いてしまったんじゃないでしょうか(ちょっと自信あり)。
 明日も作業部屋に籠もります。


◆2006年10月29日(日)
 今日も作業部屋で原稿書きと、ある名鑑用にデータ調べ。なんとか、コニカミノルタの2回目の原稿まで終わらせたかったのですが、全然ダメ。取材ノートを読み返しましたが、書き始めるには至りませんでした。原稿に限らず、至らない点ばかり。でも、名鑑のデータは最後まで調べきって提出。陸マガ・高橋次長の催促を受けずに済みます。

 その高橋次長ですが、今日はジュニアオリンピック&日本選手権リレーの取材。昨日の女子4×100 mRでは予想通り、44秒80を出した福島大・栗本佳世子キャプテンの目に、涙が見られたそうです。ただ、感情を爆発させるような泣き方ではなく、明るく爽やかな泣き方だったとか。そこはちょっと予想外ですが、4×400 mRが残っていたからかもしれないし、同学年の長島夏子選手が走れなかったからかもしれません。その辺はチャンスがあれば、取材をしておきましょう。福島大に取材に行く機会があればそのときにでも。なければ来春?

 ところで、インタビュールームにはデスクが置いてあって、高橋次長はコメントをノートにでメモするのでなく、パソコン(白いノートパソコン)にその場で入力したといいます。取材を受ける側には違和感があるかもしれませんが、その辺は慣れの問題。中学生、高校生の頃からキーボードに向かった記者からインタビューを受ければ、それが当たり前になっていくはずです。
 メリットは、紙にメモをとったものを再度入力する手間が省けること。インタビューとして掲載するのだったら、ちょっと体裁を整えればOK。通常の記事にするにしても、書き始めたときにコメント部分が入力されていれば、かなり楽になります。頭の中を整理しやすくなる。本当にいいことずくめ。
 ジュニアオリンピックを取材する記者の数が少なかったからできたことですが、さらに進歩したシステムも考案中とか。実現したら、取材現場の風景を一変させるかもしれません。画期的なシステムです。

 そういえば、92年か96年のことだったと思います。有森裕子選手がNHKの紅白歌合戦で審査員に選ばれました。以前にも書いたと思いますが、彼もタイピングの速さコンテストでメダルを取って、紅白の審査員に選ばれることを狙っていると、社内で噂になったことがありました(噂の発信者はT田だろう、などと根拠もなく言い当てないように)。新システムが実現すれば、紅白審査員も実現するかもしれません。
 でも、詳しく聞くとそのシステムも、どうやらタイピングが速くないとダメみたいです。つまり、高橋次長レベルの速さが要求される。それを、システムと呼べるかどうか。紅白審査員への道は、一筋縄ではありません。一筋縄って、どんな縄なのか知りませんけど。


◆2006年10月30日(月)
 今日は原稿を書きまくりました、と、ここに書けるはずだったのですが…。
 久しぶりにドトール(中野坂上)で原稿を書いて、3時間で約100行ほど進みました。ちょっと書いては削除して書き直す、という作業を繰り返しての100行。400行原稿なので分量的には4分の一ですが、実際の進行度合いとしては半分くらい。この先、何を書いていけばいいか、かなり見えてきた状態です。
 それで油断したわけではないのですが、作業部屋に戻ってから原稿とは別の仕事をして、食事なんかもして、ちょっと読書なんかもすると、あっと言う間に4時間くらい過ぎていました。中野真実選手だったら100本くらい跳躍練習をしてしまう時間です…というのは、真実ではありません。

 夜中の3時まで頑張って、200行まで進行しました。
 さて、ここで迷ったのが、原稿中に出てきた(って、自分で書いているのですが)M選手のコメント。S監督の昔を、「一流じゃなかった」と言っています。もちろん批判として紹介しているのではありません。その選手がどういった状況で、どういった気持ちで発言したのか、背景をきっちりと書き込んでいます。
 問題はないはずですが、指導者には指導者の立場もありますし、周囲のことも考える必要がある。この手のコメントを紹介するには、慎重を期した方がいいのです。ということで、ここはもう直接、S監督に掲載して問題がないかどうか、聞くことにしました。


◆2006年10月31日(火)
 昨日書いた原稿の件を、S監督に打診。幸い、すぐに連絡がつき、出しても問題ない、と了解を取ることができました。良かったです。プロ野球の日本ハムの話題(シーズン中の監督批判→謹慎→謹慎明けの日本シリーズの勝利。これが美談になったわけです)に対抗する意味でも、このネタはぜひ紹介したい部分でした。といった、世間受けを狙ったわけでなく、そのチームの選手と監督の関係、ひいてはチーム成長の過程をよく現しているエピソードなのです。
 具体的にどんな話なのかは、R誌次号を待て!

