【Part5】リレーの“思いやり”は究極の技術
【Part4】“冷静な3走”を極める からのつづき
●レーンの外側からスタートする3走
高平慎士(富士通)には「リレーは“思いやり”」という持論がある。“思いやり”と聞くと精神的なことと思われるかもしれないが、きわめて技術的である。自分がどうスタートを切れば前の走者が渡しやすいか、スピードを緩めずに最後まで走りきれるか。自分が最後にどう走り込めば次の走者が受け取りやすいか、スムーズに加速ができるのか。4×100mRにおける“思いやり”を詳しく語ってくれた。
高平 先ほど2走がレーンのどの位置を走っているのかをチェックすると言いましたが、それは僕がレーンの外側からスタートするからです。「なんで外側から」と聞かれることもありますが、末續さんや江里口から質問されたことはありませんから、僕だけということではないと思います。ただ、その場合、3走の僕が早出をすると2走からすごく遠く見えてしまうんです。実際、2走の選手を直線からカーブに方向転換をさせてしまうことにもなりかねない。特にアンダーハンドではその可能性が大きくなります。せっかくつくってきたスピードを殺すことになるんです。1歩の違いで天国と地獄くらいに違ってしまうと思いますよ。外側からスタートするメリットが自分にあると思ってやっているわけですから、そのために2走に“怖いな”という思いをさせたらいけません。そこは“思いやり”だと思いますね。末續さんとも「リレーは前後をどれだけ“思いやる”ことができるかだ」と話したことがあります。単純に「もらう方はハイが聞こえたら手を出せばいいんだよ」という指導の仕方も散見されますが、僕はお互いが気持ちよく感じられる工夫をするのがリレーだと思っています。
●北京の塚原→末續が詰まり気味だった理由
北京五輪の1走・塚原直貴と2走の末續慎吾のバトンパスも“思いやり”が現れていた好例だ。2人のパスは「詰まり過ぎじゃないか」という声も挙がるが、その方が結果的にスピードの出るバトンパスになる。
高平 あの2人は詰まっているくらいが良いんです。塚原の良さを出すために、末續さんが
あえて詰まらせていた。塚原は届くかどうかぎりぎりのバトンパスになると、「届かせなきゃ」という気持ちが悪い方向に働いて、スピードの落ち方が大きくなることもあるタイプだと僕はみています。少し並走するくらいの方が力強くバトンを押し込んでくる。塚原の力強さを引き出せるバトンを2人でしていました。僕はそれが“生きたバトンパス”だと思っています。野球でよく「ピッチングマシンの球だけを打つ練習だけでなく、生きた球を打たないとダメだ」と言いますが、それと同じです。バトンが綺麗に渡るだけでは良いとは言えません。
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●並走派とピッタリ派
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北京五輪4×100 mRの表彰式。右から4走・朝原宣治、
3走・高平慎士、2走・末續慎吾、1走・山縣亮太 |
塚原のように並走した方が力を出し切れる選手もいれば、その反対の選手もいる。並走するのではなく、渡し手が受け手の背後に迫った一瞬でバトンパスを行う。高平は前者を並走派、後者をピッタリ派と名付けている。バトンを渡す瞬間を「ゼロ時間」と表現するが、並走派はゼロ時間がピッタリ派に比べて少し長くなる。イメージ的にはピッタリ派はオーバーハンドパス、並走派がアンダーハンドパスに近いが、アンダーハンドのなかでも両タイプがあるという。後者をピッタリ派と名付けている。バトンを渡す瞬間を「ゼロ時間」と表現するが、並走派はゼロ時間がピッタリ派に比べて少し長くなる。イメージ的にはピッタリ派はオーバーハンドパス、並走派がアンダーハンドパスに近いが、アンダーハンドのなかでも両タイプがあるという。
高平 両者の境界線がはっきりあるわけではありませんが、僕のみている感覚では塚原、山縣、土江(寛裕・現城西大監督)さんたちが並走派、江里口、高瀬(慧・富士通)たちがピッタリ派。僕自身はピッタリ派ですかね。両方できるタイプが末續さん。並走派は目の前に目標物があると力を出し切れるタイプです。ただ、渡し終わった途端に減速しやすい面も持っていて、120m、150mと走りきれるかどうかが課題になる。反対にピッタリ派はバトンを渡した後も慣性で走り続けてしまうタイプ。選手はバトンを渡せば走りを崩して減速しますが、崩れても走れるタイプがピッタリ派に多いからかもしれません。言葉にするとこうなりますが、リレーの時はバトンを渡した後もみんな走り続けていて、そこにちょっとした違いがある。それがバトンパスにも影響するということです。
●江里口の走りを読み切れなかった
誤解してはいけないのは、最後までスピードを落とさずに走りきれるかどうかは、並走派とピッタリ派の違いとは別の部分の話である。
高平 末續さんと江里口はリレーの理解の仕方は似ていますが、最後まで走りきるというところでは末續さんが上です。必ず最後まで押し込んでくる。その点、江里口は良いときは押し込んできますが、悪いときは減速が大きい。スピードが落ちたときにどうなるかは、想定してやっています。しかし、江里口はそこが安定すれば真のエースになれますね。ロンドン五輪の江里口は、予選では最後の減速が大きかったのですが、決勝では見違えるほど押し込んできた。僕が江里口の走りを読み切れなくて、バトンが詰まり気味になってしまいました。もう少し早めに出ないといけなかった。江里口はピッタリ派ですから詰まるのは走りにくい選手。最後に「イケーっ」という感じでは渡せなかったと思います。それがメダルを逃した要因の1つです。スタジアムの中のコンディションが、風とか寒さもあって予測を妨げる要素になっていました。でも、一番の原因は昨年のチームが、オリンピックまでにバトンを作り上げられなかったことです。“生きたバトンパス”には、完全にはなっていなかった。
