2006/4/23 兵庫リレーカーニバル
兵庫投てき特集@
村川が17m99、“すっきり”した日本歴代3位に
しかし、村川自身は内容に
“すっきり”できず

 投てき種目が盛り上がった。
 先陣を切ったのは、最初のグランプリ種目である男子砲丸投。村川洋平(スズキ)が3投目に17m91と自己記録に3cmまで迫ると、6投目には17m99をプットした。男子砲丸投の18m台は日本記録(18m53)保持者の野口安忠と、18m03の畑瀬聡(群馬綜合ガードシステム)の2人だけ。村川は2年前に17m94の日本歴代3位をマークしていたが、室内で17m97を出した野沢具隆が数字上は上に位置していた。今回の村川はそれを上回り、“すっきりした”日本歴代3位に進出した。
 しかし、村川自身はすっきりしていない様子。

「(99と聞いて)やっぱり中途半端だな、と思いました。投げも納得のいったものではありません。自分の理想の動きとは全然、違います。グライドに入るタイミングも、グライドから脚を右、左と着くタイミングも、イメージからはほど遠いものでした」

 しかし、まだスピードの速い動きをするための練習はしていないという。冬期に全体的なレベルアップができ、ベンチプレスやスクワットなど、マックスが10sくらい上がっているウェイトもあるという。今年に入って実業団のオーストラリア遠征で2試合、横浜インドア、2回の筑波大記録会とすでに5試合を消化しているが、それらは技術チェックが目的のもの。それを考えると、まだまだ記録が伸びていく余地はある。
 この日の投てきの中でも、6投目の17m99が一番良かったわけではない。
「投げ出しのときに手の中で砲丸がずれてしまいました。むしろ、3投目の方が良かった」
 実際、3投目はリリースの時に声が出ていたが、6投目は出ていなかった。手応えが3投目の方がよかったということ。それでいて6投目に17m99を出したのだから、18m20〜30はいつ出ても不思議ではない。
「スピード・トレーニングを入れれば、これからどんどん良くなっていきます。日本選手権あたりで、日本記録を出しますよ」
 日本選手権も今大会と同じ、神戸ユニバー記念競技場で行われる。

兵庫投てき特集A
畑瀬は身体の“重さ”が敗因
井元の自己新は“重さ”へ適応した現れか?


 男子砲丸投は日大の先輩後輩コンビが2・3位。村川とともに日本記録の期待がかかっているのが、畑瀬聡(群馬綜合ガードシステム)だが、この日は1投目の17m38が最高だった。
「グライドの入りが遅すぎて、蹴り出しで力んでしまっています。本当は蹴るのではなく、腰を落としてザリガニが跳ねるような動きにしたいのですが、振り上げが遅くて、右脚で蹴って進もうとしてしまいます。いざ、サークルに入ると力みが出てしまうんです」
 試合感覚がまだ取り戻せていない部分もあるし、疲労が取り切れていない部分もあるという。「休むのが怖くなっているところがあります」と、自分でも問題点には気づいている。後半の3投は17m31−17m21−17m27。明らかに、その兆候が見られた。
「体が重い」と繰り返していた畑瀬だが、休養の取り方さえ上手く理解できるようになれば(それが難しいのだろうが)、身体の切れとともに記録も一気に上昇してきそうだ。

 畑瀬に続いて高校生2人目の19mプッターとなった井元幸喜(日大3年)が、16m59と自己記録を6cm更新した。日大の先輩である野口や畑瀬に比べ、大学入学後の記録の伸びがいまひとつ。それだけに、今季中に最低でも17mは出しておきたいところ。
「自己新でも投げの内容がもうちょっと。今季中に17mを投げるために、この大会で、それに迫る記録を出しておきたかったのですが」
 十分に取材をする時間がなかったが、井元も16ポンドに対応した技術が身に付き始めているのかもしれない。12ポンドで19m、6sで18mを投げている唯一の選手。軽い重量で遠くに飛ばす動きができているのなら将来性はある、と室伏広治も話していたことがあった。どの選手にも簡単にあてはめていいことではないのかもしれないが、井元が可能性のある選手であることは間違いないだろう。

兵庫投てき特集B
畑山は“5年ぶり”の対日本選手敗戦
新技術が定着すれば60m突破か!?


 五輪種目では最古の日本記録が残っている男子円盤投(79年に川崎清貴が出した60m22)。その円盤投で2つのビッグニュースが生まれた。小林志郎(国士大院)の学生新と、畑山茂雄(ゼンリン)の対日本選手の敗北(小林55m22、畑山55m04)。ニュースとしての重要度は、同じくらいに大きい。仮にどちらかが10年ぶりだったら、インパクトの大きさも違ってきただろうが、どちらも5年ぶりである。
 しかし、明るいニュースを後に書いた方が、記事全体が明るくなる。という理由で、畑山の敗戦から先に書きたい。

「1カ月待てば良かった」
 詳しくは後述するが、畑山は共同会見中ずっと、敗戦を前向きにとらえる発言をしていた。自分にとってもプラスにできることで、日本の円盤投全体にとってもいいことだと。しかし、会見の最後の方で思わず、上記の言葉が口をついて出た。
「技術的に不安定な状態で試合に出てしまったんです。頭の中では画像ができているのですが、それを表現することがまだできていません」

 畑山は技術的に、かつてない感触をつかみつつある。畑山自身は出場していなかったが、日体大・中大対校戦の試合後に、その辺の話を聞くことができた。ひと言でいえば案山子のような投げ方だという。
「円盤投とはこういうものだと、自分に合った投げ方がわかってきました。前田(裕孝・自己記録55m06)さんとも話をして、円盤を動かさないといけないのだと、改めて認識しましたね。今日(日体大・中大戦)も円盤を回さず、自分だけ回っている選手が多かった。円盤を動かすためには、円盤を上手く力の入るポイントに動かしてやる必要があります。要所要所で、円盤がここにあったら動かしやすいという位置にある。そのためには脇の下を空けて、大きく回るのがいいのだと気づきました。案山子(かかし)のようなイメージです」
 それ以前の投げ方との違いも、説明してくれた。
「以前は、とにかく速くというイメージやっていました。手の位置も下がっていた。それでも、合うときは合うので飛ぶこともあるのですが、回転がおかしくなって記録が出ないことも多い。去年、58mを投げたあとがそうでした。記録を意識しすぎて、回転が速くても小さくなってしまう。今はスピードを抑えて大きく回ろうとしています。理想は、大きな回転で、以前のようなスピードで回ることなんですが」

 次の試合は5月中旬の東日本実業団。そこである程度の感触を得て、日本選手権で結果に結びつけたい。

兵庫投てき特集C
円盤投・小林が55m22の日本歴代4位
“5年ぶり”の学生新!!


「ベストエイトに入って一番後ろで投げるのは、変な感じがしました。1本だけ(3回目)上手くいっただけで、そのときはいい感触もありましたが、自分が55mを投げた実感がありません」
 小林志郎(国士大院)は試合の感想を求められ、このように答えた。それだけ男子円盤投は、畑山が勝って当然という状態が続いていた。畑山が日本選手に最後に負けたのは2001年5月の国際グランプリ大阪。同学年の中林将浩(法大)が相手だった。学生記録は、同じ01年の日本インカレで、その中林がマークした54m82。この日の小林は、その学生記録を更新するのと同時に、日本人5人目の55m突破者となった(歴代順位では前田を上回る4位)。

「今まで、55mに壁があると決めつけていたんです。それが、昨年の12月に先輩の青山(慎一郎)さんたちとシアトル(アメリカ)に行って、60mと58mの選手2人とも一緒に練習して、上手く説明はできないのですが、55mを壁と思わなくなりました。今季の目標は、まずは学生記録の更新、それができたら56mと思っていました」

 シアトルでは76年モントリオール五輪金メダリストのマック・ウィルキンスの指導を受け、技術的にも変更した部分があった。
「日本人選手はだいたいそうなのですが、入りで左脚を急ぎすぎて回転してしまいます。そこをゆっくり回し続けるように変えました。ウィルキンスさんはそこを変えただけで、66mだったベスト記録が71mまで伸びたと言います」
 しかしこの日、一番最後の試技順で投げた4回目以降は、51m40−52m91−fとまったく振るわなかった。
「もっと記録を伸ばそうという気持ちが強すぎて、入りからスピードを上げてしまった。以前の動きにもどってしまいました」

 とはいえ、日本選手2人が同一試合で55m以上を投げたのは、おそらく初めてではないだろうか。畑山はここ数年、円盤投のレベルアップを考え、率先して行動してきた(合同練習会の記事)。兵庫の記者会見でも次のように話した。
「今日は試合中から気持ちが違いました。いつもだったら1投目の54mで勝てていたのに、逆転をされました。負けましたけど、勝ち続けないといけない気持ちが消えて、楽になりましたね。これからはチャンピオンとかではなく、一円盤投選手として戦っていけます。3位の秋本(啓太・筑波大)もファウルになりましたが54m台を3回目に投げました。かなり底上げができてきた。次からの試合が面白くなりますよ。円盤投ブロックがいい方向に行っています」
 円盤投の記録は、右斜め前方からの向かい風のときが伸びる、と言われている。無風区だった種目に、いい風が吹き始めた。


春季サーキット&国際グランプリ大阪2006
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