寺田的陸上競技WEBスペシャル
日本陸上界が直面する課題へ独自のサポートを行う
“GSP
(グローバル・サポート・プロジェクト)
一番の特徴は広範な海外ネットワーク
根底にあるのは陸上競技への愛情



昨年8月に米国ユタ州パークシティで合宿を行った中大3選手<写真提供:STC I・GSP>

 日本の陸上競技強化において海外遠征・合宿の必要性はこれまでも認識されてきたが、近年は外国人コーチから直接指導を受けることの重要性も高まっている。著名コーチに来日してもらったり、逆に日本選手や指導者が海外に赴いたり。そうした海外コーチを仲介する役割を果たしているのがNPO法人STCI(湘南トラッククラブ・インターナショナル)の上野敬裕と株式会社インプレスランニング社の柳原元の両氏である。2人はそれぞれの組織の代表でもある。当初は2010年にSTCIの事業としてスタートしたGSPだが、翌年柳原が設立したインプレスランニング社との共同運営となり、柳原は同年IAAF国際陸連公認代理人の資格を取得。その後GSPの活動が本格化していった。近年は、都道府県陸協や実業団チームの要望に応じて指導者の紹介や海外合宿をセッティングしたり(事例@、C)、海外著名チームと日本の大学チームの橋渡しをしたりしている(事例A)。そしてSTCI自らも、チームとして外国人コーチと接点を持つことで選手強化&育成を図っている(事例B)。
 両氏によるGSPの活動をクローズアップすることで、日本陸上界の抱える課題と、その解決に向けて強化現場がどんなアプローチをしているのか、日頃あまり報じられることのない側面を追ってみた。
(※一部登場人物敬称略)


@大阪陸上競技協会の“OSAKA2020夢プログラム”への協力

やり投のトップコーチを招聘した沖縄合宿
 2016年の1月4〜7日、沖縄県の国頭(くにがみ)村で行われた大阪陸協の合宿に、フィンランド人のペテリ・ピロネン氏(当時39)の姿があった。近年のアフリカ勢の活躍は中・長距離にとどまらないが、男子やり投でもJ・イェゴ(ケニア)が2015年北京世界陸上金メダルを獲得した。そのイェゴをはじめ海外、そしてやり投げ王国フィンランドのトップ選手の指導で実績を上げていたのがピロネン氏である。
 やり投は、大阪陸協所属選手のレベルも高い。昨年の日本選手権優勝の宮下梨沙(大体大T・C)を筆頭に、同4位の佐藤友佳(意岐部東小職)、同8位の瀧川寛子(東大阪大)と3人の日本選手権入賞選手がいる。合宿は彼女たちを含む5人が同種目の"OSAKA2020夢プログラム"選手に指定され、ピロネン氏の指導を受けた。そのときの様子を島津勝己大阪陸協コーチは次のように振り返る。
「いつものコーチとは違う観点、異なる視点で教えを受けることで、新しい発見ができます。中学生、高校生はパーソナルコーチからガチッと指導を受ける方がいいと思うのですが、日本のトップになり、さらに世界と戦うには考える力が重要になる。新しいことを知り、自分で取捨選択し、トレーニングを変更してやっていく能力も求められると思うのです」
 大阪陸協の"OSAKA2020夢プログラム"は、2020年東京オリンピックに出場する選手を輩出する目的で、2015年にスタートした。2016年7月時点で同陸協に所属し、日本選手権8位以内の選手が強化対象の目安となる。
 国頭村での合宿自体は毎年3泊4日で、大阪の中高生のトップクラスを集めて行われていた。そこに同プログラムの対象選手も加わり、日本のトップレベルを育成している大学のコーチらに指導を依頼した。そのうちやり投だけは、世界の最前線の指導者に指導を委託したのである。
 ピネロン氏を招聘した経緯を、島津コーチは次のように説明する。
「ケニアが中・長距離に強いことは知っていますが、やり投を教えたのは誰なのだろうと大阪陸協で調べたら、国際陸連が仲介してピネロン氏がコーチをしたことがわかりました。協会傘下にはやり投の有望選手がいたので、ピネロン氏にコーチを依頼したい。柳原さんを通じて話をまとめてもらいました」
 柳原の仕事は迅速で、世界選手権から5カ月後にピネロン氏が、61m96の自己記録を持つソフィ・フリンク(スウェーデン)を伴って来日。合宿中も柳原が帯同し彼らをサポート。世界トップレベルの指導が沖縄で実現した。

