2003/11/29 日体大長距離競技会
上野が28分27秒39
1万mで12年ぶりの高校最高を実現した走りの内容は?
「ペースを維持するために1周1周、100 m100 mを大切にしました」


「28分20秒を狙う」
 上野裕一郎(佐久長聖高)はレース前、顔見知りのケニア選手であるダビリ(流通経大柏高)に待機所で会うと、お互いのこの日の目標記録を話した。特に高ぶったふうでもなく、本当にさりげなく交わしていた会話だった。だが、28分20秒ということは5000mあたり14分10秒ということになり、これは5000mでも高校トップクラスの記録になる。トラック1周を68秒0で押し通さなければ出ない記録である。
 第155回日体大長距離競技会男子1万m第18組は、夜の20:20にスタート。上野は実業団と学生選手で構成された日本人のトップ集団ではなく、ダビリとカーニー(トヨタ自動車)のケニア選手に付いた。多少のブレはあったが、4000mまでは68秒をちょっと切るペース。尾田賢典(トヨタ自動車)あたりが引っ張る日本人集団は徐々に引き離されていく。
 しかし、4000mを過ぎると上野も遅れ始めた。ケニア2選手のペースが上がったのではなく、上野のペースが69秒前後に落ちたのだ。 陸マガ1月号に400 m毎の通過&スプリットタイム

「6000mまでは68秒を切っていくつもりでしたが、4000mくらいでダメになってしまいました。そこからは68秒後半から70秒の間で、なんとか押していこうと」

 ここからが見事だった。普通の選手だったらそのままズルズル後退して日本人の集団に吸収され、やがてはそこからも脱落する。それが、意気込み過多の若い有望選手に見られるパターンだ。だが上野は、本人が言うように、69秒はかかっても絶対に70秒はかからなかった。日本人選手の集団にやがては追いつかれるだろうと思っていたが、見事にその予想を裏切ってくれた。

「1人になったことで、逆にペースの上げ下げがなくてよかったです」

 このように、外国選手に付いて突っ込んでやがては引き離されても、後続の日本人集団に追いつかせない走りができる選手は、本当に限られている。筆者がパッと思い出せるのは高岡寿成(カネボウ)と、今年の全日本実業団の大島健太(くろしお通信)くらいである。磯松大輔(コニカミノルタ)は、日本人選手に追いつかれてから粘るタイプ。とにかく、その走りを高校生の上野がやって見せてくれたことに驚きを禁じ得なかったし、その走りが高校最高に結びついた。

「ラップタイムはその数字で走ろうとすると必ず、ペースは落ちてしまいます。1周のうちどこか100 mでも上げる走りをしないとペースを維持できません。1周1周、100 m100 mを大切にしました」

 8000m手前から再度、ラップを68秒代後半に戻し、渡辺康幸(当時市船橋高)の28分35秒8を破るのは確定的となった。何メートル地点だったかメモを取り忘れたが、当の渡辺氏(早大コーチ)からも「高校記録を破れるぞ」と、上野に声がかかる。

「ラスト200 mで、“相当にやらかしても大丈夫”と思いましたが、ここで流したらダメだと切り換えました」

 ラスト1周は63秒5でカバーし、28分27秒39と高校生初の28分20秒台を実現した。さすがの上野も、フィニッシュは“さりげなく”とはいかなかった。飛び上がってのガッツポーズ。

「ガッツポーズは考えていましたが、飛び上がることまでは考えていませんでした。狙っていたのでホント、嬉しかったです。周りの人たちのおかげです」

 喜びもひとしおといった感じの上野。これが高校生活最後のトラックレースだったのだ。トラックでは今年に入って5月のゴールデンゲームズin延岡、9月のスーパー陸上と釜山国際と、5000mで高校記録を狙ったが失敗し続けた。

「練習ではガンガン行けていて、自信を持ってレースに臨んだのに記録が出ず、ショックは大きかったです。自分に記録は出せないんじゃないかと思ったこともありましたね。全国高校駅伝では1区を狙いたいので、(その後は)5000mよりも1万mに切り換えましたが、1万mでは何としてもという気持ちがありました」

 これで心おきなくトラックレースにピリオドを打てる。次の目標は全国高校駅伝の1区。

「日本人最高記録を破りたいです。古田(哲弘・浜松商)さんの29分15秒が目標です」

 都大路の1区は上りのある難コースだが、条件さえ良ければ28分台も可能ではないか、と思わせた上野の日体大での快走だった。

渡辺康幸氏コメント
「離れてからの走り方にセンスがある」

「上野君に破られたのなら本望です。走る前から出すんじゃないかと思っていましたが、5000mを過ぎて確信しました。上野君は(ケニア選手から)離れてからの走り方に、センスがあります。ラップの刻み方とかです。インターハイでもそうでした。体内時計をしっかりと持っているんだと思います。タイム的には、もっと行く選手でしょう。
 12年前の僕は、前半が14分23秒で後半が14分12秒と、計算した完璧なペースでした。僕の高校の時よりも、彼の方が上ですね。10年に1人くらいは、そういう選手が出てくるのだと思います。5000mを走れる高校生は多くても、1万mはなかなかいません。記録は破られるものですから、(寂しさとか悔しさは)何もありません。
 これからですよね。この先、オリンピックを狙うくらいにはなってほしい。若いうちにヨーロッパとか行って、国際舞台を経験するのが大事。大学に行って、箱根にどっぷりつかったらダメです。フォームも綺麗で故障も少ないようですし、上手くやっていけば27分台はすぐに出ますよ。1500mも3分45秒(59)で、その上で5000m・1万mをしっかり走れるのが魅力ですね」


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