重川材木店密着ルポ
崇高なる職人ランナーたちの挑戦

D 世界を目指す有名選手の弟も入社<内田竜太・細山敦史・古賀五徳>
建築業と陸上競技の両立を目指す選手たち

@大工のチームで全日本実業団駅伝出場を A<萩野智久>エースの取り組みがチームの求心力に
B<林隆道>アメリカ帰りの異色ランナー
C箱根を走った選手と、走らなかった選手

 全ての選手が建築業と競技の両立を目指しているが、内田竜太・細山敦史・古賀五徳の3人は特に、その部分が顕著である。しかし、3人の競技的な特徴という面では、まさに三者三様。スピード練習なしで強くなった内田と、競技レベルは低くてもこつこつと仕事との両立を図る細山。そして、父親の跡を継ぐべく大工の技術を習得しながら、競技的にも高い素質で日本のトップを目指す古賀。全員が個性的で、魅力的で、可能性を感じさせる選手たちだ。


 内田竜太が働いている建築現場を見学させてもらった。5人が1つのチーム(班)となって作業をこなしている。内田は2階への階段部分の壁に、板を打ち付ける作業を担当していた。狭い作業空間のなかに巧みに足場を確保し、釘を何本か唇にくわえながら、手際よく作業を進めていく。文字通り、大工仕事が板について来つつある。しかし、5カ月前までの内田は、今の姿からは想像できないが、郵便局の臨時職員として働いていた。
器用な手つきで釘を打ち付ける内田
「正社員になれるわけではなかったので、就職活動もしていたんです。重川材木店から話をいただいて大工と言われたときも、“そういう選択肢もあるな。大工の技も身につけたい”と、特に抵抗はなかったですね。練習へのストレスになることもなかったし、今では環境にも慣れて、練習量も増えてきています」
 現場の仕事は前述のように5〜6人が1つの班として担当する。もちろん、その中でも担当は決められるが、いくら内田に大工としての素養があっても、まだまだ新米である。練習や遠征で抜けたとしても、班の中でカバーできる。言ってみれば、建築現場の仕事を習得していくことと競技は、両立しやすいのである(棟梁クラスになると、そうも言っていられなくなるのだろうが)。
 競技的にもユニークな選手である。小学校時代に校内マラソン大会で何回か優勝し、走る魅力に取り憑かれた。中学、高校(栃尾高)でも陸上競技部に入ったが、6年間、長距離部員は1人だけという環境だった。
「高校が山奥だったので、山ばっかり走っていた。毎日、80分くらい気持ちよく走っていましたよ。スピード練習は週に1回くらいでしたが」
 その練習内容でも、高校1年時に18分かかっていた5000mが、3年時には15分00秒2まで伸びた。インターハイ路線も北信越大会に進出し、今は同僚となった林に先着している(順位的には下位の方だったが)。全国都道府県対抗男子駅伝の新潟県代表にもなっているのだ。
 高校卒業後は、マラソンに2時間10分40秒の記録を持つ須永宏氏が監督を務めるNEC長野に進み、週2回15時で仕事を上がれる環境で走り続けた。実業団に入っても、スピード練習は苦手だったという。
「400 m×10のインターバルなんて、生涯で2〜3回しかやったことありませんから」
 これでは、トラックの記録は伸びないだろう。14分50秒台では何回か走ったが、それ以上は出せなかった。しかし、前述のように、その練習内容でも新潟県代表になっているのだから、素質がないわけではない。タイプ的には反対である萩野や林の練習を参考にすることで、トラックの記録も伸びて行くだろう。
「5000mで13分台は無理ですけど、1万mなら29分20〜30秒では走れるかもしれません。駅伝だったら戦えると思いますし、将来的にはマラソンで須永さんの記録を目標にしたいと思っています」
 競技的には潜在能力を感じさせる選手であり、重川材木店の社業と練習環境に、自身を最も適合させた選手でもある。新しい環境でどんな変化、成長をしていくのか、楽しみな選手である。


 細山敦史の担当しているのは、現場管理という部門。資材調達やスケジュール管理など、仕事内容は多岐に渡る。陸上競技部員の中では、最も勤務時間が長い選手である。ベスト記録が16分10秒と低く、練習する環境を与えてもらっていないのだ。
「練習は終業後だけです。昨日は10時半から走りましたけど、だいたいは帰宅して、夜の8時半とか9時頃から自宅の周囲をジョッグします。スピードを上げるのは、ジョッグの最後に速く走ったり、流しを入れたりするくらいですね。インターバルは最近、やっていません」
仕事を覚えることが競技力も伸ばすことになる、と考えて頑張っている細山

