2001/11/3 淡路島女子駅伝
グローバリー、まさかの優勝、驚きの圧勝
藤田監督は淡路島負け知らずのV8!
そして、選手と監督の違いとは?

その3●8回優勝監督と駅伝初体験選手の温度差●   その1  その2

 藤田監督はワコール時代、この大会の第1回大会から7回大会まで、7連勝している。8回大会は藤田監督にとってワコール最後の年だったが参加せず、その8回大会から昨年の11回大会まで、東海銀行が4連勝している。そして今大会で初参加のグローバリーが優勝。つまり、淡路島女子駅伝は藤田監督と東海銀行・竹内伸也監督と、2人の監督しか優勝を遂げていないのである。藤田監督は今大会に8回参加して全勝ということになる。付け加えていうなら、この大会が始まる際、コース設計をしたのも同監督だという。
 そして全勝監督だからこそ、勝つべくして勝ったのではないことを、十分に理解している。レース後の監督の表情も、そのことを物語っていたし、チームとしての喜び方も、“関西4位以内”を狙って実現したワコールや日本生命の方が、喜び方は大きかった(会社からの応援団の人数が多かったこともあるかもしれない)。

 だが、実際にタスキをつないだ選手たちは、監督とは別の気持ちになる。
 野口「全国大会出場が目標でした。気持ちを1つにできたことが勝因だと思います。駅伝にでることは、春に新人が加わってチームが12人になった時点で決めました。夏前は新人たちが走れていませんでしたが、夏から秋にかけえて順調に走れたので…(全日本を目標にしました)」
 この野口と田村は、98年にワコール入社。藤田監督と行動を共にしたため、その年の10月いっぱいで退社して、翌年春にグローバリーに入社した。その年は選手2人だけ。昨年、新人が加わって6人のチームになったが、6区間の実業団駅伝にはぎりぎりの状態。案の定というわけではないが、故障者が出て実業団駅伝に参加することができなかった。都道府県対抗や日本チームなど、選抜チームとしての駅伝に参加したことはあっても、自チームとして駅伝に参加したことは社会人になってからは皆無だった。
 移籍のゴタゴタの際の2人は、当時はまだ無名選手。しかも高校を出たばかりの19歳。ワコールに入社したからには、駅伝に出たい気持ちがあったのは明白だ。移籍後も2人だけの活動が1年間、人数が増えて駅伝に出られると思ったが、結局はさらに1年間、出られなかった。監督とは違って、彼女たちは明確に全日本出場を目標にしていたのも、当然といえば当然である。
 今年、奈良産大から入社した1区の藤原にしても「(差をつけるのではなく)つなぐことが一番の仕事でしたが、1番でつなげたら一番いいと思っていました。練習でも2kmから減速することが多かったので不安でしたが、練習でやることはやったので、最初から積極的に行きました。区間新も狙っていました」と、やや監督とはトーンが違う。
 野口とともにチームを支えてきた田村は、次のように話した。
「トラックシーズンが終わって1カ月間、長い距離の練習をしてきましたが、8kmという距離に不安がなかったわけではありません」
こみ上げてくるものがあったのだろう。このあたりから、涙声になった。
「全日本に出たかったので、(私は)抜かれてしまったんですが、(抜かれてからも)1秒を大切に、1秒を大切にしようと、つなぐことだけを考えていました」

 思わずこちらも、もらい泣きしてしまいそうになった。

 今回の圧勝劇で12月9日の全日本でも、一躍注目されるチームとなった。繰り返すが、「全日本に行ったら、今日ウチより後ろだったチームの方が絶対に強い」と言う藤田監督のコメントは本心だと思われる。それは全日本のコースを考えてみればわかることだ…が、今回も「藤原を騙して」1区を走らせてしまったし、今回の西村のような急成長の選手が現れるかもしれない。井上のような、控え選手が好走してしまうかもしれない。今回のように野口が爆走するかもしれないし、今回とは逆に田村がヒロインになるかもしれない。
 藤田監督が全日本で勝てないと言ったときに、「ボクは岐阜のコースを十分に知っているから」と、ぞの理由を説明した。見方を変えれば、「コースを十分に知っている」から、残り1カ月でできる対策も、十分知り尽くしているのではないか。淡路島の8回には及ばないが、岐阜の全日本も5回制している監督なのである。


◆5連勝を阻まれた東海銀行・竹内伸也監督のコメント
「秋のトラックレースで関西勢や中部勢の活躍を見て、長い距離の区間を走る看板選手がどのチームもいいんです。その状況では、(東海銀行が)1位になっても10位になっても不思議ではないと感じました。短い距離の区間でも、ブレーキしたら負けだな、と。そんな状況ですから、優勝するとしたら1時間56分台の大会新を出さないと無理だと考えていました。それを前提に1区から6区のタイムを考えると、全員がそれよりも悪かった。勝てる力ではなかったということです。来年の1月15日から合併で銀行名がUFJ銀行に変わりますから、この大会はどうしても5連勝したかったのですが」