2001/2/4
別大マラソン詳細速報!!

          瀬古監督以来
エスビー食品選手としては15年ぶりの“サブナイン” 別大日本人最高記録
西田が2時間08分45秒で快勝!!
駒大の先輩・藤田に続いて世界選手権代表決定


記録はハーフマラソンも含めてJAICのページで。

 レース後の西田のコメント
「とりあえずホッとしています。落ち着いて、自分のレースができました。前半は楽に付いていけましたが、35〜40km(15分43秒)は寒さもありましたが、完全にスタミナ切れです。
 タイム的には自己新が目標と言っていましたが、本音は10分を切りたいと思っていました。30kmでまだ余裕があったので、このままいけば10分を切れるかなと思いました。(26kmで)日本人1人になったのは、気づきませんでした。集団でいると思っていたので。
 タイス選手は30kmまでと聞いていたのですが、30km地点ではこのまま行っちゃうのかなと…。タイスは『リラックス、リラックス』と言われましたし、その他いろいろ言ってきたのですが、僕は英語が不得手なので『ノー・イングリッシュ』と答えていました。
 当初は12月の福岡を目指していましたが、9月から10月にかけて左アキレス腱を痛めて1カ月間練習が不十分だったので、別大にしました。コースを見させてもらって、坂のある東京よりも平坦なここを選びました。世界選手権に出たいという気持ちよりも、マラソンをしっかり走りたいという気持ちが強かったです。
(世界選手権の目標は金メダル?)大先輩(藤田敦史のこと)がいますからね…。学生のときに一緒のレースに出ても、ほとんど負けています。同じ舞台で走れることは楽しみです。いいレースをしたいですね。藤田さんの福岡のビデオは、自分が出た昨年のびわ湖よりもたくさん見返して、その都度刺激を受けています。
 今日もまだ35km以降は走れていませんし、練習も100 %できたわけではありません。40km走などもっと質の高い距離走をこなしていきたいですね」
 エスビー食品選手としては瀬古監督以来の8分台。今までなぜエスビー勢は記録を出すことができなかったのか。
「これくらいは出せて当たり前。他の選手も出せる練習はできている。西田が出したことで、ほかの連中もやるだろう」と、瀬古監督は“西田効果”を期待する。2週間後の東京国際マラソンには、エスビー食品から2選手が出場する。初マラソンの木庭啓はまずは経験することが目的だが、櫛部静二には期待していいかもしれない。


2時間10分36秒で3位
川嶋伸次のコメント、新練習には手応えも気分は複雑
今回の練習については、最後(10日前)まで40kmをやっても疲労を残していないし、これはこれで使えるかなと思いました。
 岩佐に抜かれたときはけっこうショックだった。日本人3位だったら世界選手権はあり得ないですから。9分台ならまだ、可能性が残るんですが。
 なんか中途半端な結果ですね。これでは『もうやめます』とも『頑張ります』とも言えない。今回、なんらかの結果を残そうとしたんですが。榎木にポンと行かれたら、もう居場所がなくなっちゃいますからね。結果次第では上がってもいいくらいの気持ちでした」


2時間11分14秒で4位
近藤が破った自分自身の“殻”
 優勝した西田の陰に隠れてしまったが、近藤重勝(エスビー食品)が2時間11分14秒で4位。自己記録を3分01秒も更新し、自身の“殻”をも破ってみせた。
 昨日の記事でも紹介したが、近藤の過去6レースの記録は全て1分32秒の間に入っていた(表参照)。以前、瀬古利彦監督は「近藤は安定性は抜群だが、スピード練習をやろうとすると逆にダメになってしまう。15分30秒台で入って後半上げていった方が、2時間10分を切る可能性が高くなる」と言っていたが…。この日のレースは前半から15分10秒台で入る先頭集団につけた。本人に速過ぎる不安はなかったのだろうか。
「スピード練習ををするとスカスカになって次につながらなかったのですが、最初からスピードを上げるのでなく、ラスト1000mを2分50秒に上げるビルドアップ練習がよかったのだと思います。リズムとバランスさえよければ、20km、25kmまで行けると思いました。練習がうまく積めて体調も良かったので、レースの流れに乗っていこうと考えました」
 この近藤の記録は、神奈川大OBとしても最高記録である。
回数 年 月 日 大会名 成績 記  録 所属.
1 1997. 3. 2 びわ湖 21 2.15.22. (神奈川大)
2 1998. 3. 1 びわ湖 14 2.15.12. (エスビー食品)
3 1998. 8.30 北海道 5 2.15.47. (エスビー食品)
4 1999. 3. 7 毎日 7 2.14.15. (エスビー食品)
5 1999.12. 5 福岡 25 2.15.40. (エスビー食品)
6 2000.10.15 北京 12 2.15.40. (エスビー食品)
7 2001. 2. 4 別大 4 2.11.14. (エスビー食品)