 いきなり日本語の表現の話です。「○○を待て!」って、ときどき使われますが(最近は少ないかも)、このコピーを見た側、つまり寺田の日記の読者にしてみたら、「待てないぞ」とは言えないわけです。まあ、純粋に声に出すことはできますが、実際の選択肢として待つ以外にできることはありません。つまり、「あなたは○○を待つしか方法がない状況です」と言う代わりに「○○を待て!」と言ってしまうわけですね。
 英語で「Wait the next issue」とか、日本語と同じ意味に使われるのでしょうか?

 待つしかない、といえばアジア大会。12月開催ですからね。日本のシーズンとはまったくマッチしません。取材する側も、福岡国際マラソン、アジア大会、全日本実業団対抗女子駅伝と超過密日程です。
 しかし、すでに動かせない日程に選手が不満を感じていても、競技にプラスとなることはありません。日程が動かせないのなら、それを逆に利用する方法を考える。それが、唯一できることでしょう。我々取材する側も同じ。日本の競技日程は日本陸連がコントロールしますが、アジア大会の日程はまったく別の組織が決めています。総合競技会なので、日本のJOCに相当するアジアの組織ではないでしょうか。つまり「過密日程じゃないか!」と噛みつく相手もいません。
 などと、ダジャレを書きたかったわけではないはずですが、少しは書きたかったのかもしれない、という潜在意識が働いた可能性がなきにしも…とかは本当にどうでもよくて、アジア大会取材が再度、ピンチになったのです。

 事の発端は…などと書き出すと長くなるので、手短に書きましょう。ベースボール・マガジン社と一緒に取材申請、宿泊申請をさせてもらったことは、17日の日記で書いたと思います。しかし、当初は大丈夫ということになった一番安い値段のホテルが、現地組織委員会からダメと言ってきたのです。2倍の金額のホテルにしろ、と。好意的に見れば、安いホテルは発展途上国のメディアに割り当てて、日本のような物価の高い国のメディアは高いところに泊まらせようとしているのでしょう。
 前回も書いたように、陸上競技期間とか関係なく、全日程の期間でしか宿泊申請を受け付けない方針なのです。つまり16泊が2倍になる。金額にしたら20万円以上違ってくるのです。いくら日本に住んでいるとはいえ、貧乏な個人営業主にとっては死活問題。
「どうするの、オレ!?」と、オダギリ口調で叫んでいました。
 ところで、25日の日記で“ライフカードCMの「その後のオダギリ」は結構、笑えます”と紹介しました。これを見て思いついたのが、岡山のSP記者こと朝日新聞小田記者を主人公にした「その後のオダ記者」企画です。この写真(全日本実業団取材)の後、小田記者は誰と一緒に帰ったのか、とか、某海外取材の後はどうなったのか、とか。
 でも、本人があまり面白くないというので、今回はボツ企画に。ちなみに、小田記者もオダギリジョーも、岡山県出身だそうです。などと、呑気なことを書いているということは、アジア大会の件は解決した?


