続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
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◆2013年12月23日(月・祝)
 今日は山陽女子ロードの取材に行ってきました。
 午後に大阪で仕事が入ったので、昨晩のうちに岡山入り。有森裕子杯ハーフマラソンは10時スタートなので、フィニッシュ後1時間半くらい取材をして、13時半くらいの新幹線に乗りました。大阪〜岡山間は自腹ですが、こういうチャンスは生かさないと。
 と言いながら、昨日の全国高校駅伝は行かなかったのですが。原稿を抱えて行けなかった、という方が正しいです。ホテルも予約してあったのですが、一昨日にキャンセルしました。
 女子の豊川高は1時間6分台、しかも純国産チームでした。男子は4チームがトラック決戦。大激戦で、本当に面白いレースだったと思います。
 ちなみに、牽制したりしてレベルがちょっと低い接戦には、“混戦”という言葉を使います。レベルが高い接戦は“激戦”と書きます。
 高見澤・佐久長聖も初入賞ですから、ひと言聞きたかったですね。嶋原清子さんの感想を。
 10年連続3位以内の森政芳寿監督にも。実業団女子駅伝上位3チームのエースが興譲館高出身ということの感想も、うかがいたかったです。
 かなり悔しいです。

 ハーフマラソンの結果は岡山陸協サイト山陽女子ロード成績に出ています。赤羽有紀子選手や野村沙世選手、渡邊裕子選手のコメントは寺田ツイッターで紹介しています。

 日本人2位の4位はノーリツの岩出玲亜選手。ホームストレート50m付近のトラック外側から見ていたのですが、で1時間9分台でフィニッシュしてビックリしました。
 実業団女子駅伝西日本大会は、1区で木崎良子選手と競り合って区間2位と大健闘でした。しかし、全日本実業団対抗女子駅伝は1区で区間12位と、今ひとつでどうしたのかな、と思っていました。その1週間後ですからビックリしたのですが、次の瞬間に「ジュニア??」と気づいて記者室に駆け戻り、記録集計号でジュニア日本最高記録(非公認種目)を確認しました。
 藤井裕美選手(デオデオ。今のエディオン)が2002年の全日本実業団ハーフマラソンで出した1時間10分05秒でした。秦由華選手(三井住友海上で渋井陽子選手と同期)がリスボンで1時間9分台を出して、下り坂コースですが当時はその辺の規定がなくて道路日本最高でした。
 岩出選手は豊川高出身で、昨年全国高校駅伝の1区を走った選手。昨日の後輩の全国高校駅伝優勝から勇気をもらったと話していました。レース中も思い出しながら走っていたそうです。
 全日本実業団対抗女子駅伝の1区でよくなかったと書きましたが、タイムを見ると区間賞の森唯我選手(ヤマダ電機)には38秒差をつけられましたが、区間2位の坂井田歩選手(ダイハツ)とは22秒差。それほど悪かったわけではありません。繰り返しますが、高卒1年目です。
 ノーリツの森岡芳彦監督にその話をすると「でも、本人は区間賞を目標にしていたんですよ。緊張があったんじゃないですか」という情報をいただきました。長い距離が得意で将来はマラソンをやりたいとノーリツに入社したそうです。高校時代はケガに苦しんだようですが、志の高い選手なのだと思います。
 豊川高の森安彦監督も今日、会場に姿があったと聞きました。森監督と森岡監督の関係や練習の違いも紹介できたら面白いのですが、これはまた、別の機会に。

 大阪で打ち合わせ中にIM記者から着信。これは岩出選手の記録がジュニア日本最高なのか、ジュニア日本記録なのか、という問い合わせだと思って折り返したのですが、先週の全日本実業団対抗女子駅伝の話でした。デンソーの水口侑子選手に関する問い合わせ。水口選手は杉田正明監督(かつての二枚目助教授)の三重大出身ですが、その辺の話しでした。
 ちなみに岩出選手も中学は三重です。水口選手は高校は岐阜ですね。
 山陽女子ロードで自己新、日本人3位となった野村沙世選手(第一生命)は大阪国際女子でマラソンデビューしますが、やはり岐阜県出身です。
 中部圏が熱くなってきました。


◆2013年12月31日(火)
 大晦日なので2013年を振り返りたいと思います。
 時間は1時間しかありませんのでパパッと。23時には前橋で毎年年越しをしている店に行きますので。元群馬県高校チャンピオンゆかりのお店です。