2016豪ゴールドコースト合宿
 ピネロン氏の招聘が大阪陸協の発案だったのに対し、昨年3月のゴールドコースト合宿と、シャロン・ハンナン・コーチ(豪州)への指導依頼は、柳原から同陸協に提案した。
 柳原は同コーチをキャスティングした理由を「ロンドン五輪女子100 mH金メダルのサリー・ピアソン(豪州)を、ユース時代に発掘し、世界のトップに育てたコーチですし、他にも豪州のトップ選手や、オセアニア地区、さらにはインド選手まで指導した幅広い経験を持っていましたから」と説明する。
 主に指導を受けたのは女子短距離の西尾香穗(大阪高。現甲南大)と、100 mHの田中佑美(関大一高)の2人。西尾はプログラム対象からは外れてしまったが、16年も日本ジュニア選手権100 mに優勝した有望選手。田中は15年、16年とインターハイで2連勝した日本ハードル界のホープである。昨年は日本選手権も6位に入賞した。
2016年3月のゴールドコースト合宿。
ハンナン・コーチ(左から3人目)が
大阪陸協所属の選手たちに指導を行った
<写真提供:STC I・GSP>
 その2人が徹底的にアドバイスされたのが腕振りだった。ゴールドコーストでも同陸協サイドの責任者だった島津コーチが、ゴールドコースト合宿の様子を振り返ってくれた。
「ものすごく基本的な部分ですが、ハンナン・コーチはこだわりを持っていました。最終的には軸をしっかりと作って、重心移動に結びつけるためですが、走りの動作の中での脚の運びに、腕振りがどう関わっているかを力説されていましたね」
 またシャロン・ハンナン・コーチのご主人が跳躍コーチということもあり、走高跳と三段跳の選手もアドバイスを受けた。
 3月ということもあり、現地で試合にも出場。国内シーズンにスムーズにつなげることができた。
 その合宿で大阪陸協のコーチたちに好評だったのが、柳原のアテンドぶりだ。ハンナン・コーチらの意図を正確に伝えるのはもちろんだが、「アスリートファーストでやってくれて、その上で(我々)指導者の立場や気持ちも理解してくれている。外国人コーチの指導を受けるなかでも、選手と(内外双方の)指導者の距離を近づけてくれました」と島津コーチは指摘する。
「このプログラムは純粋に東京オリンピック代表を育てるためのものですが、我々指導者も海外の考え方を学ぶことができています。それは2020年以降も生かし続けられる」
 柳原は以前紹介したように、1997年からHondaでマネジャーを約10年間任されていた。実業団チームの経験があるからこそ、選手と指導者の双方の気持ちを十分汲んだサポートができるのである。
2016年3月のゴールドコースト合宿。左から西尾、ハンナン・コーチ、C・シモンズ選手(2014年U20世界選手権七種競技14位。自己記録5459点)、田中<写真提供:STC I・GSP>

バウワーマン・トラッククラブとのつながり
 GSPは柳原の個人的なコネクションや、いくつかの仕事を通じて海外チームとも深い結びつきがある。そのうちの1つが米国のバウワーマン・トラッククラブ(以下、BTC)である。ナイキ・オレゴンプロジェクトと同じオレゴン州ポートランドを拠点とし、アメリカ人を中心に17名(男子10、女子7)の長距離選手が在籍。リオ五輪には9人もの選手が出場した(そのうち2人はカナダ、1人はケニア代表)。
 ヘッドコーチのジェリー・シューマッハー氏(46)は現役時代、中距離ランナーで1500mの自己記録は3分39秒46。複数の大学で指導経験があり、当時オレゴン・トラッククラブとして活動していたA・サラザール氏のもとで、アシスタント・コーチを務めたこともあった。男子1万mで白人選手初の26分台を出したC・ソリンスキー(米国)や、女子1万mで北京五輪銅メダルのS・フラナガン(米国)を育て、昨年は大手陸上情報サイト・FloTrackが実施した全米陸上長距離界のコーチ・オブ・ザ・イヤーにも選出された。
 リオ五輪女子マラソン9位のA・クレイグ(米国)は今年丸亀国際ハーフマラソンで来日した際、BTCについて質問されると次のように答えた。
「選手がみんな頑張っていて、ハードワークをこなしています。それに加えてチーム内の絆が深くて、雰囲気が最高に良いチームです。その雰囲気を作ってくれているのがシューマッハー・コーチ。本当に素晴らしいコーチで、賞を取るのも当然だと思っています」
 柳原との接点は興味深いものだった。2015年春に実業団チームから、スタッフを海外の一流コーチのもとで勉強させたいと相談を受けた。何人かの候補者をリストアップした後、シューマッハー氏にターゲットを絞り、約1年に及ぶ交渉の末、BTC内での“コーチ研修”を実現させたのである。リオ五輪選考の全米選手権前の昨年5〜6月に、柳原もBTCのトレーニング拠点オレゴン、ユタ両州を訪れ研修をサポート。BTCのメンバーらと親交を深めていった。
2016年11月に来日したバウワーマンTCの
メンバー。左からデレック選手、
シューマッハー・ヘッドコーチ、
バンバロー選手
<写真提供:STC I・GSP>
 GSPでは海外レースへの出場サポートも行っているが、昨年10月にマツダの圓井(つむらい)彰彦のボストン・ハーフマラソン出場が実現した。今年2月の東京マラソンで初マラソンを予定している圓井に、増田陽一監督は「どんな環境でも力を出し切れるようにさせたい」と、海外経験を踏ませようと考えた。だが、チームが単独でレベルの高い海外レースに出場することは難しい。
 増田がボストン・ハーフマラソン出場を柳原に依頼した経緯と、その成果を話してくれた。
「手頃な大会はないですか、と柳原さんに相談したところ、ボストン・ハーフを紹介していただきました。現地には圓井と柳原さんの2人で行ってもらったのですが、コースや会場の下見なども主催者が対応してくれたそうです。外国に遠征した場合、試合以外に気を遣うことも多いのですが、ボストンでは試合に集中できました。気温も低く、風雨が強くてスローペースになりましたが、持ちタイムを考えたら、圓井の5位はかなり良い成績です。経費的にも、国内のレース出場と大きく変わらないレベルで遠征ができました」
 実は柳原は、ボストン・ハーフマラソンの大会関係者を、BTC経由で紹介してもらっていた。GSPのネットワークが、日本選手の海外での活動を広範囲で支えている。

