続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2015年1月  シドニーから15年

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◆2014年11月22日(土)
 九州実業団駅伝の前日取材に来ました。実業団の試合は毎日新聞が主催しています。ということで、監督会議と開会式の場所は、福岡の毎日新聞の隣のホテル(西鉄イン福岡)です。福岡国際マラソンの大会本部ホテル(西鉄グランドホテル)からも近いです。

 その前に昨日からの行動を説明しないといけないでしょう。
 昨日は新幹線で博多に行き、特急かもめに乗り継いで諫早入り。新幹線は新大阪までがのぞみで、博多までがさくら。新大阪で改札の外には出ませんでしたが、電話取材があったのです。この乗り継ぎでも、博多までの新幹線特急料金で切符が購入できることは初めて知りました。

 今日は午前中に、諫早で合宿中の九電工女子チームを取材しました。
 宮崎悠香選手は今年5000mで15分27秒49を出して、トップレベルに躍進しました。しかし、昨年の全日本実業団対抗女子駅伝1区は区間21位。過去最高の6位に入賞したチームのなかで、一番不本意な走りでした。
「この1年、全日本でリベンジしないといけないと、気持ちを強く持って練習してきました」

 黒木沙也花選手は2012年からキャプテンを任されています。みんなの前で話ができる選手でもあり、練習でも「チームとして頑張りたい」という気持ちを行動に移しています。具体的にはTBSコラムに書くと思うのですが、箱根駅伝取材では時折り話を聞くことですが、実業団では珍しいですね。
 藤野圭太監督が監督に就任する2013年以前は、職場も同じだったそうです。その辺も意思疎通がしっかりとできた一因かもしれません。
 西日本予選(6区)の頃は血液状態も悪く、調子を落としていましたが、ここに来て状態は上がっているそうです。
 ちなみに三菱重工長崎の黒木純監督とは同じ町の出身。黒木監督は「沙也花のおやじさんに教わった」と話していました。

 竹村理沙選手は黒木選手よりも年齢は1つ上で、2人でチームをまとめる立場。走りのタイプとしてはよく言えばスタミナがあり、悪く言うとスピードがない。駅伝では後半区間を任されます。陣内綾子選手やチェピエゴ選手が順位を上げますが、竹村選手が抜かれる役(?)でした。
 しかし昨年の全日本は6区で、黒木選手から6位で受け取った順位をキープしました。身上である粘りの走りを発揮した結果です。今年の区間はわかりませんが、さらに上の順位でタスキを受け取る可能性もあります。
「粘りにプラスしてスピードを研かないと上のチームの選手には通用しない」という覚悟です。来週末の5000mでは5年ぶり?の自己新も狙っています。
「私も九電工で9年目なので、自分のまとめとか、色々考えるようになりました」

 藤野監督も「1区次第ですが、4区まではトップ争いも」という展開を予想しています。全日本は黒木選手、竹村選手がカギを握ってくるような気がします。


◆2015年1月14日(水)
 今日は東海大で長距離の両角速監督を取材させていただきました。テーマは箱根駅伝で「5強」と6位以下との差が大きかったこと(約5分)。その要因は明らかなのですが、そのことを指導者がどう考えているか、そして、その現実にどう対処していくかを話していただきました。
 格差が生じる要因は箱根駅伝の抱える構造的な問題点でもあります。それに対してのご提言もいただきました。記事は陸マガ決算号です。競技をあつかうメディアですし、負けた側の言い訳になってはいけません。書き方に配慮しないといけませんが、良い機会なので書きたいと思っています。

 両角監督は改めて書くまでもなく、佐久長聖高の強化を「0」から始め、同高出身の佐藤清治、上野裕一郎、佐藤悠基、大迫傑と五輪&世界陸上の代表が巣立っていきました。教え子の高見澤勝監督にバトンタッチして4年。両角・東海大も過去最高順位、高見澤・佐久長聖も2位と過去最高順位です。

 全国高校駅伝は自主取材に行こうと思っていたのですが、大迫選手の帰国取材と日程が重なってしまいました(TBSコラム参照)。取材したかったな、と思った点は4つ。1つめは女子優勝の薫英女学院。3月の春の高校伊那駅伝で取材していたので興味がありました。1年生の起用も大胆でしたし。
 2つめは男子優勝の世羅。2015年の方が期待できるメンバーで2時間2分台でしたから、翌年に向けての期待材料も取材しておきたかったところです。3つめは男子2区で史上2人目の7分台で走った前田恋弥選手。インターハイのときに、進学後の駅伝にも意欲を見せていましたから。

 そして4つめが高見澤勝監督。2区の7分台1人目は前述の佐藤清治選手で高見澤監督とは佐久長聖で同学年です。高見澤監督から佐藤清治選手の人となりを取材して……じゃなくて、2位に躍進した理由を取材したかったです。春の高校伊那駅伝のときは、今年は苦戦するな、と思いましたから。
 14年の佐久長聖はインターハイ出場も1人でした。両角・佐久長聖は全国大会に複数選手を出場させていたのが特徴です。15年以降はそのパターンになっていくと思いますが、現時点ではちょっと違います。その辺を取材したかったですね。チャンスはあるでしょう。山梨学大OBですし。
 今日、取材後に両角監督とも佐久長聖の2位について雑談をしましたが、ビックリされたと話していました。コンディショニングが成功されたようだと、情報をいただきました。高見澤監督取材の際に、活用できるネタですね。ありがとうございました。


◆2015年1月15日(水)
 今日は東洋大・酒井俊幸監督を取材。昨日の東海大・両角速監督に続いて、陸マガの大学駅伝決算号用です。テーマは5強と6位以下との差が大きかったこと。タイム差というよりもレース展開的に。興味深い点だったと言い出したのは自分ですが、記事にするとなると難しいです。

 どうしてもスカウトが影響する部分です、大きく見れば。で、スカウトのことを書くのが難しい。指導者によって立場も違うし見方も違う。本音を言えばパスしたい部分ですが、ライターとしても一度は書かないといけないところかな、という覚悟はありました。
 なんとなくこの書き方かな、というのはおぼろげながら見えてきましたが、、、どうなるかは書き始めてみないとわかりません。ぱぱっと短く触れてお茶を濁すかもしれないし、システムとして何かを提案するかもしれません。本当にまだわからないので、決算号をご覧ください。

 日曜日に行った渡辺康幸監督の八重洲ブックセンターでのサイン会も、同じ記事の取材をするためでした。スカウトの現状に対する3人の優勝監督(両角監督は高校駅伝)のコメントの違いは面白いのですが、記事にするとなると、、スカウトの話は記事のメインにはなりません。

 グチっぽくなりますが、なんで毎年決算号では分析記事を担当させられるのかなぁ。選手を取材して人物ものとか、指導者にがっつり話を聞いて一問一答のインタビュー記事とか、得意のつもりです。女子駅伝公式ガイドの林清司監督のインタビューは好評だったと聞いていますし。
 昨年まで決算号担当だったクリール編集部のH編集長には抗議をしましたが却下されました。具体的には書けませんが、ごむたいな理由でした。ジェフリー・ムタイではありません。エマニュエル・ムタイでもありません……削除するかも。

 酒井監督取材に話を戻すと東京マラソンに挑戦する服部勇馬選手の話が面白かったです。実業団駅伝公式ガイドで27分ランナーのマラソン挑戦が簡単でないことの特集記事を書きました。スピード化している箱根駅伝の若手指導者がどういうイメージを描いているのか興味がありましたが斬新でした。


◆2015年1月16日(金)
 一昨日発売の陸マガを見ていて気づいたのは、駅伝各大会での世羅高勢の活躍です。全国高校駅伝で現役高校生が圧勝し、ニューイヤー駅伝では2区のカロキ選手、3区の鎧坂哲哉選手と世羅高OBが連続区間賞。そして箱根駅伝では藤川拓也選手が9区で区間賞。青学大の原晋監督も世羅高OB。
 駅伝がものすごく強くなった高校ではときどき見られる現象です。西脇工高しかり、佐久長聖高しかり。女子でも1年前の全日本実業団対抗女子駅伝の上位3チームのエースは高島由香選手、新谷仁美選手、重友梨佐選手と全員が興譲館高OGでした。新谷選手は欠場しましたが。

 駅伝でもインターハイでも、その大会を目標とする気持ちや強化の度が過ぎると、そこで選手の成長が止まってしまいます。これは技術やトレーニングというよりも、メンタル面に原因があるというのが現時点での結論です。かなり追い込む練習をするのも事実のようですが。
 窪田忍選手がニューイヤー駅伝前に、「駒大の4年間で世界を目指す気持ちが強くなった」と話していました。駅伝強豪校の指導者は、駅伝で終わらない精神面の指導をしているのです。でも、社会的には駅伝が一番ですから、指導者だけではどうにもできないこともあります。

 世羅高以外で気がついたくくりは、中部圏選手が突出した走りをしたこと。実業団女子駅伝3区の高島由香選手はデンソー、ニューイヤー駅伝6区の田中秀幸選手はトヨタ自動車で豊川高OB、箱根5区の神野大地選手は中京大中京高OB。名古屋の陸上記者だったら3人の特集を書きますね。
 箱根駅伝記事がまだまだメディアに出続けていますが、対照的にトラック&フィールドの記事は産経新聞のタカラだ!記者が戸邊直人選手の記事を出したくらい。と思ったら、戸邊選手のフィンランド航空とのタイアップ記事が今日出ました。さすが戸邊選手です

 そもそも駅伝&マラソンとトラック&フィールドでは、社会的に位置づけたら別の競技となってしまう。比較してトラック&フィールドの記事が少ない、と言うこと自体がおかしいわけです。長距離選手に「オマエら就職できて良いよな」と言うのは、野球選手に言っているようなもの。
 しかし駅伝&マラソンの競技性はトラックの長距離と同じで、選手も同じなので同一競技団体の管轄に入っています。スズキ浜松ACや九電工、富士通のようなチームもありますし、トラック&フィールドの選手も1人は採用しようとしている長距離チーム&指導者も増えています。
 比較するのはナンセンスですが、やっぱりトラック&フィールドの記事も世間に出て欲しい。せめて専門誌のページを、駅伝&マラソンから1ページでもいいから奪うくらいの気概は持って欲しいです。陸マガは箱根駅伝を増刊にしているので本誌では食い込める余地が大きくなっているかも??

 本屋に行ったら中大・豊田裕浩コーチが監修したDVD&書籍があったので衝動買いしてしまいました。豊田コーチは勉強不足のライターの質問にも丁寧に答えてくれる指導者。中大の選手が活躍したら、記者たちはすぐに記事を書くんじゃないでしょうか。


◆2015年2月4日(水)
 本日はニューイヤー駅伝1区区間2位の梶原有高選手(プレス工業)の記事と、東京マラソンに出場する箱根駅伝2区区間賞の服部勇馬選手(東洋大)の記事が、同じタイミングでネットに載っていたので、以下のようなことをツイッターに書いていきました。

↓↓ 梶原有高選手と服部勇馬選手の記事。強いチーム(高校・大学)の練習が合わずに伸び悩む選手もいれば、強いチームの練習に適合して早くから頭角を現す選手もいる。いくつもの強化のルートを残しておける環境を、長距離(駅伝)が盛んだから確保できるのだと思います。
 チームに合う、合わないは主に、精神面の理由が大きいと思いますが、体の成長度合いにも左右されます。成長が早い選手は高校・大学からハードな練習ができますが、成長が遅い選手はそれができない。そこを見極めて判断できるかどうかが、競技人生を左右しそうです

 長距離界全体が、マラソンはトラックでタイムを伸ばしてからやればいい、という雰囲気になっていたら、「自分は若くてもマラソンができるのでは」と疑ってかかる。全体が早くからマラソンをすべきだ、という雰囲気になっているときは「自分は体力がついてからの方がいいのでは?」と考え直してみる
 このあたり、言葉にするのは簡単ですが、現実に判断して、人生を懸けて実行しないといけない選手と指導者は大変です。でも、それをする時間とお金が与えられる環境が、日本にはあるので頑張りましょう、ということです。でも、最近はケニアも、、、

------------補足 ケニアについて下記のTweetを少し前にしています
ただ、最近来日するケニア女子選手のプロフィールを見ていると、結婚後、または出産後に走り始めている選手が数人います。以前(1900年代とか)は早く始めて、早く競技をやめるパターンが多かったと記憶しています。男子もその傾向がありました。ケニア社会も変わってきているようです

 東京オリンピックが絶対だ、という考えもありだと思います。そこで人生が決まる、だったら成長過程とか言っている場合じゃない。そういう選択もその人の人生です。ただ、次のオリンピックに合わせた方が良い、という選手や指導者を、弱腰とか●国民とか言って非難する風潮にはなってほしくない
 ただ、お金を使う立場の組織はどうしても、東京オリンピックと言わざるを得ない。JOCや陸連や大手メディアは。選手や指導者が冷静にいられなくなる環境に間違いなくなります。そこで大阪の世界陸上の失敗を経験している人の出番だと思います。だから、こうした内容のツイートも書きます
 若手選手(18〜23歳くらい)のほぼ全員が「東京オリンピックを」と言いますが、最近の取材で「東京の次のオリンピックを」と話す選手が2人いました。現時点ではイニシャルにしておきます。H選手とK選手です

------------補足 これまでも何度か書いてきましたが、2007年の大阪世界陸上があのような結果に終わったのは、選手も、陸連も、我々メディアも、地元ということで力みがあったからだと感じています。有望選手たちは、陸上競技をメジャーにできる千載一遇のチャンスと考え、「メダルを取る」と発言し続けました。我々メディアもこぞってそれを報じ、日本中の期待をあおりました。陸連は、それをコントロールできなかった。その当事者として、今、こうして書いているということです。

 2つ前のツイートで“お金を使う立場の組織はどうしても”と書きましたが、以下のようなことです。多数の取材申し込みがあったから対応したのでしょうが、学生の初マラソンでここまで大学がするのは初めてでは? 渡辺康幸選手がどうだったか?
 大学が悪い、メディアが悪いと言っているわけではなく、長距離強化にお金をかける大学も、収益に苦しむメディアも、こうしないといけない社会になっている。そのなかで現場がどれだけ冷静にいられるか