 ということで2013年の寺田的十大ニュース。ランク付けはしません。

●福士加代子選手のアスレティック・アワードでのスピーチ
 これは本当に感動しました。感動にも時間的に長さのある感動と、瞬時の感動があると思いますが、瞬時の感動としてはここ数年で一番だったと思います。30歳を過ぎた福士選手の前向きな姿勢に、個人的にも勇気づけられました。取材で一緒に仕事をしてきた仲間は現場を離れたり、社内でポジションが上がったりしますが、寺田は何も変わりません。それでいい、それで行くしかない、と思いながらも、心の片隅に本当にいいのかな、という思いが少しはあったのだと思います。そこをスッキリさせてくれたスピーチでした。
 日本の陸上界的にも、2020年東京オリンピックに向かう号砲? ホイッスル? になったように感じました。以前にどこかで書いたと思いますが、寺田的には2020年に活躍してほしいのは、今のトップ選手たちです。予算を投入するのはジュニア世代になると思いますが、個人的な思いとしては、今頑張っている選手たちが、年齢の壁を越えて、そうすることで世界のレベルに近づいて、2020年に活躍する。ジュニア世代が強くなるのはある意味当たり前です。地元オリンピックを競技寿命を延ばすチャンスにできたらな、と思うのです。澤野大地選手が頑張っていますが、末續世代ができなかったことを、今のトップ選手たちに託したいという気持ちです。

●九州一周駅伝の取材
 これも本当に感動しました。2日目から4日目までの3日間でしたが、これが九州一周駅伝か、というシーンの連続でした。取材バスや西日本新聞さんの取材車に乗せていただき、時には取材した後に電車で選手の先回りをしたり。大牟田にも行けましたし、最古の区間記録が永久に残ることになった浜田安則さんの偉大さもわかりました。
 全日本大学駅伝のメンバー入りできなかった駒大選手や、日体大の箱根駅伝優勝テープを切った谷永雄一選手の今を取材できました。渡辺共則選手の弟さん(明日ニューイヤー駅伝を走るトヨタ自動車九州の渡辺竜二選手です)や永田宏一郎選手にも会えました。
 福士加代子選手のスピーチが瞬間的な感動なら、九州一周駅伝取材は歴史を踏まえた上での感動、自分の長年の思いを実現した感動、という感じです。

●棒高跳、山本聖途選手の活躍
 競技的には一番価値があったと思います。世界陸上の順位は福士加代子選手の銅メダルが上で、陸連のアスリート・オブ・ザ・イヤーも受賞しました。世間体にはそれがベターだと思いますが、その種目の歴史的な流れのなかでの頑張りという視点が寺田のなかでは強いので、山本聖途選手です。世界陸上の跳躍種目で過去最高順位です。人材の集まりやすい長距離、短距離ではない種目という点も、すごいなあ、と感じる理由です。

●競歩勢の活躍
 男子20kmWの鈴木雄介選手の日本記録2連発&日本人初の1時間18分台は、モスクワ世界陸上のメダル候補と言える活躍でした。本番ではダメでしたが、代わって西塔拓己選手が6位入賞。世界陸上最年少入賞でした。世界陸上後も、高橋英輝選手が活躍し、ジュニアの松永大介選手も期待できる歩きをしています。
 盛り上がる競歩を同時代に取材できることを実感しています。

●新谷仁美選手のモスクワ世界陸上1万m5位入賞
●中本健太郎選手のロンドン五輪に続くモスクワ世界陸上入賞
●盛岡取材(岩手県女子短距離特集の取材)
●桐生祥秀選手の10秒01を目撃
●山本凌雅選手の三段跳高校生初の16mを目撃
●小出義雄監督のトレーニングに同行取材できたこと
●全日本実業団対抗女子駅伝優勝のデンソーの一連の取材
●日本インカレで独自の取材ができて記事も書けたこと

 今日はニューイヤー駅伝の前日取材。3強の取材は外せませんが、4区のネタはかなり書いてきたので、3強とTBSコラムで触れられなかったチームを中心に取材しました。開会式前後で頑張りました。
 午前中は敷島の陸上競技場に。競歩OBのミズノT氏と、東洋大OBのミズノT氏がいたので、「2月の日本選手権20km競歩を盛り上げよう」と話し合いました。
寺田「東洋大・酒井俊幸監督に箱根駅伝レース後に競歩の取材を申し込んだら、ちゃんと対応してくれるかな」
両T氏「もちろんですよ!」
 正確な言葉までは覚えていませんが、こんなニュアンスで、2人の東洋大OBが保証してくれました。
 来月は大阪国際女子マラソンも頑張ります!


