Road to 全日本実業団陸上2017大阪
実業団陸上の話題を継続的に紹介していくイノベーション記事
第3回 実業団視点で日本選手権を楽しむ
 実業団連合とのタイアップ記事である「Road to 全日本実業団陸上2017大阪」(第1回 実業団陸上のシーズンイン 第2回 地区実業団大会に見る日本陸上界の“今”)。その第3回は8月のロンドン世界陸上最重要選考会でもある日本選手権(6月23〜25日:大阪長居陸上競技場)を、実業団視点で展望する。世界陸上での活躍が期待される選手でも、絶好調で日本一決定戦を迎える選手もいれば、故障明けの復帰戦として臨む選手もいる。
 世界陸上参加標準記録を破っている選手が多く代表争いが熾烈を極める種目もあれば、新たに標準記録突破が期待できる種目など、選手によって置かれている立場はそれぞれだ。同じ長居競技場で開催された昨秋の全日本実業団陸上での戦いが、今年の日本選手権につながっているケースに注目するのも面白そうだ。
【五輪翌年の日本選手権】 飯塚が19秒台に挑戦
山縣&澤野は復帰戦が世界陸上最重要選考会
飯塚の注目点は前半のスピード
 昨年のリオ五輪で活躍した選手たちのうち、絶好調で日本選手権に臨むのは銀メダルの4×100mRで2走を務めた飯塚翔太(ミズノ)。6月4日の布勢スプリント100mで10秒08と標準記録(10秒12)を突破。日本選手権は200mだけの出場だが、本職でも標準記録突破は確実だろう。対照的に4×100mR1走だった山縣亮太(セイコー)は日本選手権が2カ月半ぶり、棒高跳7位入賞の澤野大地(富士通)は9カ月ぶりの試合となる。普通に考えれば不安を持って臨まざるを得ない状況だが、2人の様子からはそういった部分は感じられない。
 飯塚は布勢スプリント第1レースで10秒10(+1.7)と自己記録更新&標準記録突破を果たすと、第2レースではリオ五輪4走だったケンブリッジ飛鳥(ナイキ)を抑え、タイムを日本歴代7位の10秒08(+1.9)まで縮めた。200mが本職の飯塚は、「このスピードを体感できたことが一番の収穫」と、興奮冷めやらぬ様子で話した。
「今日のイメージを残して200mの前半を走ることができれば、得意の後半は(多少の減速はするものの)維持できます」
布勢スプリント男子100m第2レースで10秒08をマークした飯塚(137)。ケンブリッジ(157)も10秒12と標準記録を突破。藤光も10秒23の自己新と好記録が多く出た
 飯塚は昨年の日本選手権を、20秒11(+1.8)の日本歴代2位で2度目の制覇。末續慎吾の持つ日本記録に0.08秒まで迫ったが、計算しているのは日本人初の19秒台だ。豊田裕浩コーチによれば、昨年の日本選手権の前半100m通過は10秒38、後半100mは9秒73だった。今年は前半を10秒2台で通過したいと考えていたが、布勢の10秒08でそれを実現する可能性が高くなった。
「日本選手権は楽に走って去年の前半のタイムを上回りたい。100mの10秒0台は、200mで世界と戦うためのタイムなんです」(豊田コーチ)
 飯塚は毎シーズン走りのテーマを決め、冬期にはそのための体作りと、走りの技術を並行して行っている。元々身体は大きいがピッチが強調された動きで、ストライドはさほど大きくない。「接地のときのパワーを大きくして、ピッチを維持しながらストライドを大きくする」(同コーチ)のが2017年の狙いである。
 ストライドの違いまでは見た目では判断できないが、日本選手権の飯塚の前半がリラックスした動きでスピードが出ていれば、日本人初の19秒台を達成する確率は大きくなる。
山縣の自信の裏付けとなっている感覚とは?