 S選手の初マラソン時にS監督から「あなたたちが」と言われたこと、肝に銘じています。もちろん一方的な期待を書いたつもりはありませんが、そういう傾向が出ていたのは確か。では、まったく書かないのが良いかというと、社会的に見たら、世間的に見たら、記事は必要だとと思っています。難しいところです
 指導者の方たちも会社との関係、世間一般との関係で悩んでいるのでは? 南の島や外国に行って練習はできても、そこで陸上競技ができるわけではありません。会社や世間を現場の強化にどう生かしていくべきか。一線を退かれた指導者に取材をするのも1つの方法です。掲載してくれるメディアは……ないか

------------補足 自分で言うのも何ですが、けっこう示唆に富んだTweetだった気がします。個人的な悩みも垣間見せていますが、上から目線で、こうすれば解決できる、とは書けませんから。陸上競技の課題で簡単に解決できることなんて、ないと思います。


◆2015年2月5日(木)
 シーズンオフにも長距離以外の記事を5日連続で出した産経新聞のタカラだ!記者に対抗して、今日はT&Fの話を。少し前に、北京世界陸上の選考基準がかなり複雑で、疑問点もあるとツイートしましたが、別大マラソン取材後に陸連に疑問点をぶつけてみました
 誤解をされないように最初に結論を書くと、陸連サイトに掲載されている選考基準はあくまでも“選考方針”で、最終的な“選考要項”ではないのだそうです。意気込んで質問したので、いきなり肩すかしを食った感じでしたが、陸連サイトにその旨、ちゃんと記載されていました
 PDFには“最終ではない”とは書かれていませんし、最終的な“要項”の前に“方針”を公表したことは過去になかったので。でもマラソンは今回“方針”“要項”と2段階でしたね。今の強化委員会のやり方のようです。早めに方針を発表して理解を得る、周知徹底するスタイルが

 寺田が疑問に思ったのは短距離選手の選考です。ここから先を読む方は先に、以下の選考方針に目を通してからにしてください
 3.選考基準のなかに優先順位1)〜6)の項目があり、その注釈に1)、4)、6)における100m、200m、400mの選考は世界リレー派遣選手を優先する、という注釈がありました。おかしいと思ったのは1)で、派遣設定記録突破者中日本選手権最上位選手という規定

 4)と6)は該当選手が複数出る可能性があり、そのときは世界リレーの代表を優先します、という意味です。4)は派遣設定記録突破者で日本選手権8位以内。100mが10秒01で200mが20秒28ですから、2人以上出る可能性がないことはありません
 6)は標準記録突破者で日本選手権の指定順位(これが3月に決定)以内という規定。つまり世界リレーに出ていない日本選手権の2位よりも、出ている3位が優先になりそうです。昨年のアジア大会選考で、世界リレーで頑張るメリットがないと批判された反省でしょうか

 ところが1)は派遣設定記録突破者の日本選手権最上位選手ですから1人しかいないわけです。世界リレーに出ているとか出ていないとか、関係ないはずです。それに派遣設定記録の日本選手権最上位選手なら、世界リレーに出ていなくても選ぶでしょう?
 この規定は日本選手権最上位選手が2人以上出たときを想定しているそうです。つまり、同着選手が2〜8人出たときには世界リレー出場選手を優先する。そこまで考えなくても、と申し上げたら、あらゆるケースを想定して文章化しないといけないとのこと。頭が下がりました

 そこで「ちょっと待った!」です。そうであるなら、優先順位2)標準記録を満たした日本選手権優勝者 にも注釈をつけるべきでは? 優勝者が2人とか3人出ることもあり得ます。と申し上げておいたので“選考要項”の段階で変わっていると思います


◆2015年2月6日(金)
 2月3日に大学駅伝決算号(BBM社)が発売になりました。ちょっと前に、(H編集長が)分析的な記事しか書かせてくれない、とグチった陸マガ増刊です。今回は、通常の取材記事ですけどまさかのニューイヤー駅伝記事と、従来の分析的記事「5強」の2本を書きました。
 ニューイヤー駅伝記事が、それも4ページも大学駅伝の雑誌に載るのは画期的なこと。昨年は学生だったルーキーたちが活躍したからでしょう。ルーキー2人の区間賞は過去にもありましたが、1区と4区ですから価値がある。展望記事用にたくさん取材したネタのストックが生かせます。

 1区区間賞の大迫傑選手と、4区区間新の設楽悠太選手は取材し直そうと思いました。海外にいる大迫選手はできませんでしたが、ニューイヤー駅伝後の取材時にすでに、決算号用のネタも取材していました。1月3日には決算号で扱うと編集部から聞いたので対応できました。
 大迫選手は駅伝でも、そのとき可能な全力を出しますが、大きく見れば全力を出していません。本来なら書きにくいところですが、大迫選手がはっきりと話してくれたので書くことができました。

 今回のニューイヤー駅伝は佐藤悠基選手も宇賀地強選手も4区を走っていません。今井正人選手も今年を最後にしたいと、森下広一監督は話していました。後継者がいるから可能になるのだと思いますが、駅伝は本来、日本代表クラスに負担をかけないレースになった方が良いと思います。
 実業団のエース区間は体力的な負担を考えると、なるべく若手に譲っていく方が良い。もちろん、それで駅伝人気が下がっていったら長距離界自体が良くない状況に陥るので、新しいスター選手をつねに育てていく必要があるのですが。そのための駅伝でもあると思っています。

 日清食品グループが大学の強い選手を大量に入社させて、業界内ではやっかみもありますが、それも1つの有効な方法です。強い選手が揃って駅伝が楽勝できるくらいになれば、選手個々が自分の目標に専念できる。世界を目指しやすくなります。
 瀬古さんがよく、エスビー食品の全盛時代は駅伝のことなんか気にしていなかったとコメントされますが、五輪代表が4人、後に代表となる選手を含めれば6人もいたら、それも可能になります。だからエスビー食品の選手はマラソンに専念できたし、トラックでも代表も狙いやすかった。

 日清食品グループの白水昭興監督に「エスビー食品のようなチームを目指しているのでは?」と質問をぶつけたことがあります。白水監督の答えは「そんなのできっこない」だったと記憶しています。日清食品グループも負けていないのに……と思ってしまうのは、時代のせいでしょう。
 やはり五輪代表4人というチームは簡単には作れません。現代は陸上報道が当時より発達していて、駅伝の区間賞を取ったり、1万mで27分台を出したら繰り返し記事になる。名前バリューのある選手を指折り数えたら、4人や5人はすぐにいく。でも、代表レベルではないのです。

 そのなかでも今年の村澤明伸選手のように、故障からの復帰過程の選手や若手に4区を任せられるようにすれば、駅伝を活用して選手の成長を促すことができます。大学駅伝で慢性的な故障を抱える選手が多いのを、なんとかしないといけないのも実業団の立場です。
 日清食品グループでさえ、かつてのエスビー食品のレベルにはない。さらにコニカミノルタやトヨタ自動車、トヨタ自動車九州がこれだけ頑張っていたら、簡単には勝てません。それでも佐藤選手や大迫選手に無理強いをしない。色々と大変だと思いますが、素晴らしい姿勢だと思います。

 設楽悠太選手の話までTweetできませんでした。明日、できるかな。記録集計号名鑑の作業が予定より少し遅れていて、、、


◆2015年2月7日(土)
 昨日からの続きで、大学駅伝決算号(BBM社)のニューイヤー駅伝記事のネタです。1月13日に富津で合宿中のHondaを訪ね、設楽悠太選手と服部翔大選手と大澤陽祐監督に取材をしました。ルーキーが4区と5区ですから、戦力に占める割合が上位では一番大きかったチームです。
 服部選手が大学と実業団の違いについてわかりやすく説明をしてくれたので、記事に説得力が出ました。つなぎの日の練習を、選手が1から考えるのが実業団で、学生は指導者がどこを何分くらい、何kmくらいと指示を出すのだそうです。すべての大学がそうとは言い切れませんが。
 その違いを踏まえて、実業団で伸びるのはどんな選手なんだろう、というところを、設楽悠太選手を例に書き込むことができました。今回のニューイヤー駅伝でルーキーたちが活躍できたのは何でだ? という話は必ず要求されるので助かりました。

 悠太選手は学生時代、兄の啓太選手がいたこともあり、東洋大のエース区間を走ったことがありません。その選手がニューイヤー駅伝4区でいきなり区間新で走ったのですから、ルーキーたちの中ではMVPといえるでしょう。チームの優勝に貢献したという意味では窪田忍選手ですが。
 その悠太選手が区間新で走れた理由としては2つを挙げています。1つはレース展開的に、競り合いよりも自分が引っ張る展開を得意とする悠太選手に恵まれていたこと。啓太選手のような競り合う展開だったら、あそこまでタイムが良くなったかわかりません。本人も認めていました。

 2つめは実業団で自身のスタイルをいち早くつかんだこと。学生時代よりも故障が明らかに減っています。それを説明するために出した数字が月間走行距離の350km。入社後の少なかった1カ月、ということで、4区が決まってからは増えていると大澤監督が補足してくれました。
 350km。この数字を聞いたときはかなりの衝撃がありました。これまで取材をしてきた中で一番少ない数字かもしれません。フルタイム勤務の川内優輝選手よりも少ないのですから。もちろん距離を減らすこと自体が目的ではなく、“故障を避ける感覚”を優先した結果です。
 その距離でも実業団最長区間の4区で区間新が出せる。学生時代の蓄積があったからかもしれませんし、試合が続いた時期に少なくて、駅伝が近くなって増えてきた“流れ”が良かったのかもしれません。350kmという数字に惑わされてはいけませんが、でも350kmです。
 設楽悠太選手自身もその距離が理想と言っているわけではなく……これ以上書いたらまずいですね。大迫傑選手と窪田忍選手の取り組みも対照的ですし、ルーキーたちの1年目の取り組みを比較できるように書いたので、決算号を購入してください。


◆2015年2月10日(火)
 7日(土)の日記の続きです。
 大学駅伝決算号(BBM社)のニューイヤー駅伝記事以外では「KEY WORDC5強」を書きました。数日前にツイートしたように、スカウトについても触れた記事です。斬り込んだ、と言えるところまで書いていませんが、アンタッチャブルな雰囲気もあるテーマを正面から取り上げた初めての記事かもしれません。某ライターは読んだことがないと言っています。

 5強の中での勝ち負けは“強化”によって決まると言えますが、5強とそれ以外のチームを分けたものは間違いなく、スカウトだと思います。渡辺康幸監督の「今の大学の指導者はみんな能力も情熱もある。ならば“仕入れが8割”」という言葉に象徴されています。
 と、言い切ってしまうのも、専門誌増刊の箱根雑誌としてはどうかと思っていたところ、東洋大・酒井俊幸監督が「モノが良いから強いではなく、努力をしているから強い」と、5強の他のチームの強さも分析的に話してくれたので、その見方もしっかりと紹介しました。
 実際、06年に優勝したときの亜大や、駒大が強くなった初期の頃とか(2年前の日体大も?)、スカウトで劣勢の大学が箱根に勝った例もあります。スカウトによって順位が影響される傾向が大きいのは確かで、それが今回の箱根でははっきり出て、6位以下のチームは2区以降、5位以内ではほとんど走れなかった、ということだと思います。唯一の例外が5区で、早大をかわした中央学大でした。

 そのスカウトに影響する部分としては、箱根駅伝の成績、学費免除の特待生枠の多さなどの資金力、偏差値や有名大学といったブランド力、指導者の指導力、トレーニング環境などを挙げました。皆さん、なんとなくわかっていた部分だと思います。
 資金力やブランド力で上位校が固定化されていいのか? と水面下では叫ばれています。特待生枠を1大学で毎年2〜3人に統一すべきだ、という意見も紹介しました。そのくらい、資金力の違いはスカウトに影響するようです(資金をかけられない記事なので、あまり突っ込んだ取材はできませんでしたが)。
 ただ、仮に特待生枠が統一されても、スカウトで優位に立つ大学は出てきます。大学名はその人間の肩書きとして一生ついて回ります。ブランド力は選手の親から見たら最重要項目かもしれません。栄養費の補助も、規制しにくい性質のものかもしれませんし。
 指導者としてはスカウトにおいても、資金力やブランド力よりも指導力で勝負をしたい。せめて特待生の枠だけでも公平になれば、あとは指導力で、ブランド力に勝てるかもしれない。戦力が“分散するチャンス”が少し大きくなると考えているのでしょう。

 上位校の固定化は、箱根駅伝では昔からありました。以前は体育学部の有無が大きく影響しました。そのまた昔の中大全盛時代は、物不足の時代のなか中大の食事がものすごく恵まれていた(OBの寄付が多かった)という記事を読んだことがあります。
 ある意味、社会を反映するのが箱根駅伝なのでしょう。考えてみれば、今の5強もここ10数年のなかで予選校から這い上がってきています。社会が変われば上位校の顔触れも変わってくる。理系学部を持つ大学が強くなるとか、地方の大学が強くなるとか、ないとは言い切れません。
 取材をしっかりしたら「箱根駅伝と日本社会」とかいうテーマで講義の1つくらいできるかもしれません。目指せ、○○○○○。箱根駅伝がこれだけ社会的に認知されると、いくつでも研究テーマがありそうです。
 メディアとしては、スカウトで苦戦する大学が良い結果を出したら、しっかりと強化過程にスポットを当てて紹介したいと思っています。青学大の以前のトレーニングと、近年のトレーニングの違いとかやったら良いのに、と提案はしたのですが…。


◆2015年2月11日(水・祝)
 昨日(10日)の神戸新聞に掲載された小林祐梨子選手の引退記事を読むことができました。小林選手が競技的に突き詰めて臨む大会としては昨年12月の全日本実業団対抗女子駅伝がラストランでしたが、2月1日の兵庫県郡市対抗駅伝は地元に挨拶の意味を兼ねてのラストランでした。
 現陸上競技メイン担当の橋本薫記者によるインタビュー記事と、05年から5年間、メイン担当だった藤村有希子記者のコラムの豪華2本立て(兵庫県なので宝塚歌劇を意識?)。
 ネットのインタビュー記事は有料ページだそうです。神戸新聞では陸上競技も野球、サッカーと並ぶ重要競技だから有料にしている、という噂もあります。あと、何度か書いていますが、橋本記者は男性ですので、兵庫県の選手は誤解しないようにしてください。

 インタビュー記事ではまず、引退を決意したのが13年の実業団駅伝だったこと(16位。個人3区区間20位)を明かしています。「五輪に出られるレベルに戻れるなら続けたいが、ちょっと活躍できるぐらいは望んでいない」。昨年12月の駅伝の走りを見れば予想できた理由です。
 慰留されてもう1シーズン、実業団駅伝の3位を目標に頑張ったそうです。赤羽周平コーチが入ってチームの強化スタイルが代わり、林田選手や福田選手という有望新人も入りました。今後の豊田自動織機を考えると、小林選手の役割は小さくなかったと思われます。

 全体的に“素の小林祐梨子”が出ているインタビュー記事でした。「長く競技をやるのが華って思いもあったが、そこまでのメンタル力がなく」とか、「怠け者で、努力家でもないのに」とか、現役時代にはなかったコメントです。藤村&橋本記者だから引き出せた?
 思い出のレースは? という問いには、全国高校駅伝の3年時のレースを挙げています。2区で20人抜きを演じ、須磨学園を優勝に導きました。「あれだけ前しか追わなかったのは初めて」。駅伝大好きの小林選手らしいと思いました
 個人的には自己評価の一番高いレースも、知りたいですね(紙面スペースで割愛された?)。駅伝を挙げるのか、1500mの日本新なのか、5000mの世界陸上11位なのか。1つでなくても、それぞれの自己評価を聞いてみたい。30分程度のインタビューでは無理かも?

