重川材木店密着ルポ 崇高なる職人ランナーたちの挑戦
実にユニークな長距離チームが誕生した。実業団チームの少ない北陸の、新潟県を拠点とする重川材木店である。建築業と陸上競技という、これまでになかった組み合わせで、“仕事との両立”を目指している。むしろ、建築業だから両立ができるのかもしれない。練習環境など、既存の実業団チームに及ばない点もあるが、新たなシステムと柔軟な考え方で補おうとしている。オリジナリティに満ちたチームに密着した。
取材した日に練習で揃ったのは5人。左から
内田、オツオリ、林、南波(林の後方)、萩野
@ 重川社長の熱い思いから長距離チームが誕生 大工のチームで全日本実業団駅伝出場を
木造木構造現しの本社事務所で、萩野智久はパソコンに向かって図面を描いている。林隆道は15時前になって、工事許可申請書を提出しに行った県の土木事務所から戻ってきた。内田竜太は建築中の壁に木材を、手際よく釘を打ち付けている。竹石実はまた別の建築現場で、床暖房の温水供給機を器用に取り付けている。ジョゼフ・オツオリは、棟梁と2人で陸上競技部の寮となる建物の改装を任されていた。
新潟県西川町(※1)に本社を構える重川材木店。昨年発足した陸上競技部の選手は現在、コーチ兼任のオツオリと竹石を含めて9人(※2)。11月14日の北陸実業団駅伝に初出場する。今年はまだ戦力が整っていないが、来年の同大会で優勝し、ニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)に「大工のチームが出場する」のが重川隆廣社長兼陸上競技部総監督(一級建築士)の掲げる目標だ。
しかし、最初から簡単に、高校・大学のエリート選手が集まるものではない。新設チームでも、資金と看板(大手企業など)に恵まれたチームであれば、それも可能だろう。しかし、そういったケースのほとんどは、(完全なプロではないものの)“走ることが仕事”という考え方。重川材木店の場合は“走ることと仕事の両立”という活動理念も違えば、地元では超のつく優良企業(※3)とはいえ、全国的には知名度も低い。簡単に選手が集まらないのは百も承知であるが、自身も長距離選手だった重川社長は、“夢”に向かって挑戦を開始した。
「私自身、高校を卒業しても県内の駅伝を目標に走り続けましたが、ケガで競技生活を断念せざるを得ませんでした。私の強くなりたかった気持ち、いい記録で走りたかった欲求が満たされなかった。私に代わって走る選手たちを応援することで、私自身の喜びとしたいと思っています。応援するに際して、(重川材木店で)建築の仕事をしてくれれば、私の個人的な負担でもそれなりの人数を、長期に渡って支援することができます。自分が走っていた経験から、萩野や林たちのタイムを出すのが、どのくらい大変かはわかっているつもりです。そういった選手が、速く走る姿を見ているのは気持ちがいい。その選手たちの普段の努力が見えてくる。そういった一生懸命にやっている人間が力を合わせ、全日本実業団対抗駅伝に出場できたら、この上ない喜びとなります」
練習を見守る重川社長。陸上競技部の総監督でもある
各選手のベスト記録は、下の表の通り。コーチ兼任のオツオリと竹石を除けば、選手として実績のあるのは昨年まで日立電線で活躍していた萩野くらい。残りのメンバーは、まさに“寄せ集め”だが、個々に競技歴を検証すると、「おっ!?」と思わせる部分のある選手ばかり。関東の大学で箱根駅伝を目指していた選手もいれば、ジョッグばかりの練習でインターハイ北信越大会に進んだ選手もいる。有名選手の弟で、日本のトップを目指す意欲にあふれた選手もいる。来年までに戦力も補強するが、今いる選手のレベルアップも十二分に見込めそうだ。そして来年、北陸で唯一、全国で活躍しているYKKに勝負を挑もうというのだ。
萩野は言う。
