年末スペシャルA
発表!! 寺田的陸上競技WEB年間最優秀選手
為末室伏高橋
T選手のひと言がきっかけで……

 3人も選んだら“最”優秀ではなくなってしまう、というご批判もあるだろう。口の悪い読者は「ペテンだ」と言うかもしれない。今どき、ペテンなどという言葉を使う人がいるのか、という疑問はあるが…。

 3人とも最優秀としたのは、ある五輪選手のひと言がきっかけだった。仮にT選手としよう(……頭文字Tの五輪選手は、何人もいるな)。
 10月もおしつまったある日曜日、ある競技会の取材中にT選手にスタンド下で出くわした。挨拶代わりに「今年の日本陸上界の最優秀選手は誰だと思う」と、質問した。福岡国際マラソンが残ってはいるが、トラックシーズンはほぼ終わり、3人のうち誰が最優秀にふさわしいかと考えている最中だったのだ。
 メディアの人間に対し「我々選手は別の世界」という感じで壁を作ってしまう選手もいるが(年齢的な要因もあるだろうが)、T選手はメディアの人間にもフランクに、かつ理論的に自分の考えを披瀝できるクレバーな選手、という印象が強い。つまり、我々に対しても“普通に”話のできる選手だ。

「為末じゃないですか」
 即答だった。T選手のことだから、寺田と同様に「今年は難しいですね」と、あれこれ3人の功績を検討し、少しは考え込むものと予想していたのだ。それが、問うやいなやの回答。
「室伏も銀メダルだし、高橋尚子は世界最高だけど」
 というような、問い返しをしたのだと記憶している。それに対するT選手の答えははっきり覚えていないが、短距離種目でメダルはとにかくすごい、というニュアンスの答えだったように思う。
 T選手のように陸上競技のことを多角的に考えている選手でさえ、そうなのだ。
 直後に気づいた。
 自身も世界を相手に戦っている選手にとっては、スプリント系種目でのメダル獲得の困難さを、肌でもって痛感している。度合いの大小こそあれ、短距離種目(選手)のファンにとっても、同様だろう。あの伊東浩司でさえ、世界のファイナルには進めないでいる。いくら選手層が100 mなどより薄い400 mHとはいえ、そういった種目でメダルを取ってしまったのだ。短距離選手やファンなら、即座に2001年最優秀選手は「為末大」と言うのは当然だろう。

 つまり、そういうことである。今回の3人の功績を比較して、どれが優れていると結論を出すのは無理だと思う。結論を出すということは、とどのつまり、3人のうち誰の功績を好ましいと思うか、シンパシーを感じているか、という選ぶ側の主観が出ているに過ぎない。
 最優秀を選ぶとは本来、そういった無理を承知でやる行為でもある。だからこそ、個人の判断に委ねるのでなく、投票によって選定するケースが多いのだろう。主観による判断でも、数が多く集まれば公正さが生じる、という考え方だ。だから、個人が最優秀選手を選ぶ方式の「寺田的陸上競技WEB」では、今年のようなケースは選ぶのは不可能。陸上競技全種目を取材をする当事者であるメディアの人間には、とても3人から1人を選ぶことは、できないのである。

補足1
 中には、為末を選ぶ短距離ファンに、異を唱える人もいるかもしれない。いろいろなデータを持ち出せば、室伏の方が上と言えるかもしれない。世界においての記録的な部分、GPでの順位など室伏の方が上だろう。だが、その論拠も、例えばであるが、「競技人口は短距離の方が圧倒的に多い中でのメダル」という根拠で短距離ファンが為末を推したら、両者の主張する根拠はすれ違うだけである。どちらが優秀、とは判断しようがない。
 その人間の位置する環境によって、意見が違うのは当然のこと。国や民族、宗教が違えば価値観が異なるのと同じことだ。それは、不自然なことでもないし、互いが互いの立場を理解すれば、対立することはない(と、2001年の世界的な事件を目の当たりにして、強く思った)。陸上競技という複数の種目を包含する競技のファンは、互いの立場と意見を尊重することができるはずだ。

補足2
 当事者である選手自身も、この手の評価は気にしていない、と思う。ここまでのレベルに達すると、記録とかメダルとか、世間的にもよくわかる価値観とは別の価値観が生じてくるのかもしれない。

 年末のある番組で、野球のイチロー(シアトル・マリナーズ)が、「1年目で首位打者、盗塁王、アリーグMVPと達成してしまい、来年から何を目標にするのか、モチベーションが下がらないか」とインタビュアーに問われた。それに対するイチローの答えは、「そういった世間的な評価の部分を目標にしていたらそうでしょうね。でも、自分は違う」と答え、バッティングを追求していけばずっと面白い、というニュアンスのことを話していた。
 同じ愛知県出身というわけではないだろうが、室伏も同様の価値観を持っているように思う。常々、「メダルが取れる取れないよりも、世界の一流選手の中で戦うのが楽しい」と話している室伏。昨日(12月30日)放送されたテレビ番組では「記録も目標ですが、それよりも人間がどこまでやれるかっていう挑戦ですよね。その方が目標としても大きい」と、イチローとまったく同じ内容を話していた。
 第三者の評価はどうでもいい、というレベルと言っていいのだろうか――自信はないのだが。

 評価を得るために頑張るのではなく、自分の可能性を試すことが楽しい。だから、第三者の評価や記録を、気にしなくて済む。不純な動機がないぶん、自己の技を見つめられる。だから結果がついてくる。
 高橋尚子もシドニー五輪の際に「メダルよりも、ゴールした時にお互い“頑張ったね”と言える走りをしたかった」というコメント、「走ることが好きだから」という姿勢も、同様のものだろう。

 ということで、室伏はまず間違いなく「最優秀選手は誰か」という世間の評価を気にしないと思う。ただ、選手全員がそうかといえば、そうとは言い切れない。自分たちのやっていることを、世間から評価されたいと望む選手も多い。スタッフなどは当然、自分が支える選手を世間が評価してほしいと望んでいる。

 うーん、また結論がよくわからなくなってきた。要するに、同じトップアスリートでも、人間の考え方は異なるというか、同じ立場だから同じ考え方になるとは限らないわけで、「何言っているのか自分でもよくわからないんですが」は、渋井陽子の口癖だが。

その   (為末&室伏&高橋)