2005/6/29 ホクレンDistance Challenge 2005 深川大会
考え得る最高の結果を実現した三津谷の“集中力”と
ワンジルの最高のアシスト
陸連のミスによっていったん決定した代表が白紙に戻り、再選考基準が定められた世界選手権男子1万mの代表選考。一番すっきりするのが、三津谷祐(トヨタ自動車九州)がA標準を突破することだった。そうすれば、すでにA標準を突破済みの大森輝和(くろしお通信)と2人とも代表に決定する。
しかし、この日の深川のトラックは強風が吹いていた。女子1500mでB標準(4分08秒20)を狙っていた杉森美保(京セラ)は4分20秒15。「ここまで強い風の中で走ったのは初めて」と話すほどで、中距離関係者も「今日はマイナス10秒」と話していた。
森下監督は「天候を考えて、出るのかやめるのかを決断するのは自分の仕事」と、出場するかどうか、レース前は決めかねていた。だが、時間が経つにつれて風は、徐々に弱まっていった。1万mB組あたりから、記録もよくなっていった。森下監督は「歩いて回って、上空の旗の様子ほど、トラックの風は強くない。あとは、サム(サムエル・ワンジル)がカバーしてくれる」と、決断した。
男子1万m時の気象条件:晴れ、気温15℃、湿度73%、北東の風0.9m。女子1500mスタート時は気温22.5℃、湿度63%、北西の風5.0m
当の三津谷は選手の立場。出場する方向で気持ちを高めていた。「会場に来たときはビックリしましたが、やるだけやろう」と、迷うことはなかった。
三津谷の集中力はレースだけでなく、日本選手権後に選考問題が表面化して、その後、再選考が行われると決まったときにも発揮されていた。いったん決まった代表が取り消された後は落ち込みが大きかったというが、その後は、深川のレースにピークを合わせた。南部記念の日に同会場で1万mレースを実施する案も浮上したが、三津谷にはもう、逡巡するところはなかった。
「深川だけしか考えていませんでした。この1本だと。集中して、ここにピークを合わせようとしか、考えていませんでした。1週間くらいは集中できませんでしたが、その後は切り換えました。南部まで集中を持たせるのはきつい、とも感じました。(なんでオレたちが、という気持ちも)正直、ありましたけど、こうなってしまったからにはやるしかなかった」
しかし、ただやみくもにタイムを追い求めたわけではない。集中の仕方に、工夫も凝らしていたのが三津谷のすごいところ。
「今日は変にタイムを追いかけるのでなく、サムにリズムを合わせることを考えていました。監督のアドバイスで、レース前半は上半身を使った走りを意識して、下半身を使わなかった。そういったことで、いつもより集中の仕方が上手くできたように思います」
それにしても、もしもワンジルがトヨタ自動車九州の選手でなかったら、今回の記録が出ていたかどうか。三津谷は記録が出た一番の要因を質問されると、迷わず「サムのおかげです」と答えた。
「サムのおかげでしっかり練習もできました。この1週間、いつもサムの後ろでリズムを合わせる練習をしました。向こうも、こちらのペースを気遣ってくれながらの練習でした。向こうに力があるからできることなんですが。サムが(トヨタ自動車九州に)入ってくれて良かったと、今日はつくづく思いました」
周囲の喧噪に惑わされず、選手の立場としてできることをやる。三津谷の集中力が、考え得る最高の結果を出した。
「ここで切れてしまったらダメ。もう1回バネをためて、世界選手権本番でもやります。今日のタイムで日本記録も見えてきました。どこかで合わせて出したい」
大森は1500mに出場 現在の心境を語る(三津谷のレース前) 「勝ち負けが選考に関係なければ今日、三津谷を引っ張りたい」
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