「今はまだ、各自が練習スケジュールを組んで、各自が練習を進めています。狙う試合もまちまちです。でも、今年で年間の流れなどもわかってきますし、来年からは合同でポイント練習をするケースも増えるでしょう。まだ、強くなるような練習はできていません。だから、これから強くなるチームなんです」
※1 人口約1万2000人。農業が中心の町で田園文化都市を宣言している。新潟市のベッドタウンとしても発展し、来年には政令指定都市となる同市の一部となる。
※2 選手一覧表(経歴とベスト記録)
選手名 部署 年齢 経歴 5000m 1万m マラソン 竹石 実 床暖 36歳 燕高→日本大学→雪印 14分11秒26 29分12秒0 2時間14分25秒 ジョセフ・M・
オツオリ大工 35歳 山梨学院大→トヨタ自動車→ケニア帰国→茨城県環境企業 13分49秒22 28分18秒91 萩野智久 設計 29歳 秋田工高→東洋大→秋田大大学院→日立電線 14分01秒42 28分57秒41 林 隆道 大工 25歳 北陸高→州立オレゴン大学 14分37秒16 30分39秒29 内田竜太 大工 25歳 栃尾高→NEC長野 14分50秒54 30分43秒45 南波寛人 大工 22歳 村上桜ヶ丘→関東学院大(中退) 14分50秒 30分23秒25 細山敦史 現場監理 21歳 日本文理高 16分10秒 古賀五徳 大工 18歳 九国大附高 15分00秒
※3 1926年創業、1977年法人に改組。数寄屋造りの和風住宅を中心に設計・施工を手掛ける。従業員55人で資本金3000万円、2004年度の売り上げ予測は13億円、経常利益率は5.0%。8年連続で高額納税法人に名を連ねている。社内に認定職業訓練校「匠塾」を併設し、社内で数寄屋大工を育成している。
A 大学院時代の記録短縮に今日へのヒント<萩野智久> エースの取り組みがチームの求心力に
その重川社長の下に、個性的な選手たちが集まってきた。チームのエースは今年4月、日立電線から移籍してきた萩野智久である。秋田大大学院を卒業後に実業団で走る道を選び、4年目の昨年1万mで28分台を記録。しかし、夫人の実家のある新潟に住みたい希望もあり、今年4月に重川材木店に入社した。
「社長と義理の父が知り合いだったんです。仕事をしながら職能なども身につけて、走れなくなったら仕事も頑張りたいと思っています。陸上競技はトレーニングさえ柔軟に考えていけば、どんな環境の中でもやっていけますから」
萩野は火・木・土曜日(※4)が16時から練習が開始できるように仕事を上がれるが、本人が希望をすれば毎日でも練習時間がとれる(これは、チームで萩野1人だけである)。それでも、合宿の回数など、昨年まで在籍した実業団チームと比べたら大きな差がある。そんな環境でも萩野が「やっていける」と言えるのは、大学院時代の経験が大きい。
高校では15分23秒の選手だった萩野は、諸般の事情で大学(東洋大工学部)では陸上競技を続けられなかった。しかし、長期休暇中に母校(秋田工高)のアシスタントコーチをやっているうちに、トレーニング方法やコーチングを深く考えるようになった。それを自分で試してみたのが、地元に戻って大学院に入学してから。1カ月も経たないうちに5000mの記録が、高校時代の15分23秒から14分48秒へ伸びた。
「大学の間は本当にジョッグしかやっていませんでした。調子がよくなったら、スピードを上げてみるくらいで。月300km程度の練習でもその記録が出せたので、量的な練習は必要ないと考え始めましたが、5月の東北インカレで惨敗して、量も踏まないといけないのだと認識を改めました。それでも、1年後の4月に14分14秒を出せて、雪国という地域を考えたら、革命的なタイムが出せたと思います(※5)」
大学院の2年間で14分07秒9まで記録を縮められた。花田勝彦(当時エスビー食品)との接点ができ、練習メニューをアドバイスしてもらえたことも大きかったという。そして、萩野なりの独自のトレーニング法も功を奏した。