◆2014年1月11日(土)
 2014年がスタートしました。
 長距離関係者の多くがそうだと思いますが、我々陸上メディアの人間もニューイヤー駅伝と箱根駅伝が終わるまでは年が明けた感じはないですね。寺田は箱根駅伝の原稿が少ないので多少はお正月の雰囲気を感じていますが、新聞記者や他のライターは膨大な原稿を書くので大変です。
 今日、陸マガ2月号が届きましたが、その前の速報号と合わせてよくこんなに書けるな、書き分けられるな、と感じました。ちなみに、表紙は3区の設楽悠太選手。速報号が5区の設楽啓太選手でしたから、初の兄弟表紙独占です。
 その点、寺田が担当したニューイヤー駅伝の記事は4ページですから。TBSのコラムがなかったら、ビジネスとして成り立たないでしょう。

 個人的なことはともかく、ニューイヤー駅伝と箱根駅伝の世間からの注目度の格差を縮めないと。レベルが低い方が注目されることは陸上競技に限ったことではないのですが、それにしても差がありすぎます。
 箱根駅伝の方が人気が出やすい理由は大きく言って2つあると感じています。1つは大学の卒業生の数の方が、企業の従業員よりも圧倒的に多いこと。これが、箱根駅伝の人気が上がるプレ段階で大きな役割を果たしました。
 もう1つは20km区間の方が、テレビで駅伝の面白さを伝えやすい、ということです。レース展開をじっくりと追えるので、逆転シーンを臨場感たっぷりに伝えられます。VTRなどで選手の背景もじっくりと伝えられるし、大会の歴史も紹介できる。
 テレビで人気が出たらあとはもう、雪だるま式に人気が膨らんでスポーツの枠を超えたイベントとして定着しました。ツイッターでも数日前につぶやきましたが、スポーツ界側がコントロールできないほど巨大化しています。
 付け加えるなら学生スポーツは学生ナンバーワンが世間から注目されるのに対し、実業団スポーツは世界で戦うことで初めて評価される。駅伝や個人種目の日本一ではあまり注目されず、オリンピックで活躍してやっと評価される。それが当然だとする声も陸上界にはありますが、理想は日本一もしっかりと評価されて、それが世界で戦うモチベーションになることです。

 明日は女子、来週は男子の全国都道府県対抗駅伝が開催されます。この2つの駅伝と高校駅伝は距離が短く、テレビでじっくりとレース展開を紹介するのが難しい駅伝です。全チームのタスキ中継を映すので、気がついたら次の区間のレースがかなり進んでいる。
 タスキ中継も箱根駅伝が選手の表情のアップを映せるのに対し、47チームが雪崩をうって中継する駅伝は表情までは追えません。繰り上げスタートもありません。
 箱根駅伝復路を男子駅伝を主催する中国新聞の小山記者の隣で見ていたのですが、「7区への中継に繰り上げスタートを設けて、それを各県の知事が応援するシーンをテレビで映したら盛り上がるのでは?」と提案しました。「でも、繰り上げは中学生選手に教育的に良くないことなので」と撤回しましたけど。
 それでも例年10%前後の視聴率が取れるのは、コマーシャルの入らないNHKということも大きいのですが、都道府県対抗(高校は都道府県代表)というコンセプトが視聴者を惹きつけるからだと思います。

 ということで、陸上界的には明日の全国都道府県対抗女子駅伝が新年最初のビッグレース。実業団、大学、高校、中学のオールスター的な選手が集います。
 区間エントリーを見ると群馬と三重と岡山が前半は強そうです。大阪は高松姉妹がどこまで実業団・高校の上級生選手たちに対抗できるか。千葉も勢いに乗るかもしれません。地元の京都はマイナス要因(石橋麻衣選手の欠場)を、どこまで駅伝のエネルギーに変えられるか。
 東京の第一生命勢(勝又美咲選手を見るのは久しぶりです)、静岡のスズキ浜松AC勢も注目しています。
 神奈川も高校生が強いので、優勝争いに絡むかもしれません。出水田眞紀選手のお母さんが名ランナーだった田村有紀さんということは有名ですが、お父さんもかつて東洋大のエースだったと、東洋大OBのスポーツ報知・竹内記者から聞きました。


