2006/5/25
沢野、第1次ヨーロッパ遠征に出発
海外で日本新なら24年ぶりの快挙

記録的な期待の背景にある手応え

@アメリカ選手たちとの会話に「ヨーロッパでの自己記録」

 沢野大地(ニシスポーツ)が今季の第1次ヨーロッパ遠征に出発した(写真)。持参したポールは7本。本数は昨年と同じだが、ラインナップが若干変わった。5m10の長さと195ポンドの耐荷重は同じだが、昨年の日本記録(5m83)のときよりも硬いポールを使い始めている(静岡国際の記事参照)。そして今回の遠征ではさらに硬い、フレックス14.6のポールを持参した。代わりに、5m00の長さで一番軟らかいポールを抜いたという。
「海外でも記録を跳びたい」
 沢野の願望がポールのラインナップにも表れていた。

 どの種目でも海外では記録が出にくくなる。長い飛行機での移動や時差、食事の違い、大会出場手続きのストレス、人種の違う選手に囲まれるプレッシャーなどが、ソフト的な原因。ハード的にも、高速トラックが主流となっている日本とのサーフェスの違いや、アップ場の有無も影響してくる。
 競技場内で長時間を過ごすフィールド種目の方が、プレッシャーの影響は受けやすい傾向がある(一概には言い切れないが)。トラック種目は追い風で歩幅が大きくなっても問題ないが、跳躍種目は歩幅が変われば調節をする必要がある。特に、ポールを保持して走る棒高跳は影響を受けやすい。海外遠征で結果を出せない日本選手は最終的には、何らかの原因で正確な助走ができなくなるのだと棒高跳関係者から聞いたことがあった。
 このような事情もあり、棒高跳の海外での日本記録更新は1982年(高橋卓己がロンドンで5m52)が最後になっている。

 沢野が次のようなエピソードを話してくれた。
「去年、チューリッヒ(スイス)でアメリカ選手たちと一緒に食事をしていたら、『ダイチのヨーロッパでの自己記録はいくつ? ヨーロッパの最初の試合の記録はいくつ?』と聞かれたんです。ヨーロッパでの自己記録が何を意味して言っているのか、すぐにはわかりませんでした」
 食事をしていたのはティモシー・マックやブラッド・ウォーカーといった、遠征や沢野のアメリカ合宿で一緒になり、知己を得ている選手たちだった。
「ヨーロッパの国の選手なら国内のような感覚で行けます。でも、ヨーロッパ以外の国の選手たちにとっては、ヨーロッパでの自己最高記録が1つの目安になっていたんです。『最初は記録なしだったよ』という選手もいました」

A冷静な沢野と、強気な沢野

 そういった事情があるにもかかわらず、今季の沢野は海外での記録更新が目標だと、シーズン前から話していた。昨年もグランプリを転戦しているが、記録への意欲は今回の方がはるかに大きい(6〜7月の遠征は、記録なしに終わった日本選手権から再起する必要にも迫られていた)。その点を紹介する前に、選手のメンタル面のコントロールについて簡単に触れておきたい。
 沢野は昨年の世界選手権8位や、今年の世界室内予選で9番目という成績を、ものすごく悔しい思いで受け止めている。ヘルシンキでは涙さえ流した。その一方で、自身の現在の力は世界でそのくらいなのでは、と冷静に分析する自分もいる。
 冷静に分析したら海外で記録を出すことは難しい。だが、それをやらないことには自身の殻を破れない思いもある。選手というのは一見、矛盾するような考えを自身のなかでバランスよく共存させ、競技力に結びつけないといけない。理性的、というだけでは、選手としてのバランスは悪いのである。