「関東の大学なら合宿を頻繁にできますが、大学院ではお金も時間もありません。その差を埋めるために、日常を合宿にしようと考えました。朝100分ジョッグをして、授業の終わった夜の9時から2時間〜2時間半を走る。これを月に8回できれば、1000kmを超えますからね。今の環境でも、3時からのトレーニングだと昼食がまだ完全に吸収し切れていないので、夜の7時あたりの方が人間の運動能力は上がっていて、都合がいいかもしれません」
10月の国体には新潟県代表として
ハーフマラソンに出場した萩野
入社して最初に心掛けたことは「自分たちが“異物”と思われないようにすること」だったという。大企業ならともかく、重川材木店のような規模の事業所では、社員全員が利益を出すために必死になって働いているのが、同じオフィスにいれば肌で実感できる。入社後2カ月は、故障もあって仕事に専念した。故障が治って週3日、早上がりをするようになったが、周囲への気遣いは怠らなかった。
しかし、「認められるための一番の近道は、結果を出すこと。結果を残して当たり前」と頑張った。7月の新潟県選手権の5000m・1万mの2冠となり、どうにか周囲の理解も得られ始めた雰囲気になってきた。
「実際に認められているのかどうかは、自分では判断できませんが、他の社員のことを考えて、基本的な仕事はきっちりできるようにしました」
記録的には5000mで14分01秒42の自己新を、10月24日の日体大記録会でマークした。入社後の1万mはまだ30分08秒13と5000mに比べて今ひとつ。これは故障の影響だけでなく、萩野が5000mを重視していることにも起因している。
パソコンで図面を描く萩野。
「建築士の才能もある」と重川社長
「大学院で14分台を出し、殻を破ることができたのが5000mでしたし、スピード感がある種目ということも好きな理由です(“数寄屋造りです”とかけた洒落か?)。長い距離のタイムを縮めることの方が、実は簡単なんですが、5000mの記録を縮めるトレーニングをすることで、長い距離のタイムを縮めることにつながります。短距離に例えるなら、100 mの記録を縮めることは大変ですけど、200 mや400 mのタイム短縮に結びつくのと一緒ですね」
新しい競技環境で再出発を果たした今、5000mで好タイムが出ていることは、明るい材料といえるのだ。その萩野を「こういう人材が欲しいと思っていた」と重川社長は高く買っている。
「私が希望する建築の仕事にも一生懸命取り組み、なおかつ競技にも熱心に取り組んで、その力量も全日本実業団やニューイヤー駅伝に出られるレベルにある。最も望んでいた選手ですね。もちろん、実力以上の評価をしているわけではありません。記録でいったら日本で100番から130番というレベル。将来的に、競技関係で飯を食えるかどうかはわかりません。それで仕事にも取り組ませています。ただ、自分も走っていましたから、どのくらいの練習と努力が要ることかわかります。他の実業団と同じ環境は無理ですが、市民ランナーたちよりはいい環境を与えてあげられる。それに理解を示してくれ、我が儘を言いません。チームで実力が一番の彼がそうなら、他の選手たちも不満を言わなくなります。そして、建築に対しても真面目です。彼なら一級建築士の資格も取れるのではないかと、見ていて思います」
陸上競技部の総監督である社長と、そのチーム運営方針に最もふさわしいエース。重川材木店陸上競技部の中核が、この2人のコンビで形成されたと言っていい。
※4 第2・第4土曜は休日で終日、練習が可能。
※5 新潟県も豪雪地帯のイメージがあるが、冬の間に積雪が多いのは山間部でのこと。海岸に近い平野部では、雪が降っても積もることはあまりない。
Bアメリカ帰りの異色ランナーにつづく
C箱根を走った選手と、走らなかった選手
D建築業と陸上競技の両立を目指す選手たち
E重川隆廣社長の魅力 その1 建築業でのサクセス・ストーリー
F重川隆廣社長の魅力 その2 チーム戦略と選手への愛情
G鶴巻監督とオツオリ・コーチの役割
重川材木店のサイト
寺田的陸上競技WEBトップ