◆2014年1月17日(金)
 先日、風邪を引きましたが2、3日静養主体の日々を過ごして回復しました。そのせいではありませんが、今週は1回も多摩市から外に出ていないと思います。
 その代わりと言ったらなんですが、来週は連日、ババババッと取材が入っていますし、金曜日からは大阪に出張します。来月頭は大分に出張。別大マラソンの翌週は記録集計号が追い込みどきですが、名古屋にも行きます。たぶん、その足で神戸にも。
 来週以降の段取りでこの3日間ほどはてんてこ舞いでした。でも、段取りをやらせたらその辺の編集者以上にやれる自信はあります。20世紀は雑用と段取りが本職でしたから(編集者時代)。
 問題は、それと並行して原稿を書く能力がないことです。21世紀の13年間はなんだったのか?

 今週は陸マガ2月号が発売されましたが、特筆すべきはNumberに寺田の写真が掲載されていたことです。月号は少し古いのかもしれませんが、全日本実業団対抗女子駅伝の記事が見開きで掲載されていて、その左上に福士加代子選手が記者2人と話している写真があります。背中をデンと向けているのが寺田です。顔は写っていませんが、面積でいったら福士選手より大きいのです。寺田の左には毎日新聞の田原記者も。横顔がシブいです。

 これは優勝チームの共同記者会見が始まる前の隣の部屋。「あっ、福士選手がいる」と気づいた田原記者と寺田が、2〜3分で高速取材をしたシーンです。それを見逃さなかったNumberのカメラマンはさすがというしかありません。
 福士選手は3区で区間13位という成績でしたが、写真の表情は穏やかというか柔和というか、ピリピリした感じはありません。これは我々も少し驚いたのですが、モスクワ世界陸上後の練習を考えたら仕方がない、という話でしたから、その辺を物語っている写真でもあるわけです。その表情を見逃さないNumberのカメラマンはさすがです。
 記事中には三重大の杉田正明教授(以前の二枚目助教授)の記述があります。3区の水口侑子選手の大学時代の恩師です。高島由香選手の興譲館高に関する記述もあり、しっかりと取材していることがわかります。

 寺田も陸マガに記事を書きました。
 デンソーの優勝記事がカラーで見開きで、レース展開を追いながら各選手の背景も紹介するパターンです。ネタをかなり詰め込むので、じっくりと紹介するネタがないのですが、バランスは良くなっているはずです。アクセントになれば、と思って書いたのが高島由香選手のカコミ記事です。
「新谷先輩が走っていてもユニバーサルに勝てたのかな」
 と閉会式後に話してくれました。そこだけを強調したら若干問題があるので、そのコメントを出しても問題にならないように紹介しました。というか、高島選手が話したから、今回の駅伝をよく表している。ここが、実業団女子駅伝記事の一番のポイントというか、ここ数カ月間の取材の成果です。

 モノクロページでは2位のユニバーサル、3位の天満屋、6位の九電工のチームもの、1区区間賞の森唯我選手、3区区間賞の清水裕子選手、5区区間賞の木崎良子選手の個人もの。今季のマラソン展望もので福士選手と赤羽有紀子選手のコメントを紹介しています。
 どうやってこれだけ取材したのか……毎日新聞記者と寺田が駅伝後に取材する人数はすごいんです。


◆2014年2月11日(火・祝)
 今日は名古屋のホテルでデンソーの祝勝会の取材でした。その様子は記事にしましたが、一番のスクープはこの写真でしょう。3区の水口侑子選手と、三重大時代の恩師の杉田正明監督です。デンソーが駅伝に優勝したときも記者たちから、「三重大の杉田監督って…?」という問い合わせが寺田に3件ありました。4件だったかもしれません。
 杉田監督はサッカーの南アフリカ・ワールドカップの際、高地トレーニングをサポートしたことで名前が知られましたが、本職はもちろん陸上競技で、陸連の医科学委員会委員長も務めています。現役時代の高岡寿成コーチもサポートしていましたから、そちらで知られてほしいとは思いますが、まあ、世間の認識はどうしようもありません。