2時間12分35秒(=初マラソン歴代15位)で5位
岩佐の初マラソンの評価は微妙
 2時間12分35秒は初マラソン歴代15位。岩佐敏弘(大塚製薬)の評価は微妙だ。
 確かに、雨と寒さで好条件とは言えなかったが、前日、岩佐自身が話していた「(同学年の)藤田敦史の初マラソン記録、2時間10分07秒」という目標には及ばなかった。だが、なんとか、河野匡監督の予想していた範囲内にはおさまった。
 岩佐の感想は次のようなものだ。
「当初はどんなに速くても30kmまで先頭に付いていくつもりでしたが、25kmで集団が割れたとき、様子を見てしまった。雨も降っていたし、足に疲れもあった。ただ、付いていこうと思えば、十分に行けた。そのあと前を追い上げたところで“脚を使って”しまった。終わってみれば、あそこ(25km)でつければもっと楽な展開になったはず
 37kmからマラソンのきつさを感じさせられた。言葉で説明されてだけではわからない部分を体験できたと思う。今も立っていられないくらいだし、ラスト3kmは歩いているような感じだった」
 35〜40kmまでは、17分24秒と女子並のスピードに落ち込んだのだ。
 本人の感覚と指導者の客観的な評価が異なることはよくあること。河野監督は、まだまだ力を出し切っていないと見ている。
「初マラソンで本当に疲労しきった選手は、階段も歩いて上がれないくらいになるんです。その点、岩佐はまだ余裕がある方でしょう」
 昨日から河野監督は、ポイント練習後の岩佐の余裕度という部分を強調していた。
 ただ、岩佐のやってきた練習(昨日の記事参照)を今後どうするか、この点に関しては河野監督としてもすぐには結論を出せないでいる。
 今後の予定は、ロンドン・マラソンに出場する犬伏孝行(大塚製薬)のボルダー合宿(3〜4月)に同行、「気持ちを切り換えて3月中旬から春のトラック、(6月の)日本選手権に向けて頑張りたい。1万mで世界選手権出場が目標になる」(岩佐)と言う。


2時間29分34秒で49位
実井、“安全運転”でも失速
 実井謙二郎(日清食品)は序盤から第2集団に位置し、2時間11分を狙うレース展開をした。レース後に話を聞くことができなかったので詳しいレース展開は不明だが、2時間29分34秒で49位。2時間33分27秒を要したアトランタ五輪と途中棄権のレース(1回)を除けば、自己ワースト記録だった。
 昨日の記事でも紹介したように、アトランタ五輪後はスピード練習を多く取り入れてきた実井。今回は“安全運転”をしたにもかかわらず失敗した。ここ数年の練習が花開くのは、次回以降に持ち越した。


倉林のマラソン全成績が判明
 95世界選手権代表だった倉林俊彰(YKK)の全成績を、本人から提供してもらった。大学4年の箱根駅伝2カ月後のびわ湖で初マラソンに挑んだが、40km地点でリタイア。7回目のマラソンとなった94年の福岡国際で世界選手権代表を決めた。
 それ以後は代表入りを狙える戦績は残していない。華やかな部分はないが、いぶし銀のような走りを続けている。
大会 順位 記録 所属
1989 毎日 dnf 40km地点 (順大)
1990 別大 12 2.15.49. (NEC・HE)
1991 東京 22 2.21.26. (NEC・HE)
1993 埼玉 1 2.20.13. (YKK)
1993 ゴールドコースト 4 2.16.00. (YKK)
1994 毎日(広島) 6 2.12.33. (YKK)
1994 福岡 5 2.11.28. (YKK)
1995 世界選手権 41 2.28.57. (YKK)
1996 シドニー 6 2.16.51. (YKK)
1997 東京 23 2.22.55. (YKK)
1998 毎日 50 2.21.14.
1998 北海道 6 2.16.54. (YKK)
1999 ボストン 22 2.22.38. (YKK)
1999 福岡 16 2.13.52. (YKK)
2000 北海道 2 2.17.20. (YKK)
2001 別大 15 2.15.39. (YKK)