箱根駅伝の事故を防ぐために、
暴論とは承知しつつ……
箱根駅伝を見ていて最も胸を痛めるのが、途中リタイアのシーンである。
選手が今にも歩き出しそうなくらいに減速する。脚を引きずった痛々しい選手、夢遊病者のようにフラフラになった選手がテレビ画面に映し出される。最近では、96年大会の4区で山梨学大の中村祐二と神奈川大の高嶋康司(現コニカ)が、ケガのため相次いでリタイアしたのが記憶に新しい。その前年の95年は、順大だった。9区終了時点で4位だったが、10区で浜野健(現トヨタ自動車)が左脚脛骨骨折し、ゴールを目前に無念の棄権をしたことがある。今回は東海大の2区・伊藤がフラフラとなり、12.5kmで石田義久監督がレースを止めた。以後の選手は出走は認められるものの、区間順位はつかないし、区間記録も参考記録となった。箱根駅伝史上、最も早い時点での棄権だという。
山梨学大・上田監督、神奈川大・大後監督、そして順大・沢木監督と、いずれも箱根駅伝でチームを優勝に導いている指導者たちだ。それらのコーチをもってしても、選手のコンディションを100 %把握するのは難しいということになる。
原因の1つに、箱根駅伝の盛況化に伴い、「どうしても出場したい」という選手の気持ちと(4年生ならなおさらだ)、「走らせてやりたい。多少コンディションが悪くても走れるかもしれない」という指導者の気持ちが大きくなり、冷静な判断が下しにくくなっている点が挙げられる。あの沢木監督でさえ、次のようなことを言っていた。
選手に故障の疑いがあり、医師ら3人の専門家の意見を仰いだことがあるという。3人のうち2人は、出場は無理と答えたが、1人はなんとかなると言った。1人がそう言うと、なんとかなるのではという希望的観測が頭をもたげてきて、出場に踏み切ってしまったのだという。長年、現場を見てきた沢木監督としては「難しい」と思っていたにもかかわらず、3人中1人が大丈夫と言っただけで、判断力が狂ってしまったというのだ。
今回の当事者である東海大の新居コーチは「前日の夜に食事がノドを通らず、熱があると聞いたときは、選手を変更することに決めていたのに……」と、苦渋の決断だったことを明かした。2日朝の選手変更締め切りの2、3分前まで迷った末、本人の「走れる。出たい」という申し出に、「最後の4年生だから」と、大会に送り出すことになった。
当事者の声を聞くと、「判断が間違っていた」と決めつけることはできない。気持ちがよくわかるからだ。しかし、競技会にこの手のアクシデントはつきものとはいえ、なんとかしないといつか、取り返しのつかない事故につながるかもしれない。
ならば、箱根駅伝をもう1回、2月か3月に行えばいいのではないか。特に、今回の東海大のように「4年生で最後の箱根だから」というケースには有効だ。4年生が故障で箱根駅伝出場を逃すと、気持ち的にやりきれないまま卒業することになる。箱根駅伝の1区間と同じ距離のハーフマラソンが、3月にいくつか行われている。だが、そこで好走しても気持ちはまず晴れない。だからこそ、もう少しグレードの高い大会を行う必要がある。もう1度チャンスがあれば、コンディションに不安のある選手を冷静に分析することができるようになる。
現実味のない提案であるのは百も承知の上だ。国道1号線をもう1回駅伝で占拠するなどできっこない。インカレのハーフマラソンや予選会を行っているから開催自体は可能だろうが、“神宮外苑周回駅伝”や、“昭和記念公園周回駅伝”では、国民的な人気を得るのは100 %不可能だ。選手だって、2回もピークを作るのは、精神的に無理だろう。どうやってみても“第二箱根駅伝”は、記録会並のレースにしかならないだろう。
だが、思い出してほしい。あの小出義雄監督が素晴らしい提案をしていたではないか。「銀座でロードレースをやれば、世間がものすごく注目する。わたしの夢だ」と。“銀座20kmロード”に学生の部を設け、上位入賞者には“銀座のどこでも通用する商品券30万円”を賞品として出す。商品券などの授与は、すでにいくつかの競技会で行われていることだ。10位までに出すくらいの財源は、あるように思う。