重川材木店
密着ルポ
2010-11

第2回
ニューイヤー駅伝迫る!
                    第1回 5年ぶりのニューイヤー駅伝出場
                         第3回 “次”が見えたニューイヤー駅伝

 いよいよニューイヤー駅伝本番が迫ってきた。区間配置もほぼ決まり、選手たちは具体的な走りをイメージしながら気持ちを高めている。そんな状況でもいつものように、仕事をしながら練習に励むのが重川材木店の選手たちである。職場の理解や励ましを肌で感じると、選手たちのやる気も上昇する。そんな選手の1年間を、練習と直前の選手たちの思いを合わせて紹介していきたい。

@目標は30位以内

●1、2区で好位置に
 メンバーの中で社歴が一番長いのが入社4年目になる村井健太。その村井が1区を務めることになりそうだ。
「やっと1区を走れるな、という気持ちです。学生時代(大東大)の箱根も全日本も出雲も、すべて1区でした。出場はできませんでしたが、スバルに在籍したいた頃も、ニューイヤー駅伝の1区を希望していました。スピードにはそこそこ自信がありますし、最後までついていってスパートするのが好きなんです」
 1区の重要性も十二分に認識している。30位以内というチームの目標を達成するには、2区のジョン・カギアで20位台前半に上がる必要がある。
「1区で崩れて追い上げられるチームではありません。ジョンが走りやすい位置で2区につながないといけない。そのためには20位前後の集団にくらいついていきます」
 社歴が長いだけに、職場へ恩返しをしたい気持ちも強い。
「自分の班では本来なら、自分と岩倉(駿)が掃除や整理整頓を率先してやらないといけない立場ですが、4年間、(週に数日は)15時で上がらせてもらっています。工期が迫って他のみんなが残業していることもあります。他にも色々と助けてもらっている。そうしてつかんだニューイヤー駅伝出場です。棟梁たちも応援に来てくれるので、なんとしても、しっかりと走っている姿を見せたいですね」
希望していた1区を任された村井


           カギアはインターナショナル区
           間の2区でどこまで順位を上
           げられるか
 2区のジョン・カギアは来日3年目。ニューイヤー駅伝が「一番大事な大会ですね」と流暢になった日本語で話す。2区はインターナショナル区間とされていて、在日外国人が集中する。
「ケニア選手が15人くらいいるなかで、8番くらいにはなりたい」
 調子は良い。10月と12月の2回の記録会でともに、28分35秒で走った。同じタイムではあるが、12月は風邪をひいて体調がよくないなかで出した記録だ。「28分00秒で走れるくらいの練習はできています。近くに強い選手がいたら、(ハイペースでも)一緒に行けると思う」と自信を見せる。
「30番でタスキが来て23番まで上がるというのは、社長の考え。私が考えているのは、15番まで上がりたいということです」
 序盤の1、2区でできる限り前につけること。それが今回の重川材木店の最重要戦略といえる。

●エース区間も区間30位以内で
 3区は岩倉駿が予定されている。チームで最もスピードがあり、速い展開になる3区に適性がある。ただ、集団で走ることができるか、1人で走ることになるかは展開次第。
「どういう展開になっても、自分の走りができるようにしておかないといけない」
 チームの目標である30位以内を達成するには、「全員が区間30位以内で走ればいい」と、岩倉は言う。一概に言い切れないが、そう考えてほぼ間違いないだろう。特に重川材木店の場合は2区のカギアである程度順位を上げることができる。その後の選手が区間30位前後で走り続ければ、チーム順位が30位より落ちていくことはないはずだ。
「チームの力として、それは可能だと思っています。自分がコケたりしないよう、本番に向けて1日1日しっかりと調整していきたい」
 レースに向けて調整していくのは岩倉の得意とするところだが、取材した時点ではまだ、「若干、スピード感覚が戻らない」と悩んでいた。ペース走では「集中力が途切れるというか、走っていてきつく感じることがある」という。反面、「インターバルは集中してやればなんとかなる」とも。
「それを上手くレース形式につなげていけば、自ずと自分の走りができるようになる」という手応えはある。
3区はスピードが特徴の岩倉。インターバル練習が調整のカギとなる
 最長区間である4区は河野孝志が走る。
「チームの流れが自分にかかっている。(各チームのエースが集まるため)区間30位ちょっとでも合格点ですが、区間27〜28位では走りたい。1人になったら自分のリズムで行きますが、集団になったら絶対について行って、競り合いになったら絶対に勝つつもりで走ります」
 河野は青森山田高、城西大と駅伝に力を入れている学校の出身。全国高校駅伝は3年間出場し、箱根駅伝でもエース区間の2区を走った。ところがニューイヤー駅伝だけは出場できなかった。強豪の富士通に2年間在籍したが、ケガに悩まされ続けた。移籍した東邦リファインでも、あと一歩というところで予選を突破できなかった。
「複雑な気持ちでした。僕がやめた次の年に富士通がニューイヤー駅伝で優勝しましたが、見ていてもどかしい気持ちがありました。やっぱり“走ってなんぼ”の世界に身を置いているわけです。簡単に出られなかった分だけ、今回は楽しみにしています」
 それだけに、最長区間を走ることの重要性もしっかりと認識している。優勝を争うような層の厚いチームであれば、チームで5〜7番目の選手が故障や病気で走れなくなっても、大きく戦力ダウンすることはない。しかし、重川材木店で最長区間の選手が抜けてしまったら、戦力ダウンは著しい。
「なんとしても走らないといけない」
 北陸予選後に貧血で走れなくなったが、すぐに対処してAチームの練習に戻ってきたのも、エースの自覚の表れだろう。
最長区間の4区を任された河野
(左)と、タフな5区を走る高橋