 水口選手のニックネームは“ぐっちゃん”とデンソーサイトに載っています。杉田先生のニックネームは“二枚目助教授”と以前は言われていましたが、今は教授です……話を水口選手に戻すと、岐阜県の名門校である斐太高時代にインターハイに出場し、3000mで17位に入っています。陸上競技で大学や実業団に進むことができる成績ですが、一般入試で三重大と新潟大を受けたそうです。
 新潟大理学部に進んだのですが、実習などのスケジュールで遠征や合宿ができず、「自分がやりたいのは陸上競技」という気持ちにも気づいて、1年後に三重大に入学し直しました。その辺の経緯を今回杉田先生からうかがうこともできましたが、杉田先生の方から積極的に勧誘したというよりは、相談に乗った、という状況だったようです。
 もちろん、高校の時は勧誘しました。水口選手のことを、寺田がどこかで“三重大出身の異色選手”と書いたらしいのですが、福岡国際マラソンのときに平和台競技場で「水口は異色選手じゃありませんよ。僕が勧誘した選手です」と杉田先生から言われました。
 その辺を注意して書いたのがTBSサイトの記事です。この記事は仙台で褒めていただきました。

 水口選手は3月の名古屋ウィメンズマラソンに出場予定です。学生時代からマラソンを目標にしていましたが、まずはトラックをしっかり走れるようにする、という方針でやってきました。学生時代からマラソンをやった方がいい、という意見も多くなってきていますが、育成のルートは選手個々で違って当然です。
 水口選手には杉田監督の指導はどういう感じでしたか? と質問したことがありますが「答えをすぐに教えないで、自分で考えさせる指導法でした」という答えでした。次の機会にはもう少し詳しいところを聞いてみたいと思います。
 水口・杉田師弟はトラック&駅伝から、というルートを選び、デンソー入社後もその方針でやってきましたが、いよいよマラソンです。ただ、デンソーの若松誠監督によると、マラソン練習では苦しんでいるところも多いようです。

 選手や指導者はもちろん、初マラソンから結果を出そうと思って全力を尽くしますが、客観的に見ないといけない組織やメディアは、何が何でも初マラソンで結果を出すことを期待してはいけないと思います。
 大阪国際女子マラソンの前田彩里選手(佛教大)のように、そんなにマラソン練習をしなくても走れる選手もいますが、1回、2回と失敗してマラソンをつかんでいく選手もいます。
 陸マガ1月号の2時間6分台トリオ記事で紹介したように、2回目で日本記録を出した高岡選手は、マラソンを重ねて結果を出そうと計画していました。日本記録はたまたま、条件とレース展開に恵まれて出た記録という認識です。

 ただ、これも世間の認識という大きな力があって、初マラソンはどうしても注目されます。専門誌などでも、初マラソン選手の記事や歴代リストを載せることが求められます。別大マラソンのレース後に、どういう記事にしよう、と頭を抱えていた寺田を目撃した関係者も3人います(4人?)。14日発売の陸マガに、苦労の跡が現れています。


◆2014年2月16日(日)
 日本選手権20km競歩の取材です。たぶん、3年連続になります。
 3年目ということで少しは取材に慣れてきました。それが一番現れたのはジュニア2種目の取材でしょう。ジュニア女子5kmWが一番最初にフィニッシュしますが、ジュニア男子10kmWのレース中なのでコメントは取れません。
 ジュニア男子がフィニッシュして、男子20kmWがスタートするまで15分くらい時間があるので、ジュニア男子の優勝者はそこで話を聞くことができます。
 去年もそれができたと思ったのですが、トップでフィニッシュした選手が失格してしまって焦りました。今年も楜澤湧希選手を取材。去年のようなアクシデントがなくてよかったです。
 ジュニア女子5km優勝の五藤怜奈選手は探し出せませんでした。

 しかし、男女の20kmWの進行中に五藤選手も取材できました。
 五藤選手の所属は済美高ですが、愛媛の済美高ではなく岐阜の済美高。昨日の園原健弘さんと三浦(法元)康二さんの会話から、世界陸上代表経験のある多久島努さんがコーチとわかっていました。運良く多久島コーチと接触できたので、レース中に何度かコースとグラウンド、選手控え室を往復して取材が可能になりました。
 それをですね、1km毎の全ての通過タイムをチェックしながらやりました! 約4分の間に行ったり来たりを繰り返したわけです。3分で怪獣をやっつけるウルトラマンにはかないませんが…
 ……すみません。正確には1、2回、A新聞M田記者に通過タイム教えてもらいました。