 2カ月半のブランクがあっても山縣が復調への自信を持ち続けられたのは、「昨シーズンと3月の豪州での感覚」が根拠になっている。東日本実業団陸上、布勢スプリント、リオ五輪と10秒0台で走った2016年シーズンの集大成的な走りが、全日本実業団陸上での10秒03(+0.5)の自己新記録だった。
「シーズン前半の日本選手権まで、ある程度同じイメージで走ることができたんです。そこからリオ五輪、全日本実業団陸上とさらに新しいコツをつかむことができました。抽象的な言い方になってしまいますが、体がスッと前に移っていくようになった、という表現になります」
 ひと冬を越え、山縣は3月11日に合宿先の豪州で10秒0台を2本そろえ(10秒08・-0.1と10秒06・+1.3)、ロンドン世界陸上標準記録を早々に突破。だが、そのときに痛めた右足首を3月末に悪化させ、5月中旬まで約1カ月半、スピードを上げる練習ができなかった。
 本格的な練習再開は5月下旬だが、6月上旬には「今も10秒2台なら出せる」と話していた。
「走りのイメージの蓄積があるので、スタートをこうして加速局面をこう走り、中盤以降をこうすれば、豪州より良い走りができるイメージがあります。10秒0台まではわかりませんが、10秒1台は普通に行く」
 18日の公開練習時には「(豪州の)85〜90%まで戻ってきた」とコメントしている。
 山縣にとって日本選手権が、予選・準決勝・決勝と3ラウンドの大会であることは有利に働く。予選を走れば正確に、自身の状態を把握できる選手だからだ。日本選手権開催地は、昨秋の全日本実業団陸上と同じ長居陸上競技場でもある。昨秋と同じように決勝で10秒0台を出せると判断すれば、そこに懸けるだろう。10秒0台が無理と感じたら、代表選考基準である“3位以内”に照準を変更できる。
澤野は昨年と同様に平常心で
 澤野は昨秋の全日本実業団陸上は、最初の高さを3回失敗して記録なし。それ以来の公式試合となる日本選手権は、リオ五輪以来の復帰戦と言ってもいい。昨年10月以降が適用期間なので(一部種目を除く)、標準記録の5m70も未突破である。
 それにもかかわらず澤野は「いきなり日本選手権でもまったく問題ありません。5m70を跳びにいきますよ」と自信を見せる。
 記録なしに終わったとはいえ、全日本実業団陸上は昨年の他の大会と同様、跳び始めの高さを5m40と高く設定していた。今年4月の織田記念も現地入りして、前日練習までは普通にこなしていた。ゴールデングランプリ川崎も欠場したが、「織田は右のハムストリング、川崎は右ふくらはぎ」と、軽めの故障だった。ずっと悪い状態が続いていたわけではなく、試合に出られるコンディションまでは何度も上げられている。無理をすれば出場できたかもしれないが、そこで冷静に判断できるのが36歳のベテランだ。
 6月9日には自身のTwitterに、練習中の5m70成功の動画もアップ。「絶対に焦らない」のひと言も添えていたのが澤野らしい。昨年は“平常心”を武器に雨の日本選手権を制し、1週間後の試合で5m75と初めて標準記録突破に成功、8月のリオ五輪で日本人64年ぶりの入賞を達成した。初戦が日本選手権という点は異なるが、1年前と同じ状況に澤野が動じる様子は少しもない。

【熾烈な代表争い】 男子短距離2種目と女子長距離2種目、
そして男子棒高跳が4人以上の標準記録突破者の争いとなるか?
 標準記録突破選手が日本選手権に優勝すれば、その場でロンドン世界陸上代表に内定する。標準記録突破者が3位以内に入れば、(標準記録よりも高い派遣設定記録突破者が出た場合など100%とは言い切れないが)日本選手権翌日の日本陸連理事会で代表に決定する。その他にも細かい選考規定があるが、“3位以内”が日本選手権で選考される条件だ。
 男子100mは山縣、ケンブリッジ、桐生祥秀(東洋大)のリオ五輪代表3人に加え、多田修平(関学大)が6月10日に10秒08(+1.9)と標準記録を突破。個人種目代表は最大3人までしか出られない規定なので、突破者のうち1人は落ちる厳しい戦いになる。
 観戦時には予備知識として、各選手が得意とする展開を頭に入れておきたい。スタートでリードするのは山縣か多田、中盤に強いのは桐生、そして終盤で上がってくるのがケンブリッジだ。
 200mは現時点ではサニブラウン・アブデル・ハキーム(東京陸協)だけが20秒41と、標準記録の20秒44を突破しているが、今の飯塚なら普通に走れば標準記録を破ることができる。前回3位の原翔太(スズキ浜松AC)とリオ五輪代表の藤光謙司(ゼンリン)も、20秒44突破は難しくない。2人とも布勢スプリント100mで自己新を出している。
