2001/3/4
びわ湖マラソン
スペイン、イタリアでワンツー
スプリットタイム付きリザルツ(JAICのページ)
2時間07分52秒=日本歴代5位!!
油谷のコメントからその特徴を探る
■入社から現在まで
「95年の入社当時は、高校(山口県美祢工高)から実業団に入ったわけで、全然歯が立たなくて、(練習も)ついていくのが精一杯でした。マラソンをやろうと思ったのは、入社3年目にトラックで一通りの結果が出せて、その頃から、より長い距離の方が強いと監督から指摘されて、のちのちはマラソンをやろうと。でも、21、22歳の頃は練習で40kmやってもきつくて、マラソンへの自信と言うほどのモノはなかったんです。自分では長い距離は嫌いだったんですが、ハーフで若い頃からいいタイムが出ていました。トラックではオリンピックに出場するのは厳しいと、限界を感じていたこともあります。高岡寿成(カネボウ)さんや花田勝彦(エスビー食品)さんには勝てないなあって。マラソンだったら勝てるかもしれないし、世界でも十分戦っていけるかもしれないと」
★補足データ 各種目年次別ベスト
年 |
学年 |
5000m |
1万m |
ハーフ&マラソン |
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1994 |
高3 |
14.29.08 |
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1995 |
実1 |
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1996 |
実2 |
14.07.02 |
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1.03.57. |
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1997 |
実3 |
13.54.9 |
28.47.01 |
1.04.20. |
|
1998 |
実4 |
13.56.1 |
28.34.1 |
1.02.05. |
全日本実業団ハーフマラソン5位 |
1999 |
実5 |
13.40.87 |
28.21.02 |
1.02.16. |
全日本実業団ハーフマラソン2位 |
2000 |
実6 |
13.40.93 |
28.13.76 |
2.10.48. |
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■同学年の藤田敦史について
「藤田もそうですが、同学年の選手はすごく意識しています。マラソンだったら藤田ですが、トラックだったら三代(直樹・富士通)や手塚(利明・アラコ)、岩佐(敏弘・大塚製薬)に瀬戸(智弘・カネボウ)。いい意味でライバル心があります。藤田とは何度か、トラックで一緒に走ったときに話をしたこともあります。去年だったら延岡のゴールデンゲームで1度、一緒に走りましたけど、1分やられました(蒸し暑い中で藤田が日本人トップ)。トラックでは僕の方が持ちタイムはいいんですが。藤田のマラソン日本最高は、今日、7分台で走ってみても、やはり驚異的です。ラストの2.195kmなんて全然動かなかったんですが、そこを3分切ってくるわけですから。彼はすごいです」
■2時間7分台について
「6分台、7分台は驚異的な記録だと思っていました。特に去年のびわ湖の初マラソンで後半落ち込むことを経験して、どう頑張ったら6分台〜7分台で走れるのかってかんじました。1km3分で走ったらハーフで1時間03分18秒になります。僕もハーフマラソンなら1時間2分台の記録を持っていましたから(そのペースでマラソンを走り通すことのきつさがわかる)。
今回、7分台は意識していなくて、ゴールしたら7分台だったという感じ。40kmを2時間0分台で通過したときに、初めていい記録が出ると意識しました」
■この大会に向けての練習について
「去年のこの大会(初マラソン)のときは、ニューイヤー駅伝が終わってから1カ月半でマラソン練習をやったので、練習量もトータルでは少なく、つめてやった分疲れもあったと思います。今回は11月からやったんですが、ニューイヤーの半月前とニューイヤーのあとに故障をして、当初出る予定だった東京からびわ湖にスライドさせました。短い期間で2回故障したのは初めてで、“今年はマラソン、できないかな”とあきらめかけもしました。実際、走ってみないとわからない部分もありました。
その練習で7分台が出たのは自信になります。ベストの練習ができれば、もっといけるかもしれません。ただ、逆に故障して休養したのがよかったのかもしれませんが…。そして、今日も3番でしたし、今後は勝つためにもっと練習する必要があります。今日も余裕を持っていたつもりが、最後3〜4kmは動きが固まっていました。練習メニューは自分で考えて、監督に相談してやっていますが、まだ24歳ですし、練習は修正していけると思います」
ちなみにデータ的に言うと
同一レース“サブナイン”3人は史上初
15年ぶりの同一レース2選手“サブエイト”
油谷は日本人初の国内2時間7分台(藤田は6分台)
です。もっと、色々な面から分析できますが、それは陸マガで。
びわ湖マラソン記事は陸上競技マガジン4月号(3月14日発売)に執筆します