2001/2/18
東京国際マラソン
高橋健一、終盤大きくペースダウン
評価の難しい2時間10分51秒

がっかりさせられた外国勢


高橋健一のスプリットタイム表
選手名 5km 10km 15km 20km 中間点 25km 30km 35km 40km 42.195km 記録
高橋健一 14.54. 29.57. 44.42. 59.42. 1.03.01. 1.14.45. 1.30.02. 1.45.26. 2.02.50. 2.10.51. 2.10.51.
14.54. 15.03. 14.45. 15.00. 15.03. 15.17. 15.24. 17.24. 8.01. 2.10.51.

1 高橋健一 富士通 2時間10分51秒
2 ジファル エチオピア 2時間11分7秒
3 カピトノフ ロシア 2時間11分9秒
4 バヨ タンザニア 2時間11分12秒
5 トラ エチオピア 2時間12分5秒
6 家谷和男 山陽特殊製鋼 2時間12分37秒
7 オスマン ポーランド 2時間13分22秒
8 南忍 小森コーポレーション 2時間13分23秒
9 ブフライトナー オーストリア 2時間13分28秒
10 ワイナイナ コニカ 2時間13分38秒

 レース40分前の気象コンディションは気温10.0℃で西南西の風が0.8m。湿度は35%。やや湿度が低いものの、絶好に近いコンディションだ。熊日で高岡寿成(カネボウ)が1時間29分23秒で優勝したニュースも伝えられ、東京も行けるのではと感じたレース前だった。
 30kmまではラガトがペースメイクをした。ペースは予想通りに進んだが、あとで尾方剛(中国電力)に聞くと、細かいアップダウンがあり、それほど安定していなかったようだ。折り返しを過ぎて渡辺共則(旭化成)が遅れ始めると、先頭争いはラガト(ケニア)、高橋健一(富士通)、尾方の3人に。ラビットのラガトは30km地点でリタイア。そこから、高橋が自分のリズムでレースを進めた。
 高橋健一は尾方を振りきった32km過ぎでは余裕があったが、35kmあたりからかなりきつくなったと言う。35kmから40kmは17分24秒も要し、最後の2.195kmは8分01秒。35kmまでの1km3分ペースから大きく落ち込んでいた。
「全然納得できません。勝つことは勝ちましたが、まだ前回の方がすっきりしました。35km以降を一番重視していましたが、ダメでした」
 本人の自己評価ほど厳しい見方はしないが、なんとも評価が難しいレースだった。福岡の日本人2位の五十嵐範暁(中国電力)や別大日本人2位の川嶋伸次(旭化成)よりもタイムは悪いが、優勝したこととレース内容を陸連がどう評価するか。あとは3月4日のびわ湖次第で、世界選手権の代表になれるかどうかが決まる。
 先頭集団で走った尾方と渡辺はともに途中棄権に終わったが、やむを得なかった。世界選手権を狙っていた2人には、あの走りをするしか選択の方法はなかった。特に尾方は、もしかしたら最後まで持ちこたえた可能性もあった。第2集団で行く気にはなれなかっただろう。
 第2集団でレースを進めた家谷(山陽特殊製鋼)と南(小森コーポレーション)は、結果を残すことに成功した。家谷は初マラソン、南は2時間17分台から大幅に自己記録を更新した。
 がっかりさせられたのは外国勢だ。ともに2時間6分台の記録を持つエチオピアのジファルとトラは、ラガトにまったくつかず、常に第2集団でレースを進めた。2時間6〜7分台を狙うのには絶好のペースだったにもかかわらずだ。一昨日の記者会見で口が重かった理由は、調子が悪かったせいだったのかもしれない。
 あるいは、レース後にある選手が言っていた「あいつら(4月の)ロッテルダムとも契約していて、今回はやる気がなかったんですよ」という説が正しいのかもしれない。だとしたら、プロのランナーってやつも、大したことはない。それとも、それこそがプロのランナーなのだろうか。

高橋健一の記事は3月1日発売のスポーツ・ヤァ!013号に、レースの詳細は3月14日発売の陸上競技マガジン4月号に執筆します。