●重川材木店で力を発揮できる選手
 5区は高橋秀昭が受け持つ予定だ。4区よりも距離は短いが、アップダウンがあることや、終盤が向かい風になることが多く、スピードだけでなく“タフさ”も求められる。
「駅伝の走り方は、最初に突っ込んであとはどこまで粘れるか、です。しかし、5区後半の強い向かい風を考えると、後半で大崩れしたらチームに迷惑をかけてしまう。集団が少し前にいたら、多少突っ込んでもそこに追いつきますが、ひとり旅になったら初めの1〜2kmでペースをつかんで、最後までそれで貫く走りをしたいと思います」
 ニューイヤー駅伝の6区以降は向かい風が強くなるのが普通で、思い切った走りができなくなる。どうしても順位変動が少なくなるのだ。30位以内が目標なら、5区までに30位以内に位置することは絶対条件だ。
「4区まで27、28位くらいで来ていると思うので、その順位をキープするか、少し上げたいですね。もしも30位以下でタスキを受けたら、30位以内に押し上げたい。個人的には区間20〜25位では走りたいと思っています」
 高橋は重川材木店に移籍してまだ1年目だが、職場にしっかりと溶け込んでいる選手。村井と同様に、職場への感謝の気持ちを持ってニューイヤー駅伝を走る。
「腰に負担がかかるからと、試合が近づくと重い荷物を持つ作業を減らしてもらったり、天気の悪い日は雨に濡れない作業にしてもらったりと、気を遣ってもらっています。重川材木店にこの選手がいるぞ、と堂々と言える走りをして、職場の人たちに恩返しをしたい。次のレースがあるとき、『しっかりやってこいよ』と言われるようになりたいですね」
 4区の河野は広報の部署であるが、試合が近づくと雨天時の外出は控えるように計らってくれたり、職場の人間がマスクを付けて風邪を移さないようにしてくれたりする。「社員の方がいて初めて、仕事と競技の両立ができる」と河野。
 重川材木店と、通常の実業団チームとの一番の違いがここにある。しっかりと仕事をしている選手が、競技でも力を発揮しやすい環境となっている。選手の職場への思いが、ニューイヤー駅伝でも力となるはすだ。

「レース当日に向けて私の役割を淡々とやっています」
 取材が予定されていた日、新潟はあいにくの雪に。練習場所が急きょ前橋に変更され、陸上競技場近くのホテルに2泊するミニ合宿が行われた。新潟から車で約3時間。朝の9時に出発し、昼には前橋に着く。
 当日の練習場所変更をするには、選手の所属する各部署に連絡を入れ、ホテルの手配も済ませる必要もあった。そういった部分は重川隆廣社長兼総監督の出番である。以前にも紹介したが、重川社長は朝の5時台には出勤して、その日の段取りをいち早く済ませている。
「天候と仕事と練習の兼ね合いをどうするか。そこは、私が判断しないといけない部分です」
 5年前の初出場時に比べると、平常心に近い。当時は「ニューイヤー駅伝でも頑張るんだ」と肩に力が入っていた。「選手の力量も良く見えますし、レース当日に向けて私の役割を淡々とやっています」
 その1つが、今回の練習場所変更のように、選手のために環境を整えることだった。
「前回は創部3年目で初出場。仕事との兼ね合い、練習、合宿、他。今はチーム運営に必要なことが見えてきています。チーム運営も、以前よりもスムーズに進んでいると思います」
 社員60人の重川材木店がチームを持つということは、大会社がチームを持つことと比べ、まったく異なる苦労がある。重川社長のように競技に理解のある経営者がいて初めて、実現できている。

重川社長

A選手たちを成長させた取り組みにつづく


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