小野真澄特集
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インドアで屋外の記録を上回り続ける選手

 3月3日の日中対抗室内天津大会で、小野真澄(ミキハウス=当時)が4m22を1回でクリア。自己の室内日本記録を1cm更新した。さらに、4m30と来年の世界選手権B標準にバーを上げると、これも3回目に成功した。
 屋外の日本記録も小野の持つ4m20なので、昨年末時点で、いや、正確には4m21の室内日本新を彼女が跳んだ2000年2月から、女子棒高跳は室内記録が屋外記録を上回っている。室内記録が屋外の自己記録を上回るのは、非常に稀である。97年の世界室内男子400 mで3位となった苅部俊二が、当時の屋外の自己記録を上回ったときは、日本の陸上界を驚かせたものである。現在、室内日本記録が屋外の日本記録を上回っているのは、女子棒高跳ただ1種目だけ。

 陸上界全体としても、屋外がシーズン本番であり、室内競技会はあくまでもプレシーズン、練習試合的な感覚でとらえられがちのこともあり、室内の記録が屋外を下回るのは当然、と考えられている。
 そのことを小野に話すと、次のような答えが返ってきた。
「私は、室内の方が記録が悪くなるとは思えないんです。むしろ私は、室内の方が調子がいいし、気合いも入ります」
 実際、下記のように、初めて4m00に成功した98年(アジア大会)の翌年以降は、常に室内の記録の方が屋外よりもいい(99年だけ同じ記録)。

    室内   屋外
1998年 3m70  4m00
1999年 4m20  4m20
2000年 4m21  4m00
2001年 4m12  4m10
2002年 4m30

 その原因がどこにあるのかを、完全に特定することはできない。
 何シーズンにも渡る傾向についての結論は難しいが、この室内シーズン好調の理由は、島田正次コーチが次のように分析している。
「ウエイトで筋力が戻ったのが大きいと思います。今日(横浜大会のあった2月23日)は一番硬い135ポンドのポールを使いました。これまで1回か2回しか使ったことのないポールです。室内では使ったことはないんです。それだけ走れているし、力もついているということ。浜松にいたころ(99年春から2000年夏まで国内長期留学)はいつでも跳べる環境だったので、逆にウエイトの練習が少なかった。それが札幌にもどってからは、跳べないからウエイトの量が増えた。脚全体が一回り太くなりました」

 2年前に4m21を跳んだときに小野自身、「ポールは125〜135。135は風がばんばん吹いているときだけです」と話している。それが、4m30を跳んだときには、140ポンドのポールを近藤高代から借りて使用しているのだ。2年前と違うのは、明白である。
 2月の初めからJISS(国立スポーツ科学センター)の室内練習場で跳躍練習を行い、香川の室内競技会、そして日中対抗室内と試合をこなしながら、技術的にいい状態を作り上げた。もしかすると、小野は短いチェック期間で、技術的にはまとめられるタイプなのかもしれない。

「3月3日、この日は練習跳躍からいつもと違う感覚がありました。ポールの反発をうまく得られたので、前向きにポールをどんどん硬いものへ移行させ、グリップも上げていきました」
 小野が自分のホームページで述べている、天津大会の技術的な部分に関する小野の感想である。
 かつて小野は、次のように話していたことがある。
「島田コーチは突っ込みの部分の技術に、すごくこだわっています。私は突っ込みのあとの反発をどうポールに受けて、どう利用するかを意識しています。そういう2人だから、うまくいっているのではないでしょうか」
 先ほど、室内の記録が屋外を上回るのは珍しいと言及したが、世界に目を転じると、特に走高跳と棒高跳は室内のボードトラックが有利に働くのか、室内の記録が上回る例はそこそこある(現在は、室内世界記録が屋外を上回っているのは男子棒高跳だけだが)。力があるのは大前提だが、ボードトラックの反発を利用するのが上手い選手が記録を出すという海外の雑誌の記事を見た記憶がある。もしかしたら、小野にもそれがいえるのかもしれない(断定はしません)。
※2nd attempt 「苦しんだオリンピック・イヤー」に続く

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