 日本選手権20km競歩では日本新で優勝した鈴木雄介選手、日本人2人目の1時間18分台ウォーカーとなった高橋英輝選手に話を聞きました。高橋選手の肩書きは学生記録保持者とすることも可能ですが、“日本人2人目の1時間18分ウォーカー”の方が希少価値を表現していると思います。今度、清水茂幸先生にもうかがってみます。
 ちなみに高橋選手の名前は“ヒデキ”ではなく“エイキ”と読みます。何か理由があると思って確認したのですが、本人も知らされていないそうです。
 4位と敗れた西塔拓己選手は直接話を聞けませんでしたが、東洋大・酒井俊幸監督から情報をいただきました。トレーニングに関して、東洋大ならではのチーム作りと関係する部分も。そして、とっておきのエピも。陸マガ記事に書けるでしょうか?
 ジュニアの松永大介選手もしっかり取材できました。後輩になる桐生祥秀選手についてのコメントも聞きました。

 女子20kmWは優勝した井上麗選手と2位の渕瀬真寿美選手をしっかりと取材できました。過去10年間の日本女子は川崎真裕美選手、大利久美選手、渕瀬選手の3人で引っ張ってきました。川崎さんがロンドン五輪後に、大利さんもモスクワ世界陸上後にと、2年続けて引退しました。1人で女子競歩を引っ張る立場になった渕瀬選手の思いを、ストレートに聞くことができました。
 それに対して、若手の井上選手の思いも。
 井上選手は市尼崎高から天満屋に入社して4年目。高校時代は長距離と競歩の両方に出場していて、入社当初はマラソンを目指しましたが、2年目から競歩に専念しました。学生の岡田久美子選手、前田浩唯選手とは同学年。合宿中に3人で「私たちの学年がしっかりしないと」ということを話し合っていると、以前前田選手から聞いていました。
 “世界と戦う”というところが、今大会の取材テーマだったので、渕瀬選手も井上選手も、そこをしっかりと聞かせていただきました。

 渕瀬選手は須磨学園高出身ですから1、2位が兵庫県出身選手。長距離の兵庫、短距離の兵庫(伊東浩司、朝原宣治、小坂田淳)、投てきの兵庫(ディーン元気)はよく知られていますが、ついに競歩も兵庫の時代が到来しようとしています。神戸新聞の井川記者が忙しそうでした。
「兵庫から世界へ」という地元関係者の思いも汲んで、一歩一歩前進していく2人です。


◆2014年2月22日(土)
 東京マラソンEXPOと箱根駅伝90回記念祝賀会に行ってきました。
 EXPOは先週の京都マラソンに続いて2週連続です。土曜日だからか、EXPOの順路(?)の前半はもう人の動きの波に飲まれてしまって、ほとんど自由に動けませんでした。
 各出展者のブースの写真も撮りました。例年とトレンドに変化があったのかどうか、まではわかりませんが。とにかく、どのブースも熱気がすごかったです。日本経済界の牽引する役割も果たせるのでは? と思ってしまうくらいでした。
 1つ変化かな、と思ったのは、地方のマラソン大会も会場の外で、紹介のパンフレットを配っていたこと。ここ2〜3年はともかく、数年前はなかったと思うのです。

 箱根駅伝90回記念祝賀会は品川のホテルで16時から。すごい人数が集まっていました。数百人、あるいは1000人を超えていたかも。関東学連に確認したら約800人でした。
 報道の立場としては、何か新しいニュースを期待していました。100回に向けて何か新しい企画があるとか、変更があるとか。個人レベルでは出場校を減らしたり、距離を変更した方が良いという意見も以前から出ていましたし、寺田も個人的には5km4区間に分割する区間をもうけて欲しいと思っていました。
 のですが、そういった発表はありませんでした。お祝いムード一色のイベントにしたかったのだと思います。
 それでも競技団体の会ですから、競技的なビジョンはしっかりと示しました。葉会長は挨拶で“箱根から世界へ”の理念を強調されていました。
「僕らの時代は円谷さんが素晴らしい力走と熱走でメダルを取った思いが残っています。2020年の東京オリンピックは、箱根駅伝からそういう選手が生まれて欲しい」
 河野洋平日本陸連名誉会長は外からの立場ということもあり、“学生主体の運営で90回の歴史を重ねてきた”部分を評価されていました。
「学生がこの大会を続けてきた原点こそが一番尊い。その上で競技力を考えて欲しい。90年は本当に長い年月です。大正9年に始まって、大正12年には関東大震災がありました。社会は惨憺たる状態でもこの大会は続けられました。昭和20年には敗戦の焼け野原となりましたが、フェニックスのようによみがえりました。そのエネルギーを思うと永遠に続いても不思議ではない。未来永劫続いて欲しい。先ほど読売新聞の久保事業局長が、150回まで(優勝プレート?を)飾る準備があるとおっしゃいましたが、150回と言わず200回、300回と続いて欲しい。学生諸君の思いが、気持ちが支えている限り、それは必ず実現する。その力が日本の国の力になる、日本の国の宝となると確信しています。それは日本の陸上界を引っ張る大きなエネルギーでもある。それはまた日本の若者のエネルギーの象徴でもある」
 ちょっと、いえ、かなり感動しました。