 風が強くなければ予選、準決勝で新たに3人以上が標準記録を破り、決勝では突破者4人以上が3枠を争うシーンも予想される。今季の特徴は飯塚だけでなく、サニブラウン、原、藤光も前半のスピードアップに成功していること。前半を飛ばすことで終盤の走りが崩れる可能性もあるが、最後まで動きを維持した選手が勝つことになる。観戦時の注目ポイントだろう。
 男子棒高跳も澤野が5m70を跳べば、山本聖途(トヨタ自動車)、荻田大樹(ミズノ)のリオ五輪代表トリオ全員が標準記録突破者となる。そこに、5月に5m61のジュニア日本新を跳んだ学生ルーキーの江島雅紀(日大)が、日本選手権本番で加わってくる可能性もある。4人が標準記録を破る状況になれば、日本の棒高跳史上初めてではないか。
昨年の1万mで1・2位を占めた鈴木(右から2人目)と関根(右)のJP日本郵政グループコンビ。写真は昨年3月の徳之島合宿
 女子1万mは標準記録が32分秒15秒00と低いため、突破者が16人と最も多い(標準記録突破者一覧)。それゆえスローペースにしたら、“ラストにだけ強い選手”が代表になる。上位選手の指導者たちは、そうなることは避けたいと話し合っている。
 昨年は鈴木亜由子と関根花観のJP日本郵政グループ・コンビが交替で先頭に立ち、速いペースに持ち込んだ。今年は、5月のペイトンジョーダン招待で31分33秒33の今季日本最高をマークしている高島由香(資生堂。昨年のクイーンズ駅伝3区区間賞)が、ハイペースに持ち込もうとするのではないか。資生堂のスタッフによれば、3位だった昨年を上回る練習ができているという。
 クイーンズ駅伝1区区間賞の一山麻緒(ワコール)も、積極的な展開をするタイプ。そのハイペースに食い下がり、最後の1周の勝負に松田瑞生(ダイハツ)が持ち込めれば、昨秋の全日本実業団陸上のように鮮やかなスパートを決めるかもしれない。
 女子5000mの標準記録突破者は、木村友香(ユニバーサルエンターテインメント。昨年のクイーンズ駅伝2区区間賞)、松ア璃子(積水化学)、森田香織(パナソニック)の3人。そこに今季15分20秒台で2回走っている福田有以(豊田自動織機)、クイーンズ駅伝5区区間賞の鍋島莉奈(JP日本郵政グループ)、そして4連勝中の尾西美咲(積水化学)が加わった優勝争いになるだろう。
 日本選手権で3位以内に入っておいて、7月のホクレンDistance Challengeで標準記録を突破して代表入りすることも可能だが、ピークを合わせる日本選手権で破った方が、本番までのスケジュールもゆとりを持てる。5000mも速いペースで展開し、なおかつ、表彰台(3位以内)への争いが激しくなるだろう。

【標準記録突破と好勝負の期待】 市川に200m標準記録突破の可能性
女王・福島との対決が今年の日本選手権の焦点に
 標準記録未突破でも、日本選手権本番での突破が可能な選手も多い。そのうちのいくつかの種目ではライバルも強力で、好勝負が期待できそうだ。
 女子200mでは市川華菜(ミズノ)に強さが感じられる。本連載の第2回で紹介したように、中部実業団陸上で23秒59(+0.4)の大会新、翌週のゴールデングランプリ川崎でもまったく同じ23秒59(+0.6)と、自己2番目のタイムを2本揃えた。さらには、6月4日の布勢スプリント100mでは第1レースで11秒43(+1.1)の自己タイ、第2レースで追い風参考ながら11秒38(+2.1)と好タイムを連発。
 日本選手権では2種目に出場予定で、初日に100m予選・準決勝、2日目に200m予選と100m決勝、3日目に200m決勝というスケジュールをこなす。市川は「初日の100mでスピードを上げて、2日目以降の200mで標準記録(23秒10)を破りたい」と意欲を見せている。
 女子短距離は福島千里(札幌陸協)の時代が続いている。昨年まで100mは7連勝、200mは6連勝を果たし、五輪&世界陸上でも個人種目で代表になっているのは福島だけだ。
 市川はロンドン五輪の400mリレーに、福島と一緒に出場したことがある。
「福島さんは憧れの存在です。(国内では)福島さん1人が速くて、私たちは下の方でしか走ることができなくて、(国際大会のリレーでは)おんぶに抱っこの状態で、いつも申し訳ないと思っていました。少しずつでも追いつきたい存在です」
