ウィグライプロスペシャル 第8回

高平慎士、真夏の夜の“夢の続き”

                  【Part4】“冷静な3走”を極める

                 【Part3】直前のサブトラックと緊張感がマックスに達するコール場からのつづき
●“景色慣れ”
 トラックに姿を見せた後、4×100 mRの選手たちは何をしながら待っているのだろうか。マークの位置(足長)を決めるだけでなく、その会場特有の雰囲気のなかで、前走者がバトンを持ってくるシーンをイメージしておく必要がある。

高平 スタジアムに入ったらまず、“景色慣れ”をしないといけません。スタンドから受ける圧迫感がサブトラックとは違いますから。3走のポジションに立って「江里口がここに来たらこう見えるだろうな」とイメージします。そして足長をどうするかを考える。直前のサブトラックで1〜2回練習をしますが、本番会場は風が違ってきます。変えるときは前の走者と相談しますね。直前で風が変わったら、相談しないで変更することもあります。北京五輪の決勝は30足長を29.5足長に変えました。末續さんが少し不安そうなことを話していて、「あとはオマエに任せるよ」と言われて、任された分が0.5歩かなと判断しました。ロンドン五輪の江里口とは28足長の予定で、そのまま行きました。目印のテープを貼って“出(で)”の練習をします。「江里口がこう走ってきて、ここに来たら出る。自分の走っていくところはここで…」。2〜3歩全力で出ます。ロンドンは寒かったので、バトンゾーンに入るくらいまで(10mくらい)しっかりと走りました。その段階になって、自分の動きをどうしようと考えることはありません。変えられないですね。サブトラックで固めてきていますから、そこで動きを変えてバトンの感覚とずれてしまうことの方がリスクがあります。

●スタート後もレースをしっかり見る
  国同士の対抗戦で世界一を決める舞台。Part3で紹介したように個人種目とはまた違ったプレッシャーがかかる。朝原さんは著書の「肉体マネジメント」(幻冬舎新書)のなかで次のように記している。
「スタートを待っている間、僕は3走の高平君の方をチラチラ見ていました。もしかしたら高平君が手を振ってくれるんじゃないかと思ったのです。すると、以心伝心、高平君は、こっちを見て手を振ってくれました」
 いつもは、手を振るようなことはなかったという。

「ピストルが鳴り、塚原君がスタートしました。末續君にバトンが渡る。そして末續君が走っている最中、なぜか僕はいきなりワァーっと大声をあげ、叫んでいました。気合を入れるためなのか、リラックスするためなのか、自分でもわかりません。とにかく、冷静でいようと努めても、できなかったのだと思います。冷静にしていると逆に、意識が他に行ってしまいそうでした」と。
 そもそも朝原さんは、レースをずっと見ていな 食事後にウィグライプロをむこともある高平
い選手。ポイント、ポイントでチェックするだけだ
ったという。「レースを見るとそちらに神経が行って、自分本来の走りができなくなってしまう。そのくらいに、あの場の雰囲気には、引き寄せられてしまう何かがあるんです」

高平 それまでの朝原さんからしたら、トラックで叫ぶなんて考えられません。そのくらいの緊張感に支配される場なんです。僕も大声を出すことがありますよ。メンバーとのコミュニケーションも緊張感を和らげてくれます。アイコンタクトはよくやります。問題がないかを確認する意味でも。必要があれば相手のところに行って声をかけます。最終的にスイッチを入れるのは、レーン紹介で一番外のレーンのアナウンスが終わったあたり。スターターの「オンユアマーク」の声で息を大きく1回吐いて、さらに気持ちを入れます。ロンドン五輪は特に、スタートラインにつくまではあまり集中していなかったように思います。200 mも4×100 mRも、その場に立ったら切り換えられました。
 僕が朝原さんと違うのは、レースをしっかりと見ていることです。1走はパノラマ写真みたいに広い視野で見ていますね。「この国が出ているな」とか「山縣が良いな」と見ている。2走の後半になるとだんだん視界を狭くして、3人くらいを見ている気がします。2走がレーンのどこを走っているかもチェックします。さらに日本チームの1人に集中していきます。直線を走ってくる選手を見るのは3走だけです。カーブを走ってくる選手を見るのと比べ、圧迫感がまるで違う。僕は雪崩に遭ったことはもちろんありませんが、そんな感じじゃないでしょうか。雪崩のなかで唯一知っている顔が走ってくるのを見分ける。信頼しているから逃げずに待っていられる。信頼しているから落ち着いて出られる。国内のレースではそこまで圧倒される感じはありませんけどね。アジア大会もマークするチームが限られますから、そこまで感じることはないですね。オリンピックと世界陸上だけだと思います。