 もう1つ聞きたいのは、須磨学園、豊田自動織機と指導を受けてきた長谷川重夫監督への思い。須磨学園は小林選手の入学後に練習メニューや動きを、それまでのスタミナ重視からスピード重視に変更しました。駅伝だけでなく、卒業後のことを考えての決断でした。
 小林選手もそれに応え、5000mで結果が出てからも1500mにこだわりました。長谷川監督も自分の指導法だけに固執せず、米国へ陸上留学に送り出したりした。13年が師弟10周年で、何か企画ができないかと考えていましたが、故障がちで実現できませんでした。

 藤村記者のコラムを読んで感動した話は明日にでも。


◆2015年2月12日(木)
 昨日の続きで小林祐梨子選手の神戸新聞の引退記事を読んでの感想です。
 藤村有希子記者のコラムには、寺田も「これが小林選手だよな」と感じていた特徴を、しっかりと書き込まれていました。まずは“目”について。同記者の「大きな瞳を、まるで獲物を狙うかのように光らせる」という表現で、小林選手の眼光鋭い表情を思い出す方も多いのでは?

 走りの特徴としては「かかとを地面に着けず、爪先を着けると同時に蹴るという短距離選手並みの走法。シューズが破れるほどのキック力の強さ」を紹介しています。この話を最初に聞いたときは信じられなくて、メーカーの担当者にも確認したほどです。
 メーカーにとって、シューズが破れるということは、本来は公にされたくない話です。それをメーカー側も認めたということは、他の選手だったら絶対に破れない、という自信の裏返しだと判断しました。小林選手だけの特例なのです。
 戦績については単にこの大会で何番、新記録はこれとこれ、という紹介の仕方でなく、「自宅には、一室に収まらないほどのトロフィーや盾、賞状が並んだ。」という書き方も。陸上競技のことをよく知らない読者にも理解させる工夫は重要です。

 選手のキャラをどう描写するかも重要です。「インタビューでは真っすぐな思いを、早口でまくし立てた」と藤村記者。寺田も取材中、メモが追いつきませんでした。陸上界3大早口選手と言われているのは高橋尚子選手、小林祐梨子選手、そして最近では川内優輝選手です。
 早口の選手は頭の回転も速い、と経験上断言できます。もちろん強さとイコールではありません。福島千里選手のように、おっとりした話し方の選手もいます。先日のイチロー選手の入団会見も興味深く見ましたが、一言一句をゆっくり考えながら話している。

 締めは、藤村記者の思いが込められていました。引用の規定を超えてしまうかもしれませんが、以下、少しだけ記事を、そのまま紹介させていただきます。

「引き際って考えますよね」。今回の郡市区駅伝の翌日、そう漏らした。
 42歳の早狩実紀、39歳の小崎まりのような息の長い活躍にも憧れたというが、強烈な才能に体は持ちこたえられなかった。近年は座骨神経痛に苦しみ、走れない。「髪の毛が抜け落ちるほど精神的に追い詰められてました」。それでも「元気で前向きな小林祐梨子」を見せ続けようと、周囲には懸命に笑みを振りまいていたのだという。
 まぶしすぎる栄光と、それゆえにさまよった深い闇。中学時代から絶え間なく注目されてきた彼女はやっと、大きな荷を下ろした。


 昨日も書いたように、現役時代の小林選手は前向きで、自信にあふれたコメントがほとんどでした。それが今回のインタビューでは“素”で語ったのでしょう。「まぶしすぎる栄光と、それゆえにさまよった深い闇」。読んでいて胸にジーンと来ました。

 やはり早熟選手の宿命でしょうか。藤村記者に比べると言葉が平凡ですが。昨年引退した新谷仁美さんもそうでしたが、早熟選手でも世界と戦えることを示しました。為末大選手が世界レベルへ上り詰めた早熟選手の代表例ですが、晩成型とは違った難しさがあります。
 女子長距離では高校時代に全国トップレベルで活躍した選手は伸びない、と言われていましたから、小林選手と新谷選手は“成功例”として検証、紹介して良いと思います。“良識派”の人たちからは、「26歳は早すぎる」と批判されるのでしょうが。

 早熟型の話題が長くなりそうなので、これもまた日を改めて書きます。同学年選手にも言及したいですし、記録集計号の名鑑作業をしていて、面白いことも判明しましたし。


◆2015年2月13日(金)
 一昨日、昨日と小林祐梨子選手の神戸新聞引退記事の感想を書いてきました。その続きなのですが、小林選手というよりは早熟選手についての考察になってしまった感じです。最初に断っておきますが、寺田が強化に関してこれが良い、こっちは悪い、と主張することはありません。この選手はこのスタイルだった、こっちの選手はまた別のスタイルだった、と紹介しているだけです。
 今日の日記も早熟型選手になることを勧めたり、それが良い方法だと言っているわけではありません。

 そもそも早熟型になってしまうのは所属したチームの練習がハードだったり、それに耐える体が早くからできていたのが理由で本人の意図とは違います。女子長距離ではマイナス面が出ていて伸びないと言われる状況になるのですが、有利な点もあります。
 世界で戦えるようになるには“壁”をいくつも乗り越えなければ到達できません。壁の高いか低いかは判断が難しいところですが、早熟型選手の利点は壁を乗り越える回数が少なくても到達できること。為末選手は高卒後、自己新を出したシーズンは2回だけでした(400 mH)。
 小林選手も06年に1500mで日本記録を出しながら、07年の日本選手権は3位と敗れて大阪世界陸上代表を逃しました。しかし、その年のうちに5000mで15分21秒37を出し、翌08年の北京五輪は種目を変えて代表入り。そして09年世界陸上で11位です。
 為末選手も100m&200m全日中優勝から、ケガで低迷した期間を経て3年のIH400m優勝、そして秋の国体400mHで49秒09と代表レベルの記録をマーク。2人の共通点は中学か高校で新記録を出し、種目を変えて壁を越えたら世界に出られるレベルだったことです。

 日本は駅伝やインターハイが盛んなため、早熟型選手が生まれやすい環境にあると思います。たぶん、陸連の強化システムも早熟型を前提にしていて、世界ユースや世界ジュニアで早くに入賞させて、成功体験をもとにモチベーションを持続させようとしている。
 それでも問題点はいくつもあって、世界ユースや世界ジュニアの戦績を見返しても、どちらかというと消えてしまった選手の方が多い。成功している選手をさかのぼってみれば、世界ユース・ジュニアに出ているのですが、代表全体で見れば生き残った確率は高くないと感じます。
 その理由は複合的ですが、1つは指導者に任せきりの高校から、自分で自分を律しないといけない大学の環境への変化に適応できないこと。もう1つは、高校までに結果を出したことで周囲からの期待、さらには自身への期待が大きくなりすぎてしまうこと。

 小林選手を例にすれば、高2の世界ユースで銀メダル、高3の世界ジュニアでも銅メダルを1500mで取りました。周囲の期待はシニアでもメダルを、悪くても入賞を、となります。選手も彼我の力を冷静に見るのでなく、自身の気持ちを鼓舞する意味でも目標を高く設定します。
 早熟選手が多い日本はメダル候補や、五輪代表候補が簡単に誕生し、過大な期待を背負って競技生活を送り始める。しかしメダルが簡単なことでないのは確率を考えれば明らかです。世界ジュニアは3学年のなかでの勝負ですが、五輪&世界陸上は10学年くらいのなかでの勝負になる。
 目標設定を低くすれば良い、と言い切るつもりはありません。低く設定して、下の選手に合わせて、そこでの勝敗だけに意識が行ってしまう選手もいるでしょう。そこは近くにいる大人が、その選手にはどちらが良いかを見極めないといけない、のかな。

 日本代表の顔ぶれを見ると、種目特性の違いなのか、長距離とトラック&フィールドでは早熟型選手の数が違います。トラック&フィールドは圧倒的に多く、長距離の特に女子は少ない。ちょっと定義が厳密ではありませんが、ここでは高校時代のトップ選手の数で説明します。
 仁川アジア大会の女子長距離・マラソン代表は尾西美咲、萩原歩美、西原加純、木崎良子、早川英里、三郷実沙希、中村真悠子と高校時代は無名選手ばかり。松崎璃子選手くらいでしょう、高校で世界ジュニアかユースに出ているのは。西原選手の世界ジュニアは大学2年時でした。
 一昨日、小林選手と新谷選手を評価すべきでは、と書いたのはそういう理由によります。はっきりと書くのはためらわれますが、高校駅伝はトラック&フィールド以上に過熱度が大きいのかもしれません。早熟型選手を日本の女子長距離界は代表レベルに育てきれていない。

 でも、男子はのトラック長距離は代表レベルになりますから、女子は身体的な変化が20歳前後で現れる影響が大きいのでしょう、たぶん。新谷選手が一気に来たのはテグ世界陸上代表になった2011年からですから24歳になるシーズンです。
 それに対して小林選手は高卒1年目こそ代表入りできませんでしたが、2年目で北京五輪代表入り、3年目で世界陸上11位です。長期の停滞期間はありませんでした。早熟選手の1つのモデルケースになるような気がします。

 ただ、大きな目で見たときに休む期間がなく突き進んだことが良かったのか、という議論もあるでしょう。ベルリン世界陸上後の小林選手がケガが多くなったことを考えると。その検証の意味も含めて、小林選手の競技人生を振り返る記事があったら良いですね。
 もちろん選手当人は、ここで紹介したようなところを気にしないで競技人生を突っ走ってきたはずです。生身の人間の思いと、陸上メディアの視点が一致するとは思えません。そこを上手く紹介できたら良いですね(誰が?)


◆2015年2月16日(月)
 昨日は3年連続の日本選手権20km競歩取材でした。
 神戸に前泊しましたが、記録集計号名鑑の締め切り(マラソンと競歩は後日)で朝の5時まで仕事。久しぶりに2時間睡眠で取材に行きました。
 今年は日本新が出た過去2年と比べればスローペースになると予測できたので、取材はそこまでハードにならないだろうと思っていたら、1、2位の2人が、従来の日本記録を上回りました。競歩の勢いは止まりません。

 スローペースの予想は間違っていなくて、5kmは20分04秒の通過(昨年は19分32秒)、10kmは39分43秒(昨年39分02秒)でした。この展開は、後半にペースアップする国際大会仕様のレースを、鈴木雄介選手が意図したからです。
 13kmまでは1km毎が3分50秒台でしたが、そこから3分40秒台に。眠気が吹っ飛びました、というのは冗談で、たとえ2時間睡眠でも、そんなものは最初からありませんでした。
 まさか日本記録に届くとは思いませんでしたが、レースの途中で記録を計算する余裕があるのが競歩取材の良いところです。これは国際レースパターンを目の前で見ているんだと、興奮しましたね。

 しかし、シニアの20kmレース中に、ジュニア優勝者のコメントを取材しないといけません。どうやってレース取材と両立させるか。記事をお読みいただいてもわからないところですが、水面下で一生懸命に脚をばたつかせているわけです。青学大・原監督流に言えば宝塚音楽学校みたいに(兵庫なので)、表面はなんとかでも、その裏側で地味な頑張りをしないといけません。
 選手コメントなどは朝日新聞ツイッターをご覧ください。陸マガ記事の視点も、ほぼ決まっています。競歩はネタもそれなりに蓄積できているので、4ページでも10ページでも「ドンと来い! 競歩記事」(ドラマ「トリック」の阿部寛口調で)。

 競歩とは関係ないですけど、横田真人選手が800mの日本記録を奪い返すと、日大・松井一樹コーチ宛てにツイートしていました。そのあたりの800m記事も、少しの追加取材で書けるくらいにネタはあります。それに対して1500mが少ないですね。楠康成選手なら少しありますが。