◆2014年2月24日(月)
 朝8時半に東京マラソンの余韻の冷めやらぬ新宿に。カフェである選手と指導者に取材をさせていただきました。選手の思いをしっかりと取材できましたし、S監督からはアフリカ勢のマラソンをどう見るか、なるほど、と思える視点を教えていただきました。

 その後大会本部ホテルに行き、ロビーで朝日新聞を読んでいました。
 朝日新聞陸上競技担当ツートップの1人、増田記者による松村康平選手の記事、酒瀬川記者による分析・総評記事を、なるほどと思いながら読んでいるとジュクグッシーが現れ、「怪しいですね」と声をかけてきます。グッシーは元朝日新聞社員です。
「朝日新聞を読んでいるのが怪しいとは、なんたる言いぐさだ!」と寺田。
「いや、(わざとらしく)新聞を読んでいることが怪しいでしょう」とグッシー。
「だったら月陸を読もう」と、専門誌を取り出しました。
「それなら怪しくないですね」とグッシー。
 特に意味はありません。

 2時間ほどロビーにいた後に隣のビルの牛丼屋で早めの昼食。今日は夕食もちょっと早めなのです。
 もう一度大会本部ホテルに戻り、エチオピア事情に詳しい柳原元さんGENさんのスポビズ日記と一緒に移動しながら、取材させていただきました。偶然ですが14時半から、同じ方向で取材の予定が入っていました。
 柳原さんからもなるほど、という見方を教えていただきました。記事の厚みがぐっと増すのは間違いないでしょう。

 14時半からはHondaの新しい寮で藤原正和選手を取材しました。
 今回陸マガに書く記事は基本的には、初マラソンで結果を出す必要はない、というトーンになりますが、藤原選手は初マラソン日本最高記録保持者です。2003年のびわ湖で2時間08分10秒を出しました。当時中大4年生。
 初マラソンで結果を出した例として話を聞かせてもらったのですが、藤原選手自身はその後低迷して5年間マラソンを走れず、昨年のモスクワ世界陸上で10年ぶりの代表となりました。
 結論としては、マラソンを極めていく道筋は色々なパターンがある、という当たり前のものになります。現場や、少しでも取材をしている人間なら当たり前に持つ感覚です。
 しかし、アフリカ勢のように最初からすごい記録で走っても良いのでは? と世間は見るのではないか。そこは現場サイドとして、どう説明するんだ? 現場とそこに近い人間だけが感覚的にわかっていてもダメだろう。なんとか文章にしろ、というのが陸マガ編集部の狙いのようです。

 かなりの難題でしたが、取材に協力していただいた皆さんのおかげでまとめることができそうです。

 Honda寮の最寄り駅前のマクドナルドで仕事をしていましたが、どんどん数が増えてくる高校生たちのプレッシャーに負けて1時間もたたずに店を出ました。品川に移動して1時間ほどカフェで仕事。18時半から駅ナカのイタリアンで会食しました。


◆2014年2月25日(火)
 昨晩は陸上競技の報道(?)関係者4人で会食しましたが、主賓は来日中のケン中村さん。ケンさんは米国在住ですから、日米文化の比較論などにもなりました。
 食事をしたのが“駅ナカ”だったこともあり、スイカなど電子マネーも話題になりました。ケンさんによると、米国では電子マネーはあまり使われていないそうです。日本は鉄道社会、米国は車社会という違いに起因しているのかもしれません。
 その代わり、買い物の支払いはほとんどがクレジットカードなのだそうです。
「5ドルでもカードですよ」とケンさん。
「日本人は1000円以下でカードは使えません」と寺田。
 こんなメンタルですから、〇○○の交渉もできないんですよね。

