2002/10/14 ちょっとしたエッセイ
シカゴで2時間06分16秒!
高岡寿成のマラソン日本最高に思うこと

 現在、アジア大会取材のため釜山に来ている。10月14日の午前10時48分。韓国は初めてだが、キムチの臭いは聞きしにまさる。お弁当や定食料理には、必ずキムチ系の漬け物が3〜4品は付く。ホテルの近くのコンビニ(セブンイレブン)は、外から覗く感じでは日本と同じレイアウト、同じような品揃えにもかかわらず、一歩店内に足を踏み入れるとキムチの臭い。日韓の違いはハングル文字とキムチ臭だったと、実感しているところである。
 高岡寿成(カネボウ)が昨日(10月13日)のシカゴ・マラソンで、2時間06分16秒の道路日本最高記録をマークした。結果を知ったのは今朝(10月14日)の8時。インターネットの情報を通じてだった。
 それにしても、すごいレース内容だったらしい。新聞報道によれば、ハヌーシ(アメリカ)とテルガト(ケニア)という世界に2人しかいない2時間5分ランナーを向こうに、30km過ぎにスパートし、世界最高ペースで独走した。20kmまで世界最高ペースなら、誰にでもできる。30km以降、しかも世界歴代1・2位の選手を相手に、そういったペースで戦いを挑んだ点に価値がある。選手自身とすれば「勝負に負けて残念」(高岡)ということになるのかもしれないが…。
 32歳という表面的な年齢だけを見ると「ついにやったか」という感想を持っても不思議ではないが、今回がマラソン2回目、本格的に取り組んだのが昨年の世界選手権以後ということを考えると、「もうやったか」という思いが強い。しかし、初マラソンの福岡国際(昨年12月)の際、伊藤国光監督は「マラソンのキャリアは走っている年数ではなく、マラソンを意識している年数が重要。その点、高岡は初マラソンじゃないんです。半年前にマラソンをやると決めるのと、2年も3年も前から意識してくるのでは、その間にイメージできることがまったく違う」と話していた。
 日本のマラソン界には、大きく分けて2つの練習パターンがある。距離走(40km走など)で比較的きっちりタイムを追って、それを3カ月に何本とやるパターンと、そうでないパターン。高岡は後者のパターン。その辺は、昨年の福岡前にインタビューした際に話してくれたので、下記の記事をご覧ください。

スポーツ・ヤァ!032号(2001年11月22日発売)
Coming SPO-DULE 福岡国際マラソン
高岡寿成 緊急インタビュー


 詳しいスプリットタイムは未入手だが、高岡は今回、上記記事で触れている1km3分、5km15分平均ペースを破った初めての日本人選手となった。ペースに対する高岡の考え方は「2時間6分、5分を目標にすると、どこかで“すごい”と思ってしまいます。1km3分ならイメージしやすい」というもの。これは、福士加代子(ワコール)が5000mで、14分台を出そう、ではなく、1周72秒を刻もう、と考えてレースに臨むのと似ている。
 それはともかく、高岡は福岡時点では「1km3分ペースで走りきること」を、第一段階の目標にしていた。このあたりの詳しいことは、下記の記事を参照してください。

陸上競技マガジン2002年1月号
福岡国際マラソン 密着ルポ
[高岡寿成 アテネへのメダルロード]
31歳のマラソン初挑戦


 高岡の記事を書いたのは、最近ではこの2本と「初マラソンの高岡、驚異の走り込み!!」だが、陸マガ編集部に在籍していた頃にも、何本か書かせてもらっている。最初に取材したのは92年の5月。高岡が龍谷大4年時に5000mで日本記録を出す1カ月前だった。5月の静岡国際で13分40秒ちょっとの記録を関東以外の学生選手が出したということで注目したのだ。日本新を出す前に企画として取り上げたのが、ちょっとだけ自慢だった。その頃はまだ、手書きで原稿用紙に記事を書いていた時代なので、ファイルとしては残っていない。
 その後、自分が担当して大きな記事としたのは6年後の98年、5000mで2度目の日本新を出したときだった。この記事は手元にファイルがあるが、かなり長めの記事で読むのに時間がかかる(もしかすると疲れる読者が出るかもしれない)ので、掲載するかどうか、迷っている。
 その前にも、入社後初のハーフマラソンとなった97年3月の全日本実業団ハーフでも電話取材をして記事にした。その頃から少しずつ、マラソンを視野に入れ始めている。が、なぜかその記事のファイルは、今のソフトでは読み込めなくなってしまっている。
 まあ、そんな昔のことはともかく、上記の陸マガ福岡国際マラソン記事に高岡の以下のようなコメントがある。
「いずれ5kmを14分50秒で入って走りきる時代が来ます。先にテルガトがやってくれるかとも思ったんですが、そういった、人を驚かせるような記録を出してみたい。見ている人にもワクワクドキドキしてもらえる、夢を見ているようなレースをしたいんです」とも。
 高岡がマラソンをやると決めてから、彼との会話の中に頻繁にテルガトの名前が出てくるようになった。ゲブルセラシエ(エチオピア)がいるため金メダルこそ取っていないが、五輪・世界選手権では1万mで銀メダルを限りなく取っている選手。世界記録を出したこともある。同じトラック出身ということもあって、高岡も「好きな選手」とはっきり言っている。上記コメントからは、“なかなか近づけない存在”だが、尊敬し、目標としている選手というニュアンスも感じられる。
 そのテルガトには今回、2秒であるが、勝ってしまった。いや、2秒も勝ったと言い直そう、あのテルガトに…。

 今回の高岡の快挙は、過去最低の金メダル数が確定したアジア大会期間中のこと。たぶん「やっぱり高岡のような選手は違う。アジア大会でも2冠(94広島大会)をやっている」という意見を、聞くことになるだろう。96年は故障で出場すら危ぶまれた日本選手権1万mで、自己新の27分台で優勝を飾った。本人も印象深いレースの1つに挙げているくらいだ。確かに、練習が万全でなくても、なんとか仕上げてそれなりの成績を残してしまうのが、大物選手の資質の1つだろう。
 だが、その高岡とて、その年のアトランタ五輪では予選落ちに終わり、自身のトラック選手としての能力に見切りをつけようとしたこともあった。翌97年の世界選手権は決勝進出はしたものの、故障でスタートラインに立てなかった。それからしばらく、故障に苦しんだ時期もあった。それらを克服して、5000m日本新、1万m五輪7位、1万m日本新、そして今回のマラソン日本最高があるのだ。単に「アジア大会2冠。昔から違った」のひと言で片づけてしまえる競技歴ではないように思う。
 高岡とは単に選手と記者の関係であるし、イニシャルが一緒(TT)ということ以外、特に共通点もない。だが、こうして文章を書いていると、なぜか目がウルウルしてきてしまった。本場・韓国のキムチは、目にもしみるほど強烈だった。


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