A中央大学・藤原正和駅伝監督がGSPを積極活用。バウワーマンTCに選手を派遣

バウワーマンTCの滞在先は中大の寮
 そのBTCから2選手が昨年11月に来日した。八王子ロングディスタンスに出場し、そのアテンド役も柳原が務めた。彼らの同大会出場自体が驚きだったが、八王子の27分30秒以内を狙うことができるレベルの高さと、その時期に欧米では好記録を狙える1万mレースが存在しないことを考えると、あり得ない話ではない。
 それよりも、シューマッハー・コーチを含むBTCのメンバーが、中大の寮に滞在したことの方が驚きだった。藤原正和監督(35)と柳原の2人の関係(詳しくは後述)があったから実現したことは想像できたが、大学チームが今回のような形で外国トップ選手を受け入れるのは極めて珍しい。
昨年11月の八王子ロングディスタンス最終7組に出場のクリス・デレック(ナンバー75)は27分38秒69のセカンドベストで3位。17位のアンドリュー・バンバロー(ナンバー74)もセカンドベストの28分09秒35<写真提供:川口昌彦>
 藤原と柳原に確認すると、次のような経緯だった。
 柳原とBTCスタッフが話し合うなかで夏頃に、八王子ロングディスタンスへ選手を出場させたいとオファーがあった。派遣費用も自分たちで負担するということで、柳原が主催の東日本実業団連盟などとの窓口になった。
 中大は、本番会場の法大多摩キャンパス・グラウンドと立地が近いこともあり、練習場所の提供が可能かどうかを柳原が打診。宿舎も中大から車で15分位の所にあるホテルを予約。それが話を詰めているうちに、できるだけ外食ではない方が良い、という話も出てきた。「だったらウチの寮に滞在しませんか」と、藤原が申し出たという。藤原も寮に住み込んでいるため、問題が生じたときに即座に対応できる態勢をとれた。
 仲介の労をとっていた柳原にとってはありがたい申し出だったが、藤原の判断には柳原も驚かされた。後輩の藤原が柳原の顔を立てた、のではなく、指導者としての考えがあってのことだった。受け入れた理由を藤原が説明してくれた。
「来日した2人は、C・デリック選手は2013年の世界陸上1万mに、A・バンバロー選手は11年世界陸上5000mに米国代表として出場しています。そうした選手と朝夕の食事を一緒にして、同じグラウンドで練習する。学生たちにとっては何かを感じ取るチャンスだと思いました。実際、積極的な学生は選手やシューマッハー・コーチに質問をぶつけていましたね」
 藤原は現役時代にマラソンで2003年、13年、15年と世界陸上代表になったが、「結局、世界とは戦えなかった」という思いがある。
「縁あって母校の監督になり、箱根駅伝で結果を出すことが大前提ですが、その上で、世界に出ても通用する選手を育てたい、という気持ちも強く持っています」
 そのための強化策を、1年目からどんどん打ち出してきた。バウワーマンTCの寮への受け入れも、世界を見据えた強化策の一環だった。

