2002/11/15
高橋尚子、欠場会見
「結論を出したのは5分くらい前。走れるかもしれないとも思いましたが、リスクを考えると決断ができませんでした」
苦渋の決断だった。高橋尚子(積水化学)が17日の東京国際女子マラソン欠場を、記者会見開始5分前に決意した。
他選手の会見は13時からだったが、高橋だけは14:30と時間をずらして設定された。
定刻からやや遅れて会場入りした高橋。こういうとき書き手は必ず、選手の表情を描写しなければならない(らしい)。が、得てして、書き手の都合がよいように選手の表情は見えてしまう(ようだ)。でもやっぱり、高橋の表情は、いつもの笑顔だった、と書いておく。深刻な、突き詰めたような表情で会見場に入ってきたわけではなかったと思う。
高橋の表情1 2 3 4
高橋 お待たせしてすいません。実は、結論を出したのは5分くらい前なんです。今回のレースのために5月くらいからずっと練習してきて(どうしても出場したかったが)、周りのスタッフや監督、診てもらった先生方の判断、そして自分の***を踏まえて、欠場させていただくことを決めました。
Q.5分前まで決められなかった理由と、結論を出すに至った経緯は?
高橋 アメリカでやるべき練習はすべてやってきて、最後にちょっと胸が痛くなってしまい、どこを向いても痛い状態で、少し早く切り上げて帰国しました。医師の診断を受け、肋骨にヒビが入っていることがわかり、水がたまっているという診断でした。でも、走ってみると思ったより走れました。しかし、練習を続けていくと痛くなっていくのも増して、(再度)診断したら2カ所折れてしまって(ヒビが入っていて)いました。骨密度が原因ではありません。20歳の人と比べても、98%という数字で、体自体はまったく健康で問題ありませんでした。急激に寒さの中を肺を使ってハードな練習をしてきたのが原因だろうと言われました。
今週の水曜日まで走れませんでしたが、昨日の木曜日の時点でだんだんよくなってきて、「もしかしたらこのままよくなって、東京を走れるかもしれない」と思えてきて、今朝も20kmを最後3分10秒くらいで上がることができました。でも、20kmと40kmでは距離が違いますし、どうにかなってしまったときのリスクを考えると、決断ができませんでした。水・木・金とよくなってきたように、金・土・日とよくなって走れるかもしれない。でも、どうにかなって、それが1〜2年影響して、目指してるオリンピックに出られなかったら********。私も監督も、見てくださるかたたちも、決められませんでした。私自身、あきらめることができず、明日どうなるか状態も見たいのですが、どうしてもここで決めないといけない、タイムリミットがあるということで、欠場を考えざるを得ないいなりました。
Q.ヒビの入った原因は寒さの中での練習の他、何か衝撃が加わったということはなかったのでしょうか。そして世界選手権をもう一度目指すのか、休養するのか、欠場を決めたばかりで難しいとは思いますが、その辺のプランは考えていますか。
高橋 このときだった、という衝撃、一撃はありません。転んだとか、ぶつかったとかはないんです。徐々に凝ってきたというか、張ってきてしまいました。10℃からいきなりマイナス10℃になって、そこで走り込んでしまったことが原因だと思います。折れたのが先か、水がたまったのが先かはわかりませんが…。
世界選手権に関してはまだ考えられませんが、選択は2つに1つです。最終目標はオリンピックなので、世界選手権をやめて来年の東京・大阪・名古屋の3レースから1つに出るのが1つの方法。もう1つは、もう一度国内の選考会に出て、世界選手権にチャレンジするか、です。今、こういう状態なので、治すのが先決です。12月の駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝)の位置付けをどうするか難しいですけど、短い距離でも走ってみてから休養するか、今の時点で休養するか…。
Q.小出監督とは、どういう話し合いでしたか。
高橋 監督はずっと見てきてくれて、私と同じ考えでした。「アテネのことを思うとここで無理することはない、次に思い切って走れるときに頑張ろう」、という気持ちが半分、「スタートしたらオマエだったら2時間24〜25分ではいくだろう」、という気持ちが半分でした。どちらか(監督か私?or走れることと悪化すること)が確信を持てれば、もっと早く決められたと思います。でも、どちらも想定できるので、監督も私も、2人で迷っていました。
Q.(質問不詳)
高橋 今日、監督は2時から病院で検査で、1時55分までは携帯が通じるからと、ぎりぎりまで話していました。その前に別れたときは、「東京は出るのはやめよう」と見送ってもらいました。「そんなに痛めつけることはない」と。ですが、そのあとで電話で私が「走りたい気持ちがある」と言ったら、「もう一度皆さんにお願いして、“もう1日待ってください、考えさせてください”とお願いしてこい」、と言ってくれました。
でも、もうここで決めなきゃいけないと*********、監督は明日もあると思って、検査を受けています。
Q.ファンは走ってほしという気持ちと、アテネで走ってほしいから我慢しよう、という気持ちの両方だと思います。多くの市民ランナーが、高橋選手と一緒に走れると出場を申し込んだんですが、彼女たちにメッセージをお願いします。そして、今朝も最後は3分10秒にまで上げて20kmを走れるエネルギーは、東京を走りたいという強い気持ちから出てくるものなのでしょうか。
※すいません。ここまでしか書く時間がありません。高橋らしい“力のある言葉”が続いたので、全部紹介したいのですが……。
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