2005/7/22
沢野大地共同会見の模様を抜粋して紹介

「最低でも入賞を」
(最初に本人から)
沢野 日本選手権のような失敗は絶対にしないこと、精一杯全力で跳んで、結果を残すことが抱負です。パリ、アテネと連続して決勝に進出できたので、一歩一歩、階段を上ってこられています。決勝進出は当たり前と、皆さんも思われているでしょうし、自分でもそう思っています。そこにプラスして、最低でも入賞することを目標に、ヘルシンキに臨みたいと思っています。ヨーロッパを転戦してローマ・ゴールデンリーグで世界選手権やオリンピックの決勝と同じメンバーの中で、2番になれました。ヨーロッパ3戦で連続して表彰台に上がれたことは自信になりましたし、その経験を生かしてヘルシンキでも全力で戦いたい。
「世界のトップ選手たちに力の差はない」
Q.今季の世界の情勢を見て、メダル候補は誰だと思いますか?
沢野 今回のヨーロッパ遠征で世界のトップ選手たちの多くと戦うことができました。そのなかで感じたのは、自分も含めて力の差はほとんどないということ。ヘルシンキで決勝のある8月11日の本番に、一番調子がいい選手、一番高く跳ぶことができた選手が、当たり前ですけど優勝することができる。本当に、誰にでもチャンスはあると思いました。誰がメダル確実とか、誰が飛び抜けているとかは、ないと感じています。
Q.ウォーカー選手をはじめ、海外の選手と仲良くなれたことで、プラスに働く部分は?
沢野 棒高跳は競技時間の長い種目です。話をしながら、風や足の位置を見てもらったりできました。ブラッド(ウォーカー・米)やクリスチャンソン(スウェーデン・七種競技クリュフトの婚約者)、スティーヴンソン(米)たちと話し合いながら、去年よりも試合をやりやすい感じをつくれています。
「心のゆとりが大事」
Q.今回の遠征でヘルシンキに生かせる部分というのは?
沢野 ローマに着いて、トラックが使えないとわかったとき、本当はトラックで練習をしたかったんですけど「あー、そうかぁ。でも公園の練習だったらこれができるな」と、融通をきかせてトレーニングをすることができました。心にゆとりをもって試合をすることが、特に海外では大事かな、と。ヘルシンキでも、何が起きても流動的に対処できる精神面の強さが重要になると思いました。
Q.国内との違いをどう感じましたか。
沢野 日本では自分1人で淡々とバーを上げていく試合ですが、ヨーロッパで勝負をする経験ができました。誰が最初に跳んで、誰が1回目を落として、自分が今何番でと、世界選手権やオリンピックを想定した戦い。それをヘルシンキ前に経験できたのは大きいと思います。
Q.競技観が変わったという部分は?
沢野 今回の日本選手権が盛り上がらなかったと、何人もの方がコメントされていました。ヨーロッパでは色んな人たちが陸上競技を楽しみに集まってきていて、進行の仕方も盛り上げ方が上手くて、みんなで楽しめる。1つのエンタテイメントとして確立されていました。陸上競技として純粋に楽しむことができると思いました。
「思ったより疲れがあった」
Q.帰国後のトレーニングの状況は?
沢野 帰国して約2週間です。ヨーロッパでは3試合でしたし、それほどダメージはないだろうと思っていましたが、実際はちょっときつい部分もありました。追い込んで、走り込みやウエイトをやろうと思っていましたが、でも、疲れがたまっていた。それに、ローマで調子が上がったところもあるので、無理に追い込んでいません。調子がいいときほどケガが怖い。刺激という感じでもありませんけど、ポイントポイントでいい練習ができ、体の状態はいいと思います。