藤原監督と柳原のつながり
 藤原と柳原の関わりは2002年、藤原の中大4年時からだという。7月にHondaの米ボルダー合宿に、学生の藤原も参加した。
 藤原が当時を懐かしむように話す、
「カナダの大会にも帯同していただきました。1カ月間海外で過ごすのは初めてのことで、わからないことだらけの自分を温かくサポートしてくれた。色々なものに触れて、人間的に成長することの大切さを話してくれたことを、今でもよく覚えています」
 以前の記事で紹介したように、京産大陸上部でマネジャーだった柳原は、一般企業勤務を経て米・ボルダーに移住。そこで日本の多くのチームの合宿サポートに携わった。帰国後にHonda陸上部のマネジャーとなり、藤原とも接点ができた。藤原は当時、「そうした人生、陸上競技との関わり方もあるのだな」と、若いながらに感じるものがあったという。
 2人の関係は、不思議なつながりで展開していく。
 8カ月後の03年3月のびわ湖マラソンで、藤原が2時間08分12秒の初マラソン日本最高、学生最高記録で日本人トップに。同年のパリ世界陸上代表入りを決めると、4月には柳原のいるHondaに入社した。だが、故障に泣かされた藤原は、パリ入り後に世界陸上欠場を余儀なくされた。
 その後も故障などで思うように走れない時期が続いた。苦しみながらも日々競技に取り組む藤原を柳原は同僚として見ていて、肩の力を抜いた人生もあるのでは、と内心思ったこともあった(柳原は2006年に人事異動で陸上部を離れる)。だが、藤原の意思の強さは柳原の予想をはるかに超えるものがあり、2010年2月の東京マラソンで優勝(国内3大マラソンで日本人が勝った最後のレース)。見事に復活を遂げた。
 柳原はその年の3月に退職。それまでの4年間は藤原ともほとんど接点はなかったが、GSP業務を通じて藤原との接点が再びできた。12年9月のベルリン・マラソンや、13年5月のモスクワ世界陸上現地下見などをサポートしたのである。
 藤原は13年、15年と世界陸上に出場したが、リオ五輪代表を逃すと昨年4月に中大駅伝監督に転身。6月の全日本大学駅伝関東選考会で敗れると、1年生の舟津彰馬をキャプテンに抜擢する荒療治を行い、8月には、柳原に最初数日間のセッティングのみを依頼する形で冨原拓、田母神一喜を加えたルーキートリオを3人だけでのユタ州パークシティ合宿を敢行した。チームの意識改革と、世界で戦う選手の育成を並行して進めるためだった。
2016年11月の八王子ロングディスタンス出場のため来日したBTC2選手は、中大で調整トレーニングを行った<写真提供:STC I・GSP>
2016年11月の八王子ロングディスタンス出場のBTC2選手とシューマッハー・ヘッドコーチが中大の寮に滞在。中大の学生たちも積極的にコミュニケーションをとった<写真提供:STC I・GSP>
 11月のBTCの寮への受け入れも、その一環として意味があったのである。
 BTC勢も日本で結果を残していった。デリックが27分38秒69で3位、バンバローが28分09秒35で17位と所期の目的を達成。デリックは12年に出した27分31秒38の自己記録に迫るセカンド記録だった。バンバローもセカンド記録で、故障明けとうことを考えれば納得できる走りだった。「こんなに素晴らしい1万mレースは初めて」と柳原に話したという。
 受け入れが上手くいった理由を、藤原は次のように考えている。
「米国はプロの選手の集まりですから、自分のことにフォーカスして他人のことはどうでもいい、という感じの選手が普通なのです。それがBTCはチームワークを大切にしている。みんなで頑張って結果を出そうよ、という考え方が明らかにある。その点が日本人の考え方に近いのかもしれません」
 寮を出発する日にはBTCの2選手とシューマッハー氏、中大の陸上部員たちが記念の集合写真を撮影。「記録も出せたし、来年もまた来たいです」と言い残して帰国の途についた。

指導者・藤原正和の思い
 藤原が海外合宿などに積極的なのは、次のような思いを強く持っているからだ。
「日本の長距離は恵まれた環境で競技ができるのですが、海外でも自分で行動する選手の育成を、少しおざなりにしてきました。甘やかされてきた、と言っても良い。それが、近年の勝負弱さにもつながっている気がします。川内(優輝・埼玉県庁)選手のように、自らが望んで色んな環境に飛び込んでいく姿勢が必要だと思っていました」
 藤原がここまで積極的に動くことは(それも就任1年目から)、柳原も予想していなかったが、「藤原にその思いがあるなら」と、先述の1年生トリオの米ユタ合宿にも協力した。箱根駅伝予選会を2カ月後に控えた時期のため、藤原は日本を留守にすることはできなかったが、代わりに柳原が現地で3選手を受け入れ、藤原の意図を汲んで学生だけで行動することを重視したサポートを行った。
 帰国後の日本インカレ(9月上旬)1500mで3人が揃って入賞。即効的な部分を求めた合宿ではなかったが、周囲の理解を得やすくした。
2016年8月のパークシティ合宿では、学生選手3人が食料の買い出し、自炊も行った<写真提供:STC I・GSP>
2017年2月にBTCの練習に参加した舟津(右端)<写真提供:STC I・GSP>
 そして今年2月には、舟津が約1カ月間のBTC留学に出発した。現地では練習メニューもすべて、シューマッハー・コーチが立てたものを行うという。
「リオ五輪代表選手を9人も出したチームですから、日本国内ではできない高いレベルの練習をすると期待しています。舟津は英語がある程度できて、5000mも13分50秒ですから、足手まといになることはない。学生は人生において失敗が許される時期でもあります。行って苦労をすることも、舟津の成長を促すことになる。英語の勉強もしているようですし、なんとかすると思いますよ」
 藤原のこうした積極的な判断には、柳原とともに行った海外遠征経験も、大なり小なり影響していた。
「柳原さんから『行く先々の文化に絶対に触れた方が良い』と、ベルリン(ドイツ)だったら東西を分断していたベルリンの壁の跡に連れて行ってもらいました。リスボン(ポルトガル)では大航海時代(15〜16世紀。スペイン、ポルトガルが中心にヨーロッパがアメリカ、アジアに進出した時代)に栄えた街並みを見に行きましたし、欧州本場のプロ・サッカーの試合観戦などにも一緒に行ったこともありました。人間形成も含め、何かしらプラスになることを持ち帰ってほしいという思いを柳原さんは持っていらっしゃいました」
2015年3月のリスボン・ハーフマラソン遠征中の藤原監督(当時Honda)と柳原<写真提供:STC I・GSP>
 藤原はHondaでは、駅伝メンバー入りすることは最低限のノルマとして自身に課していたが、つねに世界を見据えた取り組みを続けた。東京マラソンで外国勢の超高速ペースに、日本選手でただ1人食い下がったこともあった。また、国内選考レースで日本人トップを4回も取るなど、競り合うシーンでは絶対に負けなかった。
「世界に出ても通用する選手を育てるためには人間形成も重要だと思っています。柳原さんには引き続き、海外遠征などのサポートをお願いしたいと思っていますが、そういった機会に現地のものに触れさせて、何かをつかんで帰らせる働きかけを、今後も続けてやってほしいと思います」
 藤原と柳原のつながりが、陸上界に新たな力を生み出す予感がする。
指導者としても手腕を発揮し始めた藤原正和中大駅伝監督