 女子20kmWは岡田久美子選手が、前回優勝者の井上麗選手とのマッチレースから8〜9kmで抜け出して初優勝(2人は同学年。前田浩唯選手も)。1時間31分57秒で自己記録の更新は25秒でした。大幅と言うほどではありませんが、岡田選手には自信となったレースだったようです。
 岡田選手は2010年のモンクトン世界ジュニアの銅メダリストですが、その後の戦績は、それに見合うものではありませんでした。同じ大会のメダリストには飯塚翔太選手、ディーン元気選手、戸邊直人選手と、大活躍している選手が多い大会です。
 同学年には他にも新井涼平選手、山本聖途選手、大迫傑選手もいます。こうした男子選手の活躍に対して岡田選手や、長距離の鈴木亜由子選手は、学生時代もインカレやユニバーシアードでは結果を残しても、日本代表レベルにはなりませんでした(新井選手もそうでしたが、特例ということで)。

 3日前のツイート連投で早熟選手について触れました。岡田選手は立教大の監督の指示もあり、学生時代にそこまで追い込む練習をしなかったそうです。そういう環境にしなかった。ビックカメラに入って環境と気持ちを整えて、ここから世界に、という態勢になったのがこの1年です。
 昨日、実業団ハーフで5位に入った山崎里菜選手は小林祐梨子選手と同学年ですが、中1で全日中に出て、高2で世界ユース4位。パナソニックに入社後はあまり活躍していませんでしたが、昨年1万mで31分台を出して標準突破。岡田選手と同じケースでは? と推測しています。チャンスもあると思うので、その辺はしっかり取材します。

 話を競歩に戻します。ジュニア優勝者は男女ともコメント取材できました。男子は河岸良祐選手がインターハイ、国体に続いて3冠を達成。大会前に3冠が目標だと宣言していたそうです(当然と言えば、当然かも)。
 飾磨工高の選手なので、神戸新聞と一緒に取材させていただきました。昨日は西脇多可新人高校駅伝もあって、神戸新聞的にはそちらの紙面の方が大きくなるので、陸上競技メイン担当の橋本薫記者(男性)は西脇に、日本選手権20km競歩は若手の井川記者でした。今日の紙面を拝見すると、写真も綺麗です。

 女子は世界ジュニア7位入賞の峰村かな選手。川内優輝選手が勤務する久喜高の選手だと言って他の記者も誘ったのですが、さすがに20kmのレースが佳境に入っていて、寺田の単独取材に。表彰式がいつ始まるかわからず大変でしたが、そこはまあ、なんとかするのがプロということで。
 峰村選手の、川内優輝選手に関するコメントです。「世界ジュニアに行くときにアドバイスをいただきました。その後もお目にかかったら挨拶をしています。ときどき事務の部屋でお見かけしますが、背筋をピンと伸ばして仕事をされているので、すごいな、と思います」

 3年連続で日本新が出ましたが、東洋大・酒井俊幸監督にも3年連続で競歩取材の現場でお目にかかりました。レース前には「競歩の名監督!」という声もかけられていましたね。「駅伝の名監督!」という声もかかっていたかもしれませんが、寺田が聞いたのは「競歩の…」という方です。西塔拓己選手が世界陸上で入賞し、松永大介選手が世界ジュニア金メダル。異論はないでしょう。
 神戸で酒井監督に会ったときは熊日30kmの話題をすることが慣例? になっています。一昨年は設楽啓太選手の学生新。兄弟そろっての1万m27分台がいないと確認すると、「今年は兄弟そろって27分台を」と目標を話してくれました。それを実現しましたから、トラック長距離の名監督とも言えます。

 昨年の熊日30kmは服部勇馬選手が1時間28分台の学生新でした。酒井監督からその記録を聞いても信じられなくて、何度も念を押しました。昨日はその服部選手の東京マラソン欠場が発表されましたが、先日、酒井監督に電話取材したときの服部選手についての話に感銘を受けたので、東洋大のマラソンへの取り組みは今後も注目します。
 昨日の熊日30kmは服部弾馬選手が5位に入りましたが、記録が1時間31分台で近年では低調でした。後半にペースダウンしたことに不満な様子でしたね。競歩も今年は、故障がちの西塔選手が13位で、松永選手はケガで欠場。長距離も競歩も立て直しを誓っていました。必ずやってくれるでしょう。


◆2015年2月18日(水)
 先々週末(2月第1週)は別府に飛び、大分に行き、別大マラソンの取材をしました。陸マガ3月号が14日に発売され、別大の記事も載っています。ちなみにこの写真がレース翌日の毎日新聞です。主催紙なので当たり前とはいえ、充実の紙面展開ですね。

 毎日新聞記事を読んだときの印象は「視点が重なるなぁ」。取材機会は限られていますし、文字数の少ない選手は重要な要素とか同じになります。先日、紙メディアは文字数が限られていて大変だとTweetしましたが、専門誌は出るタイミングが遅いので、なお大変です。
 極力、視点は同じにならないようにして、視点が同じならネタを重ならないようにします。レース後は共同取材が原則なので、同じ話を聞いても、違う視点にできるかどうか。これが大変なのですが、ある意味、腕の見せどころでしょうか。
 そのためには駅伝も含め、以前の取材で蓄積したネタや、共同取材以外のところで入手したネタを駆使します。発想(着眼点)も重要でしょう。コメントの重なりなどどうしようもないときもありますが、ネタの蓄積はある方だと、ひとかけらの勇気を持って記事を書いています

 レース展開の記事では門田浩樹選手と山本浩之選手の、“前半の走り方”の違いに文字数を割きました。門田選手が集団から後れそうになった回数は、共同取材とは別の機会に取材させていただきました。雑誌取材は、新聞記者たちが記事を書いている間も少し時間があるのです。
 レース展開記事なのに、締めはプライベートネタです。優勝したエスティファノス選手が1週間後に挙式すると会見で話したからですが、日本人1位の門田選手も、月末に子どもが生まれるから頑張れた、と話してくれたので書くことができました。

 プライベートネタといえば“ダブル増田”(増田明美さんと朝日新聞・増田創至記者)の専売特許のように思われているかもしれませんが、寺田も“私生活の充実が競技にプラスになる”という見方には賛同しています。その出し方が3人それぞれだということです。
 増田明美さんは知っていることはとにかく話します。増田記者は、ネタを仕入れる一方でなかなか出しません。寺田は、今回のようにここぞ、という感じで出します。放送メディア、一般紙、専門誌という媒体の違いかもしれませんが、何か取材者側の違いもある?

 陸マガにはエスティファノス選手と門田選手のことしか書けませんでしたが、一番インパクトがあったのは3位の山本浩之選手のプライベートネタです。山本選手は昨年、結婚したそうですが、お相手は広島大で陸上部のマネジャーをされていたそうです。
 奥さんは広島大で山本選手は東洋大。これは広島東洋カープのファンではないか? とNY駅伝事前取材の後に気づき、大晦日に前橋で確認したら、本当にカープファンでした。「カープファンの松宮さんに観戦に連れて行かれて僕もファンになりました」……まあ、良いでしょう。


◆2015年2月23日(月)
 夕方から名古屋のホテルで、トヨタ自動車のニューイヤー駅伝の優勝報告会が開催されました。写真は冒頭の主催者挨拶(小澤副社長)
 小澤副社長は挨拶のなかで「毎年優勝争いに加わることと、数年に1回は優勝を」と佐藤敏信監督に注文を出しているそうです。「できれば来年は2連覇を」、とも話していました。

 写真を撮るのを忘れてしまいましたが、MCはTBSの土井敏之アナ。ニューイヤー駅伝のセンター実況を担当していますが、ルパン三世の次に赤のジャケットが似合う男、としても知られています。
 土井アナからインタビューされた各選手。3区の宮脇千博選手は「2度優勝しているのは自分だけ」と強調していました。4区の窪田忍選手は「4区をずっと走り続ける」とアピール。2人は同学年ですが「そろって区間賞を取れれば」と、どちらかがコメントしていました。

 宮脇選手のコメントにもあるように、トヨタ自動車は4年ぶり2度目の優勝でした。4年前の優勝報告会は3月11日に予定されていましたが東日本大震災が起きたため、しっかりと開催できませんでした。トヨタ自動車にとっては2回分の優勝報告会だったのかもしれません。
 佐藤敏信監督が元旦のレース後の取材に「3年間苦しい思いをしてきた」と話していました。12年以降は4位、8位、7位。ただ、その3年間もどこかの区間では1位を走ったり、トップに迫る2位を走ったりしています。テレビ画面にはしっかり映っていたわけです。

 嬉しかったのは、多くの陸上部のOBたちに会えたこと。内田直将さんはヘッドセットを付けて駆け回っていました。裏方として優勝報告会を支えていたようです。高橋謙介さんは相変わらず脚が長かったですけど、“主任”として仕事を頑張っているそうです。
 吉村尚悟さん(主任です)は母校・神奈川大の市川大輔コーチに挨拶していました。その2人を見てピンと来たのが1万mの神奈川大記録。柿原聖哉選手が3秒差まで迫っていましたが、惜しくも届かず吉村さんの28分30秒71が残ってしまいました。
 更新した選手には吉村さんが賞金を出せば良いのでは? と提案しておきました。今年の箱根駅伝で10年連続シード落ちしてしまった神奈川大ですが、何か明るい話題があれば雰囲気も変わるのではないかと思いまして。お節介ですね。

 中京学院大・浜野健監督と菅谷宗弘さんが談笑していました。浜野監督はかなり長い間、駅伝でエースでしたし、マラソンではサブテンを達成(トヨタ自動車初?)。菅谷さんはいぶし銀的なベテラン選手でした。今は“エキスパート”の役職で仕事を頑張っています。
 菅谷さんは4年前の優勝時は5区でした。1位でタスキを受けたのですが区間5位で3位に後退。しかしトップと3秒差で粘り、アンカー勝負のお膳立てをしました。ちょっと記憶が曖昧ですが、急きょ起用されたのだったと思います。勝因の1つに挙げられました。
 菅谷さんは4年前、7区の熊本剛選手が優勝テープを切るシーンに間に合わなかったそうです。それが心残りでしたが、応援で前橋に駆けつけた今年はしっかりと優勝シーンを見て、胴上げの音頭を取ったそうです。
 そして今晩は、4年前にできなかった優勝報告会に出席。感慨深い面持ちでした。写真は菅谷さん(右)と浜野監督

参加者に配られた優勝色紙優勝記念の升です。


◆2015年2月26日(木)
 【デンソー2連覇達成感謝の会】が名古屋のホテルで開催されました(写真)。
5区の水口侑子選手は名古屋ウィメンズマラソンに向けた合宿中のため、出席できませんでした。調子がどうか、どんな練習ができているかは、これから取材、、、、じゃなくて雑談予定でしたが、そこそこ取材できました。

 昨年は鏡割りで会の幕が開きましたが、今年は趣向を変えてシャンパン……なんて言うんでしたっけ? 写真はなかなか栓を開けられずに困った高島由香キャプテンの様子 写真1   

 高島キャプテンと若松誠監督の挨拶。高島キャプテン、2連覇とあって挨拶は余裕でした。「チームとしては3連覇、個人としてはもっと力をつけたい。(3区は誰にも渡さない? という質問に)……また走りたいです」

 会場の上司の方から質問を受けた石橋麻衣選手です。
Q ゴールのポーズは決めていたのか?
石橋選手 ゴールすることだけを考えていました(笑)
Q 来年もアンカーだったら、どんなポーズでテープを切る?
石橋選手 3連覇は大きな壁だと思いますが、ゴールするなら「3」のポーズで。

 若松誠監督の挨拶から抜粋。
「勝った直後から3連覇と言われていますが、(駅伝は)そろそろいいかな、個人方も上げたいな、と。ただ、優勝して1週間はとても慌ただしかったのですが、その翌週の月曜日の朝練習に早く出て行きました。
 6:15から朝練習を始めるのですが、一番早い選手は5:27に現れました。5:40〜5:50の間に6人が来て、6時前には全員がグラウンドに揃っていました。これは3連覇を狙わないといけない、やれると思いました。
 練習や試合に取り組む姿勢は絶対に負けません。ここにいる皆さんのお力も借りて3連覇、そして世界陸上やオリンピックに近い選手もいるので、(結果を出して)また皆さんと一緒に喜びたいと思います」


◆2015年2月27日(金)
 今日も、昨日のデンソー2連覇達成感謝の会の話題をです。 デンソーに関するネタは昨日のうちに書いたので、今日はデンソー以外のネタをいくつか紹介します。
 名古屋に来て2回も荘司麻衣選手の取材に行かないのですか? と質問されましたが、本日、中京大の川口孝志郎長距離コーチにお目にかかることができました。
 荘司麻衣選手について寺田のある見方を申し上げたところ、川口コーチに同意していただきました。簡単にいえば、荘司選手の強さは“気持ち”だということです。将来が楽しみな選手です。
 3年生ですから、スカウト合戦も佳境のようです。

 昨日も月曜日のトヨタ自動車の優勝報告会も長距離関係者が大勢集まりますから、人事ネタもたくさん耳にしますが、しっかりした情報、出しても問題ない情報(誰も怒らない情報)しか書きません。移籍情報も1つ2つありましたが、もう少し先ですね、書くのは。
 人事情報といえば大迫傑選手と渡辺康幸監督が最近の2大話題。大迫選手のことは矛盾する情報もあって真実は本人に聞くしかないな、と思っていたら、日刊スポーツに記事が出ました。4月以降の所属は未定と書かれています。

 渡辺康幸監督の進路については各方面からの情報を整合させることができるので、○○でたぶん間違いないと思います。本人に当てて、新聞ならそれで書くこともできますが、、、何度も書きますけど、寺田はそこを頑張ったりしません。
 渡辺康幸監督、3月中旬には発表すると早大関係者から聞きました。その前にどこかの新聞がスクープするか?

