重川材木店密着ルポ2005
第1回 “一風変わった”新人選手たち

 北陸の新興実業団チームの重川材木店。重川隆廣社長の理念である「大工のチームでニューイヤー駅伝に出場」を目標に掲げるユニークなチームだ。本サイトでは昨年「崇高なる職人ランナーたちの挑戦」と題して、その特徴を詳しく掲載した。その重川材木店にこの春、多くの選手が加わった。経歴はまさに十人十色。重川材木店という独特の環境に飛び込んだ“一風変わった”新人選手たちを紹介しよう。

@  原田正彦
箱根駅伝2区区間賞の意味

 下記の10人が、今年4月に入社した選手たちだ。
●ジェームス・ゲタンダ(ケニア)
●原田正彦(早大⇒ヱスビー食品)
●吉田 繁(駒大⇒愛三工業)
●鍋城邦一(札幌日大高⇒コニカミノルタ)
●進藤英樹(湯沢商工高⇒日立電線⇒佐野建設)
●松本真臣(学法石川高⇒駒大中退⇒郡山自衛隊)
●後藤 順(報徳学園⇒山梨学院大)
●川瀬久人(明石南⇒駒大)
●佐々木 祐(光南高)
●須田幸愛(新潟第一高)

 エリート選手がストレートに入社する環境ではないことは、チーム側も予想していたこと。入社後の叩き上げ選手が強くなればいい、と、口で言うのは簡単でも、それだけを待っていたのでは、今季のニューイヤー駅伝出場という大目標を達成できない。そこで注目されるのが、新人選手のリストに原田正彦の名前があることだろう。

6月11日の新潟陸協夏季長距離記録会5000mに14分33秒1。トップでフィニッシュした原田

 2002年の箱根駅伝2区の区間賞選手。岩水嘉孝(順大→トヨタ自動車)が肺気胸で出場できず、徳本一善(法大→日清食品)も途中棄権したレースとはいえ、学生間だけでなく、実業団でも通用する力がないと取れない区間賞だ。金看板を持った選手が入社した。その原田が、実業団駅伝は箱根駅伝とは、まったく違うものだと認識している。
「箱根は学生の中だけの世界。自分と同学年や、前後の学年だけを気にしていれば事足りましたが、実業団では世代の枠を超えて、“強い選手”と勝負をしていかなくてはなりません。学生駅伝はチームの結果に一喜一憂しますが、実業団駅伝は“自分のレース”として走っている。個人の出来、不出来が際だって見えます。つねに自分の目標に向かって挑戦していく意識の高さが問われるのでしょう。自分はブランクもあり、実力的にまだ、そのレベルに達していません。だからこそ、目標とするのに価値がある大会なんです」
 このように話す原田が、重川材木店で課せられた使命は、チームのエースとしての走りだ。陸上競技部の総監督でもある重川社長は、原田への期待を次のように話した。
「ニューイヤー駅伝では2区も期待しています。レースを見ても、終盤で大きく崩れることがない。練習も、自分の状態に合わせて調整できる選手だと感じました」

 原田は早大卒業後、エスビー食品に進んだ。改めて紹介するまでもないが、オリンピックや世界選手権代表を何人も輩出してきた名門チーム。過去の早大エース選手たちと同じ道を、原田が選択したのも当然だった。
 しかし、箱根駅伝以降、原田の名前が報道されることはほとんどなかった。5000mで14分11秒と、学生時代の記録を約13秒更新したが、このタイムでは実業団ではまったく通用しない。
 だからといって、原田のモチベーションが低くなっていたわけではない。その逆で、多少の痛みがあっても、それを押して練習をしてしまうことも多かった。その結果が、左ハムストリング(大腿裏)の故障につながり、昨年7月に完全に走れない状態に。9月からジョッグは再開したが、リハビリは現在も継続中。結局2004年度はレースには1回も出られなかった。そして12月に、次年度の契約更新をしない旨、通告を受けた。
「自分ではあきらめきれない気持ちも強く、走る環境を探してみようと思いました。12月に通告される以前から、そういう状況になるのは感じ取っていたので、選手を集めているチームの情報に気を配っていたんです。福岡国際マラソンで萩野(智久)さんが走っているのを見て、それから重川材木店のことを意識するようになりました」
 早大とエスビー食品を通じて先輩にあたる花田勝彦・上武大監督を通じて、重川社長を紹介してもらい、3月に話し合いをして入社することが決まった。今春から新潟市の寮に引っ越し新潟登録となったが、リハビリ治療を続けながらのトレーニングとなるため、埼玉県に長く滞在することも。
「仕事をしっかりやる選手という社長の考えもよく理解できたので、常に新潟にいて仕事をする選択肢もありましたが、仕事と練習と治療のバランスを考慮して、今の形を選択しました。ニューイヤー駅伝に出場するため、自分が何ができるかを考えた結果です」

6月12日の新潟県実業団対抗1万mのレース後の1シーン。
左が30分31秒13で2位の原田で、右が1位のオツオリ

 5月の北陸実業団が、故障からの復帰戦。オープン参加した5000mで14分18秒31。ゲタンダが1人13分台(13分53秒24)を記録し、原田は北陸実業団駅伝で対戦するYKKと高田自衛隊の選手たちと4人で競り合った。1万mもオープン参加で、29分48秒63で3番目のフィニッシュ。まだ完全な状態ではないなかで、底力を感じさせる走りを見せた。6月にも再度、2種目を2日間連続して走っている。
「北陸実業団はYKKの選手たちと一緒でしたから、そのときの力をできる限り発揮したレース。それに対して6月の連戦は、調整なしでどのくらい動くかを見たレース。6月の方が、重川材木店の選手として、スタートを切った感じですね。脚は完治はしていませんが、大きく崩れることはないと思います」
 11月の北陸実業団駅伝に向けて自身を作り直すための第一歩でもあった。しかし、箱根の2区で区間賞を取ったときの力にまだ戻っていないのは、自身が一番わかっている。
「箱根の2区の区間賞を取ったというだけで、実業団でやっていけるわけではありません。今、現実的に強いのか、弱いのかが問題とされます。今の記録なり結果なりが大事であって、箱根の成績は意味がなくなっています」
 過去の栄光だけで食べていける世界ではないことを十二分に理解した上で、原田は重川材木店で再スタートを切った。

A吉田繁、川瀬久人、松本真臣 駒大の同学年トリオが新潟に集結
Bジェームズ・ゲタンダ 欧州のラビット経験選手 Cチーム運営改善にも着手

重川材木店のサイト
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