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ロンドン五輪決勝の2→3走のバトンパス。江里口が最後まで「押し込んできた」点を
正確に判断できなかったという(写真はアスレティックアワードの際に上映された映像) |
●足長よりも走りで調整する
走りが崩れやすいタイプと崩れにくいタイプの違いにも言及した高平。北京五輪メンバーでは塚原と朝原が崩れやすいタイプ、末續と高平が崩れにくいタイプだという。両者の違いがリレーではどう現れるのだろうか。
高平 塚原や朝原さんはバトンを受け取る位置が良くないと走りも崩れてしまう。1、2歩目をカチンとはめないといけない。擬音で言ってわかる方とわからない方がいると思いますけど、「パンパンパン」という走りの選手は崩れやすい傾向があります。末續さんや僕は“流動的”に出ても、15mくらいで立て直せる。擬音で言ったら「タラーっ」と出ても全力の走りに持っていけます。だから、足長(マークの位置)に下手にこだわるよりも、自分の出方で調整した方が良い。足長で調整してドンピシャということはあまりなくて、走り方で調整した方が上手くいくんです。その点、塚原と朝原さんはスタートで崩れたら全力に持っていきにくい。そういう選手は思い切り出てポジションが狂うリスクがあるなら、避けた方がいいかもしれません。立て直すのは並大抵のことではありません。100m、崩れたままということもある。それで0.05秒遅くなったら、3人で0.15秒です。順位が大きく違ってくる差になります。
●朝原への「思い切り出てくださいね」の意味
しかし北京五輪の高平は、崩れやすいタイプの朝原に対して「思い切り出てくださいね」と決勝の前に“お願い”した。そこにはどんな意図が、高平のどんな思いがあったのだろうか。
高平 僕がしっかりと渡せばいいだけのことですから。朝原さんの4走のスタートは速いですけど、それでも朝原さんの全力じゃない、と感じていました。出し尽くしている感じではなかったですね。朝原さんの潜在能力を引き出さないとメダルはないと思っていましたから。技術や経験だけで3位争いを勝ち抜けるほど甘くはありません。それに加えて「朝原さんとリレーで走るのは最後」という思いもありました。最後だから全力を出し切ってほしい。北京のあとの個人レースが全力じゃないとは言いませんが、本当に仕上げて走るのは北京が最後でした。「ここまで来て、気持ちよく終わらせないわけにはいかない」という個人的な気持ちも含んだ言葉でした。
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●詰まるのは渡す方の責任
高平はバトンを受けるときは自分の出方が渡し手の走りを左右すると言い、バトンが詰まるのは「渡す方の責任」と言う。常識的に考えたら、詰まるのは出る方の責任である。最初は話の勢いでそう言ったのかとも思ったが、確認すると言葉のまま、その通りの意味だった。
高平 出る方が完全に出遅れたらどうしようもありませんが、多少の出遅れなら渡す方が詰まることを解決すべきです。“待てばいい”だけですから。それができないのは力がない
練習後の食事でウィグライプロを手にする |
から、勇気がないからです。バトンを受ける側も、受け取る位置で走りやすい、走りにくいがあります。末續さんから「高平はどの辺で渡ったら気持ちよく走れる?」とよく聞かれました。ロンドン五輪では4走の飯塚に詰まった状態のまま渡してしまったんです。飯塚が走りやすくなる位置まで待てなかった。予選は飯塚が走力でカバーしてくれましたが、決勝はカバーできないくらいになってしまった。0.0何秒かの違いですが、そこが次の走者の走りを左右します。特に走りが崩れるタイプの選手にとってはロスが大きくなる。0.1秒とか0.2秒違ってくることもあると思いますよ。そこが上手くいったらメダルが見えましたよね。自分だけが責任を背負うような考え方はしません。それがチームだと思っているので。でも、細かく言うと責任を感じるべきところです。先ほども言ったように、ロンドン五輪チームはバトンを詰め切れていなかった。北京チームは2年間固定されていたし、それまでの蓄積もありました。走力はチーム内にいた感覚では、ロンドンの方が上でした。北京は各選手の持ちタイムではロンドンより上でしたが、あのシーズンに関しては記録ほどの走力はなかったと思います。でも、ロンドンは北京ほどバトンが完成されていませんでした。そういうレベルまで詰めてやっていかないとメダルは取れないということです。
Part6につづく
今後は以下のような展開で高平選手の言葉を紹介していく予定です。
【Part1】予選のコール場で感じた期待感の正体
【Part2】決勝前、選手村の24時間。北京五輪との違いは? <テーマ>「次回があると思ってはいけない」
【Part3】直前のサブトラックと緊張感がマックスに達するコール場
【Part4】“冷静な3走”を極める<場面>トラックに出てからバトンパス直前まで
【Part5】リレーの“思いやり”は究極の技術<場面>2・3走のパスと3・4走のパス
【Part6】<テーマ>8年間の成長 <場面>3走を走っているときの感覚
【Part7】<テーマ>リオへのスタート <場面>5位でフィニッシュした直後。帰国後
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