2001/11/3 淡路島女子駅伝
グローバリー、まさかの優勝、驚きの圧勝
藤田監督は淡路島負け知らずのV8!
そして、選手と監督の違いとは?
その2●意外だった3区の新人・西村と5区・井上の快走● その1 その3
レースは1区・藤原が区間賞をとる幸先のいい出だし。それも、区間記録に1秒と迫るタイムだった。2区の田村が現在絶好調のワコール・福士加代子に逆転され、33秒もの差をつけられたが、3区の新人・西村はる美がすぐに首位を奪い返した。これがポイントだった。
4区・野口は区間新&区間賞の快走で2位との差を1分13秒とした。ここまでの差ができると、経験のない選手でも力以上の走りをすることができる。この日、選手交替で5区に入った井上沙弥香まで区間賞で、3区から3区間連続区間賞。6区・斉藤智恵子が悠々と逃げ切った。
「選手も誰も、勝つとは思ってませんでしたわ。大会記録を破るなんてとんでもない」
テレビカメラの前で藤田監督は、レース前と同じように、いつもと同じ口調でコメントしたのだった。
駅伝ではトップを走ることで、いい走りができることがまま見られる。前の選手を追う必要がないため、マイペースでいける(オーバーペースになりにくい)。1位だから下手な走りを見せられないという、いい緊張感が働くこともある。
5区の井上はそのケースだったが、意外だったのは3区の西村だ。2区の田村は西村から見れば、日本のトップを走る偉大な先輩。その先輩が順位を3位に落としたのである。駅伝の怖さを見せつけられる形でタスキを受け取ったのだ。
「夏まで練習ができていなかったので、選手になれただけで嬉しかった。タスキをもらった時点で前が見えていたので、絶対に抜いてやろうと思った」
西村は滋賀県の八幡商高から入社。高校時代は3000mが9分50秒台の選手だった。「練習をそんなにやっていなかったはずだし、体型もいい」(藤田監督)という理由で採用された。しかし、8月半ばまでは故障が続き、新人の中でも「一番ビリ」(藤田監督)の状態が続いていた。
「8月にちょっとずつ練習ができるようになり、10月に3000mで9分17秒まで一気に記録を縮めた。本人も自信になって、練習でもいい練習ができるようになった。今はレース毎に強くなっている」と、藤田監督。レース前には、何もそんなことは教えてくれなかったのだが…。
藤田監督も、西村の好走で多少の手応えを感じた。だが、それでも優勝までは考えられなかったという。
「1区(藤原)の流れがよく、田村(2区)が40秒いかれてきついなとも思いましたが、それを西村(3区)がひっくり返してくれて、野口(4区)がかなり行ってくれると思った。5区で30秒詰められても、6区で混戦になってひっくり返される」
5区の井上が差を縮められるどころか、区間賞で2位との1分37秒差としたことが大きかったわけである。
藤田監督が“関西4位”さえ考えていなかったのは、レース後のコメントでも明らかだった。
「嬉しい反面、ちょっと困ったなという部分もあるんです。全日本の頃に、野口はハーフマラソンに出る予定でしたから。来年、マラソンをやることを考えていたんです。これで、スケジュールを変えなきゃいけません。3月の名古屋を考えていて、中国で合宿をやろうかとも考えていたんです」
棚ぼたではないが、“思いがけない”勝利だったのは事実で、藤田監督は心の底から喜んではいけないと考えている。「全日本に行ったら、今日ウチより後ろだったチームの方が絶対に強い。選手は今日の結果を勘違いしてはいけない」
<つづく>