 スクープで思い出しましたが、昨日はTOTOの森政芳寿監督も出席されていました。高島由香選手をはじめ、興譲館高時代の教え子が3人もデンソーにいます。昨年は公式発表前に毎日新聞に移籍記事が出た直後で、その件はお話しが上手くできませんでした。
 昨日の森政芳寿監督は笑顔でした。「新人も8人入る」とおっしゃっていましたね。

 実業団連合の会長がトヨタ自動車の優勝祝賀会に続いて昨日も、東京オリンピックに向けて「ある施策」をすることを決定した、と挨拶の中で触れていました。具体的に何なのか実業団関係者に聞くと、まだ発表できないとのこと。
 発表できないのに情報を小出しにするということはつまり、「なんだろう、なんだろう?」と事前に関係者の興味を大きくしておくのが狙いです。ということは、こういう書き方なら実業団連合の意に沿うと思います。
聞いた話では、かなりの金額みたいですよ。

 渡辺康幸監督も本人が「新しい道に進む」「世界に挑戦する選手のお手伝いをする」と公言していますから、そういうことなのでしょう。渡辺康幸がやることに注目してほしい、箱根駅伝だけじゃないぞ、と。何だろうと思わせて、長く待たせることが狙いかも。

 昨日のデンソー2連覇達成感謝の会で入手した<マッスル秋本>ネタに進みにくい雰囲気になってしまいました、ここまでのツイートの内容が。びわ湖マラソンの資料も整理しないといけないので、<マッスル秋本>ネタは日を改めます。情報を小出しにして興味を大きくしているわけではありません。


◆2015年3月23日(月)
 調べ物があって以前の箱根駅伝ガイドブックを見ていたら、北京世界陸上マラソン代表の今井正人選手は4年時に順大の駅伝主将でした。同じ代の陸上部全体の主将はあの仁井有介選手。ということは、高平慎士選手も同学年ということです。ほかには、テニスの錦織圭似と話題になった400mHの小池崇之選手も。

 ちょっと意外だったのは今井選手の指導者2人が同学年だったこと。順大の仲村明監督とトヨタ自動車九州の森下広一監督。代表になった種目が違ったこともあり、気づきませんでした。両監督の共通点は3000mSC。高校時代に8分59秒5(当時高校歴代2位)を出した森下監督は、旭化成に進んで1万m、マラソンと種目を変えて1992年のバルセロナ五輪銀メダリストに。
 仲村監督は高校時代、その学年のナンバーワン選手でした。インターハイは2年時に5000mで優勝し、3年時は国体1万mで優勝。順大では3000mSCに同学年の山田和人選手(ベスト記録8分27秒15・当時日本歴代3位)がいて力を入れていませんでしたが、富士通入社後に2回の世界陸上代表になっています。92年に出した8分28秒98は当時日本歴代4位でした。
 91年の東京世界陸上に森下広一監督は1万m(10位)で、仲村明監督は3000mSCで出場。東京マラソンで快走した今井正人選手ですが、東京は今井選手にとって縁起の良い場所だったのです。

 これも意外だったのが、北京世界陸上男子マラソン代表の監督3人が同学年だったこと。今井正人選手の森下広一監督(トヨタ自動車九州)、藤原正和選手の大澤陽祐監督(Honda)、前田和浩選手の綾部健二監督(九電工)。びわ湖のレース後に、「もしもこの3人が代表になったら監督が同学年ですよ。国体の1500mで一緒に走ったことがあります」と綾部監督が話していました。
 監督3人の直接対決は1985年の鳥取国体少年A1500mで、綾部監督4位、大澤監督6位、森下監督8位。ちなみに1万mは仲村監督が優勝して大澤監督4位、森下監督5位。綾部監督はエントリーしていませんでした(スピードランナーでしたから)。
 30年後の北京ではどんな順位に?

 鳥取国体は森下広一監督(八頭高)にとっては地元国体ですが前述の順位でした。旭化成時代に見せた勝負強さはまだ、なかったようです。しかし、インターハイは5000m9位で、1500mと3000mSCは予選落ちだったことを考えると、地元国体で2種目8位以内は勝負強さがあったということかもしれません(ただ、当時の入賞は6位だったと思います)。

 鳥取といえば第一生命・山下佐知子監督も、当時は鳥取大の学生でした。成年共通5000mで17位。山下監督が強くなる前のタイミングで、鮮烈な印象を残した全国都道府県対抗女子駅伝1区区間賞の、1年3カ月前です。
 それでも、地元国体で後ろの方を走ったということは、何かしら期するものを持ったはず。たとえ勝てなくても、そこで何かしらの強烈な体験をすることで、その後につながっていくのだと思います。

 鳥取国体には、現在活躍している指導者が何人も出場していました。洛南高・柴田博之先生は成年A走幅跳に、浜松市立高・杉井将彦先生は成年共通110mHに、ワコール・市川武志コーチは成年B200mに優勝しています。
 高校と実業団の指導者が優勝しているのに対し、現在の大学の指導者たちはなぜか2位ばかり。中京大・青戸慎司監督は少年A100m2位、東海大・植田恭史部長(跳躍コーチ)は成年共通三段跳2位、日大・井部誠一コーチは少年A400m2位、青学大・安井年文監督は成年B400mH2位。勝つだけが人生ではありません。
 日大・岡野雄司コーチも少年A円盤投2位。大学の指導者たち、本当に勝てなかった大会ですね。まあ、岡野コーチの専門は砲丸投ですけど。言うまでもなく。
 しかし、甲南大・伊東浩司監督(100m日本記録保持者)だけは少年B400mに優勝しています。言うまでもなく、当時の専門種目です。

 二世選手のお母さん、お父さんも優勝した大会。出水田眞紀選手のお母さんの、田村有紀さんが少年共通3000mに優勝しています。ダイヤモンドアスリートに指定された山下潤選手のお父さんの山下訓史先生も、成年共通三段跳で植田先生に圧勝。84年ロス五輪は植田先生が代表でしたから、世代交代の時期だったのでは?
 インターハイ八種競技優勝の田上駿選手(洛南高2年)のお父さんも、少年やり投で2位になっています。
 その他では鈴木雄介選手世界新で一躍、出番が増えた園原健弘さんも、鳥取国体成年共通1万mWで優勝しています。等々力信弘投てき部長も少年Aハンマー投優勝。インターハイの号の陸マガは、等々力部長が表紙でした。

◆2015年3月26日(木)
 灼熱のセビリアを思い出した日になりました。
 筑波大の新長距離コーチに弘山勉氏、亜大の新監督に佐藤信之氏が就任することが、奇しくも同じ日に発表されました。2人の共通点は1999年のセビリア世界陸上。佐藤氏はマラソンで銅メダル、弘山氏は指導する弘山晴美選手が女子1万mで4位。15年半前……懐かしいです。伊東浩司監督にはセビリアのカフェで取材しました。
 2人とも実業団の監督経験がありますが、ここまでの指導実績は駅伝よりも個人の方がまさっている印象です。佐藤信之氏は2008世界ハーフ5位の中尾勇生選手を育てました。箱根駅伝というチーム力の要素がより大きい駅伝で、2人がどんな手腕を発揮するか楽しみです。

 日体大に渡辺正昭氏、早大に相楽豊氏と、関東の大学には新指揮官が多く誕生するシーズンになります。年齢的には渡辺氏、弘山氏、佐藤氏、相楽氏の順ですが、箱根駅伝指導の経験は早大コーチを務めてきた相楽氏が一番長いというか、唯一の経験者です。
 渡辺氏は豊川工高でトラックと駅伝で高校トップクラスの実績を、相楽氏はコーチとして渡辺康幸前監督を支えてきました。この2人は選手としての実績はないのですが、佐藤氏と弘山氏は選手としても実績があります。なんと!2人とも福岡国際マラソン2位(日本人1位)のときに自己新!
 佐藤信之氏の自己記録は98年福岡国際2位のときの2時間08分48秒、弘山勉氏は90年福岡国際2位のときの2時間11分37秒。これは、福岡国際に出る選手が増えますね(と、A新聞H川さんに)。

 新指揮官4チームの争いも面白いですが、現時点では明らかに(引き継いだチームの戦力で)早大の相楽氏が優位に立っていますから、この視点はちょっと…という感じです。やはり4人のここまで歩いてきた道筋の違いでしょうか、注目して面白いのは。あとは大学側のスタンスですかね。
 特に筑波大は、現在主流の箱根駅伝強化とは違ったスタイルで挑もうとしています。そこには注目したいですね。ただ、筑波大も全国各地の高校にOBの先生がいますから、順大や日体大のようにルートはあるはずです。つくばエクスプレスが開通していることも追い風、という意見もあります。

 セビリア世界陸上といえばカネボウの高岡寿成新監督と、駒大の藤田敦史新コーチも出場しています。高岡新監督は1万mで12位、藤田新コーチはマラソンで6位。後年、2時間6分台を出す2人もセビリアで頑張っていました。セビリア組が指導者として責任が重くなる時期なんですね。
 高岡新監督と藤田新コーチの2人が選手として歩んだ足跡は対照的ですし、練習も大きく違うタイプでした。自分が成長した経験をどう指導に生かすか。現役時代からたくさん取材してきた2人なので、注目点はいっぱいあります。
 案外、高岡新監督がスタミナ型の選手を、藤田新コーチがスピード型の選手を育てるかもしれません。自分と違うタイプの選手を預かったときにも経験が生きるのでは、と取材中の話から感じるところがあります。あとはグラウンド以外のところの指導力がどうなのか?
 高岡新監督のコメントは、いずれまた紹介する機会もあるかと思います。結果が出たときに!


◆2015年4月17日(金)
 9時30分に汐留の富士通に。鈴木雄介選手の共同取材に行きました。そのまま広島の織田記念取材に行くので荷物も結構ありまして、大江戸線のラッシュが予想以上で苦戦しました。ただ、以前よりは荷物も少なくなっています。なんとかしのぎました。
 富士通汐留での取材は1年半くらい前の大利久美選手の陸マガChallenge of six years記事以来だと思います。その後藤田敦史コーチ、藤田コーチと三代直樹広報の対談、高瀬慧選手と富士通関係者に取材させていただきましたが、ずっと幕張だったので。

 今日は3社での共同取材でした。取材の申し込みがあまりにも多く、いくつかの社をセットにして取材を受けているそうです。担当広報の方によると「テレビ放映は85回、取材は約50社」だそうです。受けた取材の数も競歩選手では世界記録かも?(間違いないでしょう)
 寺田は今回、すぐに記事を書くというのでなく、7月あたりに書くことになるので(予定ではTBS世界陸上サイト)、一度、鈴木選手の顔を見ておくこと、世界新を出したことをどう言葉にするのかを直に聞いておくこと、が大きな目的でした。
 鈴木選手の世界記録樹立後の記事はかなりの数に目を通していたので、今日は他の2社の方たちに質問は任せていました。既得情報が多かったのですが、改めて本人の言葉で聞いて整理ができますし、新しい情報もあり有益な取材でした。最後の5分間だけ質問もできて、次の取材へのとっかかりができました。

 今日の取材でも鈴木選手は、世界記録を出しても「高揚感はありません」と言い切りました。出演したテレビ番組を見てもそんな印象がありましたし、「世界記録は10kmでわかったので喜んだのはそこだけ」というコメントも記事で読んでいました。「世界記録も通過点。本当の目標は金メダル」と強調していました。
 これもいくつかのメディアで報じられていますが、今日も今後の目標を話してくれました。「今年の北京世界陸上、来年のリオ五輪、17年のロンドン世界陸上と金メダルを3個取り、その後50kmに転向して東京オリンピックは50kmで金メダル。世界記録も2種目で持つこと。(世界記録を出して)夢がまた広がっています」
 鈴木選手は「東京のメインストリートで競歩を開催したい」という願望を口にしました。マラソンと違って1kmの直線でいいわけですし、今の競歩ならスポンサーもつきそうです。他のイベントの一部として開催する方法もあります。イベントの実行力のある組織さえその気になれば、可能ではないでしょうか。

 鈴木選手取材は10:10に終了。新橋を10:23発の東海道線に乗り、品川を10:37発の新幹線に乗りました。当初は取材が多少伸びることも想定して品川10:50発の新幹線を予約していました。夕方から広島の競技場で織田記念に出場する短距離3選手の会見が設定されているのです。
 短距離3選手取材は山縣亮太選手が15:30、福島千里選手が16時か16時半、桐生祥秀選手が練習終了後。レース前日なので、選手たちの練習を見ながら、という感じです。品川10:50発だと広域公園前駅に着くのが15時40分台。山縣選手はあきらめるしかありませんでした。
 しかし昨晩遅く、アストラムラインよりもバスの方が早く着くのでは? と思いつきました。調べるとJRの横川駅からバスがあります。新幹線を1本早めれば、15:15くらいに競技場到着が可能。汐留に行く途中で新幹線を1本早いものに変更しました。

 ところが、富士通に着く直前に、産経新聞のタカラだ!記者のツイッターで山縣選手欠場を知りました。新幹線の時間を元に戻す時間もなく、取材に入りました。こうなったら仕方ありません。現地に着いて時間に余裕があったら、別の選手を取材する。候補の一番手は高瀬慧選手でしょう。
 取材の応接室を出るとき鈴木選手に、高瀬選手への伝言を聞きました。2人は順大&富士通と先輩後輩。鈴木選手が1学年上です。鈴木選手からは
「日本記録を出せ、と伝えてください」
 もうすぐ広島です、、、、岡山です。


◆2015年6月9日(火)
 先週末はアジア選手権(6月3〜7日:中国・武漢)の結果を、日本でチェックしていました。大会前半の結果は、陸マガの日本選手権展望記事に反映させられそうだったのです。1日目の女子100 m準決勝で福島千里選手が4年ぶりの11秒2台&2回目の標準記録突破をしたこと、2日目の決勝に追い風参考ながら11秒23(+2.5)の快記録で優勝したことは、校正でほんの少しですが、情報を付け加えることができました。

