2003/11/6
高橋尚子がボルダーから帰国
成田空港での高橋&小出監督への共同インタビューから
【1】昨年、故障をした反省から今回取り組んだこと
【2】ピーキングを変更したことについて
【3】コースの特徴である終盤の坂について
【1】昨年、故障をした反省から今回取り組んだこと
ベルリンから7週間のインターバルで出場する予定だった東京国際女子マラソン。昨年は10月末のボルダーでの練習中に、左第一肋骨を疲労骨折。レース2日前に欠場することを決断せざるを得なかった。
高橋「今年は痛いところはありません。最後の最後まで石橋を叩いて、慎重にやってきました。テーピングをしたり、最後に気温が低くなった時期がありましたが、暖房禁止令を出したり。去年は部屋の中が20℃で外は−10℃でしたが、その差をなくしたかったんです。普段の生活の中でいろいろと、気づいたことをやってきました。今は、1つの段階が終わって、一段落っていう感じです。とりあえずですが、安心感はあります。でも、ここで気を抜いたらいけないので、ゴールするまでは今の気持ちで行かないといけません」
小出監督は寒くて震えていたという。
高橋「(監督の部屋に?)忍び込んで暖房のスイッチを切っちゃうんです。つけたりけしたりの、イタチごっこをやっていました」
小出・高橋師弟の話しぶりだと漫才のようになってしまうが、実は日常生活全体を、上手く競技に集約させていくことが重要なのである。
小出監督「Qちゃんにはねえ、セビリア(99世界選手権)の棄権がものすごく役立ってますよ。あのときの悔しかったことで、今はすごく、慎重に慎重にやっている。準備運動していて寒いなあと思ったら、走り始める時間を30分、40分後らせて日が出てからスタートしたり。ただ、決められた通りにやるのでなく、臨機応変にやる能力を身につけたね」
苦しかった練習、場面を思い出せるか、という質問が出ると、少し考えてから次のように答えていた。
高橋「最近になって、日中の温度が−3〜4℃になって、そのなかで練習するときは緊張しました。でも、それも終わってみれば、よかったなと思えますけど」
【2】ピーキングを変更したことについて
9月の公開練習の際、通常は2カ月前から始めるスピード練習を、1カ月ほど後ろにずらし、レース前1カ月からに変更すると小出監督は話していた。
小出監督「東京のコースを想定したメニューを組んだよ。後半、パタッときて脚が上がらなくなることのないように。平地を走っているのと同じスピードで、上り坂を走れるように。ボルダーにみなさんに来ていただいたときにはまだ、後半の7kmから12kmくらい、ヨタヨタして、浮いていた。今はまったく心配ないね」
シドニー五輪のときのようなアップダウンに対応できる“力の出る脚”づくりをしてきたのか、ベルリンのときのような“スピードの出る脚”づくりをしてきたのか、どちらだったのだろう。
高橋「どっちとも言えません。今年は今年の脚だと思います」
しかし、ピーキングに関しては明らかにこれまでと違う方法を採った。
小出監督「11月16日に合わせるため、スピード練習を後らせた。これまで早く仕上がりすぎていたからね」
9月にボルダーであった公開取材の際にはまだ「5kmくらいまでしか走れない」と話していたが(かなりデフォルメした表現だったと思われる)、その後は順調に走りきれる距離を伸ばしてきた。
高橋「42.195kmが走りきれる体力が付いていると思います。今からどういう展開になるか、スタートしてみないと、一概にこういうふうになるとは言えませんが、色んなパターンを想定して、走りきれる力を付けてきました。その点では充実感があります」
思い通りのトレーニングだったのか、という質問に対しては、以下のような答え。
高橋「去年や一昨年の練習と比べて、一概にどうとはいえません。比べても仕方ないところもあります。2003年のボルダー合宿のなかで一日一日、全力でできることを、元気にやることのできた充実感はあります」
小出監督「ビックリするくらいに一日一日が充実していた。だから、ストレスも少ない。それが練習のペースやタイムにも出てくるんだ。ホント、スムーズだった」
【3】コースの特徴である終盤の坂について
東京は終盤の上り坂がコースの特徴だが、シドニー五輪のコースと比較すると、それほど大したことはない。コースの高低図を比較してみた。東京の大きな上り坂は35〜39kmの4kmの間に、30m弱を上る。しかし、シドニー五輪のコースは、20km過ぎからの4kmで約15m、26.5kmからの2kmで約30m(平均傾斜度は東京の2倍の計算)、29.5kmからの2kmで約30m(同)、35kmからの1km弱で約30m(東京の3倍)。その後もアップダウンがフィニッシュまで、高低図からわかるだけでも6個続く。
高橋「シドニーの坂は、東京よりももっと、いっぱい、いっぱいありました。本当に最後の最後まで。走ってしまえば、いい経験だったと思いますが、今でも難しいコースだったと思っています。東京のコースも油断はできませんが、コースとしてはシドニーの方が3倍くらい厳しかったと思います」
東京は35kmまでは平坦だが、最後にだらだら長い距離を上るのが違い。これまでの高橋のレースのスプリットタイムを見ると、最後の2.195km、最後の5kmでペースダウンしている。これは、高橋がスパートする思い切りがよく、力を出し切る能力に優れていることの裏返しだ。だが、東京では最後がだらだら続く坂だけに、その辺の見極めが難しいのではないかと思われた。
高橋「スパートのタイミングは、走っている状況、展開で決めていきます。最初からこの時点とは決めません。自分の体が動いたときの、周りの状況や、その変化によります。これまでもあまり(終盤の落ち込みとか)考えずに、色んな走りをしたい気持ちがありましたし、たまたまそういうレースが多かったのだと思います」
小出監督「後半落ちるというのは、コンディションによるんだよね。勝てるレースを、どうやるかに。最後の2kmで詰まったり、最後の5kmでペースが落ちたりはありますが、そのときの勝負の状況の結果。どこで勝負に出るか次第。勝てるかどうかのコンディションなんだ。マラソンをやっていない人はよく、最後の5kmが落ちると言うけれど、我々は勝つにはどうすればいいかを考えている」
女子マラソン2003-04
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