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僕も今回の山縣と同じ大学2年でアテネ五輪に出ました。3走を走って末續さんと朝原さんの間をつなぎましたが、あれは松田(亮・広島経大)さんが走るべきポジションでした。松田さんは世界陸上に2回出て、あのときのメンバーと以前から共有する時間が長かったのに対し、僕は初めてのシニア代表でゼロからつながないといけなかった。4位という結果が出ましたが、当時の自分にはその大役に対する覚悟を固められるほどの実力がなかった。オリンピックは、そんな半端な気持ちで臨んではいけないものだと思います。
4×400 mRも同じで、北京五輪で400mHの為末さんが走りましたが、金丸(祐三)が走れない状況の中で、彼しかいける人間がいなかった。逆に言うと、“彼じゃなきゃダメなんです”という感じではなかった思います。そういう形になると勝負の面では厳しい。為末さんの競技者としての経験や魂を、マイルの伝統を受け継ぐ中に注入はできたかもしれませんが。為末さんを出した時点で日本は苦しくなっていたと思いますね。
アテネ五輪の4×100 mRメンバー。左から土江、末續、高平、朝原、補欠だった松田<写真提供:高平慎士>
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