◆2006年11月1日(水)
 昨日、再度問題に浮上したアジア大会取材の宿泊の件は、一件落着ならぬ“一応落着”はしました。16泊のうち、前半をベースボール・マガジン社の他の雑誌の編集部の人間が宿泊し、後半を寺田が泊まらせてもらう、という解決策。しかし、そのあおりを受けて、予定外の事態も生じました。ベースボール・マガジン社がある決定をすることを余儀なくされたのです。企業の判断ですからしっかりと計算してのことでしょうが、こちらとしては申し訳ないな、という気持ちもあります。もちろん、悪いのはドーハの組織委員会です。昨日も少し書いたように、向こうには向こうの事情があるのでしょう。でも、大きな国際大会を開催する都市のホスピタリティとしてはどうなのか。

 まあ、あれこれ考えても仕方ありません。11月になりましたし、気を取り直して行きます。明日から淡路島&伊勢出張ですし。そうです、いよいよ駅伝取材の季節に突入しました。10月にも学生の駅伝がありますが、なかなかそういうムードになれません。個人的には、という意味です。出雲の全日本大学選抜駅伝も仙台の全日本大学女子駅伝も、取材に行ったことはありませんし。
 当事者である大学の監督たちも「10月は…」と言っています。その考えが多数派なのかどうか、まではわかりませんが。以前にも書いたように、女子の某強豪大学の監督が開催時期を、実業団や高校と同じ12月に変えて欲しいと言っていました。それから、これは初めて書きますが、箱根の某名門大学の監督が、夏の走り込みに近い時期の駅伝は長い距離の方が良い、と言っていました。「最後の箱根が一番短い距離でいい」と。

 今、気がつきましたが、「箱根の名門大学」って、我々は普通に使っている言い方ですが、箱根駅伝に関心のない人が聞いたら、“箱根に校舎が建っている名門大学”と思ってしまいます。陸上関係者なら間違いなく“箱根駅伝の名門大学”とわかるのですが。言葉って、相手の理解度でまったく違った意味になる。
 実際、文章を書いて残す(人に見せる)という行為は、書き手側がまったく予想できない反応を、読み手側がしていることがあります。見方によっては、とても怖いことをしている職業です。気を付けないと。


◆2006年11月2日(木)
 早起きして一路、淡路に。新幹線と高速バスを乗り継ぎ、13:29には南あわじ市の南淡公民館に到着。約6時間の行程でした。新幹線の最初の2時間は一昨日と昨日の日記を書きました。名古屋で停車中にPHSでネットに接続してアップ。メールも受信して、次の京都駅停車中にリプライを送信しました。なんか、出張族サラリーマンになった気分です。と文字にするのは簡単ですが、立場の違う人の気持ちはなかなかわかりません(サラリーマンという言葉をこのように使う場合、職種を意味している気もしますけど)。
 高速バスでは毎日新聞名古屋の村社拓信記者と一緒になりました。1年前の中部実業団対抗駅伝か、全日本実業団女子駅伝以来の再会。そのときも書いたと思うのですが、あの村社講平選手の遠縁になるそうです。久しぶりの陸上競技取材のようですが、しっかりと予習をしてきている様子。立場上、下手な取材はできないでしょう。

 14時から監督会議。終了後、まずは藤田信之監督のカコミ取材。来年のシスメックスの駅伝参加について質問しました。そこから聞くのが礼儀でしょう。その次に、野口みずき選手の今後の予定についてをあれこれと。今月の名古屋と神戸のハーフマラソンに出場する可能性はないといいます。出るとしたら、11月26日の上海国際ハーフマラソンですが、これも昆明合宿の様子を見て判断します。決定ではありません。
 フルマラソンの方は一時期、2月の東京マラソンが有力と報じられたようですが、男子の選考レースに出るのは控えたいと言います。その方向で、陸連とも話し合ったそうです。その代わりというわけではありませんが、4月のロンドンまで検討対象に入れ始めた。そうなればハーフへの出場も、1月の宮崎や2月の丸亀もあり得ます。青梅の30kmに出るのも可能になってくる、と藤田監督。
 2時間20分前後の記録となるレースに出る、という前提はありますが、来年11月の五輪選考レースに出場する方が大前提。逆算して、どうしようもなければ、多少タイムが落ちてもマラソンに出るということです。間隔を2年間空けたくはない、と。先日の1万mが予定よりも悪く、本人も落ち着かない様子だとか。早く目標を決めてやりたい、とも言っていました。

