2001国際千葉駅伝
藤田敦史インタビュー
第1回 2回 第3回

第1回
『日の丸には特別な思いもありますし、日本代表として恥ずかしくない走りをしたい』

Q.国際千葉駅伝の印象は?

藤田 とにかく(富士通の先輩の)高橋健一さんです。健一さんの逆転シーンは、インパクトが強いですね。特に何かをアドバイスしてもらっていることはありません。地元ですからコースはだいたい把握していて、走りやすいのではないかと思います。この周辺を走るわけですから、地元の人に自分の元気な走りを見てもらいたいと思っています。

Q.どんな走りをしたいと考えていますか。

藤田 日の丸をつけて走ることになりますから、追い込んだ走りをしたいですね。大学時代に大八木さん(駒大コーチ)から「日の丸をつけて走れるようになりなさい」といつも言われていました。だから、日の丸には特別な思いもありますし、日本代表として恥ずかしくない走りをしたいと思います。
 この間の東日本実業団駅伝は周回コースを1周と3分の2走ったんですが、最初の1周で約1分負けて、2周目は差が開きませんでした。つまり、前半がガンといけていない。練習を再開して間もないこともありますが、この大会は一番長い区間でも12kmですから、スピード練習をちゃんとやって、最初からガンといけるようにしないといけません。

Q.世界選手権(座骨神経痛の影響で12位)のあと、練習はいつから?

藤田 1カ月は治療に専念して、9月末から徐々に始めました。スピード練習はさきほど言ったように不足していますが、距離だけは相当に走っています。座骨の方はかなりよくなって痛みもとれ、量だけは以前と変わらずに積めています。

Q.座骨神経痛は初めて?

藤田 痛いというより違和感なんですが、急に脚の力が抜けるような感じになるんです。原因は、1年前のニューイヤー(全日本実業団駅伝)のあと、左足首を故障していたんですが、完治しないまま練習を始めて、かばって走っているうちに右の腰に来た感じです。レース1カ月前の公開練習(西湖)あたりからおかしかったんです。でも、そのときは座骨は経験がなかったから、座骨神経痛と気づかずに走っていました。それで悪化させてしまい、エドモントンに入ってなおひどくなりました。気づいて対処できなかった自分の責任です。

Q.世界選手権の12位という結果を、どう受け取られていますか。

藤田 自分としてはメダルを目標にしていましたから、不甲斐ないというのが率直な感想です。エドモントンに出発する前は、応援してくれる皆さんの声が日々、伝わってきて、そのたびに「頑張りたいのに、頑張れない」という複雑な気持ちでした。スタートラインに着いたときに万全の状態でなければ世界と戦えない、ということを思い知らされました。

第2回につづく)


藤田敦史プロフィール
ふじた・あつし◎1976年11月6日生まれ、福島県出身。166cm、52kg。富士通所属。中学ではテニス部、清陵情報高から陸上競技を始めるが、全国大会には出場していない。駒澤大入学後、大八木弘明コーチの指導で急激に力を伸ばし、日本インカのハーフマラソンを3年、4年時に連覇。箱根駅伝は1年から出場し1区2位、2区7位、2区2位、4区1位。チームのエースととして4年時の全日本大学駅伝優勝、箱根駅伝2位に貢献。駒大卒業直前の99年3月、びわ湖マラソンで2時間10分07秒と、瀬古利彦の持っていた道路学生最高を20年ぶりに更新。富士通入社後の同年8月の世界選手権セビリア大会では6位入賞。2000年元旦の全日本実業団駅伝でもアンカーを務め、富士通初優勝に貢献。2000年の福岡国際マラソンに2時間06分51秒の道路日本最高記録で優勝。今年8月のエドモントン世界選手権は、25km付近から後退して12位と不本意な結果に。1万mのベストは28分19秒94と、マラソンに比べると日本歴代順位的には落ちる。

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