2009/5/3 静岡国際
“大物”たちを破った跳躍の東海大コンビA
高張が
2m22、土屋とのジャンプオフも制す
    4cm自己新

 棒高跳の鈴木崇文が自身の優勝について感想を話している最中に、「一番嬉しいのは、同じグラウンドで、高張と一緒に優勝ができたこと」とコメントした。
 男子の棒高跳がバックストレートの外で行われているのと同時に、走高跳が3〜4コーナーの内側で進行していた。
 高張広海(東海大4年)は調子の良さを自覚していた。
「2m11までは“跳べない”感じでしたが、2m16になってすごく良い跳躍ができたんです。ユニバーの標準記録の2m22を狙って(自己新の)2m19をパスしました。そこから拍手を求めたら気持ちも乗ってきて、助走も良いのができて上手く跳躍に結びつきました。高さも余裕があったと思います」
 2m22を1回で成功。自己記録を一気に4cm更新した。

 走高跳も棒高跳同様、大物選手の出来が良くなかった。07年世界選手権金メダリストのドナルド・トーマス(バハマ)は、「技術ではなく、身体能力は同じ人間とは思えない」と高張を驚かせたが、2m22を失敗。日本記録保持者で今季2m28を跳んでいる醍醐直幸(富士通)は、痙攣を起こしてしまいやはり2m22を失敗。2m24〜2m30を昨年記録している外国勢3人も、次々に姿を消した。
 勝負は高張と、同じ2m22を1回目に越えた土屋光(モンテローザ)とのジャンプオフに。2m25・23・21・19とバーが下げられたが、2m19で高張が踏ん張って決着をつけた。
「勝てるとは思っていませんでした。記録が低調になったことが勝因です。棚からぼた餅ですね」
 高張は高校2年時のインターハイ南関東予選で、全国大会進出を決めるためのジャンプオフに敗れている。その悔しさがバネになったと断じることはできないが、体力的に厳しい状態のなかで再度、自己記録を上回る2m19を跳んだことは評価できる。

 高張は高校3年でも南関東予選で7位で、インターハイには出場できなかった。記録も2m06で目立った存在ではなかったが、東海大の植田跳躍コーチに「拾ってもらって」(高張)進学。1年時に2m10、2年時に2m18、3年時に2m18という年次ベストで、2年時には関東インカレ2位、3年時にも日本インカレ3位の成績を残すまでに成長した。
 同学年の鈴木崇文の方が全国レベルでの活躍は早かった。「同じ大会で2人が一緒に良い成績だったことはなかったので嬉しい」と鈴木。

 高張の跳躍は「助走から踏み切りの流れが途絶えないこと。身体を起こす感覚は頭抜けている」(鈴木コーチ)のが特徴だ。
 もう1つ、見る側を惹き付ける特徴がある。助走開始前にバーを見るのが走高跳では常識だが、高張はバーに背を向けてイメージをつくる。今大会ではスタンドを見ていて、バーの方に体の向きを変えるとすぐに走り出していた。以前、400 mHのリリアン・ヘルバートなど南アフリカの選手たちが、スタート前に後ろを向いていたことを思い起こさせた。
「大学2年時からやっています。バーを見て考えすぎると、恐怖心が出てくるような感じもあったので、前を見たらすぐに行く方がいいかなと思って」
 大学2年時には自己記録が8cm伸びている。それだけが記録更新の理由とは言えないが「1つの要因にはなったかもしれません」と言う。

 鈴木と高張の東海大跳躍コンビは後日、ベオグラード・ユニバーシアードの代表に揃って選ばれた。


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