B上野代表乾坤一擲の"楓プロジェクト"
800mランナーの3000mSC転向&東京オリンピック挑戦
3000mSC転向を長期プランで進行させている大宅。ジョッグや流しの動きにもセンスを感じさせる

ボルダーで米国代表の五輪直前練習を見学
 BTCの中大寮滞在もそうだったが、陸上界の常識では思いもよらないシーンが、GSPでは普通に起こっている。上野敬裕STCI代表と中距離選手の大宅楓(大東建物管理)、昨年まで上野が指導していた岸川朱里さん(長谷川体育施設。2010年アジア大会女子800 m4位。昨年引退)の3人が、昨年8月にボルダーで、後に五輪メダリストとなる米国代表選手の五輪直前練習を見学していた。
 大宅は800 mの自己記録が2分07秒47で、2015年の日本インカレ3位の選手(当時日体大)。昨年から上野が指導するようになり、2020年東京オリンピックを3000mSCで狙っている。16年シーズン終了時点でまだ一度も3000mSCを走ったことがないが、数々の五輪代表選手を育て、男女3000mSCの有力選手を輩出してきたコロラド大学のマーク・ウェットモア・ヘッドコーチの下を訪れ、トップ選手のトレーニングを見学する機会をと考えた。
 BTCも過去、外国人選手の留学的練習参加を認めたことはなかったが、藤原正和駅伝監督の人柄に触れたシューマッハー・コーチが「マサの指導する選手なら」と、舟津彰馬の1カ月の練習参加を特別に受け入れた。上野の意向を受け、佐藤幹寛氏(米国在住の国際陸連公認代理人、GSP発足時からの主要メンバー)が、ウェットモア氏に接触。今回の「楓プロジェクト」のロードマップ(詳細は後述)を説明し、粘り強い交渉の末、見学のOKをもらった。五輪直前の期間は、コロラド大側が指定してきたのである。
 前代未聞の"練習見学"を実現させた理由を、上野が説明する。
「大宅には今後、世界と戦っていく選手に育ってほしい。そのためには世界のトップ選手のトレーニングを、実際に見せることが近道だと考えました。日本の長距離界の現状ともリンクしますが、自分のコーチングだけでは限界がある。参考になると思ったのがウェットモア・コーチです。ウェットモア・コーチは、何人もの中距離選手を3000mSCに移行、活躍させています(現在も800m2分05秒の女子選手を3000mSCに移行中)。また、ウェットモア・コーチの右腕として評価が高い、ヘザー・ブロー・アシスタントコーチ(女性)のコーチングにも関心がありました」
昨年8月にコロラド大で。左から大宅、リオ五輪1500mで銅メダルを取るシンプソン、岸川さん<写真提供:STC I・GSP>
 当の大宅は、自身がまだ走った経験がない種目でオリンピックを目指すことや、ボルダーでの練習見学をどう感じていたのだろうか。
「初めにお話を聞いたときは正直、驚きました。東京オリンピックを3000mSCで目指すプランは大学時代の後半から理解していましたが、実際にはまだ3000mSCを走ったことがありません。そんな状態なのに世界のトップ選手の練習を見られることにまずビックリしました。それでも、これはチャンスだと思いました。見たことが少しでもあるのと、ないのでは全然違います。感じられるもの、自分のものにできるものを1つでも見つけて来たいと思いました。実際に練習を見て、練習内容の質が高いのは間違いないのですが、選手が強い意思を持ってメニューを行っているのだと実感できました。きつそうに走っていましたが、やるべきことを把握して取り組んでいるように感じたのです。ポイント練習後に動きづくりもしていました。ヘザー・コーチがかなり細かい部分まで指導していましたね」
 ここまで3000mSCを意識しているのであれば、大宅は実質的には3000mSCを走っている選手、と言うことができるかもしれない。