「2人の自分がいる」と話したこともある沢野だが、どちらかというと、プラス思考が強い。米倉照恭コーチ(日本人初の5m60=96年)が、「僕から見ても自信家」と話していたこともある。これまで何度か壁にぶつかったこともあったが、その都度、自信をつけて乗り越えてきた。成田高2年時にインターハイに優勝したときもそうだったという。
「自分は勝てると強気に臨んで、勝つことができました」
 インターハイで勝った沢野は、成長を加速させた。9月には5m25の高2最高、3年時にはインターハイで5m40のスーパー高校新を記録したのだ。
 昨年のローマ・ゴールデンリーグで5m70を最初に跳んだとき、「自分なんかが勝って良いのだろうか。これ、ゴールデンリーグだろ」などと待ち時間に考えていた(昨年7月の記事)。記録を“出せる”という意気込みも小さかった。それが今回の遠征前には明らかに変化している。
「条件の良し悪しはあっても、記録や勝負にこだわれる。自分がそうなっていると感じられます」

 話を今回のヨーロッパ遠征に戻そう。@で紹介したように、ヨーロッパでの記録更新は客観的に見たら難しいが、今の沢野は「海外で記録を出したい」と言い切る。そう考えるにいたったのは、昨年の世界選手権の経験が大きかった。方向が定まらない強風に苦しめられ、予選でも薄氷を踏む通過の仕方だったし、決勝は5m50にとどまった。その影響を受けたのは他の選手たちも同じで、この記録でも沢野は8位になっている(世界選手権跳躍種目初の入賞)。
「あの条件でも、優勝したブロム(オランダ)は5m80を跳びました。ブロムの自己記録は5m80。6m00がベストの選手が5m80を跳んだわけでもないし、僕よりも自己記録は(3cm)下だった選手です。海外で自己記録を跳ぶくらいの強い精神力を持った選手でないと、世界で優勝争いはできないのだと痛感しました。ヨーロッパで記録を出すことが、1つの自信につながるのでは、と思えてきたんです」

B「“自分の軸”に近づいてきた」

 もちろん、単に気持ちだけ開き直ればいい、というものでもない。自信の裏付けとなる何かを、試合なりトレーニングなり、あるいは日常生活で見つけている。
 遠征出発前に沢野は成田空港で、2つの根拠を示してくれた。
 1つは走りが良くなっていること。「冬にためた分が、走りにちゃんと出てきている」という。3月の世界室内(5m65)、4月のマウントサック(5m53)と、助走がまったく走れていなかった。
「3月は冬期練習の疲れが出ていたのだと思います。筋肉というよりも、体の芯に近い部分の疲れ。一緒に冬期をやった(OBを含む)日大のメンバーも皆、同じ傾向でした。西田杯(3月4日)では大きく落ちている状態で、世界室内では調整したんですが、修正し切れませんでした。5月になって静岡、大阪とかなり上がってきて、その後の練習でも回復してきている感触があります。力が入って、スピードに乗る助走ができてきましたね」
 その結果、@で触れたように、持っていくポールのラインナップが、昨年と微妙に変わってきている。

 2つめの根拠については、沢野の言葉をそのまま紹介しよう。
「昨年ローマ、ヘルシンキ、チューリヒ、インチョン(アジア選手権)と転戦するなかで、気持ちのもって行き方が整理できてきて、こうすればいい、というベースができてきました。初めての世界選手権(03年パリ)やアテネ五輪の頃は、(海外特有の)色々なことに対処して、不安材料を1つ1つ消していくやり方でした。それが今は、シンプルになってきています。ただ“跳ぶだけ”みたいな感じで。考えがシンプルになることで、あちこちに散らばっていた要素が、“自分の軸”に近づいてきた」

 2つを紹介させてもらったが、沢野が感じていることは他にもあるだろう。ひと言でいえば、海外での戦いを手の内にしつつあるということ。
「静岡や大阪に行って試合をするのと同じ感覚で、海外遠征に臨めるようになった」

 沢野自身は記録を出すつもりでいるが、実際に出せるかどうかは、(第三者として記すなら)現地の条件による部分が大きい。だが、沢野も言っていたことだが「全部が悪いわけではなく、少し条件の良くなる試合もある」のである。
 日本記録更新は確率的には2〜3割かもしれないが、日本の跳躍選手の常識を破ってきたのが沢野大地という選手。ちょっとの期待を持って、ヨーロッパ遠征を見守りたい。


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