「跳び始めは5m50」
Q.予選から中1日の決勝で力を発揮する方法で、ヨーロッパの経験から得られたものがある?
沢野 決勝で100%の力を出すには、どれだけ簡単に予選を通過できるか。世界のトップ選手は5m50から跳び始めて、60をパス、70を一発で跳んで予選をクリアする。自分も今年は5m70や80を簡単にクリアする跳躍をつくってきたつもりです。
Q.ヘルシンキでも5m50から跳び始める予定ですか。
沢野 基本的にはそうですね。
「6mとオリンピックのメダルが、不可能ではないと考えられるようになった」
Q.早野部長から2008年に6mを跳ぶ長期プロジェクトというお話しがありましたが、それに向けてこの年はこれを、というプランを持っていますか。
沢野 2008年の北京五輪の年に6mとオリンピックのメダルを、というのが遠い夢でしたが、それが目標になってきました。不可能ではないと考えています。それに向けて、2007年の大阪世界選手権は地元ですし、時差もありませんから、そこである程度の結果を残したい。ヘルシンキでも、その2007年に、さらには2008年につながる結果を残すことが必要だと思っています。そのための準備がヨーロッパ転戦であり、去年、一昨年のパリとアテネであったと思います。
Q.ここぞというときにケイレンを起こしてしまっていますが、その対策は?
沢野 原因は1つではないと思っています。多くのことが影響して、脚がつってしまっていると。不安材料を1つ1つ消していく作業をしています。試合の***だったり、水分補給だったり。日常の食生活も、ザバスの小田さんに指導をしてもらっています。あとは試合でのメンタル面も大きいかな、と感じています。社会人になってから、試合になると自分のなかで盛り上がりがすごくなっていて、アドレナリンがかなり出ていると感じています。自分を抑えて、静かに燃える試合をするのがいいかなと思っていましたが、今回のヨーロッパ遠征、特にローマではそれがかなりできた。ヨーロッパでは試合中につることは、なかったですね。
「13位の次が12位でいいとは思っていない。その上となると、精一杯やるだけ」
Q.最低でも入賞ということですが、その先の言葉をあえて飲み込んだ?
沢野 その先は、誰にでも可能性はあると思います。今日の跳躍練習と、もう1度予定している出発直前の跳躍練習、向こうに行っての練習で変わってくる部分。世界のみんなも、ローマより間違いなく集中してきます。そこは誰にでもチャンスがありますが、自分でできる精一杯のことをやるだけです。隣の選手より少しでも高く跳び、1つでも×を少なくして、ちょっとでもいいから上に行きたい。できれば、最後の争いまで残っていたいですけど。
Q.パリとアテネは、どういうステップだったと?
沢野 大学4年のワールドカップは右も左もわからない状態でしたが、入社1年目のパリ世界選手権は初めて、自分の脚でしっかり勝負をした大会。決勝にも進出でき、それは自分の中では大きなことでしたが、決勝は(トライアルで肉離れをして)試技を1度も行えませんでした。アテネでは予選で苦しみながらも、なんとか決勝に進出でき、決勝でも戦いきることはできました。でも、結果は5m55で13位で、納得するものではありませんでした。ヘルシンキでもう一段階上がるとすれば、入賞ということになります。13位の次は12位でいいとは思っていません。その次ということになると、高く跳ぶことと、精一杯やることだと思っています。
Q.普通のコンディションだったら、入賞ライン、メダルラインはどのくらいになると予想していますか。
沢野 入賞ラインは5m70かな、と思っています。その1回目になるか、2回目になるか。メダルとなると、先ほど見せてもらった過去のデータでは、5m80を1発か、85なら確実かな、と予想しています。

米倉照恭コーチ・コメント
●世界選手権への抱負
ヨーロッパ転戦で自分の力と、世界の状況を、本人が肌で感じてきたと思います。その経験をヘルシンキで出すことができれば、入賞を達成できると思います。
●ヨーロッパ遠征について
ヨーロッパに1人で行かせたのは、私の中では2つ、目的があると考えていました。1つめは、1人で行くことである程度の緊張感を持たせること、そして言葉を勉強させること。2つめは、彼にはサポートしてくれる人がたくさんいますが、最後は1人で戦わないといけないことを意識させるためです。本来、不安のある部分ですが、1人で行くことで、成長が期待できる選手です。
 状態は試合毎にメールなどで連絡しあって、転戦の中で修正をしていきました。1つの試合の中でも、高さ毎に修正をすることもある。元々、そういう能力の高い選手です。言われたことをただやるのでなく、自分で理解してどうすればいいのか判断ができる。コーチとしては楽ですね。
●現在の状態
 帰国後に合うのは今日が2回目。日本選手権の精神的なショックがあり、転戦の疲労もあるので、まずは疲れを抜くことを指示しました。あとは、徐々に体力を回復し、今週からテクニカルな修正を細かくやっていきます。今日の午後、跳躍練習をして、出発前にもう一度、跳躍練習をやります。
●自身の現役時代の、沢野の印象
 初めて彼と合ったのは、熊本で行われた日本選手権。98年です。私の現役生活の最後の方でした。彼が挨拶をしに来てくれて、すごい力で握手をしてきて、握りつぶされそうでしたね。5m40を跳んでいる高校生ということで、興味がありました。 私が5m40を跳んだのは社会人1年目か2年目。それを高校生が跳んでしまうのは複雑な気持ちもありましたが、将来、世界で戦える選手なのかもしれない、と感じてもいました。そして、高校生なのに、日本選手権に勝負をしに来ているな、というのが伝わってきました。
 大学4年間はケガもあって記録が伸びませんでしたが、その4年間が今の彼をつくったと思います。腐らず、逃げず、あきらめず、彼にとって長い4年間だったと思いますが、我慢をして、できることをコツコツとやり続けた。それが社会人になって実を結んだのだと思います。本来の彼のレベルに達することができた、今後、6mという夢に向かえるレベルに。そのくらいの選手だと思います。それに向けて、順調に来ていると思います。
●元トップアスリートとして、6mとは?
 私の現役の頃、ナンバーワンはブブカ選手でした。初めて6mを跳び、それから世界のトップは6mという流れになった。(日本で初めて5m60を跳んだ)私にとっても夢ではありましたが、無理だな、とも感じていました。6mは私の夢でもあり、日本の棒高跳界の夢でもあります。

※「メダル? 入賞? 予選止まり? 沢野の可能性を検証」(仮タイトル)の記事も時間があれば書く予定。


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