“楓プロジェクト”は分業制
 上野は関東学院大卒業後に入社したリクルートでは、1998年から約一年間、アトランタ五輪5000m4位入賞の志水見千子選手の指導を任されていた時期もあった。五輪後の不調から、日本選手権5000m優勝、バンコク・アジア大会5000m銅メダル、IAAF国際グランプリ大阪大会3位(アトランタ五輪後の自己最高記録となる15分15秒12をマーク)と復調させた。
 その後のチームでは辰巳悦加を2007年大阪世界陸上3000mSC代表に、岸川を2010年アジア大会800 m4位へと導いた。岸川のロンドン五輪への挑戦が、現場で指導を行う最後と考えていたが、そのシーズンに大宅が日体大に入学してきた。
 岸川も日体大出身で、練習を日体大で行うことが多かった。大宅は近畿インターハイ800 m7位で全国大会に行けなかったが、辰巳も中国インターハイ7位。岸川の大学の後輩であることや、辰巳との不思議な共通点もあったが、何よりも大宅の潜在能力が上野の心をつかんだ。
「日体大の石井先生(1500m元日本記録保持者の石井隆士氏)が紹介してくださったのですが、動きを見た瞬間、『この選手を指導したい』と、心を揺さぶられました。全体的なイメージでは、僕の理想にピタッとはまった。おそらく運動神経抜群だろうと。実際ハードリングも上手いですし、800 mのスピードを生かして長期的な計画で育成していけば、3000mSCなら世界で戦える選手になると」
 運命の出会いを感じた上野だが、情熱に駆られての“楓プロジェクト”立ち上げだったわけではない。大阪の世界陸上から10年が経過し、国内外の3000mSCのレベルも上がった。冷静に先を読んだとき、自分1人で大宅を育てきれるとは思えなかった。フィジカル、メンタル、エージェント領域に至るまで、スペシャリストの力が必要不可欠と考えたのだ。
 辰巳が世界陸上で失敗(水濠で転倒)したのは、集団の中で障害を跳ぶ経験が乏しかったからで、GSPを立ち上げたのはその反省もあった。
「代表になることが目標で、そこから先の準備ができていなかった。10年前に今のノウハウがあれば、世界陸上の結果は違ったものになったかもしれません」
 近年、GSPの情報網の充実は目を見張るものがある。
 単なる練習メニューであれば、インターネット上で拾えるが、実際に強化の現場に赴くことで、トレーニングに対する考え方や、指導のバックボーンをしっかりと把握できるのが最大の強みだ。
 これは“楓プロジェクト”だけでなく、GSPが他の日本選手に外国人コーチを紹介するときも、事前に情報を把握して、その選手に適した指導者を推薦するようにしている。強化現場のニーズに沿った提案ができるのは、柳原、佐藤のエージェントとしてのネットワークやノウハウ、上野のコーチングキャリアが成せる業と言えるだろう。
大宅(左)にハードルを使ったドリルを指導する岸川さん

“駅伝をやらないチーム”だからできること
 ウェットモア・コーチは「有酸素能力の辛抱強い開発」(本人)を指導コンセプトにしている。その点が、中距離選手を3000mSCに移行させることに成功してきた、と上野は見ている。
「ナイキ・オレゴンプロジェクトも持久系の要素をおろそかにしているとは思いませんが、日本国内では“スピード”“練習環境”など著名選手の一部分が切り取られて報道され、比較対照として日本の中・長距離、駅伝ではダメだ、という扱い方がされてしまっている。日本選手には実際のところ有酸素能力、フィジカル、メンタルなどが総合的な基礎・土台になることが多いと思います。そこをしっかりと行うためにも、基礎・土台作りの時期と試合期、休養期を明確に期分けしてトレーニングを行うことが重要です。我々は駅伝をやらないチームなので、今までの日本にないアプローチ法で大宅を育ててみたい」
 大宅の1年目シーズンは昨年9月の全日本実業団で終了し、その後3週間のオフ期間を設けた。試合期には、完全にダメージをとることは難しい、と上野が考えているからだ。だが、オフといっても完全休養をしてしまっては、次のシーズンに向けてのトレーニングにスムーズに入ることができなくなってしまう。
 そこのさじ加減を大宅自身が、どう行ってきたのか。
「地元(大阪)に帰って、ストレスなくトレーニングをしていました。体を休ませながらも、次のシーズンに向けたトレーニングに入る準備をしてきたのです」
 上野も「大宅がきちっと体を作ってきてくれたので、スッとベースを作るためのトレーニングに入って行けた」と言う。この記事の取材をした1月下旬まで約3カ月間、基礎・土台を大きくするためのトレーニングを中心に行ってきた。
「大宅は学生時代に、石井先生がスピードのベースを上げて下さっています(400 mは4年時に55秒81)。22〜23歳くらいまでにそこがしっかりとできていれば、必要に応じてスピードを活用できる。石井先生のご指導があったので、やりやすいですね」
 駅伝を主体とする実業団チームから見ると上野のスタイルは、やはり特徴的といえるだろう。
「駅伝に取り組んだ場合、これだけ期分けを明確にすることは困難だと思いますし、ロードでギリギリのスピードを追及することは、故障にもつながりかねません。基本的にロードは走らせない方針です。トラックとクロスカントリー、そしてフィジカル系のメニューが中心になります」
 2月中旬には、冬季トレーニングの進行状況を確認するために、米国の室内競技会に参加してきた。現地ではウェットモア・コーチに再会し、近況を報告している。
「山には色々な登り方があります。100人指導者がいたら100通りのやり方があると思うんですよね。駅伝強化もその1つだと思いますが、“楓プロジェクト”はトラック強化に特化したプロジェクトと言えると思います」
 大宅自身も、大半の長距離選手とは異なるスタイルでの強化だと認識。「人と違うスタイルで、自分たちにしかできないことをやりたい。そういう部分が最終的に武器になる。そこを楽しみにしています」と話す。
 上野は「東京までのビジョンは明確です。時間はかかると思いますが、このプロジェクトを何としても成功させたいと思っています。また、我々のチームやビジョンに共感してもらえる選手がいれば、新たな選手も受け入れたい」と語る。
 大宅は自身が斬新なプロジェクトの中心にいることを、どう感じて日々を過ごしているのだろうか。
「最初に上野さんからお話をいただいたときは、私で本当に大丈夫なのかな、と感じましたが、こんな私でも期待されているのだと、喜びも感じています。このご縁に感謝して、できることは全部やっていきます」
 人と人との“つながり”が、大きなエネルギーを生んだ例は多い。その“つながり”の部分にGSPが果たす役割の有効性を、上野と大宅が身をもって示していく。
左から岸川さん、大宅、上野。岸川さんと大宅の母校である日体大で
◆岸川朱里さんの抱負◆
「昨年の日本選手権を最後に競技から引退して、少し休んだ後に、上野さんのチームで現場に携わりたいと思いました。自分はそれほど結果を残せたわけではありませんが、指導者というよりもサポートという形でなら、自分の経験を還元できると思いました。自分がこのチームで何ができるかを模索している中で、ボルダーに帯同させてもらい、ウェットモア・コーチとヘザー・コーチの関係が勉強になりました。上野さんの考え方はわかっているので、大宅にも"上野さんが意図しているのはこういうことだよ"と、かみ砕いてアドバイスできると思います。ただ、私のときとはまた別のアプローチをしているので、私自身もスキルアップしないといけません。選手の気持ちもわかるので、両方の立場を理解してアドバイスをしていきたい」

