2002/11/3 全日本大学駅伝
日大が健闘の3位
藤井が箱根予選会とは別人のような走り

 日大がここまでやるとは思わなかった。トップ通過も期待された2週間前の箱根駅伝予選会は、まさかの4位。藤井周一(3年)は個人70位(1時間01分51秒)と、信じられない走りだった。本来なら全日本では1・2・4・8区のポイント区間を走るべき選手。藤井が5区に起用された時点で、今回の日大は苦しいと、ちょっと大学駅伝に詳しいファンなら感じたはずだ。
 しかし、2区のキャプテン・清水将也(4年)で2位といい流れに乗ると、5区の藤井がトップを奪った(という書き方をすると、他の区間の選手はどうでもいい走りだったと誤解を招きそうだが、駅伝は全員でタスキをつないで初めて結果が出る競技。記事で名前が省かれた区間や選手が、頑張らなかったわけではない。念のため)。日大が伊勢路で首位に立ったのは、いつ以来だろうか……と思って調べてみると、1位中継は優勝した91年以来、11年ぶりのことだった。
 今年の日大は清水将也・智也兄弟(4年)、藤井周一(3年)、中谷圭介(3年)の西脇工高出身カルテットに、2年生期待の岩井勇輝、そして1年生にも有望新人がいて、かなりやるのではないかと予想されていた。1・2年と箱根の2区を走った藤井の不調が気がかりだったが、主将の清水将也が熊日30kmで1時間30分48秒を記録し、1万mでも日本インカレ2位と、学生トップレベルに成長。中軸選手がエース区間で通用する力をつけ、脇を固めるメンバーも粒ぞろい。強くないわけがない。
 今大会の清水将也の好走は、今季の状態を見たらある意味期待通り。カギは藤井だったように思う。その藤井に、箱根予選会の不調から、さらには箱根駅伝以来の不調から、いかに立て直したのかを聞いた。
「予選会は気負ってしまったんです。2カ月前から体調は戻っていましたし、調子も上がっているのを感じていましたから、いずれ走れると思っていました。練習はできていましたから、走れないわけはないと。本当は予選会で復活をアピールしたかったのですが…。
 今日は、落ちついて入ろうと考えていました。周りから見たら突っ込んだ走りに見えたかもしれませんが、5kmのタイムとかは気にせず、詰めることと、貯金を作ることだけを考えていました。
 (この1年間)試合でまったく結果を出していない僕が、目をつぶって起用してもらえた。僕がつなぎの区間に出るからには、貯金を作って後ろを楽にさせるのが役目でした」
 藤井は箱根予選会は初めての経験。2週間で2つ、これほど大きなレースを経験するのも初めてだったという。インターバルの2週間で何をやったから調子が上がった、という明確な分析はできていないし、失敗の原因も気負いという、傍目にはやや不鮮明なものしか挙げられない。だが、精神的に落ち込まなかったことだけは、確かである。
「予選会は長い距離のレースとしては最後でした。ここで結果を残さないと、その後の駅伝で重要な区間は走れないと、思い詰めていたのかも。だからレース後は“失敗した原因はわかっている”、と自分に言い聞かせていました。体調がもどってはきていますが、まだ100 %ではありません。箱根までには絶好調に持っていきたいと思います。やっぱり、1・2年と失敗をしている2区を走りたいですから」
 頼もしい男が復調してきた。

清水将也主将コメント
「日大も流れに乗れば強い」

「日大は1区で遅れるパターンが多かったので、2区の僕で流れに乗せられたら、と思っていました。今日の結果で、日大も流れに乗れば強いということを、他の大学に知らしめることができたと思います。他の大学へアピールすることと、(日大の)選手が自信をつけることができたレースでした。ただ、優勝を狙えるところまできての3位ですから、3位になったことでの驕りはありません。次の試合につなげていける3位です
 藤井は5区でしっかり区間賞を取るのが役目でした。本人も狙っていたようですが、風がなければ区間新も行けたでしょう。見ていて頼もしかったですね。
 予選会は特に調整もしませんでしたが、それでも、全員が1位通過を疑いませんでした。それが全然ダメで、そのことによる危機感が、いい結果に出たのかもしれません。僕は個人として、走れなかった(6位・1時間00分10秒)理由がわかっていましたし…。ミーティングでは、“この大会は日大が試されている大事な試合。みんなの力を出し切れば絶対に大丈夫。頑張ろう”と話しました」


学生駅伝トップ
寺田的陸上競技WEBトップ