重川材木店密着ルポ2009-10
最終回 再スタート

第1回 新人たちが強くなる道筋
第2回 主力選手たちの熱き思い

 “大工のチーム”として、仕事と競技の両立を目標に頑張っている重川材木店。2度目のニューイヤー駅伝出場を目指したが、2チームが出場権を得られる北陸実業団駅伝(11月15日・岐阜県下呂市)で3位と敗れ、本番への道は絶たれた。1区の早稲田遼がブレーキ(レース後にインフルエンザと判明)、2分ものビハインドを背負ったのが響いた。だが、主たる敗因はそこではなかった。チームの弱点を分析し、それを克服するための取り組みはすでに始まっている。“大工のチーム”は再び走り始めた。

@力を出し切るための練習を

6区で逆転不可能な差に
 北陸実業団駅伝の6区(11.6km)。繰り上げスタートで重川材木店と高田自衛隊、併催の中部実業団駅伝出場の滝ヶ原自衛隊にオープン参加を加えた5チームが同時に走り出した。重川材木店の6区は練習への姿勢が積極的な登石暁である。ライバルの高田自衛隊には2分03秒差をつけられつつも並走する、という形だった。
「7区に渡す段階で高田自衛隊をリードしていないといけない。チームの勝敗を考えたら一か八か、ハイペースで飛ばすしかありませんでした。でも、向かい風もあってペースを上げられず、結果的に風よけに使われただけで終わってしまいました」
 6kmから離され、高田自衛隊とはさらに19秒の差がついた。5km前後を粘ったが、登石自身は「粘れたのかどうか」と憮然とした表情で言う。
 アンカーの手塚大亮には2分22秒差でタスキが渡ったが、登石が先行できなかった時点で、ニューイヤー駅伝への道は閉ざされたといってよかった。手塚はさらに差を広げられ、2位の高田自衛隊から3分53秒差の4時間22分55秒でフィニッシュした。
北陸実業団駅伝では3位。アンカーの手塚大亮が4時間22分55秒でフィニッシュ 6区でタスキを受ける前の登石。
積極的な走りをしたが実を結ばなかった

自責の念にかられる村井
 5区(14.0km)の村井健太も、高田自衛隊に1分ちょうど引き離された。追い上げる態勢をつくるべき区間で、それができなかった。
「最後はバテバテで、まともに走れませんでした。自分が繰り上げスタートの当事者になるのも初めて。そんな人間が走っていいのか、と思いました」
 村井の口からは、自身に対して厳しい言葉があふれた。
「1区の早稲田が普通に走ったとしても、僕の走りでは負けていました。3区のジョン(・カギア)がつけてくれる差を守ればニューイヤー駅伝に行ける、という思いが僕らにあった。だから、今回のような目にあうんです。高田自衛隊は1人1人が、攻める気持ちが強かったと思います。僕らは完全に守りに入っていました。それでは取り返せません。優勝したYKKとは12分11秒差ですからね。恥ずかしいとしか言いようがありません。今の力では仮にニューイヤー駅伝に出たとしても、最下位だったと思います」
 1区で2分の差をつけられたことで、駅伝の流れが悪くなったのは確かである。だが、2〜4区では、重川隆廣社長兼総監督の設定したタイムで走っている。4区終了時点では高田自衛隊と1分03秒差。5区に村井、6区に登石と、チーム内でも最もよく練習する2人を配していた。
 ところが、ここからが勝負というところで逆に、差を大きく広げられてしまったのだ。設定タイムにも届かなかった。練習を頑張っている選手が結果を出せない。重川社長は敗因を「練習の成果をレースに発揮できないこと」をあげた。
閉会式に臨んだ重川材木店のメンバー。
村井(右)も岩倉(中)も次への決意を大きくした

本当の敗因は?
 重川社長には思い当たることがあった。自身もかつては長距離ランナー。県レベルだったが、情熱だけは人一倍持っていた。今のように“ポイント練習”という考え方が普及していなかった時代で、毎日のように全力で走っていた。
 中学で1学年後輩だった鶴巻健監督は試合で結果をだし中学・高校で県のチャンピオン。それに対して重川社長には、練習はできてもレースで結果を出すことが少なかった。
「今回、ウチの選手たちは練習でやったことがレースで発揮できませんでした。練習とレースの間に歯車をもうひとつ、噛み合わせる必要があると感じています」
 選手たちもそこを真剣に考え始めている。
「レースの設定タイムで確実に走るための練習をしようと思っています」と村井は言う。
「今回の5区の設定が42分30秒でした。そのタイムで“行けるだろう”という練習はしましたが、その程度の準備や気持ちで駅伝をやると今回のようになるんです。何があっても設定タイムをクリアできるような練習をします」
 重川社長は「レースになるとリズムを崩している」と見ている。ゆっくり入ってビルドアップしたり、他の選手について走ることはできる。ラストもしっかりと走る。だが、1人でレースペースで走ると、本人の走りやすいリズムが壊れている。
「そうならないように、1人でもレースペースでトレーニングをしていくことも大事だと思います。どのチームも練習の基本は距離走とペース走、そしてインターバルの組み合わせだと思います。距離走はレースよりもかなり遅い。ペース走は後半でレースに近いところまで上げることもありますが、前半はレースよりもかなり遅いです。インターバルはレースペースですが、ウチは1000mを集団でやりますから1人で走るのとは違って押していけます。普段のメニューに1人で押していくものがありません。それをどのように組み込んでいくか」
 その方法をこれから、選手たちと模索していくことになる。

4区中継前の岩倉。設定タイムを上回る好走を見せた
唯一、力を出し切った選手
 今のトレーニングでも結果を出しているのが、4区(13.9km)を走った岩倉駿である。区間3位だったが、高田自衛隊もエースを起用してきた区間。重川社長の設定したタイムを唯一、上回った選手だった。
 調整能力が優れていることが一つの要因だが、岩倉自身はどう分析しているのだろう。
「僕自身は、緊張があると試合で出せなくなると感じています。練習と試合の差を小さくすることが1つの方法です。試合と同じ集中力で練習をするのは難しいですけど、たまに設定以上のタイムでポイント練習をやることがあります。そういうときは集中していますね」
 北陸実業団駅伝では「力は出し切ったかな」と思う反面、自身で納得のいかない部分もあった。
「今回の北陸実業団駅伝に限っては、緊張してしまいましたね。アップダウンへの苦手意識も影響したかもしれません。そういう緊張をなくし、逆に楽しめるようにできないかな、と考えています」
「レースが楽しい」という言葉も、岩倉からはよく聞かれると重川社長も話している。「周りを考えずに突き進める。何事にもプラス思考になれる選手」という評価だ。
 感覚的な部分であるし、精神面も関わってくるところ。個人差があるので真似をするのは難しいのだが、「全てを試合に直結させるような方法を考えています」と言う岩倉のやり方から、何かを学ぶことができるかもしれない。
A重川材木店らしい新人の加入につづく


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