2001/4/4
千葉真子、小出監督への弟子入りを
希望して千葉に転居
思い出のアテネに向けて、再スタート


 本日の日刊スポーツの報道で、旭化成を1月に退職して去就が注目されていた千葉真子について、以下のことがわかった。
●3月中に京都から千葉県に転居(自費)
●小出義雄・積水化学監督の指導を受けることを希望
●4月4日、ボルダーに出発(自費)
 確固たる事実は以上だが、小出監督や高校時代の恩師である荻野由信立命館宇治高監督にも取材している。
 現在、小出監督の指導を受けているわけではないし、全て千葉が自費で行動している。千葉が小出門下にはいることを希望しているのは事実で、小出監督自身「慕ってきてくれるのは嬉しいこと。(練習を)見てほしいと言ってきているのを、断ることはできない」と言いながらも、積水化学入社は「まずあり得ない。勧誘もできない」としている。
 記事全体から、小出監督や積水化学側から勧誘したのではなく、千葉側の自発的行動だということがわかるし、今後の展開がまったく白紙状態なこともわかる。

 千葉は宇治高(現立命館宇治高)から旭化成に入社した95年後半から破竹の勢いを見せた。97年までの完璧な足跡は、下の表のように90年から92年の森下広一に匹敵する。森下の90年のアジア大会1万m優勝から、92年のバルセロナ五輪マラソン銀メダルまでの戦績は、まさに完璧な流れだったと、宗茂監督が口にしたことがあるくらいだ。
 3年後のオリンピックは、千葉が銅メダルに輝いた(実際、当時の彼女は輝いて見えた)97年の世界選手権と同じアテネ開催。
 現在、全てを自費で活動している千葉だが、逸材の復帰に向けて、スポンサーなどの支援は得られないのだろうか。

森下広一の90〜92年主要大会成績
1990年 2月 熊日30km優勝
1990年 6月 日本選手権1万m2位 日本人1位。アジア大会代表決定
1990年 10月 アジア大会1万m優勝
1991年 1月 全日本実業団駅伝6区区間2位 区間新。区間1位は早田俊幸で9秒差
1991年 2月 別大マラソン優勝 2時間08分53秒の初マラソン世界歴代2位
1991年 6月 日本選手権1万m2位 日本人1位。世界選手権代表決定
1991年 8月 世界選手権1万m10位 日本人トップ
1992年 1月 全日本実業団駅伝6区区間1位 区間新
1992年 2月 東京マラソン優勝 バルセロナ五輪代表決定
1992年 8月 バルセロナ五輪マラソン銀メダル

千葉真子の95〜97年主要大会成績
1995年 11月 1万mで31分43秒7 ジュニア日本新
1995年 11月 国際千葉駅伝3区10kmで32分03秒 区間賞
1996年 2月 唐津で10km31分44秒 日本最高
1996年 4月 兵庫で1万m31分28秒15 日本新
1996年 6月 日本選手権1万m3位。31分20秒46 従来の日本記録を上回る
1996年 8月 アトランタ五輪1万m5位入賞 7位に川上優子
1997年 1月 東京ハーフマラソンで1時間06分43秒 日本最高を1分35秒更新。クリスチャンセンの世界最高が距離に疑問があるため、世界最高との評価も
1997年 5月 釜山東アジア大会1万m優勝
1997年 8月 アテネ世界選手権1万m3位 日本女子五輪&世界選手権トラック史上初のメダル