2001/7/15
吉田が56秒83の日本新!!
しかし、世界選手権B標準に0.03秒届かず
新記録の要因となった吉田の特徴とは?


「今日は日本選手権でやったレースパターンを、もう1回やろうと思っていました。課題が残ったのです」
 吉田は5台目までを16歩のインターバルで行き、6台目から17歩に切り換えるが、そこで大きく減速してしまい、記録更新ができなかったのだ。
「日本選手権では6台目までの(インターバルのタイム)が、5秒2台まで落ちてしまいました。そこが5秒2台になると、7台目までが5秒3に落ちてしまいます。後半がいつものように行けて、前半が日本選手権くらいだったら日本新は出ると思っていました」
 実際、この日の走りはイメージに近いものができた。
「今日はリラックスしながら加速できました。6台目までのタイムは、5秒1台で持ってくれたと思います」
 このコメントは、レース直後に吉田が話したもので、ビデオなどをまだチェックする前だ。もしかしたら、川本監督か誰かから、タイムを聞いていた可能性はあるが、たぶんそれはなかっただろう。
 吉田のこの日のタッチダウンタイムは以下の通り。
台数 吉田56秒83 ハードル間
1 6.9
2 11.4 4.5
3 16.0 4.6
4 20.7 4.7
5 25.5 4.8
6 30.6 5.1
7 35.6 5.0
8 40.6 5.0
9 45.6 5.0
10 50.8 5.2
フィニッシュ 56.83
 吉田は「5秒1台」と言う表現を使っていることから、通常はデジタルビデオからタッチダウンタイムを計測しているのだろう。上記タイムは肉眼で計測した非公式のものだが、本人の感想通り、6台目までのハードル間を5.1秒で走っている。つまり、本人のイメージ通りの走りができていて、しかも、本人の感覚が客観的なデータと一致しているということ。これは、なかなかできることではない。

 吉田この日の狙いは、文字通り記録だけだった。5月の東アジア大会ですでに57秒33と日本記録を更新し、日本選手権では400 mで2位となって、世界選手権4×400 mR代表の座はゲットしている。これは400 mの柿沼和恵(ミズノ)にも当てはまることだったが、本番のエントリー締め切りまでにB標準を突破すれば、個人種目でも出場の道が開ける。400 mHのB標準は56秒80。吉田の感触では、決して届かない記録ではなかった。
 前日は、「一緒に練習をし、ほとんど同じ行動をしている」(吉田)という二瓶秀子(福島大M2)が100 mで11秒36と、世界選手権A標準(日本新)のとてつもない記録を出していた。「“やられた”って思いました。あれで、私も言い訳はできなくなりました」
 しかし、吉田は400 mH1本に絞らず、前日の400 mにも出場し、54秒16と前週の南部記念で出した自己新を0.01秒更新した。本人は当初、400 mH一本に絞りたかったようだが、川本監督に説得された。
「これで引退するなら(400 mH)一本に賭けますが、競技人生はまだ長くあって、世界に出ていこうとするなら、ここで400 mをやっておいた方がいいと判断しました。(56秒83は世界選手権B標準に0.03秒届きませんでしたが)標準記録などは、突破するためにあるわけではなく、選手の能力を高めるためにあるんです。標準記録だけにとらわれるような、小さい考えではダメなんです。4×100 mRで身にしみて感じました」
 川本監督は、こう説明してくれた。4×100 mRとは、6月の日本選手権まで女子4×100 mR日本チームが、44秒00の世界選手権派遣基準記録に何度も挑みながら、惜しいところで達成できなかったことを指している。

 吉田がフィニッシュした際、タイマーは56秒82で止まった。
「57秒台かと思って見たら“56”だったので嬉しかったのですが、隣の数字を見たらB標準に0.02秒足りなくて、“足りないなー”っと思いました。本当に、世界で走りたいと思っていたので、すごく残念です」
 選手当人にしてみれば、標準記録を目前で逃したことに未練を残さないわけはない。だが、これだけ明確に世界を見据える選手なのである。ユニバーシアードは逃したが、世界選手権の4×400 mRでは52秒台のラップを目標にしているし、「もう1回追い込んだ練習ができれば、51秒台後半から52秒台前半も可能」と言う。
 将来、世界の舞台で走れたとき、この大会が“有益な大会だった”と振り返ることができるのだろう、きっと。