2006/6/13 沢野帰国
5m75の海外日本人最高は過去“最硬”ポール
後半2試合はケイレン防止にも成功


 ヨーロッパで3試合に出場した沢野大地(ニシスポーツ)が13日午後、成田空港に降り立った。満足そうな表情で遠征を振り返ったなかで、外から見ての明確な進歩は2つ。今季国内でも“過去最硬”のポールを使用していたが、さらに硬いポールを使ったこと。しかも、3戦目のゲーツヘッドでは他選手のポールを借りて日本新記録にトライした。もう1つは毎試合悩まされてきたケイレンを、2・3戦目には工夫をして防ぐことに成功したことだ。
2006/5/28 ヘンゲロ 5m40 5m50      
×××      
2006/6/5 プラハ 5m40 5m50 5m60 5m70 5m77
×××
2006/6/11 ゲーツヘッド 5m45 5m55 5m65 5m75 5m85
××○ ×××

@プラハでは少しの“躊躇”、ゲーツヘッドでは“攻め”のポールチェンジ
「あり得ないような(硬さの)ポールを使いました」
 成田空港到着ロビーに姿を現した沢野は、「色々とあったんですよ」と前置きをした後、このように話し始めた。5m75の海外日本人最高に成功したゲーツヘッドでの試合のこと。flex14.6のポールを持参し、その日に初めて使用したが、それよりも硬いポールを使ったというのだ。つまり、現地で借りたポールで日本新記録に挑戦したのである。

 その経緯に触れる前に、使用したポールを第一戦から紹介しておく必要がある。
 第1戦のヘンゲロ大会はトライアルで「5m50をポンポン跳んでいた」、というくらいに絶好調。だが、本番直前のジョッグのときから脚がつり始めた。そのため、flex15.8と軟らかめのポールを使用。しかし、3回とも失敗してしまう。
 しかし、第2戦のプラハ大会ではケイレンを克服し(詳しくはBで書く予定)、5m70で優勝。最終的にはflex15.2のポールまで使用した。昨年、5m83の日本記録を跳んだときのポールである。
 ただ、5m77の1回目に少しポールが軟らかいと感じた。1つ硬い14.9のポールも、今年5月の静岡国際ですでに使用した経験もあったが、「70を跳んだときの感覚なら大丈夫と思ってしまった」と、変更しないで挑戦。結局、5m77はクリアできなかった。「もっと強気に行けば、可能性はあったかもしれない」と、本人は反省するが、ケイレンにも神経を配らなければならない。難しい判断だったと思われる。

 そして臨んだ3戦目のゲーツヘッド。プラハが肌寒かったのに対し、今度は暑い中での試合。最初の5m55は1回目にクリアしたが、次の5m65は3回目。傍目には危ない橋と映ったが、本人は「これまでにもあったこと」とひるんでいなかった。flexは15.2から始めて毎回ポールを換え、3回目は14.6で挑戦して成功した。14.6は海外遠征には初めて持っていくポール。使用するのも初めてだった。
 その“最硬”ポールがこの日はマッチした。つまり、最高に状態が良かった。5m65の3回目に続き、5m75の海外日本人最高も1回でクリアした。

「いい攻めができたと思います。1発目で跳んでいくことも経験しましたし、ポールを換えて行くことにもビビらずに挑戦できました。今後につながると思います」
 今回のヨーロッパ遠征は、沢野をまた一段階、成長させた。だが、ゲーツヘッドの最後に使ったポールにだけは「ビビった」と言う。それが冒頭で紹介した「あり得ないポール」である。その経緯はAで紹介したい。

つづく、予定ですが先に別の記事を書く予定


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