Cトヨタ自動車が海外高地合宿先にパークシティを選んだ理由とは?

パークシティの練習環境、生活環境
 宮脇千博選手(トヨタ自動車。1万m27分41秒57)にとって、初めての海外合宿が昨年8月のパークシティ(米国ユタ州)だった。標高2000mレベルでの高地練習も、同様に初めての経験だ。
「天候が良い場所でした。夏だったので日中は暑いのですが、湿度が低く、朝晩は涼しく感じられます。練習コースも素晴らしくて、トレイルや土のコースが沢山ありました。冬はスキー・リゾートなので、スキー場をクロスカントリー・コースとして走ることができます。トレイルもクロスカントリーも、日本よりも規模が大きいですね。日本では片道10km以上とれるコースは、なかなかありません。アメリカらしい雄大な景色が続くのもモチベーションになります」
 日本の長距離チーム間では、同じ米国でもボルダーやアルバカーキほどの知名度はない。だが、ソルトレイクシティーから車で30分とアクセスも悪くない。米国のトップランナーがこの地で合宿を行い始めたのが2012年頃から。その後、柳原が視察、徐々に日本チームが合宿できるサポート体制を構築していった。
アメリカらしい雄大な風景のなかで走り込むトヨタ自動車の選手たち<写真提供:STC I・GSP>
 宿泊はコンドミニアム形式のホテルがあり、自炊をすることができる。スーパーマーケットも車で約15分以内の範囲に4つあり、さらに日本人が経営する日本食材の店もある。ホテル近くにレンタル・サイクルショップもあり、必要に応じて自転車を借りることもできる。
 宮脇が話していたトレイルコースは、主なもので3つが設定できる。標高2000mに3.5kmの周回コース、標高1800mに片道12kmの往復コース、そして標高1600mに片道約10kmの往復コースで、さらに山中を走れば「無限にとれる」(トヨタ自動車・熊本剛コーチ)という。トラックも標高2000mと標高1400mの2カ所を使うことができる。
 宮脇は治安の良さも、パークシティの特徴に挙げる。
「朝方、暗いウチに1人で走っていても大丈夫ですし、夕方に買い物に出かけても、危険を感じません。不便さを感じるシーンはほとんどなかったですね」
 国内で経験のある1200〜1500mの準高地なら、宮脇も上がってすぐに適応できる。2000mのパークシティでは適応するのに時間もかかったが、帰国後の血液データなどを見ると効果が確認できた。
 ロンドン五輪代表をあと一歩のところで逃し、リオ五輪はマラソンで狙ったが、故障が多く選考レースに出場することもできなかった宮脇。だが、パークシティの湿度と気圧の低さが座骨の故障にも良かったのか、この1年間は大きな中断がなく練習を継続できている。
「今後、世界大会を見据え、パークシティを強化や調整に使えたら良いな、と思っています。会社に費用を負担してもらっているわけですから、結果を出すことで恩返しをしていきたい」
 宮脇の気持ちも身体も、初の高地トレーニングを経て上がってきている。