 驚かされたのは大会3日目(6月5日)の競技がすべて行われなかったこと。これには本当にビックリしました。アジア陸連サイトのタイムテーブルには、その時点でも5日間のスケジュールがきっちり載っているのですから。
 タイムテーブルが変更されたり、一部種目の実施日が変更されることは想定できましたが、丸1日まったく行われなくなることなど、この規模の国際大会ではあり得ないこと。どれだけ多くの関係者に影響が及ぶのか、考えただけでもゾッとします。
 やむにやまれぬ事情があったのだと思いますが、地元の大物が観戦できなくなったから、なんて理由だったらイヤですね。それも、地元にとっては重要なことかもしれませんが…。
 アジア陸連サイトはもちろん、国際陸連サイトにも海外の記録サイトにも、何も情報が載らないので、もしかしたらと思って某コーチに確認したら、1週間前に変更が通達されたそうです。1週間前に、競技日を1日変更するのは大変だったと思います。
 東京国際マラソンが1カ月、遅くなったこともありましたけど。

 大会前半の金メダルは福島選手の女子100 mだけでしたが、4日目に男子400 mHで小西勇太選手が、最終日の5日目に走高跳の衛藤昂選手と十種競技の中村明彦選手が金メダル。これらの結果は、誌面には載りますが、日本選手権展望記事には間に合いませんでした。紙メディアでは、どうしようもないところです。
 福島選手と衛藤選手はすでに標準記録を突破していましたが、小西選手と中村選手は未突破なので、今回のアジア選手権優勝で標準記録突破と同じ資格を得ることができました。こちらが北京世界陸上の代表選考要項の要約ですが、アジア選手権優勝が代表入りできるかどうかは日本選手権の結果に関わりなく、陸連の選考で決定します。
 アジア選手権優勝イコール代表入りではないと、陸連強化委員会が明言したことがありました(今の強化委員会だったかロンドン五輪までの強化委員会だったか、忘れましたが)。アジア選手権ではときどき、レベルの低い種目がある、という理由でした。
 ただ、小西選手の優勝記録は49秒58で、標準記録の49秒50に0.08秒差と迫るタイムでした。中村選手が日本選抜和歌山大会でマークした8043点も、標準記録の8075点に肉薄しています。日本選手権で印象の悪い負け方をしない限りは、選ばれる可能性は高いと個人的には思っています。


◆2015年6月10日(水)
 昨日の日記でも触れたアジア選手権ですが、金メダル4人以外にも健闘した選手がいました。

 まずは自己記録(46秒09)で銅メダルの佐藤拳太郎選手(城西大3年)。織田記念で初めて全国規模の大会に優勝してからまだ2カ月も経っていません。世界リレー選手権でバハマに遠征し(おそらく初代表)、帰国後の関東インカレに優勝。そして今度は中国に遠征して海外で自己記録更新です。
 1、2位とは力の差を見せつけられましたが、4位のカタール選手は昨年のアジア大会銀メダル&世界ジュニア銅メダルの実績を持っています。ナイジェリア出身で、自己記録は45秒17の選手です。
 自身が身を置くポジションがいきなり変わったのに対応できず、成績がガタガタになるケースも多いのですが、佐藤選手にはそういった点が見られません。関東インカレで取材していたときのコメントで、意識が高くなったと感じましたが、それに見合った行動ができているのでしょう。

 自己新は佐藤選手だけでしたが(気象コンディションも悪かったようです)、同じ400 mで5位の北川貴理選手(順大1年)が46秒33、男子三段跳6位の長谷川大悟選手(日立ICT)が16m36と、2人が自己タイをマークしました。
 北川選手は昨年も世界ジュニアから帰国直後のインターハイで自己新V。今年も世界ジュニアから帰国後の関東インカレで自己新、そしてアジア選手権で自己タイ。遠征を苦にしないタイプなのかもしれません。
 男子三段跳は、2011年に神戸で行われたアジア選手権で十亀慎也選手が16m51で4位と健闘しましたが、海外でのアジア選手権&アジア大会では、このところまったく結果が出ていない種目(代表を送れないことも)。長谷川選手は神戸で7位(15m76w)でしたから、心に期すものがあったと思われます。

 自己記録ではありませんが、男子砲丸投6位の山元隼選手(中京大クラブ)も、17m85と自己記録に3cm迫りました。この種目も、近年のアジア大会&アジア選手権は代表派遣がなかったり、派遣してもなんとか8位というケースが続いていたので、大健闘だったと思います。


◆2015年6月11日(木)
 明日から日本学生個人選手権です。取材に備えて昨日、地区インカレの成績一覧を整理して掲載しました。
 全国レベルで活躍している選手の展望は日本学連サイトの特集ページFacebookに載っているので、そちらを参照していただくとして、ここでは地方でも頑張っているぞ、という感じで注目したい選手を紹介していきます。

 まずはトップページにも名前を掲載した4人ですね。
原永貴之(環太平洋大2年)
中西玄気(静岡大4年)
安部遥香(福島大3年)
逸木和香菜(福岡大3年)
 北から紹介していくと、安部遥香選手は東北インカレで女子100 m、200 m、100 mHの個人3冠、3走の4×400 mRを合わせて4冠を達成した選手。個人種目の優勝記録は11秒93(-0.3)、24秒75(-4.0)、13秒89(-0.5)。
 偉大な先輩が多々いますから、大会新はありません。ちなみに100 mは草薙絵梨子選手で11秒86、200 mは丹野麻美選手で23秒85、100 mHは池田久美子選手と伊藤彩選手で13秒80。こう見ると、200 m以外はチャンスがないこともないですね。
 とにもかくにもまた、福島大から有望選手が育ってきました。ただ、ショートスプリンターでこのレベルは、2008年に11秒71で走った渡邊梓選手以来でしょうか。どんなタイプか注目されます。

 中西玄気選手は東海インカレの男子1500mで3分50秒88の大会新で優勝した選手です。静岡大で短距離やハードル、跳躍、投てきならなんとなくイメージできるのですが、中距離というのが新鮮な驚きでした。
 昨年の日本学生個人選手権は8位。全日本大学駅伝では東海学連の4区も走っています(43分25秒で区間18位)。
 東海インカレでは2位に3秒51の大差をつけたことも、すごいな、という印象です。最初から独走して、他の選手が2位争いに徹した結果なのかもしれませんが…。
 どんなレース展開を見せてくれるか楽しみです。

 原永貴之選手は中・四国インカレで男子100 mと200 mの2冠。10秒44/+1.8と20秒99/+0.9でともに大会新。昨年のアジア大会代表の青木益未選手ら、女子の短距離&ハードルで好選手が育ってきている大学から、男子の有望選手が飛びだしてきました。高校時代は10秒82と21秒72がベストで、3年時は個人種目ではインターハイに行っていませんから、これはもう大学で一気に成長したパターンです。
 ただ、高校は鹿児島の川薩清修館高。1学年先輩に200 mインターハイ優勝の橋元晃志選手(早大3年)がいました。4×100 mRでは2年時にインターハイ準決勝まで進んでいます。2走が橋元選手で3走が原永選手。興味がわいてきました。

 そして逸木和香菜選手は九州インカレの女子5000mと1万mの2冠。 16分06秒43と33分36秒50でともに大会新。
 高校は福岡大附若葉高……間違っていたら申し訳ありません。それほど強豪校ではないですよね。高校時代のベストは3000mが9分35秒39というデータ。
 昨年の全日本大学女子駅伝は1区で区間21位。個人では1年の時の日本学生個人選手権5000m9位があるくらい。
 徐々に記録を縮めてきていますが、今季、一気に“勝てる選手”に化ける可能性が感じられます。

 4人の紹介で手いっぱいになってしまいました。でも、面白い4人ですよね。取材が楽しみになりました。


◆2015年6月12日(金)
 今日は日本学生個人選手権1日目の取材でした。
 トラック最初の種目は男子110 mH予選で、今日は準決勝まで行われました。唯一の13秒台は金井大旺選手(法大2年)。昨年のアジア・ジュニア選手権で13秒33(+0.5・ジュニアハードル)の大幅ジュニア日本記録更新で優勝して注目されましたが、帰国直後のこの大会は予選落ち(15秒00)。秋の日本ジュニアも古谷拓夢&川村直也の高校生(当時)コンビにワンツーを許しました。
 準決勝2組の13秒92(+1.2)はハイハードルでの自己新。明日の決勝は、下降線を描き始めたこの大会で、完全復調をアピールしたいところでしょう。
 関東インカレ2位の札場大輝選手(国武大4年)が準決勝1組で1位(14秒04・+0.6)は4年生と、関東インカレワンツーをやってのけた国武大の意地で負けられないところ。
 男子110 mHは明日の注目のレースになります。

 女子100 mHも好勝負の予感がします。
 13秒35の大会記録保持者で先週の西日本インカレで13秒28の学生歴代5位タイをマークした青木益未選手(環太平洋大3年)、関東インカレ優勝のヘンプヒル恵選手(中大1年)、関東インカレ2部200 m優勝の清山ちさと選手(筑波大院2年)は抑えめで1〜3組の1位。しかし4組の田中杏梨選手(甲南大3年)が13秒61(+2.1)で2位に大差をつけると、5組では関東インカレ4位の宮崎紗希選手(中大3年)が13秒63(+0.9)、6組では昨日の日記で触れた安部遥香選手(福島大3年)が13秒64(+1.1)。
 準決勝で1組(+1.9)では上田繭選手(大阪成蹊大4年)が13秒54の大幅自己新でトップ通過。清山13秒55、安部13秒58(自己新)、宮崎選手13秒62と続きました。
 準決勝2組(+2.5)は田中選手が13秒48で1位通過。青木選手13秒50、ヘンプヒル選手13秒71と続きました。
 準決勝までを見ると上田選手と田中選手がV候補の双璧ですが、青木選手は先週の西日本インカレも準決勝まではいまひとつでしたが、決勝で13秒28でした。女子100 mHも明日の決勝は見逃せません。

 男女の1500mも予選が行われましたが、昨日の日記で触れた中西玄気選手(静岡大4年)は出場していませんでした。申し訳ありません。正規の展望記事だったらまずかったですね。

 女子やり投は當間汐織選手(九州共立大2年)が5投目に54m63を投げて、加藤瑞生選手(京キ教大4年)を逆転。當間選手も金井選手と同様、昨年のアジア・ジュニア選手権の優勝者。帰国直後の今大会で5位と敗れて調子を崩した点も似通っています。
「去年のアジア・ジュニアの後、自分の投げができなくなって、ずっと抜け出せていません。(今日優勝したが?)今日のような試合をしているようでは、まだ抜け出せていません」
 本人は前半3回目までに50mも投げられず不満顔ですが、崩れ始めた大会で、1年後に優勝したことで、トンネルを抜け出すきっかけにできるかもしれません。


◆2015年6月13日(土)
 今日は日本学生個人選手権2日目。専門誌に記事を書くので、今日もフル回転取材でした。
 朝着くと最初に表彰コーナーへ。今日一日の表彰予定時刻が表になって貼り出されています。役員と補助員向けのものですが、これをメモしておくと、取材にものすごく役立ちます。関東&日本インカレと、学生個人選手権では必須の作業ですね。

 最初にコメントを取材したのは女子1万mWに2連勝した五藤怜奈選手(中部学院大2年)。高校3年の日本選手権競歩ジュニアの部で取材させてもらったのを皮切りに(もしかしたら国体?)、昨年のこの大会でも取材させてもらい、たぶん日本インカレでも。
 話を聞いていて、目標設定が高くなってきたと感じたので、昨年の優勝時と今回との違いをテーマに突っ込みました。1年間の成長を出せないかな、と考えながらの取材でした。

 トラックは女子100 m予選、男子100 m予選、女子400 mH準決勝、男子400 mH準決勝と行われ、その後は決勝種目が続きます。女子200 m、男子200 m、男子110 mH、女子100 mHと。風向を考慮してすべて、第3コーナーがフィニッシュです。そうなるとホームストレート側の地上レベルから見ていては、展開がよくわかりません。
 スタンドから見ることにしましたが、ここで役だったのが朝メモをした表彰予定時刻です。女子200mの表彰が14:55で、100 mHのレースが14:50。決勝4レース全部をスタンドで見てからコメント取材に行っても間に合います。コメント取材に移るタイミングが特定できると、時間が有効活用できますね。

 しかし、そこからは怒濤のコメント取材が続きました。
 女子200 m優勝の中村水月選手(大阪成蹊大2年)、男子200 m優勝の猶木雅文選手(中大4年)。男子110 mHと女子100 mHは個人ではなく、種目として取り上げられるように1〜2位を取材しました。
 110 mHは2人とも今大会が自己新。昨日の日記で触れたように金井大旺選手(法大2年)は昨年のアジア・ジュニア選手権優勝者ですが、帰国直後のこの大会で失敗しました。今回優勝すれば記事にしやすかったのですが、優勝したのは鍵本真啓選手(立命大2年)でした。
 しかし鍵本選手はアジア・ジュニア選手権で2位で、金井選手とは同学年。2人の関係を上手く紹介できれば、面白い記事になると思いました。

 女子100 mHは優勝した青木益未選手(環太平洋大3年)が13秒35(+2.0)で、アジア大会代表の貫禄を見せました。昨年、自身がマークした大会記録とタイです。昨日の日記でも触れたように、先週の西日本インカレと同様、準決勝まではいまひとつでも決勝で力を発揮しました。
 2位に安部遥香選手(福島大3年)と田中杏梨選手(甲南大3年)の2人が同着で入りました(13秒43)。田中選手はドーピング検査があったので取材できませんでしたが(代わりに伊東浩司顧問に話をたくさんうかがいました)、安部選手にはしっかりと取材しました。吉田真希子コーチが福島大に誘ったときの口説き文句が、吉田コーチご自身の体験とかぶっていたので興味深かったです。

 スタンドから競技を見ている間に、男子走高跳も2m17〜20の試技が展開されていて、勝負どころをしっかりと見ることができました。優勝した平松祐司選手(筑波大1年)、2位の石橋健選手(岡山商科大4年)、3位の松本修一選手(福岡大3年)と3人が、大会新の2m20に成功。これも種目として取り上げられるように、3位まで全員を取材しました。
 石橋選手は2m13が自己記録の選手でしたが、自己記録を一気に7cmも伸ばし、全国大会の表彰台ももちろん初めて。松本選手は期待の1年生で、高校時代は平松選手と一緒に記事にされることもありましたが、全国大会で勝ち続けたのは平松選手。記録的にも2m17がベストでしたから初の大台です。
 石橋選手はいきなり好成績を収めた選手の特徴を、松本選手は同学年ライバルと同記録だった点を、上手く書けたらいいかな、と思いながら取材しました。

 このあたりでもう、一日の取材としては充実感も感じていましたが、東海大グラウンドで行われた男女のハンマー投では、女子で九州共立大が1〜5位独占をやってのけていました。ベスト8が平塚競技場の電光掲示板に表示されたときは、8人中5人が九州共立大ですごいな、と思っていましたが、終わってみたら1〜5位独占に。
 この取材をどうするかを考え、段取りをしました。

 そして最後は男子5000m。神野大地選手の4カ月ぶりの復帰戦です。
 14分13秒98で12位。専門誌はどう扱うのかわかりませんでしたが、記事を書けと言われる可能性もゼロではないので、しっかりと取材しました。記事に関係なく、神野選手に集中して取材できる初めてのチャンスでしたから、ちょっと頑張ろうと思ってラップも全周回計測しました。
 もう少し多くのメディアが殺到するかと思ったのですが、予想より少なかったので、カコミで少し質問することもできましたね。感想は、産経新聞のタカラだ!記者と同じです(なんのことかわからない?)


