重川材木店密着ルポ2010-11
第3回 “次”が見えたニューイヤー駅伝
@想定以上の展開だった前半から
A力を出し切れなかった後半

●直前の故障と発熱
 目標の30位以内に向かって4区までは順調だった重川材木店だが、5区から流れが一転する。それは、ある程度は懸念されていたことだったのだが…。
 5区(15.8km)は2番目に長い区間。今年は例年よりも弱かったが、向かい風もある。各チームとも準エースやタフな選手を起用してくる。重川材木店も自信を持って高橋秀昭を起用するはずだった…が、その高橋がレース1週間前に左大腿部裏に筋膜炎を発症させてしまった。幸い軽めの症状。すぐに治療を行い、4日前には痛みがとれ、3日前から走り始めた。
「ケガをする前まではしっかり追い込めていましたし、逆に(軽めの練習になる)疲労抜き期間の故障と考えて、問題ないと思いました」
 高橋は前向きに考えた。重川社長、豊岡監督とも協議して、5区へのゴーサインが出た。
 だが、高橋は区間35位と後ろから3番目の区間順位。前方から下がってきた大阪府警、後方から上がってきたトーエネックと日立電線の4チームで集団を形成したが、4kmくらいで高橋1人が後れ始めた。5km過ぎで大阪府警に追いついて一緒に走ったが、11km付近で再度引き離されてしまった。故障個所も「10kmを過ぎてきたら変な感覚があった」という。順位は2つ下げて30位で6区に中継した。
「故障もありましたが、それは関係ありません。力がついていればここまで悪い走りにはならないでしょう。まだ実力が足りないんだと一番感じました」
 レース後もケガを言い訳にしなかった高橋だが、走りが本調子でなかったのは明らかだった。
 5区終了時点で目標である30位をぎりぎりキープしていたが、6区(12.5km)の登石暁が区間36位で、33位にまで順位を落としてしまう。1km付近で西鉄に抜かれたときは、スピードがまったく違い食い下がれなかった。3km付近でJR東日本に、6km過ぎで中電工に追いつかれたときは、どちらも2〜3kmはつくことができたが振り切られた。
 登石は第2回ニューイヤー駅伝迫る!で紹介したように、当初は控え選手の予定だった。それが大会が近づいて調子を上げ、12月21日の1万mタイムトライアルで29分56秒の自己新をマークし、メンバー入りしていた。だが、レース前日に38.5℃の発熱をするなど万全の体調に持ってこられなかった。前半からハイペースで飛ばしたら、後半で大きく失速する可能性があり、最初の5kmを15分20秒で通過した。
「最後まで上手く力を出そうとして、普段よりも余裕を持って入りました。しかし結果的に追い込み切れず力不足を痛感しました」
 高橋も登石も、調整に課題を残し不完全燃焼の結果となった。
5区の高橋は区間35位。直前の故障で
力を発揮できなかった




  6区の登石は区間36位。直前の発熱が影響したか

●体調管理不足
 アンカーの7区(15.5km)を任されたのは、3000mSCで全国トップクラスの実績を持つ宮入一海だった。
 33位で6区の登石からタスキを受けたとき、30位の西鉄とは1分35秒差。正確な順位やタイム差を把握はしていなかった宮入だが「前を追っていくしかない」と走り始めた。 しかし5km過ぎでNTT西日本に抜かれ、ラスト400mで八千代工業に抜かれたときには、1km3分30秒はかかっていた。ジョッグよりも遅いスピードである。区間は最下位の37位だった。
「情けないですね。なんとか走れると思っていましたが、悪いことが全部重なってしましました、中間点手前で腰に痛みが出てきて、10kmからは手足がしびれ始めまったく動きませんでした」と振り返る。
 12月21日の1万mタイムトライアルで29分44秒で走ってメンバー入りを決めた宮入ではあったが、体調を合わせられない状態でのレースとなった。
 レース後、豊岡監督は「弱気な部分を見せずに体調を上げる努力をしてくれた、後半苦しかったと思いますが、よくタスキをつないでゴールをしてくれた」とねぎらった。
 宮入が2人に抜かれ、重川材木店の5年ぶりのニューイヤー駅伝は35位に終わった。その結果を豊岡監督は次のように総括する。
「35位はすごく悔しい気持ちがありますが、そうなった原因は見えています。それは改善していくことができる。今後の目標がすごく明確になりました。前半の4区間を走った選手たちは自信がついたと思いますし、後半の3人は体調管理不足で順位を落としました。その反省を生かせる大会だったと思います」
7区の宮入は区間37位。体調を合わせることができなかった

●ニューイヤー駅伝が変革のきっかけに
 重川社長は「35位は35位」と冷静に振り返るが、今後に向けてはデータを前向きにとらえている。実際、
30位の大阪府警とは4分26秒差
25位の日立電線とは5分22秒差
20位の佐川急便とは5分55秒差
 だった。重川材木店の5、6、7区の選手全員が仮に区間30位だったら、4分15秒タイムを縮められた。
「そういう意味でもったいないレースでしたが、課題を克服すれば20位の背中が見えますね」(重川社長)
 現状の課題は個々の走力アップだという。
 豊岡監督は次のように話した。
「昨年はニューイヤー駅伝出場のため、1万mを30分00秒で全員が走ることを目指しました。それは達成できましたが、それでは本番で30位に入ることはできません。今年は28分台を目指す選手が出てこないといけないし、29分30秒を切れないとレギュラーに入れないレベルにしていかないといけません」
 1区の村井はニューイヤー駅伝に参加するだけでは面白くないと痛切に感じた1人。
「走る前は出られるだけで嬉しかったのですが、走った後は、出るからにはしっかりと“中”で争いたいと感じました。レースの“外”で走ってもあまり意味がありません」
 @想定以上の展開だった前半で紹介したように、村井にとっては20位の集団で走ることが“中”で争うことになるのだろう。
 そして、それが簡単にできることでないことも、しっかり認識している。
「今回は特に悪いところも、失敗もありませんでした。完全に力不足。力を付けるしかありません」
 村井はニューイヤー駅伝後、朝練習を4:30から行うようになった。これまでは5:30から40分程度だったが、ジョッグの時間を1時間近く延ばした。
 フルタイムの日は18:00までが勤務時間だが、近くの大学のトレーニングルームに19時に行き、約1時間のウエイトトレーニングを行うようにした。これまでは補強で精一杯だったが、「故障もしづらくなるし、走りも効率的になるんじゃないか」という狙いで、本格的に取り組み始めた。
「この日はきついからやらないとか、理屈で考えるのでなく、ガムシャラに、とことんやってやろうと決めたんです」
 個々の目標に向かって、すでに行動を開始した選手たち。ニューイヤー駅伝の経験が選手たちの刺激となったのは間違いない。その刺激を選手たちがどう受け止め、自身をどう変革していくか。
 仕事との両立を目指している重川材木店は、練習に割く時間が少ないのは事実であるが、だからこそ工夫のやり甲斐があるのも確かである。2度目のニューイヤー駅伝出場が重川材木店をどう変えていくのか。今後も注目し続けるべきチームといえるだろう。

急       募
重川材木店では昨年(2010年)29分45秒以内のレース結果を持ち、
本年29分15秒以内を目差すランナーを1名募集しています。


寺田的陸上競技WEBトップ