2002/12/25 クリスマス・プレゼント記事
サンチェスとの差が開いてしまった2002年の為末
ヨーロッパ転戦中に言われた説教じみた言葉とは?
為末大の2002年は、フェリックス・サンチェス(ドミニカ)との差が大きく開いたのを感じさせられた1年だったろう。
2001年の2人はともに、上昇気流の真っ只中。エドモントン世界選手権では金メダルと銅メダル(その前年、シドニー五輪はサンチェスが準決勝落ち、為末は周知の通り9台目で転倒して予選落ちに終わっていた)。記録も2001年にはサンチェスが48秒33から47秒38に、為末は48秒47から47秒89に伸ばした。この年の為末は記録だけでなく勝負強さも発揮し、7月のGPUザグレブ大会ではサンチェスを破っている。
しかし、2002年はあまりにも対照的。サンチェスが無敗でシーズンを終え、記録も47秒35に伸ばしたのに対し、為末は国際シーンではまったく振るわなかった。日本開催の大阪GPを除けば、ゴールデンリーグとGPTでは6位が最高。8月のヘルシンキでは故障をしてしまい、最大目標だったGPファイナルに駒を進められなかった。ベスト記録は48秒69にとどまった。
為末の2002年400 mH全成績
月日 |
大 会 名 |
場 所 |
記 録 |
順位 |
備考 |
5月11日 |
GP大阪大会 |
万博記念 |
49"74 |
3位 |
|
5月15日 |
GPドーハ大会 |
ドーハ/カタール |
50"40 |
7位 |
|
6月8日 |
日本選手権 |
西部緑地公園 |
48"79 |
1位 |
2年連続 |
7月2日 |
GPローザンヌ大会 |
ローザンヌ/スイス |
49"01 |
B組2位 |
総合7位 |
7月5日 |
GLパリ大会 |
パリ/フランス |
48"88 |
6位 |
|
7月8日 |
GPUザグレブ大会 |
ザグレブ/クロアチア |
48"91 |
3位 |
|
7月12日 |
GLローマ大会 |
ローマ/イタリア |
49"22 |
8位 |
|
8月13日 |
GPUヘルシンキ大会 |
ヘルシンキ/フィンランド |
DNF |
|
途中棄権 |
9月16日 |
スーパー陸上2002横浜 |
横浜総合 |
48"69 |
1位 |
初優勝 |
10月8日 |
アジア大会 |
釜山/韓国 |
49"29 |
3位 |
|
ヨーロッパで為末が口にしたことに、「2年サイクル」という言葉があった。前年調子の良かった選手が凹み、前年悪かった選手が調子を上げてくる。2年ごとにGP種目になることも、その傾向に拍車をかけているのではないか、という見解だった。
だが、その説には「フェリックスは例外だが」という前置きを付けざるを得なかった。サンチェスだけがそのファーストネームのように、2年連続でフェニックス(不死鳥)のような活躍を続け、来年の世界選手権では400 mと400 mHの2冠を狙うという話まで出てくるほどの好調ぶり。
そのサンチェスがローマのレース後、為末に説教じみたことを話しかけてきた。
「グランプリの記録を底上げできないようじゃあ、エリア・チャンピオンシップ(アジア大会)で勝てっこないぞ」
為末は次のように答えていた。
「その通りだと思うが、今となってはアジア大会にピンポイントで合わせるしかない」
サンチェスはなおも続けた。
「グランプリのアベレージに0.8秒を上乗せしたタイムを、狙った選手権で出すのが一流なんだ」
為末は答えた。
「そんな方程式に無理やり当てはめなくても…。選手にはそれぞれ、その選手に合った調整の仕方もあると思う。フェリックス、それはちょっと強引な理屈じゃないか」
サンチェスは言い放った。
「マイネーム・イズ・ヘリクツ・サンチェス」
※ジョーク記事の第5弾です。「そのサンチェスがローマのレース後、為末に説教じみたことを話しかけてきた」以降は全て、筆者の創造です。
寺田的陸上競技WEBトップ