2012年12月のアスレッティックアワードではロンドン五輪5位入賞が評価されて、4×100 mRメンバーが優秀選手賞を受賞

●待ち時間の10秒の違い
 レースを見ながらも高平は、引き込まれてしまうことはないという。冷静に戦況を把握するように努めている。実際、北京五輪の予選(1組)では「落ちたな」と感じながら走っていた。結果的にアメリカなど4チームがバトンミスで途中棄権する事態になり、日本はその組2着で通過したが、走っている最中は落ちることを予測していたというのだ。前向きな姿勢がパフォーマンスにプラスとなるのがスポーツ。それなのに高平は「落ちたな」と考えながら走っていた。

高平 北京五輪の予選は1走の塚原が走れていませんでした。決勝は別人でしたけど。2走の末續さんも。2走が迫ってくる感じで遅れているのがわかります。自分のチームが前の方を走っていたら、ちゃんとポジティブに考えます。後ろを走っていても、「巻き返すぞ」と前向きに考えられます。ガチガチになることはありません。だから、レースは見ていて損をすることはないんです。
 アンカーの人はスタートしてから30秒間の待ち時間ですが、3走は20秒間です。その違いでアンカーの人はレースを見ているのが難しいのかもしれません。僕も初めて4走をやった2006年のドーハ・アジア大会は、2回のバトンパスを見ていてそわそわしてしまった。2走は10秒間と短いので、「すぐ来てしまう」という感覚。3走は冷静に見るのにほど良い時間なのかもしれません。
 前に出ているな、遅れているな、という感覚はずっと持っています。調子が良いときは、あそこが早出したんじゃないか、というところまでわかります。だから、北京五輪の予選はバトンを渡して2位にいるのがわかって、すぐ近くにゲイ(アメリカ)がいてビックリしたんです。「なんでアメリカがいるんだ?」って。インには緑のユニフォームの国がいて、外にはどこがいてとチェックできましたね。僕はそのくらい冷静でいられます。
ロンドン五輪の3→4走のバトンパス。このときも内側のフランスが、
日本のレーンにはみ出してきていた(写真はアスレティックアワードの際に上映された映像)

●3→4走の密集ゾーンでの危機回避
 「3走には冷静さが必要」とは陸上界では一般的にも言われていることだが、高平の言う“冷静さ”はレベルが高い。世界大会決勝で実行できる“冷静さ”なのだ。その冷静さが、4走へのバトンパスでも大いに役立つ。3→4走のバトンパスは他のバトンパスにはない密集ゾーンである。それまでの2箇所のバトンパスは各チーム(=各レーン)の位置に段差がついているが、それが4走のところで一気になくなる。1つのレーンを2人の選手が走り、両隣も同じ状況になっている。

高平 3走から4走へのバトンパスが“密度が高い”ゾーンです。僕らはよく「ごちゃごちゃ」という形容の仕方をしますが、両隣から選手が迫ってきて接触することも茶飯事です。バトンパスのなかで一番ミスやアクシデントが起こりやすい“危険ゾーン”でもあります。実際、2001年のエドモントン世界陸上では、3走の藤本(俊之・東海大)さんが隣のレーンの選手にヒジ打ちをされてバランスを大きく崩しました。4走の朝原さんがスピードを緩めてバトンを受けたんです。それで4位ですから、あれがなかったらメダルが取れていたかもしれません。そういった経験が日本チームには蓄積されています。僕が北京五輪でレーンに侵入してきたカナダを避けられたのも、過去の経験が生きています。でも、そういう状況ですから、どこがリードしているかはわかりにくくなる。北京五輪の予選はバトンを朝原さんに渡して周りを見て、初めて2番にいるのがわかりました。でも、バトンを渡した後は、後ろからですけど順位はわかります。ロンドン五輪の予選くらい競っていたら難しいですけどね。
 3走はレースを見ている20秒の間で、レースに引き込まれるのでなく、冷静でいないといけません。バトンを受けるときもしっかりと相手の走りを見て判断する必要があるし、渡すときは周囲に気をつける必要もある。熱くなって良い結果が出ることもあるでしょうけど、僕はそうならない方がプラスが多いと思っています。ロンドン五輪のブレイク(ジャマイカ)も、自分の役割を果たそうという意識が強かったように見えました。

【Part5】リレーの“思いやり”は究極の技術につづく

今後は以下のような展開で高平選手の言葉を紹介していく予定です。
【Part1】予選のコール場で感じた期待感の正体
【Part2】決勝前、選手村の24時間。北京五輪との違いは? <テーマ>「次回があると思ってはいけない」
【Part3】直前のサブトラックと緊張感がマックスに達するコール場
【Part4】“冷静な3走”を極める<場面>トラックに出てからバトンパス直前まで
【Part5】リレーの“思いやり”は究極の技術<場面>2・3走のパスと3・4走のパス
【Part6】<テーマ>8年間の成長 <場面>3走を走っているときの感覚
【Part7】<テーマ>リオへのスタート <場面>5位でフィニッシュした直後。帰国後


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