ワイナイナ欠場の真相

 コニカといえばワイナイナ。マラソンで96年アトランタ五輪銅メダル、2000年シドニー五輪では銀メダルと連続メダリストとなった世界のトップランナーだ。ずっとコニカの看板選手でもあった。そのワイナイナが、元旦に行われた全日本実業団駅伝を走ることができなかった。なぜか? ケガか病気か、それとも…。
 答えは簡単明瞭。駅伝の10〜16kmの距離では、後輩のガソの方がはるかに強いからだ。全日本実業団駅伝は外国選手が1チーム1人しか出られない規定がある。メダリストだろうがなんだろうが、これでは上州路を走ることはできない。コニカの外国選手として、トップを奪ってテレビ画面を独占したのはガソだった。
 そのワイナイナ。トラックや駅伝などスピードが要求される種目ではガソに歯が立たないのだが、日本語ははるかにうまい。レース後の記者会見では、ガソの通訳を務めたくらいだ。よほどチームの初優勝が嬉しかったらしく、記者団の相手を務めるワイナイナはニコニコ顔で日本語をしゃべっていた。
 ところが、内心は相当に悔しかったらしい。翌1月2日、ワイナイナは朝の10時に第2中継所の伊勢崎市役所にコニカのランニングシャツ姿で現れた。自分だってタスキを持てば速いのだとアピールするために、ガソと同じ3区を走ろうとしたのだ。ワイナイナは待った。チームメイトが運んで来るタスキを待った……待つこと数十分。ワイナイナは1人つぶやいた。
「誰もコニカった」

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