 続いてスズキの小沢欽一監督を、村社記者と一緒に取材。
 15時から開会式。その間に、会場の外でミズノの近藤氏と金子氏と情報交換。これも再三書いていますが、メーカーの方の情報は貴重です。
 開会式終了後に、天満屋・武冨監督に短時間でインタビュー。かなり、必要な話を聞くことができました。続いて、小崎まり選手がカコミ取材を受けていたので、記者たちの輪に加わりました。30歳代の選手って、やっぱり魅力的です。味わいがあります。三十路だけにミソの味とは、書きません。
 公民館2階の記者室で展望記事を書いてアップ。

 仕事終了後に陸マガのマラソン・駅伝関係の記事でお馴染みの出口先生(淡路島在住)と一緒に、淡路牛を食べに行きました。蕎麦屋に河岸を換えるタイミングで、神戸新聞の大原記者と藤村記者も合流。色々な立場の人たちと、いつもとは違った視点の話を聞くことができました。有意義な一時を過ごせたと思います。


ここが最新です
◆2006年11月3日(金・祝)
 朝は6:30に起床。最近ちょっとだけ早起きです。
 メールをチェックすると、埼玉新聞・宗像記者からメールが来ていました。赤羽有紀子選手のブログを、夫である周平コーチが綴っているとのこと。しかも、先方のリンク許可までとってあるというではないですか。今日は東日本実業団女子駅伝。赤羽選手はまだ出られませんが、関連した話題です。速攻でサイトに掲載させてもらいました。

 淡路島女子駅伝の取材。おそらく、6年連続だと思います。
 スズキが初優勝。2位は天満屋。スズキの小沢欽一監督と天満屋の武冨豊監督は、ともに神戸製鋼で選手時代を過ごしています。記者室の隣の席にすわっていた神戸新聞・大原篤也記者にそれを指摘すると、「一面や!」と叫んでいましたが、本当に一面になったのでしょうか。
 取材の様子を書いていると時間がなくなるので、省略させてもらいます。機会があったら、思い出して(こじつけて?)書きたいと思います。が、今のうちに1つだけ。レース後には東日本実業団女子駅伝の結果も伝わっていて、三井住友海上の強さに驚いていた関係者も多かったですね。
 取材が一段落した時点で、東日本取材のISHIRO記者(毎日新聞)と電話で情報交換でもしたら、陸上競技取材の一線に身を置いている気分が味わえると思って、鳴門海峡を眺めながら電話をしました。

 取材終了後、高速バスで大阪に。明日は全日本大学駅伝の開会式(名古屋)に行くか、宿泊地の伊勢に直接入るか、まだ決めていません。今晩の原稿の進み具合次第。いずれにせよ近鉄を使っての移動なので、ホテルは日本橋に予約してありました。なんばでバスを降り、なんばウォーク(地下のショッピング街ですね)を末續慎吾選手になったつもりでなんば走り、をしようと思いましたが、荷物が多くてできず。
 途中、コンビニで陸マガ宛に宅急便を発送。11/5午前中に届けたかったので、伝票を書く前に到着日時を質問しました。が、アルバイト女子高生らしき店員ははっきり答えられません。あちこち調べて、11/5午前中着が可能とわかりました。そこでやっと宛名ラベルに記入する段階になったのです。
 唐突ですが、一部読者に受けると思うので、女子高生店員との会話を紹介しましょう。
寺田「さらの伝票をください」
女子高生店員「さら、って何ですかぁ」
寺田「なにも書かれていない、ってこと。真っさらのさら」
女子高生店員「えー、ほんまですかぁ」
寺田「じゃあ、サラ・ボーンも知らない?」
女子高生店員「それやったら、聞いたことありますけど…」
寺田「じゃあ、サラ・ジェイミソンは?」
女子高生店員「サラミソーセージやったら知ってますけど…」

  同じ女子高生の小林祐梨子選手が2回も、日本記録を出したときに戦った相手だというのに知らんのか。と思いつつも、大阪女子高生の切り返しのすごさを見せつけられ、ちょっと感動しました。このすごさをなんとか、来年の世界選手権で来日する外国人たちに伝えられないものかと、3秒ほど考えた次第です。

 ホテルで淡路島女子駅伝と、九州実業団女子駅伝(電話取材です)の原稿書き。全日本実業団対抗女子駅伝の展望記事の構想も練りました。


昔の日記
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10・11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月