2003/8/29 世界選手権第7日
パリが燃えた日
近藤&中村記者がメディアレースで劇走
近藤記者が見せた駅伝本家の意地
200 m 32秒2
400 m 1分07秒6
600 m 1分41秒4
800 m 2分15秒43
近藤記者が、駅伝発祥の国である日本人の意地を見せてくれた。
この組はレベルが高く、優勝したスペイン人記者は1週目が1分01秒76の通過で2分05秒73のフィニッシュ。近藤記者は1週目を上記タイムで3位で通過したが、450m付近でドイツ人記者にかわされて4位に後退。しかし、スプリットタイムを見ると200 mから400 mの35秒4に対し、600 mまでは33秒8とペースアップしている。ここに、近藤記者の“前に選手がいたら抜くのが駅伝”という、駅伝の本家である日本人記者の意地が見て取れる。
最後の200 mは34秒0とややペースダウンしたが、2年前のエドモントン大会(前回メディアレース記事参照)で記録した2分16秒32を上回り、大学卒業後の自己最高記録を更新した。
「2分10秒を切ることが目標でしたが、1周目が速すぎました。でも、前回より進歩があったのには、自分でもビックリ。今回は大会期間中は練習ができませんでしたから」
実際には1周目が1分07秒6で2周目が1分07秒8のイーヴンペース。2周目がペースダウンした感覚でこのタイムが出ているのは、後半に強い近藤記者ならではだろう。ちなみに、トラックは「エドモントンより軟らかかったような気がする」とのこと。
最近の近藤記者の戦績は、「3月の荒川マラソンに出場しましたが、後半死んで2時間58分。その後、ハーフにも出場しましたが、いい走りはできていません」というものだった。練習は「忙しくて、ジョッグで月に100〜150km程度」だったという。
「2年後も世界選手権の取材に来られたら、2分10秒くらいを目指します。そしたら、入賞の可能性もありますから」
次回入賞が実現すれば“三度目の正直”、この日の近藤記者の言葉は“サンドニの誓い”として、日本陸上競技記者史に残るコメントとなるかもしれない。
中村記者が見せたランナーの複雑な境地
取材を通して時おり感じることの1つに、選手の気持ちが「AだからB」と簡単に決めつけられるほど、単純ではないことが挙げられる。この日の中村記者のレース後のコメントからも、ランナーの心境が複雑であることが感じられた。
「甘かったです。トラックレースをなめていました」
というのが、レース後の第一声。中村記者は野球、バドミントンで鳴らしたスポーツマンだが、「マラソンの取材をするようになってからは、ジョギングも」するようになっていた。ロードレースには何回か参加し、それなりの手応えを持って今回のレースに臨んでいたのである。
「最初付いていったら、遅く感じたので抜いたのですが、これが結果的には飛ばし過ぎでした。トラックは初めてですが、もうちょっと勝負になると思っていました」
400 mが1分18秒5でフィニッシュが2分51秒41。確かに、2周目が大きく落ち込んでいる。スプリットタイムを見た中村記者の表情が曇る。練習で得た自信がもろくも崩れ去り、練習の方向性に自身の気持ちの中で疑念が生じかけていた。
しかし、エドモントンの佐々木一郎記者(日刊スポーツ)の2分58秒36を上回った(前回メディアレース記事参照)ことに話を振られると、曇りかけた表情がパッと明るくなった。佐々木記者とは同学年で、ライバル意識も強い。
「イチローに勝つのが第一目標でした。してやったり、です」
ランナーの気持ちの二面性を見せた中村記者。最後に「2年後は必ず2分40秒を切りたい」と、太い眉に決意をにじませてサンドニのトラックを去った。
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