◆2015年6月14日(日)
 今日は日本学生個人選手権3日目(最終日)の取材でした。
 9時に競技場に着き、まずは九州共立大が1〜5位独占をした昨日の女子ハンマー投の取材。昨日のうちに連絡をして、女子円盤投が9:30開始なので、その前にスタンドで取材をお願いしていました。幸いにも雨が上がっていて、5人揃っての写真を撮影させていただき、優勝した福島美沙希選手(4年)にインタビュー。
 福島選手が女子のキャプテンということで、チームとしてこの大会にどう臨んだか、というところまで話してもらうことができました。九州共立大は他の種目も強くなっていますが、なんといっても看板種目はハンマー投(疋田晃久監督の専門種目)。そのチームのキャプテンとしての自覚が、ひしひしと伝わってくるインタビューでした。
 女子やり投優勝の當間汐織選手(九州共立大2年)の取材時にも感じたのですが、九州共立大ではメンタル面を強調した指導をしているようです。當間選手と福島選手はキャラは違いますが、試合で重視している考え方が同じなのです。
 これは推測ですが、技術的なところをしっかりやっていることの裏返しのような気がします。メンタル面がしっかりしていなければ、技術を身につけても試合で発揮することができない。チャンスがあったら、疋田監督に確認してみたいと思います。

 次にコメントを取材したのが女子円盤投に52m73の大会新で優勝の藤森夏美選手(順大2年)でした。
 実はスタンドで偶然、順大女子の鯉川なつえ監督とお目にかかり、「順大記録なんです」と教えていただきました。関東インカレのときに寺田Twitterで紹介したように、藤森選手は北林さおり選手以来の関東インカレ優勝でした。順大女子一期生で、鯉川監督とは同学年。北林選手の51m86を、21年ぶりに更新したのが今日の藤森選手です。
 関東インカレは他にも好記録や話題がたくさんあって、陸マガ記事では藤森選手を取り上げられなかったのです(寺田のTwitterでは話題にさせていただきました)。
 52m73は学生歴代5位。今大会では最も上の学生歴代順位です。次の陸マガでは間違いなく記事を掲載します。

 女子の投てきの話題が2つ続いたので、時系列ではなくなりますが、砲丸投優勝(15m41の大会新)の太田亜矢選手(福岡大2年)について書きたいと思います。
 今日の最後の方は決勝種目が続いて取材が手いっぱいに(陸上競技取材では避けられないことですが)。コメントを聞きたいのに、できなかった種目もいくつか出てしまいました。ただ、太田選手は絶対に外せないと思って、表彰が終わってからスタンドに探しに行きました。
 面識はなかったのですが、ラッキーなことにすぐにそれらしい選手がいて、一緒にいた藤森選手が「太田さんです」と教えてくれたので助かりましたね。
 今年一気に伸びてきた太田選手ですが、高校3年の6月まではやり投が専門だったそうです。全日中の投てき種目が砲丸投だけということもあり、砲丸投から他の投てき種目に移行することはあっても、逆のケースは珍しいかもしれません。
 世界との距離は大きい種目ですが、砲丸投のやり甲斐、世界に挑戦したい思いなどを聞くことができました。ちょっと感動しました。

 一昨日紹介していませんでしたが、やり投の當間選手は中学まで野球少女でした。男子に交じって「ばちばちやっていた」と言います。高校では男子の試合に出られないため、野球の投球に一番近いということでやり投を始めたそうです。沖縄では片岡安祐美みたいな存在だったようです。
 ピッチャーもやっていて「軟式ですが120kmを投げられる」そうです。記者から「海老原(有希)さんより速いのでは?」と質問が出ると、「やりで勝ちたいので」という答え方をしていました。今では完全にやり投選手になっています。

 今年の日本学生個人選手権は、女子投てき種目が主役になった大会だったと思います。


◆2015年6月16日(火)
 一昨日の日記で日本学生個人選手権3日目(最終日)の取材について書きましたが、女子投てきの話題だけしか書けませんでした。他の種目の取材も面白かったので、紹介したいと思います。
 一昨日は日本学生個人選手権の前に、ダイヤモンドリーグ・ニューヨーク大会の原稿を書かないといけなかったので、ものすごく早起きして、ニューヨーク大会の記録やフラッシュ・インタビューなどのデータをダウンロードして家を出ました。
 電車内で資料に目を通したり、選手のデータを調べたりして、平塚駅に7時前に到着。カフェで8時半までに原稿を仕上げて送信しました。

 最初の取材は九州共立大1〜5位独占、次が藤森夏美選手(順大)と女子投てきが続きましたが、その次は女子走高跳の津田シェリアイ選手(東大阪大1年)。1m81の自己タイで、自身2度目の1m80台ですが、決して良い跳躍ができていたわけではなく、1m78も3回目、1m81も3回目と“ぎり”のところで成功して勝負に勝ちました。
 アジア選手権はオールウェザーの反発に対応できずに記録なし。会心の跳躍ではありませんでしたが、再起戦としては良い結果だったと思います。「日本選手権では1m85以上を跳びたい」と意欲を見せていました。

 その次の話を聞いたのは高見澤安珠選手。藤森選手の52m73が歴代5位で、学生歴代順位では今大会最上位でしたが、高見澤選手の10分08秒40(大会新)も学生歴代5位相当。10分00秒99(学生歴代3位)を持っているので歴代順位にはカウントされませんが、レベルの高い記録でした。
「日本選手権で標準記録(9分44秒00)は難しいかもしれませんが、実業団の強い選手も出てくるので、そこで自分らしい走りをして、9分40秒台を出せたら」

 ちょっと長くなりそうなので、続きは明日にでも。


◆2015年6月17日(水)
 今日は青学大相模原グラウンドで、藤光謙司選手(ゼンリン)の練習を取材させていただきました。藤光謙司選手は学生時代から、青学大の安井年文監督の指導を受けています(当時は安井監督が日大コーチ)。トーイングマシンを使った日本選手権前最後の練習とうかがい、お邪魔させていただきました。
 関東インカレで快走とケガを繰り返したことが印象に残る藤光選手も、5月1日で29歳に。ベテランらしく練習もリラックスした雰囲気でしたが、トーイングマシンを使った練習だけは、自分では出せないスピードを出すということで少し緊張するようです。秒速12〜13mくらいとボルト以上。かなりの負荷です。

 安井監督、遠藤コーチらがトーイングマシンをセッティング。初めて見ましたが、牽引するひもが思ったよりも細いのに驚きました。以前によく見かけた、チューブで引っ張るシーンを思い浮かべてしまいます。
 天気はもつかな、と思ったのですが、セッティング中から雨が降り始めてしまいました。しばらく雨の様子を見ていましたが、安井監督からは「無理にやらなくてもいいのでは?」という提案もありました。
 しかし藤光選手は「体が動きそうなので」と、雨のなかで強行……というより、普通の雰囲気で走り始めました。
 今日のトーイングマシンを使った練習は1本だけ。負荷の大きい練習ということもありますし、重要な試合前の前ということで、負荷をかけることよりも良い動きや感覚にもっていくことが狙いでした。それでもタイム的には自己新が出たそうです(80m)。風はほとんど吹いていませんでしたね。

 10日後に迫った日本選手権の目標は「勝ってすっきりと代表を決めること」。昨年は1〜4位が0.06秒差の混戦で4位、一昨年は高瀬慧選手(富士通)と同着3位でしたが、静岡国際の順位で敗れていたため、モスクワ世界陸上個人種目代表を逃しました。
 高瀬慧選手が20秒14の日本歴代2位をマークするなど絶好調で、日本選手権では2冠を目指すと公言していますが、「200mは勝たせません」ときっぱり。普段は仲の良い2人ですが、2年前の同着のことや、2人とも代表で両リレーを走っていることなどの背景を考えると、興味深い対決になります。

 今季は「もやもや感」が続いていて、感覚としては8割ながら20秒33の自己新を筆頭に20秒50未満で4回走っています。「普通に走れれば20秒1〜2は出る」。完全に“はまった走り”をしたいのは世界陸上で、そこにつながる走りを日本選手権で、と考えています。
 一昨年のモスクワ世界陸上は400mRで、負傷した山縣亮太選手に代わって2走を走って6位入賞。昨年のアジア大会は1600mRの2走で44秒6〜7のラップで走って金メダル。リレーで日本の窮地を救ってきましたが、今年は個人種目での快走を期しています。


◆2015年6月18日(木)
 1日間が空いてしまいましたが、日本学生個人選手権最終日の取材ネタです。
 女子3000mSCの高見澤安珠選手(松山大2年)の次は男子800 mで日大5連覇を成し遂げた福永拓哉選手(日大4年)を取材。
 洛南高OBで桐生祥秀選手(東洋大2年)の2学年先輩で、インターハイは400 m3位で総合も3位でした。混成の田中新也選手(筑波大4年)とともに洛南高の中心選手。東京高が豪華メンバー(ケンブリッジ飛鳥、猶木雅文、女部田祐、鈴木愛勇ら)で31点で優勝しましたが、洛南も28点、梨本真輝選手が2冠の市船橋も28点と、好勝負が展開されたインターハイでした。
 福永選手は昨年、今年と関東インカレは400 mで連続7位ですが、高校1年時に800 mを走ったことがあって、コーチ陣の勧めもあって昨秋の日体大競技会で800 mを走ったら1分49秒台。それで今季は、静岡国際と今大会で800 mに出場したそうです。
 松井一樹コーチの話では中距離の練習も、かなりのレベルでできるとのこと。楽しみな選手が現れましたが、本人は「専門は400 m。日本選手権で決勝に残れるようにしたい」と強調していました。

 福永選手の次は“タクヤ”つながりで長田拓也選手……ではなく、女子400 mHに58秒37の自己新で優勝し、2時間後の400mでも55秒16で2位に入った西田文香選手(神戸大4年)でした。「この大会を日本選手権までの強化練と位置づけて、2日間で6本を走りました。グラウンドを持っていない大学なので、良い機会になると考えたんです」。
 日本選手権では400 mHで57秒台前半も期待できそうです。

 その次に女子100m優勝の宮澤有紀選手(富山大)の話を聞いていましたが、男子100m優勝の長田拓也選手(法大3年)のカコミ取材も始まってしまいました。宮澤選手は昨年の日本インカレで記事を出していましたし、今回は長田選手の取材を優先することに。優勝タイムの10秒19は学生歴代8位タイで今季日本2位。世界陸上代表候補に浮上したといえるレベルでしたから。
 宮澤選手の話が聞けなくなってしまいました。こういうことは本当によくあるケースで、選手の皆さんには申し訳ないのですが、どうしようもありません。
 長田選手の記事は陸マガに書きますが、経歴的にオッと思ったのは豊川高出身という点。長距離の名門で、長田選手が3年時には全国高校駅伝優勝も達成しています。一色恭志選手(青学大3年)や服部弾馬選手(東洋大3年)とは同級生でした。
 長距離の印象があまりにも強いのですが、長田選手によれば短距離もしっかり強化していて、4×100 mRの40秒台も何シーズンか出しているそうです。勉強不足でした。

 その後、日曜日の日記で書いたように太田亜矢選手をスタンド裏で取材して、日本学生個人選手権の取材はすべて終了しました、と思ったら、ピンと来る光景が目に飛び込んできました。太田選手の取材が終わって周りを見ると、やはりスタンド裏で、青学大が大会後のミーティングをしていたのです。
 100 mで準決勝落ちした藤森安奈選手(青学大3年)の状態が良くないことが、今季はずっと気になっていました。対照的に、青学大の安井年文監督が指導している藤光謙司選手(ゼンリン)は絶好調です。
 話をうかがうと、藤森選手は冬期に2度ケガをして、練習の中断がそれなりの期間あったようです。400 mジュニア記録保持者の杉浦はる香選手(青学大2年)の、復調に向けた取り組みも教えていただきました。
 そして藤光選手は水曜日にトーイングマシンを使った練習をするということで、見学させていただくことに。安井監督の取材に行ってよかったです。


◆2015年9月18日(金)
 忙しい夏が過ぎ去り、多摩の秋風も心地よくなってきました。この風が、ベルリンでちょっとした旋風になってくれたらと思う今日この頃です。
 昨日、北京世界陸上のSEIKOの記事を書きましたが、その他にも紹介したい写真がいくつかありました。