駅伝トップチームのマラソンへの本気度
 ニューイヤー駅伝優勝3回のトヨタ自動車が、パークシティで合宿したのは2015年の夏が1回目。そのときは予定していた選手に故障者が出てしまったこともあって大石港与、早川翼、山本修平の3選手で行なった。佐藤敏信監督も、同時期の陸連合宿に回ったため、スタッフは安永淳一ヘッドコーチと熊本コーチが帯同。それが昨年は宮脇や、前所属チーム時代に高地練習経験のある松本稜選手、新人の服部勇馬選手が加わって6人で実施。佐藤監督も初めてパークシティに降り立った。
 パークシティ合宿に踏み切った理由を、佐藤監督は次のように説明する。
「私も現役時代の最後の方で、高地練習を経験していました。選手によって合う、合わないがありますけど、マラソンで世界を狙う上で必要だと思っていたのです」
 それが就任8年目まで、実施するのがずれ込んだ。その理由を佐藤監督は「駅伝で結果を出してから、会社にお願いしたかった」と説明した。新しい寮の建設も、2回目の優勝後に決まっている。佐藤監督の"仕事の流儀"といえる部分もあっただろう。
 熊本コーチが感じているのは「以前は、マラソン用の海外合宿をやるレベルではなかった」ということ。トヨタ自動車には2011年テグ世界陸上代表となった尾田賢典や、2時間11分台で2回走った高橋謙介らもいたが、チーム全体で見たときにまだ、態勢が整っていないように感じられた。
 それが今は、マラソンに取り組む選手が増えている。宮脇は2014年東京で2時間11分50秒、服部は入社直前の2016年東京で2時間11分46秒と、ともに初マラソンで2時間11分台を記録した。外丸和輝選手は2時間11分25秒を持ち、窪田忍選手も学生時代の初マラソンこそ2時間15分48秒だったがマラソン志向が強い。そしてキャプテンの大石が、初マラソンとなった今年の別大で2時間10分39秒と好走した。
「2020年の東京オリンピックには、なんとしてもマラソン代表を出したい。そのために海外の高地練習に取り組むべきだと、監督が決断したのだと思います」
トヨタ自動車の佐藤監督(右)と熊本コーチ。海外での高地トレーニングをマラソン強化に活用していく<写真提供:STC I・GSP>
 海外での高地トレーニングは、日本の女子が20年以上前から取り組み、結果も出している。トヨタ自動車系列のダイハツも、木崎良子や前田彩里を代表に送り込んだ。熊本コーチをダイハツのアルバカーキ合宿に1カ月間帯同させたり、BTCやオレゴンプロジェクトが行っているパークシティを下見させたりした(その際も柳原がサポート)。
 それらの報告を受けた上で、佐藤監督が「まずは動かないと」と、パークシティ合宿に踏み切った。
「最初の年はトラックとクロスカントリー、トレイルだけでしたが、昨年は柳原さんが距離走をできるロードのコースも見つけてくれて、練習のバリエーションを増やすことができました。暑さも考えて、早朝に30km走などをやりましたよ。高地なので、疲労の程度を見ながら試行錯誤でやっています。時差の大きい場所ですが、高地に向いている選手はやっていくメリットがある」
 トヨタ自動車の本気度が伝わってくるのがパークシティ合宿である。

当たり前のことをやりやすい環境
 パークシティの環境が整っていることは間違いない。だが、佐藤監督の話を聞いていると、それが競技力アップの特効薬的に考えている様子ではないことが伝わってくる。柳原もパークシティの環境を説明はするが、そこに行けば強くなりますよ、というニュアンスの話し方はしていない。
 トヨタ自動車のパークシティでの1日のスケジュールは、以下のような流れだ。
6:15 ホテル前に集合して1時間程度の各自ジョッグ
7:45 朝食
11:00 午前練習
13:00 昼食
16:30 午後練習
18:30 夕食
 日本では朝練習を集団で行うことが多いが、それ以外は国内合宿と同じパターンで1日を過ごす。国内合宿と同じように集中できる海外高地練習場所、という言い方ができそうだ。
 昨秋、初めて1万m27分台を出した大石の成長理由として、朝練習に早く出て、自主的に多く走っていることを佐藤監督が挙げていた。記事にするには派手さのないエピソードになるが、佐藤監督の取材では地味な話題が多くなる。数年前に、宮脇や松本賢太ら高卒入社選手を強くするためのプロジェクトを立ち上げた。プロジェクトと銘打つことで選手のやる気を喚起するが、入社後数年間は練習を抑えて行うなど、奇をてらう内容ではなかった。
 大石自身は、強くなるために見えないところで何を続けているか? と問われて「それを言ってしまったら、見えないところでやる意味がなくなってしまいますよ」と、明かさなかった。おそらく海外合宿でも、国内と同じように集中できる環境なら、同じように秘密の練習に取り組んでいる。上記のスケジュールのなかでも、文字になっていないところで大石は何かをしているはずなのだ。
 これは柳原の仕事ぶりにも言えることで、地道な努力を続けることで各チームの信頼を勝ち取ってきた。「私も独立起業した当初は、奇抜特異なアイデアが自分の仕事を広げることになると思う時もありましたが、そうした一発ホームラン的なやり方よりも、コツコツと単打を重ねていくやり方の方が自分には合っている。当たり前のこと、地味なこと、泥くさいことをどれだけ続けられるか」だと、日頃から心がけているという。
 トヨタ自動車と上野・柳原にも共通する姿勢である。
今回紹介してきたように海外トップチームや著名指導者と接点を持ったり、日本のトップ選手たちの遠征や合宿に携わったりするGSPだが、強化のサポートをしていくことが一番の使命である。上野と柳原の活動も、ちょっとした気遣いや粘り強いコミュニケーションなど、小さな努力の積み重ねが選手やスタッフの大きな力となっている。それが日本陸上界の一歩となることを願って、2人は日々活動をしているのである。


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