 N氏がかなりディープな日本歴代リストを持参したので、話題は日本記録や歴代記録の話に。
「かなり古い記録も残っていますよね」とケンさん。
 男子三段跳や走幅跳、円盤投など、かなり昔の記録も残っていますし、記録が更新されやすい短距離や長距離でも、日本記録は10年以上前のものが多いです。
「でも、男子の100mと1万mは2〜3年で絶対に更新されますよ」と寺田。
 根拠は人材が集まりやすい種目であることと、記録が出やすい大会があることの2点です。一番重要な要素はトレーニングですが、そこはメディアの人間が言及すべきでないと思っています。
 調子に乗って「高岡選手の日本記録は、2〜3年後には歴代10位くらいになっていますよ。100mは織田記念で9秒97か98が出ています」と続けました。
 1万mに関しては本当に、出なければおかしいでしょ、という状況です。破る候補の選手名も10人は挙げられます……が、ちょっと言い過ぎました。
 高岡選手の記録はたぶん、リオ五輪の頃には歴代5位くらいでしょう。
 破られなかったら高岡選手が偉大だったと、喜んで書きたいと思います。


ここが最新です
◆2014年3月4日(火)
 本日は八王子のホテルでコニカミノルタのニューイヤー駅伝優勝報告会があり、出席させていただきました。どうしたものかと思っていたのが、マラソンの話題です。東京で黒崎拓克選手がコニカミノルタの日本人最高記録(2時間09分07秒)で走ったのですが、黒崎選手以外は福岡国際、ドバイ、東京、びわ湖とまったく振るいませんでした。
 駅伝シーズン前から「今年はマラソンで結果を出す」と監督、選手とも言い続けてきたのです。メディアの立場での出席ではありましたが、お祝いの会ですからマラソンの話題は避けようと思って会場に入りました。

 ところが、最初の磯松大輔監督の挨拶から、「最大の目標であるマラソンで結果をまだ出せていない」と、厳しい自己批判。キャプテンの宇賀地強選手も「自分がマラソンのイメージを下げた」と、ドバイの結果に対してしっかりとコメントしました。酒井勝充総監督にいたっては「駅伝で8回も優勝しているのに、マラソンの日本代表を出せないのは恥ずかしい(恥ずかしいではなく別の言葉だったかもしれませんが、ニュアンス的にはそういう感じです)」とまで言いました。
 コニカミノルタのすごいところは、現場ではないサイドの部長の方も、駅伝だけではなく世界に、ということを強調されていたところです。

 Twitterでもつぶやきましたが、会場が一番沸いたのは1年目の菊地賢人選手が、「今年は宇賀地強に勝ちます」と言い切ったとき。先輩にも遠慮しない、というよりも、そのくらい高い目標を明言して挑戦する。これこそがコニカミノルタ魂だと思います。
 菊地選手のいのは、宇賀地選手の名前をフルネームで言ったこと。日本語のニュアンスなんですけど、「宇賀地に勝ちます」と、名字を呼び捨てにすると角が立ちます。これをフルネームで言えば、そうでもない。寺田も取材中、この手法は使っています。

 4月に入社する設楽啓太選手(東洋大)も出席していた、最後に壇上で挨拶もしていました。酒井俊幸監督が以前、キャプテンをやって人前の話がずいぶん上手くなった、と話していましたが、今日は緊張もあったのだと思います。先輩選手たちに比べると、まだまだかな、という感じでした。
 2年後には一番しっかり話ができるようになっている可能性は十分あると思います。

 酒井俊幸監督には日本選手権20km競歩のときに取材させてもらったコメントを、陸マガに載せました、という報告をしましたが、その他にも競歩の話を少し。
 同監督は競歩の技術も専門指導者並みに説明できるのですが、西塔拓己選手たち競歩の有力選手が在籍していることに加え、競歩選手だった奥さんの影響もあったことを認めてくれました。書くのはNGと言われたネタもありましたが。

 各大学の監督も多数出席していました。卒業生がコニカミノルタにいる、いないにかかわらず招待したと聞いています。
 明大の西弘美監督とは、早稲田スポーツの記事について話をさせていただきました。
寺田「学生の取材に渡辺康幸監督と同年代とか、冗談を言ったでしょう。そのまま書かれていましたよ」
西監督「え、そう? 同年代ですよ」
 これは西監督の、まだまだ自分も若いぞ、箱根駅伝で優勝するまでは頑張るぞ、という意思表示だと思います。渡辺監督とは仲が良いからこそ、絶対に負けないぞ、とも取れます。早稲田スポーツもそういった発言の背景を記事に書き込めば、普段は厳しいOBの堀川さん(朝日新聞)も見直したと思うのですが。

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