 新潟市の日本文理高校の出身。陸上競技部は短距離が強いことで知られている学校だ。OBには100 mに10秒33の記録を持つ昆貴之(三洋信販)がいるし、先日の国体少年A女子100 m2位の渡辺梓も同高の選手である。長距離はそれほど強い学校ではなかったが、細山は走ることが好きで、高校卒業後も専門学校に通う傍ら、時間を見つけて走り続けていた。新潟県には郡市対抗形式の県縦断駅伝があり、そこの西蒲原郡の選手として走ることが、ちょうどいい目標になっていた。
 さらに2年ほど、建築関係の会社で働きながら走っているところを、重川材木店にスカウトされた。れっきとした陸上競技部員として誘われたのだが、仕事の力と両方を見込まれてのこと。
「父親が大工ですから、建築の仕事に自然と入りました。今の優先順位は、仕事を覚えることが先ですね。仕事を要領よくやれれば、練習時間も増えることになります。でも、来年は15分30秒以内を目指します。それが達成できれば、練習時間も認めてもらえる可能性もあるんです。社長は仕事には厳しいですけど、競技は温かい目で見てくれます」
 たとえ競技力が低くとも、細山は重川材木店ならではの選手なのである。


「もう、すごく印象的でした。社長も会社も、自分にものすごく合っていると思いました」
 重川材木店の印象をこう話すのは高校を卒業して1年目の古賀五徳。重川材木店とはまさに、相思相愛といった間柄の選手である。
 福岡県の九州国際大付属高校出身。同じ県内に毎年、全国高校駅伝で上位に入っている大牟田高校があるため、駅伝は毎年九州大会止まりだったが、数々の有名選手を輩出している中・長距離の名門校だ。古賀の兄(古賀孝志)は東海大の4年生で、3年時には箱根駅伝10区を走り、チームの総合2位に貢献した。箱根駅伝よりもむしろ、中学1年生で初めて3000mの8分台を記録した選手として、長距離関係者の間では知られた存在だ。
 弟の五徳も普通だったら高校卒業後、関東の大学で箱根駅伝を目指すか、長距離の盛んな九州の実業団に進んで当然という立場だった。だが、ためらうことなく重川材木店に入社する道を選んだ。
「父が大工なので、将来はその跡を継ぎたいのです。他の実業団チームからの誘いもありましたが、好きな大工の仕事も覚えることができ、好きな陸上競技もできるのは重川材木店しかない、と思いました。大工の技術も身につけて、陸上競技も10年はやりたいと思っています」
 重川社長が調べたところによると、箱根駅伝出場者の中にも毎年、数人は建築関係者の子弟が必ずいるという。そういった選手には是非、古賀のように重川材木店で建築技能と走ることの両方を、研いていって欲しいと願っている。
9月に行われた全日本実業団ジュニア5000mで力走する古賀

 ただ、現時点の古賀は、気持ちが先行してしまって結果が出せていない。練習で頑張るのはいいが、試合につながっていないのだ。最近は腰の痛みも悪化。新潟県縦断駅伝が近くなるまでそれを隠していたため、重川社長からこっぴどく叱られる場面もあった。重川社長も、古賀が真面目すぎるのが原因とわかっているが、将来は「世界を目指せる選手」と期待しての接し方だ。
「疲労の取り方とか、コンディショニングとか、自分は上手くできていません。その辺が、当面の課題です。兄と比べられるのは好きではありませんが、いずれは抜いてやろうと思っています。まずは来年、1万mで30分台を出したい。仕事も、今はまだ修行の身ですが、将来は技術を教えられるような人間になりたいですね。競技との両立はきついことですが、自分の選んだ道です。頑張っていきたいと思っています」
 大工の子弟が、仕事を覚えながら競技でも日本のトップレベルを目指す。最も重川材木店らしい雰囲気を持つのが、最年少の古賀なのである。

E重川隆廣社長の魅力 その1 建築業でのサクセス・ストーリー につづく
F重川隆廣社長の魅力 その2 チーム戦略と選手への愛情
G鶴巻監督とオツオリ・コーチの役割

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