 この写真は北京のスタンドで男子200mなどを応援していた跳躍代表トリオ。右から荻田大樹選手(ミズノ)、菅井洋平選手(ミズノ)、山本聖途選手(トヨタ自動車)。3人とも惜しくも決勝に進めませんでしたが、頑張ったと思います。
 棒高跳の2人はともに5m65のシーズンベスト・タイで、予選通過記録は5m70(ラージQ)でした。荻田選手はトラックにハードルが置かれていたため、ピットの助走距離が十分にとれず、全助走より2歩短い歩数で跳ぶことを強いられました。山本選手はモスクワ大会6位入賞でしたから成績が下がったのは事実です。ただ上り調子に完全に乗っていた2年前に対し、故障やメンタル的な低迷を克服して、やるべきことをやって5m65を跳ぶことができた今回。長い目で見れば意味は大きかったように思います。
 菅井選手は7m92(−0.6)で、予選通過12番目の記録は7m98(スモールq)。予選通過選手全員が追い風だったのに菅井選手だけ向かい風。運もありませんでした(が、運を引き寄せるには何度も出場しないといけません。北京五輪の4×100 mRのように)。
 菅井選手は今季で30歳、荻田選手は28歳になるシーズンで、決して若いとはいえませんがコツコツと努力を積み重ね、世界陸上の決勝目前のところまで成長してきました。決勝に進めるのは12人だけですから。同じミズノの跳躍選手同士、刺激し合うものがあったのでしょう。


 この写真は帰国時に北京の空港で撮らせてもらったヒトコマ。女子長距離の野口英盛コーチ(左・積水化学監督)と、男子短距離の山村貴彦コーチ(右・城西大城西高監督)。この2人は大阪・清風高の先輩後輩……かと思っていたら、同学年でした。
 山村コーチは高校時代に日本選手権400 mに優勝し、日大で2000年シドニー五輪代表に。
 野口コーチは順大で箱根駅伝優勝メンバーに名を連ね、卒業直前にマラソンで2時間11分20秒をマーク(02年3月)。順大記録を大幅に更新しました。
 その2人が富士通で再び同じチームになり、山村コーチは2003年パリ世界陸上に4×400mRで出場しました。山村コーチはサイボウズを経て高校の指導者となり、野口コーチは積水化学でコーチ、監督と女子長距離の指導に邁進してきました。
 高校と実業団で同じ釜の飯を食べた2人が、世界陸上で日本チームのコーチになる。「同じチームになるのは10年ぶりでは?」と山村コーチ。
 短距離と長距離、(おもに)男子と女子と対照的ですが、2人の指導論、競技観など、対談で話し合ってもらえたら面白そうです。


 そしてこの写真は帰国した羽田空港での海老原有希選手と新井涼平選手、男女やり投のスズキ浜松ACコンビです。国士大の先輩後輩でもあります。新井選手は、海老原選手のことを尊敬してやまないと言いきっています。
 今季序盤は、5月のゴールデングランプリで日本新(63m80)を投げた海老原選手が好調で、体調不良と故障で仕上がらなかった新井選手が出遅れていました。しかし6月の日本選手権では、先に優勝して世界陸上代表を決めた海老原選手が新井選手にカツを入れて、新井選手も最終6投目で84m13と5m近く記録を伸ばして優勝しました。
 北京では新井選手の出番が先で、予選の3投目に84m66の日本人五輪&世界陸上最高記録を投げました。決勝では惜しくも8位に6cm届きませんでしたが、83m07で9位。海老原選手は予選通過はなりませんでしたが、五輪&世界陸上では自身初の60m台を投げました。1投目が53m67と低調な記録でスタートしながら、3投目に60m30まで持ち直したのは見事でした。

 北京世界陸上はいくつもの“つながり”を強く感じた大会でした。


◆2015年9月21日(月)
 昨日は海外のマラソンに注目の日本選手が複数出場しました。
 まずはケープタウン・マラソン(南アフリカ)。川内優輝選手(埼玉県庁)が遠征して、2時間16分33秒(Netタイム)で9位という結果でした。この大会の結果で五輪選考レースを12月の福岡国際マラソンにするか、3月のびわ湖マラソンにするかを決める、と予告していました。
 日刊スポーツの記事では、判断するタイムも明言しています。「福岡では7分台を出せなければ勝負できない。その目安が、ケープタウンでの10〜12分。届かなければ、びわ湖で狙います」。川内選手はこうした予告をその通りに実行する選手ですから、今回の結果で選考レースはびわ湖に決断したと思われます。
 ただ、今大会に臨むまでの練習の流れが、当初考えていたものと違った可能性もあります。また、ケープタウンの気象状況がどうだったのか、もわかりません。ひょっとしたら悪条件だった可能性もある。ケープタウンが表面的な数字以上の走りだったのなら、福岡国際の可能性もゼロではない、ということです。
 帰国した川内選手が何と言うか。そこが注目です。

 シドニー・マラソンでは北島寿典選手(安川電機)が2時間12分44秒で優勝。山岸宏貴選手(日立物流)が2時間12分48秒で2位、初マラソンの柏原竜二選手(富士通)は2時間20分45秒で7位でした。
 北島選手と柏原選手は共通点も対照的な点もある2人です。
 共通点は東洋大出身ということと、初マラソンが早くはなかったこと。
 対照的なのは走りのタイプです。北島選手は1万mが28分08秒53で安川電機最高記録保持者。これは人づての話ですが、接地時間の短い動きや、故障からの戻しが早いことなども、いわゆるスピードランナーのようです。
 それに対し柏原選手は1万mが28分20秒99で世界ジュニアやユニバーシアードにも入賞していますが、接地時間は比較的長く、よくいうロード型のランナーです。

 経歴も対照的です。北島選手の箱根駅伝出場は3〜4年の2回だけで、4年時に8区で区間賞を取っていますが、エース区間は走っていません。世間的には無名の選手でした。対する柏原選手は箱根駅伝5区で4年連続区間賞を獲得し、世間からも“山の神”と言われて大きな注目を集めました。
 北島選手は10月で31歳になりますが、今年2月の延岡西日本が初マラソン、2時間12分28秒で優勝しました。シドニーでマラソン2連勝を飾り一躍、リオ五輪選考レースの注目選手になりました。
 柏原選手は入社時には2年目で初マラソンに挑戦する予定でしたが、4年目の今年にずれ込んでしまったわけです。すでに26歳。初マラソンの成績も芳しくありませんでした。

 柏原選手は世間の注目が大きく、それに見合った成績は残せていませんが、そこは気にする必要はまったくないと思います。箱根駅伝の5区とマラソンはイコールではありませんから、入社時の予定より花開くのが遅くなっても、何の問題もない。現に、初代“山の神”の今井正人選手(トヨタ自動車九州)がそうでした。世間のイメージを気にする必要はまっくありません。
 2020年東京オリンピックでも、あるいはその次のオリンピックでも、柏原選手が勝負をするのはどのタイミングでもいいのです。

 北島選手も26歳のときは、マラソンはまったく見えていなかったと思います。それが5年後にはマラソンで2連勝している。
 そんな2人がシドニーで一緒にマラソンを走ったのは、マラソンの成長過程はわからないぞ、と示しているように思います。柏原選手がリオ五輪の選考レースで快走する可能性も、実は暗示しているのかもしれません。


◆2015年10月13日(火)
 土曜日の朝オンエアされた「サワコの朝」に、俳優の綾野剛さんが出演して、陸上競技マガジンを今も読んでいると、全国放送で話してくれました。綾野さんの公式サイトによると、1996年に岐阜県中学の800 mに優勝、98年にはインターハイ岐阜県予選800 mで2位になっているとのこと(専門誌のバックナンバーを見ると本名もわかるのですが、公開してないようなので、ここで書くのは控えます)。
 当時から陸マガを読んでくれているならば、寺田が編集部にいた頃です。だからなんだというわけではありませんが、ちょっと嬉しかったです。
 綾野さんの高校が関商工高と見て、だったら安福先生の教え子だったのでは? と思ってTwitterとFacebookで情報を求めたところ、当時を知る岐阜県関係者から複数の情報が寄せられました。どうやら間違いないようです。

 安福先生についてはこれまでも日記やTwitterで何度か話題にさせていただいてきました。陸マガ編集部時代から、岐阜県の記録送付や大会の取材でお世話になっている先生です。関商工の次には高橋尚子さんの母校でもある県岐阜高に移り、強い選手を何人も育てられました。
 その安福先生の教え子たちが、競技でも卒業後も多数頑張っています。

 9月の全日本実業団は岐阜開催でしたが、大会3日目に安福チルドレンたちが何人も活躍しました。女子三段跳で吉田麻佑選手が2位、女子400 mでも青木沙弥佳選手が2位、女子100 mHでは桐山智衣選手が4位。この3人は青木選手が1986年年生まれで、吉田麻佑選手が1989年なので3学年下、桐山選手が1991年で吉田選手の2学年下という学年差です。
 惜しくも地元優勝と3人全員表彰台は逃しましたが、高校指導者の教え子3人が、全日本実業団の同日にここまで活躍することはめったにないでしょう。青木選手は今年の、吉田選手と桐山選手は昨年の日本選手権優勝者です。インターハイの総合優勝を争う学校ならまだしも、そうでない高校で卒業生がここまで揃って活躍する。安福先生の指導に何かがある。そう考えていいと思います。

 最終日に吉田選手と青木選手に、安福先生の指導法について話してもらうことができました。
「怖いところもありましたが、押しつける練習はさせなかったですね」と吉田選手。「『これをやれっ!』ではなく、考えさせてやっていました」
 青木選手は3年時に安福先生が異動で県岐阜商高に来たので1シーズンだけでしたが、「枠組みはありましたが、選手たちに考えさせる場面が多かったですね」と、同様の感想を持っています。
 もう1つ言えるのは選手の適性を見抜く“目利き”の能力の高さです。青木選手は「安福先生の一番スゴイと思うところ」として、そこを挙げていました。
「私は高2までは100 mHがメインで、400 mHがサブという位置づけでした。3年生になってどっちをやるか迷っていたとき、『ヨンパーを中心にやっていったら伸びるんじゃないか』と、背中を押してくれたのが安福先生でした。最初は半信半疑でしたが、今もこうして続けていますから、今になって安福先生の判断力はスゴかったと思っています」
 吉田も中学では短距離をやっていて、高校では初めは走幅跳に取り組んだ。「安福先生から『出てみろ』と言われて走幅跳に出場したら、こっちの方がいいかな、と思いました。2年、3年と国体種目が三段跳だけだったので、またやってみようということになって、国体で2位に入ることができました」
 桐山選手からは話を聞いていませんが、七種競技を本格的に始めたのは高校時代。多種目を行う能力の高さを、安福先生が見抜いたのかもしれません。

 全日本実業団3日目のトリオだけでなく、男子砲丸投の山元隼選手や、ちょっと以前に女子200 mと400 mで活躍した成瀬美紀選手(200 m23秒82、400 m54秒08)も、安福先生の教え子です。種目が偏っていないことからも、“選手自身に考えさせる”こと、“適性種目の目利き”が、安福先生の特徴なのではないかと思っています。


ここが最新です
◆2015年12月31日(木)

【2015年はこの選手たちに驚かされました(種目順)】
●サニブラウン(城西大城西高)
ユースとはいえ、世界大会で男子100 m・200 mの2冠はスゴイのひと言。どうやったら国際大会、それもビッグゲームで力を出し切れるのか

●藤光謙司(ゼンリン)
20秒13の日本歴代2位、国外日本人最高記録。それを29歳になって出したところにただただ脱帽です。若い頃、特に高校・大学時代はケガの多さに苦しめられましたが、安井年文先生との長期計画で克服しました。素晴らしいです!

●大迫傑(Nike ORPJT)
5000mで13.08.40と大幅な日本記録更新ですが、5月末のプレフォンテイン・クラシック(ユージーンDL)で1万mの標準記録突破に0.24秒差で失敗したところからの立て直しが鳥肌ものでした。6月の日本選手権で3位以内に入っても、その後1万mで記録を狙えるレースはないと判断し(体調的にもハードになりすぎる?)、5000mで日本選手権2位を取り、7月のナイトオブアスレティックで標準記録を突破。それが日本記録につながりました

●村山紘太(旭化成)
1万mの日本新27.29.69、日本人初の27分30秒切りです。8月の北京世界陸上は5000mで出場して失敗。自信を取り戻すため当初は5000mで日本記録更新を考えましたが、秋に5000mで日本新を狙えるレースがないということで、1万mの日本新狙いに変更。そこから2カ月で実現させてしまいました。初27分台で日本新というのには驚かされました

●男子400 mHの2晩連続標準記録突破
 7月25日のオールスターナイト陸上(実業団・学生対抗が今年からこの愛称に)で松下祐樹選手(TMA)が49秒38の自己新で優勝。翌日のトワイライト・ゲームスでは岸本鷹幸選手(富士通)が49秒17で優勝。ともに標準記録を突破して、北京世界陸上の代表に追加されましたが、2晩連続だったところがドラマチックでした
 松下が日本選手権優勝、岸本が2位だったが、標準記録を突破できていなかった(3位の小西勇太がアジア選手権優勝で標準記録突破と同等資格を持っていたため、日本選手権後の選考で代表入り)。松下選手は7月11日の大阪選手権、翌12日の南部記念でも標準記録突破に挑戦しましたが失敗していました。記録狙いの試合で標準記録を破ろうとすると、失敗することが多いですし、短期間にここまで連戦したら疲れもたまる一方です。その流れの中で出したことも素晴らしいと思いました。
 松下選手は世界陸上でも準決勝に進出。条件が良かったから記録を出せたのでなく、力があるから出せたことを証明しました。

●鈴木雄介(富士通)
 3月の全日本競歩能美大会20kmWで1.16.36.の世界新。これはコメント不要ですけど、2月の日本選手権20kmWでは高橋英輝選手(富士通。当時岩手大)に負けていましたし、日本選手権2位でも代表入りは確実視されていたので、あとは世界陸上に合わせて行くと思っていたので、1カ月後にここまで記録を上げてくるとは本当にビックリ。
 今では世界に通用する競歩ですが、数年前まではなんとか入賞できるか、でも歩型もあって本番をやってみないとわからない、というイメージの種目でした。関係者の努力に、心から敬意を表したいと思います。

※今晩はここまで。時間があったら続きを書きます


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