 今季の福島は痙攣を起こすことが多く、布勢の第1第2レースでも市川が2連勝した。だがシーズンベストは福島も、4月に11秒44(+1.0)で走っているので大きな差はない。福島はリオ五輪後に競技生活継続に気持ちが揺れた時期もあったが(昨年の全日本実業団陸上の頃)、現役続行を決めたのは世界で戦うためであり、日本人初の100m10秒台も目指しての決断だった。国内で負けることは想定にないはずだ。
 女王の意地で走ってくる福島と、女王へのリスペクトで挑む市川。今年の女子100m・200mは、ここ数年とは違ったシーンが展開される。
6月4日の布勢スプリント100mで福島(左端)に2連勝した市川(51)。写真は第1レース
 男子ハードル2種目は、110 mHの大室秀樹(大塚製薬)、400mHの安部孝駿(デサントTC)と標準記録(13秒48と49秒35)突破者がいるが、さらに何人かが加わる情勢だ。
 110 mHではリオ五輪代表だった矢澤航(デサントTC)、東日本実業団陸上で13秒53(+1.1)の山峻野(ゼンリン)、布勢スプリント第2レースで追い風参考ながら13秒43(+3.2)の増野元太(ヤマダ電機)と、可能性を感じさせる選手が3人いる。
 スタートから1台目に強い大室が、序盤をリードするのは間違いない。布勢第1レースのように山が僅差で続き、矢澤と増野が後半で追い上げる展開が予想される。「日本記録で決着すると思う」(矢澤)という声も出るくらい、今年の110 mHはレベルが高い。
 男子400mHは安部がゴールデングランプリ川崎で、49秒20と標準記録を突破したが、他に突破者が出ていないのが残念な状況だ。リオ五輪で準決勝に進んだ野澤啓佑(ミズノ)が故障で出遅れ、同じくリオ五輪代表の松下祐樹(ミズノ)も、技術の変更がまだ記録に結びついていない。
 だが、2012年に同じ長居で行われた日本選手権は準決勝で、すでに突破していた岸本鷹幸(富士通)、安部らに加え、中村明彦(当時中京大。現スズキ浜松AC)、舘野哲也(当時中大)の2人が新たに標準記録を突破。決勝では優勝した岸本に中村、舘野が続いてロンドン五輪代表入りを決めた。安部は代表から漏れてしまった。
 女子の日本記録も生まれているように、長居は400mHの好タイムが出やすい競技場。今年は準決勝がなく予選・決勝というラウンドなので、大会初日の予選で標準記録突破者が複数出る可能性もある。予選でトップを走っている選手は終盤で力を抜くのが普通だが、4組行われる予選が1着+4の決勝進出条件なので(各組の1位と、全組を通じてタイムの上位4人)、力を抜くことができない。男子400mHは予選から目を離せないレースになる。
実業団と日本陸上界の流れの中で
 実業団連合では以前から、陸上競技の社会的な認知度を上げようと努力してきた。その活動の一環として、トラック&フィールドの全日本実業団陸上を盛り上げ、観客を多く集めようとする取り組みに、昨年からいっそう力を入れ始めた。リオ五輪から1カ月後のタイミングだったこともあり、昨年の全日本実業団陸上は大会3日間で合計4万1500人の観客を集めることに成功している。
 そしてリオ五輪翌年の日本選手権が、同じ長居陸上競技で行われる。昨年の全日本実業団陸上に足を運んだファンの多くがまた、長居のスタンドに詰めかけるだろう。
 今年の日本選手権の意味を、山縣が次のように話していたのが印象的だった。
「リオ五輪は陸上競技の短距離が、飛躍するきっかけになった大会でした。社会的な注目度もそうですし、選手たちもメダルを取る、9秒台を出す、ということに対して1つの壁を超えたと感じています。陸上界が発展していく起点になったのではないでしょうか。でも東京五輪やその先に向けては、社会的にも競技的にも、ここからが本当の勝負だと思います。そのためには9秒台、19秒台を出す雰囲気は継続しなければいけない。今年の日本選手権は、選手1人1人が試される大会になる」
 昨年のリオ五輪、全日本実業団陸上から続く日本陸上界の流れの中に、今回の日本選手権は位置づけられる。その流れは8月のロンドン世界陸上、9月の全日本実業団陸上とつながっていく。そして中学・高校・学生陸上界の盛り上がりに、その流れは支えられていることを忘れてはいけない。日本陸上界が一丸となって進んでこそ、2020年東京の成功がある。


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