2003/8/30 世界選手権第8日
土江、涙の決勝進出
「自分が疫病神かと思っていました」

 男子4×100 mRの準決勝。1組4位の日本(土江・宮崎・松田・朝原)は38秒58のタイム。準決勝は2組行われ3着+2が決勝進出条件だったため、2組の結果を待つ必要があったが、2組の4位カナダのタイムは38秒66。1走の土江寛裕(富士通)が涙でミックスドゾーンに引き揚げてきた。

「やっと(決勝まで)来ました。アトランタ五輪から僕が出たときの4×100 mRは失敗続きで、自分が疫病神かと思っていました。日本チームも何回か決勝に行っていますし、僕も何回か代表になっていますが、僕がファイナルに出るのは初めてなんです。長かったです。(96年のアトランタ五輪から)8年かかりました。明日はもう、頑張るのみです。(決勝という場を)楽しみたい」

 土江の五輪&世界選手権の戦績は以下の通り。
・96アトランタ五輪:4×100 mR予選落ち(1走で出場して2走・伊東浩司にバトンを渡したが、3走・朝原宣治と4走・井上悟のパスで失敗)
・97アテネ世界選手権:4×100 mR準決勝2組5位(3走で38秒31のアジア新記録に貢献したが準決勝が2組4着取り。全体で7番目の記録にもかかわらず、日本の組に有力チームが集まって涙を飲んだ)
・99セビリア世界選手権&2000シドニー五輪:代表になれず。シドニー五輪はオーストラリアに留学中ということで、日本チームのサポートをした
・01エドモントン世界陸上:100 mに出場したが1次予選10組5位と不調で、リレーの1走は松田亮が務めた

 土江は日本選手権100 mで末續、朝原に次いで3位となって代表入りを決めたが、その時点から、メンバーになれるかどうか危機感を持っていた。

「予選は100%起用すると2〜3日前に言われました。準決勝は僕の予選の走りと、宮崎の200 mの走りを見比べて決めることになっていました。宮崎が2次予選で20秒70を出して好調でしたから、自分は予選でかなりいい走りをしないと難しいと思っていました。眠れない日が続きましたね」

 土江は宮崎久(ビケンテクノ)とともに1走候補で、2走・末續慎吾(ミズノ)、3走・松田亮(広島経大ク)、4走・朝原宣治(大阪ガス)は決定していた。しかし、200 m銅メダリストとなった末續が負傷で起用できない事態となった。1走・土江、2走・宮崎のバトンパス練習は、「午前中に2回、予選はゆったり渡し、予選後にもう1回チェックした」だけだった。だが、準決勝は「教科書に載せてもいいようなパスだった」というくらいに上手くいった。

「走り自体は予選の方がよかったと思います。準決勝は前(8レーン)のガーナを追いかけて、後ろ(6レーン)のカペル(米国・200 m金メダル)を見ないようにしました。見ないようにというのは、バトンパスの時に並ばれないようにするという意味。コーナーが残り2つもある時点で並ばれたら話になりませんから、200 mチャンピオンといえども、並ばれないようにと頑張りました。もしも落ちていたら、末續が出ていないからダメだと、みんな思ったことでしょう。このメンバーで結果を出せれば、アテネ五輪はすごい結果を出せます」

 決勝では、準決勝で完璧だった1・2走のバトンパスに失敗し、それが響いて7位と敗れた。結果を出せたといっていいの微妙なところだが、陸上競技マガジン10月号にも書いたように、準決勝の38秒58は2本柱の1人を欠いて出した記録では過去最高。アテネ五輪は土江の言うように期待できるが、一方で今回のような事態になることも想定しておく必要がありそうだ。


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