スポーツ・ヤァ!007号
藤田敦史インタビュー
「これだけ練習できたら、本番ではどれだけ走れるか楽しみなんです」
インタビュー日時:11月14日
シドニー五輪で惨敗した日本男子マラソンは立ち直れるのか――。これが12月3日に行われる福岡国際マラソン最大の焦点だ。かつて、宗兄弟、瀬古利彦、中山竹通といった日本を代表するランナーたちが、この大会から世界に羽ばたいていった。今年、その期待を担うのは2年前まで箱根駅伝のスターだった藤田敦史(富士通)。シドニー五輪金メダリストら錚々たるメンバーが揃った外国勢に、どう挑もうとしているのだろうか。
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五輪選考レース欠場。福岡で勝負にこだわる理由とは?
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□99年3月の初マラソンで2時間10分07秒、瀬古の学生最高記録を20年ぶりに更新し、続く8月の世界選手権では6位入賞と、マラソンで順調な足跡を残していた藤田。しかし、シドニー五輪選考会は今年3月のびわ湖を予定していたが、左足甲の疲労骨折で欠場を余儀なくされた。
■藤田 練習はびわ湖のレース当日から再開しました。欠場を覚悟した時点で、次のマラソンは福岡と決めていましたね。今年はトラックでもハーフマラソンでも結果が出ていますが、全ては福岡のためにやってきました。福岡の成績が悪かったら、1年間の結果が帳消しになると思っています。春先からずっとよくて福岡でもよければ、周囲に“あいつには勝てないな”というイメージを持たせることができます。
□来年8月の世界選手権代表選考会には、この冬の福岡、別大、東京、びわ湖と4レースが指定されている。日本陸連は初めての試みとして、「2時間9分59秒以内で日本人トップの選手は、自動的に代表に選出する」という基準を打ち出した。
■藤田 最低でも“2時間10分を切って日本人トップ”、最高なら“2時間8分台で優勝”というのが以前からの目標でした。今年のシーズンがよかったといっても、1万bもハーフマラソンも全部、アフリカ選手に負けて2位なんです。勝ち方を知らない選手はここ一番でも勝てないと思うので、一度は必ず、マラソンで勝っておきたい。学生時代はトラックレースに出るのが嫌でしたが、マラソンでの復活を考えたとき、自分にはスピードがない点が課題となります。それで、マラソンで勝負することを意識しながら1万mに出たわけです。それがいい結果となって表れ、自信を持ってマラソン練習にも取り組めました。福岡は“勝ち”にこだわりたいと思います。
□しかし、招待選手にはシドニー五輪金メダリストのアベラ、前世界最高記録保持者のダコスタ、アトランタ五輪銀メダリストの李鳳柱と、世界的な強豪が名を連ねる。
■藤田 アベラはオリンピックから2カ月ですから、どんな状態で出てくるのかによりますね。李の方が、シドニー五輪で失敗(転倒して24位)しているぶん、怖いでしょう。でも、タイプ的には僕と同じように粘りが身上の選手ですから、まったく違う選手よりは走りやすいと思います。アフリカ選手に極端なペースの上げ下げをされると、日本人にはきついですよ。7月の札幌ハーフもそれでやられました。ただ、アベラはシドニーを見る限りは、李のようにじわじわ行くタイプですね。その点、スピードで押していくダコスタは不気味ですね。
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練習の40`走のタイムは5分近くアップ。
箱根からマラソンに移行できたのは?
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□藤田は11月12日の東日本実業団駅伝を欠場したが、故障をしたわけではない。スピードが要求される駅伝を走ることで、調子が上がり過ぎるのを抑えるためだ。富士通の木内敏夫監督は「8月には1300`を走破しましたし、中山君のいいときに近い練習ができたと思う。うまく調整ができれば2時間10分は切れて当然」と話していた。
■藤田 練習で40`走を9月に1回、10月に4回、11月に1回こなしていますが、中山さんほどではないですよ。ですが、最後の40`のタイムを学生最高のときと比べると、2時間10分台だったのが2時間5分台に上がっています。学生時代は一番走り込んだ月でも1000`でした。8月に1300`までいけたのは、合宿が続いたからです。朝は60分ジョッグして、メイン練習はだいたい午前中。夕方にも60〜90分のジョッグ。朝練習の方が夕方よりも1`あたり1分くらい速く走ります。
実は社会人になってから朝練習の重要性に気づいたんですよ。朝食前のエネルギーがゼロの状態で走るわけですから、グリコーゲンが少なくて脂肪を使うわけです。マラソンの35`以降の、グリコーゲンが枯渇した状態を想定した練習になるかなって。
中山さんほどはできていないと思いますが、夏に合宿をした野尻湖は昔、中山さんが練習をしていた場所なんです。アップダウンが半端じゃなくて、マラソンへの下地を作るのには最高の所です。そこで追い込む練習ができたことも自信になりました。
□しかし、マラソン練習はただ闇雲に走ればいい、というものではない。疲れが蓄積すると故障や病気につながるからだ。
■藤田 学生の頃はポイント練習の翌日はあまり走れなかったんですが、今は(それほど追い込まない)つなぎの練習の日も、ジョッグのペースが自然と速くなっています。力が付いたこともあるのかもしれませんが、練習後にアミノ酸を摂るようにしたら、翌日の疲れが軽くなりました。鉄分もしっかり補給するようにしたら、あれだけ悩んだ貧血も改善されてきています。4年生の箱根駅伝前は貧血で調子が上がりませんでしたし、世界選手権前もそうでした。トレーニングを追い込み過ぎると鉄分が不足するようですね。富士通に入ってからは、治療やマッサージを気兼ねなくやってもらうことができるようになったことも、故障が減った要因だと思います。
□箱根駅伝のスター選手は多いが、マラソンに移行してすぐに成功した選手は少ない。瀬古(早大→エスビー食品)、谷口浩美(日体大→旭化成)ら数えるほどで、シドニー五輪代表の佐藤信之(中大→旭化成)も、4年間は結果を出せなかった。
■藤田 大学4年のときからマラソンを意識した練習をやっていました。箱根駅伝前も、他の選手と同じメニューをこなしたあとにプラスの練習をしました。20`を一緒に走ったあと5`をひとりでやったり、つなぎの日のジョッグを長めにやったり…。結果的にオーバーワークで貧血になりましたが、走り込むこと自体はマイナスにはなりません。箱根でもしっかり走れた(貧血のためエース区間の2区ではなく4区に回ったが、区間新でトップに進出)のも、マラソンに向けた走り込みで貯金があったからだと思います。多い月で1000`を目標にしていましたから、(今年)8月の1300`というのも抵抗なくできたんだと思います。当時からレースで大崩しなかったのも、後半粘れるのも、練習量が支えてくれていたのだと思います。
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“我慢比べなら負けたくない”
後半の粘りを見て欲しい
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□2時間6分台が3人、7分台が2人と、スピードランナーの豪華さでは間違いなく日本マラソン史上最高となった福岡。「今すぐ走りたいくらい」と好調を自覚する藤田が、このメンバーの中でどんなレース展開を考えているのだろうか。
■藤田 ペースメーカーがつくと思いますし、30`まではウォーミングアップのつもりで行って、31`過ぎに折り返しがありますから、そこからが勝負でしょう。仮にペースメーカーが前半で潰れても、自分から行くことはないと思います。後半になったら自分でレースを作っていくかもしれませんが…。僕の場合、最後までもつれてスプリント勝負になったら難しいので、早め早めに逃げることを考えないといけないでしょう。楽ではないと思いますが、自分が苦しいときは相手も苦しいわけで、“我慢比べなら負けないぞ”っていう気持ちは強いんです。苦しくなってからが自分の本領発揮――それがモットーというか、それしかないというか。テレビを見ている人や沿道の人には、後半の粘りを、苦しくなってからの走りを見て欲しいと思います。元々きつそうな表情をするタイプですから、苦しい顔は確実にすると思いますけど、焦らないで見続けてください。天候は温かい方がいいですね。すごく寒くなるのは好きじゃありません。暑さだったらどんなに暑くても平気なんですけど。
□元旦の全日本実業団駅伝は故障で練習不足。アンカーとしてトップでタスキを受け、佐藤信之に前半でかなりつめられたが、後半は寄せ付けなかった。今年5月の1万mは蒸し暑い中で自己新。9月には走り込んだ直後にもかかわらず、1万mの自己記録に迫った。男子マラソン復活の旗手として、期待はいやがおうにも高まるが――。
■藤田 本当の大きな目標は4年後のアテネ五輪。代表になって、メダルを取りたいと考えています。そこまでの具体的な流れはまだ決めていません。オリンピック代表になるために前年の世界選手権でメダルを狙うのがいいか、国内の選考会で狙うのがいいのか。前年の世界選手権、国内の選考会、オリンピックと半年間隔で3つ、全部にピークを持っていこうとするときつくなります。毎日走り込んでいくようなイメージになってしまいますから。まだ時間もありますし、その間にいろいろ試してみたいですね。高地トレーニングとかも。
今回、世界選手権にこだわってはいません。びわ湖に出られなかった悔しさを晴らすために、とにかく福岡で結果を出したい。それだけです。まあ、これだけの練習ができたらどれだけ走れるのか、楽しみでもあるんですが…。代表とかはあとからついてくればいい。日本のマラソンがどうとかいうより、自分の名前を売るチャンスだと思っています。“箱根の藤田”から“マラソンの藤田”に変えられたらいいですね。
ふじた・あつし 1976年11月6日生まれ。福島・清陵情報高では無名選手だったが、駒大で箱根駅伝などロードレースを中心に成長。卒業直前に初マラソンで瀬古利彦の学生最高を塗り替えた。1999年4月富士通入社。166a、52`