2005/9/25
全日本実業団 超私的レポート

 日記に全日本実業団のネタを書いていたら、膨大な量になってしまいました。選手や競技のちゃんとした情報も、それなりに含んでいます。日記の中で紹介するよりも、別体裁で紹介した方がいいかな、と判断しました。記者の個人的な感想と、記事の中間的な文章ということで、超私的レポートというタイトルを付けました。

@今井選手の引退セレモニー
 全日本実業団は今井美希選手の引退試合でした。試合が終了すると青山幸選手ら、一緒に競技をした選手たちが次々に挨拶に。同じミズノの信岡沙希重選手も、自身の競技前にもかかわらず、ピットに飛んできました(写真1)。
 セレモニーが行われ、高校時代も含めると15年間コーチをしてきた阪本孝男氏から花束が贈呈されました(写真2)。続いて、ミズノ総監督の中村哲郎氏からは、1m96の日本記録を跳んだ01年スーパー陸上のときの記念写真パネルが手渡されました(写真3)。
 その後フォトセッション。花束とパネルを手に持ってもらったところをカメラマンたちが撮影します(写真4)。続いて、記録表示板に移動してもらって、「1m96」の数字と一緒に写真を撮らせてもらいました。
 通常のスポーツ報道なら、最初のフォトセッションのときに、いい表情の写真が撮れればOKとなります。引退選手の写真ですから、感情がよく出ている表情で花束を持っていれば、それで十分。しかし、そこは陸上競技。やっぱり、記録(数字)を写真に映し込みたかったので、隣にいた陸マガ高野カメラマンに「記録表示板と一緒に撮る?」と耳打ち。「そうしましょうか」と高野カメラマンも同意してくれたので、今井選手にお願いしました。このあたり、寺田は本職のカメラマンではないので、独断では行動する勇気がありません(そんなことでいいのか)。
 今井選手はちょっとためらっていました。今日、跳んだ記録ではありませんし、本人にしかわからない気持ちの部分もあるのでしょう。ただ、報道する側としては、今井選手を象徴する数字ですから、是非とも撮りたい。再度お願いして、了承してもらいました。
 今井選手のそれまでの表情は、引退する選手の気持ちをよく表していたと思います。感極まったもの、ウルウル系が多かったので、最後に1つくらい和み系があってもいいかなと思って、ハニカット陽子選手のことを聞いたら、表情が和んでくれました。それが、この写真です(写真5)。

写真1
写真2
写真3
写真4
写真5

Aスーパー陸上記事の訂正と、長距離取材について
 訂正を1つ。スーパー陸上の記事で井幡磨選手の3分43秒28が自己新と紹介しましたが、3分42秒01を7月のナイトオブアスレチックで出していました。陸マガではこの記録が、お兄さんの井幡政等選手の名前になっていたのです。井幡政等選手も今季好調ですから、間違っていても気づかなかったのでしょう。本来、政等選手は長めの距離、磨選手は中距離が強いのですけど。今大会初日の1万mでは政等選手が好走。一時は日本人トップを走っていました。
 スーパー陸上のあった19日の日記で、あれだけ多く好記録が出ると、その全ての選手のコメントを聞くのは不可能に近いと書きましたが……すみません、19日の日記は書いていませんでした。要は複数種目が同時進行する陸上競技は、取材が難しいということです。
 全日本実業団の男子5000mの終了後にも、以下のようなことがありました。カネボウ外舘トレーナーから「瀬戸のユウキも買ってください」と言われて、何のことかわからなかったのです。中村悠希選手の名前と引っかけているのはわかりましたけど。実は、池田久美子選手の話を聞いていて、レースは最後の1000mくらいしか見ていませんでした。
 記録だけを見たら、ケニア選手が5位までを占めて6位から大野龍二、瀬戸智弘、岩水嘉孝と日本選手が続ています。いつものレースが展開したと思われましたが、瀬戸選手だけが3000m過ぎまで、ケニア人の第2集団についたのだそうです。1万mでは大野選手が同じ走りをしていたのですが、こういった部分はレースを見ていないとわかりません。スーパー陸上では、録画したテレビ画面ではタッチダウンタイムは計測できないからと、金丸祐三選手の高校新コメントより、400 mHのレースを見ることを優先しました。

 トラック&フィールドの試合ではどうしても、長距離種目を見るのは後回しになってしまいます。1万mを30分間見続けるよりも、その間に好成績だった選手のコメントを取った方がいいかな、と。特に、タイムレースで弱い方の組は、見逃してしまいがち。長距離は駅伝やマラソンで取材する機会もありますから。
 でも、こういう試合で長距離種目をじっくり見ておくと、駅伝・マラソンが面白くなります。2001年だったと思いますが、岩本靖代選手が女子1万mの弱い方の組で快走しましたし。今回も、時間が許す限りは見るようにして、指導者の皆さんには駅伝に向けた話をお聞きしました。データも、今季詳細リストを野口純正氏から送ってもらっていますので、今すぐ駅伝の展望記事が書ける状態。特に、指導者のコメントを聞けたいくつかのチームは、面白い視点で書けるはず。
 トラック&フィールドの全国大会の取材で、駅伝ごときを結びつけるとは何事か、という非難もあることと思いますが、寺田のなかではトラック&フィールドも駅伝もマラソンも、1つの世界としてまとまっています。同じ選手が走るのですから、つながっていて当然。もちろん、ビジネスとしてもつながっていく部分。全日本実業団では、駅伝も意識した取材をするのは当たり前という感覚です。

B丸亀インターハイ世代の丸亀全日本実業団
 全日本実業団では今井美希選手の共同会見も、男子100 m準決勝と重なってしまいました。
 100 m準決勝の1組は注目していました。末續慎吾選手と朝原宣治選手が同じ組になったというだけでなく、甲斐哲郎選手に日高一慶選手と、末續選手と同学年の南九州トリオが揃ったのです。レース後、3人揃って記録の出る大型スクリーンを見つめるシーンを写真に撮れたらいいな、と考えていたのですが、1組のフィニッシュ直後に、「今井美希選手の会見を始めます」と、ミズノの木水広報の声がかかりました。一瞬、迷いましたけど、ここはマニアックなこだわりよりも、今井選手優先です。
 後から気づいたのですが、日高選手は準決勝を棄権していました。迷う必要はなかったですね。でも、甲斐選手は98年のインターハイ200 m優勝者ですから。甲斐選手と末續選手の2人だけでも十分、絵になります。そのインターハイの会場が、他ならぬ丸亀でした。
 やはり同学年の宮崎久選手に丸亀インターハイの思い出を聞くと、「知ってるくせに」という答え。その瞬間、しまったと思いました。宮崎選手は2年の時に10秒28を出しましたが、3年のインターハイはケガで出られなかったのです。配慮に欠けていました。しかし、4×100 mRでは出場して、名門・八女工高は2位。「でも、70mくらいで脚がつったんですよ(ケイレンと言ったかもしれません)」と、話を聞いていた第3コーナーから、指でその場所を示します。このところケガの影響で、いい走りができていない宮崎選手ですが、来年は直線(の個人種目)で頑張るということです。

 池田久美子選手も丸亀インターハイ組。100 mHは2位と同タイムの3位、走幅跳は5位で、まだ落ち込んでいた時期です(秋の国体の走幅跳で優勝)。
「紙一重の力の差だったので、勝てるか不安で、ガチガチに力んでいました」
 末續選手もケガでダメで、内藤真人選手も2位でしたから、丸亀で悔しい思いをした選手がその後、頑張っている。末續選手が「高校ではあいつがスターだった」という沢野大地選手は、5m40のスーパー高校新を跳んでいますけど。ちなみに沢野選手は高校卒業後、試合で1回、香川の室内大会の際に練習で1回、丸亀の競技場を使っているので、7年ぶりではないとのこと。
 2日目の男子走幅跳に、2位と1cm差で優勝した嶋川福太郎選手も実は同じ学年。昨年、追い風2.4mの参考記録ですが、8m07を跳んでいる選手です。しかし、話を聞くと、丸亀インターハイには出ていないとのこと。三段跳で北信越大会7位と、あと1人で全国に行けなかった悔しい順位です。走幅跳は当時、6m80くらいの記録しか持っていなかったそうです。

C走幅跳の珍現象と男子走高跳ネタ
 その男子走幅跳ですが、優勝した嶋川選手の記録が7m49で2位の渡辺容史選手が7m48。1cm差の好勝負……というだけなら、たまにはある話でしょう。3位の渡辺大輔選手も7m48、さらには4位の荒川大輔選手も7m48。2・3・4位が、1位と1cm差の同記録というすごい勝負を展開したのです。面白いのは、同記録だった3選手の名前です。
渡辺容史
渡辺大輔
荒川大輔
 専門誌記者たちの間で話題となったようで、児玉編集長が寺田のところに教えに来てくれました。男子の後で行われた女子走幅跳でも、一時5m92で3人が並んでいて、丸亀の走幅跳は同記録が多い傾向があることがわかりました。次の丸亀開催の試合でも、走幅跳の記録は注目しないといけません。
 その走幅跳でも、丸亀インターハイ優勝者の内田玄希選手が出場していましたが、7m32で6位。意気消沈しているかと思いきや「リレーはやりますよ」と、1走を務めた4×100 mRに向けて意気盛んな様子。さすがに、4×100 mRの失格後は、元気がありませんでした。
 逆に、冷静な話し方のなかにも、最近の充実ぶりが感じられたのが、やはり丸亀インターハイ組の醍醐直幸選手。男子走高跳に2m21で優勝しました。今季は2m27とB標準をクリアして世界選手権にも出場していますが、どんな状態でも2m20は跳んでいる印象です。本人に聞いてみると「東日本実業団の2m15以外は全部だと思います」とのこと。これだけ安定してくると、どこかで2m30が出る可能性もありますね。
 ところで、日本には2m30ジャンパーが3人います。そのうち2人を、丸亀の会場で見ました。最初の大台突破を果たしたのが、今井美希選手のコーチである阪本孝男氏で1984年のこと。2人目が吉田孝久氏で、3人目が君野貴弘選手。その2人の2m30台は1993年です。君野選手は今年度で33歳ですが、今大会も2m10で4位に入賞しています。
 しかし、女子の日本記録保持者である今井選手が引退するので、「まさか男子日本記録保持者も引退?」と聞くと、「そんなことないですよ」とのこと。君野ファンには朗報です。

D高岡選手の年齢と、男子1万m上位選手の“次のマラソン”
 ベテランといえば高岡寿成選手。今大会の1万mに出場予定でしたが、1週間前のレース(5000mで13分47秒くらい)で頑張りすぎた、という理由で欠場しました。しかし、2日目に世界選手権入賞者の実業団連合による表彰があり、丸亀にやってきました。
 共同会見後、「今日は特別な日ですよ」と高岡選手が言うので、シドニー五輪は9月だったな、と頭の中で素早く思い出して「環伍君の誕生日?」と答えました。ところが「環伍は3日前です」と言います。
「(奥さんの)尚子さんの誕生日?」
「違いますよ、僕ですよ」
 それが何? と言いたくなるのをこらえて「34歳最初のマラソンはどこ?」と、陸上記者らしく問い返しました。
「35歳ですよ」
 仙台インターハイの君野選手が33歳になるのなら、出ていませんけど神戸インターハイ学年の高岡選手は35歳です。頭が回りませんでした。というか、陸マガ10月号に世界選手権では日本代表男子最年長と書いたばかりですから、単なる馬鹿ですね。

 しかし、肝心なのは年齢じゃなくて、「このままじゃあ、やめられない」とヘルシンキで言い放った日本記録保持者の今後の動向なんだよ、と言いたくなるのをこらえて、雑談をしてしまったような気がします。実は、そのあたりの記憶があやふやです。
 この年齢談義の前に、記者たちからの「北京五輪まで現役を続行するのか」という問いに対し、高岡選手は次のように話していました。
「どこまでやれるかはわかりませんが、ヘルシンキで“世界一になる”という目標は達成できませんでしたから、それを継続中ということです。オリンピックや世界選手権もありますが、僕のスタイルでマラソンを確立させたい。その過程で世界選手権やオリンピックがあれば狙いたい。そういった気持ちです」

 “次のマラソン”という点では、大会初日の男子1万m日本人上位3選手も、その動向が注目されます。トラックの全国大会で「日本人1位は初めて」と言う浜野健選手は、3月のびわ湖を予定しているそうです。まずはニューイヤー駅伝に合わせるとのこと。日本人2位の佐藤敦之選手は10月のシカゴ・マラソンを目前にしての1万m出場。坂本直子選手が大阪国際女子マラソンの1週間前とかに駅伝の10kmを走っていましたが(2回とも?)、トラックの1万mに出るのは日本では珍しいケース。坂口監督によれば、風邪で1週間ほど練習が不十分な時期があったこともあり、新しい調整パターンを試しているようです。
 そして、日本人3位は藤田敦史選手。7月の札幌ハーフでも好走して、9月のトラックでもいい走りをしたとなると、当時の日本記録を出した2000年の福岡国際マラソン前と同じ流れ。翌日、富士通関係者に確認すると、その方向で準備をしていくことになりそうということでした。

E全日本実業団という大会の特徴と面白さ
 国際レベルを今大会で最も感じさせてくれたのが女子1万mの福士加代子選手と、走幅跳の池田久美子選手(マラソン勢を除く)。女子1万mが行われた2日目は、初日ほどではありませんが、それなりに暑かったですし、ペースの上げ下げに対応したり、ワンジク選手を引き離した走りは強さを感じました。「駅伝のことも考えて、何でもありの自由自在の走り」と、福士選手は表現していました。各選手のフィニッシュ記録を見ると、マイナス40〜50秒くらいかな、という気がします。福士選手は30分50秒〜31分00秒くらい、2位の小川清美選手は31分15〜25秒くらいの走りを、コンディションが良ければできたのではないかな、と。
 池田選手も僅かのファウルで6m70以上を跳んでいたようです。世界選手権後に助走を変えたばかりですが、それでいてスーパー陸上、今回と6m60前後の安定した記録を残しています。醍醐選手同様、どこかでポンと記録が出て不思議はないでしょう。
 2人とも、表面的な記録以上の強さを感じました。
 男子200 mの吉野達郎選手と男子400 mHの吉形政衡選手の、新人“吉”コンビも、国際レベルにあと一歩という印象。もちろん、100 mに優勝した末續慎吾選手も「やろうとしていることが、徐々にできてきた」ということで、来季以降が期待できます。

 活躍したり、今後へのきっかけをつかんだ選手たちがいる一方で、欠場した選手が多かった大会でした。(招待競技会ではない)選手権で、シーズン後半にあって、世界選手権などの選考会でもなくて、対抗戦に力を入れるチームも少なくなってきている現状を考えたら、仕方のない部分もあります。ただ、陸上に関係して間もない人たちにとっては、奇異に映る部分でもあったようです。だからどうしよう、という話はないのですが。
 欠場する選手の多くはトップ選手たち。俗にいう、陸上競技が仕事の選手です。フルタイムで働いて、自腹で遠征する勤労アスリートは欠場しません。前者にとっては低い位置づけの大会ですが、後者にとって全日本実業団は晴れ舞台。トラックは日本代表クラスがたくさん欠場して寂しい顔触れになったな、と感じても、フィールド種目は違ったりします。近くで見ていると、気合の入った声があちこちから聞こえてきますから。日本の陸上競技が置かれた状況を、ある意味、よく表している大会のような気がします。
 選手によってこの大会の位置づけは違うわけです。色んな立場の選手が、それぞれの思いで臨んでいる大会。そういった部分が表れるのも、チーム競技にはない陸上競技の特徴だと思います。それがまた、面白いと寺田は感じています。それをわかってくれるファンを